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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
61/107

3-16

【もー、この二日間、暇で暇で仕方なかったよ】


 寝起きの脳内に、甲高い少女の声がこだまする。


 モンマスへと出立する日の朝だ。

 空は少し曇っている。灰色の雲底は今にも愚図り出しそうなくらいゆらゆら揺れている。

 アウロはインナースーツの上から革のフライトジャケットを羽織った格好のまま、ブランドル家の保有する飛行場に来ていた。

 すぐ真横にそびえているのは機竜に姿を変えたカムリだ。アウロは風防とコックピットシートの間から伸びている手綱を取り、彼女を滑走路にほど近い駐機場エプロンへと曳行していた。


【この姿のまま、誰とも話せないし身動きもできないんだもの。おまけに、食事もあのクソまずい砂みたいなのだし……。もうあと一日この状態だったら、ストレスで鱗がハゲるところだったよ】


 ぶつくさと文句を言うカムリに、アウロは「悪かったよ」と素直に謝罪する。


 アウロはこのブリストルまでカムリに乗ってやって来た。

 だが、目的地に到着したところで、彼女はブランドル家の敷地内にある機甲竜(アームドドラゴン)用のハンガーへ移送、搬入されてしまったのだ。

 姿形が機竜を模しているのだから、当たり前といえば当たり前の処置である。おかげで、人間形態に戻るタイミングを失ったカムリは丸二日間、格納庫の中に居座りっぱなしだったらしい。


「それより、ブランドル家の技師に中を調べられなかったか? 触るなとは言ってあったんだが」

【うん、大丈夫だったよ。興味深そうにじろじろ見てたけど、それだけ】


 そう答えるカムリの装甲は、以前と比べてややくすんだような色合いに変わっている。


 あの真っ赤なカラーリングは諸侯の不興を買う恐れがあるため、ここへ来る前に塗料で色を塗り替えておいたのだ。

 といっても、せいぜい眩い真紅から黒っぽい錆色に変わっただけに過ぎない。当のカムリは怒るかと思いきや、逆に「主殿の髪の色とお揃いだ」と喜んでいた。


【ところで主殿、モンマスに行くって言ってたけど別に戦う予定はないんだよね】

「今のところはな。それに俺自身、まだ《ヘルゲスト》の操作に慣れていない。戦闘はできるだけ避けたいところだ」

【あのアーマー、カッコいいよね。前までのは上に乗せてると重くて動きづらかったけど、あれはかなり軽く感じるよ】

「総重量は変わっていないはずだが……ああ、いや。機体が大型化している分、バランスが取りやすいのか」


 などと雑談をしている内に、アウロは目的地へと到着する。


 滑走路に併設された戦闘駐機場アーミングエリアには、既にアウロの《ヘルゲスト》を含める四機のアーマーと、インナースーツに身を包んだ三人の機竜乗り(ドラグナー)

 そして、明らかに骸装機(カーケス)と分かる三機の機竜が轡を並べていた。シドカムが見たら涙を流して喜びそうな光景だ。


「よーう、遅いぞアウロ」

「すまない」


 アウロは謝りつつ、オレンジ色の装甲を持つ機竜の隣にカムリを停止させた。

 すぐさま、《グリンガレット》の主であるルシウスがそれに目を留める。


「これ、色は微妙に違うけど前にアウロが使ってた骸装機(カーケス)だよね」

「そうだ。といってもアフターバーナーは使えない。特殊な魔導兵装も持っていない半端な機体だが」

「そういや、殿下との決闘の時もアフターバーナーを使ってなかったな。骸装機(カーケス)って言っても欠陥品みたいなもんか」

【むっ、それ別にわらわの責任じゃないもん! その気になったらお前らの機体なんて軽くぶっちぎれるんだからな!】


 すぐさま、ジェラードの言葉に反発するカムリ。

 頬を膨らませている姿が目に見えるようだ。やはり、ドラゴンにはドラゴンなりのプライドがあるらしい。


「ええと、まずは自己紹介をしてもいいですか?」


 と、そこで棒立ち状態だった四人目が口を挟む。


 アウロはジェラードの隣に佇む女性――いや、少女へと視線を向けた。

 幼い顔立ちから察するに、恐らく年齢は十代後半。十七、八あたりといったところか。

 彼女はスカートの端をつまもうとし、それから自分がアーマー用のインナースーツであることに気付き、数秒間、迷子の如く手を空中にさまよわせた後で、気をつけの姿勢のまま一礼した。


「はじっ――は、はじめまして、ケルノウン伯。ブりゅ……リストル候カーシェンの娘、クリスティア・ランドルフです!」

「……はじめまして」


 アウロはやや面食らったまま答えた。カムリも【かみかみだね】と呟く。


 クリスティアは羊毛のようにふわふわした髪を持つ、あまり特徴のない女性だった。

 カムリほど顔立ちが整っている訳でもなく、アルカーシャほどスタイルがいい訳でもなく、ルキほど肌が綺麗な訳でもない。

 一言で言うなら、『ごく普通の少女』だろうか。ただ、ブラウンの瞳には強そうな意志の光が宿っていた。今は羞恥のせいで顔色は真っ赤、目の端に涙が浮かんでいる状態なので色々台無しだが。


「おやおや、ランドルフ家のご令嬢は挨拶一つまともに言えんらしい」

「うっさいわね。初対面の人と話すのは苦手なのよ」


 煽るジェラードにクリスティアも小声で反撃する。

 どうやらこの二人は既に知己の関係のようだ。アウロは尋ねた。


「ジェラード、クリスティア嬢とは知り合いなのか?」

「ん? そりゃ、家が近いからな」

「お隣さんみたいに言わないでよ……。近いって言っても、ブリストルからグロスターまでは20マイル近く離れてるじゃない」

「細かいことは気にすんな。そういえば、この場でクリスと面識がないのはアウロだけか」


 ジェラードはルシウスを一瞥し、


「殿下は確か、王都でクリスとデートをしてたはずだしな。顔を合わせたのはその時が――」

「初めてだよ。でも、あれはデートって呼べるようなものじゃなかったな」

「そうですね。そもそも、あれは父さんがモリアン様との間で勝手に決めちゃったことですし。まぁ、今回の件もなんだけど……」


 ぶつくさ言いつつ、クリスティアは自分の格好を見下ろす。


 少女の身を包んでいるのは、クリームを溶かしたような色のボディスーツだった。

 デザイン自体は男性用のものとほとんど同じだが、股間だけではなく胸にも金属製のアタッチメントが取り付けられているのが特徴だ。見ようによっては軽鎧ライトアーマーとインナーの組み合わせに見えなくもない。


 ただし、体のラインが浮き出てしまうのはどうしようもなかった。

 柔らかそうなうなじ。腰のくびれ。丸みを帯びたヒップ。肉付きのいい太股。

 これら全てが桃の薄皮一枚に包まれ、白日の下に晒されている。年頃の少女にとってはなかなか覚悟のいるコスチュームだろう。


「それにしてもエロいよな、その服。最初、見た時は新手の羞恥プレイかと思ったね」

「うっさい」


 下品な冗談を飛ばすジェラードを、クリスティアは肘でどついた。


(……しかし)


 アーマー用のインナースーツを着ている、ということは彼女が今回のフライトに同行するランドルフ家の使者で間違いない。


 現状、ログレス王国において女性の機竜乗り(ドラグナー)は極めて稀だ。

 そもそも、機甲竜騎士(ドラグーン)の運用自体が貴族に限定されている現状、侍女にかしずかれて育つ上流階級の娘が肉体を鍛え、機竜を駆り、槍を振り回して戦う局面など、ほとんどありえないのだ。例外はガルバリオンの娘アルカーシャとその母リアノンくらいだろう。


