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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
83/107

4-10

 アウロがシルヴィアと連絡をとったのは三日前。

 機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)との決戦が終わった直後のことだった。


 ログレス王国内には魔力波の中継をするための基地が点在している。

 ブリストル以北は王国の勢力下にあるため、自由に通信を取り合うことができないものの、王国南部からケルノウン半島にかけての一帯は別だ。

 祝勝会を抜け出し、シドカムたちの働くハンガーに逃げ込んだアウロは、騎士甲冑(ナイトアーマー)《ヘルゲスト》のコックピット内から伸びる、円盤状のトランシーバーと睨み合っていた。


「という訳でシルヴィア嬢。こちらへ来られないだろうか」

『……お話は分かりましたが』


 通信機の向こうで、シルヴィアは珍しく優柔不断な態度を見せた。


『流石に無茶ではないでしょうか。私一人の力で北部の諸侯をまとめ上げるなど』

「どうかな。北部にはブレア殿に仕えていた騎士や、元アクスフォード派の貴族も多い。彼らを一つに纏められれば、同盟の心強い味方となってくれるだろう。そのためには旗頭となる人間が必要だ」

『……アウロさん、ひょっとして失敗してもいいやぐらいに思ってません?』

「まさか。シルヴィア嬢こそどうしたんだ? あなただってブレア殿の仇は討ちたいんだろう?」


 シルヴィアはもそもそした口調で言った。『それは、ええ、もちろんです』


『ただ、いざとなると自信が持てないんですよ。私にはアウロさんのような力も、ルキさんのような知恵も、アルカのようなカリスマ性もありません。それどころか、クリスのように空で戦う勇気さえ……』

「全ての貴族が機竜乗り(ドラグナー)という訳ではない。武威を示すだけが尊敬を得る方法でもない。シルヴィア嬢、あなたは前に進むことに怯えているだけだ」

『でも、王国軍にはロゼさんも加わっているんですよね』


 かすかに震える声。アウロはすっと目をすがめた。


「ロゼと戦うのが怖いのか?」

『怖くないと言ったら嘘になります。……その、アウロさんは私とロゼさんの関係をご存じですか?』

「従兄弟同士だろう? いや、ひょっとしてもう肉体関係を結んでいたのか?」

『ち、違います! 不潔ですよ!』


 シルヴィアは貴族の令嬢らしい潔癖さを露わに叫んだ。

 耳元から金属盤を遠ざけたアウロは、小さくため息をこぼし、


「悪かったよ。実はこっちももう噂を耳にしているんだ。ロゼとシルヴィア嬢は許嫁同士の間柄だったらしいな」

『……はい、そうです。私が十歳の時、父ブレアとロゼさんのお父上であるドナルさんとの間で取り決めがありました。もちろん、婚約者を選定すること自体は珍しいことでもないのですが――』

「それが周囲に秘匿されていたのは何故だ? なにか事情があったのか?」

『事情、と言うほどのものではありません。最初は私もロゼさんも婚約に乗り気ではなかったんです。尊き血に生まれたものは、生涯をかけてその責務を果たすべき――私はその言葉を何度もお父様に言い聞かされていました。でも、ロゼさんは逆に貴族的な生き方というものを嫌っていました。だから私たち、出会ったばかりの頃はまるで反りが合わなかったんです』


 そういえばそうだな、とアウロは内心で呟いた。

 ロゼ・ブラッドレイという男はとにかく自由奔放な性格で、養成所でもシドカムたちの開発課に入り浸っていた。頑固、実直なイメージのあるアクスフォード侯爵とは正反対の気質である。


「しかし、王都で会った時のあなたたちはとても親密な仲に見えたが」

『そう、ですね。おかしな話ですが……最初に悪い点が目につくと、時間が経つに連れて今度は相手のいいところばかりに気付くんですよ。それは多分、ロゼさんも同じだったと思います』

「要するに、最終的にはあなたもロゼも縁談に乗り気になったという訳だ」

『はい。ただし、アウロさんもご存知の通り――』


 シルヴィアは語った。

 そこであの、『斧の反乱』が勃発したのだと。


 国内の浄化を目指したこの戦いで、シルヴィアの父ブレア・アクスフォード、ロゼの兄カラム・ブラッドレイの両名が死亡。

 アクスフォード家自体も取り潰され、分家であるブラッドレイ家だけが残ってしまった。

 それも当主であるドナルは病床に伏し、次男だったロゼが領内を切り盛りしている有り様だ。結局、ブレアの起こした反乱は彼らにとって極めて不本意な結果に終わってしまった。


『あの戦いで、アクスフォード家とブラッドレイ家は完全に袂を分かってしまいました。ロゼさんと私も、かつてのような関係には二度と戻れないでしょう』

「そうか。ずいぶんと諦めが速いんだな」


 塞ぎ込む少女に、しかし、アウロは突き放すような態度で言った。


「以前は口出ししなかったが、今回は言わせてもらうぞ。シルヴィア・アクスフォード、あなたは間違っている」

『な、なにを――』

「顔を俯かせ、悲嘆に暮れていたところでなんになる。自らの望みは自らの力で叶えるものだ。ロゼと戦いたくないなら、そのための手段を考えればいい」

『手段? 私にどうしろって言うんですか』

「あの大馬鹿野郎を説得するんだよ。あなた自身の力で。あなた自身の言葉で」

『そんなの……。そんなの、無理ですよ』

「何故だ? 人には言語という手段があり、互いに分かり合うことができる。そう言ったのはシルヴィア嬢、あなただぞ」

『それは』


 シルヴィアはぐっと押し黙った。


 だが、その沈黙も長くは続かなかった。

 通信機の向こうで吐息がこぼれ、やがて、明朗快活で自信に満ちた声――アウロのよく知るシルヴィア・アクスフォードの声が決然と響いた。


『分かりました。今すぐそちらへ伺います。この私にできることがあるというのなら、全力を尽くしましょう。――私、諦めません』

「ありがとう、シルヴィア嬢」

『いえ、お礼を言うのはむしろこちらですよ。活を入れてくれてありがとうございます。アウロさんにはお世話になりっぱなしですね』

「俺は俺の目的のためにあなたを利用しているだけだ。だから、あなたもあなたの目的のために俺を利用すればいい」

『……素直じゃないですね』


 くすりと笑みをこぼすシルヴィア。

 どうやら、すっかり元の調子を取り戻したらしい。


 その後、二人はこれからの予定についてあれこれ検討した。

 シルヴィアは馬に乗れるため、イクティスからブリストルまでおよそ三日で辿り着けるはずだ。

 ただし、ブリストル周辺には検問が敷かれている。彼女一人で乗り込むのはいくらなんでも危険だ。

 そこで、アウロはルキを派遣することにした。検問の外で彼女と落ち合い、神官に身を扮することで監視の目をくぐり抜ける作戦だ。


 この作戦は幾つかのトラブルがあったものの、おおむね予定通りにいった。

 そして、三日後。ブリストルに到着したシルヴィアは、アウロとの合流を果たしたのである。






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 ぱちぱちと弾ける暖炉の火。

 そのオレンジ色の輝きに照らされながら、シルヴィアは自らの境遇を語った。


 斧の反乱後、ブリストルを脱出して王都に逃れたこと。

 そこで『偶然』アウロと邂逅し、その領地であるイクティスに匿われていたこと。

 しかし、王国対南部諸侯の戦争が始まり、自分にもできることはないかと半島を飛び出してきたこと――


 一連の話を聞き終えた三人は、揃ってうめき声をこぼした。


「う、うーん、シルヴィが生きてたのは嬉しいけど」

「まさか、北じゃなくて南の端っこ――それもアウロのところにいたとはなぁ」


 がりがりと頭を掻くジェラードの隣で、ルシウスは複雑そうに口を開いた。


「でも、シルヴィアさんは王国から指名手配されていたはずだ。反乱の首謀者だったブレア・アクスフォードの娘として……。アウロ、君はそれを承知で彼女を匿っていたのかい?」

