4-25
無事ロゼとシルヴィアを北部へ送り出した諸侯同盟だが、その間にもリカルドを筆頭とする貴族たちは次の戦いの準備を進めていた。
同盟の次なる目標はモンマスだ。アルカーシャやガーランド家の騎士たちにとっては故郷を奪い返すための戦いである。士気が低くなろうはずがない。
おまけに、同盟軍には新たに四侯爵の一角――ランドルフ家も加わっていた。これに影響を受けたのか、カーシェンと同じく中立の立場を取っていた貴族も、次々と諸侯同盟に転向している。
同盟軍は今まさに絶頂の波に乗っていた。
軍備は十分。兵たちの戦意も高揚している。
となれば、後はもう行動を起こすだけだ。総大将リカルドはペンドラコンウッドの戦いからわずか三ヶ月後に、六千もの兵をブリストルから出発させた。
とはいえ、彼らは直接モンマスに攻め入る訳ではなかった。
ブリストルからモンマスまでは直線距離で25マイルほど。しかし、実際は海峡を回りこむためその倍近い道のりを歩かなくてはならない。
おまけに、モンマスに至るためには大河セヴァーンと魔獣の生息地であるデーナの森を抜ける必要がある。大規模な軍を動かすなら、少なく見積もっても十日はかかる計算だ。
そのため、同盟軍は一旦ランドルフ家の本拠地グロスターを経由する形を取った。
ここで戦備を整え、軍団を再編した後、本命であるモンマスを強襲するのだ。
幸い、グロスターには広大な飛行場も存在する。アウロ率いる機甲竜騎士部隊は地上部隊の侵攻に合わせ、直接ここからモンマスの機甲竜騎士団を叩く予定だった。
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その日、アウロは【盾の侯爵】カーシェン・ランドルフの私室へと招待されていた。
現在、アウロ、ルシウス、ジェラード、アルカーシャといった同盟軍の主要メンバーはランドルフ家本邸の客室を間借りしている。
故に食事の際は食堂に集まり、当主であるカーシェンと娘であるクリスティアを交えて和やかに歓談するのが常だった。
その食事会がお開きになった後、アウロはカーシェンに呼び止められたのだ。そして、招かれるまま彼の私室へと足を踏み入れている。
「そういえば、自分の部屋に人を招くというのはこれが初めてかもしれませんね」
自らもてなしの準備をしつつ、カーシェンはそんな台詞をこぼした。
肘掛け付きのソファに腰を落ち着けたアウロは、内心の緊張を隠しつつ周囲を見回した。
カーシェンの部屋は本棚に囲まれていた。大量の本以外はベッドと机、ソファにテーブルくらいしか見当たらない。
その殺風景っぷりはアウロの部屋そっくりだ。もっとも、カーシェンが集めている写本は実用的な兵法書や学術書ばかりだった。トゥキディデスの『戦史』。ウェゲティウスの『軍事論』。多くはラテン語で書かれた大陸の書物だ。
「しかし、カーシェン殿。何故自分をここに? この屋敷には応接室がないのですか?」
「まさか。ただ、あなたとは一度腹を割って話をしたかったんです」
カーシェンは丸テーブルに酒瓶とタンブラーグラスを置いた。
グラスに注がれたのは琥珀色の液体である。妙に香りが強い。
口をつけたアウロはその強烈なアルコールにかっと胃が熱くなるのを感じた。
「蒸留酒……?」
「アクア・ヴィテ。ぶどう酒を蒸留して作られた酒です」
「珍しいですね。大陸から輸入を?」
「いいえ、この街で生産されました。新たな特産品にしようかと思いまして」
カーシェンは自らのグラスにブランデーを注ぐと、それを手に掲げてじっと見つめた。
「錬金術と魔導工学の発達によって、人類の科学力は大きく進化しました。ほんの百年前まではこれほど透明度の高いガラスを作ることはできなかったし、アルコールを蒸留する技術ももっと拙かった」
酒盃が傾けられる。男の喉がぐびりと動く。
「ログレス王国で用いられている魔導兵器は機竜とアーマーくらいです。しかし、大陸では機甲要塞や浮揚魔導船といった陸海の兵器も登場しています。それだけではなく、日常の分野においても魔導工学の技術が応用されているのです。……ケルノウン伯は四つの車輪で地を走る乗り物についてご存じですか?」
「自動車というやつですか。聞いたことくらいは」
