4-12
ブリストル海峡の空戦における圧倒的大勝。
その余韻が冷め切らぬ内から、南部諸侯同盟は次なる作戦行動を開始していた。
空での戦いに敗れた以上、王国軍が陸路を伝ってブリストルになだれ込んでくるのは明白だ。そこで彼らは都市の北部に簡単な塹壕線を築き上げ、要塞を建設し、丘陵地帯そのものを陣地化したのである。
それは籠城に近い戦略だったかもしれない。だが、幾重にも張り巡らされたバリケードはあくまで敵を迎え撃ち、殲滅するためのものだ。彼らは防御を固めたように見せかけ、その実、背中に鋭いナイフを隠し持っていた。
同盟側の総兵力は約七千。
この内、実際に前線へ投入可能な人員は五千前後に過ぎない。
が、人的資源とは別に、ブリストルには各地から搬入された大量の機甲兵器――騎士甲冑が数多く存在していた。
その総数は陸戦型アーマーだけでも二百体超。アーマーの数だけ見れば、渡河に手間取った王国側の約二倍である。
リカルド・ブランドルが手間のかかる野戦築城を行ったのも、国軍の主力である傭兵部隊の機動力を殺すことで、アーマーの利点――すなわち、装甲と火力を発揮しやすくするためだった。
一方、王国側の方針は完全な物量作戦だ。
金に飽かして雇い入れた傭兵たちを投げつけ、血と屍による突破口をこじ開け、一挙に敵の本拠地を陥れる。
犠牲を恐れぬ突撃戦法。総勢四万以上もの兵士による数の暴力だ。巨大な竜には奇策など必要ない。ただ、正面から敵を踏み潰すのみである。
――以上が、陸における両陣営の作戦だった。
一方、空の側では異なるオペレーションが進行していた。
同盟は塹壕の突破に手間取る敵部隊を、陸攻型機竜の爆撃により一網打尽する計画を立てていた。
つまりは陸空共同作戦である。当然、これに投じられる兵力は先の空戦を勝ち抜いた選りすぐりの機甲竜騎士部隊だ。
彼らの任務は一つ。迎撃に出てくるであろう敵の空戦型機竜を駆逐し、陸攻機による航空支援を成功させること。
空軍大将を務めるのはケルノウン伯アウロ・ギネヴィウス。
先の決戦に続き、アウロは自ら先頭に立って、五十名近い機竜乗りたちの指揮にあたることとなった。
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東の空が白み始めた早朝。
アウロはブリストルの飛行場ではなく、徒歩で石灰岩の丘を登り、前線にほど近い要塞を訪れていた。
要塞、といっても円筒形の壁に天蓋を乗せ、砲撃のための開口部――銃眼を開けただけのごくごく単純な堡塁である。
そびえ立つ防壁や泥水に満たされた堀、監視用の尖塔や籠城のための備蓄施設などは最初から備え付けられていない。
それでも、このトーチカを落とすのは容易ではないだろう。丘のてっぺんという攻めづらい地形。銃眼からずらりと顔を覗かせた砲口。そして、番兵にように要塞の周囲を徘徊する鈍色の騎士甲冑。
同盟軍はこのような円陣防御の可能な拠点を、ペンドラコンウッド一帯に二十以上も分散配置していた。加えて、丘の下では山ほどの地雷と鉄条網と機関砲とが、歓迎パーティーの準備を整えている。いっそ攻める側が気の毒に思えるほど堅牢な布陣だった。
「ハンナ、そちらの準備はどうだ?」
アウロは要塞の外でブリーフィングを行っていたネコミミ少女に声をかけた。
黒い、薄手のインナーに身を包んだ彼女の周囲には、同じくアーマー用のボディスーツを着た山猫部隊の隊員たちが控えていた。
数はハンナを含めて四十名。これとは別に要塞内にも五十名近い人員が詰めているはずだ。
また、トーチカの傍には尻尾付きの騎士甲冑――《レパルド》が配備されていた。これもパイロットたちと同数の四十機。今回、ギネヴィウス家が用意したアーマーの総数に当たる。
「あ、主様!? どうしてこちらに……」
ぴんと尻尾を立てて硬直するハンナに、アウロは苦笑を浮かべた。
