巳の五
屋上というイベントの宝庫とも言うべき場所にて俺は真水と向かい合っていた。正座で。
「あの、なんで真水さんはこのような場所にいらっしゃるのでしょうか?」
「そんなの、みの口から言わせる気か……のー?」
ポッと顔を赤らめ、上目づかいで俺を見て来る真水。一瞬クラリときたが、彼女がこういう仕草をするのは大抵が冗談を言うか話題を誤魔化す時だ。騙されてはいけない。この幼女、色々と危険なのだ。
一体どこで調べたのか俺の学校を突き止め、これまたどこから調達したのかうちの学校の制服を着ている。
そんな彼女を観察している間も上目づかいを止めようとはせず、頬を赤く染めて顔を僅かに背け、けれども視線は俺を捕らえて離さない。うん、騙されるなとは思っていても、その表情だけで飯を三杯食えるくらいにはダメージを受けていた。
「まあ、今回は別の用件だのー。唯火とちゃんとした話がしたいだけ、のー。というわけで人が来ない場所に案内しろのー。出来れば地下にある三角木馬がある部屋とかを希望するのー」
「いやいやいや! うちの学校にはそんなおいしい……じゃなくて素敵なお部屋は存在しないから!」
「言い方変えた意味がないのー。というか、唯火はそういうのが好きなのか、のー?」
「うっ……いや、別にそういうわけでは……痛いのとかは嫌だし」
「唯火が好きなら、みも考えを改めないといけないのー」
ジト、とした視線を向けながらも若干顔を俯かせている真水。まあ、確かにそういう趣味の人間がいれば考えてしまうかもしれないが……
「基本的にみはやる側だけど唯火が望むならやられても……」
「はーい、ちょぉーっとお口チャックしちゃいましょうんねー?」
まあ真水だし。、俺が考えていた斜め上の返しをしてくれた。流石の俺もこの子の頭を理解するのは無理そうである。
真水が最後まで言い切る前に慌てて口を塞ぎ、冷や汗交じりに苦笑する。そもそも屋上にいるのだから別に場所を移動する必要はないだろう。元々ここに人が来ることは稀だ。
「惨い事する、のー。危うく唯火に気絶させられて体育用具室に連れてかれて――これ以上は言葉にできないのー」
「だから真水さんはもう少し自重するという言葉を覚えて頂きたいのですが!? いくら人があんまり来ないからってそんな人に聞かれたらブタ箱に放り込まれそうなこと言わんといてや!」
「唯火に自重とか言われてものー。じゃあ唯火、もしここにイチャイチャラブラブなカップルがいたらどうするのー?」
「とりあえず男の服に犬のクソを投げ入れて女の頭にかりんとうを乗っけてやりますがなにか?」
「うわぁ、のー」
眼下で運動に励んでいる生徒たちを見つめ、爽やかに言葉を口走る。
「はは、この景色を見ればいかに俺が小さいか分かるよ」
「小さいと言えば小さいけど……やられたら迷惑極まりないのー」
呆れた表情で俺を見上げる真水。その視線が生暖かいような生温いような……。何故か涙が出て来たのは内緒である。
「まあその話は置いといて、何でここにいるんだ? ってか、何でうちの制服着てるんだよ……」
仮定の話はもういいだろう。俺は慌てて話を逸らした。
「街頭調査ではコスプレものだと制服が一番らしいのー。唯火は、嫌いかのー?」
と、ぶかぶかの袖で口元を隠しながら可愛らしく問う。
そんな風に言われて我慢できる訳ないじゃない!?
