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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
60/107

3-15

 新王マルゴンがモンマスへ進軍を開始したのは、戴冠式からおよそ半年後のことだった。


 傍から見ると急な行動である。なにしろ『斧の反乱』が終結してからまだ一年も経っていないのだ。

 が、マルゴンの側にも黙っていられない事情があった。諸侯の間で年若い国王を玉座から引きずり下ろし、代わりにガルバリオンに王冠を授けようとする動きが、さざ波から無視できない潮流へと変化し始めていたのだ。


 元々、ドラク・マルゴンはろくに戦場に出ないまま王となった男である。

 逆にガルバリオンは幾度も王国軍の総大将を努めており、民衆の間でも人気が高い。

 しかも、年齢的にも今年で四十六歳と油の乗り切った頃合いだ。ただでさえモグホースの傀儡というイメージの強いマルゴンが、領主たちからそっぽを向かれるのに時間はかからなかった。


 つまり、先手を打って動いたように見えた王国軍だが、その内情は追い詰められての暴走に近かったのである。


 自身に従順な西側諸侯の兵を集め、金で雇った傭兵で戦力を補強し、電光石火の勢いでモンマスを落とす。

 マルゴンの描いた戦略は子供の落書きのように簡単だ。ただ、彼にはそれを実行に移すだけの気概と権力があった。

 結果、公王マルゴンを総大将とする総勢一万二千の王国軍は、東へ向けて王都カムロートを出撃したのである。






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「一体、新王はなにを考えているのだ!」


 円卓の一角に腰を下ろした男が、開口一番に雷を落とす。


 赤みがかった金髪を短く刈り込んだ、彫りの深い顔立ちの美丈夫だ。

 酒に酔ったような色の顔には、ところどころナイフで切りつけたような深い皺が刻まれていた。男は今年で四十五歳。決して若くはない年齢である。

 それでも、戦場で鍛え抜かれた肉体は健在だった。剣を握り続けた手は革のグローブのように分厚く、腕には太い血管が浮かび、贅肉を排した実用性一辺倒の筋肉が、赤狐の革衣を内側から押し上げている。

 そんな荒々しい風貌にも関わらず、男はごく自然と高貴な雰囲気を身に纏っていた。なにしろ男は戦場でもそれ以外の場所でも、常に人の上に立ち続けてきた根っからの『貴族』なのだ。


 ――ブランドル家当主、【剣の侯爵】リカルド・ブランドル。


 四侯爵の一角であり、王国南部の実質的なまとめ役だ。


「よりにもよって、ガルバリオン殿下に対して軍を差し向けるなど! ブレアの反乱の際、王国軍を率いた総大将だぞ!? 今まで、あの方がどれだけこの国に貢献したと思っているのだ!」

「確かにモンマス公の功績は偉大です。しかし、だからこそ新王は動いたのでしょうね」


 その向かいに腰を降ろした男が、にこやかにそう補足する。


 グロスター侯、カーシェン・ランドルフ。

 こちらはリカルドとは対照的な、女のように細い体格の持ち主だ。

 身に付けているものもゆったりしたチュニックに、ぴんと生地の張った乗馬用のズボン。鹿の皮をなめした艶のあるマントルを、この地方特有の赤金を加工したブローチで留めている。

 カーシェンは四侯爵の中では三十五と最年少だが、童顔のおかげでもう一回りは若く見えた。口元に涼しげな笑みを浮かべている様はどこか吟遊詩人じみている。剣よりも竪琴ハープの方が似合いそうな面構えだ。


「なにしろ、今の王家は権力基盤が脆い。新王にとって、諸侯から絶大な支持を集めるモンマス公は単なる邪魔者でしかないのでしょう」

「なんだと!? カーシェン、貴様どちらの味方なのだ!」

「それはこれからの議論次第ですね」


 額に青筋を浮かべるリカルドをよそに、カーシェンはとぼけたような台詞を吐いた。


 【盾の候爵】カーシェン・ランドルフは武辺の人だ。

 その優しげな風貌とは裏腹に、国境沿いにおけるサクス人との小競り合いでは幾多の戦功を上げた軍略家である。

 機竜に乗って戦うことはないものの、諸侯からはログレス王国随一の――少なくとも、兵法という分野においては――『策士』という評価を受けていた。決して、見た目通りの優男ではない。


