4-14
ペンドラコンウッドにおける戦闘は早朝八時頃に開始され、昼前に本格化。
正午を回る頃には戦線のあちらこちらで砲火が飛び交っていた。
当初、攻め手である王国軍は傭兵を主体とした攻略部隊を、防衛力の脆弱な箇所へと浸透させていた。
ところが、塹壕の浅い部分には同盟側も兵力を集中させている。おまけに丘の上に散らばる要塞が、味方の不利を見るなり山ほどの援護射撃お見舞いするのだ。0.8インチの砲座から放たれる弾雨によって、塹壕から向こう数十フィートの領域には鮮血と脳漿が敷き詰められた。
流石にこれはまずいと思ったのか。総大将であるマルゴンは塹壕への突撃を取りやめ、円筒形の防塁に対して火線を集中させた。
が、こちらの攻略もうまくは行かなかった。なにしろ、アダマントプレートの埋め込まれた防壁は歩兵用のライフルではびくともしない。
加えて、要塞の周囲には護衛のアーマーが配置されている。王国軍が最前線の堡塁を陥落させる頃には、既に数百名もの死者がペンドラコンウッドの丘に屍山血河を成していた。
【うーん、すごい数の死体だ。ベイドン山の戦いを思い出すなぁ】
眼下の惨状を眺めながら、カムリは感慨深そうに呟いた。
午後三時頃、アウロは《ミネルヴァ》に跨って戦場の上空へと出撃していた。
午前中は空が曇っていたものの午後からは晴れ始めており、ペンドラコンウッド一帯は絶好の戦争日和となっている。
随伴しているのはアルカーシャを筆頭とする機甲竜騎士部隊だ。3マイルほど後方にはルシウスとジェラード、ガーランド家の騎士ジュトーの率いる各中隊が控えていた。
彼らの任務は露払いである。陸攻型機竜の到着までに敵の空戦型機竜を掃討し、航空戦力の優勢を確保することだ。
予備兵力を残しておく必要があるため、全軍を挙げて――とはいかなかったものの、それでも二十四機の機甲竜騎士が今回の作戦に参加していた。対する王国軍もほぼ同数の機竜を投入してきているらしい。
「アルカ、今回の戦闘目的はこちらの陸攻型機竜を敵の空戦型機竜から守ることだ。前回の空戦のように、無理に敵を殲滅する必要はない。敵の戦意を挫き、ペンドラコンウッド上空から追い払うだけでいい」
『了解』
すぐさま、《ミネルヴァ》の左後方に位置する紅色の機竜――《レギナ・ヴェスパ》から応答が上がる。
『ところで、アウロ。さっきオリヴァンから聞いたけど、敵の侵攻部隊には「あいつ」がいるらしいな』
「ああ」
アウロは光芒の弾ける前線を見下ろし、言った。
「敵の総大将は公王マルゴンだが、その下には王国派の諸侯が師団長として配属されている。中にはあのモーディア・ガーランドもいるらしい」
『……そうか』
アルカーシャは激情を押し殺した声で囁いた。
モーディア・ガーランドは彼女にとって両親の仇の一人だった。
あの男はガルバリオンを裏切り、モンマス城を自らの手勢で占拠してしまった。
結果、退路を失ったガルバリオンはガーグラーに殺され、その妻リアノンはモーディアの息子であるヴェスターに射殺された。アルカーシャにとっては八つ裂きにしてもなお足りない仇敵だった。
「ただ、今回モーディアは陸で部隊の指揮を執っているらしい。空にはナーシアがいることだし、奴が俺たちの前に出てくることはまずないだろう」
『残念だな。あいつが私の目の前をふらふらしてたら、〝スティンガー〟をケツ穴にねじり込んでやったのに』
『姫様、下品ですぞ』
と、そこで通信機越しにジュトーがアルカーシャを諌めた。
気性の荒い機竜乗りたちに混じって生活しているせいか。ここ最近のアルカーシャは以前にもまして言葉遣いが乱暴になっている。後見役のジュトーとしては頭の痛いところだろう。
ジュトーがお小言を言っている間、アウロはヘルムの側面に手を這わせると、密かに通信装置を操作した。