「ランドルフ家に女性の機竜乗りがいたとは知らなかった。しかも御息女自らが駆けつけるとは」

「私も本当は戦場になんて立ちたくないんですけどね……」


 とクリスティアは疲れたような顔で言った。


「実は父さんを含め、ランドルフ家の男はみんな機竜に乗れないんです」

「何故だ? なにかジンクスのようなものがあるのか?」

「いえ、単なる高所恐怖症です。って聞かされてますけど、本当は危険な空で戦うのが嫌なんじゃないでしょうか。なので私が派遣されました。ただ、私は凡愚なのでアルカみたいに前線で切った貼ったをするのは期待しないで下さい。所詮、最低限の基本戦闘機動ベーシックファイターマニューバしか習得してないペーパードラグナーです」

「アルカーシャを知っているのか」

「私の親友です。アウロさんのことは彼女の口からよく聞いています」


 クリスティアはにっこりと微笑んだ。どこか含みのある笑みである。

 アウロは一瞬、追求しようかと迷ったが、その前にジェラードがぱんぱんと両手を打ち鳴らす。


「よし、じゃあ自己紹介も終わったし早速出発しよう。先頭は殿下にお願いするとして、セクションリーダーは……」

「俺がルシウスの僚機ウィングマンになろう。三番機はお前に頼みたい」

了解ラジャー。なら、二番機はアウロ。三番機は俺。四番機はクリスだ。クリス、戦闘編隊は分かるな? フィンガー・フォーだ。お前のパートナーは俺だから空ではぐれるんじゃないぞ」

「流石にそこまで下手くそじゃないわ」


 とむくれるクリスティア。どうもこの二人はあまり仲が良くないらしい。


【大丈夫かなぁ、こんなデコボコな組み合わせで】

【一応、今回のフライトに参加する四機はお前を除いて全て骸装機(カーケス)だ。巡航速度を合わせるのは難しくないはずだが……】

【ガレットちゃんは知ってるけど、見たことないのも二ついるね。あれ、なんていうの?】

【ブランドル家の《ブリガディア》と、ランドルフ家の《ブリリアント》だろう】


 言いながら、アウロは駐機場エプロンに並ぶ二機の機竜を観察した。


 《ブリガディア》は鋼玉のような鈍色の外甲に包まれた機竜だ。

 機体のフォルムは非常にエッジの尖ったものであり、その鋭いシルエットは一本の剣のようにも見える。

 また重装甲化に伴ってか、機体自体が大型なのも特徴だ。猪のようなヘッド、竜鱗を幾重にも纏ったボディ、不揃いの刺棘スパイクの生えたテール。肉厚のウィングは一般的な機竜の倍近くある。まるで鋼鉄の要塞だった。


 逆に、ランドルフ家の《ブリリアント》は他の機竜よりも一回り小さかった。

 装甲は水晶のように白く透き通った代物で、機体全体が丸みを帯びたコンポーネントで統一されている。

 翼の形はカモメ型――いわゆる、ガルウィングである。短めのテールと相まって、少女らしい可愛らしさを感じるデザインだ。傍らに置かれたライフルとシールドもどことなくファンシーに見える。


【うーん、鉄っぽいのは強そうだけど。白いのはなんだか観賞用って感じだね】

【実際、中身が空っぽのインテリア用の機竜もなくはないが……《ブリリアント》はれっきとした戦闘型機竜ファイターだ。地竜の骸装機(カーケス)で、見た目よりずっと防御力が高い】

【地竜? でも、地属性って感じはしないよ?】

【あの半透明の装甲は鉱物が結晶化した代物なんだよ。地竜の中でも宝石種と呼ばれるタイプで、ルビーやサファイアなど幾つかバリエーションがあるはずだ】


 と説明している間に、ルシウスたち三人はさっさと自身のアーマーに搭乗していた。

 一足遅れて、アウロも《ヘルゲスト》の扉の如く左右に展開したコックピットに乗り込む。


 すぐさまキャノピーが閉じ、魔導回路(マギオニクス)が起動した。

 疑似脳とのリンクスタート――クリア。機竜側の回路、動力機構、飛行装置(ライトフライヤー)の起動プロセスはカット。当たり前のことだが、カムリにエンジンや飛行補助装置の類は積まれていない。動かせるのはアーマー側の機器だけだ。

