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妖使いのはがゆさ  作者: 雪月葉
巡る小ヘビと回る外道
15/30

巳の十三

 無事に帰宅することに成功し、現在の時刻は一時を少し過ぎたくらいだ。登校するのが八時だとして、大体七時間。正直微妙なラインだが、そんなことを考えている時間がもったいない。

「ってなわけで、俺は今から勉強するんで真水は寝てていいぞ。疲れただろ?」

 背中に張り付いたコアラ、もとい真水を下ろし、その頭に軽く手を乗せる。

「むむ、みがいても邪魔かもだし、黙ってるのー」

「いや、寝てればいいんじゃないのか?」

「唯火が頑張ってるのにみだけ休めるか、のー。みに出来ることなんて、美味しい夜食を用意することくらいだのー」

 トコトコと台所へと向かい、脇のダンボールから葱やらを取り出している。

「ほれ、支度終わるまで勉強してろ、のー」

「りょーかーい」

 真水に後を任せ、俺は決死の思いで取ってきた勉強道具を卓袱台に広げる。

 さあて、やりますか。


 勉強の場面なんて面白みはないよなぁ。こう、次の日、みたいな感じで終わらせてくれれば楽なのに。

 そんなことを考えながら、俺はんー、と伸びをした。

「にゃー」

「壊れたか、のー?」

「そにゃこにゃにゃいにゃにゃ」

「何言ってるかさっぱりだのー。というか唯火がにゃーにゃー言ってもキモいだけだのー」

「ひどいにゃー」

 畳の上に仰向けになりながら教科書を眺める俺に、真水は台所から声をかけてきた。調理中なためか、さっきからいい匂いが鼻腔をくすぐっている。

「うー、腹減ったぜこんちくしょうー」

「はいはい、今持ってくから待ってろ、のー。机の上片付けろのー」

 お皿を洗っていたのか、泡がついた手を洗い流し、コンロの火を止めて土鍋を持って来る。濡れタオルで火傷しないように気をつけながら、勉強道具が散乱した卓袱台へと置いた。

