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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
54/107

3-9

「……ええっと」


 室内に足を踏み入れたシルヴィア・アクスフォードは、そこで気丈な彼女には珍しく尻込みしそうになってしまった。


 草木も眠る丑三つ時。ギネヴィウス邸の応接室には、シルヴィアを除く五人の人間が集合していた。

 アウロの懐刀であるカムリ。ギネヴィウス家執事長のガルムリオ・ロウエル。

 山猫部隊(リンクス)隊長のハンナ・キャスパリーグに、黒い外套を着た長身の男。

 そして、この屋敷の主であるアウロ・ギネヴィウスの五人だ。室内には柔らかそうなソファがあるというのに誰も着席していない。


「すまない、シルヴィア嬢。こんな夜遅くに呼び出してしまって」

「いえ、それは構わないのですが――」


 張り詰めた雰囲気の中、シルヴィアは平然を装いつつも視線を巡らせ、途中ふと隻腕の男に目を止めた。


「あら、あなたはひょっとしてベディクさんですか? お久しぶりです」

「……シルヴィア・アクスフォードか」


 壁に寄りかかったベディクは、切れ長の目でシルヴィアを見た。相変わらず、亡霊と見紛うほど寂びた風貌をしている。


「ブレア殿の屋敷で会った以来だな。お前もハンナ同様、ケルノウン伯の元に?」

「ええ、今はこの家の厄介になっています。ベディクさんこそ、どうしてここに」

「交渉をしに来た」

「交渉ですか?」

「ああ、私もケルノウン伯に雇って貰おうと思ってな」


 その言葉に室内はしばし静まり返った。

 異様な沈黙である。誰もが声を上げることを躊躇しているようだ。

 が、やがてベディクの対面。アウロの左脇を固める形で立っていた老人が口を開いた。


「アウロ様、このような得体の知れない男を雇うのは反対いたします。一時はキャスパリーグ隊に協力していたとしても、この者が裏で他の組織と繋がっている可能性は低くありません」

「わらわもそう思うね。腕が立つのは認めるけど、いくらなんでも怪しすぎるよ」


 次いで、アウロの右脇に立つカムリも反対意見を述べる。


「しかも、こいつはハンナと違って覆面なんて付けてなかったんだ。王城の近衛兵に顔を覚えられてるかもしれない」

「そ、それはそうですが……もう少し、ベディクさんの話を聞いてはくれませんか?」


 逆に擁護の立場に回ったのは、部屋の入口近くに立つハンナだ。

 彼女は一ヶ月近く、ベディクと行動を共にしている。その分、男に対して同情的だ。

 なにより、ベディクはあの気難しい性格の父が強敵ともとして認めていた相手だ。味方にできればこれほど心強い存在はない。


「そもそも、ベディクさん。どうしてアウロさんに雇って貰おうと思ったんですか?」

「理由は二つある」


 シルヴィアの質問に、ベディクは機械的な口調で答えた。


「一つ、私の目的は今の政権を叩き潰すことだ。そのためにはケルノウン伯に協力するのが最も良いと判断した」

「二つ目は?」

「ここにはカンブリアの赤き竜がいる」

「……カンブリアの赤き竜?」


 シルヴィアは首を傾げた。男の発言の意味が分からなかったからだ。


 が、逆に顕著な反応を示した者もいた。

 アウロはぴくりと眉を動かし、その隣のカムリは顔を強張らせた。

 そして、ハンナははっとなにかに気付いた様子で、赤いワンピース姿の少女へと視線をやった。


「そ、そういえば、あの時。ベディクさんは――」

「待て、ハンナ。その件については後できちんと話す」


 アウロに制止され、ハンナは口をつぐんだ。

 が、それで「分かりました」といかないのはシルヴィアだ。


「どういう意味です、ベディクさん。赤き竜がここにいるとは」

「そのままの意味だ」

「つまり、伝説の竜がこの地に眠っていると?」

「少し違うな」


 ベディクは多くは語らなかった。

 というより、あえて核心に触れていないのだ。


「ベディク、そもそもお前は何者なんだ?」


 アウロは一度話題を逸らすべく、自ら男へと尋ねかけた。


「お前は自分のことを亡霊と言っていた。それはどういう意味だ?」

「私はこの国の人間だ。しかし、既に死人として扱われている」

「つまり戸籍から抹消されたと?」

「それに近い。今の私はこの国の政権を打倒するために戦っているだけの存在だ」

「何故、そんなことを目的とする」

「今の王国が気に入らないからだ」


 ぶっきらぼうな台詞である。


 アウロは口元に手を当て、しばし考え込んだ。

 男の発言はおおむね真実だろう。だが、あまりにも断片的過ぎる。これで相手を信用しろというのも無茶な話だ。


(そもそも、こいつがどこで赤き竜の情報を知ったのか、ということも気になるが……)


 アウロはちらりと室内に佇む面々を一瞥した。


 アウロもハンナ、ロウエルあたりにはいずれカムリの正体を明かそうと思っている。

 が、シルヴィアはまずい。彼女はあくまでギネヴィウス家の客人という立場だ。

 余計な情報はできるだけ与えたくない、というのが本音だった。


「シルヴィア嬢」


 それでも念のため、アウロは少女に声をかけた。


「あなたから見て、このベディクという男は信用に足る人物か?」

「勿論です。ベディクさんには何度も父の命を救って頂きましたから」

「彼が黒近衛の連中と共謀していた可能性は?」

「低いでしょう。父を騙すつもりだったとしても、やり方が回りくどすぎます。それに、スパイならもう少し愛想のいい人間を寄越すはずです」


 「それもそうだ」と苦笑して、アウロは再び男に向き直った。


「ベディク、一つ質問をしたい」

「なんだ?」

「仮に俺がお前を雇ったとしよう。すると、お前は俺を主として仰ぐのか?」

「それはない。命令を下されれば従いはしよう。戦えと言われれば、槍を手に戦場を駆けはしよう。だが、お前を主として認めることはありえない」


 捉えようによっては相手を小馬鹿にしたような台詞である。

 案の定、カムリとロウエルの二人は揃ってむっとした表情を浮かべた。


「ふざけた男だな。傭兵とて雇い主には忠誠を誓うものだというのに」

「私は自らの働きに報酬を求めない。そもそも、私には他に主がいる」

「なんだって? じゃあ、そなたの主は誰なんだよ」

「決まっている」


 ベディクはそこで初めて、やや熱を帯びた口調で言った。


「私が剣を捧げるのは、ブリタニアの正当な支配者のみ。他の人間を主として認めることはありえない」

「ブリタニア……というのはこの島の古い呼び名か。その正当な支配者というのは?」

「【竜王(ペンドラコン)】の名を持つ者。石より抜かれた剣の持ち主」

「石より抜かれた剣?」


 ハンナは眉を寄せた。


 が、他の者にはその表現だけで十分に通じる言葉だ。

 石より抜かれた剣。竜公剣〝カリバーン〟の大元ともなった武器。

 【赤き竜王】アルトリウスが保有していたとされる、ブリテン島の覇者の証。


 ――その名は、


「〝エクスカリバー〟か」


 アウロは呟いた。


 今のログレス王国では、『王紋』と『竜公剣』の二つが王の証として用いられている。

 が、本来この国の王権象徴具(レガリア)は竜王の大剣〝エクスカリバー〟のみだ。

 竜公剣に至っては本物を模して作られたレプリカである。いわば代替品にすぎない。


 もっとも、


「エクスカリバーはカムランの戦い以降、行方知れずとなっています。しかも伝承によれば、あの剣は竜王の亡骸と共にアヴァロンの島へ運ばれたはず」

「つまり、この世にはもうないということだ」


 シルヴィアの言葉に、ロウエルが腕を組んだまま追従する。


 竜王の物語は、アルトリウスの亡骸が妖精の島へ運ばれる場面で終わりを告げる。

 竜公剣のような贋物が作られたのも、彼の剣が完全に失われてしまったためだ。

 伝説の魔剣〝エクスカリバー〟を探し求める試みは、今まで幾人もの王侯貴族、トレジャーハンター、冒険者たちによって成されてきた。

 が、彼らの探求が成功したことは一度もなかった。竜王の剣に関しては、未だに僅かな手がかりさえ見つかっていないのだ。


「ベディク」


 アウロはしばし考え込んだ後で、男の名を呼んだ。


「お前は既に死んだ人間に忠誠を誓っているのか?」

「それは違う」

「では、この世界のどこかにアルトリウスの正当な末裔がいて、〝エクスカリバー〟を保有していると?」

「そう受け取って貰っても構わない」

「だが、お前がこうして独自に動いているということは、その人物は自ら動けない立場、もしくは状態にあるのか?」

「その見解は正しい」


 否定、肯定、肯定だ。


