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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
97/107

4-24

 四侯爵の出揃った諸侯会議から丸一ヶ月。

 体を完治させたロゼはシルヴィアと共にブリストルを発つこととなった。


 用いる機竜は風竜の骸装機(カーケス)《エクリプス》。

 先日、墜落現場から回収されたこの機体は、一ヶ月の突貫作業で大破状態から修復された上、二人乗り用のタンデム機へと改造されていた。

 同盟がここまで力を注いだのは、ひとえにシルヴィアの身を守るためだ。移動中に敵の邀撃部隊と鉢合わせた場合、二人乗りの状態で繊細な空戦機動(マニューバ)を行うのは難しい。

 その点、最速の機竜である《エクリプス》ならば、アクセルを全開にするだけで王国側の機甲竜騎士(ドラグーン)をぶっちぎることができる。並みの量産機ではレースの相手にすらならないだろう。


「う、うう、うううううー……」


 しかし、当のパイロットであるシルヴィアはふるふると震えていた。

 普通の少女ならば、高度15000フィートの上空を400ノットの速度で駆けまわる物体に乗りたいとは思わない。

 ただ、彼女の場合は少々事情が違った。シルヴィアは機竜に乗ることを恐れていない。試験飛行の際は宙返りの最中にはしゃぎ声をあげていたくらいだ。


 問題はシルヴィア自身の格好だった。


「嫌です。もういや。なんなんですか、この服は。ほとんど裸同然じゃないですか……」


 そう呟く彼女は、クリーム色のインナースーツを身に纏っていた。

 クリスティアが使っていたスーツの予備を仕立て直し、シルヴィア用のものへと改造したのだ。

 とはいえ、貴族の令嬢であるシルヴィアには少々刺激の強過ぎる格好だったらしい。なにしろ、スレンダーな体型がまる分かりになってしまうデザインだ。ある意味下着姿よりもひどい。