「み特製の鍋焼きうどんだのー。この前うどん屋の松から材料もらったから作ってみたのー」

「へえ、あの鬼ばばがねぇ。俺が食べに行ったらうどんで絞め殺されそうになったけどな」

「うどんじゃ無理だろ、のー。基本的に唯火と比べるのは全人類に失礼というやつなのー」

「反論できないのが辛いとこだよね!」

 若干泣きそうな、いや既に泣いているのかもしれないけど、そんな顔で俺は土鍋の蓋を取っている真水を眺めていた。

「にしても、悪いな真水。わざわざこんなことしてもらっちゃってさ」

「なに、これで唯火と遊べるんなら安いもんなのー。だから、ちゃんと合格しやがれ、のー」

「……ああ、任せとけ。全科目百点とる男に不可能はないぜ!」

「ま、期待してるのー」

 真水の表情が僅かに緩んだように小さく笑みを浮かべ、土鍋を俺の目の前に差し出してくれる。

「さっさと食って勉強勉強、のー。さあ天ぷらたっぷり鍋焼きうどんだのー」

「わーい、って本当に天ぷらたっぷりだ!?」

 蓋を開けるとあらビックリ。うどんを覆い隠すかのように天ぷらがビッシリと隙間なく乗っていた。うどんどころか汁すら見えない。

「ま、真水さん? これは一体……」

「海老天だのー」

「いや、いやいやいや! これ多すぎじゃないかな?」

「若いんだからこれぐらい食べれるはず、のー」

「食べれなくはないですけどね……って、俺の言ってることはそうじゃない!」

「大丈夫、ちゃんと昨日残ったオムレツも入ってるのー」

「何が大丈夫なの!?」

 オムレツって……流石は真水。ただの鍋焼きうどんにツッコミ要素を入れてくるなんて予想だにしなかったよ。

「ま、ぶっちゃけ夕飯の残りだけど、のー。魚屋の昌に海老が安いからって言われて買っただけだのー」

「そっか。それなら納得」

 聞いた話によると、いつの間にか真水はあの商店街のアイドルになっていたそうだ。

 容姿は当然として、ちょっと無愛想だけど優しく、ダメなお兄さんを養う苦労人と見られていて、そのためかおじさんを中心に真水ちゃんかわいがり連合が出来ているらしい。

 だからなのか時々ただで品物くれたり、滅茶苦茶安くしてくれているのである。おかげで真水が来てから俺の食生活は一挙に上昇傾向だ。

 ……その際の代価として俺の評価が地面にめり込んでるんだけど。

「ほらほら、たーんとお食べ、のー」

「ああ、田舎のおばあちゃんの家に行くと言われそうだよな、それ。もう食べられないのにおかわり進めるおばあちゃん」

「誰が糞ばばあだのー!」

「俺そんなこと言ってないよ!?」

 理不尽にも、真水の拳を受ける俺である。


「痛い痛い、美味い美味い」

「食べるか泣くかどっちかにしろ、のー」

 涙で頬を濡らしながら箸を動かす俺に半目でそう言ってくる真水。殴っといてそれはないんじゃないのか、と思わなくもない。

「くっ、今日のところは勘弁してやるからな!」

「何を、のー?」

「ふっ、今日のところは勘弁してあげようじゃないか」

「言い方変えても分からんもんは分からんのー。しかもそれ、唯火のキャラに合わないのー」

 はあ、とあからさまなため息を吐き、真水は湯のみに湯気の立った熱いお茶を注いでいた。俺はズルズルとうどんを口に入れながらそれを眺めている。

「そういや真水は腹減ってないのか?」

 ふと、何となくそんな言葉が口から飛び出した。ピクリと反応して真水の体が小さく揺れる。

「……みはちゃんと朝昼晩、三時のおやつも取ってるから大丈夫、のー」

「へー、っておやつも!?」

「商店街でぶらぶらしてるとみんなが何故かくれるからおやつ代は心配なし、のー。みんな一様にお兄さんには内緒に、とか言ってるけど、のー」

「ふ、ふーん。ま、まあ別にいいけどね。真水のおかげで三食白いご飯が食べられるわけだし」

 ちなみに以前は米すら買えなかった時期が続いてたりしたのだ。それを思うと今の生活はとても高水準なのである。

「それは置いておくとして、今日は真水もたくさん動いたし、小腹でも空いたんじゃね? ……ってあれ? 真水さんって俺が運んでたからあんまり動いてない?」

「一応自分でも走ってたのー。まあ、いくら妖でも所詮は十歳くらいの身体能力だし、疲れるのは疲れるのー」

「じゃあ腹減り?」

「……黙秘権を行使するのー」

 口を手で隠す真水。だが運が悪い事に俺はそれを覆す決定的な証言を聞いてしまった。それ即ち──


 ぐ~~~~。


「…………」

「…………」

 部屋中に響いた間の抜けた音。

 昔から目は口ほどにものを言う、と言いますが、ここでもう一つ教授しましょう。ずばり、『腹は口ほどにものを言う』と。

「ま~み~ず~ちゃん?」

「……何か聞こえたかのー? それはきっと唯火の耳が腐ってるからに他ならないのー。絶対そうだのー」

「そこまで言うことないんじゃないかな!?」

「う、うっさいのー!」

「ちょ、真水さんどこ行くんですかねぇ!?」

 お腹を押さえすごい速さで壁際まで下がってしまった真水。羞恥に若干赤く染めながら睨みつけている。

「うぅ……唯火ごときに辱められたのー。こいつはもう、唯火を殺してみは保険金で豪遊するしかないのー」

「なんすかそれ!? 色々とツッコミどころだから指差し確認してきましょう! はい、お兄さんの後に続いてね? まず俺がいつ辱めたか!?」

「人は知らず知らずの内に人を傷つけてるものだ、のー」

 遠い目をしながらの言葉はどこか説得力があるような……。

「おおっと! なんだか格好いい物言いにお兄さんびっくりだよ! ほならば次だ! そこで何故俺を殺すことになるんですかねぇ!?」

「究極の恋愛は殺人にあると思うのー。愛するが故に愛する者を殺す、なんて甘美な恋愛だのー」

 随分と病んでいらっしゃる。

「やだよ! そんな恋愛したくないから!? ヤンデレは御法度だからな俺のハーレムには!? くっ、なら最後になんで保険金で豪遊? ってか保険金殺人? 普通そこはあなたを殺して私も死ぬ、じゃないんか!?」

