2 精神の病
2 精神の病
西暦2020年5月
「おじいちゃん~」
「おお、月夜、どうしたのかな」
「そこの熊さんが、お腹空いたって言っているよ」
おじいちゃんは四方想であり、月夜は義理の孫である。二人のいきさつを話すと簡単でよくあることだと思うが、やや込み入った話でもある。
かつて、想と共に成田に降り立った赤ん坊は四方楓といった。その楓は、20歳の時に誰の子とも分からぬ子を身ごもってしまった。想は、かなりしつこく父親の名を聞いたが、楓は頑として口を割らなかった。そして、月夜を生んでから3年後に忽然と姿をくらましてしまった。置手紙があり、『時がくれば全てを話します。月夜をお願いします。』と記してあるだけだった。
と簡単だが、少し常ならぬものを感じる。
そもそも、楓が身ごもった時は、すでにこの住居に転居しており、住人は想と楓の二人だけだった。ここは一言で言えば山の奥である。どのくらい奥かと問われれば、人里からの距離にすればおよそ20km、地形にすれば山を10以上越えなければならない。もちろん、車の通れる道などなく、およそ山のプロにして獣道と言わしめる道があるかないかと言った程度の交通の便である。
つまり、楓の相手は存在しなかったのである。いや、厳密にいえば2人の人間は存在した。一人は、ヘリの操縦者である。この住居への生活物資は尚道の自家用ヘリの運搬に頼っている。しかし操縦者は尚道の妻なので、当然楓の相手とはならない。もう一人は想本人であるが、想にはその覚えがない。というわけで、想は相手が存在しないと考えているのである。
ところで、月夜が熊さんのお腹の心配をしている理由は、どうやら月夜が動物と意思の疎通ができるらしいからである。このことについて想は深く考えてはいない。目くじらを立ててそれを問いただしても何かを得られるわけでもなく、逆に月夜を虐めるだけの結果が待ち受けていることはわかりきっているからである。
熊と遊ぶことは危険だとは思うが、野生の動物は十分な食料があり、害することがなければこちらも害されることはないと想は考えていた。もちろん、月夜が野生の動物たちと言葉が交わせるなどとは考えていない。
「月夜、そこにリンゴがあるから食べてもらいなさい」
そのリンゴは昨年の秋に庭で採れた不揃いのおよそ出来のいいものではなかった。
「おじいちゃん、ありがと。わたしも狙ってたんだ。えへへ」
今年10歳になる月夜は無邪気にも、倉庫からリンゴを籠に入れて熊さんとの間を往復していた。その間に幾種類もの動物が集まり、賑やかかに月夜を囲むようになってなっていた。
「尚道に言って、彼らの食料を補充してもらわないといけないな」
さて、彼らがこのような生活をしている一番の理由は主に想にあった。想は精神性の持病を持っていて酷く他人と接することを嫌っていた。だからといって、こんな山奥に住む理由もないのだが、それは想の極端過ぎるほどの性格に由来するものが大きく、何度かの転居の末に思い切って人との係わりを一切絶とうと思った想の決断の結果がこの山奥の住居になったのである。
最初の住居は、閑静な郊外で周囲は一面が田んぼに覆われていた。確かに、想も最初はそこを気に入っていたのだが、さすがに人との係わりが皆無ということはなく、些細な人との軋轢の溜まりが想を苦しめていった。
この住居の時に尚道は『何かがおかしい』と気が付いた。その何かは定かではなかったが、それは想が軽い精神の病を患っているように見えた。尚道も最初は『まさかあいつが』と思ったが、想の挙動などを観察したり、楓の乳母の話を聞くとそれが妥当かもしれないと、信用のおける病院の精神科に診てもらうことにした。
これが帰国後僅か3か月後のことで、想は28歳、楓は生後6か月の時であった。