 アウロはディスプレイに浮かぶ計器類に目を凝らした。速度計、高度計、昇降計、姿勢指示器、旋回計、方位情報指示器、垂直状況指示器、搭載燃料、火器管制ファイアーコントロールシステム、筋肉駆動系制御ファイバーアクチュエーターコントロールシステム、全て問題なし(オールグリーン)


 暗闇の中で目を閉じる。

 外観が細身の割に機体内部はそれほど息苦しく感じない。むしろ、アーマーそのものが搭乗者の体にフィットしている分、《センチュリオン》より居住性が向上しているように思える。

 瞼を開ける。バイザーには既に外部の風景が描き出されている。視界の端ではルシウスからの通信を告げるアラートが点灯していた。次いで、この場にいる四人の回線が一本に共有化される。


『ところでアウロ、そのアーマーなんなんだい? 僕たちの《センチュリオン》とはだいぶ違うみたいだけど』

「シドカムが作った試作機だ。《ヘルゲスト》といってな。俺の体に合わせてチューニングをしてあるらしい」

『ひゅぅ! つまり最新型のアーマーってことか! カッコイイねぇ』

『無駄口叩いてないでさっさと出るわよ。今日は昼から天気が荒れそうだから、それまでにはモンマスに着きたいわ』


 クリスティアはそう漏らしつつも、危なげなくアーマーを操ってコックピットシートにまたがった。

 アウロとは違い、ルシウスたちの騎士甲冑(ナイトアーマー)は全て《センチュリオン》を機竜と同色のカラーリングに塗り替えた、没個性的な代物だ。

 当然、装備も画一的である。背中に紋章を刻んだマントルを羽織り、両腕甲に武器とシールドを携え、予備のブレードを腰にマウントしている。

 ただし、クリスティアのみ主兵装メインアームとしてガンランスではなくライフルタイプの魔導砲を装備していた。《ブリリアント》はナーシアの《ラムレイ》と同じく、自らチャージを行うことを想定していないのだろう。


『さて――それじゃあ行くよ。ドラク・ルシウス、《グリンガレット》出撃する!』


 編隊長ディヴィジョンリーダーであるルシウスに続き、三機の機甲竜騎士(ドラグーン)が次々に機首を持ち上げ、飛行場を滑走して空へと舞い上がった。


 本日は曇天である。青白く輝く空の大半を灰色の濃密雲が覆っている。うねる雲気はまるで本物の海のようだ。

 風もそれなりに吹いているようだが、飛行に影響があるほどではない。今のところは、アーマーを固定するワイヤーが軋んでいる程度。

 が、こういった天候の場合、後々荒れ模様になることも多かった。アウロはそれを経験上よく知っている。


(さて……)


 アウロは《グリンガレット》の左後方、200フィートほどの位置に付いたまま、ちらりと背後を確認した。

 先頭を突っ走るルシウス機の右後ろにはジェラードの《ブリガディア》が、更にその後ろにはクリスティアの操る《ブリリアント》が渡り鳥よろしく続いている。

 アウロ、ルシウス、ジェラードの三人は全員養成所の出身だから、編隊飛行にも淀みがない。僚機と適度な間隔を保ったまま、巡航速度を維持している。


 一方、不安なのはクリスティアだ。

 彼女の機竜は先ほどから、前に飛び出ようとしたり後ろに遅れそうになったりと、酔っぱらいの如く落ち着きがなかった。

 挙句の果てにはバランスを崩したのか、ウィングを左右にふらふらさせている。まるっきり、空に上がったばかりの新兵の動きだ。


『おーい、大丈夫かいお嬢ちゃん。ちゃんと歩けないならお手てを繋いでエスコートしてあげようか?』

『ちゃ、茶化さないでちょうだい。少し慣れるのに時間がかかってるだけよ』

『ならいいんだがね』


 焦りを滲ませた声に、ジェラードは苦笑をこぼす。


『いいか、無理にハーネスとペダルだけで機体を制御しようとするんじゃない。重要なのは全体のバランスだよ。重心は低く、遠くの目標に視点を定めて、翼をそれと水平に保つようにするんだ。ほら、あのでかい入道雲なんていい』

