エピローグ
「雨が止んだ……どうやら、今度こそ終わったみたいだな?」
黒い雨が止み、建物から顔を覗かせて桃葉が呟いた。それに続くようにして二人の男女が顔を出し、外へと出てくる。
「……あいつら、大丈夫かしら?」
「心配することはないだろう。殺しても死にそうにないからな。……ところで、四崎兄」
「……なんだ?」
名を呼ばれて無愛想に一言で返す京勝を呆れた表情で眺めながら、桃葉は話を続ける。
「あっちは片が付いたが、お前はどうする気だ? 事の真相を知ってしまった羽臥野、その場にいた私、妖である真水。どう決着をつけるつもりだ?」
「……」
「正直、私は真正面から戦うのは嫌いだ。まともにやれば勝てる気がしないしな。しかしまあ、それでも生きるために戦うことは出来る」
それは暗に、戦うつもりならばどんな手を使ってでも勝つ、と言っているようなもの。口元を僅かに吊り上げている桃葉を睨むように視線を向け、そんな二人をオロオロした様子で眺める京奈。
沈黙を破ったのは、京勝が先だった。
「もうどうでもいい。過去のことも、貴様らのことも」
疲れたように言葉を吐き出し、顔を逸らす。その様子に驚きを隠せない京奈と、予想していたのか苦笑する桃葉。
「それは、家のことはもうどうでもいいということか?」
「……貴様もあの男も、今は手を出す気はない。ただそれだけだ。しかし、あの妖は……殺す」
京勝の視線の先には空から落ちて来る二人の影が見えた。二人とも真っ黒でひどい格好をしている。そのうちの片方を見ながら言った言葉は、あまりにも空虚な言葉だった。
「今のお前では……いや、なにも言うまいよ」
なにを考えているのかを察し、桃葉はなにも言わずに道を空ける。そのまま足を進めようとした京勝の前に京奈が飛び出した。
「兄様、私もご一緒します!」
昔からそうだったように、兄を守るために名乗りをあげる。しかし、
「必要ない。おまえは来るな」
「……え?」
差し出した手は素気無く払われた。
呆然とする京奈に追い打ちをかけるように言葉が響く。
「今まで世話になった。しかし、ここからは私の問題だ。京奈、これからは一人で歩け」
「にい、さま?」
無愛想な顔に僅かな感情の変化が伺えるが、それがどんな感情を内包していたのかは分からない。妹が出来る事は、ただ背を向け去って行く兄の姿を呆然と眺めるだけ。
「やれやれ、不器用な男だな。私の嫌いなタイプだ。それで本当に彼女が救われると思っているのか?」
「……」
背に桃葉の嘲りの言葉が届くが、彼は振り返らない。見つめるのは、ただ一人。ただ一つ。滅ぼすべき妖のみ。
********
いきなり空中から落とされた時は少し焦ったけど、妖力が完全に戻ったみならこんな高さ屁でもない。気絶してる唯火をお姫様抱っこして、軽やかに着地。百点満点の着地だ。
それから唯火の傷をちょちょいと治し、端に追いやって準備完了。みは振り返るのと同時に声を出した。
「やる気かのー?」
「……ああ」
目の前に立っているのは退魔士の片割れ。いつも仏頂面した男の退魔士。確か名前は、京勝とか言ったか。まあ、そんな事はどうでもいい。どうやら向こうはみと戦いたがっているようだ。
「妹はいいのかのー? あいつがいないとあの業は使えないはずだのー」
「京奈はいない。私一人だ。……これが、私なりの決着だ」
「はあ、唯火といいこいつといい……男ってバカばっかだのー。そんなことでしか終われないのかのー?」
「生憎とな」
それだけを言って男は大槌を肩に乗せた。目つきは鋭く、みの出方を狙っている。けれど、瞳の中はどこまでも空虚。
「殺気もない、憎しみもない。そんな体たらくで完全に力の戻ったみに届くと思っているのかのー? もしそうだって言うなら、少し痛い目みてもらうのー」
呆れた視線で見つめ、すぐに切る。
心を抑える必要はない。集中するような必要なんてさらさらない。
だって今のみは最強だから。
だって今のみは最悪だから。
本能に身を任せる訳ではないけれど、少しだけ箍を緩める。そうすれば、
「いいもの見せてやるのー。みの最強、その目に焼き付けていけ、のー」
「……っ!?」
みは完全に力を取り戻すのだから。
轟音と共に水が舞い上がり、赤い炎が空を焦がす。その二つがみを包み、次の瞬間にそこにいたのは――
「八首の大大蛇……か。最強とは、良く言ったものだ。だが――」
巨体を前に、奴は吠える。ただそれだけをやり遂げるために。
「――首の一つは、潰させてもらう!」
そして、天地は焼け焦げる。
黒い妖力がみの体を蝕んでいる時、みは夢を見ていた。あれは本当にあった出来事で、本当に存在していたみの始まり。
