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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
99/107

4-26

 六月中旬、剣の騎士(ブランドル)槍の騎士(ガーランド)盾の騎士(ランドルフ)を中核とする同盟軍混成部隊一万四千はグロスターを出立した。

 あとに残されたのはルシウス、アウロを始めとする航空部隊の面々だ。アルカーシャ、ジェラード、クリスティアといったお決まりのメンバーもここに含まれている。


 中でも、クリスティア・ランドルフにとっては久々に過ごす故郷だった。

 一度は父親に見捨てられる形で家を勘当されたクリスティアだが、ランドルフ家の参戦に伴い、パンチ一発と引き換えに(彼女が殴る側である)元通り生家へと復縁していた。

 それどころか、当主であるカーシェンが戦地へ出征してしまったため、領内の雑事は娘である彼女が切り盛りしている。

 カーシェンには他に二人の息子がいるが、上は八歳で下は六歳とどちらもまだ幼い。また、クリスティアの母ミリアは二人目の息子を産んだ後に産褥病で死んでしまっている。

 だから、十八歳のクリスティアにお鉢が回ってきたのだ。実際、彼女の実務能力は優秀だった。シルヴィアやルキには劣るものの、生来の要領の良さのおかげで何事もそつなくこなせるのである。


 ただ、それはあくまで表面上の話だ。

 開戦以降、ボロ雑巾の如く便利に使われ続けたクリスティアはその内側にストレスを溜め込んでいた。

 そこに当主であるカーシェンの出立だ。消え去った家長と残った仕事。

 溜まり溜まった鬱憤が爆発するのは当然のことだった。






「んもおおぉぉぉ! あのクソ親父ったら何考えってるのかわっかんないわよ!」


 どん! とクリスティアは飲んだくれよろしく酒盃を叩きつけた。


 彼女がいるのは領主邸内にある客室だ。

 部屋の主はジェラード・ブランドル。彼がクリスティアに誘われ、一緒に酒を飲み始めたのは一時間ほど前のことだった。


(うーむ。しかし、参ったぞ)


 ジェラードは内心で唸りを上げた。


 最初は『少しくらい幼馴染の愚痴に付きやってやろう』程度の気軽さだった。

 それが、いつの間にかすっかりお開きのタイミングを逸してしまっている。

 というのも、普段は適度な飲酒を心がけているクリスティアが、今日に限って我を失うほど泥酔してしまったからだ。どうやら故郷の風に当たったことで気持ちが緩んだらしい。


「自分の都合ばっかり娘に押し付けて! 尻拭いさせられる側の身にもなって欲しいわよ! せめて、ごめんの一言くらいあっていいと思わない? こっちは苦労したってのに上から目線でこう! こう!」


 しゅしゅしゅっとシャドーボクシングをするクリスティア。父親の幻影に激しい殴打を加えているようだ。


「おい、クリス。そのへんにしとけよ。飲み過ぎじゃないのか?」


 ジェラードは見るに見かねて制止した。

 が、クリスティアは青年の顔を見上げたままじっと目を据わらせ、


「いいのよ。今は父さんもいないんだし、この部屋にはジェラードだけだわ。あなたに呆れられるのなんて今更だもの」

「だが、未婚の娘が男の部屋に乗り込んだ挙句、酒を飲んでくだを巻くってのは頂けないな。襲われても文句が言えんぜ?」

「うるさい。どうせそんな度胸もないくせに」


 ぷーっと頬を膨らませたクリスティアは、再び酒盃片手に愚痴をこぼし始めた。

 ジェラードにそれを止める術はない。彼は説得を諦め、延々と続く父親への不平不満を聞き流し始めた。


(やれやれ、こいつが素を出すようになったのは喜んでいいのやら悪いのやら)


