面会
エリザベートは、ウィケッド公爵家の当主代行となってから忙しい日々を過ごしている。公爵である父は、新王朝の準備で王宮から全然帰ってこれていない。それは、ウィケッド一族一門の多くが同様だ。
また新王朝における戴冠の儀式も、建国時の古い記録を参照して準備が進められていた。しかし、儀式を取り仕切る典儀官たちの人数が減っているために四苦八苦している。
そして、旧王朝に味方していた貴族のふるい落としも同様に始まっていた。新国王となるマクシミリアンの祖父、スフォルツァ伯爵が中心となって進めており、孫のために厳しく貴族を査定している。すでにいくつかの家は取り潰されていた。
各所で人手が足りていないのに、貴族の取り潰しが行われている。矛盾しているが、必要な処置と理解していた。だから、文句も言わずに当主代行をしているのだ。
「ですから、私は心ならずも、スフォルツァ家の方々と距離を置くことになったのです。ああ、今でも覚えています。マクシミリアン様の可愛らしいお顔を。この手で、有象無象から守って差し上げたかった。しかし、当時は父が当主をしており――」
会う貴族の誰もが、新国王となるマクシミリアンに擦り寄ろうとしている。今会っているのはかつてスフォルツァ伯爵家の一族だった人物だ。マクシミリアンが産まれたときに距離を置いた一族たちが、どうにかして元の立場に戻ろうと必死になっている。
「男爵はそうおっしゃいますが……マクシミリアン様のお母上からは、男爵のことを何もうかがっておりませんわ」
「彼女は、先代たちによる長年の理不尽な振る舞いに疑心暗鬼になっているのですよ。神に選ばれたマクシミリアン様を冷遇していた先代たちは、自分たちの愚行を反省し、当主の座を下りました。かつては力がなかったが、今なら彼女を信じていた我々が守れる」
同じような話ばかりを聞かされてうんざりだ。しかし、それを顔に出すことなく、笑顔で聞かなくてはならない。
「それは――ウィケッド公爵家では不足があると?」
「い、いいえ! そんな、そんなつもりでは……。ただ、一族が守っていたほうが、マクシミリアン様たちもお心やすくお過ごしできると!」
「マクシミリアン様は私の妹、ヴィルマの夫となられるお方。それは、我が一族も同然ということですわ。マクシミリアン様もお母上も、恙無く日々を過ごしていらっしゃいます」
「私はスフォルツァ家のためを思って」
なおも食い下がろうとする男爵を、エリザベートは険しい目つきで黙らせる。
「お引き取りを。スフォルツァ家の方々は、我らウィケッドがお守りしています」
ドア近くのヨハンナが、問答無用とばかりにドアを開けて退室を促す。男爵は未練がましく、何度も振り返りながら退室していった。
「まったく、もう少しまともな人物はいないのかしらね」
椅子の背にもたれかかって、天井を仰ぎ見る。
「怪しげな家系図を持ってきて王位継承権を求められるよりかは、まともだったのではありませんか?」
「それもそうねぇ。まあどちらにしても、ああいう連中は一つでも肯定すると変な吹聴をしてまわるから面倒なのよ」
言葉尻を捕らえて、自分に都合の良いように言いふらして回る。だから、どんなことでも決して肯定してはならない。
「これからは面会の人数を絞りますか?」
エリザベートの近くで面会に立ち会うヨハンナも辟易しているようだ。うんざりした表情を浮かべている。
「そうしたいところだけれど、そうもいかない。ああいうのに限って声が大きいのだもの。マクシミリアンが戴冠するまで、我慢するしかないわ」
「残念です。……マリーに替わってもらおうかしら」
「マリーは結婚の準備中でしょう。ほんと、あの子は要領がいいわ」
マルガレーテは、マクシミリアン即位の話が広まると、早々にアーネストとの結婚に持ち込んだ。それによって、クライン家の前当主もウィケッド領の保養地から戻り、シュパニエン家の縁戚としてアーネストと共に王宮での席を確保した。数年もすれば禄が加増されるか、男爵に見合う領地が与えられるだろう。マルガレーテの行動は、さも婚家を思ってのように見えるが、自分が面倒な仕事から逃げるためだとエリザベートとヨハンナにはわかっている。
手紙で、アーネストとウルストラを完全に切り離すためなど、色々と書いてあったけれども、そんなのは嘘だ。
「エリザベート様、私も結婚してよろしいでしょうか?」
