turn pale
「…?」
俺は思い切り首をかしげて言った。
「タンスの中って、そりゃまたどうしてそんなところに魔力を感じるんだ。多感な時期なのか?」
「いえ、そういうわけでもないのですが、もしかすると勘違いだったかもしれません…」
村雨は自信なさげにうつむいてしまった。
そういえば、いままでその美しくどこかあどけない顔立ちに目を奪われて、気にも留めていなかったのだが、村雨は薄手のワンピースを着ている。随分と貧相に見えてしまうのは、その生地だけが問題ではないのだが、顔立ちとはちぐはぐなみすぼらしい印象を与えた。あまりいい身なりとは言えない。
そもそも俺の部屋はどうして薄ぼんやりとした青白い光に包まれているのだろうか。蛍光灯の光にしては弱すぎるが、外の明かりというにはいささか強すぎる。蛍光灯は切れているはずで、外が夜であるにも関わらず彼女の姿が見えるというのも不思議な話だった。
「なあ村雨、そもそもこの部屋は何でこんな不思議な明かりに包まれてるんだ?こんな洒落た照明を導入した記憶は無いんだが」
彼女は一瞬不思議そうな顔をしてから、訊いた。
「部屋を明るくする魔術をご存じないのですか?」
「何じゃそりゃ。知ってるわけないだろ」
「そうでした、里見さんはこの世界に来たばっかりなんですもんね」
この世界の皆様のおかげさまでね。
「私たちは、日頃から魔力、魔術を使って生きています。部屋を明るくするときですら例外ではありません。今は最小限の魔力で部屋を明るくするために、窓の外から入る星々の光を借りて、増幅させています。もちろんもっと明るくすることもできるのですが、里見さんは、私がベッドに運んでいる時もぐっすり寝ていましたから…」
「あれは寝てたとは言わない、気を失っていたと言うんだ。そしてそれは絶対に外の激臭のせいだ」
「随分と多感な時期なのですね」
「あの激臭を感じない奴は鈍感にも程があるだろ、と言うか俺の言葉を使うんじゃない」
「すみません」
「…しっかし、タンスの中になんて俺の普段着類しか無いんだけどなあ」
俺のタンスの中が魔力源などと言われてみても、心当たりなどあるはずもない。タンスの中にあるものの大半を占めるのはボクサーパンツであるし、普段着といっても数種類しか無い。制服で過ごす時間のほうが長い高校生である。俺が今着ているのだって学校の制服だ。
しかし彼女はタンスの中に魔力を感じるという。
先程、俺自身には全く魔力を感じないなどときっぱり言われてしまってからは、それはそれで落胆したものだ。これではせっかく異世界に召喚された意味もないではないか。召喚されたのであれば、もう仕方がない。人生は経験とも言う。あまりあたふたするのもみっともないだろう。
であれば、現実世界ではできなかったことをしようではないか。
チート能力で無双してハーレムを築き上げるなどという、今や古語、いや、死語、春はあけぼの、いたしまし候、桃を割って食べましたとさ、幸あれ!というくらい廃れたフレーズとなりつつある、無双展開も期待できるだろう。そうに決まっている。いやそうであってほしい。そうでないならば帰る。
俺は村雨の補助役として召喚されていたようだが、魔力のない俺に何ができるだろう。
魔力以外なら肉体の面、か。
なるほど。体力だな。
俺は体力に関して言えば自信がある。日々のランニングで鍛えた少々の持久力、申し訳程度の筋トレを日々続けていた結果による、一般的な人よりは強いかもしれない筋力。しかしながら腹筋十回の申し訳の無さだ。
どうしたというのだろう。これでは本当に何もできない人間ではないか。この世界において肉体と魔力は重要な関係があると言っていたではないか。
何しろ中途半端に生きてきた。やはり俺は何か尊いものに対して悔い改めなくてはならないのだろう。一七歳にして我が人生を恥じる機会があるとは思っても見なかったが、どうやら今がその瞬間らしい。ぜひとも悔い改め、強靭な肉体、膨大な魔力、果ては永遠の命さえも手に入れようではないか。素晴らしいことだ。万歳。
もし、彼女が言っていたように俺が魔力を持たないのであれば、俺がこの世界に飛ばされた意味がない。タンスの中の魔力って、そんなもんがあるわけがないじゃないか。そりゃ絶対観測ミスだ。並外れた魔力を観測したんだったらちょっとは怪しもうってことは無いんだろうか、外れ値は無視するってぼく学校で習ったきがします!頼むよ、村雨ちゃん…。そして気づけよ王都の魔術師とやら…。
そろそろ帰りたいんだけどな〜、返してくれないかな〜?
どうせまたあのインチキ臭いトンデモ魔術の力で俺は元の世界に何事もなかったかのように帰れるんでしょう?
