巳の十五
結局お化け屋敷に引きずり込まれた俺は、すぐに順番となった。まるで示し合せたかのように道を譲る人達。そんなに俺を恐がらせたいのだろうか。
「はい、お二人さまご案内です。恐怖の館にようこそ、呪われないように注意して下さいねー」
「呪われるような場所に客を通すなよ」
「さっちゃん、岩ちゃん殺ってあげてねー」
「殺る!? ってかさっちゃんと岩ちゃんって誰!? 貞子とお岩さんか!? その二人は美人ですかこのやろう!!」
「美人だったらどうするつもりだのー」
係員のやたら元気なお兄さんに見送られ、扉を開いたその奥。わずかな明かりでぼーっと見渡せるけど、こっちの方が真っ暗より怖い気がする。
「うぅ、怖いなぁ……」
「そうかのー? こんなにアットホームな雰囲気なのに、のー」
「これがアットホームですか!?」
妖の感性は本気で理解出来ない。
「あ、唯火、前」
「へっ?」
真水の指が前方へと向けられ、ついついなんの気なしにそっちに視線を移してしまった。
「……ひぅ」
「おお、悲鳴を上げずに白目を向いてるのー」
そこには血みどろで手足のない女性が恨めしそうにこっちを睨んでいた。悲鳴を上げなかったのは真水の手前だし、なにより男の子の意地でもある。
「……は、ははは……こ、こんな作り物なんて怖くもなんともないよな?」
「冷静さを出そうとしてるのは良いけど、それならこのしっかりと握ってる手を放してからにした方が良いのー」
「ははは、なにを言ってるのかな子蛇ちゃん? ぼくはいつでもロンリーウルフ……あ」
言葉の途中で真水が片手を上げると、つられて俺の手も一緒になって上がってしまった。
「別にみは良いけど……やっぱり戻るかのー?」
「は、はははははは、なにを言ってるのかな? ぼくは怖くなんてないよ? さあ行こうじゃないか」
「ちょっと罪悪感、のー。というか、少し手が痛いんだけど、のー」
目を出来るだけ細め、震える足を動かして次の部屋に移動しようと扉に手をかける。
「すーはー、すーはー……行くぜ!!」
「無理しなくても開けるくらいならみがやるのー」
「い、いやいやいや! 男の子の俺に任せなさいって!って訳で逝くぜ!」
意気込み一つ、俺は思いっ切り扉を引く――っ、開かない!?
「な、何故だ!? まさか、呪いだとでも言うのか!!」
ガッ、という手応えだけが腕に伝わり、扉はピクリともしない。慄いていると呆れた眼差しで真水が言った。
「いや、これは押せばいいだけだから、のー」
「……ふ、どうやら俺は既に呪いとやらを受けてしまったようだ。そう、ドアは引かないといけない呪いに」
「素で間違えただけだのー。良いから開けろ、のー」
「り、了解」
後ろから早くしろオーラを身にまとっている人がいるので覚悟を決め、ドアを押して扉を開く。特になにもなく、ガランとした空間があるだけ。強いて言うなら壁になにか紙のようなものが貼り付けられていた。
「えっと、なになに?」
様々な思惑溢れる宇宙を後に、ラーシー君は無事故郷へと帰ってきた。親方の顔を思い出しながら、ラーシー君は慣れ親しんだ故郷の土を踏みしめる。だが、そこは既にラーシー君が知っている場所ではなくなっていたのだ。
宇宙へと旅立っていた数年間で故郷はダムの下に沈み、親方の居場所は分からない。悲嘆に暮れるラーシー君にとって、冷たい雨はとても痛いものだった。
そんな雨の中、ラーシー君の前に古めかしい館が姿を表したのだ。異様な雰囲気の館ではあったが、雨風を凌げるならと、嬉々としてラーシー君はその館に入って行ったのだった。それが罠ともしらずに……。
ラーシー君冒険譚第四十六話、ラーシー君のお化け屋敷より抜粋
だ、そうだ。
「ふんふん、なるほどねー」
ひとしきり読み終えたあと、ふう、と息を一つ吐いてゆっくりともう一度それを見つめる。で、