 アウロは頭の中でベディクからもたらされた情報を纏めようとした。

 が、途中で横槍が入る。見れば、カムリが不安そうな顔でこちらを仰いでいた。


【ね、主殿】


 脳内で響く声に、アウロは【どうした?】と尋ね返す。

 カムリは数瞬ためらうような気配をにじませた後で、言葉を続けた。


【こいつの言ってることはおかしいよ。アルトリウスの正当な末裔なんてのがいるなら、わらわが真っ先に気付くはずなのに】

【……それもそうだな。だが、俺にはこの男が嘘を言っているようには思えないんだ】

【うん、それはなんとなく分かる。ひょっとしたら、こいつはわらわの知らないことを知ってるのかもしれない】

【なるほど。だとしたら――】


 少なくとも、現段階ではこの男を手元に置いておくのが良さそうだ。


「分かった。ベディク、お前を雇おう」


 アウロの決断に、ロウエルは「アウロ様」と押し殺した声を上げた。

 耐え切れずその足が一歩踏み出され、こすれた靴底が乾いた音を立てる。


「良いのですか。このような不審者をギネヴィウス家に迎え入れて」

「良くはない。だが、この男はもうハンナやシルヴィア嬢が俺の元にいることを知ってしまっている。今更、どこかへ見逃す訳にもいかないだろう」


 アウロはちらりと男に視線をやり、


「ただし、お前には見張りを付けさせて貰う。怪しい動きをすれば即刻首を叩き落とすからそのつもりでいろ」

「ああ」


 自分には無関係だ、とばかりにベディクはあっさり頷いた。


 それでようやく、ロウエルも渋々ながらに引き下がる。

 事態を見守っていたハンナとシルヴィアの二人は、ほっと安堵の息をついた。


「一件落着のようですね。雇うというよりは監視下に置くという感じですが」

「いいじゃないですか。ベディクさんにもアウロさんの用心棒をやってもらえば」

「でも、その場合は王都の人間に顔が割れているのが問題です。覆面か何かを用意した方が――」

「あっ、仮面なんて素敵と思いませんか。ゴゲリフさんに頼んだら、きっと格好いいのを作って貰えますよ」


 などと好き勝手に意見を並べ立てる少女たち。

 ベディクはそんな外野の二人を無視し、アウロに声をかけた。


「ケルノウン伯……いや、アウロ殿と呼んだ方がいいか?」

「好きな方で構わない」

「では、アウロ殿。あらかじめ聞いておきたいのだが、貴殿はいつ動くつもりだ?」


 男の質問を受け、周囲の視線がアウロ一人に集中する。


 元より、ベディクの目的は王国の現政権を倒すことだ。

 それを承知でこの男を雇うと決めたのだから、アウロの立場も明確である。

 今更、契約を取り消すことは出来ない。なにより、アウロ自身が最初から『そのつもり』なのだ。


「……一年後だ」


 アウロは居並ぶ面々を前に、覚悟を決めて告げた。


「一年後、この国の情勢が変わる。それに合わせて動く形になるだろう」

「了解した。それまでになにか協力できることがあれば言って欲しい」

「頼んだ。ひとまずは山猫部隊(リンクス)と一緒に行動してくれ。ハンナ、ベディクをお前たちの屋敷に案内しろ」

「分かりました。シルヴィアも行きましょう」

「そうですね」


 シルヴィアは頷くと、ハンナ、ベディクと共に応接室を後にした。


 室内に残ったのはアウロ、カムリ、ロウエルの三人だ。

 カムリはひどく複雑そうな顔で閉じられた扉を睨んだ。


「本当にこれで良かったのかな。あの男、さっさと殺しといた方がいい気もするけど」

「同感だな。しかし、小娘。その前に一つ聞きたいことがある」

「なんだよ、クソジジイ」


 売り言葉に買い言葉とばかりに、老人を睨みつけるカムリ。

 対するロウエルは一歩も引くことなく少女を見下ろした。


「あの男はこの地にカンブリアの赤き竜がいると言っていた。そして、ハンナはなにか心当たりがあるような様子でお前のことを見た。――それはつまり、『そういうこと』なのか?」

