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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
56/107

3-11

「むぅ、主殿ったら寝坊をするなんて珍しいな」


 その日、カムリがアウロの部屋へ向かったのは朝の九時頃のことだった。


 普段、彼女の主は早朝五時に起き、ハンナと共にトレーニングを開始する。

 が、今日に限っては門前に姿を見せず、更にこの時間になるまで執務室にもやって来なかったのだ。

 そこでギネヴィウス家執事長のロウエルは、主君の元にカムリを派遣した。人選はなんとなく暇そうだったから、というのが主な理由である。


「こんこーん。アウロくん、朝ですよー」


 二階に辿り着いたカムリは、こつこつと部屋の扉をノックした。

 が、中からは返事がない。予想外の事態に、形のいい眉がむっと寄せられる。


 ――なにかがおかしい。


 カムリは床に膝をつき、スパイの如く扉に耳を押し当てた。

 中からは寝息が聞こえる。主が在室しているのは間違いない。

 だが、彼女の耳には二つの寝息が重なって響いているようにも思えた。


「むむぅ……」


 カムリはしばし悩んだものの、結局はドアノブをひねった。

 なんとなく嫌な予感がした、というのもある。いわば女の勘だ。


 結果的に、その予感は的中した。


 アウロは薄手のシャツにズボンという格好で、室内のベッドに横たわっていた。

 そして、その隣には白い寝間着に身を包んだ少女が、恋人のように寄り添っていたのだ。

 それも見知らぬ女である。いや、実際はカムリも面識があったのだが、神官服ではないため誰だか分からなかった。


「あ、主殿が女の子を連れ込んでる――だとぉ!?」

「……カムリ?」


 と、そこでようやくアウロは目を覚ました。


 ベッドから身を起こしてすぐに気付いたのは、自分の体の快調さだ。

 慢性化していた頭痛と眠気が綺麗さっぱり消え失せ、生まれ変わったように全身の倦怠感が取れている。

 恐らく、ルキの術が効いたのだろう。久々の爽やかな朝だった。


「ん? こいつ、なんで……」


 次いで、気付いたのは自身の隣に当のルキがいることだ。


 少女はアウロの二の腕に抱きついたまま、完全に熟睡していた。

 背を丸め、すやすやと寝息を立てている姿は生まれたての赤子のようでもある。

 しかもルキが身に付けているのは薄手のワンピースのみだ。昨日、羽織っていたはずの上衣は床に脱ぎ捨てられていた。


(っと、観察している場合じゃない)