 円卓には他にブランドル派の伯爵が三人と、リカルドの息子であるジェラード。

 更に丁度、デヴナイントに滞在していたルシウスと、イクティスからブリストルまでやって来たアウロの計八人が雁首を並べていた。南部における有力貴族が一堂に会した形である。


 ちなみに、アウロの席はルシウスの隣だ。

 その反対隣にはジェラードがおり、二人合わせてまるでルシウスの側近のような配置となっている。


「カーシェン! 貴様とて、何度も戦場でガルバリオン殿に助けられた口だろう! だというのに、今更あの腐った白豚に肩入れするというのか!」

「親父、少しは落ち着けよ。また血圧が上がって倒れるぞ」


 激昂するリカルドを、ジェラードは疲れたようにたしなめた。


「まずは状況を確認するのが先決だろう。ルーカス、王国軍の動きは?」

「着々とモンマスへ迫っております。王都カムロートからあの街へは交通の便もいい。何事もなければ、三日後の朝に王国軍の本隊がモンマスへ辿り着くことでしょう」


 すらすらと答えたのは、リカルドの隣に控えた初老の男性だ。

 ルーカス・ゼルドリウス。ブランドル派の貴族であり、リカルドの腹心中の腹心である。


「また、既に王都からナーシア殿下率いる機甲竜騎士団(ロイヤルエアナイツ)が出撃したという情報もあります」

「兄さんが?」


 思わずといった様子で声を上げたルシウスに、男は「はい」と頷いてみせた。

 次いで、カーシェンが円卓の上へと身を乗り出した。その青みがかった瞳は争いの火種を前に爛々と輝いている。


「どうやら、ナーシア殿下は新王に対して従順に振る舞うおつもりのようですね。ルシウス殿下の元にも、既にご連絡が来ているのではないですか?」

「ああ。南部の諸侯を纏めてモンマス攻略に参加しろと、陛下直々に命令されたよ」

「殿下はどうするおつもりなので?」

「とりあえず、みんなの意見を聞きたい。話はそれからだ」


 ルシウスは一同を見渡して告げた。


 早速、起立したのはブリストル候リカルドである。侯爵は鼻息荒く拳を振り上げた。


「我らブランドル家はガルバリオン殿にお味方するぞ。昨今の王家の振る舞いにはもはや我慢ならん。モンマスに軍を派遣し、ガルバリオン殿と協力して一挙に王国軍を討ち果たしてしまうべきだ!」


 と演説家の如く気炎を吐くリカルド。

 一方、カーシェンは卓上で手を組んだまま、落ち着き払った様子で口を開いた。


「申し訳ないが、現状で我がランドルフ家は動けません。我らが兵を動員すれば、その分だけ東の守りが薄まります。ただでさえモンマス公が動けない今、薄汚いサクス人どもに寝首をかかれるような事態は避けたいのです」

「取ってつけたような言い訳だな。要するに、貴殿は兵を出したくないだけではないか」

「まぁ、対外的な装飾を省くとそういった意味合いになりますね」


 悪びれた様子もなく答えるカーシェン。

 にわかに両侯爵の間が緊迫する中、ジェラードは小さく咳払いをした。


「では、ランドルフ家は状況を静観するということでよろしいか?」

「ええ。私はそもそも、国内での戦争に反対なのですよ。同じ民族同士で殺し合うなど正気ではない」

「分かった。……アウロはどうだ?」

「俺か?」


 意見を求められたアウロは、しばし悩むふりをした後で言った。


「その前に一つ確認したいことがある。この中で、ガルバリオンから特別な話を聞かされている者はいるか?」


 やや抽象的な質問に、円卓を囲む貴族たちは怪訝そうな表情を浮かべる。


 が、二人だけアウロの言葉に顕著な反応を示した者がいた。

 一人はルシウスだ。アウロは自分の左隣に座る青年が、一瞬、雷に打たれたように体を強ばらせたのを見逃さなかった。

 もう一人はカーシェンである。男は先ほどまで口元に貼り付けていた笑みをふっと消した。その代わり、雪原に棲む狼のような冷酷な本性がアルカイックスマイルの内側から顔を覗かせる。


「アウロ殿、貴殿はなにか事情を知っているようですね」

「そういう訳ではありません。ただ、自分たちがここで議論したところで、ガルバリオンの側に王家と戦う意志がなければ話が始まらない」


 ぴしゃりとはねのけるアウロに、「それもそうだ」とジェラードも同調した。


「斧の反乱の時、ブレア・アクスフォードは誰にでも分かるような形で王家に反旗を翻してた。だが、今回のこれは新王がモンマス公にいちゃもんを付けただけだ。本格的な戦争になるかどうかも定かじゃない」

「なにを寝ぼけたことを。当家にもガルバリオン殿から参戦要請が来ているのだぞ!」

「そりゃ、相手が攻めて来てるのに黙って見てる訳には行かないだろ。問題はあの人がどこまでやるつもりなのかだよ」


 息子の台詞にリカルドはぐっと口ごもった。


 どうやら、血気盛んな候爵も気付いたらしい。

 リカルドがどれだけ闘志を燃やそうが、軍の旗頭となるのはガルバリオンだ。

 つまり、最終的な決定権もあの男にある。ガルバリオンに戦う意志がなければ、リカルドの覚悟も勇み足で終わってしまうだろう。


「――いや、叔父上は陛下と戦う気だ」


 が、そこでぼそりと低い声を漏らしたのはルシウスだった。

 円卓を囲む諸侯が凍りつく中、ルシウスは淡々と言葉を続けた。


「開戦の勅令が届いた直後、叔父上からも僕の元に連絡が来たんだよ。……あの人は今の王家を倒そうとしている。かなり前からそう決めていたらしい」

「ほう、それは朗報ですね! ならば、我らはその後押しをするだけでいい!」


 途端、喜色満面となるリカルド。

 ジェラードはその対面で小さくため息をこぼした。


「親父、子供みたいにはしゃぐなよ。それと殿下、モンマス公からは他になにか聞いてないのか?」

「あまり詳しいことまでは話してないんだ。なんでも、後はアウロが知ってるからあいつに聞けって」


 ルシウスの発言に、円卓を囲う諸侯の視線がアウロ一人へと集中する。


(……おいおい、ガルバリオン)


 突然の無茶ぶりにアウロは閉口した。

 大方、自分を無理やり戦場に引きずり込もうという魂胆だろう。

 もしくは単に説明するのが面倒だったのかもしれない。どちらにしろ、アウロにとってはいい迷惑だった。


「ケルノウン伯。やはり、先ほどの質問は我々に探りを入れていたのですね?」


 にこやかな笑みをたたえたまま、カーシェンはじっとアウロのことを見据えた。

 氷のような瞳である。顔は笑顔でも目は全く笑っていない。

 男は一度、間を置くように手の平を組み替えてからアウロに尋ねた。


「で、あなたはどこまでご存知なので?」

「……あらかじめ言っておきますが、自分も全ての事情を把握している訳ではありません。ガルバリオンはモグホースをこれ以上、放置できないと言っていた。そして、そのために王家に反旗を翻すと」

「ほう。その話を聞いたのはいつ頃のことです?」

「新王の戴冠式が行われた直後ですね。ガルバリオンは先王が死んだ時に、もう覚悟を決めていたようでした」


 その言葉に居並ぶ諸侯はしんと静まり返った。

 彼らもどう反応していいのか掴みかねているらしい。互いの出方を窺おうと、幾対もの目玉が落ち着きなく右往左往している。


「モンマス公が王家に叛意を抱いていたとしたら、今回の王国側の動きにも正当性が生まれてしまいますね」


 やがて、自身に言い聞かせるように呟いたのはカーシェンだ。


「この話は他の人間に広めない方が良いでしょう。今、ここにいる者たちだけの胸に秘めておくのがよろしいかと」

「う、む……。しかし、ガルバリオン殿がその気ならばむしろ好都合ではないか。既にガーランド家は公のお味方だ。後は我がブランドル家が殿下の側に付けば、勝負は決したも同然であろう」

「その前に、ルシウス殿下はどうするつもりなんだ? 結局、どっちの味方に付くんだ?」


 ジェラードは隣に座るルシウスへと問いかけた。


 既にブランドル家はガルバリオン側で参戦。

 ランドルフ家は戦争に不干渉と立場を決めつつある。

 現状、この場で態度を明らかにしていないのはルシウスとアウロの二人だけだ。


「正直に言えば、僕はどちらの側にも付きたくないんだ」


 ルシウスは苦渋の表情でそうこぼし、


「僕にとっては兄と叔父の戦いだからね。ただ、もう仲裁できるような状況じゃないってことも分かってるつもりだ」

「じゃあ、殿下も中立か? 俺としちゃあ、背後からこのブリストルを攻められなきゃ問題ないんだが」

「どのみち、僕の元にここを落とせるだけの戦力も、傭兵を集めるだけの資金もないよ。まだ領主を任せられてから半年も経ってないんだから」

「それもそうですな。しかし、ルシウス殿下には是非ともガルバリオン殿にお味方して頂きたい!」


 湿っぽい空気を打破するように、リカルドは声を張り上げた。


「ガルバリオン殿に続き、ルシウス殿下まで蜂起したとなれば、他の諸侯もこぞってお二人の後に続くことでしょう。ナーシア殿下もこちら側に付いてくれるやもしれませぬ!」

「候爵、あなたの立場と言い分はよく分かった。けど、僕は一度叔父上と話がしたいんだ」

「話ですと? そんなもの、通信機越しにいくらでもできるではありませんか」

「そうじゃなくて、直接会って話がしたいんだよ。あの人がなにを考えているのか、機械越しじゃ分からないこともある」


 ルシウスは一語一句に力を込めて、そう告げた。


 見ようによってはひどく非合理的な思考である。

 が、諸侯の間から反発の声は上がらなかった。そもそも、彼らとてガルバリオンの本心をアウロの口から又聞きしているだけなのだ。

 円卓に沈黙が舞い降りる中、「では」と口を開いたのはカーシェンだ。


「ガルバリオン殿の元に使者を派遣するのはどうでしょうか? この場で、詳しい話をご存知なのはケルノウン伯だけのようだ。できれば、我らもあの方の真意を問いただしておきたい」

「だが、カーシェン。貴様はどちらにしろ中立を貫くつもりなのだろう?」

「戦争に手は出す気はありません。が、どちらの味方となるのか立場を表明する程度はできます。それにリカルド殿とて、公の令状があった方が諸侯への呼びかけがやりやすいのでは?」

「それはそうだが……ううむ」


 リカルドはうなり声を漏らした。どうも、相手の手中で上手く転がされているような気がするのだろう。

 実際、進行役を務めているのはリカルドだが、その裏で議論を誘導しているのはカーシェンだ。ランドルフ候爵は戦争だけでなく話術の才もあるらしい。敵に回ると厄介そうだな、とアウロは思った。


「よし、分かった。ひとまずはガルバリオン殿の元へ使者を出そう」


 しばし悩んだ後で、リカルドはそう諸侯に宣言した。


「使者団の代表はルシウス殿下にお願いしたい。それと、我がブランドル家からは――」

「俺が行くよ。モンマス公とは斧の反乱の時、一緒に戦った仲だ。殿下とのつり合いって点から見ても俺が適任だろう」


 すぐさま片手を挙げて立候補したジェラードに、リカルドも「うむ」と首肯してみせる。


「頼んだぞ、ジェラード。一応、他にも何人か護衛を選抜しよう」

「あーっと、待ってくれ。俺と殿下で行くなら機竜を使いたい。今の状況じゃ空路を行くのが安全だし、なにより速いからな」

「それはいい案だね。となると、あまり大人数で編隊を組むのは避けたいな」

「小隊を作るなら四機編成だ。殿下と俺、それにランドルフ家の機竜乗り(ドラグナー)が一人。最後の一人は――そうだな。いざっていう時に戦える奴が欲しいから、アウロ、お前が来てくれ」

「分かった」


 アウロは即答した。


 こちらもガルバリオンとは一度会っておきたかったのだ。

 なにしろ以前、あの男と話した時とはだいぶ状況が変わっている。百八十度激変した、と言ってもいいくらいだ。

 今のところ、アウロはガルバリオンの敵に回るつもりはなかった。が、どちらにしろ細かい作戦構想は聞いておく必要があるだろう。好意的な自己解釈というのは、ほとんどの場合ろくでもない結果しかもたらさない。


「では、我がランドルフ家からも誰か人を呼び寄せましょう。あいにく、私は機竜に乗れませんので」

「こちらから連絡を入れるとして、貴殿の部下が来られるのはいつ頃になりそうです?」

「明日には準備ができるでしょう。ただ、念のため一日余裕を見て頂けるとありがたい」

「なら出発は明後日だな。朝にはブリストルを出る形になるだろう」


 カーシェンも異論を挟むことなく、計画はとんとん拍子で決まる。


 結局、その日の会合はガルバリオンの元に使者を送ることで決着した。

 メンバーはアウロ、ルシウス、ジェラードに加えてランドルフ家の使者と、ほとんど養成所時代と代わり映えしない面子である。

 出立は二日後の朝だ。それまで、アウロとルシウスは領地に戻ることなくブリストルに滞在することとなった。






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 普通、幾人かの貴族が集まって話し合いをすれば、その後には必ずと言っていいほど立食会が開かれ、名家の当主に対して思っていないような褒め言葉やおべっかを並べ立てたり、逆に罵倒ギリギリの悪口を言い合ったりする。

