4-21
アウロが意識を取り戻したのは空戦から三日が経ってからのことだった。
ロゼとの格闘戦の最中、高度25000フィートからの超音速降下を敢行したアウロは、その反動によって内臓がことごとく駄目になってしまい、丸三日もベッドで寝込んでいたのである。
目を覚ましたアウロはすぐさま、ベッド脇に控えていたカムリ、ルキの二人から現在の戦況を聞き出した。
初日で王国が打った策――
すなわち大型機甲兵器による正面突破。ヴェンモーズ、バルロックらの裏切り。
そして、ベルン率いる黒近衛による本陣強襲は全て失敗に終わった。
結果、ヴェンモーズ、バルロック、ベルンらは戦死。
また、アルベンス伯のドルムナットも行方が知れないという。
戦果だけ見れば華々しいように思えるが、実際は身内から離反者が出ているため痛み分けに近い。なにより、本陣が奇襲を受けたという事実は兵たちの士気に重い影を投げかけていた。
もっとも、リカルド・ブランドルとてやられっ放しではなかった。
戦場から姿を消したと思われていた『銀剣騎士団』――グラストンベリー伯ルーカス・ゼルドリウス率いる精鋭部隊が、密かに王国軍の輜重隊を襲撃し、敵の食糧庫に火をつけたのだ。
大軍の弱点はそれを維持するための兵站である。おまけに王国軍の中核を成すのは金で雇われた傭兵部隊だ。
食料供給を絶たれた以上、敵は算を乱して潰走する、と思われた。
「……それがまさかこうなるとはな」
更にその一週間後。
ハンナら山猫部隊の詰める第十八番要塞にやってきたアウロは、丘の下にひしめく敵軍を苦々しい気分で見下ろしていた。
この日は早朝から、雨粒混じりの深い霧が丘陵地帯を覆っていた。
空は一面が灰色である。ここまで視界が悪いと機甲竜騎士を飛ばすこともできない。
どのみち、《ミネルヴァ》は未だにブリストルで修復作業中だし、アウロ自身も病み上がりだ。丘に佇むアウロの隣では、黒いローブ姿のカムリが不安そうに主を見つめていた。
「ね、主殿。やっぱり天幕に戻ったほうがいいんじゃないの? まだ体調が悪いんでしょ?」
「体はもう大丈夫さ。それに前線ではハンナやベディクたちが頑張ってくれているんだ。俺だけベッドに寝ている訳にはいかない」
「そりゃそうかもしれないけど……」
カムリは物言いたげな顔で、濃霧に覆われた下界へと目を凝らした。
どこか遠くから響く砲声。人のざわめく声。蠢く黒い影。
既に要塞内にはほとんど人がいなかった。山猫部隊の主力は丘を下り、塹壕を挟んでの攻防戦に参加している。
先日、第三防衛線を突破された同盟軍は第四防衛線に後退した。もはや、それ以上は下がることのできない最終防衛ラインだ。敵は順調に屍の数を増やしていたが、いかんせん物量の差は絶望的だった。
言うまでもなく敵は健在だ。
ルーカスら奇襲部隊の兵糧攻めが機能していない訳ではない。
にも関わらず、傭兵たちが士気旺盛なのは減った分の糧秣をよそから調達しているためだ。
ただし、今の季節は冬。いきなり失われた分の食料を補填することはできない。
そうでなくとも王都からペンドラコンウッドまでは二週間近くの行程だ。
本来なら、安定した食料供給など夢のまた夢だった。
――だが、
それらの問題を一挙に解決したのが『緊急徴収』という手段だ。
大層なお題目だがなにも特別な方法ではない。王国軍は戦時特例として、この辺りに住む農民たちから、パンとベーコンを強引に取り上げてしまったのである。要は王国公認の略奪行為だ。
越冬用の蓄えを奪われた人々は飢えて死ぬしかない。
その陰惨なやり口は陣地を挟んでアウロの耳に届いていた。
いわく、徴収に逆らった民が問答無用で首を刎ね飛ばされた。
いわく、村の若い娘が『作戦協力者』としてことごとく連れ去られた。
いわく、門を閉ざして協力を拒んだ村々が傭兵たちに蹂躙され、住民ごと炎に焼き尽くされた。