「馬より速く、疲れを知らぬ鉄の獣です。私は以前、見聞を広めるため大陸に赴いたことがあります。街中を走り回る自動車。隅々まで整備された交通網。巨人よりも大きな建物の群れ。――あの時に受けた衝撃は大変なものでした」
ふぅ、と疲れたような吐息がその唇から漏れる。
「人類は今、動乱と発展の時代を迎えているのでしょう。世界は急速に変わりつつあります。我々だけが過去に取り残される訳にはいかない。大陸の技術力に対抗するためには、早急に力を結束しなくてはならないのです」
「カーシェン殿の仰りたいことは分かります。そのためには今の王家を打倒する必要がある、と」
「いえ、それはあくまで通過地点だ。私の最終目標はサクス人を殲滅し、レグリア地方を平定することです」
「……それはつまり」
「アルビオンの統一です」
カーシェンはふいに立ち上がると、ガラスをはめ込んだ窓から外を見た。
グロスターはローマ属州時代から続く歴史の古い街だ。
北に流れるセヴァーン河にほど近い市街地は、周囲を美しい緑と、背の高い城壁に囲まれている。ここはサクス人の侵入を防ぐための前線基地でもあるのだ。
「私たち盾の侯爵家の始祖は、竜王アルトリウスからグロスターの守護を任せられた領主でした。以降、二百五十年以上に渡って我々はこの街を守り続けています。サクス人の抹殺は我らにとっての悲願なのです」
「事情は分かりました。だが、何故その話を俺に?」
「今この国でアルビオンの外まで目を向けている者はほとんどいません。あのガルバリオン公ですら島内の問題を片付けるのに手一杯でした。大陸間交易に乗り出している貴族は、宰相モグホースを除けば貴殿だけです」
「……あなたは随分と俺のことを評価しているようだ。けれど、俺の立場はあくまで後ろ盾のない私生児。同盟の空軍大将に選ばれたのも、政治的な意図が絡んだために過ぎない」
反論を重ねるアウロにカーシェンは振り返った。「それは、どうでしょうか」
「実を言うとね、私は最初から同盟に味方すると決めていた訳ではないのですよ」
「聞き捨てならない台詞だな」
「といっても、大陸の狗であるモグホースと手を組むつもりだった訳ではありません。私が求めているのは強き王だ。そして、この国にはドラク・マルゴン、ドラク・ルシウス以外にも幾人かの王候補がいます」
「……まさか、ガーグラーか?」
「あなたも彼に誘われたのでしょう? ドラク・ガーグラーは将としての力だけ見れば比類なき存在です。現に、私と似たような考えを持つ【氷竜伯】は彼の配下に加わりました。新王と二人の王候補とを秤にかけ、自らの同類である赤竜候を選んだという訳です」
「ならば、あなたは何故ガーグラーの元に赴かなかったんだ?」
尋ねるアウロは、既に口調から敬語を取り去っていた。
ぶるり、と背筋が震える。
興奮していた。みっともないくらい高揚していた。
最初、カーシェン・ランドルフはこちらの関心を引くために大言壮語を口にしているのかと思った。
だが、違った。この男は本気だ。不敵な作り笑いはそのまま、紺碧の瞳だけが爛々と異様な輝きを放っている。
――アルビオンの統一。
アウロは今まで、自らと同じ大望を抱く貴族を密かに調べ上げてきた。
彼らの多くは現状把握のできていない夢想家だった。残る者たちはそれを実現する気概のない臆病者だった。
アウロ自身そうだ。夢はあくまで夢。そう自分に言い訳して、理想に挑むこともせず逃げ続けてきた。だが、なんの因果かカムリと出会い、見果てぬ夢に向けてもう一度手を伸ばし始めた。
しかし、カーシェン・ランドルフはそんな有象無象とは根本から異なる。
彼は――というより、彼らランドルフ家は竜王の時代からずっと、アルビオンの統一という覇業に対し真剣に向き合ってきたのだ。
それは敵の矢面に立たされるという地理的要因もあっただろう。竜王直々に職分を任せられたプライドもあったのかもしれない。ブルト人の力を結束させ、大陸に対抗する。そういった名目も無視できまい。
「王に必要な要素。それは狐の狡知と獅子の勇猛さです」
カーシェンは席に戻ると、再び熱っぽい口調で語り始めた。
「しかし、ガーグラー殿下にはずる賢さが足りない。新王マルゴンに至っては……言うまでもありません。結局、私は断じざるを得なかったのです。彼らは王の器ではない、と」
「ルシウスは?」