 が、この日は緊急の事態ということもあって、そういった貴族らしいイベントは見送られた。今は一刻も早く、戦禍に備えて対策を練らなくてはならないのだ。


 既に参戦を決めつつあるリカルドは兵を纏めるのに忙しいし、カーシェンも領地の人間と頻繁に連絡を取り合っている。

 逆に手持ち無沙汰なのはアウロとルシウスだ。どちらも機竜でこの地に来てしまったため、ろくな話し相手がいない。

 結局、暇を持て余したアウロたちは食事を終えた後、二人揃ってジェラードの部屋へ押しかけることとなった。


「……なんか、すごい部屋だねここは」


 ルシウスは魔導式ランプの光に照らされた部屋の中を、物珍しそうに眺めた。


 ちょっとした倉庫ほどの広さがある室内は、分厚いマットレスを敷いた頑丈そうな造りのベッドの他に、黒い革張りのソファと黄金のめっきが施されたテーブルが置かれ、まるで応接間のような間取りとなっていた。

 また、住人の多様な趣味を反映してか、壁際の棚には舶来物の酒や、グウィズヴィス(ボードゲームの一種)に用いる盤と駒、美しく磨き上げられた刀剣の類などが陳列されている。

 中には立派な装丁の施された本まであった。羊か山羊の皮を用いたハードカバー。表面に刻まれているのは交差した剣のエンブレム――ブランドル家の紋章だ。


「ん? これはタリエシンの詩集じゃないか」


 本好きのアウロはつい棚に置かれた書籍に目が行ってしまう。それが珍品、希少品の類ともなれば尚更だ。

 タリエシンというのは今から二百五十年前、アルトリウス王の時代に活躍した宮廷筆頭詩人コートペンセルズだ。そして、吟遊詩人の叙事詩というのは本来、こういった文書の形で纏められていることはほとんどない。

 『赤き竜王の物語』のような有名な伝説は別としても、大方の三題詩トライアドは言語という形でのみ残存している。詩歌というのはある種の商品であり、それをひと度文字に書き起こしてしまえば、たちまち歌い手たちの専売特許が失われてしまうからだ。


「いい趣味をしているな。ジェラード、これ幾らで買ったんだ?」

「そいつは買った訳じゃないぜ。親父宛の贈り物に混じってたのを、こっそりくすねてきたんだ。大方、どっかのお貴族様が無理やりバルドを恫喝して書かせたんじゃないかな」

「なるほど。しかし、見たところアネイリンやブルックバードの詩集まであるな。お前に詩歌を好むような繊細さがあったとは驚きだ」

「詩自体に興味はないさ。ただ、俺は音楽を聞くのが好きでね。なんとなく集めてるんだ」


 ジェラードは銀の酒盃を三つ用意すると、棚から取り上げた瓶詰めのぶどう酒をぞんざいにその中へと注いだ。


「二人とも飲むだろ? とりあえず、適当に座れよ」

「ああ」


 アウロは頷き、ソファへと腰掛けた。

 ルシウスがその向かいに座り、ジェラードは一人ベッドを椅子代わりにする。


「それにしても、新王とガルバリオン殿が戦争になるとはな。アウロ、お前はこうなることを知ってたのか?」

「一応な。ただ、俺もマルゴンが先に動くとは思わなかった」


 酒盃を受け取りつつ、アウロは正直な感想を漏らす。


「ガルバリオンは軍を整えるのに今年いっぱいを費やすつもりだったはずだ。結果的にだが、王国側の行動はあの男の先手を打つ形となった」

「じゃあ、王家がモンマス公の動きを察知したって可能性も考えられるな」

「そうだとしたら、あまりにも根回しがお粗末すぎる。いきなり相手の頬をはり倒すような真似をすれば、諸侯の反発を受けるのは必至だろうに」

「うん……特に、リカルド殿は完全にマルゴン兄さんを見限ってしまったみたいだ」


 ルシウスは険しい表情で呟いた。眉間に寄った皺を、魔導式ランプの薄ぼんやりした光が照らしている。


「候爵は元々怒りっぽい人だけど、あそこまで激昂してるのは初めて見たな」

「親父は恋する女の子みたく、ガルバリオン殿下に熱を上げちまってるんだよ。あの二人は幾つもの戦場で一緒に戦った仲だ。おかげで、うちの派閥の貴族も親父と同じ考え方に染まってる奴が多い」

