3-6
ハンナたち山猫部隊を傘下に収めてから、一週間後。
アウロはカムロートを発つため、王都を取り囲む街壁の南門前に来ていた。
面子はアウロ、カムリを筆頭に、部隊の隊長であるハンナ。
その妹であるリコットと孤児院の子供たちが続き、更にはシドカムとその開発チームに所属するメンバー四人の姿もあった。
「いやぁ、それにしても驚いたな。まさか、リコとハンナさんたちもアウロのところで厄介になる予定だなんて」
と、嬉しそうな表情を浮かべているのは、いそいそと馬車に荷物を詰め込んでいるシドカムだ。
シドカムたち開発科の面々の同行が決まったのは、つい数日前のことだった。
アウロはハンナたちを味方に引き入れた後、養成所に赴いて彼らと交渉したのだ。
結果、とある条件付きでシドカムのグループもアウロの元に加わった。これでシドカムとゴゲリフ、二つの開発チームができたことになる。
おかげで同行者の人数も膨らみ、アウロは今回の旅に当たって大型の幌馬車を二台、シドレー商会から調達する羽目になった。
その内の一台には自身とカムリ、シドカムたちのグループが乗り込み、もう一方はハンナと孤児院の面々に割り当てられている。
シルヴィアやゴゲリフといった、山猫部隊のメンバーとは別ルートで目的地へ向かう予定だ。ぞろぞろ大勢で動いたところで目立つだけだし、ゴゲリフ率いるエンジニア集団はアーマー用の精密機器を運搬している。その分、アウロたちよりも一週間近く移動に時間がかかるはずだった。
「今は亜人街からもどんどん人がいなくなっちゃってるからね。私たちもどうしようか、って考えてた時にアウロさんが声をかけてくれたのよ」
「へぇ、そうなのか。確かに、街を出ようとしてる人は多いみたいだけど――」
「びっくりよね。まさか、こんな長蛇の列になってるなんて」
言いつつ、リコットは門の前に並ぶ人々を見渡した。
亜人街の解体に伴って、王都から地方へ脱出する人間はかなりの数に昇っている。
当然、その大半は亜人たちだ。昼下がりのこの時間、南門の前だけでも五十人近い人々が行列を作っていた。
「それにしても、列の進みが遅いなぁ」
馬車の御者席で足をぶらぶらさせていたカムリは、門の前に集まっている黒い人だかりを苛立たしそうに一瞥した。
「さっきから全然、人の数が減ってないよ。このままじゃ、わらわたちの番が回ってくる頃には夕方になっちゃう」
「どうやら、検問がかなり厳しいらしいな。街からキャスパリーグ隊の残党を逃さないためだろうが」
「『俺は伯爵様だぞ! さっさと通せ!』って言うことはできないのかな」
「そういう高圧的な言い方は趣味じゃない。……が、まぁ、交渉だけでもしてみるか」
アウロはカムリに「ついて来い」と言って、人垣のできた門前へと向かった。
門の前には十数名の衛士が、槍と鎧を身に付けた物々しい格好で番をしていた。
ここを通る人々は戸籍を確認され、荷物を全て事細かに取り調べられた後、ようやく検問を抜けることができるのだ。
しかも、ちょっとしたことであれこれ質問するものだから、時間がかかって当然である。アウロはひとまず手近なところにいた番兵に声をかけた。
「なかなか手こずっているらしいな」
「うん? ああ、ええと……」
門番はアウロの格好を見て、眉を寄せた。
今のアウロは動きやすいよう、仕立てのいい旅装束と外套を身に付けている。
ぱっと見て貴族であるとは判断しにくい。門番は居住まいを正して尋ねた。
「どなたかな? 名前をお伺いしても?」
「アウロ・ギネヴィウスだ」
「おお! ケルノウン伯でいらっしゃいましたか。これは失礼しました!」
門番はがらりと対応を変え、深々と頭を下げた。
次いで、検問の責任者らしき人物が小走りでこちらにやって来る。
「こ、これはギネヴィウス卿。領地にお帰りですかな?」
「ああ、この門を通るために先ほどから待っているのだがな。今の進み具合だと我々が通過する前に日が暮れそうだ」
「それは申し訳ありません。すぐに便宜を図らせていただきます」
と、男はあっさり特例を認めてしまