巳の一
とある商店街。たくさんの人々が行き交い、夕方になれば世のお母様方が夕食の準備に日々東奔西走している魔性の地だ。そんな血に飢えた魔物……有り体に言えばタイムセールなどで値が下がった商品を血眼で探し当てるおば様方の事なのだが……が懇意にしている魚屋さんがある。
魚屋、八蔵。そこは周りからも安くて美味しいと評判の魚が並べられ、気の良いお店なのである。
「なんでだよおっさん! さっきの人にはサービスしてたろ!! この時間に来ればイワシを一匹プレゼントってウソだったのかよ!」
「うるっせいぞ小僧! なんでだぁ~? 理由は簡単、おまえの顔見たらサービスなんかしたくなくなったからだよ!」
「んぬわぁに~、差別だ! 贔屓だ! ウソだっ!」
そんな魚屋の前でギャーギャーと騒ぎ立てる一人の美しい少年……あ、少しウソ吐きました、すんません。
まあとにかく俺がいるのだが、それにはわけがあるのだった。
自炊も出来る俺こと羽賀野唯火くん。今日の晩飯は魚にしようと魚屋に来ていたのだ。確か今日は魚も安かったしなー、とぼんやりと思いながら前のおばさんが買い終わるの待っていた。目の前では情報の通り、幾分か安くなった商品を手に去って行くおばさん。これなら俺も安く買えるかなー、と期待に胸を膨らませていたのだが……。
「買わねえなら帰れ!」
「うぅ~わかったよ、買いますよぉ」
とまあ、こんな感じで値引きしてもらえそうにないようなやり取りを行っているのである。
後ろでは殺意の込められた目のおば様方が数名俺を睨んでおり、結局妥協せざるを得なくなった。仕方なく小銭入れから数枚の硬化を取り出し渡す。すると、ほらよ、とばかりに小さな魚をあろう事か投げつけやがる魚屋主人。
生臭いのを我慢して胸で受け取り、泣く泣く帰路へとつく俺だった。
「くそぅ、こっちでもかよ!」
河川敷を歩きながら涙を流してそうごちる。
告白するならば、今みたいな事は初めてじゃない。むしろ今回のはまだ良い方だった。
数週間前までいた俺の田舎では買い物に行けば何故か石を投げられ、金だけ取られて商品をくれなかったりとおおよそいじめってレベルではない仕打ちを受けてきた。それを思えばキチンと商品を投げてとは言え渡してくれるここの人たちは心優しいのかもしれない。
……いや、心優しい人たちはそもそも客に向かってあんな暴言吐かないか。
まったく、それがいやでこっちに来たのだが……。
はぁ、とため息を吐きながら夕暮れに染まった川を見る。
「変わらんもんなぁ……」
正直俺が何をした、ってほどのイジメだ。
家族とも同じような感じだし……そのせいかあいつら、親子揃って俺を置いて外国へ行きやがったのだ。朝起きたら書き置きすらなく、一月後に姉から絵葉書が来て初めて事態を知るという悲劇。
「だからって息子が一人寂しくボロアパートに住んでるのってなんかおかしない? あいつらはハワイの豪邸でのんべんだらりとやってるくせに。はぁ、やってられん」
どうもこの人から嫌われるのは体質らしい。いや、どんな体質だよとは思わなくもないが……。会う人会う人に嫌われる、なんて変な体質。俺を見て何ともなかったのはじっちゃんとばっちゃんだけだった。何せ親ですら赤子の俺を投げ捨てたほどなのだから。
ちなみに、今までで一番ショックだったのは初恋の子にゴキ〇リを投げつけられた時だったかな? なぜか泣き出して俺が〇キブリを投げたとか思われて散々責められたのは良い思いでである。
ちなみにその時付いたあだ名がゴ〇ブリ投げ小僧。俺はあれか? 新手の妖怪か?
とまあ、普通なら自殺とかしてそうな壮絶なイジメの数々ではあったのだが、俺にはそんな考えが浮かんだことはなかった。何故なら……。
「はっ! そこ行く綺麗なおっ姉さ~ん! 僕とイワシのエラ呼吸について語り合いませ~ん!?」
「はあ? あんたがエラ呼吸出来るまで水に浸かって溺死してくれたらね」
「おぜうさん、あなたはこの魚よりも良きかほりですね」
「近寄んないで、あんたババ臭い」
…………世の中にはまだ見ぬ女性が俺を待っていてくれるのだから!
