man's inhumanity to man
なるほど、俺はもう向こうの世界には戻れないのか。そう告げられると、向こうの世界が急に名残惜しくなる。
いや、普通に考えて勝手に召喚されて戻れないと言われるのは理不尽ではないか。たしかに俺は、日頃から「異世界に召喚されてハーレムでチートで無双してえなあ!」などとのたまっていたが、実際に異世界に飛ばされてしまうと急に不安と憤りなど、様々な感情が押し寄せてくる。
「どういうことだ。俺には家族がいるんだぞ。俺の部屋ごとこの世界に召喚されたって言うことは、元の世界での俺の扱いはどうなるんだ」
「それは…」
「いい、別に、どんな形でもいいから言ってくれ」
「…わかりました」
少女は一度言葉を切って、その赤い瞳に涙を浮かべながら、こう告げた。
「私が、里見さんの部屋をこの世界に召喚するために行ったことは、『異世界の完全な複製』です」
「異世界の完全な複製…?」
「はい。わかりやすく言うのであれば、今この世界に召喚された里見さんは完全なオリジナルですが、里見さんがもともと暮らしていた世界には、完璧に複製された里見さんが今も日常生活を送っているということです」
…嘘だ、絶対に有り得ない。そんなことはが現実に可能である訳がない。
「そんなことが、現実に可能なわけないだろ」
「この世界の魔術を持ってすれば、可能です。限られた人物、限られた回数、限られた相手、限られた異世界、制約は、多いのですが」
「今までに元の世界から召喚されたやつもいるってことか?」
「…里見さんが、恐らく、初めての召喚対象です。研究されている技術のための実験という意味合いも含まれていました…」
なんということだろう。どうやら俺は、少女の言うことを飲み込むとするならば、家族にも、友達にも、できるかもしれなかった将来の恋人にも一生会えないことになる。オリジナルの俺は勝手に召喚されて、元の世界ではコピーされた俺が暮らしているというわけか。そんなことが許されていいのか。
「いや、おかしいだろう、俺には俺の生活があってだな、それを勝手に実験のためとか言う訳のわからない理屈で壊されても困るんだよ。取り返しがつかないことならなおのことダメじゃねえか」
「はい…本当にごめんなさい…。私に拒否できる力があれば、こんなことにはならなかったんです。本当にごめんなさい。私は死んで当然なんです。いっその事私を殺してください……殺してください…」
村雨は泣きながら謝った。何度も何度も謝った。見た目からすると彼女は幼い。このくらい小さな女の子が死ぬ気で謝っている。いや、殺してくれと頼んでいる。
「…いや、謝るのはもういい。取り返しがつかないことは十分わかった。泣かないで、質問に答えてくれ」
「はい…」
村雨は顔を涙でぐちゃぐちゃにしながらか細い声で返事をした。
「どうして、元の世界の人間の中から、俺みたいな特徴のない人間を選んだんだ?そもそも召喚する意味はなんなんだ?」
「はい…それを説明するためには、まずこの世界について、少し説明をしなければなりません…」
彼女は鼻をすすりながら、ぽつりぽつりと説明してくれた。
この世界は、元いた世界に似ている。元の世界で言う『太陽』のようなもあれば『月』のようなものもあるし、人間だっているが、なんと他の種族もいるらしい。使われている言語は、俺が聞き取れていることからも自明だが『日本語』、この世界では『王国語』と言うらしい。
ちなみに今俺がいる国は、『アルモ』という所で、三方を山に、一方を海に取り囲まれた、まるで俺が歴史で習った地形のような場所で、その中心には王都がある。太古から栄えてきた歴史ある都だ。
この世界と元の世界との違いを上げるとするならば、人間以外で言葉を喋る種族もたくさんおり、元の世界以上に多種多様な生物がいること。そして、元の世界にはない『魔術』が存在するということだ。魔力は、個体差があるものの、この世界の物ほぼ全てに宿っている。その魔力を使うことで繰り出せる魔術は、この異世界に多大なる恩恵をもたらしていて、生活の中には必ずと言っていいほど魔術が使われているそうだ。例えば、暖を取る時ででも、農作業をするときでも、狩りをするときでも、遠くの人と会話するときにも、果ては料理をするときにも、生き物は日々魔術を使いながら暮らしている。
村雨は人間とは違う存在で、しかし他の種族というわけでもなく、いうなれば『人造人間』であり、この世界での彼女の扱いは『防衛兵器』とされている。
