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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
68/107

3-23

 アウロが領地に帰還してから一ヶ月が経過した。


 ログレス東部の情勢は相変わらずだった。王国側はガルバリオンから奪い取ったモンマスに、同盟側はブランドル家の本拠ブリストルに戦力を結集させつつあるものの、両者はまだ小競り合いすら起こしていない。

 ただし、その水面下では様々なヒト、モノ、カネが絶え間なく行き交っていた。アウロ自身、領内では戦争の準備を整えつつ、時にはブリストルに赴き、南部諸侯の会合に参加している。


 また、平行してシドカムに依頼した新兵器の開発も進んでいた。

 アウロがその日、一ヶ月ぶりに工房へ赴いたのも、ある程度『見せられる形』のものができたと報告を受けたからだ。


 が、アウロは出来上がった試作品を前に思わず声を失ってしまった。


「……なんだこいつは」


 アウロが想像していたのはせいぜい、火力を増強した魔導砲や近接兵装の類に過ぎなかった。

 つまるところ機竜乗り(ドラグナー)自身が騎士甲冑(ナイトアーマー)を通じ、ガントレットで操作することのできる武器だ。

 しかし、今。工房の一角を陣取っているのは、どう見ても機甲竜(アームドドラゴン)そのものだった。


 とはいえ、一般的な機竜とは少し、いや、だいぶ毛色が違う。

 まず異常なのはその機体サイズだ。頭頂部から尾まで30フィートを越える全長というのは、空戦型機竜ファイターの中では極めて大型に分類される。

 全身のフォルムも奇抜だった。翼を折り畳んだそのシルエットは、まるで夜空を舞うミミズクのよう。

 機体のカラーリングは錆色だが、浮き上がったフレームの下からはところどころ赤い鱗が覗いていた。通常の機竜に、後から無理やり装甲を追加したようなデザインである。


「シドカム、なんだこいつは?」


 二度目の質問だ。

 アウロの傍らに佇んでいたシドカムは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張った。


「これは機甲外骨格アームドフレーム、《ラスティメイル》! カムリさんをコアユニットに用いた、兵装内蔵型モジュール式外骨格だよ! 装甲そのものに飛行装置(ライトフライヤー)魔導回路(マギオニクス)を組み込みこんだ結果、最高速度は当社比百三十パーセントに上昇! 更に、魔力直流(ダイレクトカレント)方式の推進装置ブースターを追加したことによってアフターバーナーも使用可能! 更に更に、可変翼ヴァリアブルウィングまで取り揃えてる充実の機動性能だ! 気になる武装の方は――」

「ちょっとちょっと。シドっち、先に戻ってもいい?」


 突如、工房内に響き渡る少女の声。

 シドカムは鎮座した機竜を振り返って言った。「いいですとも」


 途端、新型機らしき物体の内側からぱっと赤い光が弾ける。

 閃光が収まった後、その場に残されたのは脱皮後の蛹を思わせる錆色の外骨格だけだ。

 ヘッドの根元、先ほどまでコックピットシートがあった場所には大穴が開いていた。次いでその縁にほっそりした指がかかり、がらんどうの体内からワンピースを着た少女が外へと身を翻す。


 しゅたっ! と地面に着地したカムリは、にっこり笑顔を浮かべた。


「やぁ、主殿。驚いた?」

「……驚いたというか、まだよく理解が及びついていないんだが」


 アウロはもう一度、シドカムが開発したのであろう新兵器を観察した。


 中に入っていたカムリが消えたことで、先ほどまで機竜の形をしていたそれはすっかり空っぽの抜け殻と化していた。

 本来、魔導回路(マギオニクス)や燃料タンクが収まっている胴体は筋肉ごとくり抜かれ、全身を支える錆色の外骨格フレーム自体もまんべんなく肉抜きされている。


 ただし、単なる追加装甲と違うのはフレームの下部、腹のあたりに飛行装置(ライトフライヤー)らしきパーツが組み込まれていることだ。

 また、機体後部には動力機構が追加され、左右二対のラバールノズルと細く尖った補助尾翼テイルロンが長大なテールを挟む形で突き出ている。

 全体的に見ると機体の前部、上部は徹底的に軽量化され、下部と後部に各種機器が増設されている形だ。アウロはあまりにも変態的な構造を前に、混乱と驚嘆のうめき声を漏らした。


「確か、機甲外骨格アームドフレーム……だったな。つまり、これはドラゴン用の騎士甲冑(ナイトアーマー)なのか?」

「んー、パワードスーツってくくりで言えばそうなるかな。最初はフレームの形状を調整するだけのつもりだったんだけど、どんどん機能を追加していったら馬鹿みたいにサイズが大きくなっちゃってね。それをまた試行錯誤して、最終的に落ち着いたのがこのデザインなんだよ」

