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妖使いのはがゆさ  作者: 雪月葉
巡る小ヘビと回る外道
9/30

巳の七

「し、死ぬかと思った……」

 帰り道、河川敷を歩きながらさっきの三階からのダイブを思い出す。

 運良く木に引っかかったからよかったものを、もしそのまま地面に叩きつけられていたらと思うと……

「ぶるる! 危なかったなぁ」

 グチャグチャに潰れたトマトを思い浮かべ、その思考を消し去るために頭を横に振る。これ以上余計な事を考えるとミートソースが食べられなくなってしまう。

「さて、と……どうするかなー。家に帰ると貞操の危機、かといってゲーセンに行く金もなし、と。……いっそバイトでもするか?」

 確か先週、コンビニのバイトでもやろうと履歴書持っていったんだよな。んで、店長が出て来て唾を吐きながら履歴書を燃やすという暴挙が……

「バイトは……無理だ、絶対」

 足下に落ちていた小石を蹴り飛ばし、俺は川へと目を移す。まだ日も高く、そよそよと揺れる若草の絨毯が視界に入った。

 川原でピクニックよろしく楽しそうに数人の子供が遊んでいる。お母さま方はベンチに座りながら雑談に余念がなく、同じくベンチに座りながら遠い目をしているバーコード頭のおっさん。うん、不況怖い。

「ふぁあ、こういうの見てると眠くなるなぁ……俺もどっか人のいないとこ探して一眠りしようかな」

 絶対条件に人がいない、をつける理由は至極簡単。俺が寝ているところに人が来ると必ずと言っていいほど、油性ペンで落書きしてくる奴がいるからだ。油性は落ちにくいってのに。

「………………」

 しばらく足を動かし、川の上流へと寝床を探しに行く。途中、異様な光景が見えた気がしたが……気のせいだ!

「…………無視は、無理か。何か向こうからロックオンされてるし」

 ため息を吐くのも億劫ではあるが、一応やっておこう。

「はぁ」

 ため息の後、俺は生い茂る雑草を踏みしめながら川原へと降り、そのまま川の水が触れる場所まで移動する。

「おっす」

 そんでもって片手を上げ、冷たい水に足を浸している少女へとそう言った。

「唯火……早かったのー。学校はサボリか、のー?」

「あー、まあその通りです。だって先生まで虐めるんだぜ?」

「ああ、つまり唯火はその寂しさをみの体で癒やしたいわけか、のー。みはいつでもオッケー濡れ濡れだのー」

 身をくねらせながら何故かブルマ姿の真水がお決まりの返事をした。やや湿った髪が垂れていて、お淑やかそうな雰囲気を醸し出している。あくまで雰囲気なだけなのだが……何故か着ている服までもがびしょ濡れで、うっすらと透けた体操服にはピンク色のぽっちが二つ。

