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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
四章:双竜戦争(前編)
75/107

4-2

 会議が終わった後、アウロはいつも通りブリストルで夜を過ごした。

 ここ最近は日が沈んだ後にルシウス、ジェラードと食事をとり、その後はアルカーシャの元を訪ねるのが半ば習慣化している。


 しかし、以前と比べて幾つか変わったものもあった。

 モンマス陥落から早くも三ヶ月が経ち、その間にブリストルにはアルカーシャ用の邸宅が設えられていた。

 といっても屋敷の中にはもう一人、ランドルフ家の令嬢クリスティアが住んでいる。恐らく、リカルドあたりがお嬢様方を一ヶ所に纏めてしまえ、と判断したのだろう。


 そのため、一帯の警備は極めて厳重だ。

 邸宅は背の高い鉄の防護柵に囲まれ、その外縁を肩にライフルを担いだガーランド家の騎士たちが巡回している。

 また、門の正面には拠点防衛用の重騎士甲冑(ヘヴィナイトアーマー)《ファランクス》が仁王立ちし、周囲に睨みを効かせていた。

 他にも敷地内には数匹のテリア犬が放たれていたが、彼らはさほど職務に忠実ではなく、多くの番犬は暇そうに地面をほじくり返したり、芝生に寝そべって大あくびを漏らしたりしていた。


「これはケルノウン伯。今日も姫の元へ?」

「ああ、アルカーシャ姫に用事だ。失礼する」


 アウロは顔なじみの警備主任に挨拶して、鉄の門扉をくぐり抜けた。


 芝生の向こうに佇む邸宅は、丸っこい赤屋根のせいでどこか少女趣味に見えた。

 玄関の扉に使われているのは真新しいオーク材だ。アウロは真鍮のドアノッカーを叩くと、両腕を組んでその場に待機した。

 しばらくぼうっとしていると内側から扉が開く。中から現れたのはふわふわした栗色の髪を持つ少女だ。ランドルフ家の令嬢クリスティアである。


「こんばんは、アウロさん。アルカと逢引ですか?」

「勘違いされそうなことを言わないでくれ。様子を見に来ただけさ」


 微笑むクリスティアに、アウロはわざとらしく肩をすくめた。


 本来、来客を出迎えるのは執事か侍女の仕事なのだが、あいにくとこの家には使用人の類が常駐していなかった。

 おかげで広い屋敷は妙にがらんとしている。装飾品の類がほとんど置かれていないのも、室内が寒々しく見える要因の一つだろう。

 エントランスの左手にはダイニングへと繋がる応接間が、右手には二階へ続く木造の階段があった。アウロが足を踏み入れると、丁度そこで応接間の方角からぎしりと床の軋む音が鳴った。


「クリス、アウロが来たのか?」


 ひょいと玄関に顔を出したのは、屋敷の主であるアルカーシャだ。

 ただ、その格好は貴族の娘にあるまじきはしたなさだった。ノースリーブのシャツからは柔らかそうな二の腕が覗いているし、膝丈までのズボンのせいで生白い太腿も剥き出し状態だ。

