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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
53/107

3-8

 アウロたちに遅れること一週間。シルヴィアとゴゲリフを含む山猫部隊(リンクス)の一行は、無事にイクティスへと到着した。


「ほっほぅ! ここは中々いい場所じゃのう!」

「北部の山岳地帯とはずいぶん空気が違いますね。風が湿っているように感じます」


 ドワーフ族の老人と男装の少女という奇妙な組み合わせが、丘の上の小道を歩きながら潮風に髪を揺らしている。

 その後ろには、薄汚い旅装束に身を包んだ亜人たちがぞろぞろと続いていた。傍から見たら何事かと思うような光景だ。


 シルヴィアは清涼な空気を胸一杯に吸い込んだ後で、口を開いた。


「そういえば、アウロさん。ここでの私たちはどういう扱いになっているのでしょうか」

「王都で俺が雇ったギネヴィウス家の使用人だ。悪いが、あなたもここでは貴族の娘として扱ってやれない」

「大丈夫ですよ。むしろ、これ以上特別扱いされたら困ります。できれば、私にもなにかお仕事が欲しいですね」

「といっても、あまり外をうろつかせる訳にもいかないしな。任せられるものといえば、屋敷の掃除くらいか……」


 「ところでアウロ殿」と、今度は真後ろから声がかかけられる。


「ここにはわしらの使えそうな工房があるかの? なければないんでいいんじゃが」

「少なくとも、機竜やアーマーを開発可能な場所はない。ただ、お前たちには今は使われていない屋敷と鍛冶場を用意した。予算はこちらで準備するから、必要なものがあれば言ってくれ」

「ほーう、そいつはありがたい。これでようやく、腰を落ち着けてモノ作りに取り組めそうじゃ」


 からからと笑うゴゲリフは、背中に巨大な背嚢を担いでいた。


 元々、このドワーフ族の老人は根なし草の状態で、《グレムリン》や《ブラックアニス》などの兵器を開発・整備し続けていたのだ。

 あのリュックサックに入っているのも、ほとんど自らの仕事道具である。工房がないくらいでは不満を抱く様子もなかった。


「あ、それとゴゲリフさん。後で確認していただきたいものがあるのですが」

「確認するもの? なんじゃ?」

「ええと、ものというか人というか」


 アウロの隣を歩くハンナは、口ごもりつつも言葉を続けた。


「私は他の人から噂を聞いただけなんですけれど、多分ゴゲリフさんは直接面識があると思うんです」

「ということはモーンでの知り合いかの。あの頃の戦友はもう生き残っとらんはずじゃが」

「戦友、というよりはむしろその反対ですね。実際に見ていただくのが一番早いと思います」

「フーム、分かった。そいつはどこにおるんじゃ?」

「この先です」


 ハンナは丘の上を仰いだ。


 ここはアウロの住んでいる領主の屋敷から、やや離れた位置にある小高い丘陵だ。

 丘の上にある家屋はやはり、貴族の邸宅として扱われていたもので、敷地面積もほぼ同じ。

 違うことといえば、長い期間住民がいなかったせいで内部が荒れ果てていることだけだ。そのため、今はロウエルを筆頭としたギネヴィウス家の使用人たちと、シドカムらの開発チームが改装に当たっていた。


