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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
一章:アウロと竜の少女
7/107

1-6

 数時間後、シドカムの手を借りて無事に宿舎へと戻ってきたアウロは、強烈な自己嫌悪に陥っていた。


 今までアウロ・ギネヴィウスという男は極力目立たぬように、息を潜めて生きてきた。

 それが今日、柄にもなくまるで物語に登場する正義の騎士のような役回りを演じてしまったのだ。まるで道化である。


(あのクソガキにそそのかされたとはいえ――)


 普段のアウロにしてはあまりにも軽率過ぎた。

 なにせ相手は同じ養成所に所属する訓練生なのだ。

 これから先、トラブルが発生することは目に見えている。


「……はぁ」


 ため息をこぼしつつ、アウロは自室の扉を開いた。


「あ、おかえりー」


 と同時に、アウロはもう一度ため息をこぼしたい気分になった。


 室内では赤い髪の少女が、ベッドの上に転がりつつ足をぱたぱたさせていた。

 どうも本棚から勝手に書物を引っ張り出したらしく、傍らには読破された軍記が山と積まれている。


「お前、今まで一体どこに……」

「んー? アウロの活躍を見届けた後、さっさとこっちに戻ってきたんだよ。暇な内にこの時代の書物を読んでおこうと思って」

「なら、その大量の本はもう読み終えたものか?」

「うん。それにしても、物語の中のわらわは随分カッコ良く書かれてるね。ほら、見てよ。この挿絵とかすごくない?」


 言いつつ、少女はぱっと赤い本のページを広げた。

 伝説の王アルトリウスの活躍を描いた『赤き竜王の物語』において、カンブリアの赤き竜は真紅の鱗を纏った巨竜として描かれている。

 当然のことながら、目の前でにこにこ笑っている少女とは似ても似つかない。


 アウロはコートを脱ぎ、デスクの椅子に腰かけたところで尋ねた。


「女、お前は本当に竜なのか?」

「なんだよ。まだ信じてなかったの?」


 少女は本を畳むと、ベッドの上から身を起こした。


「まぁ、いいさ。わらわはもうアウロに付くことに決めた。先ほどのやり取りで、そなたの性格も読めてきたしね」

「俺の性格?」

「うん。自分から表に出ることは好まないが、正義感が強く、騎士道精神に厚い。一方で戦いでは不意討ちも辞さず、危険と見ればすぐさま敵に背を向ける。そなたはまるで狡猾な勇者のようだ」

「それは褒めているのか?」

「褒めてるんだよ。少なくとも、他の王位継承者どもよりはずっといい」


 少女はベッドから降り、アウロの前に立った。

 その口元には人間をたぶらかす魔女のような笑みが浮かんでいる。


「なぁ、アウロ・ギネヴィウス。そなたはログレスの王になりたくないのか?」

「……興味ないな。どのみち、この国で王紋を持たない人間が王になることはできない」

「そんなことは些細な理屈だ。そなたが一言『王になりたい』とさえ言えば、わらわはそなたを主と認めよう。そして、そなたに逆らう全ての人間を紅蓮の息吹で焼き払ってやろうではないか」

「ありがたい申し出だが――他を当たれ。そんな野蛮な方法で纏められるほど、国という生き物は甘くないんだ」


 にべもない台詞に、少女はむっと頬を膨らませた。


「なんだよ! だったらなんで騎士なんかになったのさ! 他の王位継承者どもをぶっ殺すためじゃないの!?」

「喚くな。この宿舎にはその王位継承者も滞在しているんだぞ」


 アウロは疲れたように言って宙を仰いだ。

 男の体重を受け止めた背もたれが、ぎしりと軋みを上げる。


「正直に言えばな。俺も一度は王の座を目指していたんだ。この養成所で騎士になり、戦場で功を上げ、将軍の位を得れば、いずれは王座まで辿り着けると思っていた。そのために書を読み、体を鍛え、己という存在を研磨し続けてきた……」


 「だがな」と、アウロは赤く淀んだ瞳で天井を見上げた。


「だが、現実は甘くなかった。そもそも後ろ盾のない私生児が王の座につこうとすれば、自然と他の王位継承者たちが邪魔になる。もし将軍に上り詰めて軍事力を得たとしても、結局は国内でクーデターを起こし、王家の人間を排除、屈服させなくてはならない」


 深々と息をつき、


「そんなことをすれば国内の治安は乱れに乱れる。最終的に玉座を得たとしても、後に残るのが不毛の大地ではあまりにも割に合わん」

「そりゃそうだけどさ……。アウロだって警備兵が賄賂を受け取ってる姿を見ただろ? あれが今のログレス王国だよ。幹まで腐り、倒れかけた老樹。今のままじゃ、軽く一突きされただけで根本からぽっきり折れちまう」

「ああ、だから誰かが正さねばならない。しかし、それは王紋を持ったログレス王家の人間によって成されるべきなんだ。でなければ、余計に国を乱れさせるだけで終わってしまうからな」