「その発言におけるツッコミは置いておくとして、何でそんなびしょ濡れなんだ?」

「よくわかったのー。確かにみのあそこは未だかつてないほどのびしょびしょ……」

 手を下半身に当て熱っぽい視線を向けている。

「そっちじゃねぇえええ! 違くて、服の事! ってか何故に体操服でブルマ?」

「何だ、そっちか……のー」

「それ以外に何があると!?」

「…………言っていいのー?」

「ごめんなさい!」

 愉快そうに口元を歪めた性悪幼女は俺の丁度足下に置いてあるバケツを指差した。

「何だ、これ?」

「見てみるといいのー」

 覗き込むようにバケツの中を見ると、そこには水を泳ぐ数匹の魚がいた。恐らくこの川に住む魚介類さんなのだろう。

「えっ? 何、まさかこれ取るために川に?」

「そうだのー。唯火の財布は金が全然入ってないから大変のー。仕方ないから調達する事にしたのー」

「ちなみにどうやって取ったの?」

「こう、舌で絡め捕って、のー。感謝しやがれ……のー」

 長い舌を俺の首に巻き付けながら真水は少し楽しそうに俺を見つめた。

「…………ぅ」

「ん、どうしたのー?」

「ゆ、唯火くんの真水ちゃん好き好き度が一ランクアップ!!」

 ノットロリの葛藤を振り払い、俺は真水に抱きつき頭を乱暴になでながらそう叫んだ。

 だってわざわざ俺のためにここまでしてくれたんだぞ? そりゃまあ、好感度が上がっても仕方ないと思う。

「い、いきなり何、のー?」

「うぅ、ごめんよ真水ぅ……俺っちの稼ぎが少ねぇばっかりに苦労かけちまってよ。全部俺を雇わないバイト先が悪いんだ!」

「言いたい事はいくつかあるけど、とりあえず自分が悪いと言わないのは流石なのー」

 腕の中からいつもの無表情より若干嬉しそうな声を上げる真水。どうやら満更でもないようなのでもう少しなでていたい衝動に駆られる。何かめんこいし……って、いかん、毒されてる!?

 いつまでも抱きついていたい衝動をなんとか押し留め、腕の中から真水を開放する。彼女から一歩離れ、その格好を再度確認した。

 やっぱりブルマだ。ご丁寧に胸元の名札にはひらがなで、まみず、と書かれている。

「……濡れてる理由はわかったけどさ。何で体操服なんだ?」

「体を使う時には体操服が一番と街頭調査で……」

「どこの街頭でそんな調査したんだよ!?」

 少なくとも近所の商店街は関係ないと信じたい。割と紳士な方が多いため、心配ではあるんだけど。

「水着にしようかとも思ったんだけど、それより濡れた体操服のがエロいかな、と……のー」

「それは好みの問題! ちなみに俺は両方オッケー!」

「ほう……いい事聞いたのー」

「ああっ! つい本音が口から外へ!?」

「まあ、唯火は放っておいて、のー」

 頭を抱える俺を無視し、おもむろにに体操服へと手をかける。そして一切の躊躇いなく──

「よいしょ、のー」

 脱ぎ捨てたのだった。

「うぇええっ!?」

 突然の出来事に変な声が出た。そしてさらに、

「下も邪魔、のー」

「ごぶぅっ!?」

 ブルマすらも脱ぎ捨てる始末。一瞬で露わになった白い肌。下着の類は穿いていなかったようで、デルタゾーンが見えた……気がした。いや、寸前に手で顔を覆ったから完璧に見た訳じゃないよ?

「ま、ま、真水さん? 何であなたは全裸になってやがるのでせうか?」

「とりあえず唯火に見せるという目的は果たしたからもう着てる必要はないのー。ついでに言うとびしょびしょでちょっと気持ち悪いし、のー」

 まあ、分からないでもない。確かに服が濡れると体に吸い付くので気持ち悪いかもしれないのだが、それでも目の前に男がいるんだしいきなり脱がないで頂きたい。

 ……役得と思わなくもないけど。

「じゃあ、みは少し泳いでくるから待ってろ、のー。後で買い物も行きたいし、付き合えのー」

「お、おーけー……」

 俺の存在など気にした様子もなく、真水は川に潜って行った。

「あれは俺を男として見ていないのか、もしくは人前で肌を晒す事に何の恥ずかしさを感じていないのか……まあ、恐らく後者なんだろうなぁ」

 真水にとって人の視線や感情なんてあんまり気にする対象ではないのだろう。羞恥心がない、というよりも、人が本来持つ羞恥心に真水が当てはまらないだけなのかもしれない。

「見た感じ人嫌いというか、信じようとしないというか……」

 あくまでも見た感じではあるのだが……しかし、恥ずかしがってくれないと困るな。

「野外プレイの醍醐味は羞恥に染まった表情が醍醐味なのだ! 淡々とこなすプレイは最早プレイにあらず!」

 まあ、真水とそういう関係になる気はさらさらないけれど。あれでもう十歳程外見年齢があれば別として。それにしても……。

「水に潜ってかれこれ五分……もしかして、溺れてるとか?はっはっはっ、まさかねぇ?」

 水の流れる音だけが響く川を見て、不安に思う。

 うん、本当にまさかね?