「無論だ」


 アウロは平然と応じた。


「今まで黙っていたことは謝ろう。だが、シルヴィア嬢を匿っていたのは彼女の境遇に同情していたからじゃない。俺もブレア殿とダグラスの思想には、共感している部分があったんだ」

「共感? それって……」

「国内の浄化。現王家の打倒と宰相一派の排除。つまりは今の同盟が目指しているところと同じさ」


 アウロはソファに座り直し、床の木目へと視線を落とした。


「とはいえ、同盟の諸侯は『ガルバリオンの仇討ち』を名分に掲げているところが大きい。その先まで考えている人間がどれだけいるのかは不明だ」

「……それは」


 ぐっと口ごもったのはアルカーシャだ。


 彼女の目的は復讐だ。両親の殺害に関わった三人の内、存命中の二人――モーディア・ガーランドとドラク・ガーグラーを討ち果たすことだ。

 それ以降の展望についてはまるで考えてもいなかったのだろう。視野が狭い、と言ってしまえばそれまでだが、アウロはアルカーシャを責める気にはなれなかった。彼女の復讐に協力している時点で自分も同罪だ。


「お前の言うことも一理あるな。だが少なくとも、俺やルシウス殿下はモンマス公の仇討ちにこだわっちゃいないと思うがね」

「そう、だね。言われてみれば、今僕たちがやってることはアクスフォード侯爵とほとんど変わらないのか……」


 眉を寄せたまま、じっと虚空を睨み上げるルシウス。


「アウロ、君の考え方は分かった。でも、どうして今頃シルヴィアさんを僕たちのところに?」

「まずお前たちに相談すべきと思ったんだ。彼女の存在を公表する前にな」

「アウロはシルヴィのことを同盟の諸侯に知らせるつもりなのか?」


 ソファから身を乗り出すアルカーシャ。

 不安の表情。紅色の瞳が落ち着きなく揺れている。

 そんな彼女に答えたのはアウロではなく当のシルヴィアだった。


「アルカ、私は志半ばで倒れた父の無念を晴らしたいと考えています。そのために同盟に協力し、今の王家を打倒するお手伝いをしたいんです」

「えっと、具体的には?」

「北部にアクスフォードの人間を中心とした、反王国勢力を築き上げられればと」

「……無茶だよ。気持ちは分かるし、個人的には応援したいとも思うけど」

「そうですか? アルカ、あなたのやっていることとそう変わりませんよ?」

「でも、シルヴィは機竜に乗って戦うことなんてできないじゃないか」


 思わず飛び出た一言だったのだろう。アルカーシャははっと口元に手を当てた。

 しかし、シルヴィアは悠然と微笑み、


「分かっています。私も最初の内は全部諦めてどこかに引き篭もっちゃおうかと思ってたんです。――けど、アウロさんに怒られちゃいました。自らの望みは自らの力で叶えるものだって」

「う、にぅ……そ、そうなのか」


 奇妙な唸りを漏らしたアルカーシャは、そっとアウロの耳元に口を寄せ、


「お前、まさかシルヴィにまで手を出してないよな」

「……お前は俺を色魔かなにかと勘違いしているのか?」

「い、いや、そういう訳じゃないけど。アウロってすぐ場の雰囲気に流されちゃうタイプだし」

「とにかく、話を続けるぞ」


 アウロは咳払い一つし、強引に話を戻した。


「正直なところ、シルヴィア嬢の存在を公表したところで、どういった影響が出るかは分からない。他の諸侯が同盟に不信感を抱き、反旗を翻す結果に終わるかもしれない」

「ま、そうだな。そりゃあ、北部の諸侯が味方に付いてくれるのなら嬉しいさ。だが、シルヴィア嬢ってカードを切るとなると、行方不明のアクスフォード家残党とコンタクトを取らなきゃならん。ちょっと現実的じゃないぜ」


 ジェラードは大仰に首を振った後で、ふいに口角をつり上げ、


「だが、噂を流す程度だったら一考の余地があるな。上手くいけば、尋ね人の方がこっちに連絡を入れてくれるかもしれない。ロゼの奴だって、愛しの恋人が敵の側にいるとなりゃあ落ち着いてられないだろう」

「俺も同意見だ。突然シルヴィア嬢の存在を国中に知らしめるより、まずは段階的に物事を進めるべきだと思う」


 アウロとジェラードの見解は一致した。

 残る二人――ルシウスとアルカーシャは黙りこんでいる。両者とも煮え切らない様子だが、さりとて明確に反対するだけの材料もなさそうだ。

 やがて、当事者であるシルヴィアがにこにこ微笑みながら言った。


「では、まず諸侯の間に噂を流しましょう。ブレア・アクスフォードの遺児であるシルヴィアが同盟に加わり、アクスフォード家の生き残りも再び王家に反旗を翻しつつあるようだ、と」

「いいね。誰かが先立って剣をとったって聞けば、他の連中も後に続きたくなるはずだ。あらかじめ潜在的な不満分子を作っておいてから、それを一つの勢力にまとめ上げる。反乱煽動の基本だな」

「後は念のため、同盟の諸侯にも話を通しておくべきだろう。全員に公表するのは危険だが、諸侯会議の参加者には情報をリークしておいた方が、いざという時に協力を得やすいはずだ」

「なら、親父とルーカスは俺に任せてくれ。ヴェンモーズとバルロックの二人にはまだ秘密にしておこう。ジュトー殿とオリヴァン殿には姫さんが頼む。……ルシウス殿下もそれで構わないか?」

「え……あー……。う、うん。いいんじゃないかな」


 南部諸侯同盟の盟主、ドラク・ルシウスは借りてきた猫のように頷いた。


 その後、アウロたちの悪巧みは明け方近くまで続いた。

 ただでさえ、連夜の宴会で疲れが溜まっていたアルカーシャとルシウスは早々にダウン。遠路はるばるブリストルまでやって来たシルヴィアも、睡魔に負けて羽毛枕に沈んでしまった。


 結局、寝そこなったのはアウロとジェラードの二人だけだ。

 ジェラードはおおよその話が纏まったところで、あくびを噛み殺しながら席を立った。凝り固まった体がぽきぽきと音を漏らした。


「やれやれ、長話し過ぎたぜ。すっかり酔いが覚めちまった」

「そうだな。いい加減、俺たちも屋敷に戻るか」


 アウロはソファで寝息を立てているルシウスを一瞥した。


 既にアルカーシャは自室に、シルヴィアは来客用の寝室へと引き上げている。

 話し合いの結果、シルヴィアはこの屋敷に匿うこととなった。

 ここは警備が厳重だし、来訪してくる人間もごくわずかだ。使用人の類がいないのも機密保持の点では有利に働く。


「あ、ちょっと待ったアウロ」

「……? なんだ?」


 腰を浮かしかけたアウロは、中途半端な姿勢のまま固まった。

 対し、ジェラードは深々とスツールに座り直す。それを見て、アウロも再びソファに腰を落ち着けた。


「折角だから、お前に幾つか聞いておきたいことがあるんだ」

「……答えられるものとそうでないものがあるが」

「そう警戒すんな。まぁ、気持ちは分かるけどよ」


 ジェラードは暖炉の中で燻る火をじっと見つめ、


「アウロ、お前――あとどれだけ俺たちに言えない秘密を抱えてるんだ?」

「………………」


 沈黙。

 答えに窮するアウロの前で、ジェラードはふっと笑みをこぼした。


「その面構えじゃあ、一つや二つって感じじゃないな。だが、俺もいい加減見て見ぬふりをするのをやめようと思ってね。――最初に違和感を覚えたのはルシウス殿下との決闘の時だ。新しい機竜、それも骸装機(カーケス)をどこからともなく用意するってのは、ただの訓練生にできることじゃない。シルヴィア嬢とだって王都で偶然出会ったと聞いたが、本当のところはダグラス・キャスパリーグの部隊が関わってたんだろ? ……違うか?」


 一歩一歩、先の見えない暗闇を探るように質問が投げかけられる。

 アウロは表情を変えなかった。だが、背筋から流れ落ちる冷たい汗ばかりは止めようがなかった。


 どうやら、ジェラードは――というよりブランドル家は、独自にアウロのことを調査していたらしい。

 問題は彼らがどこまで知っているかだ。少なくとも、アウロとキャスパリーグ隊の繋がりには感付いている。だが、カムリの正体を《ミネルヴァ》と結びつけて考えてはいない。


「ジェラード、俺は」

「待て待て。そう深刻そうな顔すんな。別にお前を責めようってんじゃないんだ」


 青年は誤魔化すようにひらひらと手を振り、


「どの家にも誰にも言えない秘密の一つや二つはある。俺のそのこと自体は問題にしてないし、話せないことまで話せとは言わん。ただ、これだけは聞いておきたくってな」

「……というと?」

「アウロ、お前の目的はなんだ? お前はなんのために戦っている? ルシウス殿下みたく、その場その場の状況に流されてここまできた訳じゃないだろう。お前はガルバリオン殿下からあらかじめ、内戦の可能性について聞かされてたはずだ。それを承知でお前はあのモンマス公に加担すると決めた。恐らくは自身の目的を叶えるために。……その目的ってのはなんなんだ?」


 堰を切ったように溢れ出す質問。疑問。詰問。

 ジェラードは今この瞬間まで、ずっとアウロに対する疑念を抱え続けていたのだろう。それがシルヴィアの一件で決壊した。まるで借金の限度額に達してしまったかのように。

 アウロはしばし瞑目して、友人に対する返答を考えた。適当な言葉で誤魔化すことはできない。ジェラードは馬鹿ではない。その場しのぎの嘘などあっさり看破されてしまう。


 だから、アウロは正直に話すことに決めた。


「ジェラード、俺の目的はこの島――アルビオンの統一だ」


 ぴく、とジェラードは片眉を動かした。


「アルビオンの統一?」

「ああ。ただ、それは俺にとって最後の目的だ。今はモグホースを倒し、マルゴンの王政を終わらせ、この国をあるべき姿に戻すことしか考えていない」

「じゃあ、この内戦が終わった後はどうする気だよ。ルシウス殿下をぶっ殺して王にでもなるつもりか?」

「過激だな。だが、俺にとって誰が王になるかなど些細な問題なんだ。もちろん、モグホースの操り人形であるマルゴンや、ガーグラーのような暴君にしかなれん男は例外だが……。公王ドラク・ルシウスの治世が始まるというのなら、それはそれで悪くないと思う」

「しかし、殿下はお人好し過ぎるきらいがある。もうちょっとこの国が落ち着いてたのなら、間違いなく賢良方正の王として評価されただろうさ。ただ、今は乱世だ。優しいだけじゃ君主は務まらない」

「王の力が不足しているのなら、周りの人間でそれを補えばいいだけの話だ。竜王アルトリウスとて完全無欠の人間だった訳ではない。なにより、ルシウスには指導者としての才覚がある。無意識の人心掌握術。つまりは人を惹きつけるカリスマ性がな」

「……なんつーか、上から目線の台詞だな」

「かもな。なにしろ、生まれた日は俺の方が二日ばかり早いんだ」


 アウロは苦笑をこぼした。包帯の巻かれた右腕を押さえながら。


 確かにドラク・ルシウスは世間知らずの甘ちゃんだ。

 それでも、アウロは彼のことを高く評価していた。

 ルシウスには自身の血統に驕らない謙虚さも、失敗を認めるだけの度量も、本心を偽らない誠実さもある。なにより自らの欠点を認め、それを乗り越えようとする克己心がある。


 それは全て、ドラク・ルシウスという人間が備え持つ資質だ。

 アウロが望んだところで、決して手に入れることのできない武器だ。


「ルシウスは……ひょっとしたら、王になりたいなどとは考えていないかもしれない。だからこそ俺はあいつが玉座に着くべきだと、いや、着いて欲しいと思っている。この国には清廉潔白な君主が必要なんだ」


 アウロは眠りこける青年を前に席を立った。


「ジェラード、俺は屋敷に戻る。後のことは頼んでもいいか?」

「ああ、いいぜ。任せとけ」

「……すまないな。色々と面倒事を押し付けてしまって」

「頼れって言ったのはこっちだ。気にすんな」


 ジェラードはふっと肩の力を抜いた。

 諦念。いや、安堵だろうか。

 青年はいつものように、口の端をつり上げた余裕たっぷりの表情で言った。


「アウロ、お前自身の秘密について。なにもかもぶち撒けたくなったら、まず俺たちに相談してくれよ。フォローできるところは可能な限り手を回す」

「すまない。だが、何故そこまでしてくれるんだ?」

「おいおい、そこは全部を察して『頼んだ』とだけ言ってくれよ。これでも俺はお前のことを、気心の知れた友人だと思ってるんだぜ」

「……友人、か」


 馴染めない言葉だった。幾度も目に、耳に、口にしているというのに、まるで自分とは違う世界のもののように感じる。

 アウロはその理由について考えた。恐らくは自分の鬱屈した部分が原因の一端にあるのだろう。他人の好意をそのまま受け止められない。悪意と敵意に温もりを感じる、卑屈で歪んだ本性――


 アウロはそれでも構わないと思った。

 人は急には変われない。自分に似合わないと思っていた服も、着続けていればいずれ肌に馴染むようになるだろう。

 少なくとも、アウロはギネヴィウス家の家人同様、アルカーシャやルシウス、ジェラードのことを信用していた。

 言うまでもなく、友として。


「ありがとう、ジェラード。俺もお前やルシウスのことはかけがえのない友人だと思っている」


 アウロはぼそぼそ礼を言うと、足早に応接間を辞した。






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 アウロがいなくなった後、ジェラードは暖炉の中で白く変わっていく薪を眺めながら、注ぎ直した紅茶をのんびりと啜っていた。

 紅茶は冷め切っていた。一息にカップを傾けると、沈殿していた蜂蜜が喉に流れ込んだ。甘ったるい風味が徹夜明けの脳内に染み入る。屋敷の外からは犬の吼える声が聞こえる。

 紅茶を飲み終えたジェラードは壁際に歩み寄ると、木窓を押し上げ、つっかえ棒で留めた。地平線の向こうから差し込む光が、ソファに横たわるルシウスをまばゆく照らした。


「よう、殿下。起きてるか?」

「……ああ」


 ルシウスは額に手を当てたまま体を起こした。指の間から、ボサボサになった赤褐色の毛先がこぼれ落ちる。


「おはよう、ジェラード。――アウロは気付いてたのかな」

「なににだ?」

「僕が起きてたこと」

「さて、それは分からない。後で本人に聞いてみたらいいんじゃないか?」


 意地の悪い質問を返しつつ、ジェラードは暖炉の前に戻った。


「殿下、目覚めの一杯はどうだ?」

「いや、いい。もう十分、目は覚めてる」


 ルシウスは軽く伸びをすると、一度腰を浮かし、それから改めてクッションの上へと座り直した。

 睡眠不足の顔には濃い疲労の色が滲んでいた。それでも、青年の目は死んでいなかった。その赤みがかった瞳は深い懊悩を宿したまま、じっと空っぽのソファに向けられていた。


「……僕はアウロのことをなにも知らなかったのかもしれない」

「かもな。なにしろ、あいつは秘密主義者だ。自分の考えを好きこのんで他人に話そうとしない。その癖、ちょっと強引に押し入ろうとすると、すぐ殻の中に引っ込みやがる」


 「まるでヤドカリだ」とジェラードは苦笑した。


「しかし、最近はアウロの側にも心境の変化があったらしい。もしくは単に打ち解けてきただけかもしれないな。さっきのやり取りなんていい例だぜ。人間嫌いのオオカミに初めて餌付けできた気分だ」

「いや、その例えはどうかと思うけど……」


 ルシウスはどう反応していいか分からず、ぽりぽりと頬をかいた。


 先ほどアウロとジェラードが交わした会話のほとんどは、ルシウス自身も耳にしていた。といっても、彼は盗み聞きしようと思っていた訳ではなかった。単に声を上げるタイミングを掴めなかっただけだ。

 が、あの状況では狸寝入りをしていた方が正解だっただろう。アウロは警戒心の強い男だ。下手に驚かすとこちらの手の届かない遠くへ逃げたまま、二度と戻ってきてはくれない。

