2-1 プロローグ
2-1 プロローグ
アメリカが北朝鮮に宣戦布告をした戦争は『米朝戦争』と呼ばれ、期間は僅か3日で終結した。直接的な犠牲者数は米国において300万人以上、韓国において700万人以上、日本において150万人以上、北朝鮮において、5千人以上と報告された。
次いで各国の声明文が発表された。
『極東における脅威は取り払われた。多大なる犠牲を伴う作戦だったが、これは一重に北朝鮮の脅威を物語るものである。今後も世界の秩序を乱すものを我々は認めない』(アメリカの声明文)
『あまりにも大きすぎる犠牲を払った。我々は今後二度と同じ過ちを繰り返さない。よって我が統合朝鮮民国は永世中立国を目指すことをここに宣言する』(臨時かつ仮称:統合朝鮮民国の声明文)
『再度の過ちを犯してしまった。我が国はどの国との同盟をも白紙に戻すことを宣言する』(日本の声明文)
『米国の強引ともいえる戦線布告とその結果に遺憾の意を表する』(ロシアの声明文)
『アジアへと侵略した米国はアジアから撤退し、アジアの損失を補償すべきである』(中国の声明文)
『核の脅威を目の当たりにした。今後二度と同じ過ちを繰り返さないためにも国連の再整備が必要である』(EUの声明文)
各国共に国益を見た声明文であり事態の本質を貫くものではなかった。
アメリカでは政権交代が行われ軍縮を叫ぶ世論が沸騰していたが、識者の間では西海岸を主とした経済の立て直しと放射能汚染による食料危機が懸念されていた。確かに食料が不足しては軍縮の声も低くなるだろう。つまり交代した政権は食料の確保を余らず足りずの状況にしておけば、戦争の記憶は薄れていくだろうと考えても不思議ではない。もちろん戦争の直接の被害者は収まらないだろうが、国とはそういうものであると歴史が教えてくれている。
朝鮮半島では民族統一の声もどこか遠く、統合朝鮮民国と仮称した臨時政府から盤石の政府の樹立へと復興作業が行われていた。貨幣価値や食料の問題など解決しなければならないことが多く、悲しみも喜びも湧き出すのはまだ先のことと思われた。
日本では東京首都圏を頻繁に大小の地震が襲い、臨時に政府機構を大阪に移す作業が行われていた。東北の被害状況の把握は遅々として進まず、援助や救援活動もままならない状態だった。かつて伊豆半島だった地は離島となり、取り巻く海は大きな渦潮となり海路の連絡は途絶えたままだった。さらに富士山は不気味な噴煙をあげ関東からの空路は全て欠航となっていた。
本州から切り離された東北の白神山地の某所に想の住居は存在した。震度4~5程度の地震は頻繁に襲ってくるが、幸いにも近北の地のお岩木山は微かに噴煙をあげるばかりで噴火の予兆はなかった。とりあえず問題とされるのは放射線だけだった。
「放射線の量が物凄く多いもん」
「どのくらいだ?」
「大体6か月もここにいると、癌化するもん」
「ここがそうだったら福島辺りはどうだ?」
「予測つかないもん。でも凄まじいと思うもん」
「尚道と連絡をとりたいが無理だろうな?」
「無理だと思うもん。でも何故だもん?」
「奴は医者だ。何かいいアイディアがあるかもしれない」
「それも無理だもん。一人の医者が何とかできるレベルじゃないもん」
「じゃあどうすればいいと思う?」
「わしの国に来るもん」
「この地の人たちを見捨てて俺たちだけが逃げるのか?」
「違うもん。少しは放射能を除去する装置があるもん」
「なに?少しってどのくらいだ?」
「電離放射線を除去できるもん」
「すぐ取り寄せろ」
「もう向かってるもん。明日には着くもん。でも装置の数は3つしかないもん」
「焼け石に水じゃないか?」
「だから想はわしの国にきてIWWBを完成させるもん」
「IWWBが役に立つのか?」
「やってみないとわからないもん」
「やってみるしかないか」
とこの状況を救う可能性が高いか低いかわからない話をしているころ、月夜の目の前に妖精が現れていた。
「おじいちゃん、この子何か言ってるよ」