少し前までは、アルモは交易地として栄えていた。生活のための魔術は民間魔術師が開発し、そのたびに人々は豊かな暮らしを得ていた。また、戦闘用魔術は王都の魔術研究員の成果により次々と生み出され、強大な軍事力をも手にしていた。
しかし、アルモを取り囲む山や海に点在する、通称『ダンジョン』からやってくる魔物が人々の生活を荒らして行くようになった。
ダンジョンでは、生活のための金属や魔鉱石などがたくさん採れる。それ故に、国の人々はよく足を運んでいた。その中から魔物が出てくることは稀であったそうだ。言うなれば、ダンジョンとは魔物のすみかだった。
この世界での正式名称は『悪性知的外来種』、一般的には『魔物』と呼ばれている彼らは、現実世界で言う動物が混ざったような容姿や昆虫、魚のような容姿のものが多い。しかしながら、その凶悪な容姿にそぐわず知能が高い個体も中にはおり、王国語を使ってコミュニケーションを取っている、人族に酷似した個体もいたという。
しかし、ある時期を境にその魔物が王都に侵入してくるようになった。
低級の魔物はその並外れた巨躯や力を、高度な人型の魔物はその高い知能、魔力、俊敏な動きにも対応し得る強靭な肉体を駆使しながら、アルモへ侵入した。
ある魔物は誰にも気づかれずに畑や牧場に入り込み農作物や家畜を次から次へと食い荒らした。
ある魔物は発展した都市の中心部をだけを狙って大規模な爆破魔術を発動した。
ある魔物は、人族に扮し、人族の四肢を切り取ることだけに固執した。
その他にも様々な被害を被った『アルモ』は荒れに荒れたという。
そうした中で王国は、対抗策として、軍の魔術を使った防衛策に打って出ることにした。
王都の魔術師たちは、『防衛兵器』という桁外れな能力を発揮する『人造人間』を作り出し、国を取り囲むように、山や海の近く、計十二の方角に、最高位魔術師を総動員して組み上げたその『防衛兵器』を据えたのだ。
そうして設計され、製造され、設置されたうちの兵器の一つが、妖刀・村雨である。
王都の最高位魔術師達は、多種多様な異世界を観測する技術、加えて、その異世界の存在の、それの持つ『概念』をこの世界に召喚する技術を組み上げた。研究で命を落とす魔術師さえいたという。
そうして、完全とは言えないまでも形になったその技術であるが、それには条件があり、どんな概念でも召喚できるわけではなかった。
まず召喚には、そのための器が必要で、その器を作るには莫大な魔力が必要だ。
研究の初期には、魔力の比較的高い人族と、エルフの肉体を主として、一度完全に一体化させるよう溶かして、均等に混ぜ合わせ、一つの人間の形として再構築する、という手法が取られた。
ここで使われたのが、重罪人、いわゆる死刑囚である。
そうして出来上がった『人間の殻』であるが、この中に入れる存在にもまた条件がある。
まず、最高位魔術師は様々な異世界を観測するために組み上げた『板状魔術結晶』、通称『モニター』を使って、様々な世界を観測し、この世界から異世界、そして時に異世界の過去をも観測した。
ある任意の世界と、ある任意の世界との間には距離がある。その距離は、ある任意の世界同士が類似していれば類似しているほど近くなり、観測も容易であるらしい。
そして、今俺がいるこの世界と、対象となる異世界が近く、召喚可能な距離にいる存在を『人間の殻』の中に召喚した。もちろん対象となる異世界の中で、さらに莫大な魔力を観測できた存在でなければ、召喚する意味がない。最高位魔術師たちは、膨大な魔力を観測できた存在に対し、検証に検証を重ね、十二の存在を選び出した。
一般的な生物には一生かかってもできないような、複雑怪奇な術式を二秒程度で発動させるとさえ言われる王都の最高位魔術師ですら、一体の兵器を組み上げるのにかなりの年月がかかったと言われている。このことからも、防衛兵器の開発には多大な労力、生命、金銭、時間がかかったことがわかる。
近代になってより発展してきた魔術技術であるが、近年ではその発展がより著しく、そのおかげか人々の暮らしも遥かに高度で、ある意味では豊かで快適になった。そのため王国の魔術師は、『魔術に不可能はない』『我らの想像することは必ず魔術によって実現可能だ』などと言ったかなり傲慢な主張をするようになったらしいのだが。
最近では、もともと数が少ないと言われていた人型の高度な魔物は、めっきりその姿を見せることはなくなった。
ある男が自ら率いる討伐隊が『ダンジョン』の中でも悪名高い存在を次々と葬り去ったためである。
