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ブリタニア竜騎譚  作者: 丸い石
三章:双竜戦争(前夜)
52/107

3-7

 その後の旅路は特にトラブルもなく続いた。


 ログレス王国は北部に山が、中部に丘が、南部に平地が多い土地柄だ。

 特にアウロの故郷ケルノウン半島は、アルビオン全体から見ても最南端に位置する場所である。

 気候は温暖湿潤で住みやすく、現地の人々は農業や漁業などで生計を立てている。逆に北部、中部で盛んな牧羊はあまり見られない。


 今回のアウロに与えられた土地はこのケルノウン半島の末端だ。

 地理的には王都カムロートから遠く離れた場所だが、交通の便がいいため馬車で二週間も走れば辿り着ける。


「なんだか、のどかなところだねぇ。冬なのにぽかぽかあったかいし、一度はこういうところでゆっくり過ごしたいよ」

「なにを言っているんだ。シドカム、お前たちもここで暮らすんだぞ」


 ぴくぴくと耳を揺らすシドカムに、アウロは呆れ顔でそう返した。


 イクティスに到着した一行は馬車から降りて領主の屋敷へと向かっていた。

 丘の上に建てられた古い屋敷の周囲には花畑が広がっており、白い水仙が小さな花を咲かせ始めている。 

 ここは元々、公王ウォルテリスが妾であったステラに保養地として与えた場所だ。そのため景色も良く、眼下には美しい海岸線を望むことができた。


「わ、わ、すごい! 海だよ海!」

「初めて見た! 海の水ってしょっぱいんでしょ!」

「うーみ! うーみ!」


 早速、孤児院の子供たちがはしゃぎ始めている。

 リコットはそれを「はいはい」とあやしながら、自身も砂浜に押し寄せるさざなみを見下ろした。


「この辺りの海は青くて綺麗なのね。北の方はもっと黒っぽい色をしてるんだけど」

「あれ? リコ、北の海を見たことあるの?」

「えっ……あー、ええと。孤児院に来た人からそういった話を聞いたのよ」


 と慌てて誤魔化すリコット。

 モーン島出身の彼女たちにとっては、海など珍しくもなんともないのだろう。


「それにしても、ここはなんもないとこだね」


 同じく、きょろきょろと周囲を見渡したカムリがそんな感想を漏らす。


「ただ、手入れだけはすごく行き届いてるみたいだ。誰か人がいるの?」

「ああ。俺が領地を空けている間、ここの管理は全て執事のロウエルに任せている」

「代官ってこと? じゃあ、主殿がいない間に私腹を肥やしまくってるなんてことは……」

「あれはそういうタイプの人間ではないよ。今のところ、俺が手放しに信用しているのはお前とロウエルだけだ。あの男には、母が生きている間からずっと世話になっているからな」