 ルシウスはそれを、養成所における五年間の付き合いでよく理解していた。


「ところで、ジェラード。君、アウロとシルヴィア嬢の間にキャスパリーグ隊が関わってるって言ってたけど、それって……」

「多分、事実だよ。確証はないが九割九分間違いないと思うぜ。アウロだって否定しなかったしな」


 ジェラードは膝の上で両手の指を組み直した。


「アウロがケルノウン伯の位を与えられてから、ギネヴィウス家には幾人か新顔が加わってるんだ。その中に山猫部隊(リンクス)っつう部隊があってな。表向きは亜人街の出身者を中心に組織された自警団……って名目だが、その割には妙に練度が高い。なにしろ、あの黒近衛の諜報員とまともに渡り合ってるくらいだ。おまけにダグラスの死には幾つか不審な点がある。あの男が死んでるのかどうかすらはっきりしない。野郎の体は完全に灰になっちまって、アウロ以外には誰もその死体を確認してないからな」

「まさか、ダグラス・キャスパリーグが生きてるっていうのか?」


 「それは分からない」とジェラードは首を横に振り、


「ただ、キャスパリーグ隊が山猫部隊(リンクス)と名前を変えて存続してるのは確かだ。俺はダグラスが死んだ後、路頭に迷った隊の残党をアウロが拾ったんじゃないかと思ってる」

「このこと、君以外には誰が知ってる?」

「俺と親父と、あとは現場で情報収集してる駒たちだけだよ。まぁ、モグホースあたりはとうの昔に感付いてるかもしれん。もっとも、俺と同じで確証は得られてないんだろうが……」

「アウロはどうして、秘密を抱えたまま僕たちに相談してくれないんだろう」

「そりゃ他人を信頼してないからだろ。……おっと、こいつはなにも悪い意味で言ってるわけじゃないぜ。人の手を借りず、自分一人の力で物事を成し遂げるってのは、誰にでもできるようなことじゃない。だが、アウロは天涯孤独になってから今の今まで、ほとんど自分一人の力で問題を解決し続けてきたんだろう。だから部下を『信用』することはできても、同格かそれ以上の立場にある人間を『信頼』することはできない――」

「ジェラード、君いつから心理カウンセラーになったんだい?」

「こういう話はお嫌いかい、殿下?」

「好きじゃないな。陰口を言っているみたいだ」


 唇を尖らせるルシウス。その眼前でジェラードは小さく喉を鳴らした。


「どうして笑うんだよ」

「すまない。殿下のそういうところがアウロに気に入られたんだろうと思ってな」


 ジェラードは目尻に浮かんだ涙を拭うと、正面から青年の瞳を覗き込んだ。


「アウロの目的はアルビオンの統一だそうだ。殿下はそれに一枚噛む覚悟があるのか?」

「いや……なんていうか、正直アルビオンの統一なんてのはビジョンが大きすぎてまるで実感が沸かないよ。ただ――」


 ルシウスは迷い子のように視線をさまよわせ、


「僕は今の今まで、同盟の盟主なんて立場が自分に分不相応だと思ってた。玉座に着くなら他に適任者がいるって感じていた。……それこそ、アウロが王になれば僕よりもずっと上手く立ち回れるだろう。最終的には、アルビオンの統一って目的を果たすことだってできるかもしれない」


 淡々と紡がれる述懐。次いで、長い長い嘆息。

 静粛な空気の中、朝日の輝きに照らされながら、ルシウスはぽつりと告げた。


「けど、アウロはこんな僕の悪いところもいいところも全部ひっくるめて、公王ドラク・ルシウスの治世を悪くないものだって、僕が王になるべきだって言ってくれた。それはきっと、彼なりの信頼の形なんだと思う。僕はその信頼に答えたい。この戦いに勝って、宰相とマルゴン兄さんを倒し、王の座に着きたいって……さっき初めてそう思えたんだ」

