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第9話 teenage blue(2)

<1>


「お帰り。遅かったじゃねぇか、順平」


 順平が、ボクシングジムの扉を開くと、誰もいなくなったジムで、父親がリングサイドの周りを、タオルで丁寧に拭きあげていた。


 『山下ボクシングジム』


 元世界チャンプの順平の父親は、引退後、近所の中高生たちを集め、小さなボクシングジムを営んでいた。


 順平が小学一年生の頃、一度だけ世界チャンプまで登りつめた父親だったが、その後の防衛戦で、すぐにタイトルは奪われてしまい、あとは惨敗に次ぐ惨敗で、チャピオンの座から、一気に転がり落ちた父親だった。


 『ラッキーボーイ』


 まるで、一発屋のようだった、情けない順平の父親を、当時のマスコミは、そう笑い飛ばしていた。

 それにより、小学時代の順平は、学校で格好のイジメの対象になっていた。そして、それをいつも助けていたのが、英二だった。


「……まだ、いたのかよ」

 順平は、ポケットに両手を突っ込み、斜に構えて、父親に小さく呟いた。


「……あぁ。練習生たちが、怪我をしないように、手入れは重要だからな」


 背中を丸めた父親は、まるでリングサイドに精一杯の愛情を注いでいるかのように、目を細め、ひと拭きひと拭き、丁寧に拭き上げていた。


「……いつまで続けんだよ。こんなとこ」


「さぁな……」


「近所の子供ら相手に、ボクシング教えて、そんなに楽しいのかよ」


「……まぁな」


 弱冠三十八歳にしては少し老いずきて、順平からは小さく見える父親に、順平は呆れたように言葉をかける。

 しかし、父親は、そんな順平に対して、ただ背中を向け、寡黙に答えるだけだった。


「なぁ……、親父、ボクシングって、そんな楽しいのかよ」


 順平は、ジムの片隅に飾られた、チャンピオンベルトを肩にかけた父親の写真に、目を向けた。


 「……お前は、キライなのか」


 順平の言葉に過敏に反応した父親は、振り返り、順平を見つめる。


「オレは、オレは……、普通に大学に進学して、普通に就職してぇよ」


「…………」


「何度言ったら分かる。順平、お前には、一流のセンスがあるんだ。なに、そんな夢のねぇ事、言ってやがんだ」


「……夢ねぇ。夢で食っていけたら、誰も苦労しねぇぜ」


 順平は、床に転がっていたグローブを手に取り、トンとグローブを叩いた。


 ――普通が一番だ


 幼い頃より、ストイックに、ボクシングの世界で生きてきた父親を見て、順平は常々にそう思っていた。

 一流企業で働らく父親を持つ、英二がいつも羨ましく、そして、そんな英二と友達である事が、順平にとっては小さな誇りだった。


「……来月、後楽園でプロテストがある。コミッションに申し込んどいたから、まずは早くプロになれ。オレみたく、歳をとってからじゃなく、お前は、若けぇうちに、早くプロになるんだ。そして、多くの経験を重ねろ。順平、お前だったら、絶対ぇ世界チャンプになれる男だ」