 極めつけは胸元を押し上げる双丘だった。豊かな膨らみがシャツの裾が引っ張り上げているせいで、ヘソの窪みや薄く浮き出た腰骨までもが外気にさらされてしまっている。


「おい、アルカ。その格好……」

「待て。言いたいことは分かる。でも、お兄ちゃんみたいに私を叱るのはやめてくれ。すぐ着替えるから」


 とあらかじめ釘を刺されては、アウロもため息をこぼすしかなかった。


「そんな格好で寒くないのか?」

「別に。運動していれば気にならないよ」


 アルカーシャは肩にかけた木綿のタオルで滴り落ちる汗を拭った。


 ここ最近、彼女は暇さえあればフィジカルトレーニングに勤しんでいた。

 単純な筋トレだけではない。耐G能力を上げるため、内臓を鍛える訓練にまで手を出しているらしい。

 その割に見た目が変わっていないのは、元々スレンダーな体型をしているからだろう。ただし引き締まった上腕や太股に比べ、胸の脂肪は減量に対してすごぶる非協力的だった。


「とりあえずリビングで待っててよ。すぐ戻るから」


 アルカーシャはそう言い残すと、しなやかな足取りで二階へと消えた。

 一方、クリスティアは腰に手を当てて少女の背中を見送っていた。まるで心配性の姉のようだ。


「もう……。アルカったら、アウロさんが来るって分かってるのに薄着でうろついて」

「それだけ信頼されているんだろう。ただ、他の男の前では――」

「もちろん、あんな服は着てません。アルカもその辺りは弁えてますよ。わざとアウロさんにだけ見せてるって可能性もありますけど」


 クリスティアはいたずらっぽく微笑んだ。


 どうも、この年頃の娘は仲の良い男女を見るとすぐ色恋沙汰に結び付けたがるらしい。

 問題はクリスティアの見解があながち冗談では済まないということだ。今のところ、アウロとアルカーシャは単なる従兄弟同士の関係に留まっているが、つい先日はその場の勢いに流され、危うく一線を越えかけてしまった。


「俺とアルカの仲は、まぁ、事情が特殊だから置いておいてくれ」


 アウロは内心で冷や汗をかきつつ話題を変えた。


「それより、クリス。そちらの調子はどうだ? 今はこの屋敷でアルカーシャとほとんど二人っきりと聞いたが」

「一応、お昼に家政婦の方が来るんですよ。夕方にご飯を作った後は帰っちゃうんですけど」

「他に来客は?」

「ええっと、アルカを訪ねてくる人が結構います。アウロさんにルシウス殿下、ガーランド家の方々にリカルド様……。あと、ジェラードもですね」


 クリスティアは口ごもりつつも付け加えた。

 不自然な態度だ。が、別に照れている訳ではない。

 困惑、という表現が一番近いだろうか。


「ジェラードか。そういえば、二人は幼馴染だったな」

「はい。昔、何度か顔を合わせた程度ですけど」

「あいつはアルカではなく、あなたのことを心配しているんじゃないのか?」

「どうでしょう。それは本人に聞いてみないと分かりません。ジェラードは単純なように見えて、捉えどころのない部分がありますから」


 クリスティアは口をへの字に結び、


「アウロさんはジェラードの親友なんですよね。あの人のこと、詳しいんですか?」

「いや、俺もジェラードと知り合ってからまだ五年程度だよ。特に親しく話すようになったのはここ最近だ。付き合いの長さで言えば、クリスの方がずっと上さ」

「でも、この前の――アルカーシャを助けに行った時の戦いで、ジェラードはアウロさんのことを他の誰よりも信頼してるみたいでした」

「一応は養成所の同期だからな。それに今は同盟の仲間でもある」


 アウロはそう答えつつ、なんとなしに屋敷の二階を見上げた。

 階上では丁度、アルカーシャが手すりを伝って玄関に降りてくるところだった。服装はいつぞやと同じ薄手の白いチュニック。後頭部で纏められた真紅の髪は、母の遺品であるバレッタで留められている。


「ごめん、おまたせ。……二人してなにを話してたんだ?」

「ジェラードのことだよ。あいつ、頻繁にこの屋敷に来ているらしいな」

「うん。多分、クリスのことが気になるんじゃないかな」


 アルカーシャはさらっと頷く。その横ではクリスティアが『余計なことを言うな』という表情をしていたが、あいにく鈍感な彼女には通じていなかった。


「流石に毎日とまでは行かないけど、二日か三日にいっぺんくらいは様子を見に来るんだよ。本とか花とかワインとかティーセットとか、わざわざ女の子の喜びそうな贈り物を用意してね」

「そうか。少し意外だな。ジェラードがそこまでクリスに入れあげていたとは」

「冗談はやめてくださいよ。たぶん、ジェラードの目当ては私じゃなくてアルカです。あの人、巨乳好きですし」

「クリスだって胸は大きい方じゃないか。いくら巨乳好きって言ったって、その、大きければ大きいほどいいって訳でもないだろ? ……なぁ?」

「俺に同意を求めるなよ。頷いたらどうするつもりだ」

「殴る……かなぁ」


 理不尽過ぎる回答にアウロは頭を抱えた。


 その後、クリスティアは「後はお二人でゆっくりどうぞ」とからかうような台詞を残し、自室へと戻ってしまった。結果、エントランスにはアウロとアルカーシャの二人だけが残される。


