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タイトル一文字。 同音異字から連想する物語、あいうえお順に書いてみた。

「て」 -手・手・手-

作者: 牧田沙有狸

た行

あたしは、机の上に常備しているカルシウムサプリを手のひらにだし口に放り込んガリガリ噛んだ。

今朝も重役出勤のプチウツさんの姿を見て嫌な予感がしたのだ。

 

昼近くになってそのプチウツさんはあたしの席に近寄ってきた。

「すみません、手塚さんこれに印紙貼って出して置いてください。間に合わないと困るから速達でお願いします」

腰が低く丁寧な口調で郵便物を差し出した。

このお方は非常勤職員であるあたしの3倍の給料で働いていらっしゃる年下の先輩。

賢い4年生大学をお出になって厳しい就職試験を乗り越えて、こちらの会社にお勤めになられ立派な職員様でありますから、コネだけで雇えてもらった短大出の非常勤職を転々としてるわたしくの3倍の給料もらうのは当然のことと存じます。

ええ、9時出勤なのに11時来て、ほぼ毎日定時に帰られるのもお体のことを思っての最良の判断かと存じます。ええ。そうですね。

ここ半年ぐらい、お給料もらいながら自宅で精神療養されていたそうですからね。

「明日会議がある」そのプレッシャーで電車に乗れないそうでしたから。

あ、すみません、プチウツって言うのは私の主観です。本当に辛いウツなんでしたよね。 

・・・ああ、本人に決していえない慇懃無礼な言葉が次から次へと浮かぶ。 

この郵便物、あたしが封を開けて彼女の机の上に置いておいた覚えがある。だいぶ前に来たものだ。

たしか契約書2部で印紙貼って印を押して一部返送する。これがその返送分だろう。

あたしは封筒の表に速達印を押して郵便の処理をした。


「ホントにウツなんですか?」

彼女の後姿を見送りながらココロの中でつぶやく。

給料安いの承知で非常勤職員として入った所なので、この不平は世間でいう派遣・パートタイム職員の待遇が悪いとかの話ではない、優遇されすぎる一職員に対する個人的怒りだ。

こいつを見ていると、頑張ったら負けな気がしてくる。 

学生の頃、学校やバイト先で散々言われた「こんなことじゃ社会ではやっていけないよ」と言う言葉が全部ウソに聞こえる。

中学生以下の根性ナシがやっていける社会がここにある。

本当につらい思いをして精神的にまいってしまう人は沢山いる。

けど、ここにいる「まいっている人」は「逃げている人」にしか見えないのだ。

人の心のうちは分からない。あたしにとって平気なことでもこの人にとっては辛いんだよ・・・

なんて言われたら不公平すぎる。100%平気なわけないじゃないか。

毎日きちんと出勤して、辛さを表面に出さないで頑張ってる人は、平気だからじゃないんだよ。

誰が見ても好き好んでやっているとでも思うのか。

え?あたしみたいに優秀じゃないから、仕事こなせる能力がない?

そんな謙遜、嫌味にしか聞こえない!ってか謙遜じゃない、いい訳だ。

ってかここは学校じゃないんだから出来ない子を労われなんていわれても困る。

大人だから、やっていかなきゃいけない社会で生きてるから耐えてんだよ。

病気っていえば許されちゃって、会社も自殺とかされたら怖いからか甘いんだよ。

あたしだって病気申請するよ。プチうつの2次災害の被害者!

ここ3ヶ月ぐらいずっと痙攣性の便秘なの。これってストレスが原因だってよ。

絶対、こいつのせいだよ。

だって、こいつがいなかった半年前と仕事内容変わってないんだよ。

 

ねえ、そうでしょ。そう思わない。ねえ!

あたしは恋人に昼間のイライラをこと細かく説明し、鬱積した感情に乗せて社会病理を熱弁した。

社会問題にすり替えて自分を正当化しようとしているのは自分でも分かっているが、言わずにはいられなかった。

めったに怒らない穏やかな彼は、あたしの手を握りながら

「頑張ってるの知ってるから。下、見てちゃダメだよ」と笑った。

その手のぬくもりに、こわばった筋肉が緩むのを感じた。

しっかりとつないだ手から伝わる安心感。

ひたすら熱弁したけど、どうでも良くなっていく。

「手当て」っていう言葉は、ホントに「手」を当てて治すんだと思う。

きっと、あたしが日々耐えられるのは、この「手」があるからなんだろうと分かり握り返した。


彼女には「この手」がないのかもしれない。

もしも、あたしに「この手」がなかったら、どう処理するのだろうか想像できない。

その上、彼女のように肩書きは職員でそれ相当な給料貰っていたら、逆にプレッシャーを掛けられて便秘どころではなくてしまうかもしれない。

精神的支えがない中で、仕事の責任は重く、年上の非常勤職員には見下されている。

あああ。辛いかもしれない。

結婚の予定もない独り者。これから就職先探すなんて無理。

だったら、辞めないで病気にして周りから白い目で見られても休めるだけ休む。

しかたがないのかもしれないと・・・

強気になれるのは「手」があるからかもと思った自分は、彼女の立場にたった仮想の自分を弁護した。

人それぞれ、何があるか分からない。少しは甘く見てやろう。

そう寛容になった翌日、


「手塚さん、お電話です」

どこからか回されて彼女が受けた電話があたしに回された。

電話に出ると昨日の午後、契約書を返送した会社からであった。

契約書がまだ来ないという苦情だった。

昨日郵送しましたというと、まだ来ていない、今日ないと困る、昨日だったら取りに行ったのに・・・と怒られた。 

あたしはただの郵便担当だ。


彼女の私生活で安寧の「手」があろうが、なかろうが、手を振り上げたい気持ちになった。

これが、彼女の「手」だと思ったから。

徹底的に逃げる手段。自分が楽になるなら人に迷惑かけていいという方法。

すごく追い詰められて精神的にまいった人が、責任転嫁を平気でするだろうか。

ここで非のある彼女が怒られて精神的にまいると体がやばいから、

無実のあたしのココロは踏みにじっていいのか。代わりに怒られるべきだというのか。

もしも、彼女と「リポビタンDファイト一発」みたいな現場に遭遇したら、迷わず手を離そうと決めた。

そんなことないに等しいけど、そう決めただけで、なんだか気が済んだ。

あたしは机の引き出しにあるGABA入りチョコレート手のひらに数個乗せ口の中に放り込んだ。  

 




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