「王位継承者の中では最も見込みがありました。しかし、生来の優柔不断な気性ばかりはどうしようもありません。平和な時代には良き王となったことでしょうが、動乱の世を乗り切るには心許ない」
「不敬な評価だな。では、何故あなたは同盟に加わった」
「無論、貴殿がいたからですよ」
「――俺が?」
アウロは意表を突かれ、思わず聞き返してしまった。
「どういうことだ?」
「どういうこともなにもそのままです。あなたは自分の評判をご存じないらしい。ダグラス・キャスパリーグを打倒し、『蒼い旋風』を撃滅し、機甲竜騎士団を真っ向から打ち破ったあなたの名声は王国中に轟いています」
「だから同盟へ参加したと?」
「そうです。もっとも、『ただの』卓越した機竜乗りならばドラク・ガーグラーで十分だ。事実今までの戦いにおいて、あなたは獅子の勇猛さを示しているだけに過ぎなかった」
「…………」
「しかし、ペンドラコンウッドの戦いが始まって――ええ、そうです。恥ずかしながら、私はここでようやく気付きました。あなたがキャスパリーグ隊の残党を部下としていたこと。密かにシルヴィア・アクスフォードを匿っていたこと。王国との決戦を見越して新型のアーマーを開発していたこと。そのための訓練を部下たちに課していたことに」
カーシェンは酒盃を呷るなり、深々と息をついた。
「そして、あなたはヴェンモーズらの裏切りを読み、兵を手配してリカルド殿の身を守りました。ウォルテリスの息子アウロ・ギネヴィウス、あなたは武一辺倒の将ではなく『狐の狡知』を兼ね揃えた王の器だ。私はそうあなたのことを評価した。だからこそ同盟に加わる気になったのです」
父の名を呼ばれ、アウロはぴくりと眉を動かす。
アウロが先王ウォルテリスの私生児であることは広く知られている。
ただ、彼を王族として扱うものはいない。王族の証――『王紋』がなく、その出生が不確かなものとされているためだ。
「カーシェン、俺の抱える事情についてはお前も知っているはずだ」
「はい。ですが、かつて一つの噂を耳にしました。錆色の王子はその右腕に大きな火傷の痕があると。これは私の勘ですが、あなたの母ステラ・ギネヴィウスは息子を守るため、あえて我が子の肌を焼いたのではないでしょうか」
「……その仮定は無意味だよ。事実として証がないのだから」
「単なる火傷ならば治せます。いえ、あなたのことだ。もしや既に傷を塞いでいるのではないですか? ギネヴィウス家にはルキ・ナートという、優秀な治療師が加わっていたはずだ」
「それは――」
「では、こうしましょう。ケルノウン伯、あなたの右腕を見せてください。本当にあなたの体に王紋がないのなら躊躇する必要はないはずです」
にこやかに追い詰められ、アウロも口ごもった。
見せられるはずがない。右腕に巻かれた包帯の下には、間違いなく赤い竜の紋章が巻き付いているのだ。
かといってこのまま沈黙しているのも愚策だった。それはもはや無言の肯定である。進退窮まるとはこのことだ。
(まぁ、待て)
物事は柔軟に考えよう。
とりあえず、ここでカーシェンを誤魔化すことは不可能に近い。
ならばせめて譲歩だけでも引き出すべきだ。アウロは一度、間を置くかのように酒盃を傾けた。
「いいだろう。だが、その前にこちらから一つ要求がある」
「というと?」
「俺の右腕にあるものについて口外しないよう、誓約を結んで貰いたい」
「そんなものでいいのですか? てっきり、絶対忠誠を誓えくらいは言われるかと思っていたのですが」
「……ならばこの俺に絶対の忠誠を誓い、以降は臣下となることを誓え」
アウロは半ば冗談のつもりでそう言った。
が、カーシェンはあっさり「分かりました」と頷くと、席を離れて石畳の上に膝をついた。
「バリスの息子カーシェン・ランドルフが、我が始祖『輝く盾のカイ』と、アルトリウス・ペンドラコンの名の元に誓約を刻む。ウォルテリスの息子アウロ・ギネヴィウスに永遠の忠誠を捧げ、その臣下として力を尽くす、と。この誓いが破られた時、我が身は五つに引き裂かれることでしょう」
カーシェンは面を上げた。先ほどまでの人を食ったような態度はかき消え、少年のような熱意に満ちた眼差しだけが主の顔を見据えていた。
「さて、今よりこの身はあなたのものだ。敵を討つ剣として、あるいは己の身を守る盾として使って頂きたい」
「………………正気か?」
