3-10
アウロ・ギネヴィウスの朝は早い。
夜三時頃に寝たアウロは、およそ二時間後の朝五時頃に起床する。
ベッドから出た後はまずトレーニングの時間だ。護衛のハンナと共に、領内を巡回ついでに三十分程度走る。
その後は屋敷の中庭に戻り、筋トレをしつつ、最近起きた出来事などの報告を受ける。時間は一秒たりとも無駄にはできない。
アウロが肉体のメンテナンスにかける時間はおよそ一時間ほど。
現状、養成所で造った体を維持しているだけで、それ以上の鍛錬は積んでいない。
機竜の操縦に至っては当の機甲竜と騎士甲冑がないため、まともに飛行訓練も行えない始末だ。
(戦闘のカンが鈍るのは避けたいが……)
生身で空を飛べない以上は是非もない。
乗機の方はカムリがいるものの、アーマーはシドカムに注文したものがまだ時間がかかりそうだった。
「それと主様、シルヴィア・アクスフォードが面会を求めています」
トレーニングを終え、木綿のタオルで汗を拭いていたアウロは、最後に付け加えられた一言に眉を寄せた。
「シルヴィア嬢が? そういえば、王都を離れてから三ヶ月近くが経つが彼女は元気か?」
「むしろ生き生きしてますよ。今はルヴィという偽名を使って、ロウエルさんの手伝いをしています。ご存知でしたか?」
「話は聞いている。実際になにをやっているのかは知らんが」
「主に書記係ですね。帳簿に記帳したり、報告書を書いたりとそれなりに忙しそうです」
ハンナは嬉しそうに言った。
ハンナにとってシルヴィアは古くからの友人だ。彼女なりに心配していたのかもしれない。
「今回は主様にご相談したいことがあるそうです。時間は早ければ早いほど良い、ということですが」
「分かった。できれば朝の内に会いたいな。九時頃、こちらに来れそうか?」
「問題ないと思います。では、シルヴィに伝えておきますね」
「頼む」
アウロは一礼するハンナを残して、屋敷の中庭を後にした。
この後、朝食を終えたらすぐに領主としての仕事が待っている。
アウロ・ギネヴィウスの長い一日の始まりだ。
商会の面々が来てから一ヶ月が経ち、領地の管理も緩やかだが軌道に乗りつつあった。
既にシドレー商会の商人たちは各地に散らばり、まとめ役であるシオメンの元で政務に励んでいる。
その補佐役として動員されているのが、ルキを筆頭とした神官団だ。この両輪で領内のほとんどの事柄が運営されている。
それでも、アウロの成すべき仕事は多い。
なにしろ信頼できる部下が少ないため、重要な決定事項には全て目を通さなくてはならないのだ。
加えて、領主として認可を求められる事案もある。特に、ギネヴィウス伯爵領は生まれたての赤子なので問題も多い。
「さて、今日も大量の報告が届いておりますな」
アウロの隣に控えたロウエルは、積み上げられた報告書を一つ一つを丁寧に読み上げた。
「これは領内に出没している盗賊たちに関する陳情ですか。次はペンザンスで起きた地元豪農同士の対立に関わる案件。それと神官たちからは教会の建設許可を求める陳情が来ています。また、ヘイルにいるシオメンからは新しい市と港湾の開設プランが上がっておりますな」
「分かった」
執務室のデスクに腰掛けたアウロは、ロウエルから受け取った羊皮紙に順次目を通していく。
が、途中ふと思い出して老人に尋ねた。
「そういえば、この報告書。シルヴィア嬢が作ったものなのか?」
「はい。いかんせん、私はこういった文字を書く作業が苦手でして。彼女のおかげで随分と助かっております」
「一応、領内からも教養のある人間をかなり雇ったはずだが……」
「彼らはまだ使い物になりません。いわば、新兵と同じです。しばらくは教練を施さなくては」
「の割に、シルヴィア嬢だけあっさり戦力になっているのは何故だ?」
「それは基礎能力が違いすぎるからです。彼女はエリートで向上心も高い。おまけに性格的にもまじめと来ている」
「……珍しいな、お前がそこまで人を褒めるとは」
既にロウエルはシルヴィアの素性――『斧の反乱』を起こしたアクスフォード家の令嬢――について知っている。
が、この老人は頑固で厳格なたちだ。相手が貴族だからといって色眼鏡で見るようなこともない。
つまり、シルヴィアの能力がそれだけ高いということだろう。
「そういえば、今日。朝の内にシルヴィア嬢がこちらへ来るはずだ。彼女の方から面会希望ということだが、なにか心当たりはあるか?」
「フム……。私はなにも聞いておりませんが、彼女は書記として領内の事件の大半に目を通しております。なにか気付くことがあったのではないかと」
「お前やハンナを通して報告すればいいような気もするが」
「ならば、私やハンナには言いにくいことなのかもしれませんな」
「つまり――」
「亜人に関わること。恐らくは天聖教、ですかな?」
「また連中か」とアウロは呟いた。
現在、アウロは聖教団の人間に山猫部隊の面々による監視を付けていた。
といっても見張っているのはプルーンと神官たちだけだ。ルキは基本的に診療所の外へ出ていないため、トラブルとは無縁である。
そもそも大半の場合、問題の渦中にいるのは司祭プルーンだった。なにしろ、監視付きでも度々領内で騒動を起こしているのだ。
「あの豚司祭はつい先日も、街中における居住区の件で領民たちと揉めたばかりです。問題はあの男が単独で動いているのではなく、ルキ以外の神官たちとともに、領内の信者たちを煽動していることにあります」
「彼らの布教活動が上手くいっているようでなによりだ」
「皮肉を言っている場合ではありませんぞ。宗教というのは厄介です。特にこの地には亜人も多いですが、人口自体は普通の人間が圧倒しております」
「分かっているよ。少し、シルヴィア嬢とも話し合ってみよう」
アウロは眉間を揉みほぐしつつ、デスクに積まれた大量の報告書へと取り掛かった。
あまりお喋りをしている時間もない。仕事は文字通り、山ほどあるのだ。
アウロはすっかり慢性化しつつある偏頭痛に悩まされながら、くたびれた羽ペンを持ち直した
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シルヴィアはこちらの指定した時刻ぴったりにやって来た。
領地を離れてから随分と時間が経ったはずだが、凛とした花のような立ち姿は以前と全く変わらない。
ただ、その格好は何故かメイド服だった。色は深い紺色で、ところどころに古布が継いであった。
「おはようございます、アウロさん」
「おはよう、シルヴィア嬢。ところでその服は?」
尋ねるアウロの前で、シルヴィアはスカートの端を軽くつまんだ。
「ハンナに借りたんです。似合ってますか?」
「よく似合っている。なにも知らぬ人間なら、あなたがアクスフォード家の令嬢とは思わないだろう」
「ありがとうございます。褒め言葉として受け取っておきますね」
シルヴィアはにっこり微笑んだ。
相変わらず、なにを考えているのかよく分からない娘だ。
アウロは一度、目の前に積まれた報告書をデスクの脇へとどけた。途中、危うく書類の山が崩れ落ちそうになって反対側からロウエルが手を伸ばす。
「それで、あなたの相談事だが――。ああ、待て。その前に、ロウエルは離席させた方がいいか?」
アウロは隣に控えたクーシー族の老人を一瞥する。
シルヴィアは「申し訳ないのですが」と頷いた。
「分かりました。では、私は外に出ております」
一礼するロウエルに、アウロは「そうだ」と声を投げかけ、
「今の内に休憩しておいてくれ。午後はまた領内から人が来るはずだからな」
「私としてはアウロ様のご健康も心配なのですが」
「流石に倒れるまで働く気はない。自分の限界くらいは弁えているさ」
「……分かりました」
主の台詞に、ロウエルは不安そうな顔をしつつも引き下がった。
そうして老人が部屋を後にすると、室内にはアウロとシルヴィアの二人だけとなる。
アウロはすぐに執務机から立ち上がり、背後の棚に置かれた銀のカップを二つ手に取った。
「シルヴィア嬢、なにか飲むか? 水と林檎酒の用意があるが」
「でしたらお水を頂きましょうか」
「分かった」
アウロは水を注いだカップを持ったまま、隣室へと移動した。
執務室の隣には応接室がある。中央には古びたオーク材のテーブルが鎮座し、その周りには木組みの長椅子の上にクッションを敷いたソファが、壁際には年代物の暖炉が配置されている。
まるで居間のような作りだが、部屋の各所には落ち着いた色彩の風景画や、白いラッパ水仙を活けた花瓶、魔導式ランプを用いた銀の燭台などの調度品が置かれていた。多くは以前、シドレー商会から受け取った贈り物だ。
「とりあえず適当に座ってくれ」
「分かりました」
シルヴィアは微笑んでソファに腰を降ろした。
身なりは貧乏臭いものの、その所作にはどことなく気品がある。
服装と内面。これら二つの要素が相反しているはずなのに、何故か違和感を感じない。息を吐くように優雅さを着込んでいるためだ。
「それにしても寝不足のようですね、アウロさん。目の下にくまができていますよ?」
「今が一番忙しい時期だからな。それに領主が率先して働かなければ、下の人間もついてきてはくれない。あなたも貴族なら分かるだろう」
アウロはそう言った後で眉を寄せた。
少し、自分の言葉に刺があり過ぎるように思えたのだ。
「すまない。愚痴っぽくなってしまった。で、話というのは?」
アウロがソファの対面に座ると、すぐにシルヴィアは話を切り出した。
「時間ももったいないですし単刀直入に言いますね。今回、アウロさんをお伺いしたのは天聖教の方々にまつわる件です」
「やはりそうか。なにか連中とトラブルが?」
「まさか。私は屋敷に引きこもっているだけですから、騒動に巻き込まれようがありません。ただ、屋内にいても外の情報は入ってきます」
「司祭プルーンが厄介事を起こしているのは俺も聞いている。が、なかなかあれを排除するのも難しくてな」
「でしょうね。あの方もそう思っているからこそ、自由気ままに振る舞っているのでしょう」
シルヴィアは困り顔のまま銀のカップを手に取った。
次いで、アウロも杯の中身を傾けた。ぬるい水がからからに乾いた喉を潤した。
「……シルヴィア嬢、あなたの考えを聞きたい。こういう時、有能な領主というのはどうすべきなのだ?」
「領主の仕事は全てを自分でこなすことではありません。人材を集め、それを適材適所に割り振ること。とりわけ、困難に対しては専門家から意見を求めることです」
「具体的には?」
「ルキさんと話をして下さい」
「ルキ?」とアウロは思わず尋ね返した。
自分でも、内心の困惑がはっきり顔に出るのが分かる。
「あれは教団側の人間だろう。相談相手としては不適格だと思うが」
「そう思うのでしたら、私の進言は無視して頂いて構いません。けれど、彼女はアウロさんのお嫁さん候補としてここへ来たのでしょう?」
「いや、まぁ、それはだな」
「なら、一度は本心でぶつかってみるのがいいと思います。人には言語という手段があり、互いに分かり合うことができる生き物なのですから」
「しかし――」
アウロはなおも反対しようとして、うっと口ごもった。
向かいに座るシルヴィアは相変わらずの笑顔だ。が、そこには相手に否と言わせぬ迫力がみなぎっている。
すさまじいプレッシャーにアウロは白旗を上げた。小さく息をつき、「分かった、分かったよ」と声を漏らす。
「一度、ルキと話し合ってみよう。それにしてもあなたは押しが強いな、シルヴィア嬢」
「よく言われます」
シルヴィアは悪びれた様子もなくカップに口をつけた。
美しい動作である。が、見た目は淑女でも中身は正反対だ。
どうもシルヴィアはアウロが思っていた以上に、頑固で強引な性格らしい。
おまけに頭が良く、行動力に溢れているのだから手に負えない。父親であったアクスフォード侯爵の苦労が偲ばれるというものだ。
「しかし、この話をするだけならロウエルを下がらせなくても良かったんじゃないか?」
「あら、私のお話はまだ終わっていませんよ?」
「そうか」とアウロは言った。
圧倒的戦力を持つ敵航空編隊が、更に追撃戦を仕掛けてきた時のような気分だ。
「なら、他にもなにか懸念すべき事項がある訳だな? それもロウエルに聞かれるとまずいようなことが」
「まずい、と言うほどでもないのですけれどね。できれば、アウロさんと二人きりで話したいことでしたので」
シルヴィアは手に持っていたカップを置き、ハシバミ色の瞳でアウロの顔を見据えた。
「いいですか、アウロさん。司祭プルーンの件も問題ですが、亜人の方々もそれで黙っている訳ではありません。相手が拳を振り上げれば、殴られる側も抵抗しようとするものです」
「それもそうだ。もしや、彼らの側でもなにか動きが?」
「領主がなにもしないのなら、いっそのこと自分たちで神官団を排除してしまえ、という動きが広がっています。中心となっているのはシドレー商会の代表者、シオメンさんのようですね」
「シオメン、か」
アウロはうめき声を漏らした。
思えば、シオメンは天聖教嫌いだ。
こういった行動に出ることは予想してしかるべきだった。
「しかも困ったことにですね。彼らは司祭だけでなく、ルキさんや他の神官たちも殺そうとしているようなのです」
「穏やかじゃないな。だが、どこでそんな噂を?」
「ロウエルさんの元へは多くの方々が報告に来ます。その時、少しだけ領内の様子に探りを入れるのです。バラバラに散らばったパズルのピースでも、組み上げれば一つの絵が見えてきます」
「有能だな。あなたが領主をやった方がいいかもしれん」
「なかなか素敵な提案ですね。けれど、お断りします。今のアウロさんの顔を見ていると領主になりたいとは思えません」
「そんなにひどい顔をしているか?」
シルヴィアはにこやかに頷いた。「まるでゾンビみたいです」
「折角ですから一度、ルキさんに診察してもらったほうがいいかもしれませんね。彼女の診療所はとても人気があって、ロウエルさんも足の古傷を診てもらっているという話ですよ」
と一方的に言いたいことだけ言って、シルヴィアは席を立った。
「色々と失礼な発言をしてしまってすみません。ご報告すべきことは以上です」
「いいのか? 王都を離れてから随分と時間が経った。あなた自身、悩み事や不安に思っていることがあれば相談に乗るが」
「ありがとうございます。でも、弱音を吐いてばかりはいられませんよ。これ以上、アウロさんの貴重な時間を割いていただくのも申し訳ないですし」
「……そうか。他にも、なにか気付いたことがあれば早めに教えてくれ。次からは面会のアポは取らなくていい」
「分かりました。では、私はこれで失礼しますね」
シルヴィアはスカートの端を摘むと、優雅に一礼して部屋を去った。
彼女とて、父親を失って傷心のどん底にあるはずだ。
しかし、それをおくびにも出さないどころか他人の心配までしている。
(あの年齢で大したものだ……)
アウロはなんとなく情けない気分のまま、ソファの背もたれに体を預けた。
数秒後、今度は入れ替わりでロウエルが応接室へと戻ってくる。アウロはソファを軋ませながら、ちらりと視線を横に向けた。
「そういえば、ロウエル。最近、足を引きずっていないな」
「む、もしやシルヴィア殿から話を聞いたのですかな?」
「少しね。それにしても、神官嫌いのお前が自分から診療所に行くとは思わなかったよ」
「まさか。シルヴィア殿に勧められたのですよ。強引に押し切られた形ですが、結果的にはルキに診てもらって正解でした」
お前もか、という台詞をアウロは辛うじて飲み込んだ。
「ところであの娘、医者としての腕はいいのか?」
「医者、というよりは医療魔術師ですね。天聖教には治癒の術があります。彼女はその優れた使い手なのだそうです」
「なるほど。それなら、先々の予定まで詰まっていそうだが」
「ええ。しかし、こちらが呼べばすぐに来るでしょう。ルキもアウロ様とは一度、話をしたい様子でした」
「好都合だな。俺も同じことを考えていたんだ」
「分かりました。では、明日にでも予定を入れましょう」
と頷いた後で、ロウエルは相好を崩した。
「しかし、アウロ様もああいった女性には弱いのですね」
「弱いというか、苦手だよ。俺はどうも頭のいい女と相性が悪い」
「シルヴィア殿はステラ様と似た部分があります。あの方も非常に賢かった」
「まぁ、確かに……。となると、お前が押し切られたのも母上のことが頭にあったからか?」
「はっはっは。かもしれませんなぁ」
などと好々爺を装ってぼやくロウエル。
いつの間にか、あの頑固者がすっかり骨抜きにされてしまっている。
アウロはソファに身を沈めたまま、小さくため息をこぼした。
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ルキ・ナートとの面会は夜の十一時頃に決定した。
こんな夜遅くになってしまったのは、アウロもルキも自分の仕事に手一杯で、ろくに時間が取れなかったためである。
特にルキの診療所は連日大盛況のようだ。元々、南部にはろくな医者がいなかったため無理もない。
「……さて」
一旦、仕事に一区切りをつけたアウロは普段の執務室ではなく、屋敷の二階にある自らの部屋へと引き上げていた。
ここは養成所にあったアウロの個室と同じく、ベッドに机。それに本棚だけが置いてある殺風景な場所だ。
ただ、その本の量がかなり多い。上から下までぎっちり背表紙の並んだ棚が八個、ぐるりと部屋の壁際に配置されているのだ。
室内はそれなりの広さがあるものの、まるで騎士甲冑に取り囲まれているような圧迫感を感じる。普通の人間ならノイローゼになりそうだが、読書家のアウロにとっては些細な問題だった。
とはいえ、これからアウロが読もうと思っているのは彼の愛読書である軍記や戦記ではない。
つい先ほど、ハンナから紐でまとめられた紙束が届いたのだ。
一枚目には『天聖教神官団についての報告書』とタイトルが振ってあった。
――意外と早かったな。
アウロは内心でそう呟きつつ、真新しい羊皮紙を手にとった。
ハンナに神官団についての調査を頼んだのはおよそ二ヶ月前。
そこからカムロートへ調査に出たのだとしても、こんなに早く纏まった情報が届くとは思っていなかった。
羊皮紙は全部で八枚。一枚目、二枚目にはプルーン、ルキ以外の神官たちの調査結果が書かれているが、ここには特筆すべき事項はない。判明したのは古くからカムロートの司教座で働いている神官たち、という事実だけだ。
問題は三枚目以降である。
報告書の三枚目から四枚目には、司祭プルーンについての情報が書かれていた。
プルーンはカムロート司教座の所属ではあるものの、本来は大陸の出身で、異教徒相手に戦功を上げて司祭の座に収まった人間らしい。
そのため、独自の神を崇拝する亜人たちを敵視している。国内の聖教団における、亜人排斥派の筆頭的存在だ。
また、プルーンは王都でも数々のキナ臭い事件を起こしていた。
反天聖教の立場を取る貴族が暴徒に襲撃されたり、亜人の有力者の家が不審な火災で焼け落ちたり――
そういった陰謀の裏に、プルーンの影があったとささやかれているのだ。
アウロは指先でこつこつとデスクを叩きつつ、思索を巡らせた。