「そんな簡単に死ぬなんて、愚か者のすることだのー。生きて、罪を償うことが大切だから……のー」

「真水…………って騙されるか! 今ハッキリと豪遊がどうのこうの言ってたよなその口で! なにいい話しでごまかそうとしてるのかなぁ!?」

「ちっ、細かいのー」

「細かかぁないよ!!」

「今日はここまでにしといてやるのー」

 舌打ちを隠そうともしないで真水はいつもの澄ました表情を浮かべている。怒涛のツッコミラッシュをものともせず、そそくさと台所へ引っ込もうと立ち上がった。

「だぁがしかーし!」

「きゃう!」

 立ち上がった真水の足をぐいっと引っ張り、倒れるところを支えて膝の上に乗せる。かわいらしい声が聞こえた気がしたが、今回は不問にしておこう。

「な、何するのー。むしろナニ、するのー?」

「しません! ナニはしませんから!」

 むっ、とした表情で顔を上に向けながらも、真水はいつものように俺をからかってくる。

 コホンと一つせき払いをし、思いつきで口を開く。

「実は俺、ただの唯火くんじゃないのだよ。なんとぼくは嘘発見器唯火くんバージョンなのさ!」

「…………は? のー」

「つまりだね、これから俺が質問するんで真水はそれに答えればいいのだよ。んでもって、俺が嘘を見破るから」

「はあ、のー」

 困惑気味の真水は訳も分からずに首肯する。そんなことはお構いなしに俺は咳払い一つ、質問を始めた。

「てーわけで早速質問! 真水ちゃんは今日お昼に唯火くん秘蔵の写真集を捨てた」

「んなもん知らないのー」

 淀みなく答えるその姿はおおよそ嘘を吐いているようには見えない。しかし、俺には分かる。

「はいダウトー! ってかなんだってぇええ! マジで捨てたのか!?」

「な、なに言ってるのー。みはんなもん知らないのー」

 所在なさ気に泳ぐ視線からは秘蔵写真集の末路が見えた気がした。

「く、くそう……ともかく! 俺の嘘発見器からは逃れられんのだよ! ならば今日、俺が冷蔵庫の奥深くに封印しておいたプリン食べたか?」

「知らん、のー」

「これまたダウトかよちくしょう! 楽しみにしてたのに!」

「いや、だから何でわかるのー?」

「ふふふのふ、真水と暮らして一週間、もはや貴様の嘘偽りを見抜くなどお茶の子さいさいだぜ!」

「たった一週間でんなこと出来るか、のー」

 目を逸らし、ボソリとそう言っている真水。俺はその頭に顎を乗せ、最後の質問を問う。

「真水はお腹空き空きです。はいかイエスで答えなさい」

「それどっちも同じだのー」

ヤー(はい)、ですかそうですか。やっぱりお腹空いてんじゃんこいつー」

「誰がんなこと言ったか、のー!」

 俺は真水を膝に乗せたままうどんに息を吹きかけて冷まし、それを真水の口へと持っていく。

「ほい、あーん」

「む……し、仕方ないのー」

 チラリと俺を盗み見た後、真水は恐る恐るうどんを口に含んだ。

「ふふん、美味かろう?」

「みが作ったんだから当然なのー。というか、唯火が偉そうな理由が不明だのー」

「細かいことは気にするな!」

 俺は真水の頭の横から顔を突き出し、うどんを食べる。で、次は真水へと食べさせ、交互に食べていく。

「これってあれだよな、一杯のかけそばを二人で食べるという心温まる物語?」

「蕎麦じゃなくてうどんだけど、のー」

「むむ、おぬしそば派か!?」

「どっちかというと蕎麦よりもうどんのが好き、のー」

「ほう、ちなみに俺はラーメンだな」

「蕎麦とうどんの話じゃなかったのかのー?」

 うどんを口元に持っていくと鳥の雛みたいに食べる真水の姿を見ながら、一緒に食べるこの時間は結構好きだ。

 いつもムスッとしている真水が少しだけ表情を崩して見えるのは、気のせいじゃないだろう。

「ってかさぁ、真水はちゃんと晩飯食ったのか? それにしちゃ結構飢えてるじゃん」

「……のー」

 天ぷらを口に含みながら、真水へと視線を移す。すると、少し見つめ合った後、ふいと視線を逸らした。

「真水さん?」

「……むぅ、一人で食べてても美味しくない、のー」

 少しの間をおいて、真水はポツリと呟いた。

「みだけでご飯食べても、つまらないし美味しくないのー。だから唯火が帰って来るまで待ってようとしてたのー」

「……え、え?」

「けどいつまで経っても帰って来ないし、仕方ないから心配して学校行ったら変なのが大量発生してるしで無駄に疲れたのー」

「……うわ、かわ……」

 つまり、一人で食べるよりも俺と一緒がいい、何てことを逸らし目線で言っているのだ。そんな真水に不覚にも萌えてしまったのは不可抗力だと思う。

「……? どうかしたかのー?」

