帰還:ハタの町1
ロータルガードを出発しておよそ三時間を経てハタの町にやって来た。行きに見た時とは違い、どことなく緊張した空気が漂っている。何かあったのだろうか。
「……ハタの町にようこそ。悪いが見ての通り皆ピリピリしているんでね。大した用事が無ければさっさと出発する方が良いと思うぞ。ギルドカードは持っているか?」
この空気の理由を問う前に壮年の門番がうんざりしたように言ってきた。どれだけ長い間この重苦しい空気になっているのだろうか。
「ギルドカードはこれだ」
「……うん、パーティを組んでいない者がいるようだが? そいつの身分証明は出来るか?」
本人を出すのはここでもまずいだろうか。俺は少し考える。
「あー、それなのだが、他言無用でお願い出来るか? 領主には話しても構わないから」
「ふむ。まぁ、それが誰かにもよるが。分かった、俺が衛兵隊長だから箝口令を敷くのは簡単だ。……一体誰なんだ。犯罪者で無ければ普通に通れるからあまり心配しなくて良い」
目の前のこの人物がまさかの衛兵隊長。どうしてそんな人が門番をやっているんだ? そういえば門番は最低でも二人組でやるそうだが、彼以外には誰もいないな。サボりか?
「犯罪者じゃないな。むしろ真逆の英雄的な人だ。……ニットーさんだ」
「ほうほう……もう一度、言ってもらえるか?」
突発的な難聴は止めてくれ。信じられない気持ちは分かるが。……やはりニットーさんのギルドカードを提示した方が早かったか?
「ニットーさんが後ろにいるんだ」
親指で馬車の方を指す。
「なるほどな。それで他言無用か。やはりギルドカードと本人を確認させてくれ。悪いな」
「いや、当然のことだろう。だが、頼むから騒ぎにしないでくれよ」
馬車に合図してニットーさんに顔を出してもらう。……あ、女装させたままか、マサカ。
「お、おい!? あれが彼なのか!?」
俺の首元を持ってガックンガックンと揺さぶってくる衛兵隊長。
「あ、ああそうだ。悪ぃ、道中ふざけていてそのままだった。とりあえずカードの確認を頼む。ゼノン! 化粧は落とせるか?」
「……いや、結構だ。よく見れば彼だった」
俺達は慌ててゴツイ姐さんバージョンのニットーさんを浄化しようとしていたのだが、カードを確認し終えた衛兵隊長がマジマジと姐さんを見て、よく見ればニットーさんだったと言ってくれた。おかげで化粧を落とすことも女装を脱ぐ必要もなくなった。ニットーさんだけはがっくりと打ちひしがれていたが。ここで普段通りに戻れなかったからもう宿まで女装のままだからだ。つまり、姐さんバージョンを目撃する人が増える可能性がある。ご愁傷様、だな。
「……イーサ! 領主を引っ張り出しておいてくれ! 重要なお客さんだ! それと西の奴はいるか!? 俺の代わりに門番を務めろ!」
「「「了解しました!」」」
やはりニットーさんの帰還は重要らしい。衛兵隊長はさっさと指示を出して俺達の馬車を先導する位置にいた。
「どういうことだ?」
「とりあえず領主の所まで案内する。ニットーさんが帰ってきたということは南方がある程度落ち着いたのだろう? ここはその報がないままだったから私兵を編成していたんだ。それがこの重々しい空気につながっている」
で、ニットーさんが帰ってきたので命を賭けた悲壮な覚悟は必要なくなったと言えるのか。
「俺達もあそこから帰ってきたわけだが、まだ支援は必要そうだったぞ。詳しいことを言う訳にはいかないが……俺の一存ではな」
「ああ、だが特攻部隊と名乗りを上げて無理矢理に士気を上げることはしなくていいだろう。生還率が上がったという情報だけでも広めることが出来れば彼等のためになる。兵として向かう家族を抱えた人達の消耗が激しくてな。見ていられないんだ」
「……そうか」
南方もギリギリだったがこちらも精神的にギリギリだったようだ。しかし、南方の状況が収束状態にあるという話を広めたところでニットーさんのことを話さずにいられるだろうか。目を逸らさせる旗が必要になりそうだが……俺が考えても浮かびそうに無いな。まぁ、あの口が回りそうな領主なら何とかしてくれるだろう。こういう駆け引きは他力本願でいい。俺が手を出せる分野ではない。
「ここが領主の屋敷だ。見張りもいないのは人手不足でな。まぁ、町民全体が領主の守りにつける場所にいるからどうとでもなるからな。……おぉーい! ベネディクト! 客人だぞ-!」
「お、おい、そんな大声出すと」
「大丈夫だ。この門に見張りがいなくなってからずっとこうしているから。住民も慣れている。というか、一度こうして断っておかないと入れないんだよ。領主自身がいれば別だがな」
衛兵隊長のあの叫びによって俺達は領主の屋敷に入れるようになったということだ。前回は領主がいたから叫ぶなどと言った行程はなかったのか。
「馬車を置く場所はあるのか?」
「ああ、もちろんだ。馬車を置いて、出来れば全員来てもらいたいが……」
「大丈夫だろう。失礼かもしれないが馬車に盗難防止対策もさせてもらうが」
「いや、そんなのは失礼でも何でもないぞ。こんな無防備に見える屋敷では当然の処置だ」
そして、馬車にかけた魔法陣に驚かれるという過程を経てから俺達は領主ベネディクトの執務室前までやって来た。さらに念を入れてアルを番犬代わりに置いてきた。問題は無いはずだ。
屋敷内で、今回は誰にも遭遇しなかったわけではなかった。一瞬ゾンビと見間違えるようなやつれ具合の文官が一人俺達に挨拶してくれた。少し身構えてしまったのは失礼だっただろうか。
「これで領政が回っているのだからすごいな。彼等の尽力にもよるものか」
「そうだな。あれを見てしまうと正直衛兵隊長ってかなり楽な役職だと思ったぞ。……さて、ここが執務室だ。入るぞ、ベネディクト」
ノックして返事を待たずにドアを開け放つ。こんな傍若無人な行動をしていいのだろうか。
「……まったく、返事を聞いてからドアを開けてほしいものです、兄様。ところで、重要な客人とは……!? シルヴァーさんではありませんか。進展があったのですね? さぁ、どうぞ座ってください」
「ああ。大進展だ。……この人は兄、なのか?」
「はい、その通り不肖の兄です。それよりも、南方の状況に進展があったとは、それは素晴らしいことですな、ハイ。後ろの方々はパーティメンバーですね? ……一人毛色の違う方がいらっしゃるようですが」
姐さんを見て一瞬固まったが再起動は早かった。しかし、直視は出来ないらしく、視線は少しズレていた。それだとニット-さんだと分からないぞ。
「ええと……南方の様子を聞きたいですね。どのような様子だったのでしょうか」
「かなり大規模なスタンピードが起こっていたな。対応を間違えるとおそらくすぐに死ぬことになっただろう……」
俺は南方で起こったことを簡単に話した。そして、ニットーさんの話題になるとベネディクトの顔は次第に明るくなっていった。
「ニットー殿が無事でしたか! ああ、それは良かったです。……彼はともに来ていないのですか? 姿が見えないようですが」
……ダメだ、笑いそうで話せない。出来れば自分で気付いてもらいたかった。
「その……毛色が違う一人がニットーさんだ。道中に少し遊びすぎてな」
ゼノン、ラヴィが笑い声を押さえられなくなっている。限界を超えたか。ヨシズはまだ頑張っている。俺も耐えている。しかし、腹筋が……。
ベネディクトはマジマジと『毛色の違う一人』を見る。その様子は衛兵隊長と同じだったので兄弟だなと感心した。そして、兄弟らしく同じように姐さんがニットーさんだと納得したらしい。
「確かによく見ればニットー殿ですね。失礼しました」
「いや、分からなくても仕方ないと思う。正直に言うと分かってもらいたくなかった……」
ニットーさんの目から光が消えている。流石に悪いことをしたかと罪悪感が湧いてくるな。
「ああ、確かにそうかもしれませんね、ハイ。……もし時間に余裕があればこの町に一日ほど逗留してもらいたいのですが、可能でしょうか?」
「それは町民の醸し出している重い空気をどうにかするためか?」
「そうなりますね。南方の支援に兵を送る予定こそ変えることは出来ませんが、悲壮な覚悟をしなくても良くなったことくらいは示したいと思ってるのですよ」
「それは必要だと思うが、ニットーさんのことは言わないでもらいたい」
それはベネディクトも分かっていたらしく、残念ですと言いながらもニットーさんのことは話さないと誓ってくれた。他にもやりようがあるそうだ。
「準備のために一日……欲を言えば二日この屋敷に泊まってください。ニットー殿もその格好は動きづらいでしょう。シルヴァーさん、追加の報酬はギルドを通して受け取ってください。それと、皆様方に服を贈らせていただきます。それもこの町の空気を変える材料にしますので、採寸に付き合っていただけると幸いです、ハイ」
「まぁ、二日くらいなら大丈夫だろう」
……それにしても、一から服を作るのだろうか? 一日二日滞在するだけで何とかなるのか?
少し疑問を抱いたが、流れのままに何故かいた領主家専属のお針子に採寸され、泊まる部屋に案内されて気付いたら就寝準備が整っていた。
流されすぎにもほどがあるだろう、俺。ちなみに夕食が豪勢だった記憶はあるがテーブルマナー云々を考えてしまい味は大して覚えていない。もったいないことをしたな。それと驚いたことに部屋の一つ一つに風呂がついていた。……入ったのだろうが記憶から消去した。何が起こったのかは想像にお任せする。
ただ一つ言えるのは……メイドさんの職分って広すぎるだろう、ということだ。
暗黒ベネディクトの企み
シルヴァーさん達は本当に良いタイミングでこちらに来てくれたものです。フフフフフ……笑いが止まりません。
数日前から私兵の再編を民に提示し、かなりの非難を受けました。未だに南方の状況が改善したという報告が来ていないので仕方ないのですが、ここで食い止めないと我が町も魔獣の脅威にさらされることになってしまいます。長い目で見ての決断でした。
しかし、当然のことながら町の空気は悪くなりました。そして仕事も増えていく一方で……正直に言うともうハタの町も限界かもしれないと思ってしまいましたね、ハイ。
そんなとき、我が兄様に連れられて希望の光が舞い戻ってきたのです。言わずとも知れているでしょうが、シルヴァーさん一行のことです。ニット-殿もいて、あまりの衝撃に心臓が止まるかと思いましたね。まぁそれは置いておくとして、彼等はまさしく町民の士気を上げる素材でしょう。
ニットー殿の情報は秘めておかねばならないそうですし、ならば素材を加工して装飾して、どうにかそれらしく見せてしまえば良いですよね。(ニッコリ)
彼等が私の企みに気付いて回避してしまわないように過剰なもてなしをして思考能力を失わせてしまえと指示したのは秘密です。
「おい、ベネディクト。一人百面相しているところ悪いが、聞きたいことがある。彼等を目立たせてしまって大丈夫なのか? 特にあのリーダーは虎人族だぞ」
「別に大丈夫でしょう。相当な力量があるようですし、私は彼に期待しているのですよ。別に帝都の老害が彼に手を出してコテンパンにされてしまえばいいとか思っていませんからね」
「いや、がっつり思っているだろう。俺としてはむしろニットーさんの方が期待出来ると思う」
「……彼の精神力がもてば、ですがね」
「なんだその不穏な言葉は……」