「そうだよ」


 カムリはあっさり肯定した後で、軽く肩をすくめた。


「信じられないなら別にいいさ。今すぐ証拠を見せる訳にも行かないしね」

「……いや、信じよう。アウロ様がこの娘を信用しているのも、彼女がこの国の守護者だからなのでしょう?」

「まぁな。このことはいずれ、お前にも明かそうと思っていた」

「では、少し予定が早まってしまいましたな」


 ロウエルは楽しそうに口ひげを撫でた。その唇は淡い笑みを形作っている。


「しかし、私は誇らしい気分ですぞ、アウロ様。我が主が多くの者に力を認められ、伯爵となり、しかも赤き竜に選ばれていたとは……」

「ロウエル、お前は俺が王家に逆らうことに反対だったんじゃないのか?」

「それが勝ち目のない戦であれば反対も致しましょう。しかし、アウロ様は私が思っている以上に大きく成長なさっているようです」

「当たり前だ。いつまでも十やそこらの子供ではいられないさ」


 アウロは気負った様子もなく告げ、


「ひとまず、ベディクのことは様子見だ。今は領内を纏めることに力を注ぐとしよう。いずれ来る戦乱の時に備えるためにもな」

「らじゃ。とりあえずは準備期間ってことだね!」

「了解です、アウロ様。今は我らも牙を研ぐこととしましょう」


 主の言葉にカムリはぐっと握り拳を作り、

 老人は丁寧に腰を折ることで応じた。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 ベディクがギネヴィウス家に加わってから、更に一ヶ月後。

 王都カムロートからアウロの滞在するイクティスに、商人たちの一行が到着していた。

 それも総勢三十名もの商人と百名近い人夫。そして、大量の荷車と積み荷で構成された大商隊である。


 隊を率いていたのは、いかにも商人らしい風貌の人物だ。

 絹の貫頭衣の上から大陸風のブリオーを身に付け、首にはキツネの皮マフラーを巻いた小男である。

 男は頭に被っていた丸帽子を脱ぎ、芝居がかった動作で一礼した。


「シドレー商会所属、シドレーの息子シオメンと申します。よしなに」


 帽子の下では明るいブラウンの髪と猫の耳が揺れていた。

 アウロ、ロウエルと同じく出迎えに来たシドカムは、その姿を見て丸い瞳をしばたかせる。


「シオメン兄さん? なんでここに」

「ケルノウン伯の要望に答えただけだ。俺が来たのは、まぁ、伯の提案に興味があったからだな」


 そう言って堂々と胸を張る兄を、シドカムはますます不審そうに見つめた。


「……そうなんだ。でも、後ろの大荷物は?」

「ケルノウン伯の昇爵祝いだよ。随分と遅くなってしまったが」

「それって賄賂じゃあ――」

「賄賂ではない。ただの贈り物だ」


 シオメンは悪びれた様子もなく言った。


 童顔で子供っぽいシドカムに比べると、こちらは少しやさぐれたような印象を受ける。

 流石にダグラスほどではないにしろ、ケットシー族にしては背が高く、目つきも鋭い。

 いかにもやり手の商人といった風貌である。油断できない相手だ、とアウロは思った。


「それにしても随分と到着が早かったな。もう一、二週間はかかるかと思ったが」


 屋敷の門前に立ったアウロは、居並ぶ商隊の面々を見渡した。


 アウロが彼の父であるシドレーの元に書状を送ったのが、丁度一ヶ月前のことだ。

 本来、王都からイクティスまでは二週間の行程である。ただ、それは身一つで移動する場合の話だ。

 これだけの大商隊を編成し、ここまで連れてくるのにはかなりの手間と時間がかかるはずだった。


「我々は海路でここまで来たのですよ」


 シオメンはころっと人の良さそうな笑みを浮かべ、


「王都からケルノウン半島まで、陸路で赴けばかなりの時間がかかります。しかし、カムロートからカエルディブ港に行き、そこから船でブリストル海峡を渡って半島の沿岸を進めば、一週間でこの地に到着できるのです」

「ブリストル海峡? あそこは潮の流れが速すぎて、まともに帆船の通れない場所だったはずだが」

「普通の船なら無理でしょうな。しかし、我らシドレー商会は一隻だけですが、最新の浮揚魔導船(エアロバーク)を保有しているのですよ」


 シオメンは自慢気にそう言った。


 魔導工学が発達するに連れ、空を舞う機甲竜(アームドドラゴン)だけではなく、陸海でもそれぞれ幾つかの兵器が発明されていた。

 中でも有名なのは浮揚魔導船(エアロバーク)だ。これは海洋や河川で用いられる船舶の一種で、鋼鉄、もしくは木造の船体に飛行装置(ライトフライヤー)を搭載した代物である。帆に風を受けることで推進力を獲得し、水上を浮遊したまま航行可能なのだ。