「あ、いやいやいや、何でもないとも! さ、さて、そろそろ再開しようかな」

 膝の上に乗った真水を下ろし、教科書へと手を伸ばす。少し汁が飛んでいたらしく染みになっているが、気にしない。

「ん、頑張れ、のー」

「おうともさ」

 汁だけになった土鍋を持ち上げ、台所に引っ込む真水を見つめながら、俺は自然と浮かんだ笑みのまま机と向き直る。

 あの子の笑顔のため、何てのは格好つけ過ぎだけど、それでもほんの少しだけ真水に微笑みが浮かぶように、そう考えてペンを取るのだった。

「ま、頑張りますよ。頑張りますとも。男たるもの、美少女に笑顔を届けるためには苦労を惜しんだらダメだからな」


 ********


 月日は流れ、早いものであの戦いから十年と二日。……引くことの十年。俺たちは多大なる犠牲の果てにここにいる。

「なにふざけたこと言ってやがるか、のー」

「……真水さんや、勝手に人のモノローグに突っ込まんでくれない?」

「顔に出てただけだのー」

「どんな顔してたんだよ俺!」

 卓袱台に並べられた和の国が誇る食事へと手を伸ばしながら、俺は真水へとツッコミを入れる。

「うぅ……緊張するなぁ、テスト返却」

 今日は待ちに待ったテストの返却日だ。昨日の今日で返ってくるわけだが、明後日からゴールデンウィークなのだから仕方がないのだろう。先生方も大急ぎで採点したようだ。

「やることはやったんだから、きっと結果が付いてくるのー。もし駄目なら晴れてみと唯火が結ばれるからそれはそれで良し」

「いやいやいや! いつの間にそんな超ヘビー級な事態になっちゃってるの!?」

「あ、ちゃんと身も心もだから安心しろ、のー」

「安心する要素が皆無なんだけど!?」

 真水は朝から絶好調。俺はというと、かなりドキドキバクバクだ。男が終わる、というか人生が終わりそうになっている。何せ『結婚は人生の墓場』とは良く言うのだし。いやまあ、結婚とかそういう綺麗なものじゃないんだろうけど。

 ご飯を一気にかき込んでから味噌汁で流し込み、丁度そのタイミングでお茶を淹れてくれた真水から湯のみを受け取り一口。渋い安物のお茶で一服してから時計へと目をやる。

「さて、そろそろ行くかな。早めに行かないと問答無用で遅刻にされるんだよ」

「ん。今日は昼には帰って来るのかのー?」

 俺が立ち上がると、真水は側にあったカバンを手に取り、立ち上がって俺へと手渡しながらそう尋ねる。

「うん、確かそうだったはず。テスト返して、十時くらい? それなら別に行かなくてもいい気がするけどな」

「ま、頑張れのー。お昼は何が食べたいのー?」

「うー、真水の作る飯はどれも美味いしな。炒飯とか」

「分かったのー。美味いかどうかはテストの結果次第だ、のー」

「う、これまたプレッシャーかよ……」

 ニヤリと笑みを浮かべる真水に苦笑いを浮かべ、俺は玄関へと移動した。

「じゃ、行って来るよ」

「ん、行って来い、のー」

 サンダルを履いた真水が玄関から出て来て軽く手を降っている。俺はそれに応えるように手を振り返し、川の方へと視線を移した。

 朝の日差しを輝かせる水面を見ながら、ふと、思う。

「あれ? なんかこれって新婚さんみたいじゃね?」

 ……ロリっ娘と新婚なんて冗談じゃない! 朝の通学路で警戒態勢を最大限に上げよう、なんて心に誓う俺がいた。




 まだ人もまばらな朝の教室で俺は窓際にある自分の席へと着く。前後右の席に座るはずのクラスメイトはまだ来ていないらしく、彼らの机は私物で溢れている。

 例えば俺の隣の席には小さめの冷蔵庫と巨大なお菓子箱が。例えば前の席にはテレビと家庭用ゲーム機がいくつも。例えば後ろの席にはバイクが。んなもん教室に持ち込むな、ではあるのだが、担任曰わく『羽臥野じゃないから許可ー』だそうだ。

 それに比べて俺の席はさっぱりとしている。学校に不要な物なんて当然持って来ていない。携帯すら持って来ていないのは俺くらいなものだろう。ってか携帯自体持ってない訳だし。

 そして机だって整理整頓されている。教科書はあの日を境にキチンと持ち帰るようにしているし、机の上は何も出ていない。さらに椅子すらない。

「って何故ぇえええええ!?」

 俺の叫びにクラスの奴らがこっちを向いたが、そんなの関係なし。あるものと思っていた椅子がなく、ついついいつもの調子で椅子に座る動作をしてしまったので大変大変。見事に尻もちを着いてしまった。

「なして? なしておいどんの机ばなくなってると!?」

 椅子の代わりに薄っぺらい布が一枚。そして本来机があるべき場所には何故か『みかん』の三文字が入ったダンボール。漫画でしか見たことないぞ、この待遇?