その男が、現在の王、アレハンド王なのだそうだ。
そのおかげか、現在侵攻してくる魔物は低級の魔物ばかりになった。
そうして作られていった防衛兵器の中で、村雨は、最大の失敗作であると言われた。
村雨は、最後に作られた、一番新しい防衛兵器である。
しかしながら、彼女の『器』は『人間』、しかも、たった一人の人間だった。
史上最年少、一二歳と言う異例の若さで王都の魔術師の試験に合格し、瞬く間に王の直属となった一人の少女。
名前をイヴと言った。
彼女は、純粋に、ただただ純粋に力を欲しがった。
そうして彼女は、自分の地位を防衛兵器という王都の人間の中では最も低い地位へと格下げされるのと引き換えに、生きたままの人類で初めて、『器』として選ばれたのだった。
魔術師はその小さな体に、『妖刀・村雨』という刀を魔術的に埋め込んだ。
術が終わった後、彼女は、もともとあったイヴと言う名を名乗ることをやめ、自身を村雨と呼ぶようになった。
生還する確率がほぼ無いに等しかった彼女は、しかし体内に妖刀を宿し、生還した。だが、中身は人族である。いくら魔術に秀でていたとしても、合成された兵器には及ばなかった。
近年では低級な魔物でさえもその脆弱性に気づいたのか、村雨の守る『寅』の方角ばかりから侵攻してくるようになったそうだ。
もともと力の弱かった村雨は、日に日に疲弊していき、守りにも不安が出てきたという。
そうして、これを好機と捉えた王都の魔術師達が、村雨に、脆弱性克服のための『支援兵器』を召喚するよう勧告した。そしてその召喚のための魔力源にもなる『リソース』と、必要な道具一式を、転送魔術で村雨の暮らす小屋に送って来たのだ。
外に見える馬とも牛とも付かない動物は『リソース』と呼ばれていて、元は人間や、それに近い種族だった。だが、死刑囚となったが故に溶かされ、再構築され、最終的に魔術を使うための『リソース』にされる。人格はなく、コストを限りなく抑えてあの姿へと再構築された『リソース』は、その弊害として、激臭を放つ。その臭いは、体内に魔力を最大限まで蓄えようやく無くなるのである。魔術師たちが彼らの行動アルゴリズムとして組み込んだプログラムは、体内に自発的に魔力を蓄えるよう、魔力が僅かにある草を、そして膨大な魔力を持つ魔物の死骸をはみ続けさせるということだけである。
王都の魔術師は村雨に、俺が暮らしていた元の世界の中にある、とある場所から、絶大な魔術を観測できた場所の座標、その地点の召喚手順を教えた。その際には、この座標には人族がいること、『王国語』を使っていること、召喚の際には『リソース』と状態確認のための『板状魔術結晶』を使えということもまた教えた。
そしてその座標というのが、俺の部屋だったということだ。
「魔術師の趣味の悪い研究に加担していることはわかっていましたが、抵抗できませんでした。里見さんを複製する術式を詠唱しているときには、何度も舌を噛み切ろうとしました。でも、王都の人間はそれを許しませんし、何より逆らえないようにするために、私をコントロールするための術式が体の中に埋め込まれています。そして、召喚をするときには、魔力を極限まで溜め込んだ『リソース』を使うので、その莫大な魔力に耐える肉体が必要です。その莫大な魔力に耐えうるのは、王とその護衛数名、そして私達十二の防衛兵器くらいしかいません。王とその護衛ほど高い地位の者が、研究のために使われるなどということもありません。ですから、召喚をすると言う役割は、実力不足という最高の口実もあって、私に回ってきたのです。結局実験は成功という形出終わりましたから、魔術師にとっては良い成果が得られたということになるのでしょう。…これが、里見さんがこの世界に召喚された理由です…本当に、本当にごめんなさい…」
「…なるほど、つまり、お前は下で、召喚を実際に命令したのは上、それに理論上は逆らえなかったってことか。そんならお前に当たる理由はなかったな、こちらこそ、きつく言ってしまって、すまなかった」
俺はペコリと頭を下げながら、今まで強い口調で村雨にあたってしまったことを恥じた。
彼女は何も悪くない。実力不足を他の魔術師で補えばよかっただけであるはずだったのだから。
悪いのは、好奇心の旺盛な王都の魔術師サマとやら、というわけだ。
彼女の言っていることが嘘だとは思えない。痛みも現実だった。そろそろ現実を、異世界に来たことを受け入れなければいけないのだろうか。まだ夢の中にいるような気分だ。