 …………。


「うぉおおおお! 真水さん何してんのー!?」

 上着を脱ぎ捨て、俺は一気に川へと飛び込んだ。

 俺はこの時、真水が水妖である事をすっかり失念していたのであった。


 ********



「ぶえっくしょーい!」

 そろそろ空が茜色になりそうな時間帯、商店街に俺のくしゃみが響いた。

 いつもの簡単な服装に身を包み、隣には白いワンピースを着た真水が歩いている。俺たちの共通点としては、両者共に髪がしっとりと濡れているという点だろう。ついでに真水は肌も少し濡れている。そういう仕様なのだそうだ。

「唯火は馬鹿、のー? そもそも妖で、しかも水妖のみが溺れるわけないのー」

「そーですねー。仕方ないだろ、忘れてたんだから。まったく、心配して損した」

「心配、したのかのー?」

「うっ……」

 ジッ、と上目づかいで聞いて来る真水の姿に、言葉に詰まりながらもなんとか話題を逸らすことに成功した。

「んで、結局何を買いに来たんだっけ?」

「とりあえず……まずは八百屋から行くのー」

 今の俺は付き添い兼荷物持ちだ。俺が品物を買うともれなく二倍サービスとなるので、買い物自体は真水に任せる事にしてある。我ながら妥当な判断だ。

「八百屋かぁ……あの親父、この前だかにしなびた大根の葉っぱを三百円で売りやがったな、確か」

「それ高すぎ、のー。だから財布にあれだけしか入らないのー」

 至極最もである。だがしかし、これはある意味仕方ないと思うのだ。本当に、この体質だけは何とかして欲しい。現に今だって……。

「唯火、のー?」

「ん、何だ?」

「痛くないのかのー?」

「あははは、痛くはないけど気持ち悪いかな」

 さっきから卵が頭にバシバシと直撃していたりする。俺はそれをハンカチで拭いながら足下の石を拾い上げ、卵を投げてくるババーズに力一杯投げつける。

「うがー! 誰だ腐った卵投げやがったのは!」

「うぇ……すごい臭いだのー」

 卵の中に腐ったものがあったのだろう。俺の頭に着弾すると異臭を放ってきた。これには俺も少しイラッとしたが、よくあることだし特に気にはしない。だってほら、後で風呂にでも入ればいいんだし。