(連中はもはや法の箍の外れた獣と同じだ)
アウロはふいにオドアケルの逸話を思い出した。
西ローマ帝国の傭兵隊長だったオドアケルは、ゲルマン人の傭兵の軍事力を背景に年若い皇帝を排して、自らが権力者の座についた。
が、彼がイタリアの王だったのはたったの十年だけだ。王の器でなかったオドアケルは、最終的に東ローマ皇帝の手によって仮初めの王国ごと滅ぼされた。
このままでは、ログレス王国自体が同じ末路を辿りかねない。金で雇われた獣は喰らうべき肉がなくなれば、次は主人の喉笛に牙を向けるだろう。
「アウロ」
そこで丘の上に姿を見せたのはアルカーシャだ。いつものようにベルトを巻いたチュニックの上から、分厚い外套を羽織っている。ただし、その腰には細身の剣が吊り下げられていた。
「アルカ? どうしてここに……」
「様子を見に来たんだ。なんか居てもたってもいられなくって」
「今日はこの霧だ。ここに来たところで戦場を俯瞰することはできまい」
「でも」
「いいから大人しく後ろに引っ込んでろ。どうせ今の俺たちにできることはないんだ」
「それ、私より早くここにいたアウロが言う台詞じゃないだろ」
「俺とお前とでは立場が違う」
その一言に、アルカーシャはむっと口をへの字に曲げた。
「アウロこそまだベッドで寝てた方がいいんじゃないのか? ルキが検診をすっぽかされたって怒ってたぞ」
「体はもう問題ない。それより今は前線の様子の方が心配だ」
「二日前、第三防衛線が突破されたって聞いたよ? 状況はどうなんだ?」
「またしても膠着状態だ。そもそも、第三防衛線を明け渡したのも最終ラインに戦力を集めるためだからな。逆に、傭兵たちは戦場に留まってこそいるが士気は極めて低い。時折、霧に乗じて奇襲をかけてきているようだが、その動きは散発的だ。全体の統制も取れていない」
「頭数だけ豊富な犬っころってことか」
「その数というのが最大の問題なんだがな」
思わず漏れたため息が、霧の中で真っ白にけぶる。
なにしろ敵の数は十倍だ。こちらから打って出てどうこうできる戦力差ではない。
だが、防御に徹し続けていればその間だけ傭兵たちの暴挙を許してしまう。
最終的に同盟軍が勝利を得たとしても、残されたのが草木も生えない焼け野原ばかりでは意味がない。
「カムリ、戦場の様子は?」
「ん? んー、さっきシンシアから連絡が来たけど、敵さんは完全にやる気がないらしいよ? 攻めてきてるのはデュバン・サミュエルの部隊くらいだし、それも毎回ベディクに撃退されてる」
カムリはフードからこぼれた毛先を所在なげに弄んだ。
彼女は先ほどから、前線の魔術師と『念話の術』で定期的に連絡を取っていた。おかげで、この霧の中でもある程度は戦況を把握することができる。
「まったく傭兵なんかに頼るからこうなるんだ。ヴォーティガーンの二の舞いにならなきゃいいけ……ど…………」
ぶつぶつ呟いたカムリは、そこでふいに言葉を切った。
また前線から連絡が来たらしい。だが、その反応は少し妙だった。
「は? なに、黒い人影? いや、もうちょっと分かりやすく――」
怪訝そうに尋ね返すカムリ。
その答えは脳ではなく眼球からもたらされた。
丘の下の盆地を覆う濃霧。
その向こうで、巨大な影が身じろぎしていたのだ。
「……なんだあれ」
アルカーシャは呆気にとられた様子で呟いた。
無理はない。影の頭頂高はアウロたちのいる丘砦と並ぶほどだった。
初日に現れた大型機甲兵器――《ウォーター・リーパー》に匹敵する巨大さだ。
(まさか、二機目!?)
咄嗟に身構えたアウロだが、今の装備ではまるでお話にならない。
為す術もなく佇む三人の前で、機甲兵器はアームを振りかぶった。その先端には尖塔じみたシルエットの大剣が装着されている。
――ごうんっ!
