93・リューネとモエの話
リューネ。
俺の幼馴染にして、かつての婚約者。
数年前、サリヴァンに奪われ……いや、それは違うか。
俺は焚火に薪を入れると、薪の中の水分がパチッと爆ぜた。
「あのさ、聞いてほしいことあるんだ」
「…………」
俺は何も言わない。
というか……何を言えばいいのか、わからない。
リューネは、俺が聞いていると判断したのか、語り出す。
「あたし、アローと婚約者になって、それが当たり前だって思ってた。結婚して、子供を産んで、セーレのために何かをして……そして、子供が結婚して、おばあちゃんになって、子供に領地を任せて、老後はアローとのんびり過ごす……そうなるって思ったし、それでもよかった」
「…………」
同じだ。
俺も、そう思っていた。
モエもレイアも結婚して、たまに遊びに来たりして……みんなでお茶したり、どこか出かけたり、平和な人生を送ると思っていた。
「でもさ、あたし……初めて恋をした。アローとはずっと一緒だったし、結婚するのが当たり前って思ってたから、恋を知らなかったんだ」
「……サリヴァンか?」
「うん。宝石とか、美味しいものとかいっぱいくれて……ううん、そんなのは些細なこと。初めて胸が高鳴って、サリヴァンのことしか考えられなくなって……気付いたら、アローよりも好きになってた」
「…………」
俺が不甲斐ないから……今では、そう思う。
でも、もっと大事なこともあった。
俺もそうだったんだ。
「……俺も、同じだったかも」
「え?」
「お前と結婚して、子供を作って、のんびり過ごす……そう思ってた。でも、俺はさ……父上が倒れて、お前たちを残して帰った。でも、そうじゃなかったんだ……本当にお前たちが大事なら、サリヴァンの言うことなんか聞かず、一緒に戻ればよかったんだ」
「…………」
「俺も、お前と同じ……本当の意味で『恋』を知らなかったんだ。だから、お前たちには怒りしか感じなかったし、アテナと出会って本当の『恋』や『愛』を知って、お前たちのことがどうでもよくなった……ははは、最低だ。俺も、お前と同じだった……」
「……そっか」
リューネは空を見上げた。
綺麗な星が瞬き、輝いている。
「サリヴァンに捨てられて、本当の意味でふっきれた。思い出すのは、楽しかった思い出……セーレのことばかり。あんたのこと思い出すたびに、胸が苦しくて、涙が出て……ああ、あたしはアローに恋してるんだなってわかったの。遅いよね、今更……」
「そうだな」
俺ははっきり言う。今の俺にはアテナがいる。
リューネはもう婚約者じゃない。その想いには答えられない。
「アロー、ごめんね。あたし……最低だよね」
俺はもう、リューネから目を逸らさない。
子供の頃、俺と喧嘩した時に見せる、泣きたいのを我慢するような、意地っ張りな笑顔を浮かべていた。どうしてだろうか……俺は今、リューネを本当に慰めたかった。
「もう、いいんだ」
「……」
「俺もお前も、間違えた。そして、それを後悔している」
「……うん」
「俺はもう、前に進める。アテナ、ルナと一緒に……リューネ、お前も前に進んでくれ」
「……あたしも、前に」
「ああ。償いはもういい。俺はお前を許すよ」
「……アロー」
俺は、リューネと再会して初めて……リューネに向かって微笑んだ。
リューネは笑おうとしていたが、涙が止まらない。
ほんの少しだけ迷ったが……俺は、リューネに近づき、頭を撫でてやった。
「ね……今だけ、いい?」
「……ああ」
リューネは俺の胸に顔を埋め、しばらく泣き続けた。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
アローがリューネを抱きしめ、胸を貸している。
その光景をアテナは見ていた。もちろん、アミーも。
アーロンはテントの近くでもう一つ焚火を起こし、ルナに物語を聞かせている。そちらをチラッと見て、アミーは言う。
「ね、いいの?」
「何が?」
「あなたの旦那、取られちゃうわよ?」
「アンタ、ほんっとに見る目ないわね。大丈夫に決まってるじゃん……だって、アローは私のこと大好きだもん」
「ふ~ん」
「ところで、あんたはいいの?」
アテナは、モエを見る。
リューネと和解し、胸を貸し、今では顔を合わせて笑い合っているアロー。
モエは、何を言えばいいのかわからない。
「あんたさ、このままコイツの養分でいいの? あんたが遠くからアローを見ているだけで満足している気持ち、そして本当の気持ち、その二つが混ざり合って複雑になっている気持ちを、こいつは味わってる。つまり、あんたの不幸をね」
「…………」
「アローは、あんたのこと嫌ってない。胸貸してあげるから、泣いてきなさい」
「…………」
「ちょっと、やめてよ。私の大事なモエなんだから」