いつだったか忘れたけれど、結構昔のことだ。昔、といってもよくて十年くらい前のこと。
封印されていたとは言え霊体だけならば自由に飛ばせる事が出来ていたみは、いつものように封印の場所から霊体だけ抜け出してあちこちを回っていた。その日は暑い夏の日で、みは小川に浸かりながら流れていた。霊体とはいえ気合いを込めれば物に触れるし感触だって感じられるからだ。
そうやって涼んでいると、川の辺にだれかがやって来た。視線を移すと、そこにはなんとも間抜け面な男の子が一人、小さなカバンを持って立っていた。そして少年は驚くことに、小川の中心で流れているみを見るや否や必死に助けようとしたのだ。どうもその少年、みが溺れているように見えたらしい。もちろん少年は溺れ、みが助け出してやったのはいいオチだったが。
その後、みはその子からお饅頭をもらい、軽く話をしたのだ。
『おねーちゃんきれいだよね! おれのおよめさんにならない?』
ちなみにこれが初めて交わした言葉。この子の将来が気になるひとことだった。それから長い時間話して、帰ろうとした時、その少年は約束をしようと言ってきたのだ。それが、
『おれがおねーちゃんをしあわせにしてあげるからな! おとこはやくそこをやぶったらだめなんだぜ!』
これが、その子との初めてのデートの記憶。次に目を覚ましたら長い時間が経過していて、退魔士二人に追われることになっていたのだった。
まあ、あの退魔士がみを起こさなかったらまだ何年も眠っていたかもだし、その点については感謝している。
だってそのおかげで……みはまた唯火と出会えたのだから。
「ふう、久しぶりの全力はちょっと疲れたのー。ま、楽しめたからいいけど、のー」
ラーシー君Tシャツに身を包み、ベンチに腰掛けて膝に唯火を乗せる。それから優しく髪をなでて、ふふ、と小さく微笑んだ。
「まったく、こいつは何一つ変わってないのー」
あの時の少年をそのまま大きくしたような、唯火。きっと唯火はみを思い出したから助けに来てくれたのだろう。今の今までみは忘れていたのだし、そう考えるとちょっと嬉しく思う。
「ん、んん……?」
「やっと起きたのかのー?」
「あれ、真水?」
ボーッとした目でみを眺め、ハッと立ち上がって周りを見渡した。
「お、おお、生きてる! 俺は生きてるんだ! はっはー、高いとこなんて怖くないんだもんね! だから気絶なんてしてないよ!?」
よっぽど気絶した事が恥ずかしかったのか、若干顔が赤い。その様子を可愛く思いながら声をかける。
「はいはい、分かったから一先ず落ち着いてみにキスしろ、のー」
「あ、そうだな。まずは落ち着いて真水にちゅー……ってなんで!?」
「もう、そんなこと言わすな、のー。さっきはあんなに熱いキスを何度も何度も交わしたのに、のー。みなんて気絶するくらいすごかったのー」
「言ってることは確かに合ってるんだけど! 紛れも無い事実なんだけども!! それでもその言い方はダメな気がしてならないよ!?」
唯火の面白いくらいの焦り具合が楽しくてついついからかってしまう。でもまあ、いつまでもこうしてるのもなんだし、自重ておこう。
「えーっと、あれ? 皆様方は?」
「四崎の兄の方はさっきまでみとガチンコバトルを繰り広げて、ボコボコにのしてやったら泣きながらどっか行ったのー。妹の方は知らん。桃葉はさっきまでここにいたけどみたちに見せるものがあるからってどっか行ったのー」
「そらまたよく分からん状況報告だな。特に京奈さん。で、一条先輩の見せたいものってなんだ? もしかして……ぐふふ」
「とりあえず唯火の考えているようなものじゃないことだけは確かだのー」
あいつの指定した時間まで……もう少しか。ならちょっとばかり唯火と昔話をしよう。
アホな妄想を垂れ流している唯火を小突いて意識をこっちに向けさせる。
「唯火、昔の約束だけど、のー。本当に幸せにしてくれるのかのー?」
唯火を上目遣いで見上げ、ちょっと照れながら言ってみる。すると予想通り、慌てたように手を上下に振りはじめたのー。
「うえ!? ま、真水さん、なぜそれを? 忘れてたんじゃ……」
「さっき思い出したのー。で、唯火の言う幸せって、なんだったのー?」
あの、その、なんてしどろもどろに声を出す唯火に詰め寄りながら楽しみに答えを待つ。そしてついに観念したのか言葉を絞り出した。
「……遊園地で遊びまくること」
ポツリと言った言葉にみの動きが止まった。
「……は?」
「だから! おっきい遊園地で朝から晩まで遊びまくること!」
どうやらみの耳はまだ正常だったようだ。しかし……え? 一体それはなんの話?
「いやな? あの日の前日、テレビで遊園地特集やっててさ、すっごい楽しそうでな~。ああいうとこで遊びまくれば絶対幸せだよなぁ、とか考えてたんだよ」
「ゆうえん、ち? あれ、でも……」
幸せって……あれ? 普通幸せにするって結婚とか、婚約とか、ハッピーウエディングとか……。
「ほら、前ここに来た時パレード見ずに帰っちゃっただろ? だからまだ約束果たせてないし……って、どうかしたか、真水?」
は、ははは……。なるほど、遊園地か。確かに子供が幸せにしてやる、の本当の意味を知ってる訳なかった。と言う事は、あの約束もこの約束も、みと遊園地で遊びまくることを言っていたのだろうか。
「……唯火」
「へ?」
「責任、取ってもらうのー。とりあえず……一発殴らせろのー」
「なんで!?」
もちろんみの期待を裏切ったからだ。
ドゲシと一発拳を振り下ろし、次いで唯火の首を舌で絞める。
「ぐえぇ、なんで怒ってるんですか真水さん!?」
「自分の胸に聞きやがれのー!」
ペイっと舌だけで投げ飛ばし、落下を狙ってドロップキック。ちょうど顔面にみの両足がメキョ、と音を立てて決まった。
「ノーパ!! い、痛いのは痛いけどその前に真水さん! なんであなたはTシャツ一枚なんですか!?」
顔を赤くさせてそういう唯火。丈夫さに感心してしまう。
……そういえばさっき元に戻った時に服を破いちゃったから、売店に落ちてたTシャツを着たんだっけ。もちろん下着なんて穿いてない。つまり唯火はみの恥ずかしい場所をしっかりと見てしまった訳だ。これはもう、あれだ。
「責任取れ、のー」
「ちょおっ! 今の真水が勝手にやったことであって俺悪くないよね!?」
「唯火にみの大事なとこを見られちゃったのー。もうこれは責任取ってみを嫁に……」
「お、俺はロリコンじゃなぁああああああい!!」
「あっ、逃げるなのー」
唯火は血の涙をすごい勢いで流しながら風の如く走り出して行った。みとあそこまでしておいて今さら感はあるけど、でもまぁ、
「おーい、羽臥野、真水。今から花火を打ち上げるからいい雰囲気でもなんでも作って……って、今すごい勢いで走って行ったのは羽臥野か?」
「桃葉、唯火はどこ行ったのー。肝心なとこで逃げやがって、捕まえたらお説教だのー」
「あー、つまりすると羽臥野はへたれだと。まあいいか。向こうに行ったみたいだぞ。それからもうすぐ……ってもういない!? はぁ……彼らの恋のキューピッド役は荷が重いな」
「唯火、逃げるなのー。あと避けるな」
「そりゃ逃げるし避けるわ! なんで水を――うひぃ!?」
み達の鬼ごっこ。それの明かりとなる色とりどりの花。ふふ、今みは、とても、とっても幸せだ。
――みは蛇。蛇は逃げる獲物をゆっくりと追い詰め、一息に飲み込む。唯火、待ってろのー。ゆっくり、でも確実に。みはおまえを手に入れてやるから、のー。
「唯火、そろそろ飽きてきたのー」
「ならその刃物を下ろしましょうぜ! そしたら俺も止まるから――って、投げてきたぁああああああ!?」
のー。
長期間更新が停滞してしまいましたが、これにて完結となります。機会があれば続きを書くかもしれませんので、その時はよろしくお願いします!




