幻獣さんの青空飛行教室
俺達がひとしきり泉の清涼な空気を楽しんだところで、緑の鳥がグリルとコーレの前に降り立った。手綱から解放された2羽はとりあえず泉の水を飲み、グッと体を小さくさせたところだった。
《へぇ、面白い能力を持っているんだね》
ビャッ
今の大きさはちょうど緑の鳥と同じくらいだ。俺の腰くらいだから、頭に手を置いて撫でるのに丁度良い具合だな。
俺は近くに寄ってきたグリルを撫でる。
「ストルートの変異種だからな。グリルとコーレは多分血が繋がっているから能力も同じなのだろう。適性も同じになるかもしれないな」
《うーん……そうなのかな? まぁ、その辺りは魔法を覚えるに当たってあまり関係ないはずだし、空を飛ぶ適性は本当に個々で違うからね》
鳥だったら空を飛ぶ本能くらい備わっていて欲しいが、種族がストルートであるという一点がそれも怪しいかもしれないと思わせる。
「空を飛ぶ魔法……飛行魔法と言っても語弊はないのか? 浮遊とは違うんだろう」
《そうだね。空を思いのままに飛ぶための魔法だから、飛行魔法と言っても差し支えないだろうさ》
「その飛行魔法! 私、すっごく気になっているのよ」
俺の隣に陣取っていたラヴィが両手を組み、夢見る乙女のような顔で緑の鳥を見ていた。やはり、彼女は魔法に関するものに対して貪欲というか、食いつきが良い。そのキラキラした視線がよりによって緑の鳥に向いていることにもやもやとしたものが沸き上がるが、理由も気持ちも分かるので文句も言えなかった。
それに飛行魔法が気になっているのは何もラヴィだけではない。
俺の周りにはいつの間にか全員が集合していた。
「空を自由に飛べたらもっと難所にも行けそうだよね」
「オレ達は充分難所を経験している気がするけどなぁ……聞くところによるとこの先の公国はもっと険しいところもあるっぽいから役立つだろ」
ゼノンとヨシズが積極的な姿勢を見せている。公国は基本的に厳しい環境で冒険者としての力量が問われる。エフラヴァーンは幻獣の力に寄るのか安定した自然が広がっているのでわりとのんびり出来るのだが、他は違うのだ。
「我々も、使えるものは使えるようになっておいた方が良さそうですね」
「ねぇ、フリオ。それって風の適性が強い私に言っているわよね?」
「まぁ……私は氏族としても空には縁が無いでしょうから」
「ああ、土の適性が強い者は地に足の着いた生き方をするとかいう……転じて高所恐怖症になりやすいとか浮遊事故を起こしやすくなる、だったか。迷信だろ、あれ。適性は個々で違うとか言っていたし、分からないぞ?」
「そうよ。もしそっちが適性があるとかなったら飛べるまであたたか~く見ていてあげるわね。始めからそういう考えしていると絶対苦労するもの!」
「適性があったら、習得が早いのは絶対にマリナだからな。普通に高みの見物ができそうだ」
イェーオリ達も興味を持っているようだ。ただ、彼等の間でしか通じない話題で何やら楽しそうにしている。飛行魔法への期待は意外と高そうだ。
「あー、参加者が多いが大丈夫か?」
《もちろん。飛ぶ為にはどうせ本人の努力、魔力、それと勘が必要だからね》
誰もが使える魔法ではないという。緑の鳥は続けて、その飛行魔法の適性があるかどうかを判定する方法を教えてくれた。
《今からこちらからそれぞれに飛行魔法をかける。それで浮いたら適性があるとみなすんだ》
「浮かなかったら?」
《適正なし。空を飛ぶのは別の方法を考えるんだね》
“別の方法”については緑の鳥から言えることは何もないようだ。手探りで方法を考えるしかないのだろう。できれば、問題なく飛行魔法の適性があって欲しい。先ほどの緑の鳥の言葉を考えると、飛行魔法はそもそも適性がないと人にかけても効果が無いということだからだ。
《じゃあ、かけるとしよう――》
その瞬間、緑の鳥の目がじわりと光った気がした。
だが俺の意識はすぐに別のものに持っていかれる。
ビャッ
ピャー
短く鳴いたのがグリル、間抜けな音を零したのがコーレだ。2羽とも雲に持ち上げられたかのようにふんわりと浮かんだ。
そして、浮かんだのは鳥だけではなかった。
「わ、わぁ……」
「おぉっと」
驚いた拍子に体勢を崩したのか、ティリー、イェーオリがわたわたと宙でもがいている。悠々と浮かんでいるのはゼノンとヨシズ、シルキーにマリナ、そしてベンリーとオルガだった。ライスも意外と余裕がありそうだな。ティリーの様子を見て心配でもしたのか近寄ろうとしているようだ。フリオは……あれは、そうだな思考が飛んで彫像のようになっているのだろう。直立不動で浮かんでいる。ひょっとしたらこの中で一番適性があるのかもしれない。
「どうして……っ!」
俺の隣でラヴィが両手膝を地面について嘆きの感情がこもった一言を零す。今は耳も力なく垂れてしまっていた。
この中で一番飛行魔法を楽しみにしていたのは誰かと言えば、間違いなくラヴィだ。
「ラ、ラヴィ……俺やロウも飛べない仲間みたいだから」
「だから何よ! こんなの仲間が居たって嬉しくないわ!」
「お、おぅ……」
嘆いていたと思ったのだが予想外に怒りのこもった目を向けられて掴みかかられてしまう。
そう、彼女はせっかく楽しみにしていた飛行魔法の適性がなかった。その場で跳んでも跳ねても地面に引き戻されてしまうのがその証拠だ。そしてそれはラヴィだけではなく、俺とアル、ロウも適正なし組だった。
一人だけ適正なしだったわけでもないのだからと慰めようと思ったが方向性を間違えたようだ。今は彼女が飛行魔法にかけていた期待、そしてそれが潰された絶望について思いの丈をぶつけられているところだった。
思わず後退るがラヴィはそれを埋めるように踏み込んできて俺の胸ぐらをつかみ捲し立てる。
誰か助けてくれと周りを見回すが、誰一人として視線を合わせない。薄情な奴らだ。
《さて、それじゃあ飛行魔法の授業を始めようか》
「ほ、ほらラヴィ、飛行魔法の説明が始まるようだぞ。(使えないにしても)聞いておけば何か閃くかもしれないし、どうだ?」
「……そうね。私は私で空を飛んでやるんだから!」
涙のにじむ絶望の表情を一転させ、何かを決意した顔になったラヴィは俺をいらなくなったゴミのように捨てると緑の鳥のそばに寄る。ほんの少し悲しくなった俺はその場に立ち止まりそっと自分の襟元を整えてからラヴィを追うように緑の鳥の近くへ向かった。
《飛行魔法は普通の魔法とは違って言葉による起動を必要としないものさ。必要なのは空をどう飛ぶかという認識と理解と魔力で――元から飛べる鳥は勘で飛べ。飛べない種族はまず自分は飛べるのだと“勘違い”することからかな》
初っ端から意味の分からない説明と指示が飛んでいた。
この緑の鳥、自分から教えるといったわりには雑だぞ。このような指導で果たしてゼノン達は飛行魔法を手に入れられるのだろうか――。
《さて、そっちの鳥達は追加で別のメニューもこなしてもらわないとね》
緑の鳥が見据えたのはグリルとコーレだ。どちらも無意味に羽ばたいたりして飛ぼうとしているようではあったが、大して動けていなかった。そこへ緑の鳥が魔法を使い、風が2羽へ吹き付ける。
ビャッ!
ビャー!
抗議のような鳴き声を上げる2羽。これは一体どういった意図があるのだろうかと俺は考えて……風にいろいろな属性が交じり出したのを見て何となく理解した。恐らく、グリルとコーレの適性魔法の確認と本能の刺激を行っているのだ。グリルの頭に雷の魔力が命中し、コーレの頭に水の魔力が当たったとき、2羽の意識に明確な敵意が浮かび魔力を察知するとそれに対応し始めたのだ。グリルは風を、コーレは火を使って魔力を打ち消していく。
《まぁ、こんな風に時々遊んであげればこれくらいの雛だったらすぐに上達するはずだよ》
「なるほど。そう難しいことでもないから俺達でもできそうだな。飛行魔法以外は」
俺はそう言ってちらりとラヴィを見てしまう。
今のところ、彼女は真剣な顔をして宙に浮いている面々を見ている。
《飛行魔法はコツが掴めればすぐだけれどね。君達のようにそもそも適性がないと無理だけど。できればこの場所で掴んでもらえればとは思うけれど》
緑の鳥は続く言葉を濁した。
ここは、俺が本来続いたであろう言葉をはっきりと言おうじゃないか。
「無理だろ。良く言ってひっくり返された亀か吊された蜘蛛とかか? そんな状況じゃ」
動いているのは手足くらい。その様子を見ていると思い浮かぶのは今言った二つだ。
「シルヴァー! お前なぁ、ちっとも良く言っていねぇ!」
「悪意しかない気がするんだけど」
「この難しさを知らないからこそ言えることですね」
ひっくり返された亀のようになっているイェーオリが叫び抗議し、ゼノンは乾いた笑いで、フリオは真顔で俺を向いて言う。俺の無理解な言葉が気に障ったのだろう。だがな……。
「実際、分かりようがないからな。ほら、見てみろこの抜群の安定感」
バッと空に向けて両腕を広げて地面にしっかりついている足を見せる俺。
特に、悪意も僻みもないぞ。