「……帰ろう。明日はきっと美人な姉ちゃんが優しく起こしてくれるだろうしね!」
そんな空しさだけの言葉を吐き出しつつ、明日への希望を夢見て帰路に着く俺であった。
街の外れにあるボロアパート。築三十年らしく、あちこちボロボロで雨なんかが降った日には雨漏りがすんごい事になること受け合いでだ。そこが俺の済んでいる場所であり、少なくとも後三年間は済まなければならないマイホームである。
さて、そんなマイホームの前には綺麗な川が流れており、こっちに来てからは随分とお世話になっていた。
……主に風呂代わりに。
ボロアパートに風呂なんかが設置されているはずもなく、商店街にある銭湯に行くにも金は掛かる。それに比べ、川ならば薄い財布を傷つけずに済むという訳である。
俺、頭良い!
「あの川って食える魚とかいるのかな? もしいたらもうあの魚屋に行かなくて済むんだけどなぁ」
夕暮れ時に土手でキャッチボールしている親子から硬球を投げられつつそんな他愛もない事を考える。
ああ、痛いので硬球は止めて欲しいなぁ。
シャアアア! と吠えておっさんとガキを蹴散らし、家路へと急ぐために走り出す。と、そこでなにか得体の知れないものが川から流れて来ているのが見えた。
「……桃とか?」
そんなわきゃあない。
例え桃だとしても中から赤ん坊が出て来られても困るし。今の俺に育児スキルなどないのだ。
ではなんだろうかとじー、と目を細めてそれを見る。
「あれって……人?」
うつぶせに浮いているそれは人のように手があり、人のように足があり、人のように頭があった。
うんまあ、つまりは人だったわけだけど。
「え、ちょっ、土左衛門! こ、こんな時都会ではどうするんだ!? やっぱり霊柩車?」
とりあえず生きていると言う選択肢は除外している俺はろくでなしなのだろうか? いや、でもさ、助けた人に殴られるのって精神的にも結構キツいんだぜ?
とはいえ、このままにしておくわけにもいかないだろう。はあ、とため息を吐き、魚をポケットへと挿入。ポーズを決めて川へとダッシュ。
ポーズには意味はない。
「あー、仕方ない! 今行くぞ土左衛門! 助けたお礼に四次元ポケットなんかをくれるとありがたい!」
それはド〇えもん、と聞こえた神の声を無視し、世界新のごとき背泳ぎで救出へと向かった。
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「げほっ……や、やっぱり背泳ぎは無理だって……せめてバタフライにでもしとけばよかった」
鼻に水が入るとツーンとして嫌なんだよな。
それはさておき助けた子を河原へと転がす。
……うん、死んでね、これ?
だってこれ顔色真っ青だよ? 水死体カラーだ、2Pカラー。しかもごっつ体冷たいし。
黒髪ショートの幼い顔で、多分十歳ぐらいだろうか?
まだ子供だってのにかわいそうに。だからお母さん言ったでしょう、台風の時に川の様子見に行ったらダメって。それなんて死亡フラグ?
「オーケー、落ち着けナイスガイ。なぁに、ちょっと少女の死体が見つかっただけじゃん? クールになれ前原……ではなく羽臥野唯火。クールクールビークール」
とりあえずポケットから取り出したイワシを数匹地面へと置き、生臭さMAXのハンカチを水死体少女へと被せる。
「何卒化けてでないで下さい。あ、イワシはちゃんと持って帰るけどね」
供養完了。さて、イワシを持って帰るかな。今少女が動いた気がしたけど気のせいだよね?
「生臭、生臭いのー」
かわいらしい声が聞こえた気がしたけど空耳だよね?
「腹減ったのー」
「聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない!」
「いただきます、のー」
「へっ?」
もぞ、とハンカチが僅かに揺れたと思ったら、風が吹き生臭い布は川の方へと飛んでいった。
さっきまでは目を閉じていた少女は、横になったまま顔をイワシへと向け、口を開いて……
「生魚、フィッシュ、のー」
「うぇえええ!」
赤く長い、先が二俣に分かれた舌をイワシへと絡ませ、そのままお口へパクン。もぎゅもぎゅと口を動かし、ごっくんと飲み干した。わあ、とっても素敵な食べっぷり。でもお父さんは魚を生で丸ごと食べるのは感心しないなぁ。
「デリーシャス、うまうま、のー」
「舌伸び、生、ごっくん、幼女!?」
「卑猥な言葉を言うなのー」
「喋ったー!」
「失礼な、のー」
無表情に俺を見る少女に理不尽さを感じながら、あ、俺の晩飯……など考えるのだった。




