4-7
高度15000フィートの上空。
ごく限られた者だけが到達可能なその領域を、幾体もの機甲竜騎士が縦横無尽に乱舞している。
王国軍の戦闘機掃討作戦、『オペレーション・スーパーセル』。
これに対し、アウロたちの防勢対航空作戦はおおむね計画通りに進行していた。
盟主であるルシウスを囮に敵の先鋒をつり出し、その隙に別働隊を迂回させて敵の中核部隊を――指揮官であるナーシアを撃破する。
途中、《エクリプス》の奇襲というイレギュラーな事態が発生したものの、作戦が破綻するほどの問題は起きていない。
もっとも、順調にことが進んだところで勝利への道は遠かった。
なにしろ敵は自軍の倍。相手はドラク・ナーシア率いる機甲竜騎士団。
同盟軍と王国軍の間には、未だ純然たる戦力差が壁となって立ちはだかっていた。
「ジュトー殿、我々第三中隊は《ラムレイ》を叩く。貴殿ら第四中隊は他の連中を抑えてくれ!」
『了解! 武運を祈るぞ、アウロ殿!』
ジュトーは片手で敬礼すると、青く塗られた《ワイバーン》の手綱を打った。
直後、そのエンジンノズルからオレンジ色の排気炎が吹き上がる。【赤槍】を筆頭としたガーランド家の騎士たちは、各々愛機の手綱をさばいて敵の大編隊に襲いかかった。
迫る敵勢を第四中隊に任せ、アウロは正面を見据えた。
派手な薔薇色の装甲を持つ《ラムレイ》の周囲には、《ワイバーン》一個中隊が護衛として控えていた。
中でも特徴的なのは、ナーシアの傍を番犬の如くうろつく三機の空戦型機竜だ。装甲の分厚さは他の機竜の倍以上。右腕甲には柄の長いバトルアックスを、左の腕甲にはアダマント鋼製の大盾をそれぞれ携えている。
その異様な重装備にアウロは見覚えがあった。重装改造の施された《ワイバーン》。三機の内のどれかには、竜騎士団の副団長であるエドガー・ファーガスが騎乗しているはずだ。
【しかし、意外だな。見たところ、《フューリー》の姿が見当たらない】
【ふゅーりー? なにそれ、キレやすい妖精のこと?】
【違うよ。『蒼い旋風』が用いていた王国軍の新型機だ。てっきり、この決戦にも投入してくるものと思っていたが――】
と、そこでディスプレイ内に光が瞬く。
アウロはすぐさま右ペダルを踏んだ。九十度バンクした機体が急降下。
遅れて、真紅の熱線が虚空を引き裂いた。大気を歪ませるほどの高熱が錆色の外骨格を炙る。たまらず、カムリは【あちゅい!】と悲鳴を上げた。
【なんて火力だよ! ちゃんと避けたのに!】
【カムリ、お前火竜なのに熱に弱いのか?】
【別に焚き火の温度くらいだったら大丈夫だよ。でも、火山の中に突っ込むのは勘弁して欲しいね。火傷しちゃう】
【《ラムレイ》の収束砲から放たれる熱線は溶岩の十倍近い温度に達するはずだ。元より、〝ファイアブレス〟は機甲竜騎士用の火器としては最大の威力を誇る魔導兵装だからな】
【うへぇ、厄介だな。欠点とかないの?】
【むしろ欠点ばかりさ。放熱が激しいから連射は不可能。砲身の過熱によるトラブルも多い。そのくせ射角が狭く、トリガーを引いてから発射までにはコンマ数秒のタイムラグがある】
【なんだ、ただの欠陥兵器じゃない】
【強力な武器ほどデメリットが多いものだ。油断するなよ、カムリ。〝ファイアブレス〟の直撃を受ければ、オリハルコンの鋳塊であろうと跡形もなく消し飛ばされてしまう】
アウロの忠告に、カムリは【らじゃ……】と元気のない声で答える。
『ち、外したか。まぁ、よかろう。戦いの宴はまだ始まったばかりだからな』
一方、ナーシアはアウロが健在なのを見て舌打ちを漏らした。
その右腕甲に握られた収束砲からは、もうもうと白い蒸気が上がっていた。凄まじい放熱量だ。まるで周囲を威嚇しているようですらある。