「しかし、素人目に見てもこの兵器には足りないものがあるように思えるが」

「そう。こいつには燃料タンクがない」


 シドカムは皮手袋をはめた拳で錆色の外骨格を叩いた。

 空っぽの胴内に、コツコツともの寂しい金属音が反響する。


「一応、最初は外付けの燃料タンク――増槽を追加してたんだ。でも、ただでさえ利用可能なスペースが限られてるってのに、燃料とそれを循環させるためのシステムを構築してたら、あっという間に機体重量が跳ね上がってね。その上、胴体が膨らんでエリアルールを維持するのも難しくなっちゃったんだ」

「しかし、カムリの膂力だけでこのフレームを稼働させるのは不可能だろう?」

「そりゃそうだ。人間で例えるなら、アーマーを自分の筋肉だけで動かすようなものだもの。けど、ドラゴンには尖った牙や鋭い爪、灼熱のブレス以外にも優れた武器がある」

「というと?」


 尋ねるアウロにシドカムは答えた。「魔力さ」


「元々、機竜の燃料に使われてる魔光砂だって、魔獣の持つ魔力が結晶化した代物なんだ。竜種の膨大なマナプールを持ってすれば、そのまま魔力を燃焼させるだけで2000ポンド近いアダマントの塊を空に飛ばすことができる」

「つまり、この《ラスティメイル》は――」

「ドラゴン用の超大型魔導具。そう認識してもらえると分かりやすいかな」


 一気に喋りきったシドカムは、そこで大きく息をついた。


 よくよく見ると青年の顔は以前より少しやつれ、目の下にはくままでできていた。

 どうやら、アウロが新兵器の注文をしてからこの日まで、ろくに休むことなくぶっ続けで開発作業に取りかかっていたらしい。

 既にシドカムの体力は限界だろう。しかし、そのまん丸の瞳だけは取り憑かれたような怪光を放っていた。


「う、うふ、うふふふ、ドラゴン本体の魔力を応用するって思いついた時は自分が天才かと思ったね。しかも一ヶ月でダイレクトカレントシステムを完成させて、プロトタイプのお披露目まで漕ぎ着けるなんて。こんな突飛な兵器を作ったのは多分、後にも先にも僕が初めてだろうな」


 小刻みに肩を震わせ、マッドサイエンティストじみた笑い声をこぼすシドカム。

 アウロはまともに目を合わせることもできず、小声でカムリに尋ねた。


「大丈夫か、こいつ」

「ここ一ヶ月ろくに寝てないんだ。そっとしておこう」


 カムリは諦めの表情で首を横に振った。


「でも、この兵器の性能はわらわも保証するよ。実はもう、これを着たまま何度か空を飛んでるんだ」

「ん、そうなのか?」

「って言っても、まだ三回だけだけどね。前よりスピードは上がってるし、旋回もしやすい気がする。まぁ、アーマーを脱いだ方がずっと速いんだけど」

「うぐ……確かにその事実は否定できないな」


 シドカムは痛いところを突かれた様子で眉を歪めた。


「けど、推進装置ブースターがある分、瞬間的な加速力はアーマー着装状態の方が上のはずだよ。なにより、生身とは火力の面で比べ物にならない」

「そういえば、頼んでいた武器の方はどうなったんだ? このフレームには兵装の類が搭載されていないようだが」

「武器は隣にあるよ。これも基本的には外骨格と同じく、カムリさんの魔力を消費する方式だね。ただ、現状は試作段階だから本体のフライトテストと一緒に空中兵装試験をしたいんだけど」

「構わない。すぐに準備できるか?」


 「もちろん」とシドカムは疲れの滲んだ顔で、それでも力強く頷いた。


 試作品を完成品に仕上げるためには、ここから更に試行錯誤トライアルアンドエラーが必要だ。

 そして、ログレス王国内で機竜に乗れるのは貴族のみ。ギネヴィウス伯爵領にはアウロしかいない。

 王国と対決する形に至った以上、もはやこの原則を守る意義は薄いが、アウロは自機の調整を人任せにするつもりはなかった。なにより、今は一刻も早くこの新しい『オモチャ』で遊んでみたい気分なのだ。


「あっ、そうだ」


 そこでシドカムは、ふと思い出したかのようにぽんと手を打った。


「ところで、アウロ。この機体、なんて名前で呼べばいいと思う?」

「……? 《ラスティメイル》じゃないのか?」

「それは外骨格の名前だよ。カムリさんとフレームが一体化して――一個の機甲竜(アームドドラゴン)の形態を取った時、まさか、『カムリさん』とか『カンブリアの赤き竜』とか呼ぶ訳にはいかないだろ」

「それもそうだな。これから戦争が始まる以上、きちんとした呼び名を決めておいた方がいいか」

「折角だからカッコいい名前がいいよ。アリアンロッドなんてどうかな!」

「うーん……。どう見ても、『銀の(アリアン)』って感じじゃないけどなぁ」


 シドカムは『錆色の鎧(ラスティメイル)』を前にうなり声を漏らした。


 アリアンロッドというのはこの地方における女神の名だ。

 その名が持つ意味は『銀の車輪』。生命の母ドーンの娘であり、『ドーンの系譜トゥアハー・デ・ダナン』に属する神の一柱として知られている。名前の響きはともかく、兵器の愛称としては少々ミスマッチだ。


