4-22
ペンドラコンウッドの戦いが終わった翌日。
アウロは戦後の処理もそこそこに、陣地の後方に設えられた天幕を訪ねていた。
この天幕で治療を受けているのはとある王国派の貴族だ。
名はロゼ・ブラッドレイ。アウロとの空戦に敗れた彼は、一週間近く生死の境を彷徨ったものの、ルキの治療術とシルヴィアの献身的な看護の甲斐あって、徐々に快方へと向かっていた。
「や、アウロ。久しぶり」
天幕をくぐって現れたアウロに、青年は軽く手を上げて応じた。
ベッドに腰掛けたその姿は穏やかだった。気まぐれな春風に似た雰囲気は、アウロのよく知るロゼ・ブラッドレイと同じだ。以前の死人じみた面構えとは全くの別人である。
「久しぶりだな、ロゼ。気分はどうだ?」
「悪くないよ。おかげさまでね」
ロゼは立ち上がって客人を迎えようとする。
アウロは手振りでそれを押さえた。相手は怪我人だ。アウロも一週間前まではベッドで唸っていたものの、毎晩ルキの特別治療を受けていたおかげで今はすっかり健康体だった。
「シルヴィア嬢と和解したらしいな。二人とも、憑き物が落ちたような顔をしている」
天幕の椅子に腰掛けたアウロは、ベッド脇に控えた少女を一瞥した。
シルヴィアは相変わらずロゼの傍で看病を続けていた。こちらは看護疲れで参っているかと思えば、むしろ以前より血色がいい。にこにこと微笑んでいる姿は、水を与えられた花のようだ。
「ええ、ロゼさんとは仲直りできました。まだ色々と問題は残っていますけれど」
「今日はそれを解決するつもりでここに来た」
「ということは処刑の日取りでも決まったのかな?」
おどけるロゼだが、アウロは取り合わなかった。
この男の冗談に付き合っているといつまで経っても話が進まない。そのことは経験上よく知っていた。
「ロゼ、お前の扱いについてはリカルド殿から俺に一任されている。元々、俺たちはシルヴィア嬢を旗頭に北部の諸侯をまとめ上げようと考えていた。できれば、お前にもその手伝いをして欲しい」
「君の考えは分かった。つい先日まで矛を交えていた人間を何事もなかったように配下に加えると……つまりはそういうことかい?」
「無論、それで納得しない者もいるだろう。だが、これは戦争だ。勝利のためには感情論など必要ない」
「相変わらずクールだね、君は」
ロゼはそこで数秒間、己の考えをまとめるかのように瞑目した。
「……ペンドラコンウッドの戦いで君たちが負けていたのなら、俺はシルヴィを連れてここから逃げ出すつもりでいたんだ。けど、状況は同盟軍有利の方向に傾きかけているらしいな」
「知っているのなら話は早い。先の戦いはこちらの勝利に終わった。戦の趨勢を決定付けたのはランドルフ家の参戦だ」
「随分と人が死んだそうだね。公王マルゴンは生きてるのか?」
「ああ。今回、戦死したのは黒近衛のベルンとアルベンス伯のドルムナットくらいだ。公王を始め、デュバンやモーディアといった王国派の重鎮は戦場から離脱したらしい」
「逆に同盟側の被害は?」
「空戦で空軍副将のジュトー殿が、陸では銀剣騎士団のルーカス殿が負傷した。両者とも命に別状はない。後は途中で背信したヴェンモーズとバルロックの二人が爆死したくらいだ」
アウロはぞんざいな口調で言った。元々あの二人とは折り合いが悪かったのだ。それが裏切りの末に死んだとなれば、罵倒以外にかける言葉はない。
「なるほど。大体の状況は分かった。……ところで、ナーシア殿下の機甲竜騎士団がどうなったか分かるかい?」
「竜騎士団は健在だよ。もっとも、ナーシアと団の主力は相変わらずモンマスに追いやられている。あの男は今の王国内で孤立しているようだ」
「そうか」
ロゼは瞼を開けると、紺碧の瞳でじっとアウロを見据えた。
「アウロ、君に協力するのは構わない。ただ、それには一つ条件がある」
「というと?」
「ナーシア殿下と和解し、竜騎士団の同胞たちを助命して欲しい」
「…………」
ロゼの提示した条件に、アウロはすぐさま答えを用意することができなかった。
それはあまりに無茶な要求だった。今まで、アウロ率いる同盟空軍は竜騎士団と血みどろの戦いを繰り広げている。