 とはいえ、ログレス王国内で魔導船の製造は行われていない。シドレー商会の船は恐らく大陸からの輸入品だろう。


「魔導船か。それならこの速さで辿り着けたのも納得が行く。あれ、一隻でいくらくらいするんだ?」

「ソリダス金貨約五万枚といったところです。これに燃料代が上乗せされるので、実際にはもっとコストがかかりますが」

「流石に高いな」


 金貨五万枚と言えば、今のアウロが持つ資産を全て放出してどうにか賄える金額だ。

 実際、貴族の中でも魔導船を保有しているのはごく一部だけだ。シドレー商会の経済力は四侯爵と同等かそれ以上だろう。莫大な贈り物の数を見ても、金銭面で困っているようには見えない。


「俺は商会が亜人街の解体で困窮しているのかと思ったが、どうやらそういう訳でもないらしい」

「ン、それは違いますぞ。なにしろ、王都から人民が流出したことによって我が商会の顧客も激減しましたからな。去年の決算はどうにか黒字に乗せましたが、今年の決算は赤字確定でしょう」

「だが、お前たちは王都以外の場所にも支店を出しているのだろう?」

「もちろん」


 シオメンは一度頷いた後で、眉を曇らせた。


「しかし、地方でも我らは苦境に立たされているのです。北部は戦乱の爪痕がまだ残っていますし、西部は宰相殿の影響が強すぎて我が商会の力が及んでおりません。ですから、ケルノウン伯の要望はこちらにとっても渡りに船でした」

「商会としては南部で勢力を広げたい、と」

「まぁ、そういった目的もあります」

「……あの、兄さん。一応、こっちは領地を治める代官が欲しくて商会に声をかけたつもりなんだけど」


 遠慮がちに声を上げる弟を、シオメンはじろりと睨みつけた。


「今はビジネスの話をしているんだ。エンジニア風情が口を挟んでくるんじゃない」

「む、相変わらずだな兄さんは」


 途端に不満そうに唇をとがらせるシドカム。

 温厚な性格のこの男が、こういった反応をするのは珍しい。


「先に言っとくけど、僕はもうアウロの味方だ。商会がろくでもないことをする気だったら、すぐに止めるぞ」

「俺たちを悪徳商人のように言うのはやめてもらおうか。モグホースの商会に比べたら清廉潔白もいいところだ」

「兄さん、それは比較対象が悪すぎるよ……」

「ああ、うむ。それもそうか」


 シオメンも流石にそこは否定できないようだった。

 ケットシー族の小男は一度こほんと咳をこぼすと、居住まいを正して宣言した。


「ともあれ、我らが民を食い潰すつもりでないのはご理解いただきたい。この地を富ませ、我々の懐も温かくする。我が商会はそういった、お互いに利のある関係を築きたいと思っているのです」

「元よりこちらもそのつもりだ。ひとまず、立ち話もなんだから屋敷に案内しよう」


 「ロウエル」とアウロは背後に控えていた老人に声をかけた。

 犬耳の執事は一礼すると、


「では、私が客人を中へご案内いたしましょう。ただ、この屋敷には皆様全員を収納できるだけの広間がありませぬ」

「そうだな。代表者以外は客間に待機してもらう形になるか」

「分かりました。人夫たちは荷物を運び込ませ次第、船で帰らせます。伯への贈り物はどこに移しますか?」

「ここに置いておいてくれて構わない。シオメン殿、心遣い感謝する」

「シオメン、とお呼びください。私はシドカムと同じく、ケルノウン伯の臣下となるつもりでここへ来たのですから」

「分かった、シオメン。後で俺も行くからとりあえずは広間で待っていてくれ」

「了解です」


 シオメンは胸に手を当て、深々と頭を下げた。


 その後、ロウエルに先導された商人たちが屋敷の中へと消え、次いで人夫たちが港に帰ると、門前には大量の荷車だけが残った。

 シドレー商会が運んできた贈り物は、飾りの施された武器や防具、大陸産らしき派手な絹衣、金銀宝石で彩られた調度品、使い道の分からない魔導具など多岐に渡っていた。どこか寄せ集めじみているのは、準備にかける時間がなかったためだろう。