「そこ行くクラスメート君! なんで俺の机がないの!? これってもしかしなくてもイジメだよね!?」

「知らねーよ、オレが来た時からそうだったぞ。話し掛けるなよ」

「あ、確か朝先生がやってたわね。勝手に動かしたら成績1にするって。こっち見ないで」

 愛すべきクラスメート達は言葉の後ろに鋭い刃を付け足しながら教えてくれた。俺はチョチョ切れる熱い涙を拭きながら、とりあえず状況を把握するために思考を巡らす。

「つまりは、つまりは……あのクソハゲのせいかこんちくしょう!!」

 考えるまでもなかったけど。

 どうもテストの件といい今回といい、あのハゲ先公はよっぽど俺が嫌いらしい。

「……ま、野郎から好かれたいとは思わないけどなー」

 はあ、と鬱屈とした息を吐き出し、薄い布へ腰掛ける。地べたに座るのと大差はないのだが、それでもないよりはマシか。

 授業開始までの二十分間。みかんの箱に顔を埋めながら、侮蔑の込められた視線を無視するのに費やした。



「では、テストを返す。名前を呼ばれたら前に来なさい」

 担任であるハゲ先生はHRを早めに切り上げ、すぐにテスト返却へと移った。その際、俺をチラリと見て気持ちの悪い笑みを浮かべながら。

「あー、安藤…………海田……内藤」

 生徒たちは担任から一枚の紙を渡され、一言二言何か言われて自分の席へと戻っていく。その表情は大体同じようなもので、安堵の表情を浮かべている。

「ゴールデンウイーク潰れるのはやだしなぁ。俺は……ま、大丈夫だろ」

 テストが終わった後、俺は答え合わせをちゃんとしたのだが、そしたらなんとびっくり全教科満点だった。ちょっとしたミスで数点引かれるにしてもかなり自信ありだ。

 もう少しで俺の番。やっぱり少し緊張する。

「野田……東」

 って、おい!!

「はいはいはい! 先生一人忘れてますよ!!」

「あー、そうだそうだ、忘れてた。ちっ……羽臥野ー」

 今あからさまに舌打ちしやがりましたよこのハゲ。

 にこにこと作り笑いを浮かべて立ち上がり移動する。先生の前に行き、紙をもらい中を見ようと――

「羽臥野、補修だからな」

「……え?」

 担任のその一言でピシッ、と固まり、急ぎ紙に書かれているものを読みとった。

「えっ? ……そん、な」

「ははは、残念だが補習だよ。いやはや、我がクラスから補習者が出るなんて恥ずかしい限りだよ。まあ安心したまえ、周りが遊びほうけている中勉強が出来るんだ。嬉しいだろう?」

 心底楽しそうな担任の笑い声。教室からは嘲笑が溢れ、バカを見るような目で俺を見ている。けれど、俺は視線を動かせないでいた。

「全教科……28点?」

 結果は半分もいかない点数。いわゆる赤点と言われる点数だった。しかも全教科。これは明らかにおかしい。

「……いやだなぁ、先生。冗談はキツいっすよ。遊んでないで早いとこ本当の点数教えてくれません?」

「はっはっは、何を言うかと思えば……残念だがそれがおまえの点数だぞ?」

「いやいやいや、今回は俺自信あったんですよ。自己採点で満点取れてましたし。流石に満点じゃなかったとしてもこんな点数にはならないですって」

「それはおまえの採点ミスだな。おまえは見ての通り補習だ」

 ニヤニヤといやらしい笑みで俺を見る。周りの奴らも似たような表情だ。

 担任の態度や不自然な点数からこいつが何かやったのは明らかだと思う。なら、その証拠を突きつければいいのだ。そう考えた。考えは、した。けれどその前に――

「……ざけんなよ」

「んー? 何か言ったか、補習くん?」

 喉の奥から絞り出されるように声が出ていた。それは小さかったためか、周りはおろか目の前にいる担任にすら聞こえていなかったようだ。俺以外の奴らには敗者の戯れ言にしか聞こえないのか、嘲笑が一際大きくなる。

「………………ふう」

 そんな周りを見渡し、落ち着こうと目をつむる。目蓋の裏にはあの子が――

「ざけんなっつってんだよクソハゲぇええ!!」

「ヒッ!」

 次に目を開くと、自然に口が動いてしまっていた。

「なあ先生さんよ? 答案用紙、見せろよ」

 シン、と静まり返った教室で俺の声だけが響き渡り、さっきまで担任と一緒になって俺を嘲笑っていたクラスメート達は驚愕に目を見開いていた。普段から何事も黙って受け入れていた俺が感情を爆発させたのが余程可笑しいみたいだ。