『さぁ、来るがいい虫けらども! 王国軍総大将であるこのドラク・ナーシアが手ずから歓迎してやるぞ!』
挑発的な台詞。ナーシアは手綱を操るメインアームを正面に差し向けた。
相変わらずの立ち居振る舞いにアウロは苦笑した。
ナーシアには自信があるのだ。こちらの攻勢を跳ね返す自信が。
だからこそあの男は自ら先頭に立ち、己の身を釣餌としている。近付けるものなら近付いてみろ。その時がお前たちの最後だと、黒塗りの砲身が高らかに宣言している。
『ちょっと待て、アウロ! 一人で突っ込み過ぎだ!』
そこでふと、息切れしかけた少女の声が耳朶を打った。
次いで、紅色の装甲を持つ機竜が《ミネルヴァ》の隣に並ぶ。アルカーシャの駆る《レギナ・ヴェスパ》だ。
『少しは加減しろ! お前の機体はずば抜けて機動力が高いんだ。味方がみんな置いてけぼりにされてる!』
「悪い。だが、俺が先行したのはナーシアの意識をこちらに向けさせるためでもある。アルカ、お前は援護を頼んだ」
『くっ。他の列機を待ってる暇は――』
「ない」
言って、アウロはぴしゃりと手綱を打った。
アフターバーナー全開。《ミネルヴァ》は一条の閃光と化して敵のまっただ中に突っ込む。
次いで、《レギナ・ヴェスパ》も機体後部から炎を噴き出してその後に続いた。対するナーシアは〝ファイアブレス〟の砲口をかざすことで、アウロたちの動きに応えた。
『ほう、来たかアウロ! それもたったの二機で! そちらのベニスズメは……まさか、アルカーシャか!?』
『ナーシア兄さん! どうして父上を裏切った新王に味方するんだ! あなたはプライドの高い人だけど、悪党じゃないはずなのに!』
『ふん、小娘が善だの悪だのとほざける年頃になったか。とはいえ、まだまだ見識が狭いな。叔父上は、モンマス公ガルバリオンは最初から新王に反旗を翻すつもりだったのさ! だから我らは先手を打ってあの男を殺した! 貴様らに誹られる謂れはない!』
ガチリ、とトリガーの引かれる音。
構えられた収束砲から紅蓮をはらんだ輝きが発射される。
大気を焼き尽くす炎。一直線に空を駆け抜けた熱線が、防御機動を取ったアウロとアルカーシャの間を突き抜けていく。
『っ……! 兄さん、あなたの言い分は分かる!』
全身を襲う重圧の中、それでもアルカーシャは声を張り上げた。
『でも、父上が新王に抗おうとしたのはそれが正しいことだからだ! その正義をあなたは否定するのか!』
『否定はしないさ。モグホースが邪悪であるというのは事実だからな。とはいえ、なにが正しいかなど意味のない定義だろう! 人民の擁護者などとほざく貴族も、結局は自分たちの都合で戦っているに過ぎん。ダグラス・キャスパリーグやブレア・アクスフォードがそうだったようにな!』
『そんな強引な理屈で……!』
『私からしてみれば、貴様らは理想に耽溺しているだけの偽善者だよ! そんなに民草が好きなら、財貨を投げ打って修道女にでもなるがいい!』
高笑いと共に、ナーシアはアルカーシャの説得を一蹴した。
アウロは通信機越しに、ぐっとアルカーシャが口ごもる気配を感じた。
彼女にとって、身内から剥き出しの敵意を向けられる経験はこれが始めてではない。
それでも、どこかで期待をしていたのだろう。ナーシアが新王の元を離れ、自分たちの味方に回ってくれることを。
「アルカ、諦めろ。ナーシアは説得に応じるような男じゃない」
『でもっ……!』
「先ほどの一撃を見ただろう。奴は完全に俺たちを敵とみなしている。ここは戦場だ。引き金を引くことを躊躇えば、真っ先に殺されるぞ」