「さて、これだけの量だ。こちらで運ぶとはいったものの、ハンナたちの助けを借りないと流石に手が足りないな」

「そだね。じゃ、ちょっと向こうの屋敷から人を呼んでくるよ」

「待て、シドカム。その前に幾つか聞きたいことがある」


 呼び止められたシドカムは、「ん?」と振り返った。


「どうしたの、アウロ」

「シオメンのことだ。商会側の代表者らしいが、どういった人物なんだ?」

「んー? んんん、そうだなぁ」


 シドカムは難しい顔で首をひねり、


「僕の知ってる兄さんは我の強い商売人だよ。身内に対しては偉そうだけど、顧客に対してはとにかくへりくだるタイプだね。それでも、能力的には僕ら兄弟の中で一番優秀なんじゃないかな」

「お前のところは確か八人兄弟だったな」

「うん。僕が八番目。シオメン兄さんは三番目だね」

「三番目、か」


 アウロはなんとなしにナーシアの顔を思い浮かべた。


「他には、そうだな。なにか具体的な問題点や欠点は?」

「そうだなぁ。あえて言うなら、お金がなにより好きってのがあるかも」

「それは守銭奴という意味か?」

「うーん、少し違うかな。兄さんは人間嫌いって言うか、お金以外信じてないというか」

「では、拝金主義者か」

「その表現が一番近いね。ああ、それともう一つ問題があって……」


 シドカムは声をひそめ、


「兄さんは極度の神官嫌いなんだ。天聖教のことを親の仇みたいに憎んでる」

「天聖教を? 何故だ?」

「昔、王都の神官たちと一悶着あったらしいんだよ。ただ、シオメン兄さんのあれはほとんどアレルギーみたいなものだね。ひょっとしたら、ここに来たのも近くに聖教団の支部がないからかもしれない」

「それは……少しまずいな」


 なにしろ、今のギネヴィウス家にはルキ・ナートら神官団が加わっている。

 商会が領地経営に参加するならば、彼らと足並みを揃えることは必要不可欠だ。


 アウロは不安を抑えきれずに尋ねた。


「シドカム、神官たちの様子はどうだ? お前たちと上手くやっているか?」

「ええと、まぁ、うん、そうだね。特にルキさんは近くに診療所を開いてて、つい昨日、リコが子供が熱を出した時にお世話になったって言ってたよ」

「ほう? 天聖教の神官が亜人を救うなんて話は初めて聞いたな」

「ルキさんは例外さ。彼女は僕たちに対してわだかまりがないように思える」

「お前たち――というより、全ての人間に対してどうでもいいと思っているだけかもしれないが」

「その可能性も低くないな」


 苦笑いを作るシドカムに、アウロは「ところで」と言葉を続け、


「司祭プルーンは?」

「………………」


 シドカムはなんとも言い難い表情のまま押し黙ってしまった。


 ここ数日、忙しさの余りまともに領内の巡視にも出れなかったアウロだが、ハンナを通じてきちんと外の情報は仕入れていた。

 そこで毎度、頭を悩まされるのはルキの補佐役として派遣されたプルーンと不愉快な仲間たちだ。

 あの男は司祭の立場をかさに居丈高な振る舞いをしたり、領内の亜人たちに喧嘩をふっかけたりと、問題のある行動ばかり繰り返しているらしかった。


「なるほど。お前の目から見てもあれは害悪か」

「……まぁね。あの司祭が度々、僕らとぶつかってるのは確かだよ」

「分かった。なら、こちらでなんとかしよう」

「大丈夫なの? アウロが表立って教団と対立するのはまずいんじゃ?」

「今更さ。そもそも、旅の途中で一度喧嘩をふっかけているしな」

「あっ、そうなんだ……。ひょっとして、僕がリコのことで釘を差したから?」

「契機となったのは確かだが、別に気を病む必要はないぞ。どのみち、ああいう手合は放置できないんだ」


 プルーンは権力志向が強く、偏狭な性格で、他者に対しても攻撃的だ。

 これが領内を寄生虫のように好き勝手動き回っているのだから始末におえない。

 アウロとしても、ルキ以外の神官たちともどもブリストル海峡に突き落としてやりたい気分である。


(だが、流石に暗殺はまずい。今できるのは奴が自由に動けないように策を打つ程度か)


 代官問題に目処がついたと思ったら今度は天聖教との対立である。

 モグホースがこれを見越してプルーンを送り込んできたのだとしたら、まさしく効果覿面だった。

 

 アウロはシドカムに聞こえないよう、小さく呟いた。


「全く、頭痛の種ばかりが増えていくな……」


 これから更にシドレー商会の商人たちとやりあうことを考えると、アウロは側頭部がずきずきと痛み出すのを感じた。

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