暴風を纏い、濃霧を切り裂きながら振り下ろされる刃。
たちまち大地が抉られ、塹壕の周囲で悲鳴が上がった。丘の上まで届く衝撃に、アウロはたまらずよろめいた。
「く、あれは……」
「きょ、巨人!? あんなの、どうやって!」
死神の如く大剣を振るう影は、全長70フィート近い人型を取っていた。
霧に浮かぶシルエットは妙にごつごつしている。あれは鎧だ。全身に分厚い複合装甲を貼り付けているのだ。
つまるところ、あの巨人は大きな――そう、化け物のように巨大なサイズの騎士甲冑だった。
「戦略級の超大型アーマーだと? まさか……」
惨憺たる地獄と化した下界を、巨人は我が物顔で闊歩する。
だらりと両腕を垂らしたその姿は墓場から蘇った亡者のよう。
事実、あれは既に死んでいる。アウロの予感が確かなら、あの兵器は巨人の亡骸を利用して作られたもののはずだ。
やがて、鉄巨人は塹壕を踏み越えて第十八番要塞の前まで到達した。
そのせり出た肩に二重の盾紋章が刻まれているのを見て、アウロは絶望のうめき声をこぼした。
「やはり、これはランドルフ家の《髭狩り》……!」
「リトー!? こいつ、なんでこんな姿に!」
驚愕の声を上げたのはカムリだ。
霞の中から浮かび上がる、髑髏のような形状の頭部。
鋼色の面頬に覆われた面構えを見て、彼女はあんぐりと口を開いていた。
「あ、主殿、これって」
「《髭狩りリトー》――かつて竜王アルトリウスに倒されたという群島の巨人王だ。その亡骸は長年放置されていたが、十五年ほど前にとある貴族の手で回収され、巨大な騎士甲冑へと作り変えられた」
「じゃ、じゃあ、あれも骸装機ってこと!?」
「その一種だ。といっても、機竜の骸装機ほど一般的なものじゃない。戦略級の騎士甲冑はログレス王国内に一機だけ。あの《リトー》だけがランドルフ家の管理の元、グロスターの国境沿いに配備されている。――いや」
配備されていた、と言うべきだろう。
なにしろ、《リトー》はこのペンドラコンウッドに出現したのだ。
肩にランドルフ家の紋章が刻まれていることから見ても、あれが国境の守り人たる鉄巨人であるのは間違いない。だが、霧にまみれたその姿をアウロは現実のものと思いたくなかった。
「あ、アウロ、《リトー》がこっちに現れたってことは」
「ランドルフは王国側についた、か」
後ずさるアルカーシャの隣で、アウロはぎっと奥歯を噛み締めた。
四侯爵の一角、グロスターを本拠地とする盾の侯爵家。
今回の内戦で当主であるカーシェン・ランドルフは中立を謳っていた。
が、同盟軍に対して《リトー》が投入された以上、彼らは敵に回ったと見ていいだろう。
戦争の推移を見て心変わりしたのか。それとも最初から王国軍に味方するつもりだったのか。そのあたりはどうでもいい。
重要なのは今ここに戦況を、それこそ盤面ごとひっくり返せるだけの戦力が現れたということだ。あの機械仕掛けの巨人をどうにかしない限り、アウロたちに未来は――
『おっと、そこにいるのはケルノウン伯とアルカーシャ姫ですか? 丁度いい。本陣まで行く手間が省けました』
頭上から響く雷鳴のような声。
遅かった。アルカーシャの手を引き、巨人の前から逃れようとしたアウロだが、その前に《リトー》の双眼は彼らを捉えていた。
「その声……カーシェン・ランドルフか。まさか、侯爵家の御当主が直々にお出ましとはな」
『仕方ないでしょう。この《リトー》には三つの制約が刻まれているんです。その内の一つが、盾の当主以外の者が《髭狩り》を操ること叶わず、というもの。山一つひっくり返せる巨人が、誰の命令でも聞くのでは洒落になりませんからね』
カーシェン・ランドルフは指先の感触を確かめるかのように、ぐっと巨人の手の平を握った。
その岩塊じみた拳が振り下ろされれば、アウロの体はたちまち粉々に砕け散ってしまうだろう。普段は超然としているカムリですら、青い顔のまま唇を真一文字に結んでいた。
「カーシェン、貴様……」
『そう警戒しないで下さい。君は私が同盟軍に喧嘩をふっかけに来たと思っているのかもしれませんが、それは誤解です』
「なに?」