「なっがいわぁあああ!!」
お腹から出した大きな声でお化け屋敷を揺るがす程の声量を張り上げた。
「さっきのやつの続きもの!? ってか重たいなぁおい!! 親方どこ行った! ってかラーシー君逃げてぇええええ!!」
「これは良い話しだったのー。実は親方がラーシー君を待つためにダム建設に反対してたという裏話も最高だったのー。一人でだけど、のー」
「他の人たち納得してんじゃん! 最早親方、ただの迷惑な人だから!」
「その時の親方の一言がすごく熱いのー。あれだけでファンが雄叫びを上げるくらいだのー。そう、あの『ダムなんか作りやがったらテメェらの親兄弟全員殺し尽くしてやる! あっ、ごめんなさい!』は近年稀に見る名台詞なのー」
「恐いこと言って結局謝ってるし! かっこ悪いよ親方!」
すでにお化け屋敷としての空気が霧散しているような気がしないでもないけど、とにもかくにもだいぶ落ち着いたのは事実だ。
とにかく先に進もう。それで早く休みたい。色々と消耗してきたので。……主に俺の精神とか。
「さて、次はなにが出るかな?」
「随分余裕が出て来たみたいだのー」
「心を無にした俺にとってこの程度、児戯に等しい!」
「元々お化け屋敷なんて子供騙しなんだから間違えではないけど、のー。……あ、ドアを開けたらバイオハザード、のー」
真水のツッコミを聞こえない振りをして、さっさと次の部屋へと移動。そしてボソリと呟いた真水にすぐさま抱きついた。
「……さっき言ってたのはどうするのー?」
「て、撤回しまひゅ!」
最後を噛んでしまったけどそこはあえて無視してもらい、真水の後ろから怖々と次の部屋を眺める。
そこは子供部屋のようだった。ぬいぐるみが置いてあって実にかわいらしい部屋だ。もっとも…………この壁一面に赤の絵の具で塗りたくられたよう書かれた文字がなければ、の話だけど。
「これまた面白いのー」
「おおおお、面白くはないと思いますよ!」
アトラクションな訳だから本物でないのは分かっているのだけど、いやにリアルな赤い文字は薄暗い中でもはっきりと見える。ぬいぐるみにもかけられていて、ぬいぐるみ自体が血を流しているようだ。
「助けて、ごめんなさい、許して……こんな壁紙の部屋に住むのは流石のみでもいやいや、のー」
壁に書かれた文字を読み上げながら無表情でため息を吐く真水。俺は既に声も出ない。
「原作でもこんなシーンがあるのか?」
かすれた声で呻くように尋ねると、真水は難しい顔をして部屋の隅に目を向けている。
「こういうのはなかったと思うのー。だけど、ラーシー君の迷い込んだ屋敷は噂を体現する屋敷だったからあっても不思議じゃないのー」
「噂?」
「怖い話とかでも別に良いのー。ほら、本当にあった恐い話とか。その中の一つがこれ、多分唯火でも聞いたことくらいはあると思うのー。
家の奥深くに子供を閉じ込めて、ずっと放置してる話。子供は出してと叫び助けてくれと懇願し、無駄だと分かっているのにひたすら壁を叩き、引っかき、割れた爪から滴る血で呪詛を描く、のー。それを現したのがこの部屋なのー」
「……ひぅ」
真水の話に軽く飛んだ意識をかき集め、頭を振ってもう一度その部屋を見渡す。
「うぅ……なにもそんなのやらなくても良いのに……あれ?」
目の端になにかが映り、もう一度それをよく眺めた。黒いもやのようなものが壁に染み付いているのだ。
「なんだろ、あれ?」
「唯火も見えるか? のー」
ポツリと呟き、それが聞こえたのか隣に佇む真水が同じように部屋の隅を睨みつけていた。
俺にはそれがなんなのかは良く分からない。理解していそうな真水へ恐々と視線を送る。
「俺もって……真水も?」
「みは妖だから、のー。あれはただの雑霊、こういう負の気が充満する場所に自然と寄ってくるやつだのー。今のままだと特になにをする訳でもないけど、あれが集まると霊害が起こりやすくなるのー」
