不穏の芽とはつかず離れずの距離が良い
恐らく、彼は俺達のことを知らないだろう。面と向かって顔を合わせたことはないし、話したこともない。彼は俺とゼノン、ラヴィがクナッススの学院に入ったとき、冒険者コースの首席だと紹介されていた男だ。俺達よりも先に学院を卒業しているので、俺も顔を見たのはその時だけだった。
「確かに僕はラムダだが、君は?」
「やっぱりか。俺はシルヴァー。そっちは知らないかもしれないが、クナッススの学院にいたんだ」
「へぇ。同期……ではなさそうだが」
「ああ。俺が入ったとき、そっちは冒険者コースの首席だと紹介されていたな」
「なるほど後輩か。あの学院じゃ接点なんてほぼないから知らないわけだ……で? それがどうしてうちの二人を攻撃することになるんだ?」
ラムダはいつでも剣を抜ける体勢になっている。俺に対して酷く警戒している。まぁ、仲間が不当に攻撃されたと思っていればおかしくもない。
「俺が行ったのは正当防衛だ。先に手を出してきたのはそっちの娘の方だぞ」
「何だと……?」
納得はいっていないようで、顔を顰めて俺を睨みつけるラムダ。
だが、俺だって自分の言葉を翻すつもりはない。
「斬られたか? シルヴァー」
「もう、何言っているのヨシズさん。冗談言っている場合じゃないでしょう。シルヴァーさん! 大丈夫? 加勢した方が良いかしら」
流石にまずいと思ったのか、ヨシズとラヴィが駆けつけてきた。
遅い、と思いつつも俺は特に怒るつもりは無い。帽子の娘が謎のスペル使いだとか、それを知られたと見るや襲いかかって来るとは思わないし、俺がどうにも出来ない相手だとも思わなかったのだろう。
「ああ、大丈夫だ。だが、対応をどうするかは悩みどころだぞ」
「具体的には、何があったんだ?」
ヨシズからもそう聞かれて俺はここまでのことをラムダにもわかるように順を追って説明する。
まず、ここに着いたとき紺色の少女から『馬が怯えるからストルートを近付けないでくれ』と言われた。
なので、この野営地の反対側で休憩していたところ、放していたコーレが何を思ったか帽子の少女のところへ駆けていってしまった。
慌てて止めようとするも間に合わず、コーレは帽子の少女に近づく。
帽子の少女はそんなコーレに何かを感じたか、俺が聞き取れないスペルを使う。その効果は思いがけないもので、枯渇しかけていたコーレの魔力が全快したのだ。
驚いた俺に気づいた少女も固まった。
その時、紺の少女が殺気立ち、俺は斬りかかられたので応戦。殺意には殺意を、容赦はいらないと判断して本気を出そうとしたところ、帽子の少女がまたスペルを使い、俺は吹き飛ばされた。
「……で、もう一戦かというところでラムダが来た、という流れだな」
「ミル、それは間違いないか?」
とりあえずラムダは中立の立場として俺の言葉を特に遮ることなく聞いたあと、背に庇った紺の少女に尋ねる。
「うん……だけどっ、ユゥの力は知られちゃだめだって!」
「それはそうなんだけどな……。見たやつを始末するにも注意がいるんだよ」
ラムダは額を押さえ一度天を仰ぐと、紺の少女に向けて窘めるようにそう言った。
いやいやちょっと待て、と俺は思う。
始末するって……違うだろう?