アルカーシャと一部地上施設との間に秘匿回線を構築。途端、ヘルム内に『ん?』と声が満ちる。
『アウロ? どうしたんだ?』
「地上でも軽く説明したが……敵に《エクリプス》がいた場合、俺は一度ロゼを引きつけて空域を離脱する形になるだろう。その時はお前がうまく隊のみんなを率いて欲しい」
『分かった。でも、説得に失敗した時はどうするんだ?』
「それはその時に考える」
『不安だな。お前は敵に対しては容赦ないけど、知り合いには甘いもの』
【その意見には同感だね。ロゼ・ブラッドレイとはわらわも何度か会ったことがあるけど、多分あいつは主殿とおんなじでかなり頑固だよ。説得に応じるような奴じゃないと思うな】
アルカーシャに続いてカムリまでもが悲観的な見解を述べる。
アウロは炊事の煙が立ち上る森を、その奥に潜んでいるであろう敵を見据えたまま告げた。
「心配するな。リアノンさんの時のような失敗はもうしない。ロゼがこちらの説得に耳を貸さないようなら、遠慮なく地面に叩き落とすだけだ」
冷徹な発言。カムリとアルカーシャの二人は揃って押し黙る。
とはいえ、アウロもわざわざ友人を手にかけたくはない。
説得が成功し、彼が同盟に回ってくれれば万事解決なのだ。
そのために手を打ち、策も用意してきた。アウロはヘルムの側面に手を当て、先ほどから息を殺している第三者に声をかけた。
「シルヴィア嬢、我々の話が聞こえていたか?」
『えっ……? あ、は、はいっ!』
どもりつつ答えるシルヴィア。
なにやらひどく緊張しているらしい。アルカーシャは『落ち着きなよ』と自身も硬い口調で言った。
『きっと大丈夫。ロゼって人はシルヴィアの幼馴染なんだろ。ちゃんと話を聞いてくれるよ』
『幼馴染といっても、アルカとアウロさんの関係とは少し違いますよ。私たちは従兄妹同士です。兄妹と友人のちょうど中間くらいの仲でした』
『恋人同士って訳じゃないくて?』
『茶化さないで下さい。キスの一つさえしたことがないんですよ』
『お互いに奥手だったんだな。でも、手を繋ぐくらいはしたんだろ?』
『それは……まぁ、そうですが』
シルヴィアはもにょもにょと言葉尻をすぼませた。
傍から聞いているとただの恋バナである。秘匿回線にしておいて良かったな、とアウロは思った。
【やれやれ、のんきなもんだね。15000フィート下じゃあ、ドンパチが繰り広げられてるってのに】
【緊張で固まっているよりかはいいさ。それに今は下も大して動きがないようだ。大方、万策尽きて攻めあぐねているのだろうが…………ん?】
アウロはそこで鞍上から身を乗り出した。
ふいにペンドラコンウッド北部の森林地帯。その中からずんぐりした影が姿を表したのだ。
距離が遠いためよく分からないが、逃げ惑う人間との比率から察するに体長は100フィートほど。ミネルヴァの全長が32フィートだからその約三倍だ。
泥と苔とにまみれた胴体はいびつな卵型。その左右からは四本ずつ節のある脚が生えている。上から観察するとまるで巨大な蜘蛛か蟹のようだった。
【わっ。なんだろう、あれ。大型の魔獣が血の臭いにつられて出てきたのかな】
【いや……どうも様子が違うぞ】
アウロたちの見守る前で、それはゆっくりと機動を開始した。
ぶるりと身を震わせる球状の胴体。その頂上付近が変形して、左右に二本ずつ猛禽の爪を象ったクローアームが展開される。
更に『機体』後部からは排熱用のパイルが六本、まるで煙突のように斜め後方に向けて伸長した。同時に胴体にこびりついていた泥が剥げ落ち、灰色の装甲に包まれた敵機の全貌が明らかになる。
それは機甲竜や騎士甲冑と同じ、人造筋肉繊維と魔導回路によって稼働する機甲兵器だった。しかし、そのスケールは比べ物にならない。上空からでもはっきり視認可能な巨体は、まるで一個の要塞だった。
――ウォオオォォォォン!