「……なるほど、結局はそこに行き着くのか」


 がりがりと頭を引っかいた少女は、おもむろにアウロの両肩へと手をかけた。


「そなた、体に火傷の痕があると言ったな。それはどこだ?」

「何故そんなことを聞く」

「決まってるだろう。治すためだよ」

「治してどうする」

「無論、その下にある真実を露わにするためだ」


 少女は笑みを浮かべたまま、丁度向かい合う形でアウロの片膝に座った。

 肩にかけられていた手が、するりと鎖骨から下顎にかけてのラインをなぞる。

 密着した肌が妙に熱い。息が吹きかかるほどに顔を近付けられ、流石のアウロもたじろいだ。


「おい、お前……」

「わらわの体はな、間違いなくそなたをログレスの王族と認めている。なのに、そなたの体には王紋がないという。おかしいと思わないか?」

「知るか。さっさとどけ」

「いいや、どかないね。わらわの目の前には、わらわの主となるべき男がいるはずなんだ。それをみすみす逃すことなんてできるものか」


 力強い宣言と共に、少女はアウロの右腕を取った。


「――ここか」


 ビッと乾いた音を立て、シャツの袖口が破かれる。

 その下から露わとなったのは、肘から上腕にかけて走る傷跡だ。

 傷跡といっても火傷自体は完治している。ただ色素と毛根を失った皮膚が、うっすら白みがかった楕円を形成していた。


「これはそなたが物心つく前の傷だな? 恐らくは、なにか不幸な出来事によってつけられた」

「……そう聞かされている」

「ふふ、ならばいい加減、そなたも気付いているのではないか?」


 アウロは沈黙した。それは無言の肯定だった。


 正確に言えばアウロは疑っていただけだ。

 もしかしたら、そういった可能性もあるのではないか、と。

 つまり元々アウロの体には王紋が浮き出ていて、その事実を不都合とする誰かに焼かれたのではないか、と。


 ただそれを明らかにするのは彼にとって――


「恐ろしいのか、アウロ・ギネヴィウスよ」


 ふいに、少女はアウロの胸中を見透かしたかのように笑った。


「なるほど、そなたはこの傷の下に王紋がある『かもしれない』という曖昧な状況に慣れ切っているのだな。けれど、それは単なるぬるま湯だぞ。真実から目を背けているだけに過ぎない」

「簡単に言ってくれる。俺の母はな、そのくだらん痣一つで破滅したんだぞ。王の愛妾にも関わらず、王紋のない子供を産んだと非難されてな」

「不憫な話だ。だが、肉親を言い訳に使うのはみっともないと思わないか? そなたが前に進めないのは、あくまでそなた自身の責任だろう?」

「そんなことは――」


 分かってる。分かっているのだ。


 アウロは自らの右腕に走る傷跡を見た。

 その下に隠されているものを、これまで明らかにすることはできなかった。

 しかし、今この傷を癒して真実を露わにする手段があるという。

 いわば自分は人生の分かれ道に立っているのだ。


「……カンブリアの赤き竜」


 アウロはしばしの間を置いた後で、真紅の瞳へと語りかけた。


「一つ聞こう。お前の力ならばこの傷跡を治せるのか?」

「治せるよ。わらわの回復魔術を使えば、その程度の火傷の跡なんて簡単に消せる」

「だが、もしその下に王紋がなかったら?」

「たかが痣の一つくらい、別にどうでもいいさ。最初からわらわはそなたについて行くつもりだし」


 少女は迷うことなく言い切った。

 と同時に、アウロはなんとなく理解した。

 自分とこの少女は出会ってからまだ丸一日しか経っていない。

 にも関わらず、彼女は自分以上にアウロ・ギネヴィウスという人間のことを信頼しているのだ。


「何故、お前はそこまで……」

「言っただろ? わらわはブルト人の守護者、カンブリアの赤き竜。この国を護ることがわらわの存在意義なんだ」


 そこで少女はふいに自らの胸元へと手をやった。

 赤いワンピースのボタンが外され、滑らかな素肌が露出する。

 アウロはそこに、とぐろを巻いた竜の紋様が浮かんでいるのを見た。


「それは……まさか、王紋?」

「正確にはそのオリジナルだよ。ログレス王家の王紋は赤き竜の血を引いていることの証。転生体であるわらわの体にも、似たようなものが刻まれている。これでわらわが真性の竜だって分かったでしょ?」

「たかが痣一つで信じろと?」

「うん。そなたにはこっちの方が効果的かと思ったんだけど」


 意地の悪い表情を向けられ、アウロはぐっと言葉に詰まった。


 まだアウロは目の前の少女のこと完全に信用したわけではない。

 だが、徐々に信じ始めているのは事実だ。そもそも、ただの魔女が私生児であるアウロにここまで執着する必要性は薄いはず。


(くそ……情けない)


 アウロは気付いた。もはや、自分は退路のない断崖に追い込まれているのだ。

 後は崖を飛び越えるか、それとも飛び越え損ねて奈落に落ちるか。

 その二つに一つしかない。


「――分かったよ。お前の言う通りだ」


 やがて、アウロは諦めの息をこぼした。


「確かに、俺は逃げていたのかもしれない。なにかを成す前に、理由をつけて戦うことを諦めていたのかもしれない。ただ痣一つがあるかどうかなんて、些細な事実に振り回されてな」