司祭プルーンはモグホースの手先だ。ならば……
(黒近衛と同じく、諜報活動に従事していたとしても不思議ではない、か)
アウロは一旦、プルーンに関する記述から離れた。
羊皮紙はまだ半分残っている。アウロは五枚目以降の報告へと視線を移した。
ここに書かれているのは全て、ルキ・ナートに関する調査結果だ。ページ数が多い分、情報量も他の神官たちを圧倒している。
が、アウロはその内容を読み進めていく内に、思わず眉を寄せてしまった。
「……なんだこれは」
アウロは今まで、ルキという少女に対して漠然としたイメージを抱いていた。
彼女は元々、カムロート司教カシルドラの娘だ。
だから、父親の元で温室の花のように大切に育てられていたのだと。
あの賢さや勤勉さも父の手で英才教育を施された結果なのだと、勝手にそう思っていた。
――が、どうやら現実は違うらしい。
ルキ・ナートはプルーンと同じく大陸の出身だ。
彼女はカシルドラが自らの妾に産ませた子供だが、誕生して早々に両親の手で修道院に厄介払いされてしまったのだという。
が、ルキはそこからめきめきと頭角を現し、僅か十歳で修道院を出ると、聖教団の本部へと所属を移した。
それも教団で最も死亡率の高い、悪魔祓い部隊の一員としてである。
(てっきり、あの娘は戦場からほど遠い立場にいたと思っていたのだが……)
むしろ真逆だ。報告書の記述を見る限り、ルキは完全に武闘派の人間である。
『悪魔祓い』というのはアンデッドや悪霊、人里を脅かす魔獣や竜を退治する神官の一種だ。
その部隊は戦闘のエリートたちによって構成されており、間違っても十代の少女が在籍していい場所ではない。
おまけに、ルキは中隊長クラスの実力者だったという。アウロの記憶が確かなら、立場的には司祭と同格だ。
そんなルキが、実の父親に呼び出されたのが今から四ヶ月ほど前のこと。
彼女は呼び出しに応じ、部隊のメンバーと別れてこのログレス王国へとやって来た。
そして、すぐにギネヴィウス伯爵家へ行くことを命じられたのだ。感動の再会を果たした父による、直々の命令によって。
アウロは思わず、乾いた笑い声をこぼしてしまった。
「俺ならキレているな……」
ルキは父親に捨てられた挙句、今度は政争の道具として利用されたのだ。
これでは、あんな人形じみた性格になるのも無理はない。
(だが、問題はこの情報をどう使うかだ)
アウロはぶり返し始めた頭痛をこらえるように、手の甲でこめかみを押さえた。
ルキに対するイメージが刷新されたとはいえ、自分のすべきことは変わらない。
司祭プルーンを排除し、領内における天聖教の活動を抑制する。
重要なのはこの一点のみだ。今のアウロには、ルキの境遇に同情しているだけの余裕などなかった。
「ギネヴィウス様、よろしいですか?」
と、そこで唐突にドアがノックされる。
響く声は少女のものだ。気付けば、時計の針が十一時を差している。
アウロは息を潜めたまま、報告書の束をデスクの中へと突っ込んだ。
「ルキか。入ってくれ」
「失礼します」
扉が開く。その向こうから姿を現した少女は、普段の神官服姿ではなかった。
白い絹の服の上から、金糸の刺繍がされた薄い上衣を羽織った格好だ。
分厚い神官服に比べるとかなりの薄着である。襟からのぞく首元がどことなく艶かしい。
「いつもと服が違うな」
「先に湯汲みをしましたので」
ルキは相変わらずの無表情でそう言った。
確かによく見れば、肩まで伸びたプラチナブロンドの髪がしっとりと濡れていた。
陶磁のような肌もピンク色に染まっている。多分、入浴したのはつい先ほどのことなのだろう。
「風呂にでも入ったのか? ここの屋敷には浴場がなかったはずだが」
「シドカムさんに頼んで、診療所の隣に大陸式の浴場を作ってもらいました。患者の皆さんにも人気なんですよ」
「なに? 病人を風呂に入れるのか?」
「かけ湯だけで直接、湯船に入れる訳ではありません。症状にもよりますけれど、不衛生というのは病を広める最大の敵ですから」
ルキは扉を閉めると、薄いコバルトブルーの瞳で部屋の中を観察した。
「随分と本の多いお部屋ですね」
「他になにもないがな。まぁ、俺の部屋はどうでもいいさ。とりあえず、応接室に――」
「いえ、ここで構いません」
「この部屋には一つしか椅子がないんだ」
「では、寝台をお借りします」
ルキはすたすたと室内を横切ると、ベッドに腰を下ろした。
アウロは諦めて少女に向き直る。カムリと話す時によく取る形だ。
しかし、いざ話そうとするとなかなか会話の糸口が掴めない。
一方のルキは泰然自若としている。そこには『絶対に自分からは口を開かない』という強烈な意志が感じられる。
石像でももう少し愛想がいいだろうな、とアウロは思った。
「あーと……ルキ、最近調子はどうだ?」