「霊害?」
嫌な字面に嫌そうに顔を歪める。
「霊や妖が人に害を与えること……分かり易く言えば霊が起こす事件。負の気とは生物による歪みのことで、怨み、妬み、憎悪、行き過ぎた愛、そして絶望。それらはただ在るだけの雑霊に力を与え、祟りだの呪いだのそういった事象を起こしやがるのー」
迷惑極まりない、言葉には出さないまでもそんな感情が真水の顔にありありと浮かんでいた。
「ってかさ、ここって出来たばっかだしそんな事件起こってないじゃん。ただの噂だろ?」
「ものの新旧はこの際置いて置くのー。重要なのは、今みが話した話をかなりの数の人間が知っていて、それを模した造りの建物があるという事実だのー」
「いや、だってあくまでただの噂……っていうか作り話だろ?」
「ところがどっこい、その作り話を元に作られた空間なら例えそれが絶対な真実である必要はないのー。ただの作り話で真実じゃなくても、霊がそれを模倣だと気づかず方向性に乗ってしまえば嘘実は真実となり、嘘実な真実は絶対の真実となるのー。嘘から出た真とはよく言ったものだのー。
真似るというのは嘘を以て真に見せること、その力や経緯、能力すらも同様に見せること。本物よりも偽物の方が厄介かつ面倒なのー」
無表情で淡々と説明する真水ではあるが、俺にはとてもではないが現実味がなかった。霊だの言われても、分からないのだから。
「まあそれはそれとして、水持ってるかのー?」
「あ、ああ」
黒いもやから目を離し、突然そんなことを尋ねてくる真水。
いきなりのことに若干驚いたが、さっき買っていた500mlのペットボトルを取り出す。どこから、とは聞かないお約束だ。
「ほい、これでどうするんだ?」
「本当ならこの町を管理している退魔士の仕事だけど、今出張られるとみの存在がバレるかもしれないのー。だから特別に祓っといてやるのー」
真水はペットボトルのキャップは外し、黒いもやに近づくと逆さまにして水をこぼし始めた。途中真水が流れる水に手を掲げていたが、何故かは不明だ。
やがて流れる水も止まり、黒いもやは消えて空のペットボトルを持った真水だけが残された。真水は満足したように頷いてから、呆然としていた俺に近寄って来る。
「終わったのー」
「はやっ! ってかなにしたんだ!?」
「清らかな水は悪意を遠ざけるのー。みはただ水を撒いただけ、これって結構よくやる退魔方法だから覚えておけ、のー。打ち水は元来霊を祓う効果があるのー。祓い水とか言って清らかな水を撒くことによって悪意を散らし、負を蒸発させてしまうのー」
「へー、じゃあいつも俺に向かって水をかけてるババアもそういう意味でやってたんだ」
「……それは知らんのー」
真水は額に一筋の汗を流し目を逸らしている。人と話す時は相手の目を見るようにしましょう。
「とにかく先に行きますか」
「ん、分かったのー。多分もうすぐ終わりだと思うから、も少しがんばれ、のー」
「やだなぁ真水くん。これを見たらもう俺に怖いものなんてあるはずないじゃないか、安心して殿は任せたまえ!」
「……やっぱり怖いんじゃないか、のー」
「そんなことないさ。やだなぁ真水ってば」
「ならみの後ろに隠れるな、のー」
ジト目で俺を見る真水から目を逸らし、冷や汗ダラダラで乾いた笑みを浮かべる。
「あはははは、こ、これは隠れてるんじゃなくていつでも真水を抱えて逃げれるようにだね……」
「……はあ、もう良いのー。さっさと行くのー」
「うんうんうん、それが良いよ! 良いともー!」
「じゃあその代わり……てい、のー」
「うひゃおう!」
にやりと薄く笑ったかと思うと、真水はいきなりその小さな体で抱きついてきた。いきなりのことに変な声を出してしまい、だれに聞かれているはずもないのだが少し恥ずかしい。
「さ、行くのー」
「いや、歩きにくいんだけど」
「みはそうでもないのー」
その後、気味が悪いほど上機嫌な真水を右腕に、俺たちは何事もなく出口へと急いだ。
あ、そういえば一つだけ。
「ははは、ハニー、こう暗ければ誰も僕らを咎めないよ?」
「そうねダーリン! いくら私たちが真っ〇でも見えなければ罪に問われないわよね?」
「そうさハニー!」
「そうよねダーリン!」
「あはははははは」
「うふふふふふふ」
途中、なにやら聞き覚えのある声が聞こえてきた気がしたのだけど……聞こえない振りをしたのは当然だろう。
「唯火、今の……」
「気のせいだよ! 少なくとも俺にはなにも聞こえないから!」
こんな所まで来てわざわざ変態と出会いたくはないのですよ。
お化け屋敷から無事脱出した俺たちは、時間も時間だからと昼食にすることにした。
当初は売店で食べ物を買おうかと考えていたのだが、真水がお弁当を作っていたのが発覚し、急遽予定を変更してふれあい広場と銘打たれた場所で食べることにしたのだ。
「用意周到だな、わざわざ弁当まで作ってたなんて」
「出来た妻にとってこのくらいは当然だのー」
「んー今のは流して良いとこだよなー」
真水のカバンから取り出されたレジャーシートの上には美味しそうな料理が置かれている。
結構な量があり、それに伴って弁当箱も大きい。なのに何故その小さなカバンに収まるのかすっごく疑問である。
「んじゃ、いただきまーす」
「いただきやがれ、のー」
ふれあい広場ってのは結構な広さの場所に整理された芝生が広がっていて、子供が遊ぶような場所だ。俺たちはそこの隅で弁当を広げている訳である。
いつもより気合いの入っている真水の弁当に舌鼓を打ちながら、ハシャいでいる子供たちをぼんやりと眺める。
ゆったりとした、なんとも優しい時間だ。
「はっ、唯火が幼稚園児に色目を使ってるのー」
「そんな時間を今すぐ返せぇえええええ!」
穏やかな時間を見事完膚無きまでに叩き潰していきやがりましたよこの人は!
俺には小さな子供たちを眺めながらのんびりする時間は与えられないのだろうか? 老後の楽しみがまた一つ減ってしまった。
「唯火の視線は見るからにいやらしいのー。とりあえずで通報されるくらいだからよっぽどだのー」
「とりあえずで逮捕されちゃうんだ俺!」
「そんでもってとりあえず死刑になるのー」
「とりあえずで人の命を奪わないで!!」
「仕方ないのー。ならとりあえずみを抱け、のー」
「分かっ……ってなんで!? 今の文脈からどうしたらそんな発言が出るの!?」
「ちっ、惜しかったのー」
やっぱり無表情だけどなんか舌打ちをしている真水。危うく策に陥るところだった。策と言えるほどのものかは別として。
焦る俺を無視しながら箸を進めていく真水だったが、やがて良いこと思いついたとばかりに口元をにやりと歪めた。
「唯火」
「うぅ……今度はなんだよ?」
若干泣きが入ってしまっているが、玉子焼きをパクリと一口して気を紛らわす。真水は自分の箸で唐揚げを一つ持ち上げ、なぜだか俺へと突き出して来た。
「……これはなんの真似でせうか?」
「あーん、のー」
「……あんだって?」
一体この子はなにを言っているのだろう。
「そうそう、やっぱり唯火もして欲しいんじゃないか、のー。そういう訳で、あーん、のー」
いやいやいや、俺はただ聞き返しただけであって間違ってもあーんして、なんて言ってませんから。
「は、恥ずかしいので……」
「気にするな、のー。みは気にしないのー」
「いやいやいや、気にするのは俺だから!」
「良いから良いから、のー」
俺の言葉なんて聞く耳を持たず、変わらずに唐揚げを突き出している。食べるまでずっとこのままでいるつもりなのだろうか。
「くっ、ここで俺が屈したとしても第二、第三の俺がかならずや貴様の……むぐ!」
「どこの魔王だのー」
半ば強引にからあげを口にねじ込み満足顔の真水。だが考えて欲しい。ここには大量のキッズたちがわらわらと蠢いていて、そのお付きには両親がいる訳だ。ここまでは良いだろうか。親とはつまり倫理思考が子供より発達していて、自分でなにかを考えたり判断したり出来る存在だ。極一部を除いて。
その親御さんが今の俺たちを見てなんて思うだろうか。
① まあまあ、なんて仲の良い兄弟なのかしら、的な仲良きことは美しきことかな思考。
② おやおや、あの若さで父親ですか、的な若気の至りだね思考。
③ やべえやべえ、あいつ真性のロリコンだよ、ペド野郎だよ。一回と言わずに百回死ね社会の汚物め、その子は自分が可愛がるっす愛でるっす思考。
さあ、あなたはどれだと思いますか? とりあえず三番目の後半部は死ねば良いと思います。
「あらあら、ロリコン死すべし」
「あらあら、ペド消えろ」
「あらあら、社会の敵」
「あらあら、こんにゃんゼリー持ってたかしら?」
あらあら、皆さん恐いですね。目が据わってるよ。しかも最強兵器であるこんにゃんゼリーなんて取り出してるし。
「じゃあ次はこいつにするのー」
そんな周りの視線など気にせず、次の食べ物に箸を伸ばす。で、案の定俺に突き出して来た。
「真水さん、周りの目が恐ろしいので止めて下さいませんか!?」
「見たい奴には見せつけてやれば良いのー。どうせならもっと激しくやるのー?」
「なにを!? これ以上あれなことすればすぐさま逮捕コースだよ俺!?」
「あーん、のー」
「聞こえてないのか聞こえてない振りをしてるのか、それが問題……ある訳ないですね! どうせ聞いてないぜこんちきしょー!」
結局ひな鳥よろしく食べさせられ続ける俺で会った。
まあ、真水の料理は美味しいから良いんだけど。
「ごちそうさま……ふふ、燃えたぜ、燃えたぎったぜ、まっつぁん……」
「未だかつてまっつぁんなんて呼ばれたことはなかったのー。お粗末さまって言うタイミングを外すくらい驚いたのー」
一心不乱に食べさせられた昼食を終え、俺は空になった弁当箱を普通入らないんじゃね? と思えるほど小さなカバンへと押し込む。不思議なことにすんなりと収納出来てしまい、世界の神秘を垣間見た瞬間だった。
「さーて、すぐ行くか?」
「食べたばっかりに動くのは良くないのー。どうしてもって言うならコーヒーカップ、ジェットコースター、フリーフォール、ヒモなしバンジーをやれば良いのー。もちろん唯火だけ、のー」
「食べたものがもったいない! ってか最後の死ぬんじゃないかなぁ!?」
「じゃあスカイダイビングをパラシュートなしで、のー」
「だから変わってないし! 死ぬよなそれ!?」
とんでもないことを淡々と述べる真水は口元をニヤリと歪め、俺の膝に頭を乗せてきた。
「えー、真水さん?」
「ちょっと休憩するのー。お腹いっぱい、昼寝に限る、のー」
気持ち良さそうに目をつむり、真水の髪が俺の手に触れる。 エロ的な危害はなさそうなので、こちらも吐息して横になった。
頭がシートからはみ出してしまい、芝生がちくちくと首筋を刺している。それが気持ち良いやらくすぐったいやら、なんとなく笑みが浮かんでしまう。
「あー、眠いなー」
「じゃあ寝れば良いのー」
「いー、風が気持ち良いなー」
「みは唯火のひざのが気持ち良いのー」
「うー、真水のお弁当すごく美味かったぞー」
「ん、作ったかいがあったのー」
「えー、子供の声がどこか心地良いなー」
「唯火が子供に欲情してやがるのー」
「おー、親御さんからの目線がめっちゃ冷たい&痛い上にボソボソと性犯罪者がどうとか言ってる気がするなー」
「気にするな、は無理だろうから、少し黙らせるのー」
だらけきっていた真水がのそりと起き上がり、視線をぐるりと回してからポテッと今度は俺の腕を枕にしてきた。