そうでもして冗談めかして考えたり、無理矢理にでも前向きに考えたりしなければ、不安で押しつぶされそうだ。
この世界に魔物がいるなどという未だ信じられない話を、仮に信じるとするのであれば、それは命に関わることなのではないか。防衛兵器などという物騒な言葉も知った。彼女の話が事実であるならば、今俺がいる地点はアルモとか言う場所において最も危険な地帯なのではないか。コピーされたなどというトンデモ魔術で生成された俺は今何をしているのだろうか。俺は本当に帰れないのだろうか。
…やめよう、やっぱり気が狂いそうだ。
俺は深く暗いところへ向かう思考から目を背け、村雨に質問することにした。
「なあ村雨、タンスの中に魔力を感じるってことは、中に何かしらすごいもんが入ってるってことか?」
「はい、そういうことになると思います」
「そんなら開けてみるか。俺は魔力とかそういうのは全然わかんないから、それっぽいのがあったら言ってくれ」
「わかりました」
俺は早速タンスを開け、中に入っている衣服類を大方引っ張り出す。
全て日本人の平均身長より少し上の人間が着れるようなズボンにシャツ、パーカー、上着、コート類…思ったより色々と入っていた。こうして引っ張り出してみると、案外服を持っている方だったのではないか。使う機会はあまりなかったが。
「どうだ村雨、なんかあったか」
「いえ、里見さんが今取り出したそれ…何ていうんですか?名前はわからないのですが、それには何も感じません…」
俺は二重の意味で驚いた。衣服というのはこの世界においてそこまでバリエーションが無いのだろうか。そうするとこの世界ではお洒落になれるかもしれない。それに、これらにも魔力を感じないとは。
「となると…」
俺は少々の恥じらいを持ちながら、ボクサーパンツのコレクションを取り出しかけた。
…しかしいいのだろうか。女の子の前で自分の下着をさらけ出しても。村雨は見たところ幼い女の子であるし、刺激が強かったら、気持ち悪がられたら、嫌われたらどうしようか。俺はショックで泣いて現実世界に帰るだろう。
「なあ村雨、お前、下着とか見るのは平気か?」
「下着…?」
「ああ、下着だ。服の下に履くアレだ」
「なんですかそれ…?」
何だそれは、この子は下着を知らないのだろうか…履いてる…よな…?
「これだよこれ」
俺はそう言いながら、もうどうにでもな~れ、などと思いながら自分のボクサーパンツコレクションをありったけ取り出し、その中でもよく使った、筋トレ用ボクサーパンツとランニング用ボクサーパンツを広げてみせた。
「こういうの、見たことないか?」
振り向きざまに見た村雨の顔は凍っていた。
おかしい、俺は此処に来てルート選択を誤ってしまったのだろうか。村雨攻略ルートは途絶えてしまったのかもしれない。そうであるならば元の世界に帰る。
「ど、どうした、村雨ちゃん、こういうの見るのやっぱり駄目だったか」
村雨は大きく見開いた目を瞬きさせることなく、俺のボクサーパンツを凝視していた。
「あんまり見られると恥ずかしいなあ…」
柄にもなく本気で恥ずかしがってしまった。これは気持ちが悪い。
と、ようやく村雨が口を開いた。
「…里見さん、なんですかそれは」
幼き少女をドン引きさせてしまったかもしれない。俺は早口で、通販番組で見聞きしたような口調でまくし立てた。
「これはだな、ボクサーパンツと言って、これを履くことで日々の暮らしが豊かになる一品だ。おすすめの品だぞ。今ならお値段、合計で一万九千八百円だ」
「…ごめんなさい、今までそんなものは見たことも聞いたこともありません…が、里見さんの持っているそれから、あり得ないほどの魔力を感じます。それに、今里見さんが取り出したそのボクサーパンツという物全てから、今まで感じたことのない量の魔力を感じます…何なんですかそれは」
「いや、だからボクサーパンツと言って」
「それは聞きました。そうではなく、なぜそんな複雑怪奇な紋様が刻まれているのですか。そんな紋様は王都でも見たことがありません」
「紋様?何だそれは。この柄のことか?」
「…はい、それに、その柄だけではなく、目視できない何処かにも、魔術紋様があるように感じます。王都の魔術師の中に、それよりはずっと簡単な紋様が刻まれた剣や腕輪を使っている魔術師がいましたが、そのような紋様に見覚えはありません…」
「待ってくれ、魔術紋様ってなんだ、なんかすごいのか」
「はい。王都の中でも限られた魔術師にしか理解ができないといわれる技術なのですが、ある複雑怪奇なパターンを組み合わせることで完成した魔術紋様と言う紋様を道具に刻み、それを用いながら魔術を使うことで、従来の、人の魔力では到達し得なかったほどの魔力を用いた魔術の発動を可能としました。この紋章は魔術の威力の爆発的な上昇を可能とし、更に使用する魔力量の低下、術者への反動の大幅な軽減、それはすなわち、ある程度貧弱な体つきである王都の魔術師であっても強力な魔術の発動が可能になることとなりました。ですが、そのパターニングは極めて難解であるらしく、また、魔術師が口外する事はありません。口外してしまえば、その魔術師の価値がなくなったも同然ですから。それに、私が先程言ったように、普通は本当に重要な紋様をかくしていますから、ただ見える紋様だけを真似しても、その紋様は意味を為しません」
「…ということは、これはめちゃくちゃすごい一品なんじゃないか」
「そうなります、それはすごいです」
村雨はそこで間を置いて言った。
「ですが、私にはそれの使い方がわかりません…」
「…え?嘘だろ、あれだけ魔術紋様がすごいだの何だの言ったあとに使い方がわからないって、そりゃないぜ」
「ごめんなさい、むしろ私は、里見さんがそれの使い方を知っているものだと思っていました」
「俺は魔術なんて存在すら知らなかったんだ。ましてや使い方なんて知ってるわけ無いだろうが」
「そうでしたね…」
「これじゃ本当に俺を召喚した意味が無いんじゃないか?」
「…」
「…」
「おい、なんか言え」
「…すみません、里見さん、またあとでこの事については話しましょう。どうやら魔物が…それも、比較的巨大な魔物が近づいているようです」
「え?」
そう言った直後に、地響きのような音が、足元から突き上げるように響いてきた。