「私と一緒で相手がいないでしょう。それとも、今擦り寄ってきている連中から選ぶつもりかしら? 止めはしないけれど、お勧めしないわよ」
ラディスラウムに婚約破棄されたとき、ウィケッド一族は他派閥などから婚約の解消を迫られた。それが今度は、新王マクシミリアンを擁する立場になったことで復縁を申し出られている。
特に次期当主となるエリザベートには、様々な縁談が舞い込んでいた。
ヨハンナが諦めのため息をつく。
「さあ、次は誰かしら? まともな相手なのでしょうね」
「お喜び下さい。なんと、ヴィルマ様ですよ。急なことですが、エリザベート様に時間を取って欲しいと」
「久々に心休まるわ。それにしても、どうしてヴィルマが? 夕食のときではいけないのかしら」
「うかがっておりません。ご姉妹のお話に立ち入るべきではないと思いました」
最近では一族のなかでも、ヴィルマがエリザベートの妹だと認識されてきている。マクシミリアンとのことで、ヴィルマは急速に一族内での立場が上昇した。扱い方がわからず、無難なところでエリザベートの実妹のようにしているのだ。
「そう……連れてきて頂戴」
「かしこまりました。お呼びします」
ヨハンナがヴィルマを呼びに出ていく。
ヴィルマはよく自分に懐いてくれている。最初は、ウィリアムへの当て付け程度にしか考えていなかった。それが、今は可愛い自分の妹と思っている。どうしてそのようになったのかは自覚があった。ヘレーネを失った自分は、彼女の代償を求めていたのだ。
ヘレーネに頼りきりだった自分。自分に頼りきりのヴィルマ。そして、ウィリアムもラディスラウム様に頼りきりだった。似ていないと思っていたけれども、やはり血が繋がっているのだと考えさせられる。
代償を抜きにしても、ヴィルマが懐いているのは都合が良かった。
「お姉様。失礼いたします」
最近ますますヴィルマに遠慮がなくなってきている。ノックもせずに入室してきたヴィルマのことを、家庭教師に告げておかなくてはならない。
だが、遠慮のなくなってきた分だけ、その所作は益々洗練されてきている。順調に教育が身についている証拠だろう。
「どうしたのかしら、ヴィルマ。あなたとなら、部屋でもゆっくり話せるでしょう?」
「いえ……お話ししたいことがあったので……」
どうもヴィルマの様子がおかしい。朝食のときは、こんな思い詰めた様子はなかった。
立ったままのヴィルマに椅子を示して座らせる。ヨハンナには少し首を振って見せ、二人っきりになるようにさせた。
「それで何かあった?」
「お姉様……実は、マクシミリアン様とのことなのです」
盛大にため息をつきたい気分になった。ヴィルマの悩みの原因が何なのか見当がつくからだ。
「……マクシミリアン様は、もうちょっとで国王陛下におなりになります。その……マクシミリアン様と結婚するということは、王妃になるということです」
「ええ、その通りよ。あなたは、将来には新王朝の国母になる」
「私でいいんですか? 本当なら、お姉様が……」
一族内でも、マクシミリアンと結婚するのはヴィルマではなく、エリザベートにすべきだという意見がある。それがヴィルマの耳に入ったのだろう。どこの誰かはわからないが、探し出して口を閉ざさせないといけない。
「お姉様は、今の私よりも小さい頃から未来の王妃として教育を受けておいでです。急に教育を受けた私なんかよりも、お姉様が王妃になられたほうが……マクシミリアン様のためになると思うのです」
ヴィルマは以前のように顔をうつむかせることこそしなかったが、つらそうな顔をしている。
前だけを見るという宣言はどこにいったのか。まだまだ甘く、教育の必要がありそうだ。
「いいえ、それは違うわ。私よりも、ヴィルマの方が王妃に相応しいの」
「でも……」
まだ何か言い募ろうとするヴィルマの手を取る。
「私はあくまで旧王朝の王妃として教育を受けたわ。だから駄目なの。新王朝が始まるというのに、旧王朝の慣習を入れてしまう。もちろん引き継ぐべき物は引き継ぐけれど、新しい形を作っていって欲しい。それが、私とお父様の考えよ」
「新しい……王妃ですか?」
「ええ。ヴィルマは立派に務めを果たせるようになる。あなたがマクシミリアン様を助けて、私が貴方を助けてあげるのだから心配はいらないわよ」