「アルカ、クリスとはずいぶんと仲がいいんだな」

「ん? んー……私もそうだけど、あんまり貴族の女の子っぽくないからかな。クリスとは一緒にいて居心地がいいんだよね」


 「気持ちは分かる」とアウロは相槌を打った。

 クリスティアは侯爵家の令嬢にも関わらず、お高く止まったところがないのだ。容姿といい態度といい、どこか庶民的なのである。


「ま、とりあえずあっちに行こうか。食事はもう済ませてきたんだろ?」

「ああ」


 アルカーシャに促され、アウロは居間へと移動した。


 既に季節は十月に差し掛かっている。屋敷の中は少々肌寒い。

 アウロは火の弱まっていた暖炉に薪をくべ、その間にアルカーシャは飲み物の準備をした。本来、こういった作業も使用人がすべきことだ。

 アウロは暖炉内の火勢が落ち着いたところで火かき棒を壁際に立てかけ、額に浮かんでいた汗を袖口で拭った。袖には黒っぽい炭がついていた。


「なぁ、アルカ」

「なーにー?」

「新しくメイドを雇うつもりはないのか?」

「うーん、実はリカルド殿から何人か勧められてるんだけどね」


 アルカーシャはキッチンからティーカップとポット、小麦の焼き菓子の入った皿を青銅製のトレイに乗せて戻ってきた。


「結局のところ、あの子たちはブランドル家側の人間だしな。かといって、この不安定な時期に素性に分からない人間を雇うのも危険だ」

「炊事や洗濯、掃除はどうしてるんだ?」

「昼にお手伝いさんが来てくれるんだよ。夕方には帰っちゃうんだけど」

「難しい問題だな。なんなら俺の家から人を出すが」

「ん……気持ちは嬉しい。けど、別に手が足りない訳じゃないんだ。なにより同じ屋敷で一緒に暮らすなら、心から信頼できる人じゃないと困る」


 アルカーシャは険しい表情のまま、ぱちぱち暖炉で弾ける火種を見つめた。


 その横顔からはどこか病的な不安感が見え隠れしていた。

 彼女はつい先日、母の兄――つまりは叔父に当たる男に裏切られたばかりだ。

 結果、両親をいっぺんに失ってしまっている。これで人間不信に陥るなという方が無理な話だろう。


「……分かった。要は俺やジェラードのようなタイプならいい訳だ。アルカやクリスと昔からの知り合いで、王家と敵対的な立場にある人間」

「そんな都合のいい人なんていないよ。ジュトーやオリヴァンにメイド服を着せる訳にもいかないしね」


 アルカーシャは悪戯っぽく笑って、テーブルにティーセットを置いた。


(一応、一人だけ心当たりがいるんだが……)


 アウロは自らの領地に滞在している少女の姿を思い浮かべた。

 シルヴィア・アクスフォード。斧の反乱を引き起こしたブレア・アクスフォードの娘。

 彼女は侯爵家の令嬢だから、アルカーシャやクリスティアとも面識があるはずだ。

 とはいえ、シルヴィアをギネヴィウス領の外に連れ出すのは現実的ではない。アルカーシャたちに事情を説明しなくてはならないし、周囲に彼女の正体を気取られる危険性もある。


「……アウロ、またなんか悪いこと考えてない?」

「いや、別に」


 誤魔化すように言って、アウロは二人用の肘掛け椅子に腰を降ろした。

 アルカーシャはその対面に座った。丁度、テーブルを挟んで向かい合う形だ。

 アウロは急に手持ち無沙汰な気分になって、湯気を立てている紅茶に口をつけた。


「ん? 妙に甘ったるい味がするな。これ、ジェラードが持ってきたのか?」

「うん、大陸の、ローマのもっと東の方で栽培されたお茶なんだって。私はこういうの、あんまり詳しくないんだけど」

「俺も養成所時代はよく飲んだが今はさっぱりだよ。大陸との交易路があるのは王都にほど近いカーディフ港や、ここブリストルだけだからな」

「でも、ケルノウン半島では大陸との取引が始まってるんだろ?」

「まぁね。だが、主導しているのはあくまでシドレー商会だ。俺は単なる支援者に過ぎない」

「パトロンってこと? なんだか、すっかり領主業が板についちゃって……」

「俺だって本当は四六時中、機竜の訓練をしていたいさ。だが、なかなかそういう訳にもいかなくてな」

「気持ちは分かるよ。私もめんどくさい役割を求められることが多いから」


 アルカーシャは両手に抱えたカップの縁をなぞりながら、不安そうな眼差しをアウロへと向けた。


「アウロ、ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだ?」

「さっきの会議で私、変なこと言ってなかったよな。ちゃんとガーランド家の代表として……父さんの娘として上手くやれてたと思う?」


 アウロは首肯した。「もちろんだ」


「アルカは立派だったよ。正直、お飾りとして座っているだけでも十分なんだ。でも、お前は自分から議論に加わろうとしてるし、ジュトー殿やオリヴァン殿もそれに従う姿勢を見せている。逆らうことなく、ごく自然にな。彼らはアルカを自分たちの主と認めているんだ。そうさせるだけの魅力が『アルカーシャ』という人間にはあるんだろう。つまり、ガルバリオンと同じカリスマ性がな」

「うう……そこまで言われると、なんだかこっぱずかしいな。アウロがこんな風に人を褒めることって滅多にないのに」

「見え透いたお世辞を言わないだけさ。心からの賛辞は別だ」

「……ありがとう。ちょっと元気が出たかも」


 アルカーシャは赤い顔でぼそぼそと礼を述べた。

 砂糖菓子をつまみ、紅茶を傾けて、心理的なインターバルを置く。

 ふぅ、と小さく息をつく頃には彼女も冷静さを取り戻していた。ただ、暖炉で燃える炎に照らされているせいか、その頬は赤みがかっているように見えた。


「でも――」


 ふいに紅色の瞳が正面からアウロを捉え、


「本当は私よりアウロの方がずっとすごいと思うよ。たった一騎で『蒼い旋風(ブルーボルテクス)』を倒したって聞いた時、最初は耳を疑ったもの。そりゃ、機竜乗り(ドラグナー)としての腕前が高いってのは知ってたよ? でもまさか、王国最強の部隊をあっさり蹴散らしちゃうなんて」

「別にあっさりでもないさ。ヴェスターは最後の二機になった時、味方ごと俺を殺そうとしてきたんだ。その時は危うくやられかけたが、結局は紙一重の差で《ハイフライヤー》を撃墜することができた」

「……馬鹿だな、ヴェスターの奴。あいつ、死んだんだろ?」

「間違いなく死んだよ。胴体を真っ二つにしてやったからな。これで残るは二人だ」


 「ああ」とアルカーシャは呟いた。


 彼女はアウロの前で両親の仇を取ることを誓っていた。

 復讐の対象は、父ガルバリオンを裏切ったモーディア・ガーランド。

 その息子であり、母リアノンを射殺したヴェスター・ガーランド。

 そして、ガルバリオンを討った王弟ドラク・ガーグラーの三人だ。


「ヴェスターは死んだけど、まだモーディアとガーグラーがいる。せめて、どちらかは私の手で引導を渡してやりたいけど……」

「気にしているのか? 自分の手で仇を討てなかったこと」

「少しね。でも、私だって自分の実力は弁えてるよ。アウロでさえ、ヴェスターを倒すのは簡単じゃなかったんだろ?」

「まぁな。それにリアノンさんを目の前で殺されたのは俺も同じだ。あの男だけはこの手で仕留めたかった」

「じゃ、早い者勝ちだな」


 アルカーシャはそう言って、陰のある笑みを浮かべた。

 それから、アウロは自身と『蒼い旋風(ブルーボルテクス)』との死闘について語り始めた。

 無論、カムリの正体に関するあたりはぼかしてある。それでも、アルカーシャは英雄譚に憧れる少年のように目を輝かせ、アウロの話に聞き入った。


 が、それも一段落すると再び先ほどの諸侯会議の内容に話が戻る。

 アルカーシャは紅茶をかっくらうと、ひどく苛々した様子で口を開いた。


「全く、あの豚骨二人はなんなんだよ。ねちねちねちねちお姑さんみたくアウロに絡んでさ。思わずキレそうになっちゃったよ」

「いや、普通にキレてなかったか?」

「まぁ、半分くらいは。私、堪忍袋の緒があまり頑丈じゃないみたい」

「ガルバリオンと同じだな」


 苦笑しつつも、アウロはポットを持ち上げた。

 アルカーシャの目の前には空になったティーカップがある。しかし、彼女は首を横に振ると、やおら椅子から立ち上がった。


「アルカ?」

「飲もう。こういう時はお酒の力が必要だって父さんが言ってた」


 アルカーシャはそう宣言すると、アウロの返事を待たずにキッチンの奥へ引っ込んでしまった。

 彼女が戻ってきたのは数分後のことだ。両手には二つ重ねた銀の酒盃と、上等そうなワインのボトルを抱えている。

 アルカーシャはティーセットを片付けると、空いたテーブルの上にそれらをどん! と載せた。


「結構、お酒を贈り物に持ってくる人は多いんだ。でも、クリスはアルコールに弱いから溜まっていく一方でさ」

「アルカ、お前も酒が入ると荒れるんだからほどほどに……」

「それだ」


 なにが気に入らないのか。アルカーシャはじと目でアウロを睨みつける。


「普通、アルコールが入れば多少なりとも性格が荒れるはずだろ。なのに、お前は酔っている時も平然としてるじゃないか。不公平だよ。私だってアウロがべろべろに酔っ払った挙句、ゲロ吐いてぶっ倒れる姿を見てみたい」