 本来、クリスティアは貴族の令嬢らしく世間知らずでワガママな性格だ。

 しかし、ブリストルには両親を失ったばかりのアルカーシャがいた。だから彼女は自分を殺し、影で親友を支え続けてきた。

 そもそもクリスティア自身、ほんの数カ月前まで父親に勘当されて居場所を失っていた小娘だったのだ。借りてきた猫のように大人しくなってしまったのも当然と言えよう。


 ――が、このグロスターは彼女のホームである。


 アウロやルシウスの前では淑やかさを保っていた彼女も、昔からの知り合い、特にジェラードと二人きりの時は子供っぽい姿を見せていた。


 二人の関係は、アウロとアルカーシャのそれにやや似ている。

 ジェラードとクリスティアが交友関係を結んでいたのは、今から六年ほど前のことだ。もっと言えば、二人の母親が生きていた頃までの話である。


 二人の母親は親友同然に仲が良く、月に数回子供を連れてはお互いの家を行き来していた。

 そして母親同士がお喋りに興じている間、暇を持て余したクリスティアの相手はもっぱらジェラードがさせられていたのだ。

 とはいえ歳が離れていたため、ジェラードは彼女に女を意識したことはなかった。当時の二人は兄妹に近い関係だった。いや、それは再会を果たした今も同じだ。


「ね、ジェラード。ちゃんと私の話、聞いてる?」


 そこで再び、じっとブラウンの瞳が青年を睨み上げる。


 と同時に、ジェラードは胸に柔らかな重みがのしかかってくるのを感じた。

 今、二人はベッドの上に座っていた。サイドテーブルの上には葡萄酒の入ったボトル。クリスティアの体はジェラードの開いた両膝の間に収まり、青年の胸板を背もたれ代わりにしている。

 傍から見れば兄妹――どころか、恋人と見紛わんばかりの体勢だ。みぞおちの辺りを後頭部でぐりぐりと押され、ジェラードは眉をしかめた。


「聞いてる。聞いてるよ。父親がなに考えてんのか分かんないって話だろ」

「そーよ。だって、あの人。今までは私をルシウス殿下とくっつけようとしてたのよ? なのに、今度は『アウロくんとの結婚はどう思う?』なんて聞いてくるんだもの。訳が分からないわ」

「おう……。って、ちょっと待て。誰と誰が結婚するだって?」

「ま、まだ結婚するって決まった訳じゃないわよ」


 クリスティアは指先をこねくり回しつつ、真っ赤な顔を俯かせた。


「あの馬鹿親父、アウロさんを私の花婿にしたいそうなのよ。だからもしクリスにその気があるのなら――って」

「どういうこっちゃ」

「それを聞きたいのはこっちよ。ただ、最近の父さんはアウロさんと仲が良かったみたいなの。ひょっとしたら、アウロさんのことを気に入っちゃったのかもしれないわね」

「いや……うん。そうか」


 そんな単純な話とは思えんが、とジェラードは心の中で付け加えた。


 しかし、ある意味では分かりやすい図式だ。

 カーシェン・ランドルフはルシウスとアウロとを天秤にかけ、後者を選んだ。

 諸侯同盟の盟主であり、いずれは公王の座に収まるであろう男よりも、王位継承権すらない私生児を選んだのである。


(まさか、裏で何か取引があったのか?)


 詳しいことは当事者二人に聞いてみなくては分からない。


 口元に手を当てたまま物思いに耽るジェラードだが、クリスティアはそんな男の反応など気にせず言葉を続けた。


「でもね、父さんの話はすぱっと断ったわ。勿論、アウロさんのことが嫌いだからって訳じゃないわよ? けど異性として意識してる訳じゃないし、なによりアルカと喧嘩する気にはなれないもの」