『前にも言った通り、私は中立を貫くつもりだったのですよ。それがこんな強引な手段に出るはめになったのは、私の領内まで飛び火が来たからです。ケルノウン伯とて、デーン人傭兵たちの横暴については聞き及んでいるでしょう?』
「まさか……連中はランドルフ家にまで喧嘩を売ったのか?」
『間接的には、そうです。彼らは当家の庇護下にある幾つかの村々を襲い、奪い、焼き払いました。いえ、ね。私はこれでも温厚篤実な性格なのですよ? けれど、犬畜生に噛み付かれて黙っていられるほど穏やかではない……』
カーシェンはふとその声に冷たいものを滲ませた。
巨人の頭部がぐるりと巡らされ、半透明のバイザーが大地を見下ろす。
薄れかけた霧の向こう。塹壕の奥で死屍累々を成しているのは、王国軍の傭兵たちだった。
塹壕の内側には被害が出ていない。蟻の如く跨ぎ越された同盟軍の兵士たちは、ただ呆然と機械仕掛けの巨人を見上げている。
「ランドルフ卿。では、あなたは――」
『飼い犬の始末は飼い主の責任。今より、ランドルフ家は貴殿らにお味方する。ケルノウン伯、どうかリカルド殿と共に号令をかけて頂きたい』
「号令?」
『無論総攻撃の、です』
ふいに、カーシェンの搭乗する《髭狩り》は右手に持った大剣で空を薙いだ。
剣風に巻かれて霧が晴れる。その向こうには森が広がっている。太い幹が絨毯の如く戦場を埋め尽くしている。
いや、
それはありえない。北部の森林地帯はこの要塞の遥か彼方のはず。
つまり、あれは森ではないのだ。腐葉土と思っていたものは居並ぶ甲冑であり、屹立する幹は長大な歩兵槍であり、枝葉の代わりにそよいでいるのはランドルフ家の紋章を刻んだ旗だった。
地平を埋め尽くす兵の数は千や二千ではあるまい。おまけに彼らは輝く鎧甲冑に身を包み、槍と盾とで完全に武装していた。軍団の中には胸甲を付けた騎兵や、騎士甲冑らしき重装歩兵の姿まであった。
『役者は揃ったようですね。では、開演といきましょう。我ら「盾の騎士」の武勇、とくとご覧あれ!』
一座の団長よろしく剣を振り上げる巨人。
直後、森林が鳴動した。
打ち鳴らされる槍と盾。
勇ましい雄叫びがびりびりと大気を震わせる。
霧の中、突如現れた騎士団を両軍の兵は呆けたように眺めていた。
彼らは今の状況を、その危うさをなに一つ理解していないようだった。
同盟の兵たちはまだいい。彼らは単なる傍観者でいられた。
不憫なのは軍団と塹壕との間に挟まれた傭兵部隊だ。彼らの状況は罠に捕らわれた獣と同様、その命運もろとも完全に詰んでいた。
『――駄犬どもが、一匹たりとも逃がさんぞ。我が民の命、その血で贖うがいい』
穏やかだった男の声が、一転して憎悪に包まれる。
途端、鉄の具足を身につけた人垣は土石流と化して憐れな獲物に襲い掛かった。
丘の上まで轟く大勢の人間の怒号、唸り、鬨の声。
脳髄を震わす戦場の音に、アウロははっと意識を取り戻した。
「カムリ、前線の守備隊に連絡! あれは味方だ。協調して王国軍の排除に当たらせろ!」
「え……あ、う、うん!」
「アルカ、お前はガーランド家の騎士たちに号令を下してくれ。俺はリカルド殿を通じてブランドル家を動かす!」
「ら、了解!」
矢継ぎ早に指示を出した後、アウロは自らも要塞内へと飛び込んだ。
通信機を引っ掴み、後方と連絡を取る。ただ、こちらはあまり手間がかからなかった。
リカルドは既に大まかな状況を把握していたのだ。ばかりか、早くもランドルフ家の騎士たちと足並みを揃えるよう、配下の兵に通達しているという。
「リカルド殿はこの状況を予見していたのですか?」
『まぁな。わしの知るカーシェン・ランドルフはハゲタカのような男だ。はじめは積極的に戦闘に参加せず、最後の最後で獲物の肉の一番美味いところだけ喰らいにくる』
「………………」
『だが、このタイミングで動いたのは早過ぎる。わしはカーシェンが攻めてくるのはもう一、二週間あとだと思っていた。それに《髭狩り》を投入してきたのも予想外だ。動員した兵の数に至っては五千を越えるという。奴はここで完膚無きまでに王国軍を覆滅するつもりらしい』
「そのようで」
アウロは切り開かれた銃眼から外の様子を伺った。