『割り切れってことだろ。それは分かってるけど――!』
アウロは言った。「深呼吸しろ、アルカーシャ」
「息を整え、思考を回復させるんだ。感情的になったところでなにも解決しない」
『……うん』
アルカーシャは殊勝な態度で頷いた。
しばしの間、少女の呼吸音がヘルム内を反響する。
やがて数秒が経過したところで、アルカーシャは『よしっ』と吹っ切れたように呟いた。
『ごめん、アウロ。今、自分のすべきことがよく分かった。この戦いに負ければ私たちの負けは決定的だ。父上の遺志も受け継がれることなく途絶えてしまう。――私はそんなのごめんだ』
『遺志? 遺志だと? おいおい、アルカーシャ。お前は死人の操り人形か? ファザコンもここに極まれりだな』
少女の決意に浴びせられたのは、ナーシアの容赦ない嘲笑だ。
だが、アルカーシャはもはや義兄の言葉に耳を貸さなかった。
返答代わりに、右腕甲に携えた魔導砲が《ラムレイ》へと向けられる。その指先は既にトリガーを引き絞りかけていた。
『ナーシア兄さん、あなたは馬鹿だ。治療して差し上げる』
『ほう、どうやってだね?』
『あの世で父上に鍛え直してもらうといい!』
アルカーシャは罵声と共にガンランスをぶっ放した。
砲音。光芒。弾ける火焔。
一直線に飛翔した魔導弾は、しかし、《ラムレイ》の正面に回り込んだ《ワイバーン》のシールドに阻まれてしまう。
まるで空飛ぶ城塞だ。いや、事実彼らの役目はその通りなのだろう。ナーシアの身を護るための盾。遠隔制御によって動く防衛ユニットだ。
『これだから男を知らん生娘というものは――!』
ナーシアは忌々しそうに吐き捨てるなり、収束砲を撃ち返した。
放たれる熱線。狙いはアルカーシャだ。
一瞬で空を駆け抜ける閃光に、アウロは小さく息を呑む。
しかし、《レギナ・ヴェスパ》は寸前で機体をひねり、〝ファイアブレス〟の照射をかわした。灼熱の閃光は急降下したアルカーシャの頭上をそしらぬ顔で素通りする。
『避けただと? その運動性……《ワイバーン》ではないな! 新型か!』
『っ……なんて火力! でも、当たらなければ!』
瞬間、二人の武装がほぼ同時に火を噴いた。
アルカーシャは右ガントレットに構えた4.5インチ対機甲砲。ナーシアは左ガントレットに装着したシールドキャノンをそれぞれ掃射する。
花びらのように散った光は、しかし、そのどちらもが標的を捉えそこねた。アルカーシャの射撃は《ワイバーン》に防がれ、ナーシアの放った機関砲はアウロの構えたシールドの上で火花を散らす。
『アウロ!? 私を庇って――』
「避けろ!」
アウロは短く叫んだ。
指示に従い、急旋回する《レギナ・ヴェスパ》。
そのすぐ脇を二機の機甲竜騎士が、獲物に飛びかかる猛犬の勢いで通過する。
『くっ……ダブルチャージか!』
「視界を広く保て! ナーシアだけに意識を裂くな! 敵は四方八方にいるんだぞ!」
そう言い諭すアウロに対しても、二機の《ワイバーン》が槍を振りかざし、魔導砲を連射しながら飛びかかってくる。
アウロはすぐさま、先頭の一機に砲弾をたたき込んだ。
直撃を受けた《ワイバーン》は空中で爆発。更に僚機の死によって怯んだもう一機にも、ガンランスによる砲火をお見舞いする。
《ミネルヴァ》の主兵装である強化式対機甲砲は、“オードナンス”の倍近い威力を有している。直撃を受けた敵機は一瞬で炎に巻かれ、絶叫と共に錐揉み墜落し、その途中、空気を入れすぎたボールの如く内側から炸裂した。
「撃墜確――」
認、と口にする前にアウロは手綱をさばいた。
だが強引な操縦に応えきれなかったのか、ウィングが気流を捉えそこねて機体ごと横滑りしてしまう。
