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第12話 Scrap Alley(3)

<1>


「英二……くん!? 」


 眩しいくらいのオレンジ色の夕日が、辺り一面に植えられた美しい木々の緑から差し込む南青山学院大学のキャンパスで、一日の講義が終わった瞳が、制服姿の英二の姿を見つけて驚いていた。


 キャンパスを行き交う学生達の向こうに、真っ赤な傘を肩に掛け、はにかんだように微笑む英二が見えるのだ。

 瞳は思わず英二に駆け寄り声をかける。


「……どうしたの?」


「ははっ、……これ、返さなきゃなと思って」


「わざわざ……? ふふっ、別に良かったのに」


 どこか照れくさそうにする英二を見ていると、何だか少し照れてしまう瞳だった。

 傘を瞳に渡した英二は、手持ち無沙汰になった両手を、ポケットに突っ込み、ぶっきらぼうに瞳に尋ねる。


「あ、……な、なぁ大学って楽しいか?」


「……え?」


「……あ、ほら、俺、実はまだ進路決めてなかったからさぁ。大学行くってどんな感じなんかなぁーなんか思っちゃったりなんかしてさぁ」


「ふふっ、英二くん、まだ進路決めてなかったんだ。なんかやりたい事とかってないの?」


 瞳は近くにあったベンチに腰を降ろして英二を見上げた。


「イヤ、やりたい事って言われてもさぁ、ねぇんだよなコレが。ちくしょう! ったく、順平や拓海が羨ましくなるぜ!」


 英二は自嘲気味に少し笑うと、足元の小石を蹴り転がし、オレンジ色の夕日を見上げた。

 プロボクサーを目指す順平や、東大を目指す拓海と違い、英二ははっきりとした自分の将来が想像できず、卒業後の進路を決めてゆく周りを横目に、いつも苛立ちと不安を抱えていた。


「……なぁ、あんたはなんで大学に進学したんだ?」


 英二はベンチに腰かける瞳の正面にしゃがみ込み、瞳に尋ねた。


「……え!? 私……」


「……あぁ。なんかやりたい事があったから?」


「…………」


 しかし英二のその質問に、瞳は英二の目を反らし困惑したような複雑な表情を浮かべるだけだった。


「ん!? どうした?」


「…………」


「あ、イヤ……。言いたかないなら言いけどさぁ。みんななんで大学って行くのかなぁって思ってさ」


「……ごめん。私、もうバイト行かなきゃ」


「あっ、おい、ちょっ……!!」


 英二の質問にしばらく黙り込んでしまっていた瞳は、急に何かを思い出したかように立ち上がり、戸惑う英二を残し足早に歩きはじめた。


「あっ、オイ待てよ! ……ごめん。俺なんかマズイ事言った?」


「…………」


「なぁ、ちょっ、待ってくれよ」


 必死に瞳を追いかける英二だが、まるで何かに取りつかれたように、瞳はカツカツとヒールを鳴らし、無言のまま足早に歩いてゆく。


「ちょっ……、おい、瞳ィ――!!」


 何がなんだか分からなくなった英二は、キャンパスを行き交う人混みに埋もれてゆく瞳の背中に思わず声を上げる。


 英二のそのまっすぐに自分を呼ぶ声に、瞳は思わず一瞬足を止めてしまう。


 ――そして……


 ゆっくりとゆっくりと英二を振り返った。


 無言のままただ英二を見つめる瞳。

 その悲しげな表情に英二は瞳を見つめたまま、何も言えず動けなくなってしまう。


 気がつけば、瞳の頬にゆっくりと涙が落ちてゆくのが英二には見えた。


「……好きな人がいたから。この大学に大好きな人がいたから……」


「……――え!?」


 唇を噛み締め、震える声で必死に自分に何かを訴えかけようとするる瞳を見ていると英二も胸が苦しくなる。


「……高校の頃ずっと憧れていた先輩だった。同じ大学に進学すれば、先輩とずっとずっと一緒にいれると思っていた」


「…………」


「……だけど、だけど、もう先輩はいない!!」


「……――!!」


「亡くなったの……。病気で……。大好きだったのに……。ここに進学できてやっと思いが通じて、ずっと一緒にいようって約束してくれたのに……!!」


「……瞳」


 次第に感情が高ぶりはじめ、その眼差しがどんどん涙で溢れ返る瞳に、英二は駆け寄り両手を広げて必死に訴えかける。


「ごめん。……なぁ、俺が悪かった。変な事聞いてホントごめん! だから、なぁだから……」


「……愛してたのよ! そう、私は彼を愛していた。……だけど、だけど私は彼に何もしてあげれなかった。病気で苦しむ彼の手を、ただずっと握っていてあげる事しかできなかった。……そのうち彼の手からは温もりが消えてゆき…………」


