幽閉
王都から馬車で半日ほど、エリザベートは歴史ある修道院に来ていた。
修道院の周囲には、幾人かの騎士とそれに従う兵士たちが巡回している。迎えに来ていた案内の修道士が言うには、数日前まで厳戒態勢だったのだが、もう山場を越えたと判断しているようで、のんびりしたものらしい。
修道士の案内で、まずは修道院長への挨拶に向かう。お付きはもはや最近の定番となってきているヨハンナとレオポルトだった。
「よくぞいらしてくださいました。歓迎しますよ、エリザベート様」
初老の修道院長とは穏やかな笑みを浮かべて迎えてくれる。
「修道院長、お久しぶりです。お元気のようで嬉しいですわ」
「いやいや、もう歳です。日々の祈りだけで、あとは若いのに任せてしまっている有様で」
「まあ、嘘ばっかり」
修道院長が、嘘がバレてしまったと大声で笑う。
エリザベートも口元をおさえて慎ましく笑いながら、レオポルトに目配せする。
「父より預かってまいりました。お納め下さい」
レオポルトが進み出て、袋を胸の高さに掲げた。
「公爵にはいつも助けられております。お陰で実りの少ないこの辺りでも、信徒たちを飢えさせないで済んでいますよ」
案内してきた修道士がレオポルトから袋を受け取り、奥に引っ込んでいく。
「あの方は身を慎まれて過ごされています。自暴自棄になっておられる様子はありません」
「食事はどうですか?」
「ここに来られた当初は食を断っておられましたな。しかし、少しずつ口にされるようになり、今はちゃんと召し上がっていると聞いています」
「なるほど……。貴きお方ですので、くれぐれも支障がないようにお願いします」
修道院長がゆっくりうなずく。
この修道院は、代々のウィケッド公爵が支援してきた。だから、ウィケッド家に不利なことはしないので助かっている。
「どうされます、さっそくお会いになりますか? それとももう夕刻なので、明日にでも……」
「いいえ、これからすぐに会わせてもらいます。明日早くにここを発ちたいので」
「マクシミリアン陛下の戴冠の儀も終わったというのに、忙しくていらっしゃる。わかりました。場所はご存知でしょうが、ご案内いたしましょう」
修道院長の案内で、修道院一角にある塔を目指す。そこは貴族の幽閉場所として使われていて、かつてウィケッド一族の幾人かもそこで生涯を過ごした。
なのでウィケッド一族では、子供をこの修道院に連れてきて、良い子でいないと塔に入れられると脅して素直にさせるのがお決まりだった。自分も怖くなって、修道院ではヘレーネにべったり引っ付いていた覚えがある。
ほどなく塔に到着し、修道院長によって扉が開けられた。
「ここからは私一人で行きます」
「しかし……」
修道院長がヨハンナとレオポルトに視線を向ける。二人も戸惑っているが、有無を言わさずにヨハンナが持っていた燭台を取り上げた。
「ここで待っていて。……そんなに、長くはかけないから」
そう言い置いて、独りで塔の中に入る。薄暗い階段を、燭台の灯りを頼りに昇っていく。少し息が切れ掛かったところで、目指す最上階に到着した。
自分自身、少し緊張してしまっているとわかる。奥に進むと、鉄扉の前に二人の騎士が椅子に座っていた。
「まさか……エリザベート様! 何故お一人で……?」
「塔の入口まで下がりなさい。さもないと、分かるわね?」
騎士たちが競うように駆け去っていく。それを見届けてから、鉄扉の窓に手を伸ばす。
「わたくしです。窓を開けてもよろしいでしょうか?」
「……何の用だ。私を笑いに来たのなら、そこで大いに笑って、早く帰れ」
鉄扉越しではあるが、声は元気そうだった。神判の際には虚脱し、生きる気力すら失ったように見えたので、少し心配していたのだ。
「ラディスラウム様を笑うために来るほど、暇ではありません。また少しお話をしようと思ったのです。そちらも、聞きたいことがあるでしょう」