ひとまず差し障りのない話題を振ってみると、ルキは小さく首肯した。
「良好です。皆さんにはとてもよくして頂いています」
「お前はいつも同じような顔をしているから、体調がいいのか悪いのかよく分からん」
「性分ですので」
と言った後で、ルキはちらりとアウロの顔を見上げた。
「ギネヴィウス様こそ、最近気分が悪いのでは?」
「少し頭痛がするだけだよ。これにめまいが加わると危険な兆候だな」
「不健康ですね。睡眠時間を増やした方がいいと思いますが」
「そうしようと思って、今日はお前をここに呼んだんだ」
アウロは冗談交じりに応じて、机の脇に置かれた酒瓶を手にとった。
「飲むか? 領内で取れた林檎で作った酒だ。今年は特に出来がいいらしい」
「いえ、結構です」
ルキはすっぱり断った。やはり酒は飲めないらしい。
仕方なくアウロは一人、銀の酒盃に林檎酒を注いだ。
琥珀色の液体を傾けると、喉の奥にほどよい甘さが広がる。アウロは一息ついた後で再びルキに向き直った。
「さて、今日お前を呼んだのは幾つか相談したいことがあったからだ。ひょっとしたら、もう予想が付いているかもしれないが――」
「司祭プルーンの件ですか」
「そうだ。あの男が領内で問題を起こしていることは把握しているな?」
「はい。度々シオメンさんと衝突しているようです」
「それが分かっているのなら話は早い。このままだと、どちらかが実力行使に出る可能性がある。俺としては早急にあの司祭を排除したい」
「分かりました。けれど、何故それを私に?」
「お前が教団側の人間だということは百も承知だよ。しかし、シル――ああ、いや、ルヴィにお前と話せと進言されたのでな」
「ルヴィさんですか」とルキは呟いた。
ルヴィというのはシルヴィアの使っている偽名である。
いつの間に顔を合わせたのかは知らないが、この二人はそれなりに面識があるようだ。そして、恐らく仲も悪くない。友人とまでは言えないにしろ、ある程度の信頼関係を築いているらしい。
「ただ、私自身も司祭プルーンに関してはどうしたらいいか分からないんです」
ルキは目を伏せ、黙り込んでしまう。
その姿は荒野に置き去りにされた子羊のようだ。
風呂上がりのせいか、ルキは普段よりも表情豊かに見えた。無論、その口角はぴくりとも動いていないが。
「ルキ、お前自身はプルーンをどうにかしたいと思っているのか」
「はい」
「だが、あの男はお前の同僚だろう」
「所属が違いますから同僚とは言えません。知り合ったのもつい最近です」
ルキはぼそぼそと言った。恐らく、その言葉に偽りはないだろう。
アウロは酒盃に林檎酒を注ぎ直した後で尋ねた。
「もし司祭プルーンが領内で問題を起こし、俺やお前と対立したと仮定しよう。その場合、カシルドラはお前とプルーンのどちらに味方する?」
「間違いなく、司祭プルーンの味方に付くでしょう」
「だが、カシルドラはお前の父親だろう。娘の言葉を信用しないのか?」
「娘といっても妾に産ませた子です」
「なるほど。俺と同じか」
アウロの言葉にルキは幾度か目をしばたかせた。
が、やがてふっと肩の力を抜き、「そうですね」と頷く。
「カシルドラは私にとっても他人のようなものです。父親という感覚はありません」
「その割に、あっさりと呼び出しに応じたようだが」
「それは……――あの、その前にギネヴィウス様。もしや、私の素性について調べましたか?」
「カンがいいな。その通りだ」
アウロは手の中で酒盃を弄びながら、薄く笑みを浮かべた。
「俺はお前のことを単なる箱入り娘だと思っていたが、どうやら違ったらしい。まさか、その若さで聖教団の『悪魔祓い』だったとは恐れ入る」
「褒められるようなことではありません。ただ、与えられた任務をこなしただけです」
「それでも、中隊長の座に上り詰めるほどの功績を上げたんだろう。その道のりは決して生易しくなかったはず。……なのにお前は何故、苦労して手に入れた地位を放棄してまでここに来たんだ?」
「上からの命令でしたので」
ルキは断ち切るように言ったきり、口をつぐんだ。
が、その瞳はちらちらと室内をさまよっている。
どうも、さっきから本棚に収められた大量の書籍類が気になっているようだ。
ここに所蔵されている本は軍記や戦記だけでなく、哲学書や歴史書など多岐に渡る。
本好きの人間にとってはたまらない場所だろう。だが、ルキがこうした反応を示すのは少し意外だった。
「本が気になるのか?」
おもむろに尋ねたアウロの前で、ルキはびくっと肩を震わせた。
「いえ、その……はい。この国でこれほどの蔵書を持つ貴族は見たことがありません」
「俺が集めたのは全体の二割ほどだよ。ほとんどは母の遺した代物だ」
「先王ウォルテリスの愛妾、ステラ様ですね。彼女は田舎に住む平民の娘だったと聞いています」