「お前にそういう特殊な性癖があったとは驚きだ」

「とにかく乾杯しよう。ほら」


 アルカーシャは強引にボトルを突き出す。

 結局、アウロは流されるまま銀の酒盃でワインを受けた。途端、上等なぶどう酒の香りが辺りにぷんと漂う。

 高い酒らしいな、とアウロは思った。が、実際に口をつけるとタンニン特有の渋みが妙に苦々しく感じられた。


「なんかおいしくないね、これ」

「さっき砂糖菓子を食べたせいだろう。酒自体は悪くない代物のはずだ」


 答えつつ、アウロは舌に馴染ませるように咥内でぶどう酒を転がした。


 それからしばらくの間、二人は声もなく酒盃を傾け続けた。

 ぱちぱちと暖炉の中で薪が弾ける。屋敷の中は静かだ。外界の音も室内までは侵入してこない。

 その内、アルコールが血管に回ってきたのか。頬を朱に染めたアルカーシャは、うじうじと唇を尖らせた。


「くそったれめ。貴族なんてのはみんな頭の悪いばかちん揃いだ。今は王国と戦うために一致団結しなきゃいけないってのに、つまらないプライドで他人の揚げ足を取るなんて馬鹿げてるよ。アウロもそう思わないか?」

「言いたいことは分かる。だが、同盟の諸侯は王国側の貴族たちに比べればおおむねまともさ。何人か例外もいるがね」

「ヴェンモーズとバルロックだろ? あの贅肉兄弟はアウロに嫉妬してるんだよ。そもそも、オリヴァンが猪だなんて変な褒め方をするから……」

「いや、【ケルノウンの猪】というのは最上級の賛辞なんだ。なにしろ、あの竜王アルトリウスの異名でもあるからな。その辺りの機微があの二人には分からなかったようだが」


 というより、オリヴァンがあえて一部の人間にだけ通じる言い方をしたのだろう。

 他にもルシウスやジェラードあたりは意味を理解していたに違いない。猪という言葉を槍玉に挙げてあげつらえば、逆に自分たちが恥を掻くという寸法である。老人の性格の悪さがにじみ出ているようだった。


「俺は元々私生児だし、この短期間で伯爵の位を得ている。他人から妬まれるのは当然だ。いちいちそれを嘆くつもりもない。なにより、人から悪意を向けられるのには慣れている」


 アウロは淡々と言葉を紡いだ。

 正直、アウロは他人から好意を向けられるより、悪意を向けられる方がずっと分かりやすいと思っている。好意の裏に悪意が隠されていることはあっても、その逆はほとんどありえないからだ。