「むぅ、じゃあどんな名前だったらいいのさ」

「もっと、こう、猛々しい感じがいいよ。ハリケーンとかタイフーンとかは?」

「駄目だね。強さと可憐さと美しさ、なにより神々しさが足りない! なんか量産機の名前みたいじゃない!」

「無茶言わないでよ。そもそも、僕は神話に詳しくないんだ」


 シドカムは軽く肩を落とした後で、アウロに水を向けた。


「アウロ、なにかいいアイディアはない? このままじゃ、君の機体がシドカムフライヤー試作二号機になっちゃうけど」

「それはいくらなんでもダサすぎるな」


 アウロは両腕を組んで考え込んだ。


 鎧を纏った竜というイメージがあるからだろうか。ぱっと思いついた名は『アイギス』だった。

 ギリシアの戦女神、アテナが持つ破邪の胸当て。カムリが神竜であることを鑑みると、なかなか悪くないあだ名のように思える。

 だが、アウロはそこにもう一捻り加えることにした。自身のルーツは――ギリシアではなくローマだ。そういえば、ローマの出身である母はフクロウの木像を自室の片隅に飾っていた。


 フクロウ。黄昏の空を舞う森の賢者。

 アテナは古代ローマの祭儀において、全く異なる名称を与えられていた。

 しかし、フクロウを聖なる鳥。自身の象徴として扱う点は同じだ。


 叡智と魔術、戦争を司る千貌の女神。その名は――


「……ミネルヴァ」


 アウロは錆色の外骨格を見つめたまま、ぼそりと呟いた。

 口に出してその名を告げると、まるで失われたパズルのピースが見つかったかのようにしっくり来る。アウロは「よし」と頷いた。


「この機体は《ミネルヴァ》と呼ぶことにしよう。なんとなく、見た目がフクロウに似ているしな」

「ふーん、大陸の神様か。……主殿、ひょっとしてお母さんのこと考えたのかな」

「しっ。カムリさん、こういう時は気づかないふりをしてあげるべきだよ」


 ひそひそと小声を交わす二人。すっかり心の底を見透かされているらしい。


 その後、アウロは《ヘルゲスト》に乗り込むため、アーマー開発用の区画に赴いた。

 昼下がりのこの時間。薄暗い室内では、ゴゲリフを始めとした技師たちが働き蜂のように動き回っている。

 順調に生産が進んでいるのか、壁際には既に十を越えるアーマーが整列していた。アウロは途中、バーナーを手にしていたドワーフ族の老人に声をかけた。


「ゴゲリ――」


 が、工房内の騒音に声をかき消されてしまう。

 眉を寄せたアウロは大きく口を開きかけた。だが直前で気を取り直し、手の平で老人の肩を叩く。


「ゴゲリフ、調子はどうだ?」

「む? おお、これはアウロ殿」


 ゴゲリフは振り向くと、顔に被っていた鋼鉄製のフェイスガードを外した。

 途端、きつい汗の臭いが撒き散らされる。老人の髭に覆われた顔は、煤のためか妙に黒っぽく汚れていた。

 額には脂が浮かび、頬には垢が堆積している。そのままゴミ箱に蹴り入れたくなるような不潔さだった。


「……お前。一体、何日水浴びをしてないんだ?」

「ざっと一週間じゃな」


 老人はつき出た樽腹を自慢気に叩いた。


「それにしても久しぶりじゃな、アウロ殿。今日はシドの坊主のところに行っておったのか?」

「ああ。ついでにこちらの進歩状況も見ておこうと思ってな」

「今のところ、問題は起きておらんよ。当面の目標は一ヶ月で五機のアーマーを完成させることじゃ。作業に慣れてくれば来月以降、もっと速いペースで完成品をロールアウトすることができるじゃろう」

「《ラスティメイル》に手を割きながらこの速さか。たいしたものだ」


 アウロはざっと工房内を見渡した。


 ギネヴィウス家は 機竜乗り(ドラグナー)が当主のみ、まともな陸戦部隊も山猫部隊(リンクス)だけと戦力的には貧弱だが、技師エンジニアの質と数だけは他家を圧倒している。

 王都で専門的な知識を習得したシドカムたちの開発グループに加え、独自の技術を有するゴゲリフらベテランの技師たち。

 更には亜人街から流入してきたドワーフ族の工匠もこれに加わっており、開発・生産方面におけるマンパワーは、ブランドル家を始めとする四侯爵すら凌駕しているはずだった。


「ところでこの新型アーマー、名前は――」

「《レパルド》。実質的には《グレムリン》の強化発展版じゃが、《グレムリンⅢ》じゃといらん勘繰りを受ける可能性もあるのでな。心機一転して新しい名称を与えることにしたんじゃ」