「やかましい。それに、アスモデウスにはあんたの大好きな『不幸』が山ほどあるでしょうが。当然だけど、帰りは連れて行かないからね」
「えぇ~? 私をどうするつもり?」
「サリヴァンでも食べてなさいよ。生かさず殺さず、そういうの得意でしょ」
「ふふ、さすがアテナ……わかってるじゃない」
アミーはぺろりと舌を出し、アテナは気味悪そうに顔を歪めた。
そして、アテナはモエの腕を掴む。
「な、何を」
「まどろっこしいから無理やり連れてく」
「な、よ、余計なことは」
「する。あのさ、あんたがどう思おうと、家で眉間寄せて悩むアローなんて見たくないの。全部解決して、スッキリしたいの。悪いけどこれあんたのためじゃなくて、私のためね」
「自分勝手。さっすがアテナ」
「うるさい。じゃ、行くわ」
「なっ!?」
とんでもない力で、アテナはモエは引きずっていく。
そして、笑い合っていたリューネ、アローの前にモエを突き出した。
「アロー、この子とも話しなさいよ」
「あ、アテナ。お前いきなり」
「家に戻るまで、あんたの抱えてる悩みとか因縁とか、全部清算するって決めてるのよ。早く帰って子作りして、可愛い赤ちゃん産むためにもね!!」
「おま、そういうこと言うなっ!!」
「じゃ、そういうことで~……ああ、胸貸すから泣いてもいいわよ」
アテナはそう言い、アミーの元へ行ってしまった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
モエが俺の傍に座ると、リューネが立ち上がる……が。
「リューネ。あなたもいてください……お願いします」
「いいけど……」
リューネがチラッと俺を見るが、俺は頷く。
モエがいて欲しいなら、傍にいていい。
「…………」
「…………」
「…………」
しばし無言。
焚火から何度か爆ぜる音が聞こえ、モエがついに言う。
「アロー様。私は……私は、間違っていたのでしょうか」
「……間違い?」
「私は、アロー様の命令を聞いて動きました。リューネ様たちを頼む……私はずっと、あなたの命令を受け、旦那様の命令を受けて育ちました。そこに、私の意志があったのか、そうじゃないのか……私には、よくわからないのです」
「お前も同じだよ」
「……え?」
俺はモエに言う。久しぶりに、本当に顔を合わせた気がした。
「お前も、間違えたんだ。リューネを頼むって俺の言葉を、リューネの意志に従うって思った。だから、サリヴァンと一緒にいるリューネに従って、結果としてああなった……」
「……やはり、間違っていた」
「ああ。俺も、お前も、リューネも、間違えた……」
「…………なら、私に罰は」
「ない。そもそも、俺はもうお前の主じゃない。だから、お前も自由なんだ」
「そうよ。モエ、あたしはもう大丈夫。だからさ、あんたも……」
俺とリューネは、モエに向かって微笑んだ。
モエは俯き、口元を結び……俺に言う。
「アロー様……申し訳ございませんでした」
「いいんだ」
「私は、あなたを苦しめた」
「いいんだって」
「私は……馬鹿で、融通の利かない、自分で考えることもできない、のろまで、愚図で……」
「やめろって」
「私が、リューネ様たちを止めていれば、こんなことには……!!」
「モエ、やめろ!!」
大声を出すと、モエがビクッと震えた。
ようやく自分の『声』で『気持ち』を吐き出したモエは、とめどなく涙を流していた。
俺は迷いなく、モエを抱きしめ、頭を撫でる。
「苦しいこと、後悔、全部吐き出せ。そして……明日から、またよろしく頼む」
「……ぅ、ぅぅ、あ、ぁぁぁぁぁ!!」
モエはしばらく泣き続け、俺は強くモエを抱きしめるのだった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
「あ~あ……味、薄れちゃった」
「残念でした」
アミーがムスッとし、アテナが隣に座って肩を小突く。
「さっき、とんでもなく極上の『不幸』の味がしたの。いろんな不幸を濃縮して煮詰めたような…‥でも、アローが抱きしめて何か呟いたら、薄れちゃった。もうダメ、完全な搾りかすねぇ……」
「諦めなさい。あの三人はもう、私の庇護下にあるわ」
「はぁ~……モエとも、お別れねぇ。でもいいの? モエ、リューネと同じくらい、アローのこと好きよ?」
「ま、アローは私が大好きだから問題なし。ま、子種欲しいならあげてもいいけど」
「……人間って、そういうの嫌がるんじゃなかったっけ?」
「そうなの? よくわかんないけど……あーあ。なんか喉乾いてきた。水ちょーだい」
「自分でやりなさいよ……」
しばし、アテナはアミーと雑談……夜は更けていくのだった。
アスモデウス領地まで、もう少し。





