表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
88/107

4-15

 鼓膜を打つ砲声に彼は心臓が飛び跳ねるのを感じた。

 遅れて、着弾による衝撃が大地を揺さぶる。どこか遠くで飛び交う悲鳴。

 大方、無謀な突撃をかけた連中が便所虫よろしく叩き潰されたのだろう。バカどもには似合いの末路だ。


 しかし、彼とていつ無差別な砲撃の被害者になるか分かったものではなかった。

 謎の大型機甲兵器の登場により一時、戦場の趨勢は王国側に大きく傾いた。が、《ウォーター・リーパー》が空からの支援攻撃によって沈黙すると、戦況は再び振り出し状態に戻ってしまった。


 ――そこからはもう完全な泥沼だ。


 当初、傭兵を主体とする王国軍は擱座した機甲兵器を盾に、第三防衛線を突破しようとしていた。

 が、この試みは失敗に終わった。塹壕内に戦力を結集させた同盟軍は、気が狂ったような苛烈さで迫る傭兵たちに砲弾を浴びせかけたのだ。

 三度に渡る突撃とその失敗により、前線に投入された部隊の士気は著しく低下した。結果、彼らは遠く離れた塹壕へおざなりな制圧射撃を仕掛けるのみとなってしまった。

 所詮、軍の中核を成すのは雇われ兵だ。無計画な作戦に従い、捨て駒よろしく使い潰されるのはごめんこうむる、という訳だった。


「ふぅぅぅ……」


 男は白い息を吐くと、銃剣付きのライフルを握り直した。

 彼がバリケード代わりに用いていたのは、泥地に投げ出された機甲兵器の脚だ。どうにか塹壕の手前300フィートほどの位置まで辿り着いたものの、もう一時間以上もここから一歩も前へ進むことができなくなっていた。


 人間、死ぬのは嫌だ。しかし、いつまでも逃げ隠れてばかりはいられない。

 最前線に位置する彼は今が絶好の好機であることを肌身で感じていた。

 敵の抵抗が激しいのも、それだけ相手が追い詰められている証拠だ。

 既に楔は打ち込まれた。後はその傷口を押し広げることさえできれば――


「おい、そこの貴様! お前がここらの傭兵隊長だな!」


 ふいに横合いから怒鳴り声をかけられ、彼は顔を上げた。

 声をかけてきたのは、上品そうな革のコートを纏った小太りの青年だった。

 単なる雇われ兵ではない。恐らく下級貴族の次男坊、三男坊あたり。もしくは貴族の家に仕える騎士といったところだろう。


「なんだい、お坊ちゃん。俺たちになにか用か?」


 彼の周囲には小銃を手にした十数名の傭兵たちが、片膝をついた姿勢のまま、時折思い出したように塹壕めがけてトリガーを引いていた。

 青年は頭を低くしたまま、恐怖に蝕まれた者特有の引きつった笑みを浮かべた。そして、ひっきりなしに鳴り響く砲火の音に負けないよう叫んだ。


「私はアルベンス伯ドルムナットの息子、ケイン・ウェインだ!」

「自己紹介はいいよ。戦闘中だ。手短に用件を言ってくれないか」

「力を借せ! 私に名案がある! 敵の塹壕を攻略するための策だ!」

「期待はしてないが話くらいは聞いてもいいぜ。暇だからな」

「いや、話して聞かせるよりも実際に目で見た方が分かりやすいだろう!」


 そこで青年は背後へと振り返った。


 遅れて、ずしんと間近で地響きが起こる。

 それは敵の山砲によるものではなかった。崩れ落ちた機甲兵器の影から現れたのは四体の鉄巨人。左右の手にガンランスと盾を携えた、汎用陸戦型の騎士甲冑(ナイトアーマー)である。


「……《センチュリオン》か」


 これには傭兵隊長も、その傍らにいた部下たちもあっけにとられた。


「あんなもの、一体どこから持ってきたんだ。あのナリじゃあ塹壕を越えるのだって簡単じゃなかっただろう」

「あれは後方から運んできた訳ではない。投降した敵兵のものを鹵獲したのさ! 賊軍の魔導回路(マギオニクス)の仕様は王国のそれと同じだから、操縦者さえ用意できればこちらで使い回すことができる!」

「なるほど。だが、まさか俺たちにあれを動かせっていうんじゃないだろうね」

「そこまでは求めんよ。《センチュリオン》を動かすのは我々だ。貴様らはあのデカブツを盾に塹壕を突破して欲しいのだ! アーマーだけではどうしても小回りに欠けるからな!」