 しかし、アルカーシャは「そんなのおかしい」と一言で断じた。


「慣れるだなんて……まるで、自分から感情を押し殺してるみたいじゃないか。アウロだってもっと怒ればいいんだよ。言われるがまま我慢してるんじゃなくってさ」

「我慢は――多少はしているが別に苦痛を感じるほどではないさ。あんなものは所詮、中身のない罵詈雑言だ。気に留める方がどうかしている」

「なんだか超然としてるな。昔のお前はそんなんじゃなかったのに」

「当然だろ。俺がモンマスにいた頃から六年が経ってるんだぞ」


 思わず、吐き捨てるような口調になってしまう。

 途端にアルカーシャはさっと顔を青くした。自分の失言に気付いたらしい。


「ち、ちが、私はそんなつもりじゃ……」

「待て、アルカ。別に怒っている訳では――ああ、いや。待て」


 要するにこういう態度がまずいのだろう。

 アウロは酒盃をテーブルに置き、小さく息をついた。どうやら気付かぬ内に酔っていたらしい。


「言い直そう。確かに今のは気に障ったよ。お前が今の俺の向こうに、昔の俺の姿を重ねているような気がしてな」

「うん、その……ごめん。謝るよ」


 アルカーシャは幾分か顔色を取り戻しつつ、頭を下げた。

 とはいえ、一度ひび割れた雰囲気は容易に修復できない。二人の間にギスギスした空気が流れ始める。

 沈黙は数分ほど続いた。そろそろお暇しようかと考え始めたアウロだが、その前にアルカーシャは脈絡なく椅子から立ち上がった。


「アルカ?」

「アウロ、ちょっと横に詰めて」


 覚悟を決めたような表情だ。アウロは訳も分からず端に移動した。

 すると、暖炉の前を横切ったアルカーシャはその空いたスペースにすとんと腰を下ろした。

 二人がけの肘掛け椅子がわずかに軋みを上げる。少女の柔らかな髪に首筋をくすぐられ、アウロは神経がこわばるのを感じた。


「……近くないか?」

「いいんだよ、これで」


 アルカーシャはぶっきらぼうに言って、アウロの肩に体を預けた。

 少女の赤く染まった耳元からは、ほのかな汗の香りと、花びらを煮詰めたような芳香が漂っていた。

 まるで媚薬だ。紛うことなき女の色香に、アルコールまみれの脳みそがぐずぐず溶かされそうになる。


「私は多分、不安なんだと思う」


 恋人のように体を寄せ合ったまま、アルカーシャは囁いた。


「なんだか、今のアウロはすごく遠くにいるんだ。お前一人がどんどん先へ進んでしまって、私だけが一人ぼっちのまま取り残されてるように感じる」

「俺はここにいるよ。どこにも行ったりしない」

「それはお前が私のことを気遣ってくれてるからだろ? それじゃあ、駄目なんだよ。今の私は重荷にしかなってない。ヴェスターの奴と戦った時だってそうだ。お前一人ならあいつを殺すのだって簡単だったはずなのに」

「それは――」


 アルカーシャは言った。「アウロ、私はお前の隣にいたいんだ」


 告白じみた台詞である。が、その裏に秘められているのは悲壮な決意だ。

 幸いなことに――もしくは不幸なことに、アルカーシャはプライドばかり育った馬鹿な貴族の娘ではなかった。

 彼女は理解していた。自分は単なる十七の娘で、戦士としての実力はアウロや他の者に遠く及ばず、『ガルバリオンの娘』という付加価値さえなければ、なんの役にも立たないお荷物だということを。


(単なる思春期の悩みなら話は簡単だったんだが……)


 逆に、自分の価値を把握しているからこそ厄介なのだ。

 アウロはしばらくなにも答えず、暖炉の中で揺れる炎を見つめていた。

 が、その内に頭の中で考えがまとまってくる。アウロはそれを思いつくまま、ぽつぽつ語り始めた。


「アルカ、お前の気持ちはなんとなく分かる。俺にも今の自分と目指すべき場所の間に隔たりがあり過ぎて、塞ぎこんでいた時期があったんだ。だが、今は前に進めていると思う。昨日よりは今日の方が目標に近付いているんだ。……例え、それがどれだけ遅々とした歩みだろうとな」

「分からない。どうして、そこまで割り切れるんだ?」

「割り切っている訳じゃない。ただ、考え方を変えただけだ」

「『なにかを成す前から諦めるのは賢者ではなく愚者の行い』――だっけ?」


 いつぞや自分が言った台詞を復唱され、アウロは「そうだ」と微笑んだ。


「重要なのは前進する意思さ。結果なんてのは後から付いてくる」

「なんていうか、大人の発言だな」

「お前だってもう十七の淑女レディだろう」

「そりゃそうだけど……」


 アルカーシャは顔を俯かせた。

 次いで、細い腕が銀盃へと伸ばされる。

 少女はなみなみと注がれていた液体を一息にあおった。勢い余って溢れたぶどう酒が、チュニックの上に点々と赤いシミを作る。


「――やっぱりおいしくないよ、これ」


 アルカーシャは寂しげに呟いて目を閉じた。


 アウロの隣から寝息が聞こえ始めたのは、それから数分後のことだ。

 アルカーシャは眉間にしわを寄せたまま、苦しそうな顔で眠っていた。

 時折、うめき声を漏らしているあたり悪夢でも見ているのかもしれない。アウロは片腕で少女の体を抱き寄せ、その頭をあやすように撫でてやった。


 しばらくすると、不規則だった呼吸のテンポが穏やかなものに変わる。

 アルカーシャは頬を上気させたまま、唇を半開きにし、だらんと全身の力を抜いていた。

 ひどく煽情的な姿だ。それでも、アウロは下半身の欲求を頑なに拒んだ。寝込みを襲うような真似はしたくなかったし、エントランスの方から階段を降りる足音が聞こえてきたためだ。