「どうだ、ロウエル。進んでいるか?」

「これはアウロ様」


 エントランスに佇んでいたクーシー族の老人は、主の声に正門の方角へと振り返った。


 ロウエルの肩越しに見える木造の邸宅は、ところどころ柱や床が傷んでいるものの、住む分には問題なさそうだ。

 いかにも中古の物件といった感じで、本宅に比べると流石に見劣りする。が、ほんの一週間前までは廃墟に近い状態だったのが、ここまで修復されただけで御の字だろう。


「ひとまず、人が住めるような状況には致しました。とはいえ、まだ補修の済んでいない箇所がありますので、進行度は全体の八十パーセントというところですね」

「そうか。すまないな、急にこんな仕事を押し付けて」

「いいえ、構いませんとも。それにシドカム君たちにも随分助けられました。彼らはこの辺りの大工よりもよほどいい腕をお持ちだ」

「あいつらの本分はモノ作りだ。機竜の開発に比べたら、家の改修工事なんて簡単な部類だろう」

「なるほど。養成所の技師というのは大したものですな」


 「ところで」とロウエルはアウロの後ろに続く亜人たちに視線をやり、


「彼らが我がギネヴィウス家に新しく加わる使用人、ですかな? えらく身なりが薄汚いですが」

「仕方ないさ。彼らは王都から歩いてここまで来たんだ」

「王都から? ふむ。となると、もしや……」


 ロウエルは猛禽のように鋭い目で門前に控える一同を見渡した。

 途端、アウロは急速に辺りの空気が冷たくなるような錯覚を感じた。

 これと似たような感覚には覚えがある。ダグラスやベディクといった強者が発する、吐き気を伴うほどの重圧だ。


「――そうか。貴様ら、キャスパリーグ隊の残党か。よりにもよって、この私のところに来るとは運のない奴らめ」


 ロウエルは震え上がる亜人たちへと、大股で間合いを詰めようとする。

 思わず、ハンナが身構えるほどのプレッシャーだ。その姿はとても不具の老人には見えない。

 恐らく、このまま放っておけば二十人近い亜人たちは全て、ロウエル一人に惨殺されてしまうだろう。そう思わせるだけの殺気が老人の体からは放たれていた。


「待て、ロウエル」


 アウロは慌てて老人の背に声をかけた。


「彼らは味方だ。敵じゃない」

「……アウロ様、こやつらはあの悪名高きキャスパリーグ隊ですぞ」

「知っている。それを承知で雇ったんだよ」

「だとしても、連中が仕えているのは【モーンの怪猫】ダグラス・キャスパリーグのみです。普通の人間に忠誠を誓うことはありません」

「ロウエル、ダグラスは死んだ。殺したのはこの俺だ」


 その台詞に、ロウエルは切れ長の瞳を見開いた。

 次いで、その眼前にドワーフ族の老人がひょっこり顔を出す。


「これはこれは。久しいのう、ガルムリオ・ロウエル」

「……お前はキャスパリーグ隊の技師か。確か、ゴゲリフ・ゴゴゴゴとか言ったな」

「ゴゴゴホ、じゃよ。まぁ、わしの名前なんざどうでもいいんじゃがな」


 ゴゲリフはそこで白い顎鬚をひと撫でし、


「まぁ、アウロ殿の言う通りダグラスは死んでしもうた。そして、今のわしらはキャスパリーグ隊の名を使っておらん」

「なに?」

「わしらは山猫部隊(リンクス)と名乗っておる。おぬしの主が与えてくれた名じゃよ」

「アウロ様が? しかし、何故そんなリスクを――」


 怪訝そうに主の顔を見るロウエルに、ゴゲリフは質問を続けた。


「ガルムリオ。おぬしこそ、どうしてこんな南の果てにおるんじゃ」

「……ダグラスに敗れ、島を叩き出された後、当て所なく各地をさまよっていたらここで一人のご婦人に声をかけられたのだよ。自分のところで働かないか、とな。こんな足の悪い老人にだ」

「それは母の、ステラのことか?」

「そうです」


 ロウエルはバツの悪そうな表情で頷いた。

 と同時に、その身に纏っていた殺気が溶けるようにして消える。

 ハンナは構えを解き、他の面々もほっと息をついた。わずかに弛緩した空気の中、ロウエルは眉を寄せたまま息をつく。


「ステラ様には私の出自をご説明しました。しかし、あの方は全く気にしないと言って下さった。アウロ様にも養成所からこの地にお戻りになった後、お伝えしようと思っていたのですが――」