「はいはい。あとちょっとだから我慢しましょうね」

「別にスーツ姿くらいで気にするなよ。逆に見たい奴は勝手に見ろ! くらいの気構えでいいじゃないか」


 そう慰めたのはスーツの提供者であるクリスティアと、その親友アルカーシャだ。

 彼女たちは友人であるシルヴィアの出立を見送るため、ブリストルの飛行場へとやってきていた。

 勿論、機竜に乗るわけではないのでチュニックにベルトを巻いただけの格好だ。着衣全裸のシルヴィアに比べると平凡極まりない。


「見たい奴は見ろだなんて。アルカはこの格好、恥ずかしくないんですか?」

「いや、まぁ、私も恥ずかしいことは恥ずかしいよ。でも、そこまで小さくなることはないっていうか」

「アルカやクリスはいいんですよぅ……。二人ともすっごくプロポーションがいいじゃないですか。胸は大きいですし体にもメリハリがありますし」

「胸? アルカはともかく私は普通だと思うけど」

「クリス、問題です。あなたのスーツを私用に仕立て直す時、いったい何インチ胸のサイズを縮めたでしょう」

「えーと、2インチくらい?」

「5インチですよ! 私の胸囲はクリスの半分以下ってことです!」

「それ、私が大きいんじゃなくてシルヴィが小さすぎるだけじゃ……」

「あっ、やめて下さい。残酷な現実を押し付けるのはやめて。それ以上はなにも聞きたくありません」


 シルヴィアは耳を塞いだまま蹲ってしまった。テンションがおかしくなって幼児退行してしまったらしい。


「いいんです。いいんですよ。私にはハンナやルキさんといった貧乳同盟の仲間たちがいます。彼女たちならきっと私の気持ちも分かってくれるはずです」

「そういえば、アウロの家の人たちも来てるんだよな。さっき挨拶したけど……あいつ、いったい何人の女の子を囲ってるんだ?」


 アルカーシャは鷹が獲物を探すかのように首を巡らせた。

 今回の出立にはアルカーシャやクリスティア以外にも、大勢の見送りが飛行場の端に列を成している。

 なお、シルヴィアはつい先程まで彼ら一人ひとりに挨拶をしていた。無論、今着ているスーツ姿で、である。


「うう、こんな格好を衆目に晒すだなんて。もうお嫁に行けません……」

「嫁ぎ先が決まってる癖になに言ってんだよ」

「羨ましいわよね。公衆の面前で愛の告白(プロポーズ)だなんて」


 二人の台詞に、シルヴィアはかぁっと首筋まで赤く染まった。


 諸侯会議での一幕は、次の日には同盟軍全体に知れ渡っていた。

 どうやら、カーシェン・ランドルフが率先して話を広めたらしい。おかげでシルヴィアはここ一ヶ月、死ぬほど肩身の狭い思いをする羽目になった。


「というか、そんなに恥ずかしいなら物陰に隠れてればいいじゃないか」

「そ、それはダメですよ。皆さん、この寒い中私たちを見送りに来て下さったんです。そのご厚意を無下にはできません」

「シルヴィは相変わらずクソ真面目だな」

「アルカ、女の子がクソなんて言葉を使ってはいけませんよ。アウロさんに影響されたんですか?」

「む、アウロはそういう下品な言葉を口にするタイプじゃないと思うけど」

「そうですか? ロウエルさん相手だと割と崩した口調で話してらっしゃいますよ。あ、このロウエルさんというのはギネヴィウス家の執事長だった方なんですけど――」


 と、シルヴィアは嬉々としてケルノウン半島での思い出を話し始める。


 これがアルカーシャには面白くない。

 なにしろ、シルヴィアの語るアウロは彼女の知らない一面ばかり見せるのだ。

 加えて、厄介なのはシルヴィアがそんなアルカーシャの心の機微を見透かしていることだった。こちらの反応を見て楽しんでいるフシさえある。

 とはいえ、アルカーシャもアウロの新しい一面は知りたい。だから、シルヴィアの口撃を甘んじて受けている。乙女心は繊細かつ複雑なのだ。


 ――一方。


 なんやかんやと姦しい女性陣に対し、アウロ、ルシウス、ジェラード、ロゼの四人は飛行場の隅に固まって空を見上げていた。


「うーん……このまま天気が安定してくれればいいんだけど」

「今日は風も強い。場合によっては日を改める必要があるな」


 アウロは灰色に濁った空を難しい顔で睨んだ。


 今は昼の十二時を過ぎた頃。だが本来、ロゼとシルヴィアの二人は午前中にブリストルの飛行場を発つ予定だった。

 それが先延ばしになった原因は空だ。今日は朝から天候が荒れており、風向きも不安定だった。おかげで当人や整備士たちを始め、見送りに来た人々まで待ちぼうけをくらってしまっている。


「それにしても暇だ。暇すぎるぜ。あっちはなんだか楽しそうだな」


 ジェラードは額に手をかざすと、内緒話をしている三人娘を見やった。


「一体なに話してるんだ? クリスの奴、変なエピソードを喋ってないだろうな」

「ジェラード、君にもおもしろ失敗談があるのかい? でも、クリスがそれを知ってるってことは――」

「おい、ロゼ。妙な勘ぐりのはやめろよ。ここ最近、人を種馬扱いする奴ばかりで参ってるんだ」

「君もか。どこかの誰かさんが一世一代の告白をしたせいで、色々なところに飛び火が来ているらしいね」


 恨み言をこぼすルシウスだが、ロゼは「そいつは大変だ」とまるっきり他人事だった。


「でも、それって『同い年の誰それが結婚したんだからお前も結婚しろよ!』ってだけの話だろ? 気にすることなんてないじゃないか」

「うわぁ、この上から目線の台詞ですよ。美少女を嫁にした勝ち組は言うことが違いますなぁ」

「嫁? や、俺たちはまだ結婚してないぜ」

「プロポーズに成功したんだから似たようなもんだろ。どうせ昨日も夜遅くまでシルヴィア嬢としっぽりやってたんじゃないのか?」

「……ジェラード、そのへんにしておけ。台詞が中年のおっさんみたいだぞ」


 アウロは見るに見かねて口を挟んだ。


 王国との決戦に勝利して余裕が出てきたせいか、同盟諸侯の間では激しい花婿争奪戦が行われていた。

 主なターゲットとなっているのは盟主であるルシウスだ。二十三歳で未だ独身。性格的にも問題はない。また将来は公王の座につく可能性もあるのだから、これ以上ないほどの優良物件と言えよう。

 更に同年代のアウロ、ジェラードも格好の標的だった。二人とも、ここ最近は毎日のように年頃の少女を紹介されている。ジェラードが種馬品評会などと嘆くのも無理はなかった。