 だが真水さんはそうは思わなかったらしい。

「いい加減イラっとくるのー」

「えー、そうか? 俺はもう慣れたけどな」

 無表情に僅かな苛立ちの色を見せる。

 別に卵はそこまで破壊力ないし、そこまで怒る要素はないんだけどな。この前の包丁が飛んできたのには流石に焦ったけど。

「みの唯火にこんな……」

「真水……」

 真水の瞳に静かな怒りが浮かんでいる。これは俺のために怒ってくれてるのだろうか? ふふっ、なんだかんだで真水も優しいんだな。

 そう考え自然と涙が頬を伝う――

「こんな真似していいのは飼い主であるみだけなのに、のー」

「やっぱりねー! 何かもうそうじゃないかと思ってたよクソッタレ!」

 まあ、涙はすぐに引っ込んだけど。

 流石は真水、いつの間にか俺の飼い主になっていたとは。気付かない、というか気付きたくなかった。

「というわけでこいつらにお仕置きするのー」

「お仕置きー? 別にいいけどさぁ、何するんだ?」

「うむ、よく聞いた、のー」

 我らがご主人さまは無い胸を偉そうに逸らし、怪しく瞳を光らせた。

「とりあえず、これで……」

 目つきの悪い真水がさらに目をつり上げてババーズを睨みつける。一瞬赤い瞳が光を発したかと思うと、ババーズは卵を投げる手を止め、変な格好のまま停止した。

「……? なあ、今何やったんだ?」

 天下の往来で起きた怪しい出来事にちょっと疑問する。別に怪我を負わせた訳ではないし、特に言う事はないのだけど、何をやったかは気になった。

 流石は妖怪、神秘の力。

「大した事はしてないのー。ただちょっと『恐怖』を植え付けただけだから、のー」

「えー、何か物騒に聞こえるんだけど?」

 トラウマとかそういうの?

「恐怖と言っても唯火が思ってるのとは多分違うのー。別に恐怖で精神を壊すとか廃人にするとかではないから安心しろ、のー」

「そうなんか?」

「封印前ならそれくらい出来なくはないけど今の状態じゃ到底無理だのー。蛇に睨まれた蛙って言葉があるように、蛇の眼光には相手を恐怖で支配する力があるのー。みはそれを少しだけ使って動けなくしただけ、のー。後三十分くらいすれば動けるようになるから安心安全人畜無害、のー」

 なるほど。とは言えピクリともしないオバサン連中を見るとちょっと怖い。

「へー、そんな事が出来るんだ。すっかり忘れてたけど真水って蛇の化生何だっけ?」

「忘れるな、のー。最近では猫や犬が人気あるけど蛇だってプリティー、のー。つぶらな瞳を見やがれのー」

 そう言ってジーっと見つめてくる真水。だけど真水って目つき悪いんだよな。まあ、可愛いことには変わりはないけど……うん、つぶらではないな。

 それにしても、じーっと見つめる瞳が段々赤くなってるような……背筋を撫でるような感覚もするし。

「う……ま、真水さん? 何やってんですか?」

「むぅ……何故か唯火には効かないのー。さっきの奴らより強くやってるのに、おかしいのー」

 いつの間にかババーズと同じことをやられていたようだ。

「いやいやいや、やめてくれません!? 俺で実験っぽい事しないで!?」

「これも唯火の体質か、のー? せっかくだし失禁する程度の恐怖を……」

「やめてぇえええ! こんな天下の往来でお聖水しょうすい流しちゃったらぼく恥ずかしくて死んじゃうぅうううう!」

 涙ながらに真水の目を塞ぎ懇願する。体質のせいで謂われのない中傷はなれてるけど、事実を基にした中傷は無理なのです! 何かこう、良心的に。

「冗談なのー。そんなに嫌がるな、のー」

「本当け? おいどん嘘だったら自害せざるを得なくなるんだべよ?」

「分かった分かった、のー。キャラがよくわからなくなってるから早く直せのー」

 真水の恩情により何とか末代までの恥を晒さずに済み、安堵の息が洩れる。しかし、俺は失念していたのだった。そう、ここが天下の往来だということを。

「やあねぇ、今時の子は……こんな道端で幼女を襲ってるわよ?」

「本当、あの子かわいいからあんなキモッ! な男に襲われてるのねー? きっとあのキモッ! な男の好みなのよ。幼女だもの」

「幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女! ふぅううううう!」

「つつつつ、つるぺた萌えー!」

「あれは幼女じゃない……真の幼女だ」

「俺は――あの幼女をゲットしてみせる!」

 気付いた時には既に遅し。俺を咎めるような視線と真水を舐めるような、ねちっこい視線を向けている通行人たち。その比率、三対七くらい。俺より真水に視線が注がれてるのが謎である。

「…………殺すのー」

「ま、まあまあまあ! とりあえず落ち着こうぜ真水ちゃん!?」

「恐怖で全てを支配させて心の底から二度と起き上がれなくなるくらいに人として否生命としての死を精神に刻みながら目玉をくり抜き鼻を削ぎ落とし耳を焼き肉体を指の先から徐々におろし金で削りもみじおろしにして口に突っ込んで窒息死果ては脳みそを湯で溶いてこれがほんとのみそ汁クククみそ汁が出たならメインディッシュはお頭焼き決定苦痛に満ちた穴ぼこな顔を浮かべるがいいのー」