「その通り。ただ、あの人の両親は大陸出身の学者だったらしくてな。その影響で母も本を読むようになったのだと聞いた。つまり、ここにある書物はギネヴィウス家が代々受け継いできた遺産という訳だ」
「すごいですね」とルキは機械のように応答した。
「しかも、ケルト語だけではなく、ラテン語、ギリシア語の本まであるなんて……。ギネヴィウス様、これらの書籍には全て目を通したのですか?」
「一応な。ただ、ラテン語はともかくギリシア語は話せんぞ。聞き取りくらいはできるかもしれないが」
「それでもすごいです。ギネヴィウス様がこれほどの読書家とは思いませんでした」
再び平坦な声で称賛を繰り返すルキ。
お世辞を言うタイプには見えないから、心の底から感心しているのだろう。アウロはなんとなくむず痒い気分になった。
「俺の話はこれくらいでいいだろう。今は司祭プルーンをどうするか考えなくては」
「どうしたらいいでしょう」
「今回はなにか腹案を用意していないのか?」
「なにも考えていません」
呆れるほどに正直な台詞である。
アウロは仕方なく、ハンナたちと練ったプランを聞かせることにした。
ルキは従順な生徒のように、両手をきちんと膝の上に乗せてこちらの話を聞いていた。途中の反応はなかったものの、説明が終わったところでぽつりと呟く。
「えげつない作戦ですね」
ポーカーフェイスこそ崩してこそいなかったが、少女の声には軽い非難の色が滲んでいた。
とはいえ、それは予想された反応である。アウロは酒盃を傾けながらも尋ねた。
「やり過ぎと思うか? 止めるなら今の内だぞ」
「止めても構わないのですか?」
「その時はお前もプルーンの同類と認定するだけだ」
「つまりはギネヴィウス様の敵と」
「そういうことだな」
アウロはあえて突き放すような口調で言った。
一方、ルキはなにか考え込んでいる様子で、自らの手元にじっと視線を落としていた。
握った拳に青い血管が浮かんでいる辺り、少しは緊張しているのかもしれない。
アウロは一度酒盃を机に置き、膝の上で両手を組んだ。
「そういえば、ルキ。診療所の方はどうだ?」
「どう……というのは?」
「シドカムから孤児院の子供たちを診察したという話を聞いた。それに、ロウエルの足も診ているんだろう? 最初は驚いたよ。天聖教の神官にも物分かりのいい奴がいるものだと」
「確かに、我々の教典において彼らは人間の定義から外れています。けれど、手を差し伸べてはいけないと書かれている訳ではありません」
「プルーンはそう思っていないようだが」
「あの方は亜人排斥主義者です。それは神官とは別種の生き物です」
「なるほど」とアウロは相槌を打った。
「お前は教団本部の人間だから分からないかもしれない。ただ、この国の神官がろくでもない連中だということは薄々気付いているはずだ。司教であるカシルドラはモグホースと手を組み、プルーンは連中の走狗となっている。……俺はこの現状をどうにかしたい。そのためにお前にも協力して欲しい」
「それは『要望』ですか? 『命令』ですか?」
「今のところは『要望』だ。――命令される方がお好みか?」
アウロが尋ねるとルキはちょっと首を傾げ、
「私は教団本部からこのブリテン島への異動を命じられました。そして、司教カシルドラからはギネヴィウス様の下で働くよう指示を受けています。……現状で私に対する命令権を有しているのはギネヴィウス様です」
まじめな顔でひねくれた理屈を並べる少女に、アウロは思わず吹き出しそうになった。
「ルキ、お前は時々回りくどい言い方をするな」
「そうでしょうか」
「自覚がないなら構わんさ。さっきのは『要望』ではなく『命令』に変えよう。その方がお前にとっても都合がいいんだろう?」
「良い悪いはともかく動きやすくはあります」
ルキは言った。どうやら彼女の中できちんと筋が通ったらしい。
アウロは「結構」と頷いて、一度椅子に座り直した。
「では、先ほどのプランで行く。なにか修正する部分はあるか?」
「なら一つだけ。現場には私も赴きます。その方が確実性も増すはずです」
「お前が? だが、危険だぞ。単に巻き添えを食らう可能性があるだけではない。明確に俺たち寄りの立場を打ち出せば、お前まで宰相に目をつけられ、いらんリスクを背負うことになる」
「かもしれません。ただ、危険には慣れています」
「……ルキ、お前は【白老候】のことをどう思っている?」
「私は宗教を政治や商売に利用する人間が嫌いです」
ルキは淡々と毒を吐いた。
その姿を見て、アウロはかすかに苦笑をこぼす。
(どうやら、モグホースは人選を誤ったらしいな)
自分の付けた条件は、あの男の力を持ってしても解決できなかったのだ。
いや、解決自体はできている。しかし、選んだ相手が悪かったのだろう。
おかげで、こんな危険人物をギネヴィウス家へ送り込むこととなってしまった。