『口で言われてもどれだか分からないわ。大体、今日は雲が一杯あって選びにくいのよ』

『……昔から女をドラゴンに乗せない方がいいというが、なんとなくその理由の一端が分かった気分だね。クリス、お前今まで何回空を飛んだことがあるんだ?』

『五回』


 耳を疑うような台詞である。ジェラードは呆れ気味に呟いた。


『ただの初心者じゃねぇか』

『ジェラード、ちょっと黙ってて。やり方を変えるから』


 クリスティアはひどく張り詰めた様子でそう告げた。


 途端、背後から唐突に白い光が漏れ始める。

 アウロは首を巡らせて僚機の様子を確認した。光源はクリスティアの《ブリリアント》だ。

 半透明の水晶に包まれた竜が、内側から七色の輝きを放つ様子はこの上なく幻想的である。カムリは【わぁ、綺麗だね】と毒にも薬にもならない感想をこぼした。


『その、クリスさん。なにかおかしなボタンを押さなかった?』

『ルシウス殿下まで私をドジっ子扱いするのはやめて下さいよ! これは《ブリリアント》に搭載された魔導兵装です!』

『で、効果はなんだ? ピカピカ光るだけか?』

『違うわ。レーザー……光の反射を使って周囲の地形を測量してるのよ。こっちで取れたデータ、皆さんのところにも送りますね』


 とクリスティアが言った直後、バイザーの右端に半球状の立体地図が表示される。

 索敵用の大型アンテナで測定したものと同じ――いや、それ以上に精密な標高モデルだ。

 しかも魔力波を用いたパルスレーダーとは違い、眼下の地形だけでなく雲の分布までもが映し出されている。観測範囲が狭いとはいえ、単騎でこれだけの索敵をこなすのは驚異的だ。アウロは思わず感心の声を漏らした。


「なるほど。《ブリリアント》は索敵能力に特化した機竜だったのか」

『はい。それだけじゃなくて測量に手間がかかる分、搭載してる魔導回路(マギオニクス)の性能も高いんです。代わりに、バトる方は微妙なんですけど……』

『すごいね。これ、一体何マイルくらい先まで観測できるの?』

『精密測距の場合は5マイルが限度ですね。もっと大雑把なやつですとその倍くらいまで届きます』

『そうなんだ。ちょっと試してくれる?』

『分かりました』


 ルシウスの言葉に従い、クリスティアはなにか計器を操作したようだった。


 同時に、《ブリリアント》の発光がわずかに抑えられる。

 測量システムを停止した訳ではない。遠距離まで観測を行うため、光を絞り込んでいるのだ。

 遅れて、視界の端に映っていた半球状のグラフが消滅し、代わりに円状のレーダースコープが表示される。


『ん、こっちは普通のレーダーと同じ形なんだね』

『はい。私、こういうのを見ながらじゃないと上手く飛べなくて……』

『じゃあ、いっつも空でピカピカ光ってるのか? 燃料がもったいねぇなぁ』

『いっ、いいのよ。グロスターの辺りじゃたまに飛竜も出るの。この〝クリスタルゲイザー〟を動かしとけば、奇襲を受ける心配もないし』

『奇襲? そもそも、ただの飛竜じゃ機甲竜騎士(ドラグーン)の相手にならんだろ』

『でも、ぶつかったりしたらこわいじゃない』

『ドラゴンストライクか。確かに、竜ってのは昔から金銀宝石が大好きだからな。つっても、ああいう事故は滅多に――』


 ジェラードは言いかけたところで、ふいに言葉を切った。


 遅れて、アウロも気付く。

 円状のスコープの端。観測距離ぎりぎりの箇所に、四つの光点が映し出されていた。

 フォーメーションは横一列。ラインアブレストと呼ばれる隊形だ。


「妙だな。レーダーに反応がある」

『編隊を組んでるから機竜なのは間違いないね。どうやら、南に進路を向けてるようだけど』

『なんだなんだ? もうドンパチが始まってるってことか?』

『だとしてもおかしいわ。ここはまだ、モンマスから20マイル近く離れてるのに』


 クリスティアの言う通りだ。

 恐らく、編隊がいるのはモンマスから南に10マイルほどの位置。

 王都カムロートはモンマスから見て西の方角にあるから、南部が戦闘空域になる可能性はほとんどありえない。


(どういうことだ……?)