直後、アウロの真横を収斂された竜炎が通過した。熱風にあおられ、白く染まるヘッドマウントディスプレイ。シールドの表面が不気味に泡立つ。
【ひぇぇ……こ、怖すぎる! マグマの上を綱渡りしてる気分だよ!】
【あながち間違いでもないな】
アウロはペダルを踏み、素早く機体を立て直した。
まだ思考回路は明瞭だ。カムリの冗談に付き合う余裕もある。
しかし、額にはじっとりと汗が浮かんでいた。息をつく間もない連撃が、確実に体力と精神力を削っているのだ。それほどに《ラムレイ》の――ナーシアの放つプレッシャーはすさまじい。
(まず奴の収束砲をどうにかしなくては……)
アウロは更に二機の《ワイバーン》を撃墜したところで、ぴしゃりとハーネスを打った。
アフターバーナーによって推進力を得つつ、右腕甲の強化魔導兵装を構える。
《ラムレイ》の弱点は明白だ。あの機体は接近戦に弱い。距離さえ詰めてしまえば、取り回しの利きづらい収束砲は無用の長物となる。
だが、そうはさせじと重装仕様の《ワイバーン》がアウロの眼前に立ちはだかった。高々と掲げられるバトルアックス。機甲竜騎士団の騎士は己の獲物を振りかざしながら叫んだ。
『おのれ、逆賊め! 貴様のような汚物をナーシア殿下の元に近付けさせはせんぞ! 我が名は――』
「“スピキュール”!」
相手が名乗りを上げる前に、アウロは紅蓮の槍を一閃させた。
瞬間、猛火を帯びた切っ先が重層アダマント鋼による装甲を溶断する。
金属の蒸発する熱雑音。横っ腹を引き裂かれた《ワイバーン》は、血しぶきの代わりにおびただしい量の火花をまき散らした。
やがて、機体中枢を焼かれた敵機は轟音と共に爆発四散した。
シートに跨がっていたパイロットは閃光弾のように打ち上げられ、そのままディスプレイの外へと消えてしまう。
運が悪ければ即死。良ければ海に沈み、死ぬまで海底散歩といったところだろう。どちらにせよろくな最後ではないな、とアウロは思った。
『な……なんだ、あの魔導兵装! 《ワイバーン》を一撃で!』
『あの重装甲をものともせんとは! しかし、たった一機で我ら全員と渡り合えるとでも――!』
すぐさま旋回し、側面からチャージを仕掛けようとする敵機。
しかし、その斜め後ろから放たれた砲弾が搭乗者を直撃した。蝋燭のように燃え上がったアーマーは、しばし両手を振り回してもがいていたが、やがて悲痛な叫び声と共に鞍上から転落する。
機体を固定するワイヤーが焼き切れてしまったのだ。パイロットを失って墜落する《ワイバーン》の向こうには、ガンランスの砲口から細い煙を立ち上らせる《レギナ・ヴェスパ》の姿があった。
『あ、当たったのか? ええと……げ、撃墜確認!』
「よくやった、アルカ」
【ぐっじょぶ!】
尻尾を振って少女の健闘を称えるカムリ。
次いで、ナーシアの怒号がヘルム内に轟いた。
『たわけ! 相手は一機ではないのだぞ! まずは邪魔な小娘の方から始末しろ!』
『ら、了解!』
ナーシアの周囲を取り巻く敵機甲竜騎士は残り五機。
内一機は《ラムレイ》と編隊を組んだ重装甲仕様の《ワイバーン》だ。
それ以外の四機は一斉に紅の機竜へと殺到した。まるで小鳥に群がる肉食魚。アルカーシャの緊張が通信機越しに伝わってくる。
だが、援護に行こうにも僚機の位置はアウロの後方。ガンランスの射角外だった。無理に急旋回やインメルマンターンを敢行すれば、速度が落ちたところを〝ファイアブレス〟に狙い撃ちされてしまう。
『アウロ、こっちは大丈夫だ! これ以上、足手まといに……!』
『貰った!』
なにか言いかけたアルカーシャだが、その隙に一機の《ワイバーン》が彼女の後背へと回りこんだ。