「今日、同卓していた三人だね。あまり喋ってはいなかったけど」

「ブチ切れてる親父に意見するのなんて俺でもきついさ。正直、殿下とグロスター候が参加してくれて良かった。あとアウロもな」

「俺はおまけ扱いか」


 アウロは苦笑いをこぼした。


 とはいえ、自身の影響力が弱いのは事実だった。

 アウロは伯爵の位こそ得たものの、本質的には後ろ盾のない私生児のままだ。候爵二人がいる状況では流石に肩身が狭い。

 こうした貴族同士の会合に参加できただけでも僥倖と考えるべきだろう。南部の諸侯はガルバリオン側に立って参戦する意志を固めつつある。アウロにとっても都合のいい展開だった。


「ただ、ルシウス。お前はどうする――いや、どうしたいんだ?」

「………………」


 アウロの質問にルシウスは沈黙で答えた。


 アウロとはまた別の意味で、ルシウスの立場も浮き船のように不安定だった。

 彼の領地であるデヴナイントはブリストルの南にある。恐らく、王家は南部諸侯の監視役のつもりでルシウスをこの地に派遣したのだろう。

 が、南部最大の貴族であるブランドル家はガルバリオン寄りの姿勢を打ち出し、諸侯もその動きに同調しつつある。この怒濤の如き流れを、もはやドラク・ルシウスという堤防だけで抑えることは出来まい。