「クリスはルシウス殿下のことが好きなのか?」

「どうかしら。ジェラードは私が殿下と結婚したらどう思う?」

「質問を質問で返すのはよくないな」

「……殿下の人柄は好きよ。でも、恋愛感情はないわ」

「いい人止まりってことかね。殿下らしいっちゃらしいが」

「で、ジェラード。さっきの質問の答えは?」

「あー……」


 ジェラードは一瞬、口ごもった。


「殿下、ルシウス殿下か。結婚相手としちゃあ悪くないさ。多分だけど祝福するんじゃないのか?」

「なんだか煮え切らない返事ね」

「悪かったな。お前はどういう回答だったら満足するんだよ」

「うーん、なら質問自体を変えるわ。――あなたは私のことをどう思ってる?」


 じいっと心の奥底を見透かそうとする二つまなこ

 少女の力強い眼差しに、ジェラードは今度こそ言葉を失った。


 彼にとってクリスティア・ランドルフは幼馴染以上の存在ではなかった。

 少なくとも、ジェラードはそう自分自身に言い聞かせてきた。

 ジェラード・ブランドルは侯爵家の嫡男である。自由に結婚相手を選べる立場ではない。それはランドルフ家の令嬢であるクリスティアも同様だ。


 おまけにブランドル家とランドルフ家。

 この両家自体、良好な関係を築いているとは言いがたかった。特に現当主二人は正反対の気質の持ち主だ。

 リカルドはカーシェンの軍才こそ認めているものの、勝利のためなら詭謀奸計さえ躊躇わないそのやり口を毛嫌いしている。

 一方、カーシェンは直情的な性格のリカルドを手玉に取り、裏でいいようにコントロールしようとしている。


 これでは相互理解など夢のまた夢だ。

 ジェラードはクリスティアとの結婚など、最初から想定していなかった。


「クリスのことは……そうだな。手のかかる妹と思ってるよ」


 冗談交じりの、誤魔化すような台詞。

 クリスティアは「そう」と言って、にこりと微笑んだ。


 普段ならばここで肘鉄の一発くらいは炸裂していただろう。

 だが、クリスティアは暴力に走るような愚を犯さなかった。代わりに酒盃をテーブルに置くと、青年の腕を取り、それをぎゅっと自分の胸元に押し付けた。


「おい、クリス……?」

「ジェラード、手が震えてるわよ。酔っ払ったの?」


 くすり、とこぼれる蠱惑的な笑み。

 触れた肌が熱を帯びたかのように熱い。

 誘っているつもりなのだろうか、とジェラードは思った。


 心の中ではどう思っていようとも、本能というのは正直だ。

 元々、クリスティアは全身にほどよく肉のついた男好きのする体型をしている。

 ジェラード自身、外見だけなら極めて好みのタイプだ。性的嗜好のど真ん中を突いていると言ってもいい。娼館でもクリスティアと似たような女ばかり抱いている辺り、色々とどうしようもない。


(あー……まずい)


 ジェラードは自制心の強いタイプだ。

 少なくとも、自分ではそう思っている。

 が、それでも男である以上限界は存在する。彼は自らの下半身が無様を晒す前に、柔らかな拘束から腕を解いた。


「あ、こいつ。逃げたな」

「酔った女を押し倒すのは趣味じゃないんだ。誘うなら素面の時にしてくれ」

「……それは無理よ。私が本気になったら、きっとあなたは拒むもの」

「どうしてそう思う?」

「だって私の知るジェラード・ブランドルって人はね。おちゃらけてるように見えるけど、実際は誰よりも自分の家のことについて考えてるの。家のために生き、家のために働き、家のためにどこまでも自分を押し殺す。それがきっとあなたという人なんだわ」


 「そうか」とジェラードは言った。


 クリスティアの人物評はおよそ外れてはいまい。

 ジェラード・ブランドルはある種の没個性的な人間だ。幼い頃から侯爵家の嫡子として期待され、自らもそれに応えようとしてきた。


 だから、彼の行動のほとんどは『家のため』という理屈で説明できる。

 故郷を離れてまで竜騎士団養成所へ入ったのも、そこに集う貴族の子弟、更には王族とコネを作るためだ。ドラク・ルシウスに近付き、彼の友人の座に収まったのもその一環に過ぎない。

 おどけたような性格自体、他人との間に波風を立てないための代物だった。そのせいでジェラードは他の誰かと足並みを揃えるのは得意だが、自分で何かを成すことに対し臆病になってしまった。

 女性に対する態度がその典型だ。ジェラードはクリスティアを始め、異性に対して恋愛感情を抱いたことがなかった。健全な欲求があるにも関わらず、無意識の内に感情をセーブしてしまっているのだ。