大地を震わす鋼鉄の咆哮。
機体前面に張られたプレート状のバイザーが、ぎらりと真紅の輝きを放つ。
機械仕掛けの双眸を輝かせた異形は、八本の脚をがちゃがちゃと動かしながら南下を開始した。
空からの視点だとその動きはひどく鈍重に見える。が、恐らく人間の走る速度を遥かに越えるスピードが出ているはずだ。アウロは泥濘につまずいて逃げそこねた傭兵が、振り下ろされた巨大な足に踏み潰されるのを見た。
『あ、アウロ! あれ、まずいよ! なんかばかでかい兵器が!』
「機甲要塞……。攻城用の大型機甲兵器だ。しかし、アルビオンの産物ではあるまい。この国にあんな巨大兵器を作るノウハウはないはずだ。恐らく、モグホースあたりが大陸から輸入したんだろう」
【主殿、考察はいいって! 早くあいつをどうにかしないと!】
カムリは切羽詰まった様子で叫んだ。
アウロたちが手をこまねいている間に、敵の機甲兵器は塹壕まで迫っていた。
八本の鉄脚が杭打ち機のように叩きつけられ、追って、背中から生えたクローアームが草刈り機のように地面をさらう。
防衛線に配置された兵たちは必死の抵抗を試みたものの、鋼の怪物は機関砲から放たれる弾雨などまるで問題にしなかった。
だが、そこで丘の防塁から大口径の山砲による集中射が降り注いだ。白い爆光に包まれる巨体。地面が抉られ、水しぶきのように泥が跳ねる。たまらず敵機はその場にうずくまった。
『と、止まった? ひょっとして撃破したのか?』
【なーんだ、ただの見掛け倒しじゃない】
「……残念だが、そうたやすい相手じゃないようだぞ」
アウロは自機の高度を落とし、敵機甲兵器の状態を観察した。
岩蟹のような防御姿勢を取った敵機の周囲には、薄紅色の防御フィールドが展開されていた。機体全体を包む膜状の鱗形結界は、高所からの砲撃を完全にシャットアウトしている。
やがて、敵機はフィールドを展開したままゆるゆると再起動を始めた。先ほどよりその歩みは幾分か遅くなっているものの、暴風雨のように吹きつける弾幕射撃をものともしていない。
【げぇっ、なんだよあいつ! バリアを張りながら進んでる!】
『まずい。このままじゃ……!』
やがて、敵機は第一の塹壕を突破し、第二の塹壕へと到達した。
その後ろからは、剣やライフルを手にした傭兵たちがぞろぞろと続いている。機甲要塞を盾代わりに戦線へなだれ込んだ敵部隊は、逃げそこねた同盟軍の兵士たちを容赦なく刈り取っていった。
『アウロ殿』
と、そこでふいに低い男の声がアウロの耳朶を打つ。
地上からの通信。前線に出ているはずのベディクだ。男の声はいつになく逼迫していた。
『状況は分かるか? 機甲竜騎士による航空火力支援を求める。あれは歩兵の携帯火器では撃破不能だ。このままでは戦線が崩壊する』
「了承。ベディク、前線の兵士たちを一度下がらせてくれ」
『分かった』
短い応答。切断される回線。
次いで、少女の声がヘルム内に響く。
『なぁ、アウロ。今のって――』
「アルカ、敵機甲兵器に降下攻撃を試みる。発射時に閃光が出るはずだから注意してくれ」
『降下攻撃? ……まさか、あの化け物を倒す気か!?』
「そうだ」
アウロはおもむろに手を伸ばすと、シールドの側面から生えたコッキングレバーを一段階手前に引いた。
「マスターアームスイッチオン。照準を空対地狙撃モードに変更。ダイレクトカレントシステム起動。左腕収束砲、発射シークエンス開始」
更にもう一段階手前に。がこんとシールド内の機器が駆動する。
「エネルギー伝導管接続。薬室開放。〝プロミネンス〟チャージ開始」
【うぇい! いっくよー!】
少女の脳天気な声。
途端、外骨格を這うチューブを通じて竜のブレスが薬室内に送り込まれる。
視界の端で描かれる赤い円環。電子音がぽーんと鳴る。アウロはゲージの中央に『Completed』の文字が表示されているのを見た。
【充填完了! エネルギー満タンだよ!】
「了解。薬室閉鎖。発射筒開放。収斂加速器起動。ライフリングシステム展開」
アウロは再度レバーを引き、シールド内に収納されていた砲身を展開した。
次いで、左ペダルに体重をかけ機体を上下半回転させる。
