76・サリヴァンの今
アスモデウス領地首都トビト。
不幸と貧困の女神アラクシュミーことアミーが去ったことで、一時的に景気を取り戻したが、根本的な『女神の力』はこの地に根付いているため、アミーがいなくなっても、少しずつ『不幸』の力をまき散らしていた。
おかげで、サリヴァンは屋敷の執務室で頭を抱えている。
「……今月も赤字か」
アスモデウス領地は、鉱石採掘業が主な収入である。
鉱山が続々と閉鎖し、サリヴァンは新しい産業を興そうといろいろ試してみた。
農業、酒業、工業。造船業などにも力を入れてみたが、どれも失敗。
トビトの治安もどんどん悪くなっており、民たちからも不安の声が上がっている。
「……はあ」
サリヴァンは、鏡を見た。
かつて、四大貴族イチの美貌を持つ紳士と言われたサリヴァン。
今ではすっかりやせ細り、さわやかなブロンドヘアはすっかり抜け落ちた。中途半端に髪が残ってしまったので、今ではツルツルに剃っている。
少しでも貫禄をと、ヒゲを伸ばしてもいるが……とても二十代後半とは思えない姿だった。
「…………まだ、やれるさ」
アミーの力は、アスモデウス領地全体を冒している。
幸運なことに、アミー本人がいないため、『不幸』の浸透がゆるやかで、なおかつ弱いということがあった。だが……弱い不幸が、今は弱り切ったアスモデウス領地をジワジワ苦しめている。
今、アミーがアスモデウス領地に戻れば、一年と経たず崩壊するだろう。
『幸運』なことに、アミーがいないからアスモデウス領地は崩壊していない。ジワジワ苦しめられるのが『不幸』とは言えない状況だ。
サリヴァンは、机に置いておいた企画書を手に取った。
「……ダメもとで送ってみるか」
サリヴァンの手にあるのは『領地内に薬草畑を作る』とい企画書。
栽培の難しい薬草のみ栽培し、薬学、医学を生業とするアイニー家と手を結ぶために考えた方法だ。アイニー領地の領主であるシャロンとは、過去に接したことがある。
そして、もう一つ。
「パイモン家。こちらも、可能性はある」
パイモン領地の領主、エリス・パイモンに当てた手紙。
パイモンは『農業』を生業としている。七十二の領地で最も農業に力を入れている。こちらには技術指導をお願いする手紙だ。
調べたところ、パイモン領地では薬草などの栽培はあまり行われておらず、他の領地でも薬草は自生したものをメインに使っており、栽培しているところはほとんどない。
アイニー家でも、薬草栽培に力は入れていない。他領地から仕入れることがほとんどだ。
「もし、アイニー家が望む薬草を育て、自由にできる農地があれば? 薬草栽培という新しい産業を開拓できるかもしれん……そうなれば、アイニー家だけじゃない、他領地とのつながりも……」
サリヴァンは、さっそく手紙を送ることにした。
◇◇◇◇◇◇
二週間後。
アスモデウス領地に、シャロンとエリスがやって来た。
事前に届いた手紙には、「とりあえずそっちで話す」とだけあった。
サリヴァンは、さっそく二人を出迎える。
「やあ、久しぶりだね」
「「…………誰?」」
当然だが、サリヴァンの容姿は変貌している。あったことのある二人でも気づかなかった。
サリヴァンは、あらためて自己紹介。
「……なんでハゲたの? ストレスでも溜まってる?」
シャロンはどこか笑いを堪えているようだ。
「シャロンちゃん。人の容姿を馬鹿にするのは、ヒトとしてどうかと思いますよ」
「わ、わかってるわよ。悪かったわね、サリヴァン」
「気にしないでくれ」
アスモデウス領地を立て直すのに必死で、容姿にかまけている暇が全くなかった。それに、正直もう容姿とかどうでもいいと思っているサリヴァン。
エリスは言う。
「それで~、サリヴァンさんのお手紙を読みました。技術指導をお願いしたいとか~」
どこか間延びしたエリス。
ウェーブがかったセミロングヘア。ゆったりとした服を着ているが、胸の大きさは誤魔化せない。恐らく、サリヴァンが出会った中で、一番の巨乳だ。が……もう、そんなことはどうでもいい。