若干瞳が赤いところを見ると、またやったようだけど特に言うことはなし。面倒だし。
「しまった、あ行は全部言ってしまったから次はか行でやるべきか?」
「別になにも言わなくて良いのー。ぐでーってするだけで十分だのー」
じーっと俺を見つめてくる優しげな視線が妙に気恥ずかしくて、ふい、と目線をズラして空を見上げる。
雲が流れて、風が木々を揺らし、突風が服を飛ばしてハニーダーリン言ってる奴らがいたような……最後は無視しよう。
「変態は変態を呼び寄せるか、のー。……流石は唯火」
「ちょっとぉ! その言い方だとまるで俺が変態だって聞こえるんですけど!?」
「まさにそう言ったつもりだ、のー。というか唯火、自分がまともで善良な一般人だと思ってるのか、のー?」
「当然ですよ!」
「…………ふう」
「なにその『分かった分かった、確かに唯火はまともで善良な一般人、世界中の誰もがそう思わなくてもみだけはそう思ってるのー』的なため息は!」
「おお、一言一句間違ってないのー。以心伝心とはこのことだのー。せっかくだから物理的にも繋がってみるか、のー?」
「アウチ! まさかそこでそう返されるとは思わなかったぜ! 流石は真水だな!」
「照れるのー」
「褒めてないんだけどなぁ!?」
頭をかきながら頬を染める姿はかわいらしいけど、いつまでも俺で遊ぶのはやめにしてもらいたい。切実に。
「はぁ」
「ふぅ」
ツッコミ疲れた俺と、ボケ疲れた真水とがほぼ同時に息を吐く。互いに無言な時間に爽やかな風が吹き、なんとも気持ちが良い。
「なあ真水……」
「なんだのー?」
「少し、寝ようか?」
「むう……本当ならここでボケなきゃいけないんだけど、今は眠いしその提案に乗っかるのー」
ぼーっとしながらも、俺たちはただただ、やっぱりぼーっとするのだった。
「さて、一眠り時間終了! 次はなにする?」
パッチリと覚めた目を開け、軽く伸びをする。真水は先に起きていたようで、モジモジとしながら熱い吐息をこぼす。
「ん、唯火……熱かった、のー」
「いきなりなにその発言!?」
驚愕に伸びの姿勢で固まってしまう。さらに真水は言う。
「それから……固かったのー」
「熱くて固い!? 真水さん俺が寝てる間になにしたの!?」
「ついでに言うと……太かったのー」
「なにがだぁああああああ!!」
心地良い眠りから覚めたら、そこは身に覚えのない行為の後だった。
「なにって、唯火の腕枕に決まってるのー。なんだと思ったのー?」
「いやそりゃそうですよねチクショウ!!」
紛らわしいんじゃボケがぁあああ、と内心喚きながらも、心の底で超ホッとする俺がいる。……知らない内に罪を背負うところだった。
起きがけの重たいジョークを乗り越え、真水が話しかけて来る。
「さて、と……次どこいくのー?」
「おう……じゃあ、とりあえずあそこはどうだ!」
どこに行こうかという問いに、たまたま目に着いた場所へ指を差す。一息遅れてそれを眺め、真水はニヤリと笑って言った。
「なるほど、唯火の言いたいことは分かったのー。そこまで言われたのなら本気にならざるを得ない、のー」
「えっ? なにがっすか?」
「まったく、唯火も照れ屋さんだのー。でもまあ、唯火がどうしてもって言うなら、みも覚悟を決めるのー」
チラリと服なんかを捲って扇情的な肢体を曝け出す。周りに人がいたら掴まっていたことだろう。主に俺が。
「いやいやいや、だからなんの話してるの真水さん!? 俺が指差してるのはあれですよ? なんでそんな反応されるのか分からないから!」
「またまたー。あんな『ラブな宿泊施設』を指差すなんて、流石は唯火だのー」
「違ぁあああぁあ!!」