機甲竜騎士の射角は前方と上方に限定されている。下方の敵に対地攻撃を仕掛けるためには、この体勢のまま曲技射撃するしかない。
逆転する視界。空が地面に。地面が空へと入れ替わる。アウロは脳にじわじわと血流が集まるのを感じつつ、ライトグリーンのレティクルを大蜘蛛型の機甲要塞に合わせた。
「目標捕捉。照準器の誤差修正……完了」
【全工程クリア! 発射準備おーらい!】
「最終安全装置解除。対ショック、対閃光防御。――総員、ディスプレイのバーンアウトに備えろ。これより当機は敵機甲兵器に砲撃を試みる。間違っても《ミネルヴァ》の前に出るなよ」
唐突な通達に、列機の間から少なからず混乱の声が上がる。
が、アウロは周囲の声を無視してカウントダウンを開始した。
「ファイブカウント開始。五、四、三、二、一……」
【――ふぁいあ!】
脳内に響く舌っ足らずな声。アウロはトリガーを引き絞った。
直後、〝プロミネンス〟3.6インチ重対機甲砲が轟然と火を噴いた。
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背中に大口径機関砲の掃射を受け、ピンク色のミンチと化した人間だったモノ。
砦に篭もり続けた結果、クローアームの一振りで根こそぎ土砂と瓦礫に埋まった兵士たち。
機動力の低さ故に逃げることも出来ず、振り下ろされた金属脚に胴体ごと真っ二つにされた騎士甲冑。
それら無惨な芸術作品を、アルベンス伯ドルムナット・ウェインは実に痛快な気分で鑑賞していた。
現在、彼がいるのは機甲要塞のコントロールルームだ。
この機甲兵器は単一個人が操ることを前提として作られた機甲竜や、騎士甲冑とは根本的に設計が異なっていた。
広々とした円形操舵室には十二の操縦席が環状に配置され、更にその中央には指揮官が腰掛けるための司令席が備え付けられていた。全長180フィートに達する巨大兵器を制御するためには、これだけのオペレーターが必要不可欠なのだ。
「まったく、素晴らしい時代になったものだ」
一段高くなった席の上でふんぞり返りながら、ドルムナットはぎょろりとつき出た目を瞬かせ、コントロールルームの前左右に嵌めこまれたディスプレイへと順々に視点を移した。
機甲要塞のバイザーは全部で四つ。シートベルトで全身を固定されているため、体ごと振り返ることはできないが、後方にも光学情報を投影したモニターが存在しているはずだった。
「金さえあればこのような残虐ショーを特等席で見られる。これでは陳腐なギリシア悲劇など二度と見れんな」
「そ、そうですな!」
ドルムナットの横で相槌を打ったのは、彼の副官である小男だ。
なんの支えもなしに佇む彼は、巨大兵器が歩行する度、その振動によって右によろめいたり左によろめいたりと、まるで風に吹き消される寸前の蝋燭のような状態に陥っていた。
「し、しかし、危険ではありませんかな! ドルムナット様御自らがこうして前線に出るなど! 敵防衛線の攻略など、我らに任せて下されば――」
「いちいち叫ぶなよ、貴様。貧民どもの悲鳴が聞こえんではないか」
「はっ……も、申し訳ありません」
男は肩をすぼめて小さくなった。
ほんの一時間前。出撃の直前まで、この機体の司令席に収まっていたのは要塞司令官である彼だった。
それが主であるドルムナットの酔狂によって居場所を奪われ、かといって機を降りることもできず、こうして司令席の傍で転倒しないよう足を踏ん張っているのだった。杖くらい持ってくれば良かった、と彼は思った。
「なぁに、そう怯えるな。この《ウォーター・リーパー》には防御用の結界装置が積んである。……ところで貴様、この国で最大の火力を持つ魔導兵装はなんだか知っているか?」
「はい。ナーシア殿下の愛機、《ラムレイ》の〝ファイアブレス〟3.6インチ重対機甲砲ですね」
「正解だ。そして、この機体の防御フィールド――〝シェルスケイト〟はきっかり《ファイアブレス》の直撃に耐えうるよう出力を調整してある」
「そ、そうですか」
要塞司令官は冷や汗を流しつつ言った。
主の心中について、あれこれ考えを巡らしたいところだった。だが、今は戦闘中である。彼は自らの知的欲求を握り潰し、微細な震動を続けるコントロールルームを見渡した。