 と、つばを飛ばして喚く青年。

 いつの間にか、ケインは周囲の注目の的となっていた。なにしろ、傭兵というのは儲け話に敏感な種族なのだ。四体の騎士甲冑(ナイトアーマー)は誘蛾灯のように近隣の人々を引き寄せていた。


「良いか! 宰相殿は此度の戦争で功のあったものに、王国の領地と爵位を授けると宣言している! これは嘘ではないぞ。貴様もフェンニィ伯ベルンの噂は知っているだろう! この国では元商人だろうと、元傭兵であろうと、優れた才覚さえあれば貴族になれるのだ! 我々が戦の趨勢を決定付けたとなれば、富貴栄達は思いのままぞ!」


 青年の声には隠し切れぬ興奮の色が滲んでいた。

 それはいささか即物的過ぎる勧誘だった。街の広場で行われる演説であれば、聴衆に振り返られることなく無視されていたかもしれない。

 だが、ここは戦場のまっただ中だ。熱狂は伝播する。あらゆるリスクは心理から排除され、目の前に釣られた餌だけに意識が集中する。

 身を乗り出す若者たちを見て、傭兵隊長はため息をこぼした。


「悪いが俺は乗らんぜ。が、行きたい奴は止めん。好きにしろ」

「結構。では、我はと思うものは手を挙げよ」


 ケインの呼びかけに半分以上の傭兵たちが応えた。数にしておよそ二十名。

 敵の塹壕を制圧するには力不足だが、突破口を切り開くにはこれで十分だ。


 やがて四機の《センチュリオン》はシールドを構えると、のそのそと鈍亀のような歩みで弾幕の中へと進み出た。

 当然、敵もその動きに気付いた。すぐさま塹壕から放たれる十字砲火が一ヶ所に集中する。

 しかし、分厚い装甲を誇るアーマーはびくともしなかった。彼らはゆっくりと、だが着実に、敵防衛線までの間合いを詰めつつあった。


「そら、なにを見ている! 行け行け! 今のうちだ! アーマーを盾に突撃をかけるんだ!」


 ケインの号令に、傭兵たちはおっかなびっくり遮蔽物の後ろから飛び出た。

 《センチュリオン》の全高は成人男性の背丈を頭一つ分は上回る。しかも、自らの身長より巨大なシールドまで構えている。

 同盟軍の必死の抵抗はまるで刃が立たず、その背後に隠れた傭兵たちも楽々と塹壕まで迫りつつあった。


「いいぞ、そのまま進め! 同盟軍恐るるに足らず! 我らの手で勝利をつかみとるのだ!」


 集団の最後尾にくっついたケインは、拳を振り上げながら音頭を取った。

 作戦は順調だった。少なくとも、表面上はそう見えた。蟹脚の陰に隠れた傭兵隊長と、その部下たちが見守る中、切り込み部隊は掘り下げられた壕の数フィート手前まで到達しつつあった。


 が、そこでふいに敵の集中砲火が止んだ。

 一拍後、塹壕内から二つの影が飛び出す。アーマーではない。人間だ。どちらも手に槍を持っている。

 アーマー四機に生身で突っ込むなど、傍から見れば自殺行為同然だった。おまけに、その背後には数十もの傭兵たちが控えている。自爆特攻でもする気か、と傭兵隊長は訝しんだ。


「敵だ! 近付けさせるな! 迎撃しろ!」


 いち早く敵の接近に気付いたケインは、腰から剣を引き抜きながら絶叫した。


 が、二人の槍使いは人間と思えぬほど俊敏だった。

 彼らは《センチュリオン》のガンランスをかわすと、申し合わせていたかのようにぱっと二手に分かれた。

 その内の一方――頭にアーマー用のヘルムを被り、黒いコートを纏った隻腕の男は、槍を振りかざしながら四機の《センチュリオン》へと襲い掛かった。

 もう一方の老人は、怪鳥のような奇声を上げて傭兵たちの間に切り込んだ。ぱっぱっと槍の穂が閃く度、四肢を異様な方向に捻れさせたアーマーと、丸い風穴を開けられた死体が地面を転がった。


 男と老人は、どちらも恐ろしい手練だった。

 切り込み部隊の面々はどうにか銃を取り、剣を構え、懐に飛び込んだ二匹の獣を仕留めようともがいたものの、結局は物言わぬ亡骸を量産するだけに終わった。

 射線から逃れるため、一塊になっていたことも災いした。完全に浮足立った彼らは、乾いた麦穂よりたやすくその命を刈り取られてしまった。


「ひ、ひぃぃぃっ!」


 ばたばたと倒れる傭兵たちを前に、たまらずケインは悲鳴を上げて逃げ出した。

 二人組はそれを追わなかった。それどころか、傭兵たちが散り散りになって遁走するのを見るなり、素早く塹壕内へと引っ込んでしまう。


 ――ダガガガガッ!