「別に責めている訳じゃないさ。お前がどこの出身だろうが、今までギネヴィウス家のために働いてくれた事実は変わらないんだ」

「ありがとうございます」


 ロウエルは一礼した後で言った。


「ですが、アウロ様。私はこの者どもを雇い入れるのに反対です」

「何故だ?」

「キャスパリーグ隊の残党は未だに公王殺しの犯人として、王国から指名手配を受けています。いくら王都から遠く離れているとはいえ、この地に匿うのは危険過ぎます」

「匿う訳ではないさ。彼らにはきちんと仕事をしてもらう」

「仕事? しかし、こやつらにできそうなことなど――」


 そこで老人は、はっとなにかに気づいた様子で主の顔を見た。

 今は裏方的な活動がメインになっているとはいえ、元々キャスパリーグ隊はダグラスに率いられていた軍隊だ。

 それを活用するとなれば、方法はそう多くない。そして、ロウエルはその方法に思い至ったようだった。


「アウロ様、その選択をステラ様はお喜びにはなりませんぞ」

「知っている」


 絞り出すような老人の台詞に、アウロはただ淡々と答えた。


「母は平和主義者だったからな。しかし、結局は若くして死んでしまった。いや、モグホースに殺されたと言うべきか」

「それは――」

「ロウエル、お前は俺にもう一つ秘密にしていることがあるはずだ。違うか?」

「………………」


 ロウエルは黙り込んでしまった。無言の肯定である。


 ただ、同時にアウロは分かってしまった。

 この義理堅い男が口を開かないということは、恐らくステラは自身の死についてロウエルに口止めしていたのだ。

 無論、アウロを心配させないためだろう。もしくは我が子にいらぬ憎しみを植え付けないよう、彼女なりに配慮した結果なのかもしれない。


(……余計なお世話だ)


 そこでアウロは生まれて初めて、母に対して苛立ちにも似た感情を覚えた。


 勿論、それが子供じみた反発心であることは自分自身にも理解できている。

 ステラは日和見的な平和主義者ではない。彼女には彼女なりの考えがあったのだ。

 アウロはその事実を、先王ウォルテリスの遺書からきちんと読み取っていた。


「ま、いいさ。この話は後にしよう。ここで話すようなことでもないからな」

「……アウロ様」

「そう不安そうな顔をするな。俺もお前に打ち明けていない秘密がいくつもある。意見を戦わせるのは、お互いの手札を全て見せ終わった後でいい」

「分かりました。我が主がそうおっしゃるのであれば、それに従いましょう」


 ロウエルは一歩後ろに引き、深々と頭を下げた。


 それでも、アウロの背後に控えた山猫部隊(リンクス)の面々は未だに戦々恐々している。

 代表して、ハンナが遠慮がちに尋ねた。


「あの、それで私たちはこの屋敷に留まっても大丈夫なのでしょうか」

「……少なくとも、現段階ではお前たちもギネヴィウス家の使用人だ。叩き返すわけには行くまい」


 ロウエルは渋々そう言った。


「アウロ様、私はこやつらを屋敷の中に案内いたします」

「任せた。それとハンナ」

「は、はい。なんでしょう」


 たちまち居住まいを正すハンナにアウロは苦笑を浮かべた。


「そう気負わなくていい。少し頼みたいことがあるんだ」

「頼みたいこと、ですか?」

「ああ、早速だがお前たち山猫部隊(リンクス)に働いて貰う。ある事柄を調査して欲しい」

「了解です。何についてでしょう」

「ルキ・ナートと司祭プルーンたち天聖教の神官団について」


 その言葉にハンナは息を呑む。

 やや遅れて、「天聖教、ですか」という呟きがこぼれ落ちた。


「勘違いするなよ。連中と対立すると決まった訳じゃない。ただ、どちらにしろ情報は必要だ」

「分かりました。では、すぐに人を手配します。二、三ヶ月程度で纏まった形のご報告ができるかと」

「頼んだ。部隊としての初仕事だ。期待しているぞ」

「はっ」


 気をつけをしたまま敬礼を返すハンナ。

 そんな彼女に、ロウエルは少し意外そうな表情を向けた。


「まさかとは思うが、今のキャスパリーグ隊を率いているのはお前のような小娘なのか?」

「ええ、私の名はハンナ・キャスパリーグ。父と対等に戦ったという、クーシー族の族長ガルムリオの名は前々から聞かされていました」

「なるほど、ダグラスの娘か。奇妙な気分だ。あのクソ猫の娘と、同じ主の元で働くことになろうとは」

「……あの、ガルムリオさんはやはり父と仲が悪かったんでしょうか」


 「別に」とロウエルはそっけなく言った。


「ダグラス・キャスパリーグとは縄張り争いで何度か殺し合いをした程度の仲だ。最終的には私が負け、島内から追放された。好きか嫌いかで聞かれれば、そうだな。ブチ殺したいほど大嫌いだ」