「待って、本当に少し待って! 怖いから! 今真水からとてつももなく黒い何かが滲み出てるんですけど!? お願いだから元の優しい真水に……優しい? も、もちろん真水は優しいとも!!」

 赤く目を光らせた真水が延々と恐ろしい言葉を口にする。息継ぎなしで言い切る真水に若干の尊敬の念を覚えてみたり。

 まあ、それ以上に真水は怒るとものスゴイと言う事が浮き彫りとなった訳だが。えっ? 割と前から知ってる。うん、奇遇だね。俺もさ!

「さ、さあ行こうぜ。ほら、八百屋も見えてきたし、な?」

「みの怒りは例え唯火が抑えても唯火ごと奴らを消すのー。邪魔するなら……容赦はしない、のー」

 ギロリと向けられた瞳は赤く爛々と輝いており、正直漏れそうになるくらい恐い。これが恐怖というやつなのだろうか。

「た、頼むから落ち着いてくれってば! ほら、頭なでなでするし、欲しいもの買ってあげるから!」

 取りあえず懐柔策その一。物で釣ってみよう。

「むっ……みをそんな安物で釣れると思うなのー」

 はい終了。

「じゃあどうすればいいんだよ?」

「…………みの言う事を一つ聞け、のー」

 少し落ち着いたのか真水の赤い瞳が薄くなり、恐怖感もだいぶ楽になっていた。

「あ、あー、それって何でも?」

「そう、のー」

 ん? 今なんでもって言いました? いや、流石にそれはないだろうとは思うけど……。

「……下関係はなしなら、まあ」

「それは別に構わないのー。そっちはみの魅力で唯火の方からせがませるから、のー」

 そう言いながら、どうだ、と言わんばかりに俺を見上げてくる。

 ……色々考えたが、まあ、貞操の危機的な事が抜きならば別にいいだろう。多分、大丈夫だよね?

「オーケー。それで真水が落ち着くなら」

「交渉成立のー。それじゃあちょっと待ってろ、のー」

 取りあえず商店街血煙事件は回避出来たようだ。ニヤリと笑みを浮かべた真水は、まだ俺たちに嫌な視線を向けていた奴らへと振り返り瞳を濃い赤色に染めた。

「ひぅっ!」

「あぅ……も、漏る……」

「らめぇええ! 出ちゃうぅううう!」

 注意。こいつら全員デブ男である。正直見ていて気分が悪くなった。

「きゃあああ! この人たちいきなり漏らしたわよ!」

「えっ、お漏らし? うわ、いい年して……」

「キモッ! キモッ! キモッ!」

 見ると男たちのズボンには大きな染みが出来ていた。街中で失禁……血煙事件は回避できたが、聖水お漏らし事件は回避出来なかったようだ。少しかわいそうに思いながら、俺は真水の怖さを再認識させられた。……南無。



 そんな哀れな犠牲者に興味も失せたのか、真水は何事もなかったかのように八百屋へと近付いていった。

「むっ……じゃがいもが安いのー。しかし、それ以外は高いか、のー」

「へいらっしゃい! お嬢ちゃんお使いかい? 色々買っていってくんな!」

 八百屋のおっさんの言葉に怖々と真水を見る。さっきのあの暴走っぷりがどうも頭に残ってしまい、いつキレて親父さんはあられもない姿にしてしまうかと戦々恐々してしまう。

 まあ、そんなことにはならずに買い物がスタートした訳だけど。

「おいオヤジ、これ傷がひどいのー。もっと安くしろ、のー」

「どれどれ? おっと、確かにこりゃひどい。仕方ねぇ。まけてやるぜ」

「ならこれとそれも買うからもう少しまけろ、のー」

「あっはっはっ! お嬢ちゃん買い物上手だな! いいぜ、うんと安くしとくよ」

 お、おお。何か普通である。これこそが本来あって然るべきの買い手と売り手のコミュニケーションだ。間違っても顔面に売り物を投げられるようなものはコミュニケーションとは呼べない。

