第五話
「……! 」
ニナはアーベルの傷を見て絶句した。
エドヴァルドと共に、いくつもの戦場を渡り歩いて来たが、こんなにも生々しい傷痕を間近に見るのは初めてだった。
事故で負った傷ではない。
その傷痕には、相当な憎しみが込められているようだった。
「アーベル……」
ニナは一息置いて、アーベルに掛ける言葉を探した。
アーベルはニナの反応を待っている。
嘘をついたところで、アーベルに即気付かれてしまうだろう。
ニナはアーベルに、ありのままを伝えることにした。
「アーベル……。この傷は刃物の様なもので横一文字に切られているわね。深い傷……。相当な力を込めなければ、こんな傷にはならないわ。一体誰が……」
「ああ……」
アーベルは、全て分かっていると言わんばかりに首を縦に振った。
「アーベル。傷は放っておくだけでは治らないわ。医者に見せて治療してもらわなければ。治療しても目が見えるようになるわけではないけれど……」
「ニナ、ありがとう。
本当は、今の自分の姿がどうなっているか知りたかったんだ。
死ぬ前に、もう一度だけ会いたかった人がいたけれど、相手を怖がらせてしまう程の姿なら、このまま会わない方が良いだろう」
アーベルは静かに笑いながらそう言った。
「アーベル、待って。確かにこの傷は人間の力では治せない。人間の力では……、ね」
ニナは消毒液を含ませた綿をそっとアーベルのまぶたの上に乗せた。
「クッ……! 」
「ごめん! アーベル、痛かった? 」
「いや。大丈夫だ。痛いのは生きている証」
「フフッ……」
「俺……、何かおかしな事を言ったか? 」
「いえ。その逆よ。アーベル。
私と出会ってから今まで死ぬ事ばかり考えていたアナタの口から、やっと『生きる』という言葉が聞けたから」
「……」
アーベルは黙って俯いた。
「アーベル。アナタの会いたい人が誰なのかは知らないけれど、アナタはその人に会う事を旅の目的にすればどうかしら」
「いや。こんな姿を見せて相手を驚かせる訳にはいかないから……」
「ねえ、アーベル。私は『人間の力では治せない』と言ったわよね。もしこの世界に、人間ではない、治せる存在がいたとしたら、どうする? 」
「人間ではない? 」
「そう。例えば、私とエドヴァルドを人間からオオカミや鳥に変えてしまう術を持った者」
ニナは新しい包帯を巻きながら、静かに答えた。
「私達をこんな姿に変える事が出来る奴がいるのなら、アーベルの目を治せる者もいるかもしれない」
「……仮に治せる者がいたとして、何の見返りも求めず、俺の目を治してくれるだろうか? 」
「さあ。それは分からないわ。でも、ここでじっとしているよりは、可能性があると思わない? 」
「……」
ニナはアーベルが黙りこむ姿を見てクスッと笑った。
「何も言い返してこないという事は、私達と一緒に旅をするって事でいいのよね?
大丈夫。私達も旅の目的はアーベルと同じよ。
人間の姿に戻って、人間のエドヴァルドを思いきり抱きしめたいの。ね? エドヴァルド」
ニナがオオカミの姿をしたエドヴァルドの背中を撫でると、エドヴァルドは気持ち良さそうにニナの側に伏せた。
「もし俺が足手まといになった時は……、構わず捨てて行ってくれ」
「フフッ。分かったわ。さあ、長い旅に備えて今日はゆっくり眠りましょう」
「ああ」
アーベルは久しぶりに不安のない夜を迎えた。