「大体、ジェラード。君なら結婚相手に困ることはないはずだろ? むしろなんで許嫁の一人くらい作ってないんだ?」

「最初に親父が選んだ婚約者があのヴェンモーズの娘だったんだよ。見た目はともかく性格が悪くてな……」

「ヴェンモーズというと、同盟を裏切ったブランドル派の貴族か。それで?」

「怒鳴り合いの喧嘩になって婚約は解消。次はバルロックの娘で、これも似たようなワガママ女だったから破談。その次は――」

「ま、待った。それ以上自分を傷つけるのはよくない」


 どんどん眼から光を失っていくジェラードを、ルシウスは慌てて制止した。


「だ、大丈夫だよ、ジェラード。その内きっといい人が現れる。そうだ。クリスさんなんてどうなんだ? 君たちは幼馴染だし仲もいいじゃないか」

「………………あー」


 ルシウスの何気ない一言に、しかし、ジェラードは頬をひきつらせた。


 残念ながらクリスティアの父、ランドルフ家のカーシェンは娘をルシウスとくっつけようとしている。

 既に盾の侯爵家を抱えるカーシェンにとって、同じ四侯爵であるブランドル家と縁を結ぶのはメリットが薄いのだ。むしろ、ブランドル家にランドルフ家を乗っ取られる危険性まで出てくる。

 ただ、このあたりの裏事情をルシウス自身は分かっていない。結婚は愛し合うもの同士がする――というのはあくまで一般社会の理屈だ。貴族の世界には通用しなかった。


「すごいね。ルシウス殿下、自分から地雷原に突っ込んでっちゃったよ」

「鈍感なのもここまで来るとタチが悪いな。しかし――」


 こそこそ言葉を交わしながらも、アウロはちらりとルシウスの様子を伺った。


「ルシウス、お前は自分の結婚相手についてどう考えているんだ?」

「え? 特になにも。ただいい人がいればいいかなー、って」

「のんきだな。しかし、持ち込まれる縁談は片っ端から断っているそうだが」

「えー……それはなんというか、その。恋愛観の違いというか……」

「まぁ、童貞のお坊ちゃんが『とりあえず何人子供作る?』って言われたら引くわな」


 身も蓋もない台詞にルシウスは頭を抱えた。


「ジェラード、君の発言をあえて否定はしない。けど、もう少し言い方ってものを考えてくれないかな」

「別にいいじゃないか。どうせ、この場にいるのは養成所時代からの同期だ。色街に繰り出す時も殿下だけ毎回欠席してたし……」

「君やロゼが不真面目過ぎるんだよ。アウロだって行ってなかっただろ」

「まぁ、その代わり自分の女を宿舎に連れ込んでたけどね」


 ロゼの一言にルシウスは「えっ!?」と驚きの声をこぼした。


 唐突な流れ弾にアウロは口ごもる。

 が、一時期宿舎に女を、カムリを泊めていたのは事実だ。そのため、とっさに反論の言葉が出てこなかった。


「ちょっと、アウロ。どういう」

「待て、ルシウス。誤解だ」

「誤解……ってことは否定しないんだな」


 ルシウスは目を据わらせた。裏切り者を見る眼差しだ。


「まさか、常識人の君が率先して養成所のルールを破っていたとはね。女性に興味がない風を装っておきながらやることはやってた訳だ」

「落ち着け。部屋に人を匿っていたのは認めるが、艶っぽい話はなにもなかった」

「でも、相手は女の子なんだろ?」

「それは……まぁ、そうだが」

「歳は? 二十歳くらい?」

「それは……分からん。見た目は十五前後だが」

「えらく若いね。そもそもあの部屋、ベッドが一つしかなかったはずだけど君はどこで寝てたの?」

「い、いや、それは……毎晩同じベッドで寝ていたが」

「やっぱりアウトじゃないか! このロリコン色魔!」


 ルシウスはびしーっ! と指を突きつけた。その後ろではジェラードとロゼの二人が腹を抱えて笑っている。

 いよいよ逃げ場を失いつつあったアウロだが、そこで救いの手が現れた。


「あーと、みんな。ちょっといいかな」


 遠慮がちに声をかけてきたのはケットシー族の青年である。


「シドカムか。どうした?」

「《エクリプス》の準備が整ったんだ。管制室の人とも話し合ったんだけど、このまま天気も安定しそうだから予定通り出発するって」

「そうか。色々と手を焼かせてすまないね」


 ここ数日、徹夜で《エクリプス》の修復作業に当たっていたのはシドカムを筆頭とする技術者たちだ。酷使に次ぐ酷使によって、身につけたツナギは継ぎ接ぎだらけとなっている。

 だが殊勝な顔を見せるロゼに、シドカムは「気にしないでよ」と微笑んだ。


「僕は君ら四人がこうやってはしゃいでるのを見るのが嬉しいんだ。養成所時代に戻ったような気分になる。自分の頑張りが無駄ではなかったと思える。それだけで十分さ」

「……うん。そうだな。ありがとう、シドカム」


 ロゼは礼を言うと、航空手袋に包まれた拳を差し出した。

 シドカムはそこに油に汚れたグローブをごつんとぶつけた。


「僕にできることはここまでだ。地上したで幸運を祈ってるよ、ロゼ」


 ぴっ、と似合わない敬礼一つして、シドカムは飛行場を去った。


 その後、ロゼとシルヴィアの二人はすぐさまアーマーに乗り込んだ。

 使用するアーマーはガントレットと武装を取り除いた軽量化モデルである。戦闘はできないが機体重量は通常のアーマーの二分の一。無茶なタンデムにも耐えられる仕様だ。


「ふーん、こうして見ると二人乗りってのも悪くないな。高度15000フィートのランデブーを楽しんできてくれたまえ」


 冗談交じりの台詞を口にするジェラードの前で、ロゼは《エクリプス》の鞍上へと飛び乗った。


『ジェラード、君との決着はつけられなかったな。またいずれ機会があればいいんだけど』

「平和な時代になったらいくらでも遊んでやるさ。だから死ぬなよ」

『君こそ』


 次いで、シルヴィアがアルカーシャの手を借りつつシートの後ろへと乗り込んだ。


『うう、なんだか不安ですね。固定用のワイヤー、しっかり掛かってますか?』

「大丈夫だよ。ただ、空ではあんまり重心を揺らさないように。機竜は船とおんなじでグラつくとひっくり返るから」

『ベテランの発言ですね。でも、アルカ。あなたこそ無茶しちゃダメですよ。女の子なんですから』

「お転婆のシルヴィにそんなこと言われてもな……」

『流石にアルカほどじゃありません』


 「なにおう」と怒るアルカーシャ。その隣でクリスティアが笑い声をこぼす。


 機体の最終確認が終わると、見送りのメンバーは滑走路の外へ叩き出される。

 最後に、ルシウスとアウロの二人が送別の言葉を送った。


「負けるなよ、ロゼ! 例え離れていようとも僕らの志は同じだ!」

「二人とも北は任せた! 次は王都で会おう!」


 更に、飛行場の端に並んだ人々も負けじと声を張り上げる。

 割れんばかりの大声援の中、ロゼとシルヴィアの二人は大きく手を振って機体を発進させた。


『今度は北の仲間たちを連れて戻ってくるよ! その日まで待っていてくれ!』

『みなさん、ありがとうございました! 再会の時までまた――!』


 ごうごうと鳴り響くエンジン音。

 滑走路を駆け抜けた《エクリプス》は、飛行場から大空へと舞い上がった。

 やがて二人を乗せた機影は、エメラルドグリーンの排気炎を残しながら地平線の彼方に消え去った。

 その姿が完全に見えなくなったところで、見送りに来ていた人々も三々五々に散り始める。


「……行っちゃったわね、二人とも」

「うん。無事にまた会えるといいんだけど」


 呟くクリスティアの横で、アルカーシャも神妙そうに頷く。


 これからロゼとシルヴィアの二人は、ブラッドレイ家の領地タウィンに着陸。

 その後、シルヴィアの名を掲げてアクスフォード家の残党と合流し、北部諸侯への呼びかけを行う予定だった。

 ただ、現在北部で最大勢力を誇る【氷竜伯(ブリザード)】――ルウェリン・グウィネズが東部方面軍に加わったという情報もある。現段階では、まだまだ先行きが不透明だ。


「種は蒔いた。後は我々が南から王国に圧力をかけていくしかあるまい」

「そうだね。ところでアウロ、さっきルシウス兄さんにロリコン呼ばわりされてたけどそれって――」

「……黙秘権を行使する」


 にっこり笑うアルカーシャの前から、アウロは早々に戦略的撤退を図った。

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