「そう緊張するな。時間が余ったんで様子を見に来ただけだよ。少し気になることもあったんでな」
丘の上を風がそよぐ。アウロは髪を押さえつつ、背後へと振り返った。
この第十八番要塞は、リカルド・ブランドルの控える指揮所からほど近い場所に位置していた。
ギネヴィウス家のスタッフの内、ハンナを筆頭とする山猫部隊の面々はこの最終防衛ラインの死守を任じられている。
残る二百名近いメンバー――ベディク率いる歩兵部隊は最前線に回されていた。シドカムはハンガー内で機竜の整備をしているし、ルキは野戦病院で忙しく働いているらしい。この緊迫した状況下でも、彼らは割り振られた役割をきちんとこなしていた。
「ふーん、それにしてもハンナ。なんだか、犯罪臭のする格好をしてるね」
そう呟いたのは、アウロの後ろに続く赤いワンピース姿の少女だ。
カムリの言う通り、インナースーツを身につけたハンナからはどことなく違和感が漂っていた。
なにしろケットシー族である彼女は普通の人間より背が低く、顔立ちも幼く、胸と臀部の肉付きも乏しい。はっきり言ってしまえば幼児体型なのだ。
それが体のラインの出やすいボディスーツを着ているのである。おまけにネコミミとふわふわの尻尾付きだ。マニアックな趣味を持つ人間なら、大喜びするであろう格好だった。
「え、えっと、主様。ひょっとして、なにか変でしょうか」
「いや、似合ってるぞ」
アウロは励ますつもりでそう言った。
が、何故か背後に控えた山猫部隊の隊員たちの間からひそひそと声が上がる。
「や、やっぱりそうなのか」「伯爵は女好きと聞いてましたけど――」「領主様の守備範囲の広さは発情期のゴブリン並みだな」「でも、それってただのロリコ」「ああ、俺のハンナちゃんまで毒牙に……」と、飛び交う感想には遠慮というものがない。一部、不敬罪では済まない囁きまで聞こえる。
「皆さん、静かにして下さい。今は作戦行動中なんです。馬鹿なことを言ってる人は隊長権限でしばき倒しちゃいますよ」
『アイマム』
ハンナが注意すると一同は押し黙った。緩いのだか厳格なのだかよく分からない集団だ。
呆れ顔を浮かべたカムリは、佇む少女を上から下まで観察し、
「でも、なんでハンナまでそのエロスーツを着てるの?」
「こ、これはエロスーツなんて名前じゃ……こほん!」
ハンナはわざとらしく咳をこぼした。
「もちろん、私も《レパルド》で出撃するからですよ。他の方々と一緒に、砦の周りを固めるだけですけどね」
「じゃ、守備隊に参加するってことか。せっかくのアーマーを後ろで腐らせておくなんてもったいないな」
「そのお気持ちは分かりますが……」
口ごもるハンナ。助けを求めるような眼差しが主へと向けられる。
アウロは無言のままハンナの横をすり抜けると、丘のてっぺんに出た。
途端、視界が開けて目の前になだらかな丘陵地帯の全貌が広がる。
春先とあって丘は朝霧と、青白い霜と、背の低い野草に覆われていた。まだ花は咲いておらず、沼沢地には黄緑色のカーペットが敷かれている。その泥にまみれた大地を抉る形で、丘の麓に幾重もの防衛線が築かれている。
その向こうはほとんどが森だ。セヴァーンの大河にほど近い森林地帯は水源が多く、ところどころに澄んだ湖が点在している。しかし、川の支流はない。鬱蒼と生い茂る木々に、水の流れがほとんど吸い取られてしまうからだ。
「自然の要害。守りに適したいい戦場だ。が、この地形ではアーマーなど使い物になるまい」
「どーして?」
「ペンドラコンウッド一帯は丘陵が多い。おまけに数少ない平地も泥濘に満たされている。極めつけが同盟軍の掘った塹壕だ。壕自体はそれほど深くないが、あれではアーマーの機動力が完全に殺されてしまう」
アウロは眼下の地理的要素を観察しながら、淡々と告げた。