塹壕と完全武装した騎士団とに挟まれた敵は憐れなものだった。
前進すれば待ち構えていた守備隊がたらふく砲弾をお見舞いし、後退すれば突撃してきた騎士たちに背中を貫かれる。
最悪の死に方をしたのはその場に留まった集団だ。方陣を組んで防御を固めた彼らだが、鋼鉄の巨人――《髭狩りリトー》の振るう大剣はそのささやかな抵抗を呆気なく粉砕してしまった。
人が、稲穂のように刈られる光景は神話に描かれる災禍そのものだった。吹き上がる血しぶきを見て、それでもアウロは安堵した。あの暴力が自分たちに向けられなくて良かった、と。
『それにしても、ランドルフの若造に全て持っていかれてしまうのは癪だな。……よし、わしも出撃しよう。実は先ほどから、男衆の声が本陣まで届いておるのよ。少しばかり童心に帰って暴れ回りたい気分だ』
「いえ、その必要は――」
反射的に諌めようとしたものの、既に通信は切れてしまっている。
アウロはため息混じりにレシーバーを投げ捨て、要塞の外に出た。
前後から圧迫され、鉄巨人の急襲を受けた敵軍はもはや風前の灯火だった。
それでも人の生存本能のなせる技か。彼らは部隊を左右に分け、どうにか死地から逃れようとしていた。
が、その退路を断つかのように白と黒の集団が彼らを襲った。白はブランドル家の精鋭部隊、銀剣騎士団。黒はギネヴィウス家麾下の山猫部隊だ。全く毛色の違う二つの軍勢は、しかし、驚くほど息の合った連携で死体の山を築き上げた。
他にもあちこちから槍を、剣を、銃を構えた兵士たちが攻撃に参加している。
気付けば、敵は完全に四方から包囲されていた。元より統率力の低い群がりだ。浮足立った彼らは戦場に孤立し、打ち寄せる人海に飲まれ、豚のような悲鳴を上げながら徐々にその数をすり減らしていった。
「主殿、こっちは連絡が終わったけど……」
「私たちが号令を下すまでもなかったみたいだな」
アウロの隣にやってきた少女二人は、眼下の戦場を複雑そうに見下ろしていた。
戦争に綺麗事はない。とはいえ、ここまで一方的な殺戮になることは稀だ。
カムリはまだいい。彼女の中に敵の死を悼むような感情はない。『うわぁ、かわいそう』くらいは思っているのかもしれないが、少なくともそれを表に出すような真似はしない。
問題はアルカーシャの方だ。
「………………」
初めて目の辺りする虐殺劇を、少女は瞬きもせず俯瞰していた。
きつく噛まれた唇が破れ、真っ赤な血が顎を伝う。寒さとは違うなにかで青ざめていく幼馴染の顔を、アウロは横目で伺った。
「アルカ、お前は天幕に戻れ。わざわざ連中の末路を見てやる必要はない」
「駄目だよ。両親の仇を取ると決めたのは私だ。ここで目をそらしたら、私は自分自身の選択を信じられなくなる」
絞り出されたのはからからに乾いた声だった。
復讐というのは茨の道。覚悟のない者は出発点に立つことさえできない。
必要なのは鋼の心だ。だから、アウロも手を差し伸べなかった。
彼はただ無言のまま、寄り添うように彼女の傍にいた。
「……これで終わりみたいだね」
それから数分が経過したところで、カムリはぽつりと呟いた。
同盟軍とランドルフ家による蹂躙はさほど長く続かなかった。
挟撃を食らい、退路を封じられた敵は早々に白旗を揚げたのだ。
いや、その決断はむしろ遅すぎたかもしれない。丘陵地帯に満ちる霧は彼らから正常な判断力を奪った。突然現れた軍勢に対する混乱や、即席軍ゆえの意思統一の遅れも死者を増やす原因だった。
最終的に、塹壕攻略に参加していた敵兵二万の内、半数近くは泥の中で命を失った。残る半数は降伏して捕虜となった。
それでも、王国軍にはまだ同規模の戦力が残っていた。予備兵力として後方に待機していた者。戦闘に参加せず兵站の維持に当たっていた者。近隣の村へ略奪に出ていた者などがいたためだ。
が、いかんせん人間というのは風向きの変化に敏感な生き物である。ペンドラコンウッドにおける王国軍の大敗を見た彼らは、瞬く間に脱走兵へと早変わりしてしまった。
――こうして、
四万二千から成る王国軍は、まるで砂城を崩すかのように瓦解した。
ペンドラコンウッドの決戦は同盟軍の勝利に終わったのである。