「そ、そうですか」


 ハンナは頬をひきつらせた。


 彼女にとっては勤め先の上司が父の元宿敵という、なかなか苦しい状況である。

 アウロは念のため釘を差しておくことにした。


「ロウエル、ハンナたちとは仲良くしろよ。ダグラスはもう死んでいるし、彼らも今はギネヴィウス家の人間だ」

「無論です。私とて仕事に私情を挟むほど若くはありません」

「できれば、私事の面でもお前たちには仲良くなって貰いたいんだが」

「それはこの者たちの働き次第ですな」


 挑発的な台詞を吐くロウエルに、ハンナは顔を強張らせたまま手を差し伸べた。


「よろしくお願いします、ロウエルさん」

「よろしく、ハンナ・キャスパリーグ。そして、ようこそ山猫部隊(リンクス)の諸君。ギネヴィウス家執事長のロウエルが、お前たちを歓迎しよう」


 ハンナと握手を交わしたロウエルは、仏頂面のまま一同を見渡した。






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 南部のイクティスは王都カムロートに比べ、夜も比較的温かい。


 アウロは水平線の向こうに太陽が沈みきった頃、カムリ、ロウエルを伴って屋敷から離れた岬の先へと向かった。

 ここにはアウロの母であるステラの墓地があるのだ。切り立った崖の先に建てられた、小さな石塔がそれだった。


「アルビオン島の果て、ランズエンド岬かぁ。話には聞いてたけど、実際にここへ来るのは初めてだね」


 いつもの黒いローブではなく、赤いワンピース姿となったカムリは草地に覆われた断崖を見渡した。

 その隣を歩くロウエルは黒い長衣に身を包んだ格好だ。切れ長の瞳が不審そうにカムリを一瞥した。


「アウロ様、この娘は?」

「名はカムリ。俺にとってはお前と同じくらい信用している相手だ」

「見たところエルフ族のようですが、山猫部隊(リンクス)の一員なのですか?」

「違う。素性に関してはいずれお前にも話すつもりだが、今はまだ無理だ。人の目につかないような、屋根のついた広い建物がないとな」

「……はぁ」


 ロウエルは首を傾げつつも、それ以上の追求はしなかった。


 そうこうしている内に、岬の先端へと辿り着く。

 ステラ・ギネヴィウスの墓の回りには、ラベンダーやセージといった大陸由来のハーブが植えられていた。

 オベリスク型の石塔もきちんと手入れがされている。ただし石碑とは違い、そこに個人の名は刻まれていない。


「お久しぶりです、母上」


 アウロは足を止め、石塔へと語りかけた。


「そして、ご報告が遅れて申し訳ありません。俺は先日の乱における戦功によって、ケルノウン半島の約半分を支配する伯爵となりました。一気に領地が広がったため様々な問題が起きていますが、他の者たちの助けも借りて、どうにかこの地を治めていくつもりです」


 「もう一つ」とアウロは言葉を続け、


「父が、公王ウォルテリスが死にました。世間ではキャスパリーグ隊の仕業と言われていますが、犯人は別にいるはずです。ガルバリオンは宰相モグホースを真犯人と踏んでいるようですが……」


 アウロは懐に手をやると、ガルバリオンから預かった父の遺書を取り出した。


 既に中身は遺書を受け取った当日に確認している。

 記述された内容は大まかに分けて四つ。

 宰相モグホースについて。アウロの出生と母ステラの死について。そして、ウォルテリス個人の頼み事についてだ。


(ウォルテリスは自分の死を予期していた――)


 アウロは封を切り開かれた遺書に視線を落とした。


 冒頭には『ウォレスの息子ウォルテリスが、我が息子アウロ・ギネヴィウスに記す』とある。

 続いて、下手くそな字でモグホースの素性について書かれていた。


 モグホースは大陸出身の商人として知られている。

 が、ウォルテリスの記述によると宰相はただの商人ではなく、武器や兵器を取り扱う闇商人であったらしい。

 モグホースがウォルテリスの前に姿を現したのは今から三十年以上前のこと。当時、亡くなった先王の放蕩によって壊滅状態にあった王国の財政を、ほとんど一人で建て直したのがあの男なのだという。


 その後もモグホースは主に経済面での功績を上げ、更には妹のモリアンを公王の后とすることで、王国の宰相へと昇り詰めた。

 が、同時にモグホースは財政的に貧しい生活を送っている貴族を援助し、彼らに『貸し』を作り始めたのだ。

 一度、贅沢に慣れた人間はそこから抜け出せない。泥沼に絡め取られた貴族たちは、次々とあの男の支配下に収まってしまったのだという。


『現状、モグホースと関わりの薄い者は四侯爵とその傘下にある貴族。そして、東部方面軍を構成する辺境伯たちだけである。それ以外の諸侯はおよそほとんどが、モグホースの影響下にあると考えて良い』