 眉を寄せるアウロの耳に、ブリストルからの通信が届いたのは直後のことだ。


『こちら、リカルド・ブランドル! おい、ジェラード! 聞こえているか!』


 突然、ヘルム内に中年男の大声が響き渡る。

 ジェラードはげんなりした様子で答えた。


『そんなに叫ばなくても聞こえてるよ。で、親父殿。一体どうしたんだ?』

『が、ガルバリオン殿下が……モンマスが陥落した!』


 『はぁ?』とジェラードは怪訝そうに聞き返す。


『なに言ってんだ。王国軍が到着するまでにはまだ時間があるだろ。いや、そもそもどうしてモンマスがこの短期間で落ちるんだよ』

『裏切りだ! ガルバリオン殿下の腹心、ガーランド家のモーディアが王国側に寝返ったのだ!』


 その一言に、アウロは全身の毛細血管が瞬間凍結されるのを感じた。

 それは他の面々も同様だったのだろう。ルシウスは緊迫した声でリカルドへと尋ねかけた。


『リカルド、誤報ではないんだね? 詳しいことを聞かせて欲しい』

『わ、分かりました』


 リカルドは一旦、自身の気持ちを落ち着けるかの如く深呼吸した。


『――こちらに急報が入ったのはつい先ほどのことです。どうやら、昨日の段階でガルバリオン殿は王国軍を迎撃するため、ガーランド家の当主ウィリアムを連れてモンマス西の農地に陣を構築し始めたそうなのですが……。今朝になって城の守りを任されていたウィリアムの弟モーディアが、配下の兵と共に武装蜂起して城内を占拠してしまったのです!』

『そりゃあ完全に謀反だな。厄介な事態だ。しかし、王国軍が来る前に城を取り返しちまえば万事解決じゃないのか?』

「いや、それは難しいだろう」


 アウロは過去の記憶を掘り返しつつ告げた。


「俺は昔、モンマスに滞在していたことがあるからあの辺りの地理はよく知っている。モンマス城は東は平原だが西には河が流れているんだ。だから橋を落とされた場合、西からの攻め手は渡河と攻城を同時にこなさなくてはならない。兵力差がどの程度あるかは知らないが、いくらガルバリオンとて一朝一夕で城を取り返すことは不可能だろう」

『そいつはまずいね。もし、このタイミングで王国軍が進撃を開始したら――』

「ガルバリオンは挟み撃ちに合う。おまけに背後は河だ」


 アウロは自分で語っていて、なにか薄ら寒いものを覚えた。


 客観的に見て、今ガルバリオンが置かれている状況は九割九分詰みに近い。

 そもそも、物資集積所である本拠を落とされたのだ。仮に攻城戦を仕掛けたとしても、その隙に背後を王国軍に襲われれば全軍壊滅してしまう。

 かといって王国軍の先鋒と向き合えばそれはそれでジリ貧だ。補給をおろそかにしたまま戦闘を継続することの愚かさは、既に多くの歴史書が証明している。


【なーんか、やばそうな感じだね。戦いに入る前から決着が着いちゃってるよ】

【ああ。この状況、俺なら間違いなく退却に移るが……】


 アウロは小さく息をつくと、再びリカルドに尋ねた。


「リカルド殿、ガルバリオンの動きは分かりますか?」

『うむ。どうやら挟撃を避けるために南へ兵を下げつつあるらしい。我がブランドル家は撤退する彼らを迎え入れるつもりだ』

『まぁ、仕方ねぇわな。空の様子はどうなってる?』

『……王都からナーシア殿下率いる機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)が出撃したらしい。混乱の隙をついて攻撃を仕掛けるつもりなのだろう』