 くだらないとは思うが、今は取りあえず目の前のことが最優先だ。

「なあ? テストの答案見ればわかるだろ? それ、見せろって言ってんだよ」

「な、な、何の権限でそんなことを……」

「何のって。俺、受験者。あんた、問題作成者。逆に何の問題がありますか?」

 裏返った声を出す担任を鼻で笑い、睨みつける。

「早くしてくれませんかね? 今日は早く帰るって約束してるんで、出来れば早急に。ほら、俺っていつも忙しいし? 主にナンパで」

「あ、う……き、貴様なんぞに誰が見せるか!」

 担任の言葉に流石の俺も呆れ、一旦教室から出てあることを確認する。

「あのテストって答案を返すんじゃないんですか? ほら、隣の教室は答案返却なのに何でここだけ点数だけなんですか? 納得のいく説明、及びその理由を詳細にご説明下さいませませませ?」

「ぐ、ぐぅ……」

 既に言葉もなく、ただ唸るだけの担任を見ながら、早く炒飯食べたいなー、なんてことを考えていた。


 そんな睨み合いも数秒。それは突然の来訪者によって打ち切られた。

「失礼するぞ」

 コンコン、とノックをしながら扉にもたれている少女がそこにいた。

 流れるような銀色という珍しい髪色を腰まで伸ばし、それが妙にしっくりくる。あの色が一番彼女に合うとまで思えるほどだ。スッキリとした目鼻に片方の目を閉じているのだが、その片方だけで意思の強さが感じられる。色違いの制服に身を包んだその外見から先輩だろうとは分かり、そして何より目を引くのが――

「だ、ダイナマイツ!」

 思わず仰け反ってしまうほどの、はちきれんばかりに育った二つの双丘。京奈さんに勝るとも劣らないあの理想郷アヴァロンが目の前に!