アウロ自身、竜騎士団の副団長だったエドガー・ファーガスを始め、数多くの団員をこの手で討ち果たしているのだ。
「……ロゼ、そいつは不可能だ。俺は理想という言葉が嫌いじゃないが、それでもできることとできないことの区別はしている」
「俺を味方にしようって気概はあるのに、ナーシア殿下には手さえ差し伸べないのか?」
「無理なものは無理だ。俺たちは互いを嫌い合っているんだぞ」
「ふーん。でも、さっきアウロいいこと言ってたよな。シルヴィ、覚えてる?」
「勝利のためには感情論は必要ない、ですね」
笑顔で告げられ、アウロは為す術もなく閉口した。
「いや、しかし」
「それにナーシア殿下は君自身が思ってるほど君のことを嫌ってないよ。少なくとも、殿下はアウロの力を認めてる」
「だが、あのプライドの高い男がこちらの軍門に下るとは思えん。お前も竜騎士団にいたのなら分かるはずだ」
「君もなかなか強情だな。……ひょっとして、アウロ。今まで、殿下と腹を割って話したことがないんじゃないか?」
「ないさ。当然だろう」
思わず、吐き捨てるような言葉が漏れた。
ドラク・ナーシアはアウロにとっての天敵だった。
なにしろ、あの男は根っからの血統主義者だ。罵倒され、母の名を貶められたことも一度や二度ではない。
「ナーシアを説得できるとしたら俺ではなくルシウスだ。あの二人は兄弟仲が良かったはずだからな」
「それは無理だよ。殿下は弟に頭を垂れるような真似はしない。だが、君なら可能性がある」
「なぜだ」
「君は一度、殿下を撃墜寸前まで追い込んでるからさ。あの時……エドガー殿や団の仲間を失った時の殿下の落ち込みようは見てられなかった」
「落ち込む? あのナーシアが?」
「そうとも。殿下は君が思ってるほど完璧でも冷血漢でもないぜ。プライドが高いって部分は否定しないけどね」
ロゼは苦笑をこぼした後、ふいに両膝に手をつき、深々と頭を下げた。
「頼む、アウロ。俺は団のみんなをみすみす死なせたくないんだ」
「こちらが手を差し伸べたところで、連中がそれに応じるとは限らないだろう」
「その時はその時だ。俺だってシルヴィの顔を見るまで、君たちに迎合するつもりはなかった。……いや、正直に言えば今だって迷ってるくらいだ」
青年は疲れたように息をつき、尋ねた。
「なぁ、アウロ。俺は間違ってたのか?」
「さぁな。逆にこちらから聞かせてもらうが、お前はどうして王国軍に味方していたんだ?」
「タウィンの地とそこに住まう民を守るためさ。カラムが死んでブラッドレイ家に残ったのは病弱な父さんだけ。俺には他に選択肢がなかった」
「なら、お前の選んだ道は間違いでも正解でもなかったんだろう。なにしろ、それ以外に取れる選択がなかったんだからな」
「ただ」とアウロは言葉を続け、
「俺は今まで多くの機竜乗りと戦ってきた。カラム・ブラッドレイ、ダグラス・キャスパリーグ、ヴェスター・ガーランド、そして、ドラク・ナーシア……。連中は他人を排除してでも己を貫き通そうという意志を持っていた」
一息つき、
「ロゼ、お前にはそれがなかったんだよ。領地を守ろうとしたのだって、お前自身の中から湧き出たものじゃない。押し付けられた役割を仕方なくこなしていただけだ。結局のところ、お前は中途半端だった。民のために命を投げ打つほどの覚悟があれば、俺に負けることもなかったはずだ」
「……ふふ、そこまでズタボロに言われると流石に凹むな。でも、なんでだろう。悪い気分じゃない」
ロゼは肩を落としつつも口元には笑みを浮かべていた。
今まで目を逸らしていた答えと、はっきり向き合うことができたためか。アウロにその心の内側までは読めない。
「言われてみれば俺はお貴族様ってものが苦手だった。見知らぬ誰かのために、なんてのはガラじゃなかったな」
「うーん……残念ですけど、確かにその通りなのかもしれません。私の知っているロゼさんはいつもちゃらんぽらんでしたから」
眉間に皺を寄せつつ呟くシルヴィア。
とはいえ、こちらも言うほど残念そうではない。年相応のあどけない表情はアウロにとって見慣れない代物だった。
