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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
一章:アウロと竜の少女
6/107

1-5

 王都カムロートは切り立った山岳の麓に広がる町だ。


 基本的に山の中腹に建っている王城の周辺は貴族の居住区で、以降、外縁に行くごとに住民の暮らしは貧しくなっている。

 特に最外縁である城壁付近は画一的な煉瓦の家が建つ区画となっており、多くの亜人たちがこの貧民街で暮らしていた。


「実はね、アウロ。さっきそこで面白そうな連中を見つけたんだよ」


 そんな街の中を、竜の少女は花畑を歩くような足取りで闊歩していた。


 貧民街といっても街中の治安はさほど悪くない。

 夕日に照らされた道は綺麗で、ゴミも特定の場所に集められている。

 この街はスラムというよりむしろ、亜人たちを隔離する亜人街ゲットーの意味合いが強く、本物の――それこそまともな職すら持っていない人間は、城壁の外に独自の居住区を形成しているのだった。


「で、面白そうな連中というと?」

「ボンボンの騎士サマだよ。ほら、ああいうの」


 と、少女が指差す先には二人組の男の姿があった。

 厳密に言うと騎士ではなく衛士だ。恐らく、まだ駆け出しに近い立場なのだろう。年齢はアウロより若い。

 腰に剣を佩き、鎖帷子を身につけたまま、路地の真ん中を大股で歩いている。傍から見るといかにも居丈高だった。


「しかし、なんだね。今の騎士ってのはああやって威張り歩くことしかできないの?」

「別に威張り歩いているわけではない。今、カムロートではキャスパリーグ隊と呼ばれる賊が市井を騒がせているからな。その取り締まりをしているんだ」

「ふぅん? その割に、街の中心には全然パトロールがいなかったけど」

「キャスパリーグ隊の構成員は大半が亜人らしい。そして、連中は義賊を名乗っている」

「ギゾク?」

「要は庶民の味方だよ。奴らは貴族の館を襲い、そこから奪った金銀財宝を亜人街にばらまいているんだ。だから、カムロートの警備隊もこの近辺に警備網を張り巡らせている」

「へぇー。なんだよ、いい奴らじゃないの」

「……まぁ、恩恵を受けている側からしてみればな」


 民衆にとっては正義の味方でも貴族にとっては単なる盗賊だ。

 カムロートの警備隊がやっきになって、手がかりを探し回っているのも無理はない。

 とはいえ、キャスパリーグ隊のような連中が現れているのは国内が乱れている証拠でもあった。


「で、お前はこんなところで俺になにをさせようとしているんだ」

「んー、ちょっと待って」


 少女はふいに足を止めると、細い路地を覗きこんだ。


「よし、こっちだ」

「おい、まさか適当に歩き回っているだけじゃないだろうな」

「違うよ。なんか面白そうなトラブルがないか探してるのさ」

「……お前」

「わ、怖い。睨まないでよ。わらわはそなたが危機を前に、どんな行動を取るのか見たいんだ」


 などとうそぶきつつ、少女は再び路地に顔を突っ込む。

 そして、今度は「おっ」と小さく声を上げた。


「いいね。いい状況だ。こういうイベントが欲しかったんだよ」


 にやにや笑いを浮かべ始めた少女の頭越しに、アウロも路地を覗きこんだ。


 薄暗い裏通りの奥に見えるのは夕日に照らされた複数の影だ

 数は女が一、男が三。丁度、一人の女を三人の男が取り囲む形である。

 おまけに、アウロは男たちの着ている茜色のコートと黒いズボンに見覚えがあった。


「あの制服、うちの養成所の人間か。こんなところでなにをやっているんだ?」

「見てりゃ分かるんじゃない?」


 小声で言葉を交わしつつ、二人は路地裏の観察を続けた。


 養成所の制服と腰に佩いた剣から察するに、男たちは全員貴族の子息だ。

 一方、壁際に追い詰められた女性は、ぼろぼろのフード付きコートを着たみすぼらしい格好をしている。

 背は低く、体格も細い。大人の女性より、少女といったほうがしっくりくるかもしれない。


「あ、あの、困ります。こんなこと」


 石壁に背を預けたまま、彼女は三人の男を前に震える声を漏らした。


「私、早く家に帰らないと。お父さんも心配しますし……」

「そうだよなぁ。お父さんを心配させちゃ駄目だよなぁ」


 ハイエナが足の折れた獲物を前に、ぞろりと舌を舐め回すような。

 ひどく不快な猫撫で声が男たちの口元から漏れる。


「俺たちはさ、ただ怪しい奴を探してるだけなんだよ。今、キャスパリーグ隊とかいう賊が好き勝手やってるのは知ってるだろ?」