 ゴゲリフは壁際に立ち並ぶ真新しいアーマーを前に目をすがめた。


 《レパルド》は《グレムリン》と同じく、野太い腕と丸みを帯びたフォルムが特徴の軽量級騎士甲冑(ナイトアーマー)だった。

 機動性に特化した機体らしく、装甲は最低限だ。脚部に至ってはフレームの継ぎ目から人造筋肉繊維(ファイバーサルコメア)が露出してしまっている。

 一方、上半身は分厚い胸甲と筋肉によって肥大化しており、自重で前傾しかけたそのシルエットは獲物を狙う猫のようにも見えた。後頭部から生えた三角形のアンテナが、そのイメージに拍車をかけている。


(しかも、よく見るとこの機体……)


 アウロはそこでようやく、目の前のアーマーに本来ならありえない部位が装着されていることに気付いた。

 それは尻尾だ。《レパルド》の下半身からは、機竜のテールに似た金属製の尻尾が生えているのである。


「ゴゲリフ、この尻尾はなんだ?」

「おお、そいつはシド坊主の発案じゃよ。この《レパルド》は下半身が貧弱なのでな。バランサー代わりにテールを取り付けておる。通常は魔導回路(マギオニクス)によって制御しておるが、乗り手自身の意志でもコントロールすることが可能じゃ」

「コントロール可能といっても簡単に操れるとは思えんが……いや、待て。ケットシー族やクーシー族なら別に難しくもないのか」


 なにしろ、彼らには元々尻尾がある。ケットシー族のシドカムらしい発案と言えよう。


「この尻尾のおかげで――という訳でもないんじゃが、《レパルド》は並みのアーマーとは桁違いの突破力を持っておる。そもそも、アーマーの設計思想自体が今までの機体とは異なるんじゃがな」

「というと?」

「陸戦型のアーマーっちゅうもんは、基本的に重くて硬くて使いにくい代物なんじゃよ。だから拠点に配備されるのがほとんどで、野戦にアーマーを持ち出すなんて事態はほとんどありえんかった」

「……言われてみればそうだな」


 機甲竜騎士(ドラグーン)騎士甲冑(ナイトアーマー)といった兵器が登場したとはいえ、戦場で中心となるのは未だに生身の人間である。

 戦線を構築する上でも歩兵の数は重要だ。鈍重なアーマーだけでは小回りに欠けるし、兵站や陣地の維持にはどうしても人手が欠かせない。なにより、全てを機甲兵器に任せるには製造コストが追いつかないのだ。

 結果、アーマーは拠点防衛に回し、攻撃は人間で――という形に落ち着くのは当然の帰結だった。これが攻城戦となればまた話は別だが、機動力がモノを言う平地での戦いでは、アーマーなど単なる足手まといにしかならない。


「《レパルド》の機動力は全力疾走する馬を真後ろからブチ抜けるほどじゃ。加えて、上半身の装甲強度は《センチュリオン》に勝るとも劣らん」

「そう聞くと素晴らしい機体のように思えるが、なにか欠点はないのか?」

「ふーむ、強いて言うなら普通のアーマーと比べて制御が難しいことじゃろうな。見ての通り、この機体は上体に重心が偏っておる。また運動性が高い分、乗り手の側にもそれなりのスキルが求められることじゃろう」

「そのあたりはハンナたちに期待するしかなさそうだな」


 アウロは薄闇の中、半球型のバイザーを輝かせるアーマーを眩しそうに眺めた。


 なるほど。この鉄巨人が一列に並び、敵陣にチャージを仕掛ければ、攻城砲のごとき破壊力を生み出すことも可能だろう。

 戦場で使える駒の少ないギネヴィウス家にとって、《レパルド》による機甲歩兵部隊は陸の切り札となるに違いない。


(これを大隊規模で運用すれば、戦局そのものを動かすことさえできるかもしれんが……)


 人的資源の限られた現状では、所詮『ろう細工でできた果物』である。


 ただ、アウロも陸の戦闘に関してはそれほど心配していなかった。

 なにしろ、こちらにはブランドル家とガーランド家の騎士たちがいる。

 ガルバリオンとともに幾つもの戦場を勝ち抜いた彼らは、野戦においても一線級の実力を有しているはずだった。数が少ないとはいえ、傭兵が主体の王国軍に遅れを取るとは思えない。


 ――となると、やはり問題は空か。


 アウロは心中で呟いた。


 どれほど屈強な騎士団であろうと、陸攻型機竜(ストライカー)の爆撃には全くの無力だ。

 そして、少なめに見積もったとしても、王国が保有している機甲竜騎士(ドラグーン)の総数は同盟側の三倍を越える。


 中でも最大の規模を誇るのは、ドラク・ナーシア率いる機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)だ。

 二個大隊九十六機という圧倒的な航空戦力。配備される機竜は全て国内における最新型であり、加えて、乗り手も養成所のカリキュラムで磨き上げられたエリートたちばかりだ。

 アウロもその厄介さはよく理解しているつもりだった。なにしろ彼自身、一時は竜騎士団に籍を置いていたのだから。


「……この戦争、いかに早く竜騎士団を叩くかが勝負の分かれ目になるな」


 独白じみた台詞は金床の音に紛れ、やがてはすり潰されるようにして消えた。






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 機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)の本部は王都カムロートの中枢、王城のすぐ真横にある。


