4-13
まだ日も昇りきらぬ早朝。
森の外縁に仮設された天幕の中で、王国派の諸侯は侃々諤々と意見を戦わせていた。
長方形の卓を囲んでいるのは七人。その全員が伯爵以上の位を持つ大貴族だ。彼らは同時に、現在の王国軍を統率する指揮官でもあった。
天幕最奥の玉座に腰掛けているのは新王ドラク・マルゴン。
その右手でだらけた佇まいをしているのは、近衛騎士団団長のベルン。
逆に王の左手には宮廷魔術師のデュバン・サミュエルが、青ざめた幽鬼のような表情で突っ立っている。
残る面子は四人。
機甲竜騎士団団長ドラク・ナーシア。
【槍の侯爵】ことモンマス侯モーディア・ガーランド。
モグホースの腹心であるパルハノン・モンシリウス。
最後の一人は西部諸侯のまとめ役、アルベンス伯ドルムナット・ウェインだ。
「御一同、ここで一旦状況を確認しておこう」
両指にどぎつい緑色の外套を羽織ったドルムナットは、爬虫類のようにぎょろりとした目で卓の周囲を、そこに居並ぶ諸侯の様子を窺った。
今の王国にはおおむね二種類の貴族がいる。すなわち、宰相モグホースに忠実な者とそうでない者だ。
ドルムナットは前者だった。この場に集った顔ぶれの中で、反宰相の立場を取っているのはナーシア一人だ。他は大なり小なりモグホースの恩恵に預かっている。もっぱら金銭的な方面で。
「賊軍がブリストルに至るまでの丘陵地帯に、四重の防衛線を敷いているのは先刻承知のとおりだ。加えて高所には、ここ数ヶ月で仮設されたと思しき堡塁が点在している。正面切って突っ込めば塹壕で時間を稼がれ、各砦からの十字砲火を山ほど食らい、火に巻かれた虫けらの如く殲滅されてしまうという寸法だ」
「ふーむ。では、あの塹壕を、こう、横からぐるっと回り込んで避ければ良いのではないですかな?」
つき出た腹をさすりながら進言したのは、脂肪に埋まった瞳と、禿げ上がった頭頂部が特徴の巨漢だった。
パルハノン・モンシリウス――その二足歩行の豚のような外見とは裏腹に、かつて近衛騎士団団長の職に就いていた男だ。
しかし、彼は『斧の反乱』の最中、睡眠薬入りのワインをたらふくあおり、部下と共に騎士団本部で爆睡するという失態を演じていた。
その結果、公王暗殺の責を問われ、近衛騎士団団長の座から転落。一時は王都から離れて謹慎生活を送っていた。
それがつい先日、こうしてまた国の表舞台に舞い戻ってきたのだ。背後で糸を引いているのは宰相モグホースだった。パルハノンは彼に恭順を示すことで、中央への帰還を許されたのだ。
「敵陣を迂回する策はとうの昔に考えたよ。そいつはちょっと無茶だ」
そう言って小さく肩をすくめたのは、黒い軽鎧を身につけた中年の男である。
フェンニィ伯ベルン。こちらはかつての黒近衛隊長だ。現在は失脚したパルハノンに代わり、近衛騎士団の団長に就任していた。
「無茶? 無茶とは何故だ?」
「では、物分りの悪い子豚ちゃんに説明をして差し上げよう」
ベルンは皮手袋をはめた拳でこつこつテーブルを叩いた。
長方形の卓上には、ここ一帯の地形を示す地図が広げられていた。
ブリストル北部の丘陵地帯には、賊軍を示す木のプレートが。その更に北の森林地帯には、王国軍を示す大理石のプレートが置かれている。
数は木板が七枚。石板が四十枚。プレート一枚につき約千の兵力だ。石板の数が地図に収まりきらないため、いくつかは積み木の如く縦に重ねられていた。
「地図を見ろ。分かるだろう。側面から回り込もうとしたところで、西は海岸線に行き当たってしまう。となると、東から迂回するしかないんだが……これはウェセックスとの国境付近を通らなきゃならないのがまずい」
「うぇせっくす?」
「……レグリア地方の西方に位置するサクス人の国家だ。できれば、あの蛮族どもを刺激するような行動は避けたい。下手に後ろから奇襲を受けた日にゃ、俺たちは賊軍とサクス人の軍とに東西から押し潰されてしまう」