「連中はこの街を根城にしてるらしいんだ。だから俺たちもわざわざ休日を返上してまで、パトロールに協力してるってわけさ」

「そ、それは分かりましたけど、そのことに私がどう関係してるんです?」


 「いや、だからさ」と男の一人が呆れた様子でため息を漏らす。


「分かんないかなぁ。俺らは君が賊の協力者じゃないかって疑ってるの」

「ちがっ、そんなこと――!」

「あー、うっせぇな。騒ぐなよ。違うって言うなら証拠出せって」

「出せないなら、とりあえず服脱げ。怪しいもの持ってないかどうか確認すっから」

「そ、そんな横暴です! 警備の人に言いつけますよ!」

「はぁ? え、なに。俺たちに逆らうワケ?」

「こりゃ、ちょっと痛い目みてもらうしか無いみたいだな」


 どん! と石壁に叩きつけられる男の拳。

 たちまち小柄な女性は小さく悲鳴を上げ、全身を硬直させた。

 その目尻に涙を浮かばせた姿を見て、竜の少女は「おーおー」と野次馬根性丸出しの声を上げる。


「なんともまぁ、下半身に忠実なことで。男ってのはいつの時代も変わらないね」

「……馬鹿どもが。女をかどわかすにしても、せめてあの派手な制服からは着替えるべきだろうに」

「そういう問題じゃないだろ。あの下劣さは騎士としてどうなのよ?」

「論外だな。そもそも、騎士というのはああいった輩を成敗する人間のことだ」

「そうか。じゃあ、身内の不始末は身内がつけるってことで一つ」

「なに? ちょっと待――」


 と、アウロが止める間もなく少女はふっと姿を消してしまった。

 今朝も使っていた、お得意のテレポートだろう。


 残されたアウロは舌打ちを漏らしつつ、再び建物の影から路地の様子を伺った。

 が、状況はかなり悪化している。追い詰められた女性は身を翻して逃げようとしたものの、男たちは三人がかりでそれを抑えこんでいた。


「おい、暴れんな。口押さえろ」

「はーい、静かにしましょうねー」

「は、離し――!」


 必死の抵抗をする女性の頭から、ぱさりと音を立ててフードが落ちる。

 その下から露わになったのは、ケットシー族の証である三角形の猫耳だ。

 やがて、ぐらりとバランスを崩した彼女は石畳の上に倒れこんでしまった。


「……なにをしている」


 直後、底冷えのするような声が路地に響く。


 しかし、その声を発したのはアウロではない。

 小道の奥に佇む、鎖帷子を着た男が発したものだ。


 警備隊の衛士らしき彼の前では、いま正に犯罪が行われようとしていた。

 ケットシー族の女性は地面に組み伏せられ、その周囲には荒い息をこぼす男たちの姿がある。これ以上ないほどの決定的瞬間だ。


「ん、警備隊の方か。お勤めご苦労様」


 だが、男たちの反応には焦りがない。

 一方、衛士の側も怪訝そうに眉を寄せた。

 暴漢と思っていた相手が、貴族らしき立派な身なりをしていたためだ。


「その制服……あなた方は竜騎士養成所の?」

「そうだ。今、この女の身元を改めているところだ」

「はぁ、そうですか。しかしですね、一応この街に住んでいる亜人どもも王国の民でして。このような勝手な真似をされると、なんというか、困るんですよ。せめて、きちんと段取りを踏んでいただかないと」

「分かってるさ。受け取ってくれ」


 と言って、男の一人が衛士めがけてコインを弾く。

 くるくると回転するそれを空中で受け取った衛士は、沈みかけの夕日にコインをかざした。コインの表面は金色に輝いていた。


「ほお、ソリダス金貨ですか。このようなものをいつも持ち歩いているので?」

「一番便利な身分証明書だからな」

「なるほど。確かに……」


 にやり、と衛士は悪徳商人顔負けの笑みを浮かべる。

 その足元では口元を塞がれた女性が必死にうめき声を上げていたが、彼にとっては職務に対する誇りよりも、目の前の金貨の方が大事らしかった。


「じゃ、後はこっちに任せてくれ」

「はっ! では、警備に戻らせていただきます!」


 懐に金貨を仕舞った衛士は敬礼一つして、その場から踵を返した。

 追って、押し倒された女性のくぐもった悲鳴が路地に満ちる。

 勿論、立ち去った衛士が振り返ることはなかった。


「………………」


 目の前で繰り広げられたやり取りに、アウロは思わず声を失ってしまった。


 あの男たちは、なにも考えなしに制服で出歩いているわけではないのだ。

 むしろ逆。あの制服が貴族身分を保証してくれるからこそ、賄賂で衛士たちを黙らせることができる。

 しかもわざわざ社会的に立場の弱い亜人を狙う念の入れようだ。

 恐らく、彼らは今まで何度もこういったことを繰り返しているのだろう。


(今のログレスが腐り切っているのは分かっているつもりだったが……)