 八ヶ月ほど前、キャスパリーグ隊の夜襲によって完膚無きまでに破壊されたレイドームも、今はすっかり再建が終わっていた。

 要塞じみた石造りの壁。控えめに配置された様々な調度品。貴族の邸宅のような内装は、かつての竜騎士団本部と全く変わらない。

 だが、美しく取り繕っているのはあくまで表面部分だけだ。ブランドル家を始めとする南部の領主たちがガーランド家の残党と手を組み、王国と諸侯との間で緊迫が高まっている今、室内はひどくピリピリしたムードに満たされていた。


「おい、ナーシア様はどこにいらっしゃるんだ?」


 その日の早朝、竜騎士団本部に姿を現したのは、暗赤色のコートを着込んだ若い男だった。


 日に焼けた肌と鍛え上げられた四肢。野獣のようにしなやかな体つきを持った美丈夫だ。

 しかし、その青みがかった瞳は冷たく沈んでいる。他者を蹂躙することに慣れた捕食者の眼差しである。

 加えて、彫りの深い眉目には妙な迫力があった。鋭い双眸が放つ威圧感だけではない。左のこめかみから顎先にかけて刻まれた火傷跡が、男の横顔から歴戦の傭兵にも似た雰囲気を立ち上らせているのだ。


「おはようございます、ヴェスター殿。なにか御用ですか?」

「私の側に用がある訳ではない。あの方から呼び出しを受けたのだ」


 立ち上がった通信士を前に、男は羽虫を払うかのごとく軽く手を振ってみせた。


 男の名はヴェスター・ガーランドといった。

 機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)に所属する騎士の一人であり、【槍の侯爵】モーディア・ガーランドの一人息子である。


 もっとも彼は本来、ガーランド侯爵家の傍系に属する人間だった。

 叔父であるウィリアム・ガーランドが王家に反旗を翻し、ガルバリオン共々誅伐されたのがつい先日のこと。

 これに伴い、モーディアとヴェスターの親子にはそれぞれ新たに爵位と領地が与えられていた。


 特に主君を見限り、背後から不意討ちを仕掛けることで王国が大勝する切っかけを作ったモーディアは、兄が保有していた領地だけではなく、ガルバリオンの本拠であるモンマスまでも自らの支配下に収めていた。

 その息子であるヴェスター自身、別個に20000エーカー近い領地と伯爵の位を授けられている。父のオマケ扱いとはいえ、客観的に見れば破格の恩賞だ。

 おかげでヴェスターの立場も一変した。今や彼は冷や飯食らいの零細貴族ではなく、この国で最も力を持つ列侯の一人なのだ。


「で、ナーシア殿下はどこに?」

「作戦会議室にいらっしゃいます。ファーガス卿もご一緒です」

「分かった。――ああ、それと貴様」

「なんでしょうか」

「次からは私のこともガーランド卿と呼べ。良いな?」


 ヴェスターは一方的に告げると、返事を待たずにその場を後にした。


 硬い靴底が、磨き抜かれた大理石の上で乾いた音を立てる。

 肩で風を切って歩く男の背中からは、みなぎる自信――ともすれば、慢心と取られかねない気配が見え隠れしていた。

 なにしろ、ヴェスターはようやく分家の長男という鬱屈した立場から解き放たれたのだ。結果、彼は童貞を卒業した若者のごとくいきり立っていた。


「ガーランド卿か。悪くない響きだ……」


 くふ、と口元に笑みが浮かぶ。

 火傷のためか、傍から見るとひどく凄惨な笑みだった。


 やがて、ヴェスターはタイル張りの廊下を抜け、両開きの大扉の前に辿り着いた。

 この奥まった場所にあるスペースが竜騎士団本部の作戦会議室だ。ヴェスターは分厚いモミの木の扉を軽くノックした。


「失礼します。ヴェスター・ガーランド、ただいま参りました」

「来たか。入れ」


 短い命令に、ヴェスターは戸を押し開けることで答えた。


 だだっ広い室内には巨大なリング状の円卓が置かれていた。

 壁際には書棚が並び、部屋の奥には赤い竜を描いた国旗と、国内の各都市、詳細な地形、名所旧跡などを記した地図が貼り付けられている。

 目当ての人物――胸に一輪の薔薇を差した男は、円卓の最も入り口から遠い位置に座っていた。その背後には筋骨たくましい禿頭の巨漢が、直立不動の姿勢で控えている。


「早かったな、ヴェスター」

「いえ」


 ヴェスターは背筋を伸ばし、かしこまった。


 モンマスでの戦いを経て、貴族社会における待遇が見違えるほど良くなったヴェスターだが、それでも『格』という点では目の前の男に遠く及ばない。

 機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)団長、ドラク・ナーシア。新王マルゴンが兄弟の中で唯一、絶対の信を置いている将だ。また、ガルバリオン亡き今は王弟である彼が、王国派諸侯のまとめ役を果たしていた。