『くそったれめ。新王もなかなかいやらしい作戦を取ってくれるじゃないの。陰気くさい顔をしているだけあるね』


 と軽口を叩くジェラードだが、事態は思ったより悪い。

 竜騎士団の飛行群にはまず間違いなく陸攻型機竜(ストライカー)が加わっているはずだ。

 もし彼らが胴内(ウェポンベイ)に抱えた爆弾を地表にばらまけば、それだけで撤退中の軍隊は理性を失い、潰走してしまうだろう。そうして戦列を細かく刻んだ後は、煮るなり焼くなり好きに料理してやればいい。


『だが、竜騎士団を迎撃するためにガルバリオン殿下が直々に出撃したという話だ。兵の退去が完了するまで、自ら足止めをされるおつもりだろう』

『分かった。ところで、リカルド。モンマスから南へ四機、撤退しようとしてる機体があるみたいなんだけど所属は分かるかな?』

『いえ、詳細は確認できておりません。ルシウス殿下も一度、こちらにお戻り下さい。このまま直進すれば戦闘空域に巻き込まれてしまいます』

『……そうだね。では、一度そちらに帰投する』

『はい。どうかお気をつけ下さい、殿下』


 という言葉を最後に、リカルドとの通信は途切れた。


 後に残ったのはなんとも言い難い、気まずい沈黙だけだ。

 空は灰色。吹き付ける風まで激しさを増しているように感じる。

 重苦しい空気の中、クリスティアは恐る恐るといった様子で疑問を投げかけた。


『あ、あの、このレーダーに映ってる四機って一体、誰が乗ってるんでしょう?』

「モンマスが落ちたタイミングで南へ逃れてきているんだ。要人なのは間違いない」

『でも、アウロさん。こうして機竜に乗ってるってことは』

「――まさか、アルカーシャとリアノンさんか?」


 アウロはスコープの中で瞬く光点を見据えた。


 あの二人はクリスティアと同じ、女性の機竜乗り(ドラグナー)だ。

 そして、ガルバリオンの性格を考えれば、妻子だけ安全な場所へ下げようとしても不思議ではない。

 四機の内、リアノンとアルカーシャがそれぞれ一機。後の半分が護衛と考えれば数もぴったり合う。


『私、心配です。ルシウス殿下、アルカを迎えに行きませんか?』

『まぁ、待てよ。ここまで来てるんだったら、わざわざこっちから出向かなくてもいいだろ。それに逃げてきた連中を受け入れるだけならともかく、撤退行動そのものを支援するのはまずい』