「うちは親父殿があそこまで爆走しちまってるからな。俺もガルバリオン殿の側に付く形になるだろう。……アウロ、お前は?」

「俺は最初からガルバリオンの味方をするつもりだ。マルゴンやモグホースと仲良くする理由もない」

「ならいいさ。ただ、風の噂で司教カシルドラの娘と婚約したとも聞いてるが」

「ルキのことか。宰相の仲介を受けたのは事実だが、婚約というのは行き過ぎだ。部下として雇っているだけだよ」

「しかし、体の中に毒虫を飼っとくのはまずいだろ。そのルキとかいう女、さっさと始末した方がいいんじゃないか?」

「ちなみにルキは今年で十六の娘だ。性格は冷たいが、顔立ちは美人の類に入る」

「よし、殺すのはかわいそうだ。押し倒してモノにしちまえ。暴れ馬を乗りこなすのは得意だろ?」


 と、下品な台詞を言い放つジェラード。

 アウロは頭痛を堪えながらも言葉を続けた。


「ルキのことはいずれ詳しく説明する。今はルシウスの去就をどうするかだろう」

「つっても、決めるのは俺たちじゃない。最終的には殿下の胸ひとつだ」

「うん。それは分かってるけど……」

「とはいえ、俺も殿下とは戦いたくない。だから説得させてもらうぜ」

「説得?」


 首を傾げるルシウスに、ジェラードは「おうとも」とぶどう酒のボトルを差し出した。

 ルシウスは銀の酒盃でそれを受けた。ジェラードは自身の盃にも酒を注ぎ足し、ベッドの上にあぐらをかいて座り直す。


「そもそも、殿下は今のログレスの状況をどう見ている?」

「どう、だって? 曖昧な質問だな」


 ルシウスは眉を寄せ、それから一旦間を置くようにぶどう酒を口に含んだ。


「……父さんが死に、新王の座にはマルゴン兄さんが就いた。その結果、僕らの叔父でもある宰相モグホースが王都で専横を振るっている、ってことくらいだよ」

「ルシウス、先に聞いておくがお前はモグホースのことをどう思っているんだ?」

「好きってほどじゃないけど、ナーシア兄さんほど嫌ってもいない。そもそも、僕とあの人はあまり話したことがないからな」

「ならば、新王マルゴンのことは?」

「……以下同文。はっきり言って、僕は王族の中でも末席扱いだ。接点があるのは歳の近いナーシア兄さんくらいさ」


 と、吐き捨てるルシウス。

 酒が入っているせいもあるのだろうが、この明朗快活な男が愚痴を漏らすのは珍しい光景だ。皮膚の下の筋組織をえぐり出すような生々しさがある。


 ルシウスがやさぐれている隙に、アウロとジェラードはさっとアイコンタクトを交わした。 

 現状、ルシウスが敵に回っていいことなど一つもない。ならば、ここは協力して説得に当たるべきだろう。


「よーし、まずはそんな殿下にこの国の現状を教えてやる。王都の一件に関してはアウロがよく知ってるはずだ」

「ああ、今のギネヴィウス家にはシドレー商会のスタッフが加わっている。おかげでカムロートの状況は逐一入ってくるんだ」


 早速、アウロはソファから身を乗り出した。


「いいか、ルシウス。新王、ひいてはモグホースが危険視されている最大の理由は、奴らがこの国の民を食い潰そうとしているからだ。王都のスラム街や亜人街が解体されたのは既に知っているだろう?」

「勿論。でも、あれはキャスパリーグ隊の件があったから仕方のないことで……」

「ダグラスは死んだ。それは俺がこの目で確認している。にも関わらず、亜人街の撤去は急ピッチで進められていて、今も大量の難民が発生している始末だ」

「問題はそのあぶれた連中がどこへ行くか、って点だな」


 そこでジェラードがアウロの言葉を引き継ぎ、


「すぐに他の場所で新しい暮らしを築けるのならまだいいだろう。が、実際はそうじゃない。税金を払えなくなり、生活の立ち行かなくなった民のほとんどは奴隷として買い上げられる。そして、宰相が抱えている鉱山――ブラックマウンテンに連れて行かれてるのさ」


 王国の中央、カムロートの北部には険しい山岳地帯と豊かな鉱脈が広がっている。

 これらの鉱山から掘り出されるのは、機竜の外板や円框フレームにも転用されているアダマント、ミスリルなどの希少金属――

 そして、魔導具の燃料となる魔光石だ。これは通常、魔獣の死骸が風化作用によって変質するものだが、他の鉱石と同じく山の中で採掘されるケースも多い。むしろ、生産量としてはそちらの方が圧倒的に上だった。


「ブラックマウンテンで採れる魔光石は純度が高く、市場じゃ高値で取引されてる。宰相の絶大な経済力を支えているのも、この魔光石を用いたビジネスって訳さ」

「つまりモグホースは民の命をすり潰し、その血から金貨を生み出しているんだよ。あの男は正しく生命を切り売りする『死の商人』なんだ」


 アウロは酒盃の中で揺れるぶどう酒を、じっと見つめた。


「ただ、宰相の本当の恐ろしさは別にある。民衆を迫害する圧制者としての顔など、あの男の一面にすぎない」

「それは」

「ルシウス、お前だって気付いているはずだ。ログレス王国の王子は元々、お前を含めて八人いた。が、今のところ生き残っているのはたったの半分。それも、王妃モリアンの息子たちだけだ」

「………………」

「公には知られていないが、俺の母ステラも何者かに毒を盛られて命を絶たれている。先王ウォルテリスの死だって、本当にキャスパリーグ隊の手によるものかどうか定かではない」

「なんだと? そいつはどういうことだ?」


 アウロの台詞に、流石のジェラードもさっと顔色を変えた。


 情報通のジェラードも公王の死因に関しては疑っていなかったらしい。

 ルシウスに至っては顔面蒼白となっている。アウロは盃を持った手が、冷水を浴びたかの如く小刻みに震えているのを見た。


「ま、待ってくれ、アウロ。君は一体なにを根拠に――」

「先ほどの会合では言っていなかったがな。ガルバリオンはアクスフォード候爵が投降した後、あの人と一対一で話をしたらしいんだ。候爵とダグラスの計画には、公王の暗殺は含まれていなかった」

「それが事実だとしても、だ。何かの事故って可能性も考えられるだろ」

「襲撃当時、王の寝室へ続く玉座の間はガーグラーが陣取っていた。公王の死自体にも不審な点が多い。ガルバリオンは先王を殺したのがモグホースだと考えているようだが、俺も同意見だ」