「怪我の具合はどうだ? 半月前に治療院を出たばかりと聞いたが、あまり経過が良くなさそうだな」

「……まぁ、そうですね」


 ヴェスターは顔を縦断する傷跡を忌々しそうになぞった。


 この火傷痕は元々あったものではなく、つい最近できたものだった。

 モンマス上空の戦いにおいて、ヴェスターはブランドル領に逃げるガルバリオンの妻リアノンと、その娘アルカーシャの追撃に当たった。

 だが、この際に南部諸侯同盟の機甲竜騎士(ドラグーン)と遭遇し、アルカーシャを取り逃がした挙句、自身もアウロの手で撃墜されてしまったのである。


 危ういところで一命は取り留めたものの、ヴェスターの顔には一生消えない傷跡が残った。

 じくじく痛む火傷はまるで烙印のようだ。ヴェスターはあの時のこと――無様に敗北した記憶を脳内で蘇らせると、今でも(はらわた)が煮えくり返るような気分になった。


「治療は一段落しました。しかし、まだ傷がうずくのですよ。あの男の手で地面に叩きつけられ、熱されたヘルムの中で自らの肉が焦げていく音を、為す術もなく聞いていた時のことを思い出すと……」


 絞り出された声にはドス黒い怨念が滲んでいる。

 ナーシアは「そうか」と呟くと、口元に密やかな笑みを浮かべた。


「なら、丁度いい。ヴェスター・ガーランド。お前に雪辱を晴らす機会を与えてやろう」

「なんですと?」

「話をしよう。そのためにお前を呼んだんだ。とりあえず、座りたまえ」


 ヴェスターは「はい」と頷き、ナーシアの言葉に従った。


 リング状の円卓を挟み、三人の男は向き合う。他に人がいないため、室内は妙に広々としている。

 沈黙の中、最初に動いたのはナーシアではなくその背後に控える大男だった。

 竜騎士団副団長、エドガー・ファーガス。岩塊を荒々しく切り出したような風貌の男は、懐から取り出した長っ細い指揮棒で地図の一点を指し示した。

 ヴェスターは頭の中で文字を読み上げた。ブリストル。ブランドル家の本拠地だ。


「さて、本題に入る前にまずは状況を整理しておきたいのだが――」


 ナーシアはテーブルの上で手を組んだ。喋るのは彼の方らしい。


「我らの敵となった南部諸侯同盟は現在、ここブリストルに戦力を結集させつつある。賊軍には先の戦闘で敗れたガーランド家の残党も合流しており、ベルンたち黒近衛の連中が調査した結果、総勢で三千近い兵力が都市内に留まっていることが分かった」


 次いで、指揮棒の先端がその北部を指し示す。


 ブリストルの北部には河口が存在している。グロスターから流れるセヴァーン川が海に流れ込み、海峡を形成しているのだ。

 このブリストル海峡の対岸にはカエルディブ港があり、王都カムロートはそこから北に向かって三日ほどの距離にあった。


「ブリストルの北には、ランドルフ家の本拠グロスターがある。ランドルフ家全体で動員可能な兵力は五千から一万といったところだろう。ただ、カーシェン・ランドルフは中立を宣言しているので今は無視していい」

「よろしいので? 王城内ではあの日和見主義者どもを成敗すべき、という意見も出ていると聞きますが」

「構わん。というより、放置せざるをえんのだ。賊軍とランドルフ家が手を結べば厄介なことになるし、東のサクス人どもに対する防備も必要だ。今は連中を泳がせておくのが一番だろう」

「絞め殺すのは後で、ということですな」


 納得したように頷くヴェスター。やや間を置いて、エドガーが指揮棒を東から西へと移す。


「グロスターの西にあるのはモンマス……。まぁ、地理的な要素に関してはいまさら説明するまでもあるまい。今は対同盟用の前線基地としての役割を果たしていて、常時五千名以上の兵が都市の近郊に布陣している」


 もちろん、喋っているのはナーシアだ。


「つまり現状、我らが同盟に攻めこむ場合は一度モンマスで軍容を整え、グロスターを経由してブリストルに向かう必要がある。しかし、その場合はモンマスの東に広がるデーナの森と幾つかの河川が邪魔だ」

「でしょうな。デーナの森には凶悪な魔獣が出ますし、アーマーを輸送しながらセヴァーンの大河を渡るのは至難の業です。浮揚魔導船(エアロバーク)でもあれば話は別ですが」


 ヴェスターは大げさに肩をすくめた。


 地図の上で見ると、王都カムロートとブリストルはごく近いように見える。

 が、実際のところ、両者の間には自然の要害――ブリストル海峡が横たわっており、この二大都市を行き来するには大きく陸路を迂回する必要があった。

 海を渡ろうにも、浮揚魔導船(エアロバーク)を保有しているのは一部の商人や貴族だけ。軍事費のほとんどを空軍の維持に割り振っているログレス王国は、海軍どころか物資運搬用のガレー船にすら困る有様だった。


 ――とはいえ、


 逆に言えば、一部の人間には海運の手立てがあるということだ。


「既に、ブリストル攻略を目標とする作戦は幾つか立案されている」


 ナーシアはぎしりと椅子の背もたれを軋ませ、


「その中で支持を得ているものは三つ。まぁ、一つ目は策とも呼べん代物だ。王都で兵をまとめ、陸路を経由し、大軍でもって賊軍を掃討する。岩塊に対して握り拳を叩きつけるかのごとき蛮行だよ」