 はっと我に返ったアウロは、すぐさまルキの肩を軽く揺さぶった。


「ルキ、起きろ。もう朝だぞ」

「………………スヤァ」

「スヤァ、じゃない。こら、早く起きろ」


 アウロは再びルキの体へと手を伸ばした。


 が、今度はそれより先にカムリが動いた。ほっそりした少女の手が、ベッドに敷かれたシーツをがっしと掴む。

 そして、彼女はすぅっと息を吸い込むと、ふんわりしたシーツをテーブルクロスの如く一息に引き抜いた。


「でぇーい!」

「きゃっ!?」


 たまらず、ベッドの上から転げ落ちるルキ。

 一方、アウロは素早く壁際へと逃れていた。格闘戦ドッグファイトで培った反射神経の賜物である。


「おい、カムリ。いきなりなにをするんだ」

「なにをするんだじゃないよ! それはこっちの台詞だよ!」


 「ううー」とカムリは目の端に涙を浮かべたまま、うなり声を漏らした。

 もはや、完全に修羅場の雰囲気である。アウロは先日までとは違うタイプの頭痛を感じた。


「落ち着け。別にお前が思っているようなことはなにもなかった。ただ最近、体調が悪かったんでルキに治療してもらっていただけだ」

「嘘だっ! ベッドインしたままする治療なんて聞いたことがないよ!」

「東洋には房中術という……いや、なんでもない。そもそも、最初はルキもベッドの脇にいたはずなんだ。それが何故か、朝起きたら隣にいて――」

「うわあぁぁん! わらわの主が寝取られた!」


 と大げさに泣き喚くカムリ。

 その隣で、ルキは寝ぼけ眼をこすりながらむっくりと体を起こした。無理やり叩き起こされたせいか、どこか不機嫌そうにも見える。


「騒がしいですね、何事ですか」

「お前のせいだよ」


 アウロは深々とため息をこぼした。


「ルキ、なんでここにいるんだ。治療が終わったら部屋に戻るんじゃなかったのか?」

「……?」


 ルキはきょろきょろと周囲を見回した。

 ようやく、自分がアウロの部屋にいることに気付いたらしい。


「ああ、申し訳ありません。どうやら、うっかり眠ってしまったようです」

「なるほど。だが、何故ベッドの中に?」

「多分、寝ぼけていたのではないでしょうか。私は低血圧のせいか、眠くなるとおかしな行動に出ることが多いのです」


 「ふぁ」とあくびを噛み殺しながら言うルキ。

 そんな彼女を前に、カムリは実に面白くなさそうな表情をしていた。


「主殿、よく見たらこいつ天聖教の神官じゃないの。いつの間に仲良くなったのさ」

「昨日の夜、少し話しただけだよ。こちらとしても、司祭プルーンをどうにかしたかったのでな」

「あのぶーちゃん? あいつ、色んな所に喧嘩を吹っかけてるらしいね。でも、この小娘だって同類じゃないの?」


 カムリの意見はもっともである。

 アウロは答えず、代わりにちらりと隣に視線をやった。


「エルフ族のあなたがそう思うのはもっともです」


 ルキは床に落ちていた上着を羽織った後で、カムリへと向き直った。


「しかし、教団に所属する神官全てが差別主義者だと思われるのも心外です。少なくとも、私は亜人排斥の考え方に傾倒している訳ではありません」

「それは知ってるよ。でなけりゃ、ロウエルの爺さんや孤児院のがきんちょどもの診察なんてしないだろうしね」


 カムリは「でも」と言葉を続け、


「そなたみたいなのは少数派だ。なにしろ、この国の神官たちはろくでもない奴らばっかだもの」

「否定はしません。ただ、それなら個人的に私と仲良くして頂けませんか?」


 無表情のまま言って、ルキは手を差し伸べる。

 カムリは眉を寄せたものの、結局はその手を取った。


「わらわはカムリ。アウロ・ギネヴィウス、第一の下僕だ」

「カシルドラの娘、ルキ・ナートです。よろしくお願いします」


 と表面上は固い握手を交わす二人。


 が、両者の間にあるのはギスギスした雰囲気だけだ。

 セカンドコンタクトがあまり良い形ではなかったためだろう。

 カムリはルキを危険視し、それを感じ取ったルキの側も警戒を強めているらしい。


 その内に、ルキは視線を逸らしてカムリから背を向けた。

 まどろむような色をした蒼の瞳が、ベッドに座ったアウロを見つめる。

 冷たい眼差しだ。しかし、アウロは以前ほど居心地の悪さを感じなかった。


「アウロさん、体調はどうです?」

「良くなったよ。おかげさまで――」


 言いかけたアウロは、そこで言葉を切った。

 近付いてきた少女がおもむろに手を伸ばし、彼の前髪をかき上げたせいだ。


 「おまっ……」と声を漏らしかけたカムリをよそに、ルキは顔を近付けると、こつんと自らの額をアウロの額に押し当てた。

 柔らかな肌の感触。春風のような香りが一瞬漂い、そして、すぐに離れてしまう。

 呆気にとられるアウロの前で、ルキは閉じていた瞼を開いた。


「確かに熱も下がっています。大丈夫そうですね」

「……あのな、子供じゃないんだ。自分の熱くらい自分で計れる」

「では、次からはそうして下さい。熱があった際は私に連絡していただけると助かります」


 と、医者と患者の立場で話されては抵抗のしようがない。

 アウロは肩をすくめて降参の意を示した。そんな主を、カムリはふくれっ面で見ている。


「やっぱり、主殿。いつの間にか天聖教の小娘と仲良くなってる……」

「嫉妬ですか?」

「ちっ、違うもん! というか、そういうことをストレートに聞いてくるなよ!」

「すみません」


 ルキは謝罪した。

 が、その石膏で塗り固めたような表情からは誠意の欠片も感じない。

 おかげで、カムリはますます頬をふくらませてしまっている。感情的な性格のカムリと冷徹なルキでは、どうも相性が良くないらしい。


「いつまで経っても戻ってこないと思ったら……なにをやっとるんだ、お前たちは」


 そうこうしている内に、部屋の入口から犬耳の老人が姿を見せる。

 ロウエルは室内の様子と、睨み合う――と言うには一方的だが――二人の少女を見て眉をひそめた。


「アウロ様、これは一体何事ですか?」

「俺が聞きたいよ」


 アウロは天井を仰いだまま投げやりに答えた。






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 司祭プルーンが行動を開始したのは、それから半月後のことだ。