「正気ですとも、殿下。私の目は節穴ではありません。あなたが私と同じく、アルビオンの統一を目指していることは聞き及んでいます。そして、あなたの右腕には王紋があるはずだ。違いますか?」
カーシェンはその場に膝をついたまま、確信の笑みを深める。
これ以上は誤魔化せない。そう判断したアウロは大人しく上着の右袖をめくり、そこに巻かれていた包帯を解いた。
はらりと落ちる布切れ。露わとなったのは二の腕に巻き付く竜の紋章だ。
アウロは手の平で顔を押さえたまま、小さく息をこぼした。
「無様だな。すっかりそちらのペースに乗せられてしまった気分だ」
「まさか。殿下は私のことを過大評価しているようだ」
「お前こそ……何故わざわざ身分の低い私生児を主として選んだ?」
「身分など関係ありませんよ。私はあなたの中に王の器を見た。だからこそ忠誠を誓う気になったのです」
カーシェンは王紋を見たところで驚きの反応一つ見せなかった。
彼にとってアウロの体にそれがあるのは規定事項だったのだろう。でなければ忠誠の誓いなどするはずもない。
(ランドルフ家の助力が得られたのは喜ぶべきだ。しかし……)
このカーシェン・ランドルフという男が、自身の手に負えるかどうかは微妙だ。
敵を知り、場を整え、計算尽くの会話で己の望む回答を引きずり出す。
打算的かつ積極的なタイプだ。その思想といい言動といい、アウロのよく知る少女を彷彿とさせる。
「思い出したよ、カーシェン。そういえば、お前以外にもたった一人。なんの力もない俺に王の器とやらを見出した奴がいたな」
「おや、誰です? 少しばかり屈辱ですね。この私が先を越されるとは」
「カムリという名の娘だ。知っているか?」
「殿下の愛妾だとか。その口ぶりから察するにただの娘子ではなさそうですが」
「まぁな。なにしろ、あれはこの国の守り神だ」
アウロは何気ない口調でそう告げた。
その言葉の意味をすぐには理解できなかったのか。カーシェンは数秒、ぽかんとした表情のまま放心していた。
が、やがて畏怖と驚愕とを宿した声がその喉からこぼれ落ちる。
「……まさか、『カンブリアの赤き竜』?」
「信じるも信じないもお前の勝手さ」
「いえ、信じましょう。幾つか合点のいく部分もあります。なにより、私の見込んだ主ならば神竜に選ばれているのも当然だ」
「すさまじい自信だな。ただ、最初に言っておく。お前は俺の中に王の器を見たと言ったが、俺自身に玉座を巡ってルシウスと敵対するつもりはないぞ」
「それは……いささか甘い考えですね。殿下はあの方に王の重責が務まるとお思いですか?」
「分からない。が、王に力が足りないのなら臣下がそれを補えばいい話だ」
「私も最初はそう思っていました。だからこそ、ルシウス殿下と娘の――クリスティアの婚姻を進めようとした。私が陰になり日向になり、殿下を支えれば良いのではないかと」
カーシェンは難しい顔のまま、その場から立ち上がった。
「だが、メッキの塗られた王冠では本物の輝きに及ばない。私はあなたこそが玉座に就くべきだと思う」
「どうやって? マルゴンやガーグラーだけではなく、ルシウスとも争えと?」
「あなたはご存じないかもしれませんが、実際にケルノウン伯を盟主として仰ぐべき、という考えの人間は少なくありません。特に末端の兵士の中には、前線で活躍している殿下を英雄視する者も多い」
「……だとしても、俺の目的はアルビオンの統一だ。その障害とならない限り、ルシウスと戦うつもりはない」
これで話は終わりだ、とばかりにアウロは席を立った。
カーシェンは食い下がらなかった。彼は自らアウロの臣下へと降ったのだ。
諫言が聞き入れなかったとしても、それに反発するような真似はしない。
ただ、男は最後に予言めいた言葉を残した。
「殿下、ドラク・ルシウスはこの時代において王の器ではないのです。その身に余る大願を注ごうとすれば、やがては器そのものが壊れてしまいます。それはあの方にとっても、その周囲の人間にとっても不幸でしかない」
「………………」
アウロはカーシェンの言葉を否定しようとした。だが、できなかった。
ここで何を言おうと、カーシェンのルシウスに対する評価は覆るまい。
ルシウスは自分自身の価値を、己の力のみで証明するしかないのだ。
そこにアウロが首を突っ込んでは意味がない。彼にできるのはただ、弟の武運を祈ることだけだった。