「……好きにするといい。どうせ私には、お前を止めることなんてできない」
ゆっくりと窓を開ける。窓と言っても僅かな隙間で、目線が通るくらいしか無い。それでも、鉄扉の先にラディスラウムがいることが確認できた。
「ご健勝のようで安心しました」
「ふん。ああ、健勝だとも。部屋は狭いが、着るものも食べるものも、寝るところにも困っていない。食事の時の監視が煩わしいが、慣れればどうってことはないな。どうだ、満足したか?」
身振り手振りでごまかしているのだろうが、そんなことで騙されるほど関係は浅くない。視線が泳いでいることはわかっている。虚勢を張って、強がって見せているのだ。
「ええ、ラディスラウム様のことは良く分かります。今も、自分の身がどうなるのかと、とても心配してらっしゃる。他にもウルストラがどうなったのか? 母君は? 味方をしてくれた貴族たちは大丈夫なのか? 色々なことが不安でたまらない。そうでございましょう、ラディスラウム様」
ラディスラウムの顔が瞬く間に怒りの形相に変わっていく。そして、鉄扉に近づき、扉を蹴り飛ばした。
丈夫な鉄扉はそんなことではびくともしないが、衝撃音に驚いて一歩退いてしまう。
「私はな、お前の、そんなところが、嫌いなんだ! 何でも、お見通しか!? お前は、神か! 私が、そんなに、馬鹿だというのか!?」
鉄扉を何度も蹴るラディスラウム。その度に衝撃音が塔に反響する。それでもエリザベートは、じっとラディスラウムから視線を逸らさなかった。
しばらく蹴り続け、ラディスラウムが息を切らして苦しそうに喘いでいる。
「落ち着かれましたか? ああ、足を怪我されていますね。後で治療させます」
「……教えてくれ。皆はどうなったのだ?」
「ええ、勿論お教えします。さあ、足が痛むでしょう。椅子にお座り下さい。私も座らせてもらいますわ」
エリザベートが騎士の座っていた椅子を引き寄せて座る。見えていないが、ラディスラウムも椅子に座ったようだ。
「何からお話ししましょうか。まず聞きたいことはありますか?」
「ああ……ウルストラはどうした? 私と同じように、どこかに幽閉しているのか」
「いいえ。あの女はビンゲン家に戻り、すでに国を出ました」
エリザベートの言葉を咀嚼しているのだろう、ラディスラウムからは何も返答がない。
「ビンゲンは男爵位をマクシミリアン陛下に返上しました。伝手を頼ると聞きましたが、どの国に行くのかは……」
「エリザベート、君のことだ。国を出るまでは監視させていたんだろう。彼女は……無事に国を出たのだな?」
「はい。それは保証いたします。その後どうなるかまでは、知りませんが」
エリザベートが文書を書いたとは言え、効力はこの国の中でしか通用しない。国を出た後に、どんな理不尽が待っていても、自分たちだけで身を守るしか無いのだ。爵位もないウルストラたちには様々な問題が起こるだろう。
それでも、エリザベートが文書を反故にできるだけの、外聞を気にしなくてもよくなる前に、行動に移さなくてはならなかった。
「そうだろうな。しかし……安心した。エリザベートは執念深いから、彼女をずっといじめているのではないかと心配していたんだ」
「あら、いじめなんて。わたくしがそのような陰湿なことをする女だと?」
面子を潰されたのだ。報復はするが、それをいじめと言って欲しくはなかった。
「するさ。ほら、ウィルのやつが、君のプレゼントの鳴き虫を庭に逃したことがあったろう。あの時、ずっとウィルをいじめていた。チクチクチクチクと。今思えば、可愛らしいいじめだが、ウィルは相当参ってしまったんだろうな」
昔を思い出して、ラディスラウムが忍び笑うのが聞こえる。エリザベートも自分のやったことを思い出し、思わず笑みを浮かべてしまう。