 ここケルノウン半島には少数ながら、天聖教の信徒が存在していた。

 更にルキの布教活動が実り、この地における信者の数は以前より格段に増えている。

 中でもプルーンが目を付けたのは、教養がなく、潜在的な不満を抱え、なおかつ思い込みの激しい貧者たちだった。

 男は時に司祭の立場をひけらかし、時には熱のこもった説教を行って、彼らを自らの人形へと仕立てあげたのである。


「見よ! 顧みるがいい、己の身を! そして、考えよ! 諸君らをこのような立場に追いやったのは誰だ! 諸君らが日々地べたを這いずり回って生きているのも、王都から駆逐されし『汚らわしき血の者ども』がこの地へと逃れてきたためではないか! きゃつらは諸君から職と、糧と、誇りを奪い取ったのだ! ……それらは本来あるべきところに戻されるべきだ! 違うか!?」


 芝居がかった問いかけに対し、人々の間からも熱狂的な賛同の声が上がる。


 男がいるのは古い屋敷の中だ。

 穴の空いた天井から差し込むぼんやりした光が、ひび割れた石畳の敷かれたエントランスホールと、その奥に置かれた真新しい説教台を照らしている。

 ホールに詰めかけているのは五十人近い民たちだった。泥と埃に塗れた体は薄汚く、身に付けたチュニックも破れかけの粗末な代物である。しかし、闇の中に浮かぶ瞳だけはぎらぎらと異様な輝きを放っていた。


「良いか、諸君! そもそも、亜人などというのは邪悪な神を崇める異教徒なのだ! 故に我らはあの邪悪を排除しなくてはならぬ……。きゃつらを打倒せずして平和はやって来ない! 我等の手でこの地に平穏を取り戻すのだ! 神をも恐れぬ悪魔に、正義と秩序の鉄槌を!」


 プルーンは拳を振り上げ、靴のかかとで石畳を打ち、演説を締めくくる。

 追って、聴衆の間から割れるような拍手と歓声が溢れた。


 この屋敷に集った人々は既にプルーンの言葉に洗脳されていた。

 なにしろ、当の本人が心の底から亜人を邪悪な存在であると信じているのだ。

 大陸で長期間、異教の神を掲げる敵と戦ってきたプルーンにとって、異教徒とはすなわち人々に災いを成す悪鬼である。

 無神論者はその姿をあざ笑うだろう。だが、彼にとってその妄執はもはや、確固たる信念と化している。


(少し時間はかかったがこれで手駒は揃った。兵が足りんなら現地で戦力を調達すれば良いのだ。それが宗教というものの強みだ……)


 プルーンは沸き立つ民を見下ろしつつも、心の中では邪悪な笑みを浮かべていた。


 見た目こそ太りきっただらしのない風貌をしているが、これでもプルーンは幾つもの任務を達成している優秀な司祭だ。

 が、その功績は教団内部ではなく、戦いの場や諜報員として上げたものの方が多い。

 とりわけ敵の懐に潜り込み、信仰という毒で相手を腐らせるのは、彼の一番得意とするところだった。


「司祭様」


 ふと、背後からかけられた声にプルーンは振り返った。


 この古屋敷はイクティスの北東。港町ヘイルの外れに位置している。

 彼に声をかけてきた冴えない風貌の中年男は、この屋敷の元々の持ち主だった。

 この男は古くからヘイルの地で商いを行っていたらしいが、アウロと手を組んだシドレー商会の台頭によってすっかり顧客を奪い取られてしまい、その怨みもあって司祭の思想に協調したのだ。プルーンにとっては大切なパトロンの一人だった。