 く、と思わず喉が鳴った。

 あのルシウスですら言っていたはずだ。

 未だに、痣のあるなしで王を決めているなんて馬鹿らしいと。


「竜よ、この傷を治せ。そして、真実を明らかにしてくれ」

「ん、本当にいいの? ここまでお膳立てしたわらわが言うのはなんだけど、その下から王紋が出てくるとは限らないよ?」

「構わない。まぁ、その時は王紋に頼れない分、お前にも協力して貰うことになるだろうがな」


 言って、アウロはどこか酷薄さすら感じる笑みを浮かべた。

 一方、少女は軽く肩を竦めると、


「やはりそなたは王の器だよ、アウロ・ギネヴィウス」


 淡い光を宿した手の平をアウロの右腕へと押しつけた。


「『我は生命の母、ドーンの癒し手なり。恵みの光よ、戦士に活力を与え給え。傷を癒し、大地より立ち上がらせ給え』」


 少女の口から祈りの声が漏れ出た途端、アウロは肉に小さな針を何本も突き刺されるような鈍痛を感じた。

 それでも悲鳴を上げるような真似はしない。眼前でフラッシュする光に、少し眉を寄せただけだ。

 やがて発光が収まった後、白ずんだ瘢痕はんこんは綺麗さっぱり消え去り、腕には真新しい皮膚だけが残された。


「よし、これで終わり。気分はどう?」


 少女の手が離れ、その下にあるものが露わとなる。

 アウロは感触を確かめるかのように、一度だけ右手を開閉させた。


「なるほど。確かにこれは……」


 思わず口元が緩んでしまう。

 アウロの瞳には、右腕に浮かんだ『それ』がはっきりと映っていた。

 赤い鱗を持ち、両の翼を広げ、ぐるりと腕全体に巻きつくような形で尻尾を伸ばした――竜の紋様が。


「単なる痣だな」

「とか言いつつ、嬉しそうな顔してるじゃないか。素直じゃないなぁ」


 「茶化すな」とアウロは少しぶっきらぼうに言った。


 だが、彼はどうしても安堵の息が漏れるのを止められなかった。

 確かにこうして見ればちっぽけで、妙な形をしているだけの痣だ。

 しかし、そう言い切れるのは実際に王紋を持つ人間だけだろう。


 今までアウロは王紋を持っていないがために、他の人間から私生児と蔑まれ続けてきた。

 彼の母にしても姦通の疑惑をかけられた挙句、精神を病んで死んでしまっている。

 その事実が根底から覆されたのだ。笑みの一つくらい浮かべたくなる。


「でも、良かったじゃない。これで問題なく他の王位継承者たちを排除できるね」

「ああ、そのことなんだが……先に言っておこう。俺の目的は王になることじゃない。ただ目的を達する過程で、国のトップに立つのが一番手っ取り早いから玉座を目指していただけだ」

「ふぅん? まぁ、わらわにとってはどっちでもいいよ。そなたがカンブリアの民を守るために戦うのであれば」

「元よりそのつもりだ。【赤き竜王】アルトリウスに誓おう」


 アウロの言葉に少女は満足そうな表情で答えた。


「ではわらわもかつての主、アルトリウス・ペンドラコンに誓おう。これよりそなたを主と認め、従者として力を尽くすと」


 少女はアウロの右手を取ると、その甲に口付けた。

 淡いピンク色の唇が皮膚の上に押しつけられる。

 その柔らかな感触にアウロは目をすがめた。


「そういえば、お前の名前はなんていうんだ?」

「名前?」


 少女は怪訝そうに顔を上げた。


「カンブリアの赤き竜。最初にそう名乗ったはずだよ」

「いや――ああ、なるほど。お前は人間の名を持っていないんだな」

「そうだね。もし呼びにくかったら適当に名前をつけて欲しいな」

「そうか。ならば……」


 アウロは少し考えた後で言った。


「お前のことはこれから『カムリ』と呼ぶ。構わないな?」

「いいよ。ちなみにその言葉、なんか意味があるの?」

「このカンブリア地方の古い名だ。以前、母から教わった」

「へぇ、アウロってひょっとしてマザコン?」


 主へ向けるにしては不躾な質問に、アウロは少女――カムリの額を小突くことで答えた。

 元々、不安定な膝の上に座っていたカムリはころんと背中から絨毯の上に転がり落ちてしまう。

 が、後頭部が床にぶち当たる寸前。その体がふっとかき消え、ベッドの上へと移動した。


「それじゃあこれからよろしくね、主殿」


 カムリは何事もなかったかのように微笑むと、細い腕をアウロに差し伸べた。

 多分、それは悪魔の契約に近いものだったのだろう。だが、アウロは迷うことなく少女の手を取った。

 かつての傷跡を消すと決めた時点で彼の腹は決まっていた。


「ああ……よろしく頼む」


 こうして、アウロ・ギネヴィウスは文字通り竜と手を結んだ。

 腐敗した王国を立て直すため。来るべき外敵からカンブリアの地を護るため。

 この日、初めて自ら戦うことを決意したのだった。

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