「イクティスにいた時はいかにも貴族の令嬢らしい振る舞いをしていたが……シルヴィア嬢、あなたも恋人の前ではそんな顔をするのだな」
「う、そんな分かりやすく舞い上がっていますか? 一応、普段通りにしているつもりなんですけど」
シルヴィアは意味もなく指先をこねくり回しながら抗弁した。
その反応自体アウロにとっては新鮮だ。恋人という単語も今更訂正するつもりはないらしい。
「そうだ、アウロ。俺からも礼を言うよ。シルヴィを今まで匿ってくれていてありがとう」
「別に礼を言われる筋合いはない。こちらも義侠心でシルヴィア嬢を庇った訳じゃないからな。……ただ、彼女が当家からいなくなってしまうのは残念だ」
「残念? どうしてさ」
「シルヴィア嬢は単なる居候ではなく、ギネヴィウス家の書記官を務めていたのさ。執事長の補佐として様々な業務をこなしていた。それも完璧にな」
「ふむ。いかにもシルヴィらしいエピソードだな。どうせ自分から『穀潰しにはなりたくない』だのなんだの言って、無理やり領政の手伝いをしようとしたんだろ」
「正解だ。俺が言うのもなんだがシルヴィア・アクスフォードはいい女だぞ。お前には勿体ないくらいだ」
「へぇ、珍しいね。君がストレートに女性を褒めるなんて」
両手を広げ、大仰に驚いてみせるロゼ。
が、当のシルヴィアは照れるでもなく、特徴的な三白眼を細めてアウロをじっと睨んでいた。
「アウロさん、そういう台詞はカムリさんやハンナ、アルカやルキさんにこそ言ってあげるべきだと思いますけど」
「………………」
「おや? なんかえらく沢山の名前が出てきたね。アウロ、君は恋多き男だな。一体何人のお嫁さん候補がいるんだい?」
「……そういう話題は酒の席にしろ。俺は真面目な話をしに来たんだ」
アウロは一度、咳払いをしてから本題に戻った。
「実はな、今日の午後にカーシェン・ランドルフがこちらの本陣へ来る予定なんだ。リカルド殿はそこで再び諸侯の会合を開くつもりらしい。できれば、二人にもこの会議に参加して欲しい」
「それはアクスフォード家の代表として、という意味でしょうか」
シルヴィアの質問にアウロは頷いた。「無論だ」
「先ほども言ったが、ロゼはシルヴィア嬢の補佐をしてやって欲しい。流石に彼女一人で北部の諸侯を纏めるのは無理がある」
「了解。俺は俺の役割をこなそう。君もナーシア殿の件は頼むぜ」
「……努力はする。だが、保証はできん」
結局、アウロはそう答えることしかできなかった。
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決戦終結の翌日。
勝者である同盟軍の諸侯は、戦場の後方に設えられた大天幕に集合していた。
メンバーは幾人かが欠け、幾人かが増えている。いなくなったのは怪我で療養中のジュトーとルーカス。裏切りの果てに戦死したヴェンモーズとバルロックの計四名。
増えたのはロゼ・ブラッドレイ、シルヴィア・アクスフォード。
そして、グロスター侯カーシェン・ランドルフの三人だ。
「いやはや、お久しぶりです皆さん。また、こうしてあなたがたと顔を合わせることができて欣幸の至りだ。今回の決戦における犠牲は決して少なくなかった。しかし、今は再会の喜びを共に祝うと致しましょう」
開会直後、いけしゃあしゃあとそんな台詞をのたまったのは、柔和な顔立ちをした痩身の男だった。
その外面は吟遊詩人のように涼やかだったが、一点、左眼窩にくっきりと浮かび上がった青あざがひどく間抜けな空気を醸し出している。つり上がった口元と相まってピエロにしか見えない。
「カーシェン、その愉快な左目はどうした」
真っ先に尋ねたのは同盟軍の総大将であるリカルド・ブランドルだ。
「随分と男気のある面構えになったな。一体なにとやりあったんだ? オークか? ギガースか? それとも気性の荒い雌馬か?」
「娘ですよ。さっきクリスにぶっ飛ばされてしまいまして。ちょっと見ない内に随分わんぱくになってしまったようです」
「自業自得だよ。娘をトカゲのシッポみたいに切り捨てるからだ」
親友の戦果を見て、せいせいしたとばかりに笑みをこぼすアルカーシャ。
一方のカーシェンは肩をすくめると、円卓の一角に座る少女に目を留めた。