「大好物です! ……じゃない、そうじゃないから」
「まあ、唯火の学校に忍び込むのにこれが一番バレないし、何でか空き教室に置いてあったのー」
にやり笑いを浮かべてそう言ってのける真水。何故忍び込む必要があったのか、いや、そもそも何故空き教室にそんなものがあったのか。だれかが忘れたというなら落し物として届けなければならない。間違ってもくんかくんかとか、ペロペロとかしてはならないのだ。
「その教室で男と女が裸でくんず解れずのプロレスごっこしてたのー。きっと今頃大慌て……学校で裸になる方が悪い、のー」
「ちょっ、それって……」
なんか斜め上の事態だった。
「でも元々あの二人は露出癖があったんだと思うのー。首輪をして裸で廊下を散歩してたし、のー」
「う、うわぁ……」
「もちろん男が、のー」
「大丈夫かうちの学校!?」
ツッコミ所は満載だが、とりあえずこれで真水の着ている服には納得いった。
いや、納得できるだろうか?
「それで、話があるんだけど、のー」
「お、おう。何だよ?」
スッ、と真水は切れ長の目を細め、威圧感を纏いながら俺を見つめる。さっまでのふざけた雰囲気はそこにはなく、吸い込まれるような存在だけがある。
「唯火は、みの事が迷惑か、のー?」
…………。
「はい? いや、いきなり何だ、その質問?」
漠然とした問い掛けに、俺はついそう返してしまった。前から散々そう言ってるだろう、とは思ったが、それは口に出すべき答えでないと俺の勘がそう言っている。
「いいから答えろのー。嘘を吐かず、正直に言え。今回に限ってはどう答えても怒らないから、のー」
「わ、わかったよ……真水が迷惑か? それは……」
真剣な目で俺を見る――いや、見方からすると縋っているようにも見える。
ゲームとかならここで選択肢が出そうな感じだ。バッドエンド確定の選択肢が。
「まあ、迷惑……ってほどじゃあないな。そりゃまあ、あんな強引に迫ってくるのは正直困るけど、それもまた嬉しく……もとい楽しくはあるし。それに……」
「それに?」
言葉と同時に首を傾げる真水をかわいいと思いながら、俺は笑って答えた。
「何より美少女だし。美少女が俺を憎からず思ってくれてるんなら、ちょっとの迷惑……ってか、例え迷惑だろうと無視できるね。まあ、真水は美少女というよりも美幼女……あべし!」
言葉の途中、真水パンチが腹を抉る。
いや、今のでなんで俺が蹴られるんだ?
「…………唯火は、変な奴だのー」
「いやいやいや、真水ほどではあうち!」
今度はもう片方の手で真水パンチ。座り込みながら身悶えしていると、目の前には真水の顔がドアップで現れる。
「はっ! 俺、ピンチ!?」
真水が無言でその小さな手を俺の頬に当てる。ヒヤリと心地いい感覚と共に、別の感触が頬に触れた。
――ちゅっ。
「……まあ、今はこんなもんで許してやるのー。次変な事言ったらもっと非道いことしてやるから覚悟しやがれ、のー」
「あぅ……りょ、了解!」
頬に当たった真水の小さな唇が蠱惑的に歪み、それを魅入ってしまった。
幼女のくせに、その仕草は反則である。
「また何か余計な事考えたか、のー?」
「い、いいえであります! 気分的にYesと答えたかった俺なんて死ねばいい!」
床に土下座しながら頭を叩きつける俺。だってしょうがないじゃんか!? 幼女とはいえあんな色っぺーの見せられたら我慢も限界だっちゅうに!?