「ふーん、ってことは主殿のお父さん代わりみたいな人なんだね」

「と言うには、少し年齡が離れすぎているがな」


 アウロは吹き付ける潮風に髪を押さえながら、懐かしい我が家を見上げた。


 イクティスにあるアウロの屋敷は、古代の丘砦ヒルフォートを改築した代物だ。

 そのため、居住性を増した砦とでも言うべき形状をしている。基礎は石造りで、建物自体は木製だ。

 大きさも一般的な領主の屋敷と比べるとかなり大きい。部屋数も多く、百人以上の人間が快適に宿泊することができた。


「おかえりなさいませ、我が主」


 門前に辿り着くと、屋敷の前に立ったクーシー族の男がアウロたちに頭を下げた。


 アッシュグレイの髪と犬耳を綺麗に整え、口元に立派な口ひげを生やした老人である。

 服装は黒を基調とした胴衣と、丈の長いねずみ色の上着。下には仕立てのいいズボンを履いている。

 男の姿はアウロの記憶にあるそれとほとんど変わっていなかった。少し顔の皺が増えた程度だ。


「ロウエルか。久しいな」

「大きくなりましたな、アウロ様。それに立派になられた」


 ロウエルはそう言って、傷だらけの顔にくしゃりと笑みを浮かべた。


「それにしても、手紙に書かれていたよりも大所帯ですね。養成所のご学友に亜人の子供たち。その後ろに続いているのは天聖教の方々ですかな?」

「いかにも。カムロート司教座の司祭プルーンである!」


 胸を張って名乗りを上げたプルーンだが、ロウエルはそっけなく「それはどうも」と答えただけだった。

 元々、この男は初対面の人間には極端に愛想がない。ならず者じみた強面に睨まれたプルーンは、何も言えずにぐっと口ごもった。


「……ねぇ、主殿。この人、ホントに執事なの? 闇ギルドの首領ドンって言った方がしっくり来るけど」

「気持ちは分かるが本人には言うなよ。あれで結構、気にしているんだ」


 ロウエルは長身かつ筋肉質な体型で、目つきの鋭い威圧的な風貌をしている。

 身に纏った雰囲気も歴戦の兵士のそれだ。実際、アウロの母ステラに拾われるまでは軍人として戦いの日々を過ごしていたらしい。


「さて、アウロ様。とりあえず、客人たちを屋敷の中に案内いたしましょう。その後は食事をして一休み、というのはどうです?」

「頼むよ。カムロートじゃ、魚の料理を食べたくて仕方がなかったんだ」

「あの辺りは新鮮な魚が手に入りませんからな。今日はニシンのパイとマスのベーコン巻き、ムール貝の林檎酒サイダー煮込みにラヴァブレッド(海藻とオートミールを混ぜ合わせ、油で揚げた食品)を用意しております」

「へへ、準備がいいね。宿屋のメニューってどこも似たような感じで飽きてたんだ」


 と早くも舌なめずりをするカムリ。


 一方、ハンナはその後ろからこっそりロウエルの顔を覗き込んでいた。

 なにか引っかかることでもあるらしい。その黒い瞳は老人の右足へと注がれていた。


「主様、ロウエルさんは足が悪いのですか?」

「ああ。以前、戦場で怪我をしたらしい。そのせいで兵士をやめることになったとも」


 アウロとハンナは屋敷へと続く門をくぐりながら、小声で言葉を交わした。

 先導するロウエルは右足を引きずっている。足の腱が切れ、まともに歩くことができないのだ。


「戦場、戦場ですか。確かに、ロウエルさんからは強い武の匂いを感じます。恐らく、かなり大規模な群れのリーダーだったのでしょう」

「そんなことが分かるのか?」

「はい。ひょっとしたら、私の知っている方かもしれません。後でゴゲリフさんにも確認してみる必要がありますが――」


 ハンナはじっと老人の背中を見つめたまま呟いた。


「【モーンの銀狼】ガルムリオ・ロウエル……まさか、こんな南の果てにいたなんて」






XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX






 イクティスに辿り着いた一行は、ひとまず旅の疲れを癒やすこととなった。


 が、アウロは例外だ。ケルノウン伯となった彼は領地の激増に伴い、早急に王国の役人たちから引き継ぎ手続きをしなくてはならなかった。


 今回、アウロに与えられたのはケルノウン半島30000エーカーの土地だ。

 元々この領地は、中央から派遣された役人の管理していた王国の直轄領である。

 現在、斧の反乱とその収束によって国内ではかなりの『領地整理』が行われており、特に直轄領の中でも王都から遠く離れた飛び地は、ことごとく戦功のあった貴族に分け与えられていた。


 逆に王都からほど近い領地はなにかと理由を付けられ、召し上げられている。

 今回の戦乱では功績を上げた人間も多いが、逆に失態を犯した人間も少なくないのだ。

 つまるところ、新王マルゴンは国家の中央集権化を進めていた。王家の強い権力によって、地方の貴族たちを統制しようという目論見だろう。


「では、これで手続きは終わりです。後はよろしくお願いします、ケルノウン伯」


 一週間、ひっきりなしにアウロの元へ来訪していた役人たちの、その最後の一人が一礼して室内を後にする。


 見送ったアウロは思わず、机の上に突っ伏したい気分になった。

 当然のことだが、今回アウロに与えられることとなった広大な領地を、一人の役人が全て管理していた訳ではない。

 領地の管理者はおよそ1000エーカーごとに一人ずつ配置されており、またその手足となって働く事務官や徴税官などを含めると、総勢二百人以上もの人材が動員されていた計算となる。