「とりあえず、私の側でも集められるだけの人間と武器は集めました。決行はいつになさいますか?」

「ふふん、そう焦るでない」


 額に汗を浮かべる商人に対し、プルーンは余裕の表情を見せた。


「こちらの動きが奴らに気取られるのはまずい。無論、ケルノウン伯や他の神官たちにもだ」

「あ、あの、ルキ様は我々の計画をご存知ないので?」

「知らぬよ。あの娘は超が付くほどの平和主義者でなぁ。我々の計画を知れば必死にやめさせようとするだろう」

「しかし、それでは――」

「なに。崩壊というのは一度始まれば決して止まらん。ルキも最終的には我々に味方するだろう。おぬしが心配するようなことは何もない」


 「な、ならいいのですが」と男は引き下がった。


 その姿にプルーンは苛立ちを覚える。

 どうも、人々の中には彼以上にあのルキ・ナートを信奉している者も多いのだ。

 なにしろ、見た目が美少女で献身的な性格である。愛想がないとはいえ、治療術の腕前も確かだ。


 プルーンも神聖秘術ミラクラムの心得はあるものの、治療に関しては不得手だった。

 この辺りは才能と適正の問題だ。彼が得意なのは人々を癒す術ではなく、破壊する術である。


「決行は、そうだな。三日後の新月の夜にしよう。他の者どもにも伝えておいてくれ」

「はい」


 商人は硬い表情で頷き、プルーンの傍から離れる。

 代わって、法衣を纏った神官の一人が司祭に小声で耳打ちした。


「プルーン様、先ほど宰相様からご注文の品物が届きました。既に搬入も済んでおります」

「いいタイミングだな。数はいくつだ?」

「四機です」


 プルーンは満足そうに微笑んだ。「素晴らしい」


「グロリアよ、宰相様の贈り物はお前たちに預けることとなるだろう。他に信を置ける者もいないのでな」

「分かりました。ただ、我々もアレを操縦した経験はありませんが……」

「今の内に練習しておけ。いざという時に動きませんでしたでは、なんのために用意したのか分からん。ただ、ルキや他の者たちに露見しないよう管理だけは厳重にしろよ。良いな?」

「了解です」


 深々と頭を下げる己の部下に、司祭は上機嫌のまま言った。


「とはいえ、これだけの戦力があるのだ。我らの勝利は約束されたようなものさ」


 プルーンは再び屋敷に集った信者たちを見渡して、にんまりと笑みを浮かべる。


 彼も、その周りの人間も、自分たちの成功を全く疑っていなかった。

 なにしろ、これは彼らが幾度となく繰り返してきた任務なのだ。

 だからこそ、屋敷の外に張り込んでいた山猫部隊(リンクス)の隊員が、音もなくその場を離れたのには誰一人として気付かなかった。






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「主様、司祭プルーンは三日後の夜に動く予定のようです」


 ハンナの報告に、アウロは「そうか」と頷いた。


 その日、アウロは屋敷の応接室に主だった面々を集合させていた。

 ソファに腰掛けたアウロの隣にはカムリが座り、対面ではルキがちびちび林檎のジュースを飲んでいる。

 また、背後には犬耳の老人も控えていた。ギネヴィウス家の幹部が一つの部屋に勢揃いした形だ。


「ふん、ようやくか。で、具体的に連中はどういう行動に出るつもりなの?」

「はい。私たちの調査によれば――」


 ハンナは手に抱えていた羊皮紙をめくり、


「彼らは港町ヘイルにあるシドレー商会の支部を襲撃する予定のようです。代官たちの監督役であるシオメンさんを殺害し、商会をギネヴィウス伯爵領から撤退させるのが目的と思われます」