「う、うぉおおお! 美人で巨乳のお姉さまキター!」

「うわっと」

 ついついその魅惑的な体に引き込まれるかのように抱きついてしまう俺。いきなりの事態にもあまり驚かず、腰に抱きついている俺へと目を向ける。

「お前な、今の今までの空気台無しにするなよ」

「いえいえいえ! 美女、美少女とお近づきになれるんだったらそんな些細なことは良いのですとも!!」

「変わった奴……まあ、いいか」

 ふう、と息を吐き出し、俺の頭に何かを乗せる見知らぬ先輩。それに手を伸ばし、チラリと見て……ものっそ驚いた。

「こ、これって……俺の答案用紙!?」

「まあな。職員室から拝借してきた」

 驚きについ先輩から手を放し、それを食い入るように見つめる。

「は、拝借ですか?」

「そう、拝借だ。どうやらある教師が一人の生徒を陥れるためにわざわざ隠していたらしい。ひどい先生もいるものだなぁ?」

「ひっ!」

 先輩はわざわざ視線を担任へと向け、楽しそうに笑みを作る。

「さて、私はこれでおいとまするか。まだ課題が残ってるし」

 軽く伸びをし、その先輩は小さく欠伸をして背を向ける。

「あ、途中までご一緒します。もういる理由もないですし」

「そうか? それじゃあ、エスコート願おうかな」

「ウィ、マドモアゼル?」

「ふふ、面白いな、お前は」

 答案をカバンに突っ込み、俺は恭しく頭を下げて先輩の手を軽く握る。それをクスクスとおかしそうに笑いながら、呆然としている教室を後にした。



 靴を履き替えて中庭へと移動した俺たちは、ベンチに腰掛けて缶ジュースを飲んでいる。ちなみに先輩が飲んでいるそれ、俺が僅かばかりのお礼として渡したものだ。

「いや、助かりましたよほんとに。最悪強行手段に出るとこでしたし」

「それはそれで見たかったかもしれないな。まあ気にするな。このジュースで手を打つよ」

「やー、金欠なんで申し訳ないっす」

 アップルジュースを飲みながら俺の視線は自然とある一点へと注がれている。

 ……フフフフ、やはり凄まじい戦力だ、とか思ってたり。

「ふふ、私としても少し気晴らしに来ただけだからな。本当に気にしないでくれ」

「気晴らし、ですか?」

「ああ。私は大学部の科学館に所属しているんだ。だから結構優遇されてたりする。そのおかげで今回みたいに職員室に入れたりするんだがな」

「大学部って……ありなんですか? そういうの」

 一応高校生であろう少女にちょっとした疑問を投げかけた。先輩はそれに頷きながら説明を続ける。

「特例中の特例だが私の他に何人かいたはずだな。顔を合わせたことはないが、私と違って優秀だそうだ」

 先輩の口元には自嘲めいた笑みが浮かんでおり、何故か空気が重くなってきた。

「あ、あのー、先輩は何をやってるんですか? 科学とかかっこいいっすよね?」

「大したことじゃないよ。私は機械化工学を専行している。さらに言うとロボットだな」

「ろ、ロボット?」

 先輩の言葉にふと、嫌な映像が脳裏に映し出された。具体的には多脚型のロボの群れと人型の顔なしロボ。

「そう、ロボットだ。一応試験的な意味合いを兼ねて校内の警備を担当しているんだ」

「校内の、警備?」

 それは否が応でも以前のことを彷彿とさせる言葉だった。多分、恐らく、きっと、この前のロボの製作者は……。

「この前何体かが水だらけで壊されていたんで、改良のために泊まり込んだりしてな」

「あんたかぁああああ!!」

「うお、何だ?」

 つい叫んでしまった。

 やっぱりあのビックリドッキリロボはこの人が造っていたようだ。今すぐにでも声を大にして文句を言いたい。それを盾に胸を揉ませろー、なんて叫びたい。けどそれやると俺が校舎に侵入したことがバレるからなんとか我慢である。

「で、どうかしたのか?」

「あ、あー、あんまりやり過ぎるのはどうかと思いますね、ぼくとしましては」

「やり過ぎ? 侵入者に対してはやり過ぎだの殺り過ぎだの、ましてや人権なんて元々ないんだぞ?」

 うわー、すっごい綺麗な笑顔でなんだかすっごいこと言ってますねこの人。

 ってか今いくつかおかしいこと言ってませんでしたかねぇ!?

「で、でもですね、流石にビームはやり過ぎかと……」

「へえ、良く知ってるな」

「しまったぁあああ!! なんて狡猾な! 誘導尋問なんて卑怯ですよ!?」

「いや、今のは明らかにお前の自爆だろう」

 呆れ眼で俺を見る先輩。

 いやっ! そんな目で見ないで!

「くっ! しかしまだ俺が侵入したなんて気づいていないはず……」

「今思いっ切り言ったな」

「はい二回目! って訳でご一緒に! しまったぁあああ!」

 絶叫第二段を一人で行いつつ横目で先輩の様子を覗き見ると、若干呆れた表情だがどこか楽しげに見える。これがいつ通報コースになるのか考えたくもない。

「え、えーとですね……参考までにもし侵入者を捕まえたらどうしちゃいます?」

「それはもちろん」

「も、もちろん?」

 一拍の間を置き、緊張で汗が滝のように流れている俺に向かって先輩は口を開いた。

「ありとあらゆるごうも……尋問をするな、とりあえず」

「今拷問って言おうとしませんでした!?」

「その後は……そうだな。やはり悔い改めてもらう意味を込めて臓器を売っ払おう。私の懐も温かくなって一石二鳥」

「悔い改めての意味が分からんですよ! それをして得するの先輩だけだと思いますけど!?」

「最終的には私の研究室にでも来てもらう。…………ところで、サイボーグとか良いと思わないか?」

「改造!?」

「流石にそこまではまだ無理だな。良いとこモルモットになってもらうくらいだ」

「実験体にされるんだ!?」

「モルモットの方が可愛い響きだよな?」

「でも結局は同じ意味で使用するんですね!?」

 ヤバい、ほんきで身の危険を感じる。この人、美人なのにほんと良い根性してるなぁ。笑顔でここまで言える人なんてなかなか……いや、いたな。すぐ近くに無表情でもっとひどいのが。

「それはそれとして、だ。これなんだと思う?」

「うぅ……なんすか?」

 うなだれる俺を気にした風もなく、先輩は取り出した数枚の紙を渡してくる。どうやら何かの写真のようだ。

「どれどれ……げふぅ!」

 それを視界に収め、思わず吹いた。

「おっと、どうかしたのか?」

「こ、こ、これって……」

 その写真は不鮮明ではあるが、真ん中にはっきりと見た顔が写っている。最近食生活が向上されて血色の良くなってきた、そんな俺の顔が。

「どうだ? 可愛く撮れているだろう」

 しかも、暗い教室で何故か机に突っ伏して寝ているという超超激レアバージョン。もしやあの時に撮られてたのか?

「昨日回収したのを調べてたら一体だけ侵入者の映像を撮っていたのがいてな、開けてびっくり玉手箱状態だ」

 俺の寝顔というマニアが見たら涎物な写真の他に、ロボを踏んづけている写真や床を転がっている写真が数多い。唯火くんマニアに売ればこれだけで一財産だろう。

「……そんな奇特な奴はいないだろ」

「え、今なにか?」

「いや、なにも?」

 先輩がボソリと何か呟いたように聞こえたが……気のせいだろう。

 いや待て、逆に考えれば良いんだ。売ったら一財産ならば一財産である俺☆コレクションを持ってる先輩はつまり――!