 直後、野太い砲声が思い出したかのように空を切り裂いた。

 堀から放たれた弾幕射撃は、逃げ惑う傭兵たちを熱烈に抱きしめた。そこかしこで閃光が弾ける度、憐れな断末魔の叫びが上がった。

 拓けた裾野の中、アーマーという遮蔽物を失った彼らにもはや逃げ場所はなかった。傭兵隊長は泥に足を取られて転倒したケインが、次の瞬間、山砲の直撃を受けて花火玉のように四散するのを見た。


「隊長、全滅です」

「見れば分かる」


 傭兵隊長は胸元から水筒を取り出すと、中に入っていたぶどう酒を一口ぐびりとやり、深々とため息をこぼした。


「あーあ、不相応な夢を見るからああなるんだよ。バカな奴らだ」






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 哀れな傭兵たちを皆殺しにした塹壕守備隊の面々は、そこでようやくほっと一息をつくことができた。

 突如出現した敵大型機甲兵器により、第一と第二の防衛線が突破されてしまったものの、同盟軍はどうにか第三防衛線に兵力を集中させ、王国軍の猛攻をしのいでいた。


 その立役者の一人はベディクだ。

 彼は緒戦から今現在に至るまで、ほとんど最前線に出ずっぱりだった。だが、その優れた槍捌きのおかげで兵士たちから一目置かれ、今では現場指揮官のような立場に収まっていた。

 事実、《ウォーター・リーパー》出現の際、いち早くアウロに航空支援を頼んだのはベディクだ。

 また、彼が撤退の指揮を執ったおかげで守備隊の被害は最小限に収まった。もしここで立て直しにしくじっていれば、同盟軍そのものが総崩れとなっていたかもしれない。


「やれやれ、ようやく敵の攻撃も一段落したらしい」


 ふいに呟いたのは、ベディクの隣で塹壕の壁にもたれかかった老人である。

 暗い穴ぐらの中だと、そのひょろりと痩せこけた姿はまるでミイラのように見える。骨皮ばかりの腕には槍が握られ、その尖った先端が堀から少しだけ外に飛び出している。ともすれば、そのまま武器の重みで潰れてしまいそうなほど頼りない外見だ。


 だが、よくよく目を凝らせば気付いたことだろう。

 老人の抱えた槍の穂は赤く濡れ、金属製の柄を伝った液体は、石突の下に小さな水たまりを作っていた。

 ベディクは既に知っていた。この老人は自分と同等の古強者だ。先ほど自身と共に敵部隊へ突撃を仕掛け、瞬く間に十数名の人間の命を奪ったのは、紛れもなく目の前の男――【青槍(バイセルグラス)】オリヴァン・パーシアスだった。


「しかし、貴殿の腕前はすさまじいな。《センチュリオン》四機を一瞬で始末してしまうとは。是非ともガーランド家に欲しい人材だ」


 オリヴァンは落ち窪んだ目をちらっと横に向けた。


 この亡霊じみた風貌の老人が戦場に駆けつけてきたのは、《ウォーター・リーパー》が出現した直後のことだった。

 どうやら二つの防衛線が突破されたのを見て、ここで敵の攻勢を防がなくては危ういと判断したらしい。でなければ、伯爵クラスの貴族が前線に出張ってくることなどありえない。

 実際、オリヴァンの戦闘力はベディクのそれに迫っていた。また幾多の戦場で鍛えられた戦術眼と統率力は、追い詰められていた兵たちを崖っぷちから救い上げた。無頼の徒扱いされているベディクでは、ここまで鮮やかに人々を纏めることはできなかっただろう。