「ある意味、分かりやすい戦法ですな。では、残る二つは?」

「二つ目は空軍を用い、諸侯同盟を名乗る連中全てに圧力をかける作戦だ。我が機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)機甲竜騎士(ドラグーン)部隊によって制空権を奪取し、敵の主要都市に絨毯爆撃を仕掛ける。後は相手が音を上げるのをのんびり待つという寸法だ」

「ほほう。先ほどのやり方に比べると相当に文明的ですね。しかし、戦功を竜騎士団内で独占するような形になれば、それを快く思わない連中が現れるのでは?」


 ヴェスターは鋭い顔立ちに薄ら笑いを浮かべた。


 機竜乗り(ドラグナー)の多くは短気かつ直情的で、お世辞にも頭の回転が速いとは言えない者がほとんどだ。

 が、ヴェスター・ガーランドは例外だった。この男は機を見るに敏で、高度15000フィートの上空においても冷静に打算を働かせることができる。

 だからこそ、竜騎士団内で大隊長の座に上り詰めているし、ナーシア以外では唯一骸装機(カーケス)の保有を許されている。団でエースの称号――つまり、十機以上の機甲竜騎士(ドラグーン)を撃墜した証を持つのも、ナーシアとヴェスターの二人だけだった。


「なにしろ、宰相に追従する貴族のほとんどは、爵位をカネで買った商人上がりの豚どもです。あの成金集団が機竜に乗れん以上、機甲竜騎士(ドラグーン)を中核に据えた作戦など認められますまい。地上にへばりついているだけの虫けらとて、餌を食べる機会くらいは欲しいでしょうからな」


 自らの考えをつらつらと並べ連ねるヴェスターに、ナーシアは「辛辣だな」と苦笑をこぼした。


「だが、お前の指摘通りだ。既に宰相からは代替案が提示されている」

「プランA、プランBと来て次はプランCですか。どのような作戦なので?」

「これまた単純な策だよ。海を渡るのさ。ブリストル海峡を縦断し、カエルディブ港から直接ケルノウン半島を目指すんだ」


 ナーシアの背後に控えた大男は、王都の南にある港湾から、ブリストルの南西に突き出た半島へと指揮棒の先端を移した。


「丁度、ケルノウン半島の北岸にはヘイルという港街がある。我々は浮揚魔導船(エアロバーク)を用いてそこに陸戦部隊を揚陸させ、半島を制圧。次いでモンマスにいる軍を南下させて、南北からブリストルを攻めるという寸法だ」

「ほう、挟み撃ちですか。私としてはそちらの策の方が心躍りますな。しかし、肝心の魔導船をどこから調達するので?」

「モグホースを始めとした商人貴族どもが協力を申し出ている。連中の持つ船を借り受ければ、兵を輸送するのに十分な数を揃えられるはずだ」

「ならば、いっそのこと直接ブリストルに接舷してしまえば良いのでは?」

「流石にそれは無理だ。連中の魔導船はあくまで商船がベースで、軍用の装甲戦艦とは根本的に設計が異なる。船体が木で作られている以上、魔導砲の一発でたやすく炎上してしまうだろう」

「フーム……。だからこそ、兵の少ないケルノウン半島を狙う訳ですか」


 ヴェスターは納得したように言った。


 現在、ケルノウン半島の西半分を支配しているのは、先の論功行賞で伯爵に叙されたアウロ・ギネヴィウスだ。

 が、彼は元々男爵であり、領地に見合っただけの人材――特に軍事力は保有していないはずだった。

 また私生児という立場上、縁戚関係のない他家から兵を借りることも不可能。元より、同盟はブリストルに兵力を集めている真っ最中だ。僻地の防備が手薄になっていることは想像に難くない。


「さて、ここからがようやく本題だ」


 ナーシアは円卓からわずかに身を乗り出し、


「プランBはともかくプランCは、『ケルノウン半島の防衛力が貧弱である』という前提で成り立っている。が、この策を読んだ賊軍がヘイルの港街を要塞化していないとも限らん」

「ならば斥候を飛ばせばいいのでは?」

「元よりそのつもりだ。が、私としては今のうちに奴らの持つ航空戦力も調べておきたい」

「となると、機甲竜騎士(ドラグーン)による強行偵察が妥当ですが……」


 そこで男はようやく事情を察した。

 先ほどナーシアは『雪辱』という言葉を口にしたはずだ。そして、ケルノウン半島の領主はあのアウロ・ギネヴィウス――

 ヴェスターは醜く糜爛(びらん)した傷跡が、無意識の内にうずき出すのを感じた。


「ああ、なるほど。そういうことですか」


 口元に笑みが浮かぶ。残虐な、狩人の笑み。

 ヴェスターはある種の確信とともに尋ねた。


「つまり殿下は大胆にも、その偵察任務に私と、私の部隊を割り当てるおつもりなのですね?」

「その通りだ」


 鷹揚に頷くナーシア。竜騎士団団長は間を置かず、言葉を続けた。


「お前たちボルテクス中隊には港街ヘイルへの強行偵察任務を与える。陸攻型機竜(ストライカー)を伴ってヘイルの港湾施設を攻撃し、敵の対空防衛能力と、可能ならば敵機甲竜騎士(ドラグーン)部隊の規模を調査しろ」