「よーするに先輩は唯火くんマニアだった訳ですね! そんなあなたの胸にダーイブ!!」

 熱く燃えたぎる衝動と共に飛びかかるは一条の閃光。光を遮る手段など――

「はあ……なんで、そう、なる!」

「げふっ! がふっ! のぅわぁあああ!!」

 ナイスなタイミングで顎を捉えた拳が俺を宙に浮かせ、さらに踵が落とされて地面に叩きつけられる。その上跳ね返ってきた体に心・技・体の込められた正拳突きがめり込み、毬のように何回かバウンドしてなんとか止まった。

「ふ、ふふ……やるじゃない?」

「あー、すまん、何故か殴りやすかった」

「……ガク」

「自分で言うな。まったく……」

 倒れた俺に近づき苦笑を浮かべ、先輩は未だ力が入らない俺の手にもう数枚の写真を握らせた。

「あの、これは?」

 渡された写真を訝しげに眺めながら、腹を押さえてなんとか立ち上がる。

「実はデータ自体が既に破損してしまってな。残ったのはそれだけ。そして『侵入者が写った写真』は今、私の手にはない。私は何も見ていないし、何も聞いていない。それで良いと思わないか?」

「……良いんですか?」

「質問の意味が分からないな。私はただ、心優しい後輩からジュースを奢ってもらっただけだぞ?」

 ふっ、と笑う先輩の意図に気づき、俺はためらいなく『何故か俺の手にある写真』をビリビリに破り捨てた。

「ふふ……さて、私はこれから研究室に戻らないとな。それでは羽臥野くん、またな」

「ういっす。あ、その前に……」

 そういえば、と俺は自分から名乗っていないのに気が付き、にかっ、と微笑んでから自分の名を口にした。

「知ってると思いますけど俺は羽臥野唯火っす。やっぱり名前くらいは自分で言いたいですからね」

 そういうと一瞬先輩はキョトンとした表情を浮かべ、柔らかに微笑むと、その形のいい唇を動かした。

「ふふ、そうだな。一条桃葉だ。覚えておいてくれ」

「大丈夫っす! 美人の名前は絶対に忘れないですから!」

「私もお前の名前は忘れないだろうな。というか、忘れられそうにない」

 一条桃葉先輩。なるほど、かわいい名前に凛としたたたずまい。さらにはあのダイナマイツ! 俺は素晴らしい人と出会ってしまった。今日のことを皮切りにどんどん親密度をアップしていずれはむふふな展開へ……。

「うぉおおおおおお! 一条先輩!! って、あら?」

 振り返った先には既に一条先輩はいなくなっており、遥か遠くに銀色の髪が見えていた。

 どうやら妄想に浸りすぎていたようだ。

「ちぇっ、せっかくお近づきになれたのになぁ。と、早く帰って真水に報告しなきゃな」

 少し残念な気もするけど、またいつか出会えるだろう。俺の美女レーダーがそう言っているし。

 とりあえずは、ゴールデンウィークが無事に訪れたことを喜びましょうか。



 学校から走って帰ること十分と少々。河原の側にあるオンボロアパートが見えてきたので息を整えるためにスピードを落とし、ゆっくりと歩く。変に息を切らして帰ると真水に何を言われるやら。

『そんなにハアハア言ってどうしたのー? まったく、唯火が望むならいつでもヤらせてやるのー』

 とか言うかもな。…………うん、ありえそう。

「ま、まあ最近はそこまで誘惑してこないから大丈夫だろ、うん」

 スーハーと深呼吸をしてから俺はアパートの扉を開けた。

「へいへーい! 聞いてくれよ真水ー、今回のテストどうだったと想う? なんとなんとぉー、って、あれ?」

 扉の先にはガランとした部屋。本来いるべき真水の姿は影も形も見えなかった。

 おかしいな、と思いながら部屋へと入り、卓袱台の上に置かれた紙切れが目に止まった。

「んー? 買い物か……なんて間の悪い」

 その紙切れには素っ気なく昼の買い物に行ってくる、とだけ書かれていた。

「なーんだ、せっかく俺の素晴らしきテスト結果を報せようとしたのに」

 小さく文句を言ってから冷蔵庫に入っていた牛乳を取り出してそのまま飲む。やることもないので型の古いテレビの前に座り込み、リモコンのスイッチを入れてつまらないニュース番組を眺めながら真水の帰りを待つことにした。

「あーあ、真水、早く帰ってこないかな」

 カバンの中に入っている答案用紙を思い浮かべ、それを見た時の真水がどう反応するかを楽しみにしながら、俺は横になった。

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