第14話 Scrap Alley(5)
<1>
拓巳が一目ぼれをした幸子という名の少女を、出会いカフェから連れ出すために、英二の提案とおり、瞳にカフェに潜入してもらい、その少女を説得してもらうという事にした三人と瞳は、いよいよ出会いカフェのある道玄坂の雑居ビルの前に着いた。
「……着いたな」
「あぁ……」
英二と、順平は目を合わせ、大きく深呼吸をした。
ふと英二が、ビル入り口の横に視線を向けた時、その雑居ビルと隣のビルとの間に、出会いカフェの看板が倒れているのが見えた。
その看板の中央には、先日英二がそれを思いっきり殴った時にできたのであらう、少し大きな窪みができていた。
その窪みを見つけた英二は、おもむろにその看板の前にしゃがみこみ、その窪みをそっと右手で撫で始めた。
そして、英二はしばらく何かを考えていたかと思うと、思いつめたような険しい表情で立ち上がり、真っ暗に広がる渋谷の夜空を大きく見上げて呟いた。
「……なぁ、順平、拓巳。この街にもさぁ、金で買えねぇものってきっとあるよなぁ?」
「何だよ、どうしたんだ英二?」
「英二く……ん?」
眉をしかめ、今にも泣き出しそうな表情で、星の見えない渋谷の夜空を見上げる英二の姿は、行き場所のない怒りと憂いにも似た悲しみに満ちていた。
そんな英二の様子に気づいた順平と拓巳は、まるで英二に優しく寄り添うかのように、ゆっくりと歩み寄り、英二の横で一緒に夜空を見上げて口を開いた。
「英二……、オレたちが信じていれば、きっとそれは見つける事ができるさ。オレはな……思うんだ。頭悪りぃから、世の中の事なんてちっともよく分かんねぇけどさぁ、世界中の大金持ちが集まったって買えねぇくらい、金よりももっと価値があるものはきっとあるはずだって。そしてオレも、それを絶対見つけたいと思う、オマエらと一緒にな」
「うん、そうだね順平くん。僕たちなら、きっとそれを見つけられる気がするよ。この街の夜空ってさぁ、あまりにも汚れすぎていて、星なんて全然見る事はできないでしょ。でもね、よく考えたら、この夜空の遥か彼方の宇宙では、幾千もの星たちが美しく輝やき続けているんだよ。……だから、だからね、僕たちさえ汚れていかなければ、他の誰もが見えないものでも、きっと見る事ができるし、手に入れる事もできるんだ。このカフェに来るような、お金にまみれて汚れきった大人たちが、いくらお金を積んでも見る事すらできないものをね。そう、それは遠い宇宙で輝いている星たちのように、限りなく美しいものなんだ」
「……順平、拓巳、ありがとな。そうだな、一緒に見つけような。……金なんかいくら出しても手に入れる事が出来ねぇようなさぁ、俺たちだけの宝物を」
どこかセンチメンタルに、真っ暗な夜空を眺める三人の横を、春の暖かな夜風がそっと通りぬけていった。
「じゃぁ、私、行ってくるね」
いつまでも感慨深げに夜空を眺めていた三人に、少々呆れながらも、瞳は優しく微笑み話しかけた。
瞳からすれば、英二ら三人は呆れるくらいに幼く感じるのだが、渋谷駅の朝のホームで初めて出会った時から、三人と一緒にいると、瞳は何故かいつも優しい気分にさせられていたのであった。
そして、英二と一緒にいるときに、瞳は特にそれを感じていた。
「……あぁ、瞳、拓巳のためにホントに頼むな」
英二、順平、拓巳の必死な眼差しを受けた瞳は、三人の顔をしっかりと見つめて小さく頷いた後、雑居ビルの中に入っていった。
「誰かのためにかぁ……」
雑居ビルの廊下を一人歩きながら、瞳は静かに呟き微笑んだ。
<2>
「……で、英二、オマエいつから彼女とこんな仲良しになっちゃったのよ」
瞳がビルに入って行った後、祈るようにカフェがある部屋の明かりを見上げている拓巳を横に、順平は先ほどからずっと気になっていた事を英二に問いかけた。
「いつからも何も、放課後にさぁ、大学まで傘を返しに行った時にな、彼女にケータイ教えたんだよ。そしたらさぁ、お前らと集合するためにハチ公前に急いでた時に、なんと彼女から電話もらっちゃたんだよなぁ、コレが!」
英二は、タバコに火を点けた後、フゥーッと大きく煙を吐き出すと、満面の笑みを順平に見せた。
そして、順平たちと合流する前に、突然かかってきた瞳からの電話を幸せそうに思い出し始めた。
<3>
『……もしもし――』
ハチ公前に急ぐ英二の携帯に、瞳から着信があったのは、ちょうど一時間ほど前だった。
「ひ……ひとみ?」
電話の向こう側の瞳の声が、あまりにも暗く沈んでいたいたので、英二は一語一語噛み締めるように瞳に呼びかけた。
「さっきはゴメン……。変な事聞いてほんとに悪かった」
『…………』
瞳の沈黙の隙間から、カーラジオが静かに流れる音が、英二の耳に聞こえてきた。
「……瞳? 今、移動中なのか?」
『……タクシーの中。バイト先に向かってるの』
「……そう」
トーンの低い瞳の声に、英二もいつしか声色が低くなっていた。
『……突然、電話、ごめんね。なんかね、今日のこと思い出してたら、あなたの声が聞きたくなっちゃって』
「……そう」
先ほどよりも少し明るくなった瞳の口調に、英二も優しく答える。
『あなたって不思議よね、あなたの前だと何故か懐かしい自分に戻れる気がする』
「懐かしい自分?」
『……うん、怒ったり、泣いたり、興奮したり。……そんな感情、彼が亡くなってから、もう自分にはないと思っていたわ』
「…………」
『なんだろうなぁ……、英二くんって……』
「ははっ、なんだろうって、別に普通の十七歳のガキだよ」
『ふふふ、何よそれ。自分で自分の事、ガキとか言っちゃてさ、バカみたい』
声のトーンが少しづづ明るくなってゆき、自分の話にも笑ってくれている瞳の様子に、英二はほっと一安心し、少し楽しくなってきた。
「あっ……、そうだそうだ、なぁ、瞳」
『なに?』
「傘返しに行った時、相談しようと思ってたんだけどさぁ、ちょっとお願い事を聞いてもらったりなんかしてもらえないかなぁ〜なんて思ってさ」
『……なによ、急に』
「え〜っと、その……、瞳って今夜空いてるか? ってか、イヤ、ウソごめん。今、バイトに向かってるから、無理だよなぁ……」
『なによ、独りでブツブツ言ってないで、ちゃんと言いなさい』
「実はさぁ――……」
<4>
「へ〜、なんだよ英二? それで、お前、勃起男の恋の相談したら、すんなりと今夜引き受けてくれたってワケなのか?」
一通り話し終えた英二に向かって、順平は首をかしげて問いかけた。
「……あぁ、何だか、どっちみち今夜はバイトに行きたくなかったから、ちょうど良かったっんだってさ」
「へ〜……、なんか良く分かんねぇけど、オマエはオマエで憧れの人と急接近できたし、これで勃起男が恋する女の子を連れ出すことも成功したら、オールオッケーだよな」
「……あぁ、そうだな」
いつしか、英二と順平の二人も、拓巳と一緒に、雑居ビルのカフェがある部屋の明かりを真剣な眼差しで見上げていた。