「あら、アルカったらこんなところで寝ちゃったんですか」


 ひょこっと居間に顔を見せたのは、先ほど二階に引っ込んだはずのクリスティアである。

 手には燭台を持ち、肩からは薄い毛皮の上衣を羽織っている。蝋燭に照らされた目元はしょぼしょぼと眠そうだった。


「アウロさん、そろそろお部屋に戻った方がいいですよ。この屋敷に泊まって頂く手もありますが」

「いや、妙な噂でも立てられたらことだ。ブランドル邸に帰ろう」

「あ、その前にアルカを寝室まで運んでもらってもいいですか? 私が運ぼうとするとカエルみたいに押し潰されちゃうので……ええと、奥の客室にお願いします」

「分かった」


 アウロは頷き、アルカーシャを横向きの姿勢で抱え上げた。

 柔らかな肉の感触が肌にしっとりと絡みつく。鍛えられたアルカーシャの体は羽毛のように軽い――とは行かなかったものの、その蠱惑的な肢体はアウロの官能に強烈な揺さぶりをかけた。


 それでもアウロはどうにか理性を保ったまま、少女の体を客室まで運び、ベッドの上に安置させるという任務を成し遂げた。

 アルカーシャはまるで起きる気配を見せなかった。ベッドに転がった瞬間、やや不満そうなうめきを漏らしただけだ。

 アウロは無防備に寝返りを打つ少女から目を逸らし、忍び足で部屋の外に出た。後ろ手に扉を閉めた途端、思わず安堵の息がこぼれる。

 外で待っていたクリスティアはくすりと微笑んだ。


「お疲れさまです。頑張りましたね、アウロさん」

「笑うなよ」


 アウロはげんなりした気分で言った。


「しかし、アルカーシャは情緒が不安定だな。いつもああなのか?」


 居間に戻る途中、アウロはクリスティアに尋ねた。

 彼女は少し困ったように眉を寄せ、


「アルカが弱い部分を見せるのはアウロさんだけですよ。私を含めて、他の人の前ではずっと気丈に振る舞っています」

「やはり、両親の死がこたえているんだろうか」

「アルカはきっと心細いんです。いつも夜遅くまでトレーニングしてるのだって、体をへとへとになるまで疲れさせて嫌な夢を見ないようにするためなんだと思います。ただ、上手くは行ってないみたいですね。アウロさんが来てくれる時だけはぐっすり眠れてるんですけど」

「………………」


 アウロは口を閉ざした。


 沈黙の中、思い返すのはアルカーシャと初めて出会った頃の記憶だ。

 アウロがモンマスに滞在し始めたのは丁度、母ステラが死亡した直後のことだった。今からぴったり十年前のことだ。

 当時の自分は敬愛する母親が死んだことで荒んでおり、ガルバリオンの『しごき』が強烈だったこともあって、心身共に衰弱していた。悪夢に悩まされ、夜中に飛び起きたのも一度や二度ではない。


 一方、アルカーシャは当時まだ七歳になったばかりで、アウロとの接点もほとんどなかった。

 そうでなくともガルバリオンの元には、ヴェスター・ガーランドを始め、騎士になるための修練を積んでいた若者たちが数多くいた。彼女にとって、アウロは父の門下生の一人でしかなかったはずだ。


 二人の関係が変わったのは、とある事件が起きてからのことだ。

 この頃から既におてんば娘として知られていたアルカーシャは、ある日とうとう両親の監視をすり抜け、モンマスの東に広がる森林地帯に迷い込んでしまった。


 ――通称、『デーナの森』。魔獣の生息地としても知られている場所である。


 アルカーシャはそこで十匹以上もの黒妖犬ヘルハウンドの群れに襲われた。

 ガルバリオンと共に森を捜索していたアウロが駆けつけなければ、間違いなく彼女は八つ裂きにされ、小鳥の如く骨まで食われていただろう。

 もっとも、魔獣の群れを追い払ったのはアウロではない。まだ十二になったばかりの小僧に、獅子ほどの体躯を持つ怪物の相手は荷が重すぎた。

 最終的に十数匹ものヘルハウンドを蹴散らしたのはガルバリオンで、アウロはアルカーシャを連れて逃げ回っただけだ。しかも彼女を庇ったことにより、背中に大怪我を負って丸一ヶ月寝込む羽目になった。