 加えて、この領地の中には別個の管理体系を持つ荘園主も含まれるのだ。

 アウロはそれらの人々の応対におよそ一週間近くかけた。

 領地の管理に当たって注意すべき事項に耳を傾け、現在起きているトラブルを把握し、昇爵祝いの贈り物に礼を述べ――


 といったことを一週間、延々と繰り返したのだからたまらない。

 精神的にも肉体的にもタフなアウロだが、これには流石に深いため息がこぼれてしまった。


「お疲れ様です、アウロ様」


 と、そこで背後に控えていたロウエルが机の上に銀の酒盃を置く。

 中に入っているのは、器の底が見えるほど薄く透き通った白金色の液体だ。

 アウロはそれを一息に傾けた。ほろ苦い甘みと共に、芳醇な林檎の香りが咥内にふんわりと広がる。


「ん……? 随分と出来がいいな、これは」

「去年は南部でも天気に恵まれましたからな。恐らく、この林檎酒はここ数年で一番の出来でしょう」


 「もう一杯いかがです?」というロウエルの言葉に、アウロは頷いた。

 酒でも呑まねばやっていけない。まだ、アウロの仕事は全て終わった訳ではないのだ。


「この後はまず、祝儀を届けてくださった方々に返礼をしなくてはなりませんな。また、各地の有力者たちに挨拶しておくべきでしょう。しかし、なにより管理者のいなくなった領地に新たな役人を派遣することが必要です」

「ロウエル、俺には一つ分かったことがある」

「なんでしょうか」

「今のギネヴィウス家には人手が足りない」


 「でしょうなぁ」と老人は遠い目のまま頷いた。


 なにしろ、今のギネヴィウス家で領地管理を任せられる家人はロウエルだけだ。

 有能な官吏さえいれば、アウロが馬車馬のように働く必要もなかったのである。


「しかし、この点に関しては王国側にも問題がありますぞ。1000エーカーの領地しか管理していなかった人間に、いきなりその三十倍の土地を押し付けるなど、嫌がらせとしか思えませぬ」