「現在、当機は第一防衛線を突破。第二防衛線に接近中」
「機関砲、六番、七番は左方の丘砦に攻撃を集中させよ。一番、八番は前面に弾幕を張れ。二から五番は逃走する敵兵を掃討せよ」
「クローアーム、敵のアーマーを優先目標としろ。山砲は後回しでいい」
「駆動系制御システムより警告。第八金属脚に負荷が発生。溝に脚を取られるんじゃあないぞ!」
「姿勢制御システムは問題なく作動中。冷却装置はどうか?」
「放熱制御システム、一番から六番まで全て異常なし。機関部の出力にはまだ二割の余裕があります」
「防衛制御システムより警告。三時の方角から砲撃あり。魔導結界展開」
各オペレーターの報告が矢継ぎ早に操舵室を飛び交う。
ドルムナットはそこで「ほぉ」と声を漏らした。丘に布陣した敵部隊の中から、通常の対機甲砲より一回り大きな重砲が現れたためだ。
「あれは3.7インチ山岳榴弾砲か。お値段はソリダス金貨千二百枚! 賊軍め、いい兵器を持っているじゃないか。あの砲撃を受ければ並みの騎士甲冑などひとたまりもあるまい。しかし――」
ぱっとディスプレイに散る光芒。
山砲から放たれた炎弾が、紅色のバリアの上で火の粉を散らす。
大口径の砲弾を正面から受け止めても、機甲要塞はびくともしなかった。泡のように全身を覆い包む防御フィールドが、敵の魔導兵器をことごとく弾き返してしまうのだ。
「〝シェルスケイト〟、損耗率四パーセント。システムに異常なし」
オペレーターの機械的な報告に、ドルムナットは口角をつり上げた。
「この《ウォーター・リーパー》の価格はソリダス金貨六万枚! 桁が違うのだよ、桁がぁ! 貧民どもめ、金貨の使い方を教えてやるぞ! ……潰せ!」
主の号令に従い、水面のたうつ獣は背中から生えたクローアームを振りかぶる。
殺人的重量を誇るかぎ爪が叩きつけられ、高価な山砲はその砲手ごとバラバラになって宙へと吹き飛んだ。
たまらず、丘に陣取っていた部隊は砦を捨てて逃げ出す。機甲兵器はそこに雨あられと砲弾を降らせた。一分間に百二十発の弾丸をばら撒く〝ヴィッカース〟1.6インチ重機関砲が、軽装の騎士たちを糸くずのように吹き飛ばした。
「わっはっはっは! まるでオモチャだな! 圧倒的経済力の前にひれ伏すがいい!」
ドルムナットは膝を打って大笑した。
実にいい気分だった。これまでドルムナットはガルバリオンや四侯爵を始めとした名門貴族の影で、不本意な扱いを受け続けてきた。その鬱憤がまるごと晴れたような気持ちだった。
なにしろ、彼の領地であるアルベンスは王国の西部。いざ戦功を挙げようと思っても、サクス人との国境地帯である東部へ向かうためには、はるばる馬を乗り継いでいかなくてはならない。
この制約があるが故に、彼は四侯爵らの後塵を拝してきた。しかし、ドルムナットは諦めなかった。モグホースに取り入り、その金銭的恩寵に預かることで雌伏の時を続けてきたのである。
「くく……来た。ようやく来たぞ、私の時代が。ガルバリオンは死に、四侯爵は勢力を失い、ナーシアの小僧は失脚した。次は私の番だ。あの威張り腐っていた貧民どもに目にものを見せてくれる……!」
興奮のあまり溢れた涎。ドルムナットはそれを爬虫類じみた舌で舐めとった。
この一戦でドルムナット・ウェインの名は国中に、いや、海を越えて大陸まで轟くことだろう。無論、自ら機甲兵器を駆って反乱軍を誅滅した『救国の英雄』として、だ。
「そら、進め進め! 我が進撃、誰にも止めさせはせんぞ!」
拳を振り上げ、音頭を取るドルムナット。
機甲兵器は既に守備隊の抵抗を無力化し、二番目の防衛線に達しようとしている。
塹壕内に敵兵の姿は見受けられなかった。いつの間にか、周囲から人影が消えている。どうやら敵はこの戦場を放棄してしまったらしい。
「おやおや、もうゲームセットか。名高き『剣の騎士』も所詮はこんなもの――」
「十二時の方角に敵影! 敵機甲竜騎士部隊のようです!」
切羽詰まった声に口上を阻まれ、ドルムナットは舌打ちを漏らした。
「機甲竜騎士? ……フン! 空を飛ぶハエどもがこの《ウォーター・リーパー》になにができるよ! 目障りだ! 撃ち落として――!」
――パァッ!