「アーマーの利点はその火力と防御力だ。しかし、歩兵用のライフルでも人間を穴だらけにするには十分だし、塹壕と避難用の円陣があれば分厚いアダマント鋼の装甲も必要ない」
「うーん、要するに重い鎧はお荷物ってことだね」
「今回の作戦はやや特殊だ。敵の侵攻を退けることではなく、連中を誘いこんで包囲殲滅することを目的としている。足の遅いアーマーを連れ回している余裕はないんだよ」
「あれ? でも、この《レパルド》って機体は馬より速いんじゃなかったっけ」
「まぁな。だから、山猫部隊を予備兵力として残しているのには、もう一つ明確な理由がある」
「そういえば、先ほど『気になることがある』とおっしゃっていましたが」
ハンナの指摘に、アウロは「ああ」と頷いた。
「敵の主力はブランドル家とガーランド家の騎士たちに任せておけばいい。問題は陣地の内側だ」
「……ヴェンモーズとバルロックの二人ですか?」
「あの二人だけではないさ。同盟軍の内部には、モグホースにそそのかされた裏切り者どもが根を張っているはずだ。しかし、リカルド殿は情に厚すぎるきらいがある。敵には非情になれても身内にはすごぶる甘い」
アウロは背後を振り返り、塹壕と要塞の奥に位置する司令部を見下ろした。
司令部といっても敵の砲撃に対する備えはほとんどない。丘の上に天幕を張っただけの指揮所。その更に奥に剥き出しの通信施設、物資集積所、簡易整備施設、野戦病院のテントが配置されている。
護衛の騎士甲冑がガンランスを手に控えているとはいえ、いかにも脆弱そうな布陣だ。どうやらリカルドはあえて本営の防御を薄くし、同盟内に潜んだ敵を釣り上げるつもりらしかった。
「ハンナ、お前たちにはいざという時の後詰めを任せたい。戦の混乱の中、がら空きの本陣を狙われては困る。リカルド殿が窮地に陥ったらこれを救い出し、内通者が明るみに出たら即座に始末しろ」
「重要な役回りですね」
「だからお前たちに頼むんだ。地上で信用できる部隊はお前たちしかいない」
「はっ、任務了解です」
ハンナは両かかとを揃え、背筋を伸ばしたまま敬礼する。
その黒い尻尾はピンと上を向き、ゆらゆら左右に揺らめいていた。緊張が半分、喜びが半分といったところだろう。
そこでふいに丘を散策していたカムリが、猫じゃらしに誘われるかの如く、ハンナの尻尾へと手を伸ばした。
「えいっ」
「ふにゃあ!?」
ぎゅっと尻尾を握りしめられ、文字通り地面から飛び上がるハンナ。
自分の背丈ほども跳躍したネコミミ少女を前に、カムリは目をぱちくりさせた。
「わ、すごいジャンプ力。まるでバッタみたいだ」
「ちょ、ちょっと、尻尾を握るのはやめてくださいよ!」
涙目で詰め寄るハンナに対し、カムリは誤魔化すような笑みを浮かべた。
「ごめんごめん。まさか、ハンナの尻尾がそんなに敏感だったなんて」
「び、敏感というか、慣れないというかですね。その、カムリさんだって尻尾があるんですから、少しくらい私の気持ちが分かるんじゃないですか?」
「うーん、今まで尻尾を踏まれたことはあるけど、掴まれた経験はないなぁ。そんなことできるの巨人族くらいだし」
「……分かりやすく言うと、お尻を触られるような感覚なんですよ。ですから背後からの不意討ちはやめてくださいね。絶対ですよ」
ハンナはめっと指を立てた。
まるで妹を叱りつける姉のようだ。もっとも、体格的には彼女の方がカムリより一回り小さいのだが。
――プォォォォォン!
そこでふいに、角笛の音が曇天を引き裂いた。
地平線の向こうから昇った朝日が、丘の間に満ちた薄霧を打ち払う。
笛の音は北部の森林地帯から響いていた。その迷宮じみた木々の間からにじみ出てきたのは、具足に身を包んだ黒い影だ。
敵だ。王国軍の先鋒。しかし、その数は少ない。威力偵察を目的とした斥候部隊だろう。
「……主様」
「始まったな」
ぶるっと身を震わせるハンナの隣で、アウロは白い吐息をこぼした。