「領地が増えたのは素直に喜ぶべきなのだがな……。それに一応、中央から領地管理のための人材も派遣されてきている」

「それはもしや、あの天聖教の腐れ坊主どもですかな?」

「腐れ、は余計だよ。まぁ、俺も連中とは旅の途中で早速仲違いしてしまったのだが」


 ふぅ、とアウロはもう一度ため息をこぼす。


 丁度そこで乾いた音と共に執務室の扉がノックされた。

 今日の来客予定はすべて消化したはずだから、外部の人間ではない。

 アウロは怪訝に思いつつも「入れ」と声をかけた。


「失礼します」


 室内に足を踏み入れたのは白い法衣を身に付けた少女だ。


 天聖教の神官ルキ・ナートである。その顔は相変わらず人形のような無表情だった。


「お久しぶりです、ギネヴィウス様。少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか」

「勿論だ。今日の面会は全て終わっている。ここ一週間、お前たちのことを放ったらかしにしていてすまないな」

「構いません。私たちもこの地についてある程度、調査ができましたので」

「それは結構。ところで、今日は自称サポート役のあの男はいないのか?」

「司祭プルーンは休憩中です」


 「なるほど」とアウロは頷いた。大方、あの体型で領内を歩きまわったものだから疲れ果ててしまったのだろう。

 アウロは酒盃に残った林檎酒を飲み干しかけ、その前にふと思い当たって尋ねた。


「ルキ殿、飲むか?」

「……いえ、結構です」


 ルキはそこで一瞬だけ眉を寄せた。どうやら酒は苦手らしい。

 アウロは酒盃を片付けた後で、再び少女に向き直った。


「さて、今日でケルノウン半島の西半分は、正式にギネヴィウス家の所領となった。お前たちにもこれらの領地を管理する手伝いをして欲しい」

「分かりました。ただ、私たちが役人として徴税や刑罰の執行を行うことはできません。お手伝いできるのは戸籍や帳簿の管理程度です」

「こちらも神官殿に汚れ仕事を押しつけようとは思わんさ。ただ、ギネヴィウス家には役人の仕事をこなせそうな人材がいなくてね。各地の有力者を代官に任命するのはどうかと思っていたんだが」

「代官、ですか」


 と、どこを見ているのか分からない顔のまま呟くルキ。

 しかし、アウロはその反応にわずかな引っ掛かりを覚えた。

 なんとなくルキ自身から不満そうな、納得のいっていないような気配を感じたのだ。


「そういえば、お前たちは領内を見て回っていたはずだな。ということは各地の荘園主や豪農にも会っているはずだ。……なにか気付いたことでもあったか?」

「少しだけですが」


 ルキは抑揚のない声で言った。

 が、その後が続かない。再び少女は口を真一文字に結んだまま、黙りこくってしまっている。

 仕方なくアウロは先を促した。


「ルキ殿、気付いたことがあるなら教えてくれ」

「結論から先に言っても」

「構わない」


 「では」とようやくルキは説明を始めた。


「この地の有力者は先任の役人たちと繋がっていました。彼らは領主の仕事を代行し、その見返りとして徴税権と執行権の自由行使を認められていたようです」

「要するに役人どもは仕事を丸投げして、荘園主どもはそれを利用し、私腹を肥やしていたと?」

「簡単に言えばそうなります」


 なるほど、とアウロは心の中で相槌を打った。

 ケルノウン半島は元々王家の直轄領だ。かつての管理者は王都から派遣された役人である。

 が、中央と同じく地方の官吏も性根が腐り果てていたらしい。更に、この地の有力者までも汚職に身を染めている。


(結局はハンナの報告通りか……)


 アウロは先ほど目を通した報告書の内容を思い出した。


 実のところ、アウロもハンナから代官たちの腐敗っぷりについては伝えられていた。

 といっても彼自身が調査を命令した訳ではない。山猫部隊(リンクス)を神官団の監視に当てていた結果、ハンナもルキと同じくこの地の惨状を目にすることとなったのだ。

 おかげでアウロは早々に当初のプランを放棄する羽目になった。不正に手を染めた人間を代官に取り立てるなど危険極まりない。


「あまり驚いていないようですね」


 沈黙の中、ルキは水晶じみた青の瞳でアウロを見つめていた。


「もしや、この地の現状に関しては既にご存知でしたか?」

「自分が治める領地のことだ。多少は耳に入るさ」

「そうですか」


 彼女からしてみればアウロに試された形だが、特に気を悪くした様子もない。

 代わりに、デスクの脇に佇む老人が口を開いた。


「とはいえ、アウロ様。ギネヴィウス家が人手不足なのは事実です。少なくとも来月中には、新たな管理者を派遣しなくてはなりません」

「分かっている。だが、急にどこからか人材を引っ張ってくることはできないぞ。頼れそうなのはジェラードくらいだが、ブランドル家の家人を借りる訳にもいかんしな」

「では、多少なりともギネヴィウス様と関わりのある方々を役人に任命するのが良いのではないでしょうか」


 と横から意見を述べたのはルキだ。 

 アウロはデスクから少し身を乗り出した。


「そう言った台詞が出るということは、なにか考えがありそうだな」

「はい。ただ、それを私の口から言うのははばかられます」


 要約すると、『答えは知っている。だが、自分で考えろ』ということだろう。

 単なる傀儡と思いきや、このルキ・ナートという娘はなかなかいい性格をしている。

 アウロは椅子の背もたれに体を預けたまま、しばし考え込んだ。


(候補が少ないとはいえ、役人の条件自体はそう難しくない……)


