第10話 Scrap Alley(1)
「いやぁ〜、もうすげえのなんのって、お前Fカップだぜ! Fカップ!」
昨日までの大雨とはうって変わり、春の暖かい日差しが校舎の窓から差し込んでいた。
まっすぐと続く廊下を教室に向かう順平は、横に並んで歩く拓巳に、先ほどから少し興奮気味に話かけていた。
しかし、拓巳はというと、そんな順平に対して、ただ適当に相槌を打つだけで、常に目線は手元に開いた参考書にあった。
「それでさぁ、オレの目の前でぶるんぶるん揺れる訳よ、Fカップが!!」
「……それで?」
「それでって、お前、彼女はさぁ、オレの華麗な腰使いで言うんだ。『あっ、いやん、やめて……もっともっと』ってね」
順平は、両手で自分の体を抱きしめ、嬉しそうに女性の吐息を真似る。
「だ・か・ら……!! 君は、朝っぱらから、そんな事を僕に言うために呼び止めたのかい? いい加減にしてくれよ!!」
拓巳は手元の参考書をパタンと閉じ、おどける順平を直視して声を上げる。
いきなり怒り出す拓巳に、驚いた順平が呆然と絶句してしまった時だった。
「いよぉ! 順平、今朝は悪りぃな、先行っててもらって。ちょっと昨日寝つけなくって寝坊しちまったよ」
廊下の真ん中で対峙し合っていた順平と拓巳の真ん中に、英二が駆けてきて二人の肩に手を回した。
「……アレ!? どうしたの二人でにらめっこなんかしちゃって」
英二は、笑いながら順平と拓巳の目を交互に見つめる。
「こ……この人が朝からつまらない事で僕を呼び止めるからだ! 君の相棒も来たことだし、僕は勉強で忙しいからこれで失敬するよ。そんな低俗な話は、相棒くんにでもしてくれ」
「な、なんだとこのヤロー!! お前、それでも昨日まで『僕は死ぬんだぁ〜』って泣いてたヤツのセリフか? お前っ、オレたちが来なけりゃぁ死んでただろう」
「まぁまぁ、順平も拓巳も落ち着けよ。何なんだよ、朝っぱらから。……で、順平、お前朝から何の話を拓巳にしてたんだよ」
呆れたように二人を見つめた後、英二は順平に話しかけた。
「き……昨日の人妻と過ごしたオレの熱い夜の話だよ……」
英二に見つめられた順平は、目線を逸らし下を向き、少しどもりながら答える。
「あ〜!? 順平、お前、昨日の夜ヤッたのか?」
「……あぁ」
英二は、順平の目をしばらく見つめた後、噴出すように笑い出した。
「順平、お前何が熱い夜だよ! ホントはヤッてねぇだろう! お前がウソつくと右の眉が上げるからすぐ分かんだよ! このウソつきが!」
英二は、順平の頭を思いっきり引っ叩いた。
すると、順平も「なんだと、このヤロー」とボクシングのフットワークをリズミカルに行い出す。いつものまにか、廊下では英二と順平のじゃれ合いがいつものように始まりだした。
「も〜! うるさいんだよ君たちは! さっさと僕の前から姿を消してくれ! 君がセックスしようが、セックスしまいが、僕には関係ないんだ。いちいちそんな事で、僕の勉強の時間を邪魔しないでくれ!!」
そんな英二と順平に、いよいよキレた拓巳は、廊下中に響き渡るくらいの大きな声で叫んでしまう。
すると、廊下を歩いていた女子生徒たちは、拓巳の「セックス」という言葉に敏感に反応して、拓巳に思いっきり冷たい視線を投げ出した。
「き……君たちはサイテーだ!!」
周りからの自分への視線を感じた拓巳は、みるみるうちに顔を真っ赤に染め出し英二と順平にそう呟くと廊下を走りだした。
「おいっ! ちょっ待てよ」
突然廊下を走り出した拓巳に驚いた英二は、必死に追いかけ、拓巳の肩をつかみ真剣な表情で訴える。
「お前は……ヤッたのか? あ、ほら変な意味じゃなくて、病気だよ。ヤッたら病気治るかもしんねぇって話ししてたから……」
「そ……そうだよ、オレもその話が聞きたくて、お前を呼び止めたんだよ」
英二と拓巳に、後から追いついた順平も真剣な眼差しで拓巳を見つめる。
しかし、拓巳は下を向き、ただ首を横にフルだけだった。
「……そっか」
その姿を見て、英二と順平のため息がもれる。
「君たち……、本気で僕を心配してくれてるのか?」
まるで自分の事のように、自分の病気を心配してくれている英二と順平の姿に、拓巳は嬉しくなったのか、さっきまでとはうって変わり、少し落ち着いた表情で英二と順平を見つめる。
「……ったりめぇだろ! 言ったじゃん、俺たちは『トモダチ』だって」
「ホントに、信じていいのか……?」
「あぁ、オレたちは絶対ぇ裏切らねぇ」
「そうさ、コイツのエロ話だけは信用できねぇが、あとは何でも信じてくれよ」
英二は、順平の頭をもう一度思いっきり叩いた後、拓巳に無邪気な笑顔を向ける。
「いってぇ、何すんだよ英二!」
「うっせぇ! このエロ男」
またまた、英二と順平のじゃれ合いが始まるが、今度はそんな二人を、拓巳は微笑ましく思えて笑顔が浮かんでしまう。
母親から執拗なまでの干渉を受けながら、勉強漬けの毎日を過ごしてきた拓巳は、今まで友達と呼べる者など周りにはいなかったし、他人とどのように付き合ってゆけばいいかなど分からなかった。
しかし、英二と順平を見て微笑む拓巳の笑顔は、まるで初めて誰かを受け入れたような、そんな心からの笑顔だった。
「なぁ……、もし君たちの事を信じていいんなら、相談したいことがあるんだが、聞いてもらえるかい?」
「あぁ、もちろんさ」
「じゃぁ、今日の放課後に、中庭の芝生で待ち合わせしよう」
「……オッケー」
「……了解」
突然の拓巳の申し出に、一瞬は戸惑った英二と順平だったが、思いつめたように自分たちに訴えかける拓巳に、真剣な表情で快く返事をした。
――あの頃の俺たちは
ただいつも信じていたんだ
社会のルールなんて分かんねぇ俺たちが
出来る事っていったら
ダチを信じる事ぐれぇしかできなかったからさ
この三人の友情が
この先一体どこに辿り着くかなんて
あの頃の俺たちには
全く分かりはしなかった
ただいつも
この「友情」だけは永遠だって
信じていたんだ