「予想通り、武力行使に出てきたか」


 アウロはふっと口の端に笑みを浮かべた。


 アウロが立てた作戦というのは単純で、プルーンの動きを抑制するのではなく、いっそのこと爆発させてしまえというものだった。

 つまり司祭に自ら蜂起してもらった後で、その信奉者ともどもお縄にかけてしまおうと目論んでいたのだ。シドレー商会は釣りの餌に使われた形である。


「現在、領内の亜人たちをまとめているのはシオメンさんです。これを潰してしまえば、天聖教と亜人の対立は決定的となります」


 銀のカップから口を離したルキが、淡々とそう補足する。

 ハンナはそんな彼女を、やや複雑そうな表情で見ていた。


 彼女とリコット、それに孤児院の子供たちは天聖教の意向を汲んだ王国の政策によって、カムロートの亜人街から叩き出されている。

 口には出さないが潜在的な不信感が透けて見えるようだ。アウロは念のため、ネコミミの少女に声をかけた。


「ハンナ」

「は、はい」

「思うところはあるだろうが今は我慢しろ。聖職者といっても頭の固い人間ばかりではない。少なくとも、ルキはこちらの味方だ」

「いえ、ルキさんのことは私も信用しています。その、子供たちが何度も世話になりましたし」


 ぎくしゃくと答えるハンナに、カムリは尋ねた。


「の割には、不審者を見るような目でルキのことを見てなかった?」

「ち、違いますよ。ただ、今回の作戦はルキさんもご存知なんですよね? 少し意外だな、と思って」

「んー、気持ちは分かるよ。この小娘は表向き、純真無垢を装ってるからね。中身は真っ黒だけど」

「人を腹黒のように言わないで下さい」


 と、抗議するルキ。


 この二人は先日の朝の一件があってからというものの、なにかと対立ばかりしている。

 大抵、喧嘩を吹っかけるのはカムリなのだが、ルキも几帳面にそれを買い取るのだから始末に負えない。

 一人、傍観者の立場にあるロウエルはわざとらしく空咳をこぼした。


「アウロ様、話が脱線しています」

「……分かっている」


 アウロは額を押さえたまま、ハンナに先を促した。


「ハンナ、司祭プルーンが用意している戦力は分かるか?」

「はい。中核となっているのは彼が洗脳した民衆たちです。数は全体で五十人ほど。更に、二十人近い傭兵が参加するようですね」

「傭兵? この近くに傭兵団なんてあったっけ」

「傭兵といっても中身はならず者です。最近、領内を荒らしている盗賊団がいたのですが、それをヘイルの商人が雇ったのだとか」

「なんだ。じゃあ、容赦なく殺していいってことか」


 と無垢な顔で残酷な台詞を吐くカムリ。

 ルキはその姿に少し眉を寄せつつ、ハンナへと尋ねた。


「ハンナさん、ヘイルの商人というのは?」

「あ、はい。あの港町に古くからいた商人です。シドレー商会が出店してきたことで顧客を奪われ、途方に暮れているところを司祭プルーンにつけ込まれたものかと」

「そうですか。彼らに対する救済措置も考えた方がよさそうですね」

「別に放っておけばいいじゃない。昔から領内にいた商人なんて、どうせ大した数はいないんでしょ?」


 「だとしてもです」とルキは語気を強めた。


「私は大勢の人々のために、一部の人間を不幸にするようなやり方は嫌いです。それは弱者を切り捨てているだけに過ぎませんから」

「でも、そういうの。理想論って言うんだと思うけどな」

「否定はしません。ただ、妥協に逃げるより理想を目指した方が、幾分か健康的だと思いませんか?」

「む……確かに、一理あるな。彼らもこの国の民だ。手を差し伸べるくらいはした方がいいか」


 ルキの言葉に、カムリはあっさりと頷いた。


 見た目は少女でもカムリはこの国の守護神だ。

 基本的にログレスの民には甘く、異国人には厳しい。

 戦々恐々と二人の様子を見守っていたハンナは、議論が纏まったのを察して言葉を続けた。


「ええと、この盗賊団には既に部隊のメンバーを見張りに付けています。一応、先制攻撃をかけて壊滅させることもできますが」

「そんなことができるんですか? ハンナさんの部隊はせいぜい、自警団と同じレベルだと思っていましたが」


 鋭い質問に、ハンナは「あうう……」と言いよどむ。

 この場にいる面々の中で、唯一ルキだけがハンナとキャスパリーグ隊の繋がりを知らない。

 彼女もそれを忘れていた訳ではないだろう。が、先ほどの発言は少しばかり不用心だった。


 アウロはすぐさま、浮足立つハンナに横から助け舟を出した。


「ハンナの部隊には腕利きの戦士が一人いるんだ。ごろつき二十人くらいだったら、あの男一人で片付けられるだろう」

「そうなんですか。すごいですね」

「ルキ、お前にもいずれ会わせるよ。それとハンナ、盗賊団の方は後で纏めで捕まえるからひとまず放っておいていい。ただし、民に被害を出すようなら潰せ」