 要するにある程度は読み書きができ、教養のある人間であればいいのだ。

 が、そこにアウロと関わりがあって信用できる者、となると途端に数が限られる。


 山猫部隊(リンクス)の面々はダメだ。彼らの中でケルト語の読み書きをできるのはハンナ、リコット、ゴゲリフだけらしい。

 シドカムたちのグループは全員読み書き計算が可能だが、彼らには兵器の開発という仕事がある。

 なにより、圧倒的に頭数が足りないのだ。300000エーカーの領地を管理するためには、一人1000エーカーとしても三十人の役人が必要となってしまう。


「となると――」


 アウロはこつこつ机の上を指で叩き、


「人間ではなく集団だな。ルキ、お前は俺についても調査をしたのか?」

「はい」

「ならば、その友人関係も?」

「多少は」


 「そうか」と言って、アウロは背もたれから体を起こした。


「確かに、間接的だが俺とも関わりのある連中だ。信用できるかと言われたら微妙だが、この地の代官に比べたらマシかもしれん」

「アウロ様、お心当たりがあるのですか?」

「まぁな」


 一つ頷き、


「シドレー商会――シドカムの実家だよ。商人ならば読み書き計算だけでなく、帳簿の付け方や戸籍の管理も問題なくこなせるはずだ」

「商人、ですか」


 その言葉にロウエルは眉を曇らせた。


 一般的に、商人というのは下賎な職業とされている。

 宰相モグホースが他の貴族から忌み嫌われている要因の一つにも、あの男自身が商家の出身だからという理由があるのだ。

 特に貴族は商人を下に見ることが多い。それを家人として雇い入れようなど、普通の人間から見れば正気の沙汰ではないだろう。


「体面を気にしなければ悪くない案だと思います」


 ルキは事務的に言葉を続けた。


「商人であれば経済の仕組みについての知識もあるはずですし、商会本体とのパイプを利用し、領内の経済を活性化させることもできるかもしれません」

「だが、問題は彼らが俺の要請に答えてくれるかということだ。商会とて人手が余っている訳では――」


 と言いかけてアウロはふと気付いた。


 脳裏に思い浮かんだのは王都を囲む門に列を成す人々の姿だ。

 現在、王都では亜人街の解体が行われている。シドレー商会の本店は中央市街にあるが、従業員や顧客が亜人街に居を構えている以上、商会も全くの無関係という訳には行かない。

 少なくとも、現状で人手不足に陥っていることはないだろう。むしろ働き手が余っている可能性の方が高い。


(こいつ、まさかそこまで……)