「ああそうだ、唯火、のー」
そんな俺を見下ろしていた真水が、ついでとばかりに俺へともう一つ問い掛ける。
「唯火はみの事が好きか、のー?」
「これまたいきなりですねぇ……」
ドクドクと流れる血をペロリと舐める真水に疲れた視線を送る。今度はさっきほどの真剣さはないが、それでも何かを期待してるような感じではある。
「正直に話やがれ、のー。答えによってはご褒美もありだのー」
「ご褒美が何なのか凄まじく気になるけど……うーむ。まあ、嫌い、ではないな」
「むっ、中途半端な答えだ……のー」
どうやら真水のお気に召す答えではなかったようで、若干目が細まったようだ。ついでに傷口にグイグイと舌を押し付けられている。イタイイタイ。
「いや、だっていきなり人の家に住み込みやがって人の飯食いやがって食いやがって……それで三日と経ってないわけだろ? 答えられる訳ないじゃん」
「まあ、そうだけど……のー。というより、まだそれ根に持ってたのかのー?」
「当然なのですよん。食い物の恨みは七代先まで恨みますなのよん」
「キモい、のー」
身を引きながらそう言う真水。確かに場を和ますために若干変な口調はしてたけど、そんなに言うことないじゃないか! 心にクリティカルヒットだ。
「き、きもい……地味に傷つく一言なんだぞ、それ!?」
「安心しろのー。みのこれは褒め言葉だから、のー」
「どうしよう、褒められてる気がまったくしない!」
「いいから続き、のー」
先を促す真水の瞳はまるで獲物を見つけたヘビのように細められ、爛々と光るそれは早くしないと殺っちゃうよyou、と言っているようだった。
「うぅ……まだ知り合って間もないので好きとか嫌いとか良く分かりません。まあ、今の段階だと真水の事は嫌いじゃないかな? そういう評価になるのは、至極当然だと思うんだけど?」
チョチョ切れる涙を指で掬いながらの答え。
「つまりまだ好きでも嫌いでもない、出発地点なわけだのー」
「うんまあ、そういう事だな」
それを聞いて納得したのか、しきりに頷いた真水は俺に何かを投げつけてきた。四角い箱のような、そんなものを。
「なに、これ?」
「ご褒美だ、のー」
しれっ、とそう素っ気なく言い、真水は屋上の柵へと歩いて行く。
「へっ? ご褒美って、これの事だったんか? 真水の事だからてっきりむふふでうふふな事かと……」
「それはそれでいいかもしれないけど、今回は保留にしておくのー。まだまだチャンスはあるんだし、ゆっくりかつ大胆にいく事に決めた、のー」
にやりと歪みた口元を隠そうともせず、真水は軽い動作で柵の上に危なげなく立つ。
「は、はは……お手柔らかに」
「ふふ、今日は帰ったら覚悟しておけ、のー。すぐにみを好きだと言わせてやるのー」
「お手柔らかにって言ったじゃん! この子ってば俺の言葉完スルーしたよ! 幼女怖いわっ!?」
「またお仕置きかのー? まあ、いいや……のー。今日はこれで帰るのー。夕飯の支度もあるし、早く帰ってこい、のー」
そこから少し足に力を入れ、真水は軽く体を動かし屋上から飛び下りた。
「って、ちょぉ!?!」
そんな自然な動作に呆気に取られ、慌てて柵から身を乗り出す。痺れた足のせいで力が抜けるが、構わず真水を探す。屋上から真下を覗き、非道い事態になっていない事を確認して少し安堵。ってか、制服着てるんだから普通に歩いて帰れよ。
「はぁ……結局、一体何がしたかったんだか……と、ご褒美って何だったんだろうな?」
脱力し、柵にもたれかかってため息を零す俺。四角く布に収まった真水からのご褒美を取り出し、紐解いていく。
「おっ……弁当箱?」
布から出て来たのは弁当箱。中身は美味しそうな料理の数々。真水のご飯は実際美味かったし。
「わざわざ、持ってきたのか?」
……うーむ、これは困ったかもしれない。
「ピロリロリン。唯火くんは真水ちゃんへの高感度が一ランクアップ。この調子で……この調子でやられると、俺ヤバいなぁ」
これが攻略される側の気持ちなのだろうか。このままでは唯火くんエンドに一直線じゃないか。
まあ、考えるのは後でいいか。少し早い時間帯ではあるが、目の前に美味そうな食料があるのだ。これは食わなければ失礼というもの。
「なので、いただきまーす。はあ、気楽に真水もいただけだら……い、いやいやいや、それはマズいから! だがしかし!」
真水さんへ。悶々としながらも弁当は美味しくいただきました。とても美味しかっです。ごちそうさま。
それからゆっくりと食後の休息を取る俺だった。