直後、空の果てで紅炎が瞬いた。
元々、機甲兵器の光学装置にはある種の補正がかけられている。もしドルムナットがその発火炎を直視していれば、あまりの光量に網膜を焼き潰されていただろう。
それでも、機甲要塞が被った損傷は甚大だった。
敵の攻撃。ドルムナットがそう認識した時にはもう、《ミネルヴァ》の収束砲から放たれた熱線が紅色の防御フィールドを貫通していた。
機体を覆う膜が吹き散らされ、拡散した熱波があちらこちらを飛び回る。最も強固な前面装甲は砲撃に耐えたものの、金属製の脚は幾本かが溶解し、背中から生えたクローアームも半分が吹き飛ばされた。
たまらず、がくりと躓く《ウォーター・リーパー》。連動して、コントロールルーム内は鳥かごを蹴り飛ばしたような衝撃に見舞われた。
「てっ、敵の支援砲撃です! 直撃を確認! 損害はどうか!?」
「火器管制システムより報告! 機関砲、一番二番、七番八番が沈黙! クローアームも前面の二つが脱落しました!」
「駆動系にも異常発生! 第一、第二、第三金属脚が応答していません!」
「姿勢制御、一時的に麻痺しています! ジャイロ再起動までおよそ二分!」
「放熱システム、制御不能です! 機体温度が下がりません! このままオーバーヒートします!」
室内に満ちる悲鳴じみた交信。
最後に、防衛制御を担当するオペレーターが青い顔で司令席を振り返った。
「しぇ、〝シェルスケイト〟、損耗率百パーセント……。ど、ドルムナット様! 防御フィールドが突破されました! このままでは的になります!」
「…………!」
ドルムナットはたまらず失禁した。
彼の戦意は一瞬で萎え失せてしまった。ドルムナットにできたのは、ただ人形のように口をぱくぱくさせることだけだ。
気付けば、隣から副官の姿が消えていた。鼻をつく血臭。周囲を見回せば、彼はスライムのような姿になって操舵室のディスプレイに張り付いていた。恐らく、先ほどの衝撃によって宙に投げ出され、そのまま壁に叩きつけられてしまったのだろう。ドルムナットはシートベルトを装着していたことを神に感謝した。
「あ、ありえん……。機甲竜騎士一機のコストはソリダス金貨三千枚……。骸装機一機の戦闘能力は機甲竜騎士十二機に匹敵するとされる……。つまり、あの機竜の価格はソリダス金貨三万六千枚……。こ、これでは計算が合わぬではないか……」
「映像、回復します!」
そこで麻痺していたメインカメラが動作を再開する。
同時にドルムナットは見た。先ほど《ウォーター・リーパー》を狙撃した錆色の機甲竜騎士が、獲物を狩るハヤブサのように翼を畳み、自身に向けて急降下攻撃をかけてくるのを。
「あっ」
閃く砲口。既に身を守る盾はない。
《ミネルヴァ》のガンランスから放たれた灼熱弾は、機甲要塞のバイザーを貫くと、その奥に位置するコントロールルームへと飛び込み、内部のオペレーターたちをその主人ともども蒸し焼きにした。
遅れて、制御システムを破壊された巨大兵器が眼から光を失い、その場に崩れ落ちる。六万ソリダスの置物と化した《ウォーター・リーパー》を尻目に、錆色の機竜は悠々と北の空へ飛び去った。
――この日、ペンドラコンウッドの戦いに参加した貴族の中で、アルベンス伯爵ドルムナットは最初の戦死者となった。
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【やたっ! げきつい……いや、地上にいるから撃破? うーん、でも爆発してる訳じゃないしなぁ。主殿、なにかいい表現ない?】
「敵大型機甲兵器の擱座を確認」
アウロはハーネスを引き、沈黙した機甲要塞の頭上を通過した。
遅れて、ヘルム内に歓声が満ちる。《ミネルヴァ》に追いついたアルカーシャは、機体のメインウィングを右へ左へとバンクさせた。
『すごいすごい! あんな大物を一発で沈めちゃうなんて!』
「一発ではないさ。二発だ。《プロミネンス》で防御フィールドを貫き、ガンランスで敵の中枢部を破壊したんだ」
アウロは上空を旋回しながら地表へと視線を落とした。
敵の機甲要塞は止めたものの、既に四重の防衛線はその半分が突破されてしまっている。