「しかも安いし。俺が普段買う時の四分の一から五分の一とは……いかに俺が受けてきた扱いがひどかったのかがよく分かる」

 少し涙が出たのは、内緒だ。

「唯火、終わったのー。次行くのー」

「あ、ああ、今行く」

 少し離れた場所で真水が首を傾け俺を呼んだ。流れた一筋の涙を拭い、すぐに真水の隣へと移動する。

「どうかしたのか、のー?」

「いやいやいや、何でもないのだぜ。っと、持つよそれ」

「そうか、のー? じゃあ頼むのー」

 真水の手から買い物袋を受け取った。ズシリと結構な重さが俺の肩に負担をかける。

「次はどこ行くんだ?」

「後はとりあえず生活用品が欲しいのー。唯火のためにティッシュが必要不可欠、のー」

「うん、何で俺に必要不可欠なねかは聞かないけど確かに生活用品は必要だな」

「何故ティッシュが必要か、それは唯火が自家発電する時に……」

「俺聞かないって言ったよね!?」

 無表情に何かとんでもない事言い出した真水へ軽くツッコミを入れるが、ダメージは十倍になって俺に返ってくる。見事なカウンターだ。

「じゃあ歯ブラシ……は別にいらないか、のー」

「何でだよ? 歯は磨かないと虫歯になるぞ?」

 店頭に置かれた安売りのハブラシを手に取りながらそんなことを言う真水。首を傾げてその真意を尋ねてみる。

「別に唯火の使ったのを借りるから構わないのー。唯火の唾液が付いた歯ブラシを舌先で舐めながら綺麗に歯を磨くのー」

「磨くの歯なのになんで舌先!? うん、やっぱり一番先に買うべきなのは歯ブラシだよね!」

 答えは当然のようにツッコミどころ満載だ。……ちょっとアレな画像が頭に浮かんだのは俺だけじゃないはず。

「いいからさっさと行くのー」

「あいたっ! ちょ、事あるごとに脛を蹴らないで!? いいか、脛は弁慶の泣き所と言って……」

「次は叩き折るのー」

「ごめんなさい!」

 そこはかとない殺気が妙に怖いのが真水さんだ。本気でやりかねないのも怖いところ。

「まったくのろま、のー。早く行くのー」

 軽やかに足を動かしてすぐ側に近寄り、真水はその小さな手を俺の空いた方の手に絡ませてきた。

 少し低めな体温と、柔らかでしっとりと濡れた肌が俺の手に流れてくる。こんな優しい感覚は久方振りだ。

「さあ、早く行け、のー」

「わ、わかってるから引っ張るなよ」

「御託はいいのー」

 昨日から始まった、昔からあるようなやり取りの中で、俺は確かにこの小さな幸せが続く事を願っていた。


「お、おいっ! あれ見ろよ、幼女がいるぜ!」

「ああ、確かに幼女だ!」

「幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女! 幼女!」

「ああ……あの幼女の靴下を舐めまわしたい」

 ……………………。

 ああ! 真水からまた黒いのが!

「せっかくいい雰囲気だったのに、のー。殺して殺して、一片の欠片すら残さんのー」

「お、落ち着いてくれ頼むから!」

 この後、真水により哀れな犠牲者が続出する事になった。

 俺たちはその時の事件に畏怖の念を込めてこう呼ぶ事となる。

 『商店街汚水事件』と……。



続きましたー。一人でもお気に入り登録されている方がいらっしゃるならば更新しなければいけませんね! もう少し頑張ってみます!

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