断っておくが別に俺が真水を連れてラブリーなホテルに招待した訳ではない。指の先にあるのはこういう遊園地には定番の綺麗なお城。間違っても愛憎渦巻く宿泊施設ではないのだ。確かに昔田舎で見たとある建物っぽくはあるが、ここは夢とおとぎの国。子供に悪影響を及ぼしそうなものなどあるはずがない。
にんまりと怪しい笑みを浮かべながら体をくねくねと動かす真水。それを止めるにはどうすれば良いのかと思考に耽る。この間僅か二秒。
「やっぱりあれはやめてジェットコースターにしよう! うん、それが良いね! だって遊園地だもん!」
別の場所にすることにしました。あれを真っ向から止めるのは俺じゃあ荷が勝ちすぎです。
真水に対しては無茶しちゃダメ。怪我じゃ済まなくなるので。
「ちっ、情けないのー」
「な、なんだよ、真水はジェットコースター嫌いか? ちなみに俺は苦手です!!」
「苦手なんだ、のー。唯火の苦手なものを無理にやらせる訳にはいかない、やっぱあれにしようか、のー」
「その優しさはもう少し前に行って欲しかったね! 具体的にはお化け屋敷の時とか!」
「人が優しさだけで成長すると思うな、のー」
「正論っぽいこと言って突き放された!?」
その後、暴走する真水から逃げ切るのにかなりの労力を費やしたのだった。
「いや、逃げれてないから、のー。泣いて土下座するから哀れに思って止めたげただけだのー」
まあ、細かいことは気にしちゃダメです。貞操を守り通したので良しとしよう。と言うか、して下さい真水様。
その後も、真水に振り回されながら駆けずり回り、幾度もの危機(主に性的な)から逃げ回り、へとへとになるまで楽しんだ。俺にとっても久しぶりの遊園地な訳で、色々と大変だったけどそれ以上に面白い一日となったのだった。
「はー、遊んだ遊んだ。そろそろ帰るか? それとももう少し待ってパレードでも見るか?」
ここ、三田ラシランドでは夜の七時になるとパレードが始まるらしい。大体の人はそれを見てから帰るそうだが、それが終わるまでいると帰りのバスや電車に乗るのに一苦労だ。そのため、六時くらいに帰宅するのが良い塩梅なんだとか。
正直、俺はどちらでもいいんだけど、ラーシー君大好きな真水のことだし、覚悟はしている。
「ん、ちょっと惜しいけど、今日はいいのー」
「ほーらね、やっぱりパレード見るん……へ?」
……おや? てっきり見てから帰ると思ったのだけど……。
「え、えーっと、真水さん? 今なんて?」
「だから、とっとと帰るのー」
えー、帰るそうです。はい。
ということで、俺達は現在帰路についている。
「…………」
「あ、あー、と。今日は楽しかったか?」
「まあまあ、のー」
「ま、まあまあなんだ……」
「…………」
「あ、あははは……」
く、空気が重い……。なぜだか気まずい雰囲気がバス内を漂っている。気付かないうちにまたなにかやっちゃったのだろうか。
帰りのバスの中、なぜか真水の態度がおかしい。どよ~んとしているのだ。さっきまで普通……っていうか楽しげだったのに。こうなったのは確か、パレードがどうこうって話していた時だ。やっぱり見たかったのだろうか。
しばらくの無言が続き、どうにも我慢できない俺は真水へと声をかけた。
「なあ、真水? やっぱりパレード見たかったのか?」
「……むう。それはまあ、見たかったのー」
意外にも素直に肯定する真水。首を傾げながら疑問を口にした。
「ならなんで見なかったんだ?」
「…………」
チラリと俺に視線を向け、表情を崩すことなく窓の外へと向ける。その横顔は、複雑な歪みを形作っていた。
「……パレードって言うのは、最後に見るものだのー」
小さな声で囁かれた、エンジンの音に消されるような声を拾い上げ、真水の言葉を待つ。
「それを見たら夢は覚めてしまうのー。みには、それが耐えられない……のー」
寂しそうな横顔はただそれだけを言い捨て、それっきり押し黙ってしまう。
ええと、つまりど言うこと?