二十あった丘砦も内五つが陥落していた。打ち込まれた楔は深く、しかも擱座した機甲兵器が壁代わりになっているため、後続の傭兵たちは次々に塹壕内への侵入を果たしつつあった。
ここでもう一機、同種の機甲要塞が姿を現せば、それだけで戦いの趨勢は決まっていただろう。が、幸い森の中は静かだった。一時は崩れかけた同盟軍の布陣も、第三防衛線を中心に再構築されつつある。
「ベディク、そちらはどうだ? 状況を報告してくれ」
『こちらベディク。守備隊は現在、第二防衛線を放棄。第三防衛線に戦力を結集している。だが、撤退の判断が早かったおかげで戦死者は多くない。敵機甲兵器が沈黙したため士気も十分だ。援護、感謝する』
「分かった。またなにかあったら連絡を――……いや」
アウロはそこではたと平面位置表示器に目を留めた。
レーダーに反応。北部から一機、猛スピードでこちらに接近してくる機体がある。
大方、先ほどの対地砲撃を見て危機感を覚えたのだろう。アウロはヘルムの側面に手を押し当てた。
「すまない。しばらく通信に応じることができなさそうだ。万が一の時は後方にいるジェラードかジュトー殿に支援を求めてくれ」
『了解』
通信終了。息をつき、ハーネスを握り直す。
「アルカ、ジュトー殿。北北西より400ノット以上の速度で敵機甲竜騎士が接近中。当機はこれより敵機の要撃に当たる」
『な……!? まさか、一人であの骸装機に挑むおつもりか!?』
すぐさま、ジュトーが驚嘆の声を上げる。
「味方を庇いながら《エクリプス》と戦うことはできない。どのみち、量産機の武装であれを捉えることは不可能だ。ならば一対一で交戦した方がいいはず」
『しかし、リスクが高過ぎるのでは――』
「危険は承知。ジュトー殿、アルカーシャと隊のみんなを頼んだ」
『……了解』
ジュトーは不承不承といった様子ながらも頷いた。
すぐさま、アウロは《ミネルヴァ》のアフターバーナーを点火。全速でペンドラコンウッド直上の空域を離れた。
遅れて、背後から列機の声援が飛び交う。
『負けるなよ、アウロ! 必ず帰ってこい!』
『アウロ殿、ご武運を!』
『ケルノウン伯! かましてやって下さい!』
『頼みます、大将! 我らに勝利を!』
押し寄せる激励に、アウロは「了解」の一言で答えた。
直後、加速した《ミネルヴァ》は飛行中隊を離脱。
同じく、敵航空編隊から飛び出た《エクリプス》の進行方向へと機首を向ける。
まるで馬上槍試合の決闘だ。
手練の代表者一名を選抜し、その両肩に騎士団の威信を賭け、槍と馬とを用いて戦いの技術を競い合う。
だが、これは競技ではなく戦争だ。今も眼下では多くの人間が無謀な突撃を繰り返し、あちこちで死体の山を量産している。空から見える風景は地獄だ。しかも、まだ地獄の入り口部分にすぎない。
アウロはその内、激戦区と化した丘陵地帯を抜けて森の直上へと到達した。
途端、接近してくる敵影をバイザーが捉える。
機体色は鮮やかなエメラルドグリーン。右腕甲には螺旋状の穂先を持つ槍を携え、左腕甲には三対六つの窪が抉られた盾を構えている。その上――
【あれ、あいつなんか前と見た目が違うよ】
【先の戦いの後、王立航空兵器工廠で改良を受けたんだろう。機体前部にウィングを追加。テールを伸長し、全体のフォルムを微調整した――といったところか】
アウロは目をすがめ、敵機のディテールを観察した。
肉眼で捉えた《エクリプス》は六枚羽の機竜に変貌していた。
元々あった四枚のテーパー翼に加え、一対の前翼が増設されているのだ。ダーツのように鋭く尖って見えたシルエットも、今は肉食魚のように獰猛かつしなやかなデザインへと変貌している。
『来たな、アウロ』
待っていた。そう告げるかの如く、敵アーマーはランスを水平に構えた。
『やはり単騎か。こういう誘いに乗ってくるのは実に君らしいよ。一対一ならどんな相手であろうとも勝てると思ってる。その思い上がりは前々から気に入らなかった……』
通信機越しに響くのは硬く、からからに乾き切った声だ。
かつてのロゼ・ブラッドレイはその口調にも態度にも、常に人を食ったような余裕があった。しかし、それはあくまで昔の話だ。今の男の声からにじみ出ているのは、強烈な闘志と敵意だけだった。
「相変わらずだな、ロゼ。少しの間、俺の話を聞くつもりはないか?」