「わ、分かりました」


 ハンナは首肯し、手に抱えていた羊皮紙のページをめくった。


「それと、彼らの計画では司祭プルーンとその部下である神官たちも襲撃に参加するそうです。後方で指揮を取る予定なのだとか」

「それは好都合。だが、奴らが最後まで戦場に残っているとは思えないな」

「むしろ襲撃が始まったら、さっさと雲隠れするつもりじゃないの? それなら、『あれは他の連中が勝手にやったんだ!』って言い訳できるし」

「ええ、カムリさんの推察通りでしょう」


 とルキも相槌を打ち、


「そもそも、司祭プルーンは今までも似たような手口で各地に小規模な争いを引き起こしています。けれど、それ故に彼のやり方はワンパターンです」

「なら、あいつが逃げる前にぐるっと包囲しちゃえばいいんだ」

「その通り。だが、俺としてはもうひと押し欲しい」

「っていうと?」

「奴を挑発して、こちらを攻撃させるのさ。それなら、あの男に決定的なダメージを与えることができる」

「うーん……でも、それは難しくないかな。あのぶーちゃん、ああ見えて安い挑発に乗るようなタイプじゃないと思うよ」

「普通に罵詈雑言を浴びせただけでは無理だろう。そこで、こちらも餌を用意することにした」

「餌? 具体的には?」


 アウロは低い声で告げた。「俺とルキだ」


「今、プルーンが目障りに思っているのは俺たち二人だ。奴の企みを潰した上で、俺とルキが姿を現せば、起死回生を賭けて攻撃をしてくる可能性が高い」

「なるほど。よく考え込まれてるね」

「まぁ、相手が攻撃してこなければその時はその時だ。最悪、あの男が民衆を煽動していたという証拠さえ掴めばいい」

「現段階でも十分過ぎるほど情報が集まっているようですしね」


 と付け加えるルキ。その視線は琥珀色の液体で満たされたコップへと注がれている。


「ただ、不安なのは司祭プルーン自身の戦闘力です。あの方は昔、大陸で異教徒狩りのプロフェッショナルとして知られていました」

「うん? ってことはあのぶーちゃん、あんな体型の癖して強かったりするの?」

「聖教団には、神聖秘術ミラクラムと呼ばれる技があります。基本的には人を癒やし、回復させるための術ですが、攻撃用の術式がない訳ではありません」

「そっか。まぁ、でも大丈夫だよ。もしぶーちゃんが攻撃してきたとしても、わらわが主殿と一緒にそなたのことも守ってあげるから」


 そう言って、自信たっぷりに胸を叩くカムリ。

 ルキは怪訝そうに少女を見た。


「カムリさんが? そんなことができるのですか?」

「もちろん。わらわをなんだと思ってるのさ」

「てっきり、アウロさんの愛妾かと」

「あいしょ……!?」


 カムリは音を立てて、ソファから立ち上がった。

 美しく整った顔立ちが林檎のように赤く染まっている。その内、頭の上から湯気が出そうなほどだ。

 彼女は幾度か口をぱくぱくとさせた後、震える指先をルキに差し向け、どうにか喉奥から声を絞り出した。


「な、なに言ってるんだよ! そなたは致命的な勘違いをしている!」

「勘違いでしたか。すみません。先日、私がアウロさんの部屋で夜を明かした際、ひどく取り乱した様子でしたので、そういう関係なのかと」

「あ、アウロさんの部屋で夜を明かした?」


 と、今度はハンナがケダモノを見るような眼差しをアウロへと向けた。

 どうも、ありがたくない方向に話題が移りつつある。いわれのない嫌疑をかけられたアウロは平静を装って言った。


「別に、ルキに手を出した訳じゃないさ。流石に、一回り年下の小娘に欲情するほど女に飢えていない」

「そ、そうですか。いえ、別に主様を疑った訳ではないのですが」

「まぁ、主殿はわらわがベッドに潜り込んでも、絶対手を出してこないくらい奥手だからね」

「……それは異常ですね。アウロさん、ひょっとして下半身の病気ですか?」


 一瞬で医者の顔になったルキはひどく真剣な声を漏らし、


「本来は専門外ですが、診療が必要なら相談に乗ります。恥ずかしいかもしれませんが、きちんと言って下さいね」

「か、下半身の病気なんて、そんな、卑猥な……」

「年頃の男性には意外と多いらしいですよ」

「し、知りませんそんなこと!」


 真っ赤になった顔を羊皮紙の束で隠すハンナ。

 もはや収拾のしようがない。女三人で市ができるとはこのことだ。

 アウロはテーブルに肘をついたまま額に手を当て、疲れ切ったため息をこぼした。


「ロウエル、助けてくれ」

「アウロ様、こういうのは自業自得と言うのですよ」


 突き放すような老人の台詞に、アウロはなにも言い返すことができなかった。

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