「――……瞳」


「ねぇ、あなたに分かる!? 大好きな人に、……愛している人に、何もしてあげれない苦しみが――!!」


―彼女が背負っていた重さなんて……

あの頃の俺には

まだ分からなかった

彼女がどんなに辛い思いをしてきたか……

どんなに苦しい思いをしてきたか……

それを理解するには

あの頃の俺は

まだ若く子供過ぎたんだ

……だけど

……だけど

ただ俺は

その瞳の奥に抱える彼女悲しみを

いつか拭ってやりたかったんだ


<2>


「遅っせ〜なぁ、英二! アイツ何やってんだよ。ったくよう!」


 陽が沈み、華やかにネオンが煌めく渋谷駅のハチ公前では、目の前のビルに掛けられた大きなスクリーンに目をやりながら、順平と拓巳が英二が来るのを待っていた。


 渋谷のスクランブルにある大きなスクリーンからは、先ほどから様々なアーティストのミュージッククリップが映し出され、渋谷の街を華やかに彩っていた。


「……おっ、拓巳ぃ、ほらアレ見てみろよ!」


 順平に声をかけられた拓巳がスクリーンに目をやると、アーティストたちのミュージッククリップの合間に、丸日食品のハンバーグのコマーシャルが流れ出していた。


『美味しい! 安全! 明日も食べた〜い!』


 丸日ハンバーグの軽快なBGMにリズムを取りながら、順平は拓巳に自慢げに話す。


「アレ、英二んとこの父ちゃんの会社なんだぜ。あ〜みえてもさっ、アイツん家は結構エリートなんだよなぁ」


「へ〜っ、英二くんの父さんって丸日に勤めてんだ」


「あぁ、偉いさんらしいぞ」


「……ウソ!?」


「ホント。ったく羨ましいったらありゃしないよな。オレんとこの親父なんて、いまだに夢にしがみついてる貧乏ボクサーだぜ。……なぁ、お前んとこの父ちゃんは?」


「……えっ!? 僕の父は……――」


 ――僕が小学校の頃に失踪した……


 その言葉に、先ほどまでおどけていた順平の表情が曇る。


「……っスマン。変な事聞いて……悪かったな」


「……いいよ。あんな人の話。別に父親ともなんとも思ってないし。ただ……」


「ん!? ただ、どうしたんだ?」


「……なんかそれからだったかなぁ。母親が急に僕に執着しはじめたのは」


 拓巳は、拳を握りしめ、まるで怒りに満ち溢れんばかりの鋭い眼差しで何かを睨みつけるような表情を浮かべていた。


<3>


 銀座方面へ走るタクシーの中では、瞳が外に流れゆく街の明かりをぼぉっと眺めていた。


 頭の中には、先ほどの英二とのやりとりが走馬灯のように流れる。


 まっすぐと自分を呼ぶ英二の声。

 まっすぐと自分を見つめる英二の眼差し。


 どこか汚れのない英二の姿に、思わず高ぶった感情をぶつけてしまった自分。


 昨年の秋に愛する人を亡くしてから、感情というものを心の奥に鍵をかけてしまい込み、ただバイトに明け暮れ生きてきた自分が、あんな風に感情を剥き出しにしてしまうなんかは、自分自身が想像もつかない事だった。


 ――そして……


 今まで心に溜めていた感情を、英二に全て吐き出した事により、何故か心が少し楽になった気もしていた。


 今でも心の底から亡くした彼を愛しているし、一生忘れられないと人だと思っている。


 ……ただ――


 英二とはじめて出逢った渋谷駅のホーム。

 何かに導かれるかのように再会した雨の日のハチ公前。

 そして先ほどの夕暮れのキャンパス


 何故か英二と逢う度に、自分の心に懐かしい感情が湧き上がってくる感覚があった。


「英二くんかぁ……。なんか不思議な子だな」


 英二から返された真っ赤な傘を見つめ、瞳は小さく呟いた。


『……なぁ。俺じゃダメか? はら、沈んだ時とかさぁ、ダチに電話したりとかしたら、何かすっとする時あるじゃん』


 先ほど感情が抑えきれず涙が止まらなくなった自分に、困惑しながらも英二が渡してくれた紙キレを、瞳はバックから取り出す。


『……何もできないけどさぁ、話聞いてやるくらいならできるから』


 涙で溢れかえる自分の手を広げ、まるで自分を優しく包み込みかのように、英二が両手で自分の手を握りしめ渡してくれた紙キレだった。


 瞳は携帯電話を手にして、その紙キレに書かれた英二の番号をプッシュした。


「――もしもし」


 タクシーの静な社内に、瞳が呟いく小さな声が響いた。



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