安心した表情を見せるヴィルマ。マクシミリアンの隣りにいたいと思っているのに、国のために、彼のために身を引こうと考えていた。
本当にいじらしい妹だ。
「さあ、馬鹿なことを考えていないで、しっかり勉強をなさい」
「はい、ありがとうございます」
ヴィルマが立ち上がる。エリザベートも、ドアまで送ろうと椅子から立つ。
「お姉様、あの一つお願いが……」
「今度はなに?」
「お姉様にも、服を選んでもらいたくて。奥様やマクシミリアン様のお母様に、色々と仕立てて頂いているのですが……」
王妃となるヴィルマには、王国の歴史ある装飾品などが継承されることになる。戴冠の儀式などでは、それを身に着けなければならない。宝石に負けないドレスを用意する必要がある。
ヴィルマの実母にはそれだけの準備ができない。ヴィルマが考えるには経験が足りない。だから、エリザベートの母親が中心となって用意を進めていた。
母ならヴィルマに似合う物を問題なく選んでいるはずだ。それなのに自分に服を選んでもらいたがっている。大方、母の選ぶものが趣味に合わないのだろう。
「ええ、わかったわ。ヴィルマが好きそうなデザインで考えてあげる」
ヴィルマが嬉しそうにするので、やはり気に入らなかっただけのようだ。
「いつもありがとうございます。失礼いたします、お姉様」
伸びてきた髪をふって、ヴィルマが出ていった。
ヴィルマの継承する装飾品には、ラディスラウムの婚約者として幾つか身に着けたものがある。気に入っていたのもあるが、もう自分の物になることはない。
装飾品の持ち主であったラディスラウムの母親、先王の王妃は特に抵抗なくその地位を降りた。条件は亡き先王アルブレヒトと、将来ラディスラウムが死亡したときに、王侯の待遇をもって葬ること。ただそれだけだ。
彼女は、その地位に相応しいだけの領地が一生涯与えられることになり、すぐさまそちらに移った。アルブレヒトの棺も、その領地の教会に移され、マーロムが手配した高僧によって葬られたらしい。
王都を去るときに、貴族たちは参集してその旅路を見送ったのだが、結局エリザベートとは何も話さないままに行ってしまった。
感傷に浸っていると、ヨハンナがお茶を持って戻ってきた。
「ヴィルマ様はお元気になられたようですよ。軽い足取りで、戻って行かれました」
「大事な時期だから神経質になっていた。それに、いらないことを吹き込んだのがいるわね」
「ヴィルマ様の侍女に確認し、処置しておきます。これ以上仕事を増やされても困るので、見せしめにしてもよろしいでしょうか?」
直接カップを受け取りつつうなずいた。
ヨハンナの鬱憤を晴らすのにもちょうどいいだろう。まだまだ働いてもらわなくてはいけないのだから。
お茶で喉を潤し、一息つける。そして、ヨハンナに次の面会者について視線で問いかけた。
意を読み取ったヨハンナが、珍しく少し言い淀む。
「次の面会者ですけれども……ビンゲン男爵でございます」
エリザベートがヨハンナを睨みつける。
「……よく面会を許したわ。どういうつもりなの?」
「エリザベート様にお会いになる気がないのなら、却下してくれてかまわないと添えてありましたので。ご判断はエリザベート様にお任せしようかと。如何なさいますか?」
ウルストラの実家ビンゲン男爵家。ウルストラがエイチンク伯爵家の養子となってからは、特に動きが見られなかった。一族でも優遇されて然るべき立場になったのに、王宮での役職すら辞してウルストラの帰省以外はエイチンクからずっと距離を取っていたのだ。
「わかった。会いましょう。……連れてきなさい」
「かしこまりました。念のために、兄を同席させます」
ヨハンナが一礼して部屋を出て行く。
現在、エイチンク一族の主だった者たちは捕縛されている。
マクシミリアンのことがマーロムによって発表されたときに、手の者を群衆に紛れ込ませて騒動を起こさせた。そのため、エイチンク一族は反逆者として取り調べを受けているのだ。
そして、ウルストラなどの捕縛されたエイチンク一族の妻子については、兵士たちの監視で自宅監禁されていた。
おそらく、ビンゲン男爵は一族と距離を取っていたおかげで、捕縛は免れたのだろう。しかし、厳重に監視はされているはずだ。
そんな中、一体何のために面会を求めたのか。復讐か、助命嘆願か。
エリザベートはカップの中に映る自分自身を見つめつつ、男爵が部屋に通されるのを待った。