「そして、こちらもお久しぶり……と言うべきでしょうか? シルヴィア・アクスフォード。あなたが同盟軍に加わっていたとは驚きです」
「お久しぶりです、ランドルフ卿。卿のことですから、てっきりこちらの内情についてもご存知かと思いましたが」
にっこり微笑み返したのは白いチュニック姿のシルヴィアだ。
その隣には、マント付きの正装に着替えたロゼも控えている。怪我明けで体を動かすのもきついはずだが、飄々とした面構えには苦痛の陰など全く見えなかった。
「ご無沙汰しております、カーシェン殿。まさか、あなたと同盟軍の陣屋で会うことになろうとは」
「私にとっても意外ですよ。ロゼ君、君は王国から同盟に鞍替えしたと見ていいのですか?」
「ええ、まぁ」
「それほどにシルヴィア嬢が大切と?」
「否定はしません。それが全てという訳でもありませんが」
お互いに一手一手、腹の内を探るような会話が交わされる。
緊迫の空気。それを打ち破ったのは、ぴしゃりと打ち鳴らされた手の平だった。
「さて、戦いは終わった。みんなの間にはまだ色々な確執やわだかまりがあると思う。けれど、今日のところは過去の因縁を忘れてこれからのことについて話し合おう。今の僕たちは同じ目的を掲げて戦う同志なんだからね」
天幕の最奥に座ったルシウスは、そう言って居並ぶ諸侯を見渡した。
その爽やかな笑顔からは有無を言わせぬ気配が漂っている。暴走しがちな臣下に振り回され続けたせいか、最近のルシウスはまとめ役をこなすのにも慣れてしまったようだった。
「ロゼ、君が僕らに協力してくれるってのはありがたい。ブラッドレイ家が味方に付くのは心強いし、なにより君の空戦の腕前は身に沁みてる」
「そうとも。お前に半殺しにされたことは忘れちゃいないぜ」
冗談っぽく付け加えたのはルシウスの脇に控えるジェラードだ。
「とはいえ、ここで過去の因縁を蒸し返すつもりはない。殿下の言う通り、俺たちは未来について話すべきだ。アウロから大方の話は聞いただろうが……ロゼ、お前はシルヴィア嬢と共に北部へ行って欲しい」
「タウィンからドルゲラウにかけての一帯。つまり、北部の反王国派貴族を纏めて同盟軍に組み込むって話だったかな?」
「その通り。この場合、二人には機竜で現地に飛んで貰う形になるだろう」
「機竜? シルヴィは機甲竜に乗れないぜ?」
「お前がシルヴィア嬢を後ろに乗せて飛べばいいだろ」
「……うーん」
ロゼは口元に手を当て、「まぁ、そういうやり方もあるか」とぶつぶつと呟いた。
「しかし、君たちは俺が裏切るって可能性を考えないのか? 俺がシルヴィを連れて王都カムロートに着陸したらどうする気だ?」
「考えたさ。なにしろ、つい最近身内から裏切り者が出たもんでね」
その台詞に、リカルドは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
が、ジェラードは父親の反応を無視して言葉を続けた。
「しかし、他にやりようもないんだ。お前が王国に投降しちまったら、こっちはもう頭を抱えるしかない」
「大丈夫ですよ。万が一ロゼさんが心変わりしたら、その時はロゼさんを殺して私も死にますから」
さらっと恐ろしい台詞を言ってのけたのはシルヴィアだ。
円卓を囲う一同が凍りつく中、少女は思案するかのようにおとがいをなぞった。
「ただ、それだとあんまりですから誓いの言葉を立てて貰うのはどうでしょう」
「誓い? それはつまり――」
「誓約か」
アウロは言った。
『誓約』はこの国に伝わる古い慣習の一つだ。
よく似たものとして、冬の大陸における『禁忌』が存在する。
誓約は本人に神の加護を与えるが、一度それが破られれば大いなる災禍をもたらす。多くの場合、誓約の破棄は死に直結するという。
「分かった。ならば、この場にいる諸侯を立会人としてロゼ・ブラッドレイの名で誓約を刻もう。――シルヴィ、ちょっと立ってくれる?」
「……? 私が立つんですか?」
シルヴィアは首を傾げつつその場から起立する。
同じく席を離れたロゼは、突然天幕の地べたに膝をつくと少女の手を取った。薄い手の甲に額を押し当て、厳粛な声で告げる。