「ふむふむ。なるほどなるほど」
パルハノンは顎の脂肪を揺らしながらこくこく頷いた。
その隣で、ドルムナットが甲高い声を漏らす。
「理由はそれだけではなかろう。ブリストルの東には耕作地が広がっている。ここには身を隠せるような遮蔽物が――つまりは森林が少ないのだ。もし空から攻撃を受ければ、我々は無抵抗の的となってしまう」
「無論」と男は大げさに天を仰ぎ、
「賊軍の陸攻型機竜が我らの上空を脅かさないというのなら話は別だ。しかし機甲竜騎士団は先日、ブリストル海峡上空の戦いで惨敗を喫している。無事、制空権を確保できるという保証はどこにもない」
口の端をつり上げながら、自らの考えを提示するドルムナット。
その飛び出た目はテーブルの端に佇むドラク・ナーシアへと向けられていた。
ナーシアは皮膚越しに男の挑発的な眼差しを、そこに秘められた悪意と敵意をひしひしと感じた。
元々、モグホースに反抗的なナーシアは宰相派の諸侯と折り合いが悪かった。
そこに先日の大敗である。ドルムナットは嬉々として仇敵の傷口に塩を塗りこんだ。
婉曲な嫌味と罵倒。それはここ数ヶ月のナーシアにとって、使い慣れた香水のように身近な代物だった。
「とまぁ、こういった事情があるからこっちも正面突破するしかない訳だが――」
最後にベルンが強引に話を纏める。
ただ、男はそこで言葉を切ることなく一同を見渡した。
「実は朝一番の偵察で幾つか分かったことがある。どうも連中の塹壕にはところどころ浅い部分と深い部分があるらしい」
「当然だな。ああいった堀は平地に築いてこそ意味のあるもの。この辺りは地面がぬかるんでいるし小高い丘も多い。元より塹壕戦には向かん土地だ」
したり顔で頷くドルムナット。ベルンは気にせず話を続けた。
「まぁ、だから敵さんも高所に円形陣地を築いている訳だ。しかし、その奥――敵の司令部があると思しき村落がどうもキナ臭い」
「臭い? どういう意味だね?」
「連中の本陣はほとんど防御を固めてないんだよ。どうぞ来てください、ってばかりに剥き出しの状態になっている。あれなら四重の防衛線さえ突破すれば、簡単に敵の総司令官を討ち取れるだろう」
「と思わせるための罠です! 恐らく、奴らの本陣は別にありますぞ!」
謎は解けた、とばかりにパルハノンは指を突き出した。
が、これに異議を唱えたのは、先ほどまで黙り込んでいた灰色衣の魔術師――デュバン・サミュエルだ。
「それは、どうかな」
天幕に満ちる低く、陰鬱で、不吉な声。
周囲の視線が集中する中、デュバンはツタのように生い茂る金髪の向こうで、淀んだ瞳を瞬かせた。
「あのリカルド・ブランドルの性格を考えてみるがいい。身内に甘く、騎士道を絶対の教義とし、損得勘定より大義を優先させるあの男が、味方を囮にするような策を打つと思うか? ……いいや、打たないな。あの男はもっとヒロイックな感覚の持ち主だ」
「デュバン殿、何故そう断言できるんだい?」
「分からないのか? この中で私とモーディア殿だけが、奴らと同じ戦場に立ったことがある。だから、その性格もよく理解している」
「なるほどね」
ベルンは肩をすくめた。
実のところ、この場に集った面々の中でまともに軍を率いた経験のある者は二人しかいなかった。
マルゴンはただのお飾り。ベルンは傭兵部隊の隊長だったから、大隊規模の軍団を指揮したことがない。これはナーシアも同様だ。パルハノンとドルムナットに至っては、剣を持って戦場に立つのさえこれが初めてだった。
一方、デュバンは宮廷魔術師となる前は各地の戦闘に参加し、ガルバリオンやリカルドの戦いっぷりを間近で見ていた。だからこそ彼らの思考をトレースすることもできるのだ。