 モグホースに関わる記述はそこで終わり、

 アウロの出生とステラの死に関する記述へと移る。


 アウロは振り返り、クーシー族の老人をじっと見据えた。


「ロウエル、幾つか確認したい」

「なんでしょうか」

「お前は母の死因についてなにか知っているか?」


 途端、周囲の空気がしんと静まり返った。

 闇の中、岬に波の打ちつける音がだけが響いている。

 アウロは再び墓石へと視線を戻し、淡々と言葉を続けた。


「俺は今まで、あの人は心の病で体調を崩し、亡くなったのだと思っていた。だがな、冷静に考えると色々と辻褄が合わないんだ。母上はやつれてこそいたものの、精神的には異常がなかった。そもそも、あの気丈な性格の人がいじめ抜かれた程度で心を病むとは思えない」

「……アウロ様は既に答えを知っておられるのですか?」


 アウロは短く答えた。「まぁな」


「これは先王ウォルテリスの残した手紙だ。遺書の内容によると、母上が王都を離れたのは心の病のせいじゃない。別の理由で体調を崩したからだ。だからこそウォルテリスは母をカムロートから遠ざけ、この地で療養させた」

「んん? じゃあ、主殿のお母さんは病気でもなんでもなかったってこと?」

「少なくとも、心の病ではなかったのは確かだ。ウォルテリスはあえて詳細をぼかしているようだが――」


 アウロはもう、その事実に気付きかけている。

 そして、予想の裏付けをするかの如く老人は告げた。


「ステラ様は毒を盛られたのです」


 背後から投げかけられた台詞に、アウロは振り返る。

 老人は苦渋の表情で今は亡き主の墓石を見つめていた。


「私が初めてステラ様と出会った時、既にあの方は臓腑の病に侵されていました。その原因となったのは、王都で盛られた毒であったと聞いています」

「毒、か」


 アウロは驚かなかった。

 その可能性は彼自身、十分に覚悟していたことだったのだ。

 ステラに毒を盛ったのはモグホースだろう。ウォルテリスやガルバリオンの反応から考えてもほぼ間違いない。


「ロウエル、お前が母から口止めされていたのはそれで全てか?」

「はい。あの方はアウロ様に憎しみの種を植え付けたくなかったのでしょう」

「それは分かるよ。が、恨むなという方が難しいな。結局、母上が死んだのもその毒が原因なのだろう?」

「そう、ですね。私も色々と手を尽くしましたが、どんな薬や魔法も、一度毒に破壊された体を治すことは出来ませんでした」


 犬耳をぺたりと伏せたまま俯く老人の前で、アウロは「そうか」と呟いた。


(モグホース。やはり、お前が全ての元凶か)


 固めた拳が鈍い音を立てる。

 アウロの目的は、ログレス王国にアルトリウス時代の栄光を取り戻すことだ。

 そのためには宰相モグホースとの対決は避けられない。理性で考えようが、感情に押し流されようが、あの男が諸悪の根源であることは間違いないのだ。


「でも、これでわらわたちの敵もはっきりしたね。宰相モグホースとその一派。まずはこいつらをどうにかしないと」

「……ああ」


 アウロは一つ息をついて、爪あとが残るほどきつく握っていた拳を解いた。

 怒りに身を任せるのは後でいい。今はもう一つ、解決しておかなくてはならない疑問がある。


 アウロは続けて老人に尋ねた。


「ところでロウエル、俺の右腕を焼いた人間が誰だか知っているか?」

「右腕を焼いた? どういう意味です?」

「意味が分からなければそれでいい。ただ、お前も俺の右腕にあった火傷痕は知っているだろう」

「はい」

「実はあれ、もう治っているんだ」


 アウロは服の袖をめくり、


「約束だ。お前に一枚、俺の手札を見せておこう」


 右腕に巻かれた包帯を解いた。


 はらり、と軽い音を立てて草地に包帯が落ちる。

 露出された肌に刻まれているのは赤い竜の紋章だ。

 おぼろげに輝く月光の下で、ロウエルは薄く目を見開いた。


「それはまさか……王紋、ですか」

「そうだ。あまり驚いていないようだが、知っていたのか?」

「いえ。ただ、予想はしておりました。アウロ様の右腕に刻まれた証は、誰かそれを不都合と考える者によって消されたのではないのかと」

「俺も最初はそう思ってたよ。例えば、そうだな、モグホースが俺に私生児の烙印を押すため、わざと火傷を負わせたのではないかと」


 「違うのですか?」と尋ねるロウエルに、アウロは頷いた。


「ウォルテリスの遺書にはその答えが書いてあった。俺の右腕を焼いたのは、あの男と母上だ。二人は話し合って、生まれた赤ん坊の体から王家の証を消してしまうことに決めたらしい」