「我が祖、我が血、我が名にかけて。シルヴィア・アクスフォード、あなたに永遠の愛を捧げることを誓う。その代わり、あなたは私に永久の愛を与えて欲しい。……シルヴィ、君は俺の誓いを受け入れてくれるか?」
「はぇ!? え、そ、その……」
シルヴィアの声は完全にひっくり返っていた。
一方、会議の場は水を打ったように静まり返っている。居並ぶ諸侯はただただ唖然とするばかりだ。
『禁忌』は己に対して課すものである。
しかし、カンブリアにおける『誓約』は違う。
親が子に、主君が臣下に、なんらかの誓約をかけることもあり得るのだ。
今回のこれは恋人に対する誓約の要求だった。自ら誓いを掲げ、その承認を求める。騎士道物語の一場面のようなやり取りに、アウロはつい頬をひきつらせてしまった。
(こいつ……よくこんなクサい台詞を臆面もなく吐けるな)
恐らく、この場にいた面々はみな同じ感想を抱いたことだろう。
ただ、一番可哀想なのは誓いを求められた側のシルヴィアだった。
普段は取り澄ました表情をしている彼女だが、なにしろ多数の観客に取り囲まれた状況での告白である。
頬を紅潮させ、石膏像の如く硬直するシルヴィアの姿は、アウロの目にはひどく不憫に映った。
「あ、あのですね、ロゼさん。そういう台詞はもっと段階を踏んで、ムードのある場所でのたまうべきでは――」
「シルヴィ」
必死に取り繕おうとする少女の顔を、青年は力強い眼差しでじっと見上げた。
「今ここで返事を聞かせてくれ」
「………………」
シルヴィア・アクスフォードはその一言で完全に退路を塞がれてしまった。
指先まで真っ赤になった彼女は、目を閉じ俯いた後、もごもごと口を動かして震える声を絞り出した。
「は、はい。あなたの誓いを……受け入れます」
「ありがとう」
ロゼは嬉しそうに微笑んでその場から立ち上がった。
それでも、その場に居合わせた人々はすぐには動けなかった。
天幕内に、壮絶な恋愛劇を見終わった後のような余韻が残っていたためだ。
真っ先に声を上げたのは椅子からずり落ちかけたジェラードだった。
「……ロゼ。お前、なんていうかすげぇな。まさか公衆の面前で愛の告白とは」
「だが、大した度胸だ。俺にはとても真似できん」
アウロは苦笑を浮かべつつも、両手を打ち鳴らして友人二人を祝福した。
次いで、他の面々も後に続くかの如く拍手を送る。まだぽかんとしているもの、複雑そうに眉を寄せるもの、声を上げて笑うもの、反応は様々だ。
その中でただ一人、カーシェン・ランドルフだけは取り繕った澄まし顔を崩さなかった。
「いやはや、めでたいことです。若いお二人が結びつく場面に立ち会わせて頂けるとは」
「それに」とカーシェンは円卓から身を乗り出し、
「これでログレス王国の四侯爵とその後継が一堂に会する形となりましたね」
「ふむ、言われてみればそうだな!」
リカルドはようやく気付いたとばかりに膝を打った。
四侯爵の内、剣の侯爵家と盾の侯爵家の当主は今この場にいる。
槍の侯爵家の当主は王国に与したモーディア・ガーランドだが、彼は不義を犯した簒奪者だ。『槍の騎士』たちが忠誠を誓っているのは、ガルバリオンの血を引くアルカーシャである。
そして、斧の侯爵の後継はシルヴィア・アクスフォード。傍系だがブラッドレイ家のロゼもいる。これに北部のアクスフォード派諸侯が加われば完璧だ。
「カーシェン、改めて聞くけどお前も同盟に参加するつもりなんだな?」
「ええ」
アルカーシャの質問に、カーシェンは目に浮かんだ青あざを掻きつつ言った。
「是非、私の側から同盟への参加をお願いしたい。領民を守るためとはいえ、剣を取って戦った以上、新王も私を許しはしないでしょう。無論、盟主であるルシウス殿下のお許しを頂けることが前提なのですが……」
「カーシェン、そんな回りくどい言い方をしなくてもいいよ。僕は君を受け入れるから、君も僕らを受け入れて欲しい」
「ありがたき幸せ」
カーシェンは立ち上がると大仰に礼をした。
役者は揃った。舞台の幕はとうの昔に上がっている。
後はどのような段取りで劇を進め、この戦争を閉幕まで持っていくかだ。