「ありましたね。でも、料理人にウィリアムの嫌いなものを中心に作らせたりした程度ですよ。そのせいで、わたくしまで嫌いなものを食べる羽目になった」
「食べていない。こっそり私の皿に移していたのは知っているぞ」
「それは……家にいらしていたときだけです。それ以外は、母に見張られてちゃんと食べました」
ラディスラウムが声を上げて笑う。顔を見られていないとは言え、子供の頃の失敗はばつが悪かった。
「母上は? お元気でいらっしゃるのか?」
ひとしきり笑った後、不安気な声でラディスラウムが問いかけてくる。
「お元気……なのでしょう。何も仰らない方です。しかし、ラディスラウム様を大切に思っていらっしゃいます」
「何故それがわかる。話をしないのだろう」
「もしものときは、王侯の待遇をもって……対応せよとの条件を出されました。敬意を忘れるなと、我らに釘を刺されたのです。今は領地に移られて、毎日祈りを捧げられていると聞いています」
「母上らしい」
小さく祈りの言葉が聞こえてくる。おそらく、父親の先王アルブレヒトもそこで葬られたと察したのだろう。静かに、祈りが終わるのを待つ。
その間、階段の方に目をやって盗み聞きしていないか確認する。誰かがいるような気がするが、確信はない。立って見に行こうかというとき、ラディスラウムの祈りが終わった。
「待たせたな。最後に、私を後押ししてくれていた貴族たちはどうなったか教えてくれ? やはり取り潰されたのか?」
階段の方が気になって後ろ髪を引かれるが、それを振り切る。
「エイチンクは取り潰されました。エイチンク一族のそれなりの家々や積極的に協力していた家なども同様です。あとは、減封や転封などが主になります」
「彼らにはすまないことをした。いや、謝っても済むことではないな」
「もしウィケッドが負けたとしても、同様のことを言ってくださいましたか?」
ラディスラウムが沈黙する。
「私と貴方が、破局したらどうなるか想像がつかなかった訳ではありませんでしょう?」
「ああ。混乱が起きることはわかっていた。だが……それは最小限にできると信じていたんだ。君が、大人しく身を引いてくれていれば、それよりももっと」
「身勝手なことをおっしゃいますね。何も話さず、急に疎遠となり、調べてみたら別の女と親しくされている。それを聞いたわたくしの心を、お考えになったことはありまして?」
「エリザベートこそ私のことを考えたことがあるのか? 君は、事前に全部わかっている。君のために何をしようとしているのか、何を贈り物にするのか。どれだけ趣向を凝らしても、初めて知った風にして喜ぶふりをしていただろう?」
言葉が出てこない。そこまで、知られているとは思っていなかったのだ。
いつの頃からか、ラディスラウムの考えは読めるようになってきていた。だから何かをしてくれても、やっぱりこれか、という思いが先に出ていた。誤魔化せられていると思っていた。
「それでも、なんとか出来ないかと努力した。しかし、政務を任されるようになって、忙しくなるとエリザベートのことを考えるのが重みになったんだ。そんなときに……ウルストラと親しくなった。何気ないことをしただけで、彼女はとても喜んでくれた」
「それでウルストラを……愛するようになったと?」
「そう……なんだろうな。止められなくなったんだ。エリザベートなら、どうせわかっているだろうと、勝手に……納得していた。そして、ビンゲン家が襲われた」
しばらく沈黙が続いた。エリザベートは、じっとラディスラウムの言葉を待つ。
「許せなかった。だから……君を、許せなくなったんだ。先に手を出したのは君だ。だから、これは正義の行いなのだと信じた」
鉄扉の向こうで、椅子が動く音がした。何かと思って顔をあげると、窓からラディスラウムの目がこちらを覗いている。
「エルサ、教えてくれ。どこまで君がやったことなんだ?」
ああ、やっぱり貴方は卑怯ですね。