「そんな。何故、そのような酷なことを」

「俺を守るためだろう」


 アウロは右腕を夜空にかざし、闇に浮かぶ竜の痣をじっと見つめた。


 今、ウォルテリスの子孫で生き残っているのは、王妃モリアンの息子たちだけだ。

 ログレス公王家に生まれた人間は、その半数近くが謎の死を遂げている。

 原因はほぼ間違いなく、モグホースの策謀によるものだろう。あの男にとっては自分の縁戚でない王族など邪魔なだけなのだ。


(だが、奴はミスを犯した)


 モグホースは他の王子たちのように、アウロを暗殺しなかった。

 それは彼自身が王紋を持たない、私生児として扱われていたからだ。

 ウォルテリスとステラの狙いはそこにあった。彼らは王家の証を隠すことで、生まれた子を守ろうとしたのである。


「ウォルテリスも、母も、俺が自分たちの息子であることを知っていたんだ。全く、あの男め。なにが、『例え私の血を引いてなかったとしても』だ。思ってもいないようなことを言って――」

「しかし、こうして手紙を残したのです。公王ウォルテリスはずっと、アウロ様のことを気にかけていたのでしょう」

「だとしても、不器用なやり方だよ」


 アウロはため息をこぼし、再びウォルテリスの、父の遺書へと視線を落とした。


「ああ、そうだ。不器用といえばもう一つあったか……」

「というと?」

「最愛の女を取り逃がした男の、つまらん頼み事さ」


 アウロはそう言って、懐に手をやった。


 ガルバリオンを通じ、アウロに届けられたこの手紙にはあるものが内封されていた。

 それはウォルテリス自身の髪。今となっては遺髪となってしまったものだ。

 アウロは薄いパピルスに包まれたそれを取り出すと、ステラの墓前に膝を屈めた。


「主殿? なにやってるの?」

「なに、ろくでもない父親だったが最後の願いくらいは叶えてやろうと思ってな」


 アウロは手で柔らかな土を掘り返すと、そこに白く染まった遺髪を落とした。


 ウォルテリスの遺書には、最後にとある頼み事が書かれていた。

 それは最愛の女と同じ場所で眠りたいという、ウォルテリス自身のエゴとも言える願いだ。

 アウロがその遺言を叶えたのは単なる同情心からだけではない。恐らく、母もそれを望むだろうと思ったからだ。


(二人並んでいるところなど、ろくに見たこともない両親だったが……)


 せめて、あの世で一緒になるくらいは許されるだろう。


 アウロは掘り返した穴を埋め、入念に土を踏み固めた。


「これでよし。カムリ、ロウエル、戻るぞ」

「主殿、もういいの?」

「感傷に浸る時間は終わりだ。今はやらなくてはならないことが山ほどある」

「そうですな。既に領民から幾つか陳情が上がっておりますし――」


 言いかけたロウエルは、ふいに全身を緊張させた。


「ロウエル?」

「……アウロ様、何者かがここに来ます」


 老人はすぐさま身構え、背後へと振り返った。


 そこでアウロもようやく、薄闇の中をこちらに近づいてくる人影に気付いた。

 黒い外套を身に付けた薄汚い身なりの男だ。背は高く、がたいもいい。

 そして、右の隻腕には古びた長槍をぶらさげている。


「そなたは――」


 同じく、臨戦態勢を取っていたカムリが僅かに警戒を解く。


 アウロも男の姿には見覚えがあった。

 王城で自分たちと交戦したキャスパリーグ隊の槍使い、ベディクだ。

 アウロは今にも飛びかかりそうな気配のロウエルを片手で制し、一歩前へと進み出た。


「ベディク、といったか。何故、お前がここに……。まさか、俺になにか用か?」


 今のところ、目の前の男からはあの強烈な殺気を感じない。

 相手もここで戦う気はないのだろう。ベディクはアウロからかなり離れた位置で足を止めた。


「アウロ・ギネヴィウス」


 潮のさざめきに混じって響くのは、抑揚のない重低音だ。

 男は感情の抜け落ちた声で言った。


「少し、話がしたい」

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