誤想
中立派と言えども、その中心となるドワルド侯爵は王国一の将軍との呼び声が高い。そのために、自然とその取り巻きや派閥は騎士や戦いを習熟した貴族たちが多くなる。
ドワルドの檄によって各所に戦いが広まり、熾烈さを増していく。
中立派にはラディスラウムに加勢する者もいたが、その数は少なく、次第にラディスラウムは劣勢となる。
やがて、戦いの中心は玉座の間から遠ざかっていった。
倒れ伏しているアルブレヒトに、ドワルドが歩み寄る。
「王よ、あなたが悪いのですぞ」
血に濡れた白刃が、ゆっくりと振りかぶられる。
「自らの力を高めんがために、我らを罠にかけようとしたからこうなるのです」
何を言っている? どういうことだ!?
「ぬおおおおおおお!」
突如、横合いからドワルドに人影が打ちかかる。ドワルドは若干体勢を崩しながらも、人影の剣を受け止めた。
「陛下をお連れするのだ!」
人影、老侍従が若い侍従に叫ぶ。
若い侍従は、老侍従とドワルドが切り結んでいる間に、倒れたアルブレヒトを抱えるようにして持ち上げる。その際、アルブレヒトは転がっている王冠と王笏をどうにか抱きしめるようにして拾った。
玉座近くの扉から、侍従に引きずられながら玉座の間から逃げ出す。
息がしづらく苦しい。休みたいが、逃げなくてはならない。
「あっち、だ。かく、し、通路が、ある」
侍従を誘導し、城外への隠し通路を目指す。まだ王宮の奥には戦いが広まっていないため、敵と戦うことなく進むことが出来た。そして、何の変哲もない一室に入る。
「そこ、の壁。おせば、ち、かへ」
侍従が部屋の壁にアルブレヒトをもたれ掛からせる。
まだ体の力が入らないため、うまくもたれることが出来ずに結局横になってしまう。それでも、腕の中にあるものは離さない。
侍従が壁を押すが、なかなか動かない。そのため、体当たりをするようにして体全体で壁を押し込む。
すると、どうにか僅かに隙間ができる。
「陛下、お通りください。私が支えているうちに」
アルブレヒトは、立ち上がることができずに這いずるようにして隙間に入っていく。
この国王アルブレヒトが、こんな惨めな姿を晒すとは。ドワルド、それにウィケッドめ。必ず復讐してやるからな。
アルブレヒトがどうにか隙間から隠し通路に入ると、続いて侍従も体を滑り込ませる。
「陛下、もう少しです。ご辛抱を」
侍従の言葉にうなずき、また侍従に支えられながら、急な螺旋状の階段を降りていくのだった。
何度も転びそうになりながら階段を降りる。降りきったところで一度倒れてしまい、王冠と王笏を傷つけてしまった。薄暗い通路を進んでいく。しばらく歩いていくと、通路の先に日の光が見えてくる。
「おお、出た、か」
通路を抜けると、深い森の中であった。薄暗いところを通ってきたために木漏れ日ですら眩しく感じる。アルブレヒトは思わず目を閉じた。
「これは、陛下。まさか陛下が来られるとは思いませんでしたわ」
見えないが、聞き覚えのある声がすると思えば、突如にして侍従の支えがなくなってしまう。そのまま訳も分からず倒れ込むと、腕の中の物まで強引に奪われる。
「な、なにを、する。国、おう、アルブレ、ヒトなるぞ」
「ええ、よく存じていますわ。あなたたち、大丈夫だろうけど、通路を塞いでいらっしゃい。まったく、いらない付属物のせいで手間がかかってしまう」
何人かの足音が通路の方に消えていく。そして、アルブレヒトは目が慣れてきたので、ようやく目が開けることが出来た。
幾人かの騎士と兵士たち、そしてラディスラウムの元婚約者エリザベート・ウィケッドの姿が見えた。
馬鹿な、なぜこの小娘が?