 アウロは久々に、怒りで頭の奥がすっと冷え切るのを感じた。


「おい、そこの。お前たちはカムロートの騎士として恥ずかしくないのか?」


 投げかけられた台詞に男たちは振り返る。

 血のように赤い斜陽の中、アウロはそこで初めて彼らの顔を見た。


「なんだ。誰かと思えば……」

「ギネヴィウス!? な、なんでお前がここに!」


 ぎょっと目を見開いた男たちの顔に、アウロは見覚えがあった。

 名前は覚えていない。だが、飛行科の訓練生だ。普段はルシウスに腰巾着の如く付き従っている連中である。

 その中の一人、先ほど衛士に賄賂を渡していた男はうっすら口元をつり上げ、


「ふん、ギネヴィウス。まさかお前も女漁りに来てたのか?」


 アウロは「女漁り?」と首を傾げた。


「どういうことだ?」

「知らないのか? 他の連中もさ、結構こういうことやってんだぜ。なにせ相手は亜人だからな。警備隊の連中もまともに取り合わないんだよ」

「なるほど。で、お前たちもそれに便乗させてもらっていると」

「そういうことだ。なんならお前も混ぜてやろうか?」

「……ふむ」


 アウロはおとがいに手を当てると、そのまま押し倒された女性の元に歩み寄った。

 彼女は太った男に両肩を押さえつけられ、もう一方に足を拘束されていた。

 顔は――暗がりでよく見えないがなかなかの美人だ。

 その涙をたたえた黒い瞳が、すがるようにアウロを見た。


「たすけ……」

「少し待て」


 言って、アウロはおもむろに女の肩を押さえつけていた男の顎を、思いっ切りブーツの先端で蹴り上げた。

 それは完璧な不意討ちだった。顎先を強打された男は、たちまち「ぶごっ!?」と豚のような悲鳴を上げて仰向けに倒れ込む。


「なっ、ギネヴィ――ぎあっ!?」


 更にアウロは立ち上がりかけたもう一方の頭めがけて、体重の乗った後ろ回し蹴りを放った。

 がっ、と響く鈍い音。側頭部をブーツの踵で穿たれた男は、その一撃で横向きに昏倒してしまう。真横から脳を揺さぶられたためか、起き上がってくる気配もない。


 こうして瞬く間に二人の男が地面に崩れ落ち、後にはぽかんとした表情の女性だけが残された。


「なにをやっている。さっさと逃げろ」

「え……あ、は、はい! ありがとうございます!」


 アウロに促され、石畳から立ち上がった彼女は慌ただしく路地裏を後にした。

 一方、完全に顔色を失っているのはリーダー格らしき最後の一人だ。

 男は魚のように口をぱくぱくさせながら、震える人差し指をアウロに向けた。


「な、お、お前……」

「悪いな。あいにく俺は貴様らほど落ちぶれちゃあいないんだ」

「っ――ギネヴィウスっ! 貴様っっ!!」


 男は激昂の声を上げるなり、腰の鞘からブロードソードを抜き放つ。

 夕日を浴びて輝く白刃にアウロは目をすがめた。


(こいつは……)


 一体どこまで考えなしなのだろうか。

 いくら私生児とはいえ、アウロの背後には王家の存在がある。

 それをこんな下らない喧嘩で殺傷してしまえば、後々困るのは自分の方だ。


「お前は剣より先に手袋を出すべきだったな。正式な決闘であれば罪に問われなかったものを」

「ほざけぇっ!」


 怒声とともに男は両手で剣を握り直す。

 だが、もうアウロには目の前の連中に関わるつもりなど欠片もなかった。


(――さて)


 元々、アウロは荒事に不慣れだ。

 先ほどは二人の男をのしたものの、本来、自分の体格が殴り合いに向いていないこともよく知っている。

 故にここで彼の取るべき行動は一つしかなかった。


 直後、カムロートの騎士であるアウロ・ギネヴィウスは敵に背を向けた。

 そして、そのまま表通りめがけて全力で逃走を開始した。

 この動きに目を剥いたのは剣を構えていた男の方である。


「なっ!? ……ま、待て、貴様! 逃げる気か!」


 ――ああ、そうとも。


 アウロは心の中で答えた。

 既にケットシー族の女性を助けるという目的は果たされている。

 なにより凶器を持った相手に素手で立ち向かうほど、アウロは無謀ではない。


 やがて、アウロは一分ほどかけて相手の追撃を振り切り、街の表通りへと飛び出した。

 が、勢いがつきすぎていたためか。バスケットを抱えた歩行者とぶつかりそうになってしまう。


「う、わぁ!?」

「……っと!」


 アウロは素早く倒れかけた歩行者を支え、その手から離れた籠を空中でキャッチした。

 宙に浮かびかけていたパンとリンゴがバスケットの中へと綺麗に収まる。

 と同時に、オレンジ髪の少年は怪訝そうにアウロの顔を見上げた。


「アウロ? なにやってんだよ、こんなとこで」


 ぴくぴくと揺れる猫耳はケットシー族の証だ。

 しかし、その格好はアウロと色違いの茶色いコートである。

 開発科の主任、シドカム。アウロにとっては貴重な養成所での友人だった。


「シドカムか。丁度いい、少し匿ってくれ」

「は? まさかアウロ、なんかやらかしたの?」

「まぁな。ルシウスの引き連れているボンボンどもと少しやり合った」

「え、あー……うん。そういうことか」


 なにやら事情を察したらしいシドカムはバスケットを抱え直すと、


「分かった。ならこっちについて来てくれ。近くに秘密の抜け道があるんだ」


 そう言って、表通りを駆ける友人の背をアウロは足早に追いかけた。

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