――勿論、
まだルキが宰相側の人間であるという可能性も残されている。
が、アウロはその可能性はないと踏んでいた。
この少女は昔の自分に似ているのだ。見た目は冷徹で、不器用そうに見えるが、心の中には確かに信念のようなものを持っている。
「それでは作戦も決まりましたし、私はそろそろ失礼しますね」
「ああ、今日は色々と話せて良かったよ」
アウロはベッドから離れたルキを見送ろうと、椅子から立ち上がった。
が、そこで両足の力が抜け、思わずふらついてしまう。
ルキはデスクに手をついたアウロを見て、ぴたりと足を止めた。
「ギネヴィウス様?」
「……いや、大丈夫だ」
アウロは無意識の内に額を押さえた。
どうも寝不足の頭に酒が回ったことで、すっかり脳味噌がやられてしまったらしい。
流石に倒れるほどではないが、軽い貧血に似た症状が出ている。思っていた以上に体にガタが来ていたようだ。
(……まずいな。しくじった)
確かに疲労が溜まっているのは厄介だ。
が、それ以上に厄介なのはルキに情けない姿を見られてしまったことである。
案の定、彼女はアウロの元へと詰め寄ってきた。その目は完全に患者を見る医者のそれに切り替わっている。
「ギネヴィウス様、少しお休みになった方がいいかと。ベッドに横になって下さい」
「分かった。分かったからお前は帰れ。もう零時を過ぎるぞ」
「そうですね」
と言いつつ、ルキはアウロの側を離れようとしない。
結局、アウロはルキに押し切られる形でベッドへと横たわった。
しかし、柔らかいマットレスに身を横たえると今度は猛烈な頭痛が襲ってくる。
「全く、どうしてこんなになるまで……」
頭上から降ってくるのは、怒りの感情を宿した声だ。
ルキは表情こそ変わっていなかったものの、その雰囲気は明らかに激怒している人間のそれだった。
「ルキ、お前は顔色こそ変わらないが、なにを考えているのかは分かりやすいな」
「寝ぼけたことを言わないで下さい。ギネヴィウス様、一日の睡眠時間は何時間ですか?」
「夜三時には寝ているよ」
「で、起きるのは何時です?」
「五時くらいかな」
「馬鹿ですか」とルキは人間の屑を見るような目で言った。
「それでは倒れるのも当然です。人は機械ではないんですよ?」
「知っている。ただ、もう少し行けると思ったんだ」
「素人の判断ですね。私にはもうデッドラインを越えているように見えます」
こちらが動けないのを知ってか、ルキの物言いには容赦というものがない。
ルキはベッドの脇に膝をつくとアウロの額に手を伸ばした。
肌に触れた指先がひんやりと冷たい。少女の体温はかなり低かった。
「少し熱が出ていますね。顔色も悪い。完全に疲労です」
「だろうな。だが、俺に休んでいる暇がないのは分かるだろう?」
「はい。でも、それならそれで私に相談して頂ければ良かったのです」
「相談してどうにかなるようなことか?」
「私は疲労回復の神聖秘術を扱うことができます。本来は気休め程度のものですが、今のギネヴィウス様には効果的でしょう」
一方的に告げて、ルキは目を閉じた。
途端、その手にぼうっと金色の光が灯る。
見れば、彼女の手の平には十字架と円を組み合わせた車輪の紋章――
天聖教のシンボルでもある、太陽十字が浮かび上がっていた。
「……おい。なんだ、それは」
「術式の発動体です。我々神官は杖を使いませんので」
「まさか、お前たちは体の中に宝石を埋め込んでいるのか?」
「集中できません。黙っていて下さい」
ルキはじろりとアウロを睨みつけた。
(やれやれ、妙なことになった)
抵抗を放棄したアウロは、大人しくルキのされるがままとなる。
目を閉じると、少女の手の平からなにか温かい光が染みこんでくるのが分かった。
その熱は頭の奥に凝り固まった痛みをほぐし、更には四肢全体へと広がっていく。まるで日光浴をしているような気分だ。
アウロは頭痛が消え、代わりに激しい睡魔が襲ってきたところでルキに声をかけた。
「ルキ、もういい。十分だ。いくらか具合が良くなった」
「駄目ですよ。この術はちゃんと効き目がでるまで時間がかかるんです。あと一時間くらいはこうしていないと」
「寝不足の患者に夜更かしを強いるのか。ひどい医者だな」
「ギネヴィウス様は寝ていて下さい。治療が終わり次第、私も部屋に戻りますので」
それはひどく魅力的な提案だった。
泥のような眠気に絡みつかれたアウロにとっては、必殺の威力を秘めた台詞である。
結局、アウロはまともに抗弁する気力も沸かず、急速に眠りへと落ちていった。
もう何日ぶりかも分からない安眠だ。全身から力が抜け、瞼が落ちると同時に、ぷつりと意識が途切れる。
「……おやすみなさい、アウロさん」
最後にアウロは、そんな少女の囁きを耳にした気がした。




