第6話 愛の消えた街(2)
<1>
「あなた……可愛いわね。ねぇ、これから……何がしたい?」
少しでも動けば、二人の膝と膝が触れてしまうくらいの、狭く密着した部屋で、英二は隣に座る女性に見つめられていた。
グロスで艶やかに光を放つその女性の唇は、まだ女性を知らない英二を刺激した。ドキドキと高鳴る鼓動を抑えるのに精一杯な英二は、ただうつ向き、その女性と目を合わせる事もできずにいた。
先ほどの男性用の待合室で、なかなか女性を選ぼうとしない英二に対して、無理矢理に、順平が英二に指名させたのが、この
「さくら」という二十歳の女性だった。
単に、この女性のプロフィールカードに、【エッチな友達募集】の記載があったからだ。
英二は、しぶしぶと男性用のプロフィールカードにペンを走らせ、受付で二千円のトークチケットを購入して、店内の奥にあるツーショットルームに案内された。
通常、男性は、この奥の部屋で、互いのプロフィールカードを交換して、店側に与えられた十分間という限られた時間をフル活用して、指名した女性をデートに連れ出そうと必死に口説く。
しかし、普段は順平と無鉄砲にバカ騒ぎしている英二も、身も知らずの初めて逢う女性と簡単に打ち解ける程、器用な男ではなかった。
英二はうつ向き、テーブルに置かれた互いのプロフィールカードをただ見つめる事しかできなかった。
「緊張しているの……? 本当に可愛いわね」
「…………ッ!?」
女性はくすっと笑ったかと思うと、隣に座る英二の膝に、すらりと伸びた指を伸ばし、小さく踊らせた。
そして…………
「……ねぇ、いいわよ、あなたとなら。これから、いい事しに行こっか」
狭く密着した異様な空間で、吐息にも似たささやくように響く女性の声を、英二は耳元に感じた。
<2>
「おぱ……おぱ……おぱいが、おおお大きいですね……!!」
英二の隣にあるツーショットルームでは、顔を真っ赤にした興奮状態の順平が、緊張のあまりいつもよりオクターブの高い声を上げて、女性に喋りかけていた。
順平が選んだ女性は、二十八歳の人妻だった。プロフィールカードに記載されていた、Fカップというバストの大きさが、順平の決め手だった。
『初めては、やっぱ人妻のテクニックで昇天させともらいましょ』
順平は、英二と拓巳に、鼻の下を伸ばしながら笑って、この女性を指名していた。
「……そっかなぁ。私、やっぱそんなに胸大きい!?」
「ひゃ……ひゃい! おおお大きいです!」
「ねぇ、君も、胸が大きい女の子は好き?」
隣に座る女性を見下ろせば、背の高い順平からは、彼女の胸の谷間が非常によく見えた。
まるで大きな胸を強調するかのように、胸元が大きくあいたカットソーからは、その女性のブラジャーに飾られた鮮やかなレースが見え隠れして、それが順平をさらに興奮させていた。
幼い頃から、ずっと英二と一緒に遊んでいた順平だったが、乱暴者のくせに、どこか神経質でまっすぐなところを持つ英二とはまるで違い、その性格は、おおらかで、いつも短気で癇癪を起こす英二の面倒をよく見てきた。ある意味、英二よりも、何事に対しても順応力はあった。しかし、昔からスケベな男で、今まで彼女がいた事もなかったのに、セックスや女性の身体についてを、英二がうんざりする程、いつも順平は語っていた。
「君……、いい身体してるね。何かスポーツでもしてるの?」
「……おぁっ!」
女性は、ボクシングで鍛えられた順平の胸元を、嬉しそうに指で撫ではじめた。
<3>
順平の隣の、拓巳がいるツーショットルームでは、ずっと沈黙が続いていた。
拓巳は、自分の隣で、本を開き静かに読書を始める女性を、ドキドキと緊張しながら、見つめる事しかできなかった。
拓巳が選んだ女性は、
「幸子」という十八歳の学生だった。
カラーペンで可愛らしく彩られた他の女性たちのプロフィールカードとは違い、幸子のプロフィールカードは、繊細で綺麗な文字で作られていた。
まるで証明写真のように、まっすぐ正面を向いて真面目に映っている写真と、【友達募集】とだけ、淡白に書かれているプロフィールカードを見た順平は、
「そんな女とヤレる訳ねぇ」と、拓巳が指名するのを反対したが、今どきっぽくない幸子の雰囲気に惹かれ、拓巳は指名した。
「……あっ!?」
拓巳が、緊張で固まった身体を少し動かした時、 幸子のスカートから伸びる膝に、拓巳は自分の膝をぶつけてしまった。
ぴたりと密着した膝からは、ズボンの上からでも、幸子の身体の温もりが伝わってきて、拓巳の股間は膨れあがってしまっていた。
幸子にバレないように、拓巳は自分の鞄を、膨れ上がった股間に押しつけるが、それがさらに刺激となり、拓巳の顔は熱りはじめ、頭の中が真っ白になりはじめた。
「あなたも、セックスしたいんですか?」
突然、幸子は読んでいた本を閉じ、拓巳に口を開いた。
拓巳を睨みつけるように見つめる幸子の目は、どこか冷たく、悲しそうな目をしていた。
「男の人って、女性をただセックスするためだけでしか見てないでしょ」
「……えっ?」
「お姉ちゃん、今日はいくら欲しいの? そんなセリフはもう聞き飽きた」
「……き…きみ?」
「こないだ来た時なんかは、数枚の一万円札をテーブルに広げられてね、これでいいだろって、いきなり抱きしめてくる男性もいたわ」
「……君、ここに良く来てるの?」
思いもしなかった会話の流れに、冷静に戻った拓巳は、幸子に問いかけた。
「ええ、毎日来てる。家には帰りたくないから。母親がね、家でスナック経営してるの。あんな騒がしい場所で勉強なんかできないわ。」
「…………」
「図書館は五時に閉まるでしょ。だから、その後は、いつもここに来て勉強してるの。ここなら十一時までいれるし、女の子はフリードリンクで、お菓子も自由に食べれるから、男の人と十分間話すのだけ我慢すれば、私にとって都合のいい、勉強部屋なの」
「……勉強!? 君は、ここに勉強しに来てるの?」
「ええそうよ、だから私は、あなたとデートする気も、ましてやいくらお金出されても、セックスする気なんかないから、それだけは最初に言っとくわ」
幸子は、ため息まじりに拓巳に話した後、また本を開き読書を始めた。
いや、よくよく拓巳が見てみると、それは文庫本ではなく、参考書だった。
拓巳が、ようく耳を澄ませば、幸子は呪文のように英文の例を音読した後、それを和訳をして、次のページでそれが正しいかどうかを確認していた。
一瞬、幸子が和訳につまり考え出した時だった。
「How come She changed her mind? それは、『何故彼女は考えを変えたか』だよ」
「……え!?」
突然の拓巳の言葉に、幸子は驚き拓巳を見つめる。
「How come〜? は『何故〜』って意味。確かに分かり難いよぬ。僕も、最初は戸惑った。ねぇ、大学受験するんでしょ。何処の大学受けるの?」
幸子は、今までここで出逢った事がなかったような、拓巳爽やか笑顔に、思わず笑顔がこぼれた。
そして、照れくさそうに、上目で拓巳に笑いかけた。
「……東大」
「僕と一緒だ……」
窮屈で狭くるしい空間に、照れくさそうに笑いあう二人の声が静かに響いた。