 そしてその間、アルカーシャはほぼ毎日アウロの部屋を尋ねてきた。

 二人が親しくなったのはこの時期からだ。また、少女との何気ない会話はアウロに母の死という辛い記憶を忘れさせた。


 アウロが全快した後、二人が実の兄妹のように仲良くなったのも当然の成り行きといえよう。

 二人は四年間、同じ場所で同じ時を過ごした。とはいえ、それは恋人同士の甘い関係とは違う、もっと純粋な好意と信頼で結ばれた絆だった。

 それでも、当時のアウロはただ漠然と。自分は将来このじゃじゃ馬娘と結婚することになるのではないかと思っていた。


 ――その未来が絶対にありえないものと知ったのは、すぐ後のことだ。


 四年後、モンマスを離れて王都で暮らし始めたアウロは現実に直面した。

 養成所に通う貴族たちの中にアウロの味方はいなかった。多くの者は彼を私生児として蔑み、見下し、嘲笑した。

 一方、アルカーシャは王家の直系ではないとはいえ、絶大な権勢を誇るモンマス公ガルバリオンの『姫君』である。

 アウロは気付いてしまった。自分たちの間には身分の差という、歴然たる断崖が横たわっている事実に。


 だから、アウロは幼馴染から届いた手紙に返事を書かなかった。

 アルカーシャとの絆を『古い幼馴染』という一言で終わらせようとした。

 その試みが上手く行ったとは言いがたい。現に一度は途切れかけた関係も、今は元の鞘に収まりつつある。


(……しかし)


 アウロは考える。


 自分たちの仲が完全に元通りになることはないだろう。

 なにしろ、自分もアルカーシャも六年前より心身共に成長している。


 特にアウロはカムリと出会い、自らの出生を知ったことで、生まれ変わったと言っても過言ではない。

 が、同時に幾つかの秘密も抱えてしまっている。カムリの正体に王紋の存在、それにキャスパリーグ隊やシルヴィアとの繋がり。

 どれもアルカーシャには伝えていないことだ。これら全てを明らかにするだけの勇気がアウロにはなかった。


 もちろん、アルカーシャ側の変化も著しい。

 なによりの切っ掛けとなったのは両親の――ガルバリオンとリアノンの死だ。

 更には王国対同盟の戦争が始まったことで、二人は単なる幼馴染同士ではいられなくなってしまっている。


 今のアルカーシャはアウロに依存し、アウロは傍でそれを支えようとしている。

 だが、いずれは彼女も両親の死を乗り越え、一人で立つことのできる日が来るだろう。


 問題はその後だ。

 自分はアルカーシャをどうしたいのか。

 彼女との関係にどう決着を着けるべきなのか。


 いくら考えたところで答えは出なかった。

 

「あの、一つお聞きしても?」


 玄関に辿り着いたところで、クリスティアは決然と口を開いた。


「アウロさんはアルカをどう思ってるんです? あの子を押し倒して、めちゃくちゃにして、自分のものにしてしまおうとは思わないんですか?」

「過激な台詞だな。だが正直、俺にもその答えは分からないんだ」

「何故です? アルカのことは大切なんでしょう?」

「もちろん。だからこそ、相手の弱みに付け込むような真似は避けたい」

「……アウロさんの考えは分かりました。ただ、女には温かい毛布で(くる)まれるより、燃える鉄棒に貫かれたい時もあるんですよ」

「なるほど、女心は難解だ」


 アウロはおどけるように言って、屋敷の扉を押し開けた。


「じゃあな、クリス。また来週、アルカの様子を見に来るよ」

「……はい。おやすみなさい、アウロさん」


 クリスティアはぺこりと頭を下げてアウロを見送った。

 どこか物言いたげな表情だ。しかし、少女はあえてアウロとアルカーシャの関係に土足で踏み入ろうとはしなかった。


 ――ばたん。


 扉が閉じると、途端に乾いた秋風が傍を吹き抜けた。

 屋敷の前庭に出たアウロは、そこで一度足を止めて頭上を仰いだ。

 霞がかった雲の向こうで半分の月が揺れている。朦朧とした、とらえどころのない光。


 アウロは無意識の内に己の右腕を撫でた。


「……悪いな、アルカ。今の俺には秘密にしていることが多過ぎるんだ」


 深々と、白い吐息をこぼれ落ちる。


 アウロはマントの襟を首元に引き寄せ、重い足取りで芝生の上を歩き始めた。

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