「あー、真水はもっと遊びたかったってことか?」
あんまり理解出来ていないため違うかもしれないが、そういうことなんだと思う。それがなにに対してなのかは、分からないが。
「……そうだのー。みはもっともっと遊びたかった。誰にも邪魔されず。誰にも見つからずに、唯香と二人で……二人、きりで」
その言葉には真水の切実な願いが込められている。少なくとも、俺にはそう感じた。
「んー。だったらさ、また来ようぜ?」
「……え?」
そんな暗い顔吹き飛ばせとばかりに、俺はニッと大きく笑みを作って真水の頭にポン、と手を置いた。
「流石に毎日とかは無理だけど、それでも一生来れないって訳じゃないんだ。行こうと思えば一時間で行けるんだからさ?」
「また……唯香と一緒に……」
「そうそう!」
確認するようにしっかりと口に出し、真水は俺の瞳を覗き込んでくる。
「二人で……」
「そうそう!」
「くんずほぐれずのプロレスごっこを……」
「そうそ――ってなんか果てしなく違う!?」
ツッコミをいれてから気づく。真水の顔がニヤリと笑っていることに。
危ない危ない。危うく幼女と気持ちの良い『ぷろれすごっこ』をやらされるとこだった。
「……ふふ、冗談だのー。でも、まあ」
バスが大きく揺れ、停留所に着いたというアナウンスが流れる。真水は立ち上がり際、俺の方を向いて控え目に微笑みながら小さな声で囁いた。
――楽しみにしてやるのー。
その笑みを見て安堵して、真水を追ってバスの外へと歩き出した。
微笑みの、本当の意味を理解することなく。
********
暗い闇がオンボロアパートを包み、僅かな光を讃えるはずの星月も今は野暮な雲に邪魔をされて隠れている。疲れたのか、やかましくいびきをかきながら眠っている唯香を見つめ、みは知らずのうちに息を吐いた。
「こんな……いや、今さらか、のー」
ため息と共に吐き出された言葉は闇に溶け、消える。こんな日が来るのは分かりきっていたことだから、今さらなにを言っても仕方ないことだ。
……けれど。
……それでも。
「それでも、怨みごとの一つや二つ……」
あいつらさえ来なければ、みはまだ唯香と一緒にいられたのに。あいつらさえいなければ、みは唯香と……。
「……唯香」
むにゃむにゃ、となにか言っているように口を動かしながら眠っている唯香を見つめ、近寄る。無防備な寝顔を視界に収め、スッと手を伸ばした。
「ん、むうぅぅ! ま、真水が……真水があぁあ!」
「む……?」
よく寝ているところ、急に苦しみ出す唯香。しかもみの名前まで呼んでいる。嫌な夢でも見ているのだろうか。
「ま、真水がおしとやかになって俺にかしずいてるっ!? ありえねへぶっ!」
……とくにかわったことはなかったようだ。別にイラッときて顔面を殴り潰した訳ではない。断じて違う。
「……ふふ。やっぱり、唯火といるとすごく楽しいのー」
きっと理屈なんかじゃないのだ。
唯香がどう思っているのかは分からないけど、みは唯香といると楽しくて、心がぽかぽかしてくる。お日様を小さな体に一身に受けてるように、母親と一緒にお昼寝をするように、とても温かくて、なによりも……。
「……すごく、安心するのー」
近くにいる。ただそれだけで心の底から安心出来て、ただそれだけで幸福な気持ちになるのだ。この温もりから離れるのはとてもとても嫌だけど……。
「唯香、ごめん。みはまた嘘をつくのー。離れないって言ったのに、ずっと一緒にいるって言ったのに……。みは、とんだ嘘つきだのー」
結局、離れてしまうのだ。中途半端に近づいて、中途半端に心を見せて、でも決して全ては見せない。
狡猾に、貪欲に。なぜなら……。
「みは最強最悪の、蛇なのだから……。さようなら、羽賀野唯香。みの……蛇の、愛した人間」
未だ眠る唯香の頬に軽く口づけを交わし、腐りかけの扉を押して外の空気に身を晒す。冷たい空気が肌をなでた。
もう五月だというのに、やけに冷たい空気だった。
のー。