 ――そんな歯車のような生き方を、

 ――ジェラードは今でも間違いとは思わない。


 ただ、時には自分の進むべき道に迷うことがある。

 ジェラードは自由になった手で、クリスティアの栗色の髪をくしゃりとやった。


「悪いな、クリス」

「勝手に謝らないでよ。私、まだ宣戦布告すらしてないんだから」


 クリスティアは気にした様子もなく言って、ベッドの上からひょいと飛び降りた。

 それから猫のように伸びをすると、あくびを一つ漏らし、目元に溜まっていた涙を指先で拭う。


「じゃ、そろそろ私も部屋に戻るわ。男の子の部屋に入り浸ってばっかりだとメイドたちも心配するし」

「ああ……ところでクリス」

「なに?」

「モンマス攻略戦には参加するつもりなのか?」


 クリスティアは腰に手を当てた。「当然でしょ」


「モンマスはアルカの故郷よ。私だってそれを取り返すための手伝いがしたいわ。今までの戦いで操縦のコツも掴めてきたしね」

「気をつけろよ。素人の場合、調子に乗り始めた頃が一番危ないんだ」

「分かってる。無茶はしないわ。だからジェラードも死んじゃダメよ。……私、次の戦いが終わったらあなたに伝えたいことがあるの」

「おい、やめろ。そういう台詞は洒落にならん」

「馬鹿ね、冗談よ。流石に処女のまま死ぬのはごめんだわ」


 クリスティアはひらひら手を振ると、やや心許ない足取りで客室を後にする。

 残されたジェラードはベッドに後ろ手をついた。どっと疲労が両肩にのしかかってきた気分だった。

 思わず、自分の右腕をじっと見つめてしまう。目を閉じれば、先ほど味わった温かさと柔らかさをすぐにでも思い出せそうだった。


「……頼むから夢の中に出てきてくれるなよ」


 それはリビドーを持て余した青年の切実な願いであった。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 ――一方、


 客室を出たクリスティアは、ばくばく鳴る胸を片手で押さえていた。


「あーうー……し、心臓に悪いわ……」


 体中が茹で上がったかのように熱い。

 アルコールではなく興奮と緊張のせいだ。

 そもそも、彼女は脳みそが回らなくなるほど酒に酔ってはいなかった。

 ジェラードの前では単に泥酔したように見せかけていただけだ。そうでもなければ、あんな恥知らずな真似など出来るはずもなかった。


(こういう風に色々計算尽くで動いてる辺り、やっぱり私も父さんの娘ってことなのかしらね)


 でも、仕方ないじゃん。とクリスティアは自分に言い訳する。

 彼女は十年近い付き合いの中で、ジェラードの性格というのをおおまかに把握していた。

 あれは無理に迫ればすっぱり拒絶してくるタイプの人間だ。だからとても正面からは攻め込めない。酔ったふりをして、気の緩んでいるふりをして、側面からちくちく攻めてやる必要があるのだ。


 ――それでも、今日は少しばかり強引すぎた。


 あの男の中でどこまでが許容範囲なのか。クリスティアもその境界線を正確に見抜いているわけではない。

 だから彼女はいつもギリギリまで攻め込むのだ。いつ地雷を踏み抜くかと、内心でびくびくしながら。


 今日はかなり無茶をしたと思う。

 ただその分、二人の距離が縮まったのは事実だ。


 クリスティアはジェラードのことが好きだった。

 理由は覚えていない。物心ついた頃から、ずっと一緒にいた幼馴染のことをいつも想っていた。

 お互いの母が死に、二人が疎遠になった後も彼のことを忘れなかった。ブリストルで再会した時はこの人と結ばれるのが運命なのだとさえ感じた。あまりにも考え方がロマンティック過ぎるせいで、アルカーシャにさえ相談できていない。こればかりは乙女の秘密だ。


(いいのよ。恋愛事に他人の手を借りるなんて流儀に反するもの)


 少女は内心で呟くと、拳銃の形に変えた右手で客室の扉を撃ち抜いた。


「覚悟しておきなさい。いつか、あなたの側から私を欲しいって言わせてみせるんだから」


 そう宣言し、颯爽とその場を立ち去ろうとするクリスティア。

 が、そのタイミングでがちゃりと音がした。扉が内側から開かれたのだ。

 ばきゅーんポーズの幼馴染と鉢合わせたジェラードは、なにか見てはいけないものを見てしまったかのように硬直した。


「……あー、ちょっと下で顔を洗ってこようと思ったんだが」


 羞恥によって全身を赤く染める少女に、ジェラードは尋ねた。


「戦争ごっこでもしてたのか?」

「そうよ!」


 クリスティアは涙目で叫んだ。恋愛はいつだって戦争である。


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