『説得でもするつもりか? やめた方がいいぜ。俺がここへ来たのはおしゃべりするためじゃない。時間の無駄だ』
「まぁ、そう言うな。お前に会わせたい娘がいるんだ」
『……? 一体、なにを企んで――』
こちらの出方を窺うかの如く、緩やかな旋回機動を取る《エクリプス》。
直後、対峙した二機の機甲竜騎士の間に少女の声が響き渡った。
『お久しぶりです、ロゼさん』
瞬間、ロゼはひゅっと小さく息を呑んだ。
次いで、乗機である《エクリプス》の航跡が分かりやすいほどに乱れる。
ロゼは慌てて手綱を取り戻したが、内心の動揺は全く隠し切れていなかった。
『その声……シルヴィ!? まさか、本当に同盟に加わっていたのか!?』
『そうです。こうして言葉を交わすのはもう一年ぶりですね』
『……元気そうで安心したよ。でも、どうして今この場に君が出張ってくる。俺を説得しようっていうんじゃないだろうな』
『いけませんか? 私はロゼさんと争いたくないんです。今からでも遅くはありません。私たちに協力してください。ロゼさんだって、今の王国に正義がないことは分かっているはずです』
『それは――』
『こんな私にもアクスフォードの血は流れています。私がドルゲラウへ赴けば、きっとばらばらになった北部の諸侯を纏めることができるでしょう。ハーマンさんや【氷竜伯】の助力を得ることもできるかもしれません』
『だから』とシルヴィアは畳み掛けるかのように続けた。
『ロゼさん、私たちに――いえ、私に手を貸してください。いま、私にはロゼさんの力が必要なんです。他でもない、あなたの力が。どうか、私を助けてください。私を傍で支えてください。私に……勇気をください。お願いします』
少女の声には万感の思いが滲んでいた。
告白じみた訴えに、ロゼは大きく息をついた。静寂に満たされた空の中、ウィングが風を切り裂く音だけがびゅうびゅうと鳴っている。
しばしの沈黙と葛藤。その果てに青年は呟いた。
『……シルヴィ、君のことは好きだ。だが、王国の敵となった女の言うことを受け入れる訳にはいかないな』
それは、ありとあらゆる未練を断ち切る宣言だった。
はっと息を詰めるシルヴィア。ロゼはその、涙を堪えるかのような気配を黙殺すると、螺旋状のランスをぎりりと握り直した。
『見下げ果てたぞ、アウロ。君がこんな手を使うとはな。ろくに外の世界も知らない娘をかどわかし、戦場に引きずり出すなんて……』
「ロゼ、考え直せ。くだらんしがらみに囚われ、無謀な戦いを挑んで死ぬ。それがお前の望む生き方だったのか?」
『黙れ! 君はつくづく傲慢な男だな! 自分のやり方に少しの間違いもないと……絶対的に正しいとでも思っているのか!?』
「そういった台詞が出てくること自体、お前が自分の正義を信じ切れていない証拠だろう。お前にファーガス卿のような生き方はできないよ。自らの信念に殉じる覚悟がないのだから」
『そうして、人の揚げ足取りばかり……!』
瞬間、ロゼは右腕甲の〝スピレッタ〟を振りかぶった。
唸りを上げる大気。槍の穂に絡みつく烈風が、周囲の光景を歪めながら獲物を呑み込もうとする。
やがて、敵機がアフターバーナーを噴かせるに至って、カムリは耐えかねたように声を上げた。
【主殿、来る!】
【交渉決裂か。恋人の説得さえ通じないのでは、俺がどんな言葉を投げかけても無駄だろう】
【でも、どうする気? 相手は完璧にやる気だよ。手加減できる状況でもない】
【……こうなっては仕方ないな】
アウロはヘルムの側面に手を当てた。
直後、縋るようなシルヴィアの叫びが響いた。
『アウロさん……!』
「シルヴィア嬢、先に謝っておく。すまない」
カチン。乾いた音と共に通信が途絶する。
アウロはいつものように深呼吸すると、手の平を開閉し、ハーネスを握り直した。
たちまち脳内を飛び交っていた雑音は消えた。クリアな視界の中、はっきりと敵の姿が視認することができた。空は静かだった。
「行くぞ、ロゼ。十二勝十二敗の戦績に決着を付けようじゃないか」
『望むところ!』
《エクリプス》は鋭角的なボディをくねらせ、六枚のテーパー翼を羽ばたかせながら、突撃を敢行する。
追って、青年の雄叫びが蒼天に轟いた。
『ドナルの息子ロゼ・ブラッドレイ――いざ参る!』