 アウロは警戒心を込めて目の前の少女を睨んだ。

 が、ルキはぽわぽわと地に足のついていない様子で突っ立っている。その心中はまるで読み取れない。


「アウロ様? どうなさいました?」


 怪訝そうな表情を見せるロウエルの前で、アウロは「いや」と小さく息をついた。


 ルキの考えはともかく、その助言自体は正鵠を射ていた。シドカムの実家に助けを借りるというプランも悪くない。

 他の貴族から蔑みの目で見られる可能性が高いものの、その程度のリスクなら十分許容範囲内だ。


「分かった。ひとまず、商会と交渉してみよう。他に良い方法もないようだしな」

「はい。ところでギネヴィウス様、こちらからも一つ許可をしていただきたいことがあるのですが」

「なんだ?」

「私たち聖教団の神官に、領内での布教活動を認めていただきたいのです」


 絶妙なタイミングでの『お願い』に、アウロはうめき声を漏らした。


 なにしろ、こちらはついさっきルキの助言を聞き入れてしまったところだ。

 ここで相手からの要請を断るのは難しい。そうでなくともアウロの立場上、天聖教とは対立しづらかった。


「……許可を取る必要はないさ。俺の権限でお前たちの活動を制限することはできない」

「これは法律ではなく礼儀の問題です。私は他人の家に挨拶もなしに上がるほど、無遠慮な人間ではありませんので」

「ならば、俺は家主としてお前たちをもてなせばいいのか?」

「そうして頂けると助かります」


 淡々と紡がれた台詞に、アウロは「分かったよ」と両手を上げて降参の意を示した。


「領内での布教活動を認める。それに関して便宜を図れというのなら、ある程度は認めよう。ただし、亜人たちの不利益となるような行為は厳禁だ」

「ありがとうございます。こちらの要件は以上です」

「俺もお前たちに頼みたいことはないよ。せいぜい布教に励んでくれ」

「はい。ギネヴィウス様、あなたにルアハの加護を」

「ああ、ルキ・ナート。お前にも聖なる風の祝福を」


 アウロの返答に、ルキ・ナートは幾度かその場で瞬きを繰り返した。

 が、すぐに「失礼します」と一礼して室内を辞す。


 残されたアウロは再び椅子の背もたれに体を預けた。

 妙に肩が凝っている。今のやり取りだけで、領内の役人たちを相手にした時より疲労が溜まった気がした。


「いや、天聖教の神官というのも中々に面白い」


 その後ろでロウエルはくつくつと笑みをこぼし、


「あの娘、十三、四ほどに見えましたが、なかなか強かな部分がありますな」

「まぁな。今の口上を全て自分で考えたとしたら大したものだ。しかし、他人の言葉をそっくりそのまま使っている可能性もある」

「どうでしょうか。私はあの娘の口調から熱意を感じましたが」

「熱意?」


 アウロは思わず首を傾げそうになった。


 そもそも、ルキはまともに体温すらあるかどうかも微妙だ。

 機械のごとく台詞を吐き出す姿は熱意という表現からほど遠い。こればかりはアウロも賛同できなかった。


「ロウエル、お前、今年で幾つだ?」

「六十三ですな」

「なるほど、そろそろ老眼鏡が必要な年齡か」

「なに、私はまだまだ現役ですよ。とはいえ、無駄に歳だけは食っていますからな。そこいらの若者よりも人を見る目はあるつもりです」

「む、使用人の分際で主の悪口を言うとはいい度胸だな」

「私は特定の誰かを貶めたつもりはありませんが」


 冗談めかしつつ、ロウエルは瓶詰めされた林檎酒を酒盃に注いだ。


「どうぞ、我が主。少しばかり喉が乾いておいででしょう」

「すまない」


 アウロは今日、三杯目の林檎酒で喉を潤した。


 同時に、あのルキ・ナートという少女のことを考える。

 アウロが彼女に関して把握している情報は、カムロート司教カシルドラの娘であり、モグホースの手先として自分の元に送り込まれたということだけだ。

 彼女自身の経歴はまるで知らない。特に調べる必要性を感じていなかった、ということもある。


(ただ、ルキと司祭プルーン。それにあの神官団については、少し情報収集をしておく必要があるか)


 明日になれば、別行動をしていた山猫部隊(リンクス)の面々もこの地へ到着するはずだ。

 ルキの素性については彼らに調査を命じるのが正解だろう。冷静に考えると、本当に彼女がカシルドラの娘であるかどうかも確証がないのだ。


「やれやれ……頭を悩ませられることばかりだ。全く、貴族というのは面倒だな」


 愚痴をこぼすアウロに老人はしたり顔で言った。


「アウロ様ならばこの程度の苦難などたやすく乗り越えられるでしょう。既に解決の糸口も見えてきているようですしな」

「ああ。それでも、今のギネヴィウス家が人手不足なのは変わらない。悪いがロウエル、お前にもまだまだ働いて貰うことになる」

「構いませんとも。私とて隠居するほど耄碌しておりませんので」


 ロウエルは皺だらけの顔に笑みを浮かべた。


「しかし、アウロ様も良い歳なのですからそろそろ妻の一人も見つけなくてはなりませんぞ。なんなら、私が適当な娘を見繕って――」

「勘弁してくれ」


 付け加えられた一言に、アウロは今日何度目かになるため息をこぼした。

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