 父親は掃除をする手を一旦休め、斜に構える順平の肩に、手を添えた。


「……っ、勝手な事してんじゃねぇよ!」


 順平は、父親の手を払うと、くるりと背を向け、ボクシングジムを飛びだした。


「順平――っ! オレは……、オレは、絶対ぇお前と一緒に、もう一度、世界チャンピオンを掴むからなぁ!!」


 ジムを後にして、降りしきる雨の中を駆けてゆく順平の耳に、悲痛にも似た父親の声が聞こえてきた。



<2>


「なんで……、なんで俺になんか構ってんだよ……」


 小さく広げられた真っ赤な傘の下で、英二は自分の前にしゃがみ込む瞳に、小さく呟いた。


「お礼よ。この間の」


「……お礼!?」


「そう、あの時の朝。私が痴漢されたと思って捕まえた男の子いたじゃん。私と、あの時の駅員さんは、あの子の言う事なんて、一切、信じたりなんかしなかったわ。」


「…………」


「だけど、いきなり現れたあなた達は、事情も聞かないまま、あの子が言う事を信じた。ただ、盲目的にね。『トモダチ』だからってね」


「……あぁ」


「英二……くんの、あの時の目、すごくまっすぐでキレイだった。なんか羨ましかったなぁ。……いつからか忘れちゃってた、あったかい気持ち……あの時、思い出した気がしたわ。だから、お礼よ。私の心に、キレイな水を注いでくれたお礼」


 英二に、そう話す瞳は、少し照れくさそうに笑っていた。


「なんだよそりゃ。いまのあなたが汚いみてぇじゃん」


 瞳の言葉に、思わずぷっと笑ってしまった英二は、はじめて瞳の目を見て話かけた。


「……汚い? ……ふふ、そうかもね。あなたから見たら、私は汚い人間なのかもしれない。だけどね、生きてゆくには、しょうがないのよ。あの頃のままじゃいられない……」


 英二から目線をそらし、そう小さく呟やく瞳の目は、あの朝に英二が感じた、寂しさで溢れていた。


「……なぁ、あなたは、何でそんなに悲しい目をしてんだ?」


「……え!?」


「はじめて、あなたと逢った朝、あなたは、とても寂しそうな眼差しをしていた。そして今も……」


 英二は、自分から目線をそらす瞳に、優しく語りかける。


「……私はもう、あの頃にはきっと戻れないから」


 その時、英二には、遠くの人混みを見つめる瞳の目に、小さくこぼれそうな涙が見えた。


「……ごめんね。変な事言っちゃって。私……時間だから、もう行かなきゃ」


 そっと英二に笑いかけた瞳は、手に持っていた真っ赤な傘を、英二の手に渡した。

 一瞬、自分の手に瞳の暖かい手が触れ、英二は鼓動が早くなるのを感じた。


「……私、タクシー使うから、傘、持ってきなよ」


 呆然とする英二を横目に、瞳は立ち上がり、タクシー乗り場に急ごうとした。


「……なぁ!! ちょっ……待てよ」


 思わず立ち上がった英二は、気がつけば、大きな声で瞳に呼びかけていた。

 雨の中、消えてゆこうとしていた瞳が、英二のその声で、ゆっくりと後ろを振り返った時、降りしきる雨の中、二人の目線は静かに重なり合った。


「もう少しだ……。もう少し、傍にいてくれ」


「……え!?」


 英二は、立ち止まった瞳の前まで一歩一歩ゆっくり歩き、ジーンズのポケットから、くしゃくしゃになった一本のタバコを取り出しだした。

 そして、タバコに火をつけた英二は、精一杯の笑顔を浮かべ、瞳に語りかけた。


「一本だ……。なぁ、この一本のタバコが燃え尽きるまで、一緒にいてくれないか?」


 雨が降りしきる人混みの中、真っ赤な傘の下で、英二と瞳は、まるで霧のように漂うタバコの煙に紛れ、儚くも小さく光る灯火を、いつまでも静かに見つめ合っていた。



――あの頃には

きっと戻れないから


彼女の言葉が

意味する事なんか

これっぽっちも

分からなかったさ


ただあの時の俺は


ゆっくりと

ゆっくりと

燃えてゆく

この一本の

タバコの先に

小さく光る灯火が

いつまでも

消えちまわないように


彼女と一緒に

眺めていたかっただけなんだ



こんばんは

あいぽです。


ようやく少しずつ物語は動き始めました。

様々な悩みを抱える三人の少年たちの葛藤は、いよいよ来週から、暴走に……!?


次週は新章

「Scrap Alley」

が始まります。


これからもヨロシクお願いします。



あいぽ

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