「随分と物騒なことを言うものだな」
「あー……はっはっは」
「ははは……で、真面目に言うが、もし本気で俺を殺す気なら俺だって考えがあるからな」
笑って誤魔化せるとか思うなよ。
そういう気持ちを込めて俺はラムダをじとっと見る。
「いや、流石にもうそれは無理だろうから考えていない。ただ、そうだな……まずはミルの対応について謝罪を。混乱していたとはいえ、正面から殺しにかかったのは良くないことだった。すまなかった。この通りだ」
ラムダはそう言って俺に頭を下げる。ミルと呼ばれた紺色の少女も不承不承ながらも同じようにして頭を下げていた。
ところどころ突きたい要素はあるのだが、ひとまずは気にしないでおくことにする。
「だが、はいそうですかと許すわけにはいかない。何しろ、はっきりと殺されかけたんだからな」
ただ、この件の落としどころも正直、分からなかったりする。
どうしよう? という気持ちで俺はラヴィとヨシズを見た。こういう交渉事みたいなのはやはり俺は苦手だ。
「まぁ、無難に金銭かそれに類するもの、あとは情報とかじゃないかしら」
「情報か……」
俺はちらりと帽子の少女の方を見てしまう。欲しい情報というと、やはりこの少女が使ったスペルだろう。
「一応言っておくが、身長、体重……女性のパーソナルデータを求める時は慎重にな」
「おい、俺をなんだと思っているんだ……」
「だって変な目で見たじゃない、ユゥを」
「そうなの? シルヴァーさん」
「どこがだ。そういう意図は一切! ない!」
はっきり言っておく。
というか、なぜ急に俺に矛先が向かっているのだろうか。
「……はぁ、ラムダ、情報をもらおう」
「情報か」
「ああ、うちのコーレの魔力を全快させたあのスペルの使い方をな」
俺がそう言えば、ラムダは苦い顔をする。
やはり、話せない類の情報か。聞いたことが無いからな。だからこそ、情報としての価値も高いのだが。
「それは話せない」
「なぜ」
「言ったら最後、君たちも巻き込まれるからだ。魔力を全快させるスペルなんて聞いたこともないはずだ。そこにはそれ相応の理由があるのは当然のことだろう?」
「よほど危険なことでもしているのか」
「いや、希少だから狙われるんだ。危険なことをしているわけじゃない」
思わず呟いただけだったが、ラムダは律儀にもそう返してきた。
これは、もしかして……と、俺はラヴィ、ヨシズと視線を交わす。
「確かに、魔力を回復させるって聞いたことがないものね。希少なのは間違いないわ。……そのスペルを使える人はやっぱり少ないのかしら」
「さてな。ユゥ以外には聞いたことが無い。もしかしたらスペルの最高峰、教国へ行けば使用者が見つかるかもしれないけど」
それは可能性としては薄いだろうと俺たちは分かっている。
「教国に行ってもそんなスペルを使える人と会えることはないだろうな。ただ、珍しいスペルを使える人は教国では重用されることだろう」
教皇の奥方がスペル使いだというのは有名だ。その人に興味を持ってもらえれば安心だろう。まぁ、多少ハードに働かされる羽目になる可能性もあるが。
「でも、魔力を使って魔力を回復させるって……どういう理屈かしら。ねぇ、そのスペルは自分にも使えるの?」
「おい、ラヴィ……」
「あ、間違えたわ。ええと……自分の魔力を回復させられるなら魔法も魔力残量の計算をしなくて良いから楽よね」
「あのスペルは自分にはかけられないんですよ、お姉さん」
「おい、ユゥ……」
ラムダが何か言おうとしたところ、横から先にユゥと呼ばれた帽子の少女がにこにことそう言う。
それを聞いて、ラムダは少女の方を軽く睨んでいた。
「これくらいなら大丈夫よ、ラムダ。でも言えるのはあとほんの少しだけね。……あのね、お姉さん。私のスペルは後天的に得たものなんですよ。もし危険を覚悟できるなら、この国の“聖人信仰”を調べてみてください。そうすれば、きっとわかるはずです」
聖人信仰? 新しい情報だ。
「聖人信仰なんて聞いたことが無いが……」
「それも含めて、ですね。ただ、あまり知りすぎると危険でもありますから、気を付けてくださいね……ごめん、ラムダ。本当に限界……」
「ユゥ!」
ユゥは突然力なく倒れ込んでしまった。力ない彼女の体を受け止め、ラムダは俺たちの方を厳しい顔で見る。
「あまり話すとユゥに障りがあるんだ。これ以上は聞いてくれるな。それと、この先の街や都市でこのことを誰かに話すのもお勧めしない。完全に巻き込まれないようにうまく立ち回るんだな」
「ああ。……確かにそちらの事情には巻き込まれない方が良さそうだ。俺たちはラムダ達とは会わなかった。それでいいんだな?」
「まぁ、おそらくは。今までに現れている“聖人”の変なのに当たらなければ大丈夫だろう」
「何だその不吉な……」
こういうときの、そういう言葉は予言のように感じてしまうのは俺だけだろうか。陰謀めいたものに巻き込まれることだけは避けたいものだ。