驚愕しているうちに、自分を連れてきた侍従がエリザベートに王冠と王笏を手渡している。
「あら? 王冠に少し傷が入っているわね。……まあ、いいわ」
エリザベートが手渡された王冠を自らの頭に載せ、王笏を握りしめる。
それは私のものだ。小娘風情が手にして良いものではないぞ。
「陛下。王宮でお亡くなりになったものとばかり思っていましたわ。その執着心、感服いたします」
「な、ぜ、おまえが」
「この冠と錫杖が欲しかったので。屋敷で待っていても良かったのですが、我慢できずにこの王家の森まで取りに参りました」
求めた答えと違うため、アルブレヒトはエリザベートを睨みつける。
「ああ、もしかして隠し通路のことでしょうか? 私はラディスラウム殿下の婚約者として、ウィケッド家のことだけでなく、王家のことも学んでまいりましたわ。隠し通路も存在は知っておりましたので、昔、殿下にお強請りして連れてきてもらいましたの。ここに来るまで不思議に思われませんでした? どうして、封じられている通路に明かりが灯されているのか」
この小娘が! 儂を玩具にしておる。
怒りに立ち上がろうとするも、力が入らない。惨めに這いつくばるしかなかった。
「これでもありません? じゃあ……どうして、ドワルド侯の動きがわかったか、ですね。簡単ですよ、ドワルド夫人を経由して毒を吹き込んだのです。陛下は、我ら貴族の力を削ぎたがっている。ウィケッドの次は、ドワルドだとね」
ドワルドが言っていたのはこれか。
「反逆を疑われていることで、夫人はとても取り乱してくれました。このままでは陛下に潰されてしまう。なのに夫はなかなか動いてはくれない。だから、教えて差し上げたのです。侯爵のために、アルブレヒト陛下だけを廃すれば良いと」
アルブレヒトの脳裏にドワルド侯爵の献上品である茶葉が浮かんだ。
裏切った侍従は、茶に酒を入れるのを勧めてきた若い侍従だ。茶葉の中に、酒に反応する何かが入れてあり、それを飲まされた。
「不安がる夫人には苦労しました。でも、夫人も考えなかったでしょうね。最悪の場所で、毒が効くことになるなんて」
謁見中にお茶を飲んで何ともなかったのだから、夕食や寝る前に毒が回っても疑われない。貴族を潰そうとするアルブレヒトは王位を退くはずだった。そのはずだったのを、謁見中に酒が混入されたことで狂ってしまう。
「それにしても、陛下が連れてこられて驚きましたわ。思いがけず、諦めていた私の願いも叶いそうです」
「ねがい、だと?」
エリザベートは答えず、兵士に命令してアルブレヒトを強引に跪かせるような姿勢にさせる。アルブレヒトにとって、屈辱以外の何ものでもなかった。アルブレヒトにとって他者を跪かせるものであって、自分がするものではない。
衣服や髪に埃や土がつき、その身なりは薄汚れてしまってすでに王には見えなかった。実際、ここではエリザベートこそが王であった。
「知りたいのではありません? どうして陛下が母に振られてしまったのか?」
彼女が儂を振っただと?
「陛下が振られた理由、それは……」
どうせウィケッドの卑怯な手段で、彼女は心を傾けてしまったに違いない。
「気持ちが悪かったのですって」
気持ち、悪い……だと?
「陛下、ああ当時は王子でしたか。まあともかく、偏執で、執念深くて、独善的。人の話を全然聞こうとしなかったのが気持ち悪かった。そう、母が言っておりました」
嘘だ。彼女がウィケッドに言わされてるだけだ。儂が気持ち悪い訳がない。そんなこと、あるわけがない。
エリザベートがまっすぐにアルブレヒトと視線を合わせる。
自分を見つめる毅然とした姿が、昔の彼女を思い起こさせる。ウィケッドに似ているはずなのに、当時の彼女が重なって見えた。
「アルブレヒト王子って気持ちが悪い人ですね。だから嫌いなのよ」
まるで、愛した彼女本人に言われているようだった。もはや、否定する言葉も浮かんでこない。ただ、彼女に似たエリザベートを見つめるしかできない。
そのアルブレヒトの表情を見て、エリザベートは笑顔を浮かべる。
「そう、その顔が見たかった。あの日、玉座で勝ち誇っていた顔を、どうにかしてやりたかったのです」
笑顔は父親を想起させる。そういえば自分は、ラディスラウムの隣にいる笑顔のエリザベートしか見ていなかった。そして、彼女は自分に笑顔をくれたことはない。
間違っていたというのか。このアルブレヒトが、間違っていたとでもいうのか。
「では、陛下。失礼いたしますわ。もうお会いすることはないでしょう」
もはや頭を下げることもなく、エリザベートはアルブレヒトに背を向けて歩き出す。
呼び止めようとするが、アルブレヒトの口と鼻が左右の兵士によって覆われる。振りほどこうにも、兵士たちの力にまったく敵わない。
間違っている。
駕籠に座ったエリザベートが、勝ち誇った笑顔で、小さく手を振ってくる。
勝つのはウィケッドのはずがない。こんなこと……。
駕籠が護衛されながら遠くなっていく。それにともなって、視界も狭くなるようだった。
こんなこと絶対間違っている。
ドワルドの乱は、一月とかからずに王太子ラディスラウムとウィケッド公爵によって鎮圧された。どうして乱が起こったのかは、今なお不明である。ドワルドもしくはウィケッドによる陰謀、アルブレヒトによる貴族弾圧を察知したドワルドの反抗、ただの病気が偶然重なっただけ、はてには悪女エリザベートによってドワルドが操られていたというのもある。ただ、どれも確かな証拠はない。
興味深い点は、ウィケッド家には、ドワルドの妻による自筆の手紙が数通残されていることだ。それには、反逆を疑われる不安や王への不信が綴られている。残念ながらドワルド家は乱によって断絶しており、エリザベートがどう返事をしたのかはわかっていない。
謎多き乱は、学者たちの頭を悩ませるとともに、作家たちによって数々の物語が作り出されることになる。
そして、国王だったアルブレヒトの遺体は、乱の鎮圧後に発見された。森に放置されていたために、獣などに荒らされて、見るも無残な姿であったと記録されている。王家の印章が刻まれていた指輪のお陰で、どうにかアルブレヒトと断定したようだ。
一国の王とは思えない最期を遂げることになったアルブレヒト。彼が残した業績は、悪女エリザベートを生み出したことだけ、と言われている。