「ようやく、か。だが、嬉しいぜ。殿下にも心境の変化が訪れるとはな」


 満足そうに呟くジェラードに、ルシウスはふっと笑みをこぼした。


「前と変わってきてるのはアウロも同じだよ。今までの彼なら、自分の目的を正直に話すなんてことはしなかったはずだ。でも、アウロだって徐々にだけど僕たちのことを信じ始めてる。僕だけその場で足踏みをしている訳にはいかない。……ジェラード、君もそう思うだろ?」

「まぁね。それにしても、殿下はずいぶんアウロのことを信頼してるんだな」

「僕はアウロのことを本当の兄弟だと思ってる。多分、マルゴン兄さんやガーグラー兄さん、ナーシア兄さんよりもね」

「だから信頼できるって? ……一人っ子の俺には分からん感覚だな」

「君はアウロのことを信じてないのかい?」


 不意の質問にジェラードは口をへの字に曲げた。


 そもそも、彼は他人を手放しに信用することなどまずなかった。

 アウロのことも百パーセント信じている訳ではない。無論、彼の機竜乗り(ドラグナー)としての腕前や、優れた戦術眼は頼りにしている。

 だが、それは人としての信頼と言うより戦士としての信頼だ。もしアウロが敵に回れば、その細い糸はぷつりと切れてしまう。


「……俺は殿下ほどお人好しじゃない。アウロの本心が分からない以上、あいつの全てを信じることなんてできねぇよ」

「そっか。じゃあ仕方ないな」


 ルシウスは特に残念そうな様子も見せず、ソファから立ち上がった。

 幾度か腰に手を当て、屈伸運動を繰り返す。そうして体をほぐした後で、青年は再びジェラードに向き直った。


「でも、ジェラード。君だってアウロのことは友達だと思ってるんだろ?」

「ま、そりゃあな」


 ジェラードは曖昧に頷いた。


「アウロも、殿下も、二人とも危なっかしくて放っておけないところがあるんだよ。だから色々と口出ししたくなっちまう」

「手の焼ける兄弟ですまない。けど、できればこれからも僕たちのことを助けてくれると嬉しい」

「期限はいつまでだ?」

「もちろん、アルビオンが統一されるまで――と言いたいところだけど、当面はこの国の内戦が落ち着くまでかな。僕の望みは自分の手の届く範囲にいる人々を守ることだ。……ジェラード、君の望みはなんだい?」

「望み。望みねぇ」


 あいにく、そんなものは意識したことがなかった。

 ジェラードはただ、目の前の降り積もった問題を順々に解決しているだけだ。

 アウロほどご立派なお題目もなければ、ルシウスのような平和主義者という訳でもない。

 強いて言うなら自分の家、すなわちブランドル家を守ることが望みだろうか。もっとも、これは貴族の子弟なら誰しもが抱える義務感のようなものだ。自らの内側から沸き上がる欲求とは違う。


「そうさな……。俺の望みはかわいい嫁さんを貰って、子供をたくさん作って、平穏無事に日々を過ごすことだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 「だから」と言葉を続け、


「俺もこの内戦はさっさと終わらせたい。アウロと協力して、宰相と愉快な仲間たちを全員ぶちのめして、ルシウス殿下を王の座につけてハッピーエンド。後は悠々自適の余生を送る。そいつが俺にとっての目標かな」

「悪くないね」

「だろ?」


 ジェラードは微笑んだ。


 それから二人は連れ立って屋敷の外に出た。

 途端、冷たいからっ風が真っ向から吹きつけてくる。ところどころ霜の降りた前庭では、小柄な番犬たちが身を寄せ合って暖を取っていた。

 ルシウスは外套の胸元をかき合わせながら言った。


「ジェラード、アウロもいつか自分から事情を話してくれる時が来るよ。僕たちはそれを気長に待てばいい」

「同感だ。しかし、殿下はそれでいいのか?」

「もちろんさ。なにしろ僕がアウロに出会ってから、まともに話すようになるまで四年近くかかったんだ。それに比べればちょっとの時間くらい訳ないさ」


 平然と答えたルシウスは、ざくざく芝生を踏みしめながら屋敷を後にする。

 ジェラードは肩をすくめると、遠ざかるその背中を足早に追いかけた。


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