ガンランスの砲口が《レギナ・ヴェスパ》を捉える。はっと息を呑むアルカーシャ。
幼馴染の危機を前に、アウロは淡々と命令を下した。
【カムリ、撃ち落とせ】
【らじゃ!】
ぱっぱっと空にオレンジ色の軌跡が描かれる。
《ミネルヴァ》は進路を代えなかった。その機体後部から放たれた光の矢が、アルカーシャに追いすがっていた敵機を蜂の巣にした。
『なにっ! あいつ、ケツからビームを!』
【尻尾だよ!】
カムリは補助尾翼に内蔵された0.8インチ砲を、八つ当たり気味に掃射した。更に二機の《ワイバーン》がばら撒かれた炎弾に翼をもがれ、悲鳴と黒い煙を上げながら海中に没する。撃墜確認。
『猪口才な!』
喊声と共にアフターバーナーを噴かせたのは、ナーシアの直掩機であるワイバーンカスタムだ。
しかし、悲しいかな。装甲の重い機竜は足回りが貧弱だ。骸装機に比べると、その動きはまるっきり亀の歩みである。
アウロは敢えてピッチを下げ、敵機の腹下をくぐり抜けた。
案の定、その向こうには収束砲を構えたナーシアの姿がある。
大方、こちらが攻撃した隙を突いて〝ファイアブレス〟を叩き込むつもりだったのだろうが――
「一手遅いな」
アウロはシート前部の操縦桿に指をかけた。
左右一対のトリガーを引き絞る。〝ツインバレル〟発射。背後で着弾音。
【カムリ、後ろの敵機は?】
【お尻を蹴っ飛ばされたみたいにひっくり返ってる。あ、いまエンジンが火を噴いて爆発した】
【そうか】とアウロは振り返りもせずに言った。
代わりにぴしゃりとハーネスを打ち、機体を急加速。
もはやアウロとナーシアの間を隔たる壁はない。十二機の飛行中隊はほぼ壊滅。ただ一機生き残った《ワイバーン》はアルカーシャが相手をしている。
アウロはバレルロールによって機関砲の応射をかわしながら、《ラムレイ》に突進した。既に右腕甲には、壊れた噴水のように炎を吐き出す〝スピキュール〟が握られている。
「ナーシア、覚悟!」
『こいつ……!』
ナーシアはたまらず、収束砲のトリガーを引いた。
無論、そんな見え見えの攻撃に当たるアウロではない。
急降下して射線から逃れた《ミネルヴァ》は、すぐさま機体を捻って高度を跳ね上げた。次いで、ガンランスから放たれた閃光が《ラムレイ》に襲いかかる。
ナーシアは迫る砲火を盾で防いだ。これで相手は手詰まりだ。収束砲〝ファイアブレス〟は発射までにインターバルが必要だし、防御を固めた状態ではシールドキャノンも使えない。
【よし……行くぞ、カムリ。ランスチャージを敢行する】
【らじゃ!】
上空から加速した《ミネルヴァ》は、獲物を狙う水鳥のように《ラムレイ》へと襲いかかった。
ナーシアはペダルを踏み込むと、機体を急旋回させて突撃の軌道から逃れた。点火されるアフターバーナー。《ラムレイ》は翼を九十度バンクさせたまま、〝スピキュール〟の攻撃圏を脱する。
――が、
(……ナーシア、お前らしくないミスを)
アウロは素早くハーネスを捌き、逃げる《ラムレイ》にぴたりと追いすがった。
空戦において、自機の後方象限を占位されないように戦うのは基本中の基本だ。
にも関わらず、ナーシアはその鉄則を破った。《ミネルヴァ》の突撃をかわすのに意識を傾け過ぎ、敵に背を晒してしまったのだ。
慌ててジグザグの機動を取り、こちらの追撃を振り切ろうとする《ラムレイ》だが、アウロはがっぷりと食らいついたまま敵を離さなかった。元々、運動性においては《ミネルヴァ》の方が圧倒的に上だ。
ターゲットボックス内の敵機を確認。
照準器をその背中に合わせる。真っ赤に染まるガンクロス。
アウロは迷うことなくトリガーを引き絞った。
――バァッ!