「…しかし俺の部屋から絶大な魔力とか言ってたが、どういうことだ?俺は魔術なんてアニメの中とか漫画の中でしか知らない。そんなものが観測されるっていうのがよくわからないんだが」
「はい、私にもわかりません。私は、いえ、私だけでなく、この世界のほとんどの人は魔力を持っているかどうか判断できます。その量の感じ方には個人差がありますが、自分よりも上か、下か、相手を見れば大抵は感覚でわかります。年齢なんかよりもずっとはっきりと。ですが、里見さんに関しては全く魔力を感じません…初めてです…こんなの…」
「もしかして王都の魔術師って目がついてないとんでもないポンコツなんじゃないのか?」
そんなことをいいつつも、絶対にポンコツではないことはわかっている。俺がこの世界に来たという時点でポンコツなどでは断じて無い。更に罪人を溶かして『リソース』などと呼ぶような、気の違った連中だ。まず人間を溶かして再構築するなんて言う発想が出てくる事自体が異常だ。そんなことをしている彼らにとって、異世界の住人の生活などどうでもいいもので、相手のことをこれっぽっちも考えずに召喚などということもできるだろう。
いや、待てよ。元の世界には支障の出ないように複製してくれるなどと言った、気の利いているようにさえ思えてしまうサービスを彼らは付けている。そうであるならばいっそのこと部屋ごとこっちに飛ばしてくれたほうがマシだったではないか。向こうでは今頃大変なニュースになっていることだろうに。
「なんで、王都の奴らはわざわざ俺と俺の部屋を複製するなんて面倒なことをしたんだ?部屋ごとこっちの世界に飛ばしてくれたほうがまだマシだったんだが」
「…理屈では説明がつかないのですが、異世界に大きな変化を与える魔術は使えない、と言うのが帰納的に示されていて、今ではこれが通説となっています。とはいえ、野心を持った最高魔術師達は、今も部屋にこもって、異世界に影響をあたえるための趣味の悪い研究に勤しんでいるのでしょうが」
「おいおい、そんだけむちゃくちゃできる魔術師がいるんなら魔物も怖くないんじゃないのか…」
「いえ、魔物は彼ら最高魔術師の魔術ですら凌駕することがあったそうですよ。低級の魔物は今もなお侵攻の手を緩めていませんし。もっとも、現在の王が、その並外れた力を持つ人型の魔物の殆どを駆逐したと言うことで、私が生まれる前よりはマシになったのでしょうけれど。それに、仮に魔術技術が圧倒的に優れていたとしても、それを操る術者の肉体が強靭でなければ耐えられません。我々人族が持てる魔力には限界がありますから、『リソース』なんていうのを作っているのも、足りない魔力を補うためです。魔術は、生きた肉体があって初めて発動します。その原則が不変の真理である以上、結局は、肉体の貧弱な最高魔術師にとって、魔術技術のほとんどは机上の空論にすぎないんです。王やその護衛などは例外なのですが。彼らの人外の度合いは防衛兵器の比ではありません。でも、もし王に万が一があった場合、取り返しがつきません。それに王都の軍もできることなら戦場に出たくないという考えですし。そういった事情で私たちは作られたとも言えるのです」
参ってしまった。とんでもない魔術師を更に凌駕する魔術を操る事ができる魔物の想像がつかない。
「やってることだけ聞いたら、魔物も魔術師も区別がつかねえよ…」
「…おっしゃるとおりかもしれません。見た目は人族であっても、やっていることは、魔物と同じか、それ以上に残酷だと思いますから…」
村雨の表情は、物憂げで、再び泣き出しそうにも見えた。
「…まあ、いい。ところで結局、俺から魔力を感知できないって言うのはどういうことだ。それだと俺を召喚した意味がまったくないんじゃないのか」
「いえ、この部屋を召喚する前から、この場所に、私が今までに感じたことのない異質で異常なほどの魔力を感じたことは事実です。私も王国の魔術師も、てっきり里見さんが発信源だと踏んでいたのですが、何しろそこまで正確に観測ができるほど技術は発展していませんし…」
「?。ということはつまり、俺ではなくてこの部屋に魔力源がある、って言うことか?」
「はい、そうなります」
「この部屋自体が魔力源…?」
「いえ、この部屋の中にあるもので、この部屋に入ってからは検討がついているのですが、何しろ場所が場所なので、勝手に開けてはいけないかな、と思い…」
「どこだ?」
「この、中なのですが…」
少女が指差した先には、俺の、長年使ってきたタンスがあった。