「ああ。アスモデウス領地でも農業に力を入れ始めてね。今、七十二の領地ではどこも『薬草栽培』を行っていないだろう? わが領地で、様々な薬草を栽培できればと思ってね」
「なるほど~」
エリスはポンと手を叩く。
シャロンはどこか白けたような目をしていた。
「目の付け所はいいけど、薬草栽培甘く見てない? ウチがなんで自生した薬草しか使わないと思ってる? それはね、ヒトが育てた薬草より、自生してる薬草のが、薬にした時の効果が高いからよ」
シャロンは、領主であると同時に医師、薬師である。
今、リアンと一緒にマリウス領地にいるルーペの指導も受けた、アイニー領地で一番の技量を持つ医師でもある。
だが、サリヴァンは引かない。
「確かにその通りだ。だが……大量に、安定供給できるとしたら、話は違う。今はなくても、可能性として起きることも想定しておくべきだ」
「可能性?」
「……疫病だよ。疫病が発生した時、薬品を大量に使うこともあるだろう? 中には希少な薬草がないと作れない物もある。そういうときのために、安定したルートが、確実な薬草が必要になるのでは?」
「む……」
シャロンは少し黙り込む。
そして、エリスに言う。
「いずれは、アスモデウス領地だけではない。安定した薬草を栽培できるようになれば、エリス……キミの領地でも、役立つのではないかね?」
「あら~」
エリスは頬を押さえ、おっとりした返事をする。
しばし、二人は考え込む。
「……とりあえず帰るわ。今の話、領地で検討させてもらう」
「私もそうしますね。では~」
二人は帰った。
残ったサリヴァンはソファに深く腰掛け、ニヤリと笑った。
「手ごたえあり。ふう……何とかなりそうだな」
そう、思っていた。
◇◇◇◇◇◇
二週間後、エリスとシャロンから手紙が来た。
「ば……馬鹿な!?」
手紙には、「薬草栽培事業は無かったことに」とあった。
つまり……お断りの手紙であった。
サリヴァンは、すでに農地の開拓を始めていた。すぐに仕事ができるようにと、二人が帰ったあと、農地の整備を進めていたのだ。
「な、なぜ……乗り気だったではないか!!」
手紙を叩き付け、ツルツルの頭を掻き毟るサリヴァン。
だが、手紙にはお断りだけで、理由が書いていない。
「ああ……なぜ、なぜこうも『不幸』なのだ!!」
サリヴァンは、ツルツル頭に青筋を浮かべ、一人叫ぶのだった。
◇◇◇◇◇◇
◇◇◇◇◇◇
マリウス領地にて。
結婚式から一か月が経過。リアンたちはまだ滞在している。
調査隊は、ロックスさんが率いてセーレに戻った。俺も行きたかったのだが、アテナに「まだ駄目!!」と強く言われ、仕方なくアーロンに充てた手紙をロックスさんにお願いした。
レイアは、ルーペさんにお願いして薬を飲ませ眠らせ、そのままセーレに帰した。
リューネ、モエはカナンの片隅に家を建て、二人で静かに暮らしている……メイドのアミーとかいうのも一緒に、リューネの世話をしているらしい。
リューネは、心が壊れた。今は、一人でメシとか排泄もできないくらい弱っているらしい。
モエも、生涯をかけて尽くすそうだ。まあ……もう、俺から言うことはない。
正直、俺に関わらなければ、それでいい……甘いかもしれないけど、これが俺の決断だ。
そして現在。
俺、アテナ、ルナ、ミネルバ、ファウヌース、ダイアウルフ一家で『新婚旅行』という『結婚後にする小旅行』を楽しんでいた。セーレに行けなかったのは、このイベントがあったから。
そして、たまたま入った森に驚いていた。
なぜなら、独特の匂いがするこの森……広大な敷地に加え、天然の『薬草』が山ほど生えていた。
「おお~……こんな場所あったのか」
「偶然見つけたのよ。すっごいでしょ」
「こりゃ、ドクトル先生たちが喜ぶな」
俺は、地図にこの場所を書き記しておく。
「ここ、地図に書いておくか。あとでドクトル先生に教えてあげよう」
「リアンたちにも教えたら? あいつ、薬草欲しいとか言ってたし」
「そうだな。カナンからも近いし、問題ないだろ」
ちなみに……ここが『薬草の森』と名が付いて、交易のために活用されることになるとは、この時の俺は知らなかった。