 アウロは淡々と自身の考えを述べた。


 正確に言うと、アウロの判断基準にはハンナの証言も加わっている訳だが、流石に今の段階で山猫部隊(リンクス)の正体を明かすことはできない。

 ジェラードはしばし黙考した後で、ぼそりと呟いた。


「確かに筋は通るが、明確な証拠もねぇな」


 青年は見えないなにかを探すかのように、じっと虚空を睨み、


「だが、これで是が非でもモンマス公に会わなきゃならなくなったぜ。アウロ、お前が嘘をついてるとは思わないが、やはり公の考えは聞いておきたい」

「……そうだね」


 ルシウスも相槌を打ち、


「ちょっと混乱してるけど、僕の方針に変更はないよ。全ては叔父上に聞けば明らかになることだ」

「ああ、今ここで判断を下す必要はない。ガルバリオンと話して、それからゆっくり考えればいいさ」


 アウロは酒盃を手の中で弄びつつ言葉を続けた。


「だが、ルシウス。いざという時は覚悟して欲しい。お前は王族だ。今の王家に反旗を翻すとなれば、象徴的な役割も求められるだろう」

「分かってる。もし僕が戦争に参加するとしても、その時は多分叔父上の側に立つだろう。君たちとは戦いたくないしね」

「無論、俺もだ。しかし、王家と争えば最終的に公王マルゴンを排し、宰相モグホースを処刑することになる」

「もしくはこっちが全員クビをすっ飛ばされる、って可能性も考えられるけどな」


 ジェラードは笑えない冗談を口にした。


 おかげで一時、水を打ったように場が静まり返ってしまう。

 ルシウスはじっと手元に視線を落としたまま、なにか考え込んでいるようだった。

 一方、ジェラードはちびちびぶどう酒を舐めながら、そんなルシウスの様子を横目で窺っている。


 なんとなく気まずい雰囲気だ。誰だって自分の死体姿など想像したくはない。

 アウロは場を和ませようと気の利いた冗談を頭の中でシュミレートしたが、作戦目的を達成することは出来なかった。元々、口のうまい方ではないのだ。


「……そういえば」


 沈黙の中、ふいにルシウスは口を開いた。


「今気付いたけど、初めてかもしれないな。こうして三人だけで酒を飲んだのは」

「言われてみればそうだ。流石に殿下と一緒に街へ繰り出すことなんてできなかったからな」


 ジェラードは酒杯の中へと視線を落とした。

 養成所内でも飲酒は黙認されていたが、若者らしく羽目を外し、どんちゃん騒ぎをしたい連中は自然と街の酒場に足を運んでいた。

 が、それは一部のアクティブな人間だけだ。アウロもガルバリオンの任命式や新王の即位式など、貴族同士の会合で彼らと顔を合わせたことはあっても、こうして三人だけで卓を囲んだ記憶はなかった。


「懐かしいものだ。まだ一年も経っていないというのに、養成所で訓練していた頃がひどく昔のことように思える」

「確かになぁ。あの頃は戦争が起きるなんて思ってもいなかった」


 ジェラードはしみじみとぶどう酒を傾け、


「一年前といえば、殿下とアウロが決闘沙汰を起こした辺りか。不思議なもんだな。あの時の二人がこうして杯を交わしてるってのは」

「友人を選べと言ったのは君だろう? そもそも、あれは僕の方が勘違いをしてたんだ」

「いや、そそのかしたジョンズたちが悪いのさ。それにあの頃は俺もルシウスの性格を見誤っていた」


 アウロはそう言って、酒気混じりの息をついた。

 ルシウスと対立し、決闘に及んだ時のことも今となってはいい思い出だ。

 結果的にはあの事件のおかげでルシウスとの関係を修復できたのだから、ジョンズたちに感謝すべきなのかもしれない。といっても、あの三人中二人は既にダグラス・キャスパリーグの手で殺されているのだが。


「まぁ、傍から見てる分にはなかなか愉快だったぜ。賭けも盛り上がったしな」

「ちなみに君はどっちに賭けたんだ?」

「俺か? 俺は賭けてないよ」

「意外だな。いや、そうでもないか。君は破天荒に見えても、越えてはいけないラインはきちんとわきまえてるし」

「素晴らしい評価をありがとう。ただね、殿下。俺が賭けに加わらなかったのは胴元の立場だったからなんだ」

「すまない。さっきの評価は取り消そう」


 途端に呆れ顔を浮かべるルシウス。アウロも苦笑いをこぼした。


 それから、三人は魔導式ランプの燃料が尽きるまで養成所時代の思い出話に花を咲かせた。

 過ぎ去った青春を名残惜しむかの如く。来たるべき戦いの日々から目を背けるように。

 戦火の気配は刻一刻と彼らの元まで迫っていた。

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