放たれる炎熱。一瞬で3000フィートの距離を駆け抜けた砲弾は、敵アーマーの左腕甲を真後ろから撃ち抜いた。
『ぐぅっ!?』
ヘルム内に男のくぐもった悲鳴が満ちる。
アウロは肘のあたりで折損したガントレットが、紫色のシールドごと自機の後方に消えるのを見送った。
致命傷ではない。致命傷ではないが、それでも十分な成果だ。既に《ラムレイ》は着弾の衝撃によってバランスを崩している。ここは攻撃の手を緩めることなく、一気呵成に畳み掛けて――
『っ……アウロ!』
そこでふいに、アルカーシャの声がアウロの集中を破った。
遅れて、ぞわりと首筋が粟立つ。
アウロは息を呑んだ。この感覚。死神の手が今にも己の心臓に触れようとしている。自分はなにか、致命的な間違いを犯しかけている。
(……待て)
確かに、ドッグファイトにおいて敵機の背後を奪うことは重要だ。
しかし、複数の機甲竜騎士が飛び交う航空戦では、自機を囮に敵機を釣り上げる戦術も存在する。
例えば、『ワゴンホイール』。
これは典型的な囮戦術だ。三、四機の機竜が車輪のように円形軌道上をぐるぐると回り、敵の機甲竜騎士をその中に誘い入れる。
後は、敵機が友軍を追い回すのに夢中になっている隙に、更にその後背から周回してきた僚機が、油断した相手に致命的な一撃を叩きこむのだ。
もう一つ有名なのは、あのドラク・ガーグラーが得意とした空戦機動だった。
味方の機甲竜騎士を囮とし、もう一機が敵の側面からランスチャージを敢行する相互連携戦術――
「……『ブラッディ・クロス』か!」
アウロは自らの直感に従い、ハーネスを胸元まで引き上げた。
踵でペダルを踏み込む。九十度ピッチング。
機体を安定させていた揚力が垂直の壁となり、《ミネルヴァ》は尻尾を掴まれたようにがくんと空中で急静止した。
反動により、アーマーを固定するワイヤーが甲高い軋みを上げる。勢い余ってディスプレイにごつんと額が当たった。ハーネスに首を締め付けられたカムリも【ぐぇ!?】と悲鳴をこぼす。
【ちょ、主殿……!】
――ブォン!
抗議の声は刃音によってかき消された。
《ミネルヴァ》の鼻先。ほんの数フィートの位置を通過したのは、夜の闇を凝縮したような色の光芒だ。
だが、それは砲弾の類ではなかった。〝スピキュール〟と同じ、魔力によって形成された刀身だ。
いや――刀身ではなく穂先と呼ぶべきか。
(こいつ!)
アウロを襲ったのは、闇色の穂先を持つ三叉槍だ。
持ち主は大型のアーマーである。色は漆黒――よりも少し青みがかっているだろうか。濃紺。大海に溶け込むネイビーブルー。
そして、謎の騎手の駆る機甲竜も青黒い装甲で外皮を固めていた。加えて胴部側面のスリットから噴き出した闇が、全身に妖気の如く絡みついている。
アウロはその機影に見覚えがあった。
一般的な機竜より一回り以上も巨大なシルエット。
嘴の如く尖ったヘッドと刃のように直線的なフォルム。
金属板を左右に繋げて形成された特異なデザインのウィング。
右腕甲には十字の矛槍を携え、左腕甲には半円筒形のシールドを装備している。
忘れたくても忘れられるはずがない。
あれは【モーンの怪猫】ダグラス・キャスパリーグの愛機。
【メナイの死神】の二つ名を持つ、闇竜の骸装機だ。
アウロは戦慄と共にその名を告げた。
「――《ブラックアニス》」