『で、でも、ジェラード。ブランドル家はガルバリオン公に付くんじゃなかったの?』

『親父はそのつもりかもしれんが、状況が変わった。俺は感情論に流されてアクスフォード家の二の舞いになるのはごめんだ』


 ジェラードの冷徹とも取れる台詞に、クリスティアは黙り込む。

 その間にも、アウロたちは徐々にモンマスへと近づきつつあった。

 ブリストルへ戻るなら早めに転進しなくてはならない。ここが境界線だ。アウロは通信機越しにルシウスへと呼びかけた。


「ルシウス、ひとまず我々は帰投しよう。アルカたちもここまで来れば、敵の追撃を受けることはあるまい」

『……そうだね。僕らの出番は終わりだ。空では叔父上がナーシア兄さんを足止めしてるはず。僕たちは先にブリストルへ戻ろう』


 そう列機に通達し、ルシウスはハーネスを片腕で引いた。


 スコープ内に表示された光点の一つが、ふっと消え去ったのは直後のことである。

 アウロは息を呑んだ。やや遅れて、スコープの端に新たな光点が出現する。

 それは放たれた矢のようなスピードで、生き残った三機の機竜へと襲いかかっていた。


『あれ? 変だわ、アルカたちの編隊が崩れてる』

「……違う。後方から敵の襲撃を受けているんだ。既に一機撃墜されたらしい」

『しかもこの機体、普通の機竜の倍近い速度で移動してやがる!』


 アウロは呟いた。「骸装機(カーケス)か」


 その間にも、更に光点の一つが消え去る。

 どうやら早くも護衛機が全滅したらしい。残るは二機――恐らく、アルカーシャとリアノンの乗機だけだ。

 途端、こらえ切れぬようにアウロの眼前へと飛び出す機影があった。クリスティアの駆る《ブリリアント》だ。


『くっ、アルカ! 今助けに……!』

『おい、待て! クリス!?』


 慌ててジェラードが止めに入ろうとするが、高速で空中を飛び回る機甲竜騎士(ドラグーン)同士ではそれも難しい。

 アウロはすぐさまハーネスをぴしゃりと打って、きらびやかな光を放つ水晶竜の隣に並んだ。シールドを備えた腕甲を、クリスティアの激情を制するようにその鼻先へと差し伸べる。


「待て、クリス嬢。あなたはここへ残れ」

『で、でも! アルカが! アルカが!』

「落ち着け。あなたが王国軍に攻撃を仕掛ければ、ランドルフ家自体が戦争に巻き込まれてしまう。第一、初心者が出向いたところで足手まといになるだけだ」

『じゃあ、アウロさんはあの子を見殺しにしろって言うんですか!?』


 涙声での叫びにアウロは淡々と答えた。


「いや、見殺しにはしない。――俺が行く」

『ちょ、ちょっとアウロ!?』

「悪いな、ルシウス。これは俺一人の問題だ。誰にも譲れん独断専行だ。お前たちは早く帰投しろ」


 一方的に言い捨てて、アウロは手綱を握り直した。

 が、その刹那、指先が震えた。昏い恐怖を帯びた葛藤が胸中をよぎった。

 本当にこれで正しいのか。もっと違う選択肢があるのではないか。ここでアルカーシャを助ける意義などないのではないか――と、理性の皮を被った臆病神が耳元で囁いている。


(……知ったことか)


 だが、アウロはそれら全てを一蹴した。


 自身の中でやるべきことは既に決まっていた。

 アウロはガルバリオンの味方をすると決め、そのために準備を続けてきたのだ。

 今更、方針を変えることは理性的にも、感情的にも受け入れられそうにない。


 ――正面を見る。虚空の先に目を凝らす。


 スコープ内では二機の光点が逃げ惑い、それを王国側のものと思しき機竜が追撃している。

 残された猶予はあとわずかだ。グズグズしている暇はない。今は一刻も早く、アルカーシャとリアノンの救援に向かわなくてはならない。全てが手遅れになってしまう前に。もう二度と後悔をしないために。


 アウロは深呼吸をした後で、自らの乗機に命令を下した。


【カムリ、推力全開! これより当機はアルカーシャの援護に向かう!】

【らじゃー! 久々の実戦だ! 燃えてくるね!】


 カムリはぶるりと身を震わせると、鞭を入れられた馬のような勢いで戦闘空域へと急行した。


 視界が窄まる。雲が後方へと消えていく。

 加速による負荷。体内の臓器が糸で縛られ、背中側へ引っ張られていくかのようだ。

 ふいに寒気が襲ってきた。脳の中心から広がった冷気が、全身へと拡散し、手指の先まで凍り付かせていく。かちり、と一度だけ奥歯が鳴った。まるで始まりを告げる合図のように。


 ――ここから先は戦場だ。


 アウロは既に理解していた。自分が一線を越えてしまったことを。

 自分の戦いが、今この瞬間から本当の意味で始まったことを。

 それでも、手綱を握る腕に迷いはない。アウロは乾いた唇を一度だけ舐め、古い歴史書の一節をそらんじた。


「そこに暗澹たる戦禍が待ち受けていようとも……」


 今こそ信念の火を灯さなければならないのだ。

 ここを渡れば悲惨な未来。渡らなければ我が破滅。

 ならば進むしかない。神々の待つところへ。忌むべき敵の待つところへ。


 賽は投げられた。

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