「ところで貴殿、いずこか名のある武人では? 名を聞いても?」

「ベディク。単なる雇われ兵だ」

「その腕で傭兵ということはないだろう。主は誰かな?」

「ケルノウン伯アウロ・ギネヴィウス」


 「ほほう」とオリヴァンは口の端を引くつかせた。どうやら笑っているつもりらしい。


「伯は良い部下をお持ちだ。まさか、生身であの《センチュリオン》を仕留める益荒男がいようとは。しかし、どこかでこのような噂を聞いたな。アーマーをたやすく打ち砕く隻腕の槍使い……。はて、どこだったか」


 オリヴァンはわざとらしく呟きながら、チュニックの懐をごそごそとまさぐり、中から赤茶色の平べったい物体を取り出した。

 ほのかに漂うのは胃袋を刺激する薫香だ。戦場の非常食――燻製肉である。


「一口いかがかな? 鹿の肉をアルダーのチップで燻したものだ」

「いや、結構」

「しかし、貴殿は朝から戦い通しのはずだろう。食事抜きでいいのかね?」

「一日程度なら問題ない」


 ベディクの態度はどこまでもそっけなかった。

 そこで再び頭上から砲声が轟き、オリヴァンは慌てて口の中へ燻製肉を押し込んだ。遅れて、巻き上げられた土砂がばらばらと塹壕内に落ちてくる。

 だが、攻撃はそれっきりだった。オリヴァンは壕から顔を出すと、敵の主力部隊が相変わらず機甲兵器の陰に隠れ、腰の引けた射撃を続けているのを確認した。

 ひと安心した老人は元の泥濘に身を沈め、硬い肉をくっちゃくっちゃと音を立てて噛み始めた。


「腑抜けどもめ。ゆっくり食事を取る暇もないわい。これだから塹壕戦というやつは嫌いだ」

「ならば、後方に引っ込んでいればいいだろう」

「一度前線に出てしまった以上、敵に尻を向けて後退することなどできぬよ。それにきゃつらはあのせり出た機甲兵器を伝って、防衛線の一点を突破しようとしておる。つまりここがもっとも危険なのだ。それが分かっているからこそ、貴殿もこうして泥臭い穴の中に居座っているのであろう?」


 老人は人目をはばかることなくクチャクチャやりながら、話を続けた。


「しかし貴殿、その黒い兜はなんなのだ? 鎧を身に付けておらぬのに、頭だけ守るとはこれ奇っ怪千万。おまけにその兜はアーマー用のヘルムであろう。なにかのアクセサリィかね?」

「これは通信装置代わりに用いているだけだ。両手を塞ぐことなく、空の人間と連絡を取り合うことができる」

「なるほど。となると、貴殿は主であるケルノウン伯と気兼ねなく声を掛け合うような間柄ということか」

「……まぁ、そんなところだ」


 ベディクはそれ以上なにも言うことなく押し黙った。


 くっちゃくっちゃ。戦場のノイズに混じって、水っぽい咀嚼音が響く。

 オリヴァンは燻製肉を噛み締めながら、なにやら考えを巡らせているようだった。

 が、ふいにその面が上がる。瞬間、老人は目をいっぱいに見開くと、咥内の肉をぐびりと呑み下した。


「……ベディク殿。まずいぞ、あれは」


 静脈の浮いた喉からこぼれ落ちる声。

 追って頭上を仰いだべディクは、全身の痺れるような感覚に囚われた。


 塹壕の上に浮かんでいたのは巨大な鉄の塊だった。

 薄霧の向こうで、蟹の爪によく似たシルエットがのろのろと動いている。ベディクはそれが、金属製のアームに接合されたマニピュレーターだと気付いた。いや、知っていた。

 なにしろ、つい数十分前まで彼らはあのクローアームの猛威に為す術なく逃げ窓っていたのだ。忌まわしい悪夢の再来に、塹壕のあちこちから兵士たちの悲鳴が上がった。


「っ…………」


 たまらず、ベディクは堀の外へと身を乗り出した。


 予感は当たった。

 先ほど大破したはずの敵機甲兵器。それが生き残った金属脚を踏ん張り、身を起こそうとしていた。

 醜く割れたバイザーにぼうっとライトグリーンの光が灯る。残った二本のクローアームがきぃきぃと亡霊じみた軋みを上げる。脱落した砲塔がぼとりとこぼれ、その空隙から熱に溶けかけた人造筋肉繊維(ファイバーサルコメア)が、まるで膿汁のようにだらだらと流れ落ちる。


 直後、体内から鈍い駆動音を響かせながら、

 機甲要塞《ウォーター・リーパー》は再起動した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