「奴は自らの身を餌とするつもりだ。となれば、敵陣になんらかの罠が張られているのは間違いない。考えなしに突っ込むのはやめた方がよかろう」
「なにを臆病な。こちらの兵力は奴らの七倍! いや、実際に動かせる兵の数で言えば十倍近いのですぞ!」
パルハノンは拳を振り上げ、気炎を吐いた。
「罠があるならばそんなもの、力ずくで食い破ってしまえば良いのです! なにしろ、こちらの兵力は十倍! 十倍近いのです!」
「二度も三度も同じことを繰り返さんでよろしい」
ドルムナットは不愉快そうに言った。
「私は真っ正面からの攻撃に反対する。私は戦争の初心者だ。こういった時にどう軍を動かすべきか、判断材料を欠いている。デュバン殿が攻めぬ方がいいというのなら、そうすべきだろう」
「あー……うむ。それは俺もそう思うんだがね」
ベルンは言いにくそうに口ごもると、ふいにデュバンの肩を叩いた。
そして、男の耳元に口を寄せ、小声でなにごとか告げる。途端、デュバンは眉根を歪めた。
「それを早く言え」
「仕方ないだろ。こっちにも事情があるんだよ」
ぶっきらぼうな台詞と共に、ベルンはがしがし頭をかいた。
「俺は正面突破に一票入れるぜ。――デュバン殿、あんたは?」
「事情が変わった。私もベルンと同意見だ」
「おや、そうか。では、私も先ほどの発言を撤回せざるを得んな」
と一瞬で多数派に迎合するドルムナット。貴族らしい変わり身の速さだ。
しかし、結果的に四名が――この場の過半数の人間が方針を同じくした。
作戦会議の進行を見守っていたマルゴンは、そこで初めて玉座から腰を浮かせた。
「ナーシア、念のためだ。お前の意見も聞いておこう」
「陛下、私の戦場は空です。陸の戦いは陸の者に任せます」
「そうか。では、モーディア。お前は?」
「……みなの意見に賛同いたします」
デュバンに輪をかけて暗い声を漏らしたのは、卓の端に佇む長身痩躯の男だ。
ガルバリオンを裏切ったモーディア・ガーランドは一時、侯爵位を下賜され、モンマス一帯を支配下に収めるなど、華々しい隆盛を極めていた。
が、その後、アルカーシャの生存が判明したことで、ガーランド派の貴族はこぞって同盟に転向。更にはケルノウン半島における戦いで愛息であるヴェスターを失うなど、踏んだり蹴ったりの状態に陥っている。
もっとも、これらの災厄は全て身から出た錆だ。意気消沈して骸骨のような面貌になったモーディアを見ても、それを励ます者や同情する者はいなかった。
「よし、では方針は決まったな」
マルゴンは立ち上がるなり、ぱんと両手を打ち鳴らした。
「諸君、話し合いはここまでだ。我らは予定通り、軍団を五つに分ける。第一師団の師団長は私が兼任し、これを作戦司令部とする。中央主攻である第二師団の師団長はドルムナット。左翼の第三師団はパルハノン、右翼の第四師団はモーディアに任せる。第五師団――デュバンの魔術師部隊は予備兵力として第一師団の前面に布陣せよ。編成については以上だ。各々速やかに行動へ移れ。軍に号令をかけ、隊を統制し、敵を蹂躙せよ。……よろしいな?」
矢継ぎ早に放たれる勅命。
卓を囲む面々は応諾の声を上げると、足早に天幕を辞した。
ライバルに遅れをとる訳にはいかない。既に功績争いという名の戦いは始まっているのだ。
結局、マルゴンを除けば最後に外へ出ようとしたのはナーシアだった。
しかし、彼は幌をかき分けたところで足を止めた。直前、ふいに背後から呼び止められたためだ。
「ナーシア」
男の声は石灰で塗り固めたかのように硬かった。
その場で静止したナーシアに、彼の兄は機械的な口調で言った。
「一度の失敗は許そう。だが、二度目はないぞ」
「……心得ております」
突きつけられる最後通牒。
ナーシアはぐっと奥歯を噛みしめると、大股で天幕の外へと歩き去った。