「了解です。迎撃に出てきた連中が雑魚だった場合は、返り討ちにしてしまってもよろしいので?」

「そのあたりはお前の判断に任せる。私の注文は一つだけだ」

「というと?」

「もしアウロが出てきたら必ず殺せ」


 冷然と言い放つナーシアを前に、ヴェスターもふっと笑みを消した。


 ヴェスターは斧の反乱の際、ガルバリオンとともに戦地へ赴いていた。

 だが、王都で起きた事件の顛末は耳にしている。カムロートに残った竜騎士団に、当時まだ養成所の訓練生だったアウロが参加していたことことも。

 そして、あの男はカラム・ブラッドレイ率いる『斧の騎士』との空戦で、幾度かナーシアの危機を救っているのだ。王都を襲撃したダグラス・キャスパリーグを追い詰め、これを討ち果たしたのもアウロのはずだった。


「……よろしいので?」


 ヴェスターはナーシアの白面をじっと見つめる。

 言外に込められた意味を、しかし、男は取り合うことなく黙殺した。


「ヴェスター、お前とて理解しているはずだ。ああいう手合は味方でいる内は心強いが、敵に回るとこの上なく面倒な存在になる。速い段階で潰しておかねば、いずれこちらが足をすくわれてしまうだろう」

「同感ですな。やや情に脆い面もありますが、アウロの機竜乗り(ドラグナー)としての腕前は私以上です」

「正攻法で倒すには厳しい相手か?」

「はい。ですが、不可能ではありません」


 ヴェスターは不敵な表情とともに宣言した。


「戦争というのはチームプレイです。どれほど優れたエースでも、それが個人の力である以上は限界があります。我ら『蒼い旋風(ブルーボルテクス)』の実力ならば、奴を正面からすり潰すこともできるでしょう。――殿下もそうお考えになったからこそ、私をここに呼び出したのでは?」

「無論だ。敵のエースを叩く以上、こちらも最強の手札を切らざるを得まい」


 ナーシアは事もなげに吐き捨てた。しかし、その指先はこつこつと円卓の端を打っている。

 表面上は平静を装っているナーシアも、内心ではかなり苛立ちを募らせているようだった。

 ヴェスターはその要因について考えを巡らせようとした。しかし、それを遮るように男は鋭い声で告げた。


「とはいえ、念のためだ。お前たちボルテクス中隊には先日、王立航空兵器工廠(アーセナル)で開発された新型機を配備する」

「新型機? 初耳ですね」

「養成所の訓練生が製造した、《ホーネット》という試作機をベースに開発された機竜だ。ソフィアの話によれば、その機動性、運動性は現行機よりも格段に向上しているらしい。まだ先行量産型がロールアウトされた段階だが、賊軍との戦いが本格化すれば、順次この新型を《ワイバーン》と置き換える形となるだろう」

「ちなみにその新型、なんというニックネームなのです?」

「《フューリー》だ」


 『怒り』を意味する言葉である。同盟との戦端が開かれつつある現状では、あまりにも直接的過ぎる愛称のように思えた。が、ヴェスターは気に入った。


「ケルノウン半島へ向かうのは、新型機の慣らし運転が終わってからだ。とはいえ、あまり悠長に構えている時間はない。作戦決行は二週間後を予定している」

「随分と性急ですね」

「これはあくまで偵察任務だということを忘れるな。次の作戦のための布石は早めに打っておきたい。王国はまだまだお前たちの力を必要としている。……間違っても引き際を誤るなよ、ヴェスター」

了解ラジャー。過分なお言葉、感謝いたします」


 ヴェスターは立ち上がると、芝居がかった動作で一礼した。


 それから、彼は正式な命令書を受け取った後で室内を辞した。

 石畳を歩く足取りは羽のように軽い。そのまま地面から飛び立ってしまいそうだ。

 ヴェスターは手の平で口元を押さえた。それでも、指の間からは殺しきれない音が漏れ出た。


「く、ふふ……」


 笑い声だ。監獄の奥から響くような、暗く、歪んだ忍び笑い。

 腫れ上がった火傷痕がじくじくとうずく。だが、その痛みがヴェスターにはひどく心地よく感じられた。

 彼の精神はもはや正常ではなかった。男の血走った目はある種の狂気をはらんだまま、ここではないどこか遠くを見つめていた。


「待っていろよ、アウロ。必ず。お前に必ず、この傷の借りを返してやる……」


 つり上がった唇から、弾むような調子で呪詛がこぼれる。

 歓喜と憎悪に身を焦がしながら、ヴェスター・ガーランドは降ってわいた復讐の機会を神に感謝した。

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