プロローグ
「ん?」
気付けば、俺は一人でぽつんと立っていた。
周囲を見渡して見れば、頭上で陽を照らしている太陽に、青々とした葉を付けた木々が、風に吹かれてザァザァと音を立てている。
獣道らしい場所を見ると、ここはどうやら山の中らしい。
「……へ? 何処だよ、ここ?!」
ちょっと待て、ウェイト、ウェイト。
落ち着いて考えよう。
落ち着いて考えれば何とかなるって、歴史上の偉人も言ってたじゃないか。
ほぉら、まずは昨日の晩飯からだ。
「……。何食ったっけ、昨日」
混乱する頭の中を、俺は必死になって落ち着ける。
他の事に気を向けず、一生懸命に。
だからだろうか、それに気付かなかった。
ふと、後ろから感じた気配に振り向くと、ソイツがいた。
「ウウウゥゥ……」
一言で言えば、真っ黒だった。
そこだけ一足先に夜になったかのように、黒い霧が漂っている。
そしてその中に、四足歩行をして真っ黒い体毛に包まれた犬のような身体に、その闇の中で紅く光る眼と視線があった。
2メートルほどある黒犬は、こちらをじっと見つめていた。
なんだコイツ、と悠長に考えていると、ドッ、と。何かに体が当たったような衝撃に体が揺れた。
踏ん張れずに倒れ、立ち上がろうと右手を着こうとして――――、着けなかった。
というか、右腕が無かった。
「へ……?」
冗談みたいに吹き出した血液が、じわじわと地面に染み込んでいく。
現状を理解できない頭を回していると、後ろから、何かを咀嚼する音が聞こえた。
あれ、アイツいつの間に?
てか、なに食ってんだ?
まるで、人の腕みたいな。
いや、あれって、俺の腕……?
「あ、ぁぁぁ。うぁぁぁぁ‼」
喰われた。
俺の腕が喰われた。
その事実に、ようやくになって痛みが襲ってきた。同時に恐怖で脚がすくむ。どうにかして立ち上がろうとしているのに、自分の脚でもなくなったかのようにガタガタ震える。
闇が寄ってくる。
一歩一歩、ゆっくりと。
死ぬ
死ぬ
死ぬ
黒犬が近付いてくるたびに、頭の中でそんな考えが増えていった。全身から血の気が引いて、ガチガチと歯が鳴る。
なんだよこれ
突然こんなところに放り出されて
もう終わりかよ?
嫌だ、嫌だ嫌だ‼
「ぅ、ぁぁああああ‼」
意味不明な叫び声を上げて、俺はがむしゃらに走り出した。
片腕が無いからだろうか、上手くバランスが保てず、数メートル走ったくらいで転けた。
再び走り出そうと上体を上げた時、何かが上にのしかかり、俺は地面に押し付けられた。
それと同時に、右足首に激痛が走った。動ける範囲で首を回すと、俺の足首に噛みついている黒犬を見つけた。
逃げなくするつもりか!
俺の両足の足首を喰いちぎろうとして夢中になっているアイツ、大した抵抗は出来ないだろうと、完全にこちらに背を向けている。
俺は無我夢中で、顔の近くにあった黒犬の後ろ足に噛みついた。
「ギャゥッ?!」
噛みつかれた事に驚いた黒犬が、跳び跳ねる。
逃がすか
喰いちぎってやる。
ミチミチと音を立てて、黒犬の足の一部を喰いちぎった。
口内にある、毛と肉と血の感覚に顔をしかめながら、俺はそれを
飲み込んだ。
マズッ
誰だよ、犬の肉は喰えるって言ったやつ。
そんなことを思いながら前を見ると、黒犬はダラダラと血が流れる後ろ足を庇いながらも立っていた。
四足歩行のままで、こちらを見ていた。
やりやがったな
そんなことを言いたげな、憎いものを見るような目で。
いける。
後ろ足を庇っているんだ、さっきみたいな速さはない。
距離を取りながら、後ろの茂みに飛び込む。
パーフェクト、ノープロブレム!
痛みが麻痺して、頭の方が少々おかしくなったと感じながら、俺は立ち上がって走り出した。
足首を怪我したからか、いつものペースでは走れなかったが、目的の茂みはもう目の前だ。
飛び込む寸前、視界の端で黒犬が急ブレーキで止まるのが見えた。
何でだ?と考えたのは1秒
あぁ、なるほど。と理解したのも1秒
茂みの先は、崖っぷちだった。
眼下に広がるのは、大きな川。
あー、死んだな、俺。
そんな事を思いながら、俺は水面に叩きつけられた。