「さて、面子も入れ替わったことだしここで一旦、現状を確認しておこう」
そう口火を切ったのは、実質的に諸侯同盟を仕切っているリカルドだ。
「ペンドラコンウッドの戦いで王国軍は崩壊した。新王とその側近はカムロートに引きこもり、とてもではないが軍を立て直せる状態ではない。その上、我らにはランドルフ家が盟友として加わった。先のように真正面からぶつかったところで勝負にならんことは、双方の目から見ても明らかだ」
「となると次の問題は――」
ジェラードの呟きにアウロは一声、告げた。
「……ドラク・ガーグラー」
その名に一瞬、天幕内の空気が凍りつく。
ドラク・ナーシアの挑戦には勝利した。
ドラク・マルゴンとの決戦も無事乗り越えた。
それでもなお、アウロはガーグラーと矛を交えるのに形容しがたい悪寒を覚えた。
この国において、ドラク・ガーグラーの名は不敗の将として、あるいは暴虐非道の代名詞として知られている。
現在は実兄である新王マルゴンに疎まれ、東部方面軍総司令官の名目でスランゴスレンに留まっているものの、モンマス攻略の際にガルバリオンを討ち取ったのはあの男だ。純粋な戦力として見れば王国最強と言っていいだろう。
「恐らく、次は奴が来る。あれだけの敗北を喫した以上、王国もガーグラーら東部方面軍の力を頼るより他に手がないはずだ」
「そうだね。一応、ガーグラー兄さんとも連絡を取ろうとしてるんだけど……返事がない。無視されてるみたいなんだ」
「ふーむ。となると、凶眼の殿下は新王の側に回るつもりなのかな」
「そうとも断言できん。せめて、奴の狙いが分かればいいんだが」
アウロの知るガーグラーという男は、決して誰かに飼われる犬ではない。
だが、困ったことに理性のない獣という訳でもないのだ。あれは他人の目を欺くため、自ら好んで狂人の振る舞いをすることがある。
ガーグラーはアウロの母ステラの友人だった。
だから、二人の付き合いもそれなりに長い。
にも関わらず、アウロは彼の本心を測りかねていた。ドラク・ガーグラーという男を理解するのに、十年や二十年の月日では短すぎる。
「そもそも、東部方面軍は今動けるような状態なのかな。カーシェン、国外の状況についてなにか知らない?」
「そうですねぇ」
アルカーシャの質問に、カーシェンはもったいぶった様子で答えた。
「皆様もご存知でしょうが、我がログレス王国は東部の山岳地帯を境に二つの国家と領土を面しています。南は西方サクス王国。北はマーシア王国。そして、ウェセックスの侵攻を阻むのが我がランドルフ家の役目。マーシア王国の侵略を挫くのが東部方面軍の役目とされています」
まるで教師のような口調だ。聞き入る聴衆も自然と気構えてしまう。
「この二国を始め、サクス人の七王国とログレス王国の関係は極めて冷ややかです。なにしろ、民族も言語も掲げる宗教も違います。ただし、七王国とて互いに同盟関係を結んでいる訳ではありません。特にウェセックスとマーシアの両国は、ここ数年で幾度となく小競り合いを起こしています」
「バックグラウンドは分かった。でも、連中はこの状況下でもログレスに攻めてきてないんだよな」
「いえ、攻めてきています。つい先日、マーシア王国の諸侯が『オファの防塁』を乗り越え、東部方面軍の本拠地スランゴスレンに総攻撃をかけたと報告がありました」
あっさりと告げるカーシェン。アルカーシャは人形のように口をぱくぱくさせた。
呆気にとられたのは他の面々も同じだ。唯一、顔色を変えなかったのはアウロだけである。彼は既にハンナの口から北部の動乱について耳にしていた。
「そういえば、ケルノウン伯。あなたの下には山猫部隊という優秀な組織が存在するという噂を聞きました。もしや、既に事情をご存じでしたか?」
「多少は。できれば、カーシェン殿にも情報の正誤を確認して頂きたいのですか」
「つまりは答え合わせですね。どんと来て下さい」
カーシェンはおどけた様子で胸を叩いた。
「では」
アウロは一呼吸置いてから語り始めた。
スランゴスレンにおけるマーシア王国と、ガーグラー率いる東部方面軍の戦い。
その顛末と実際に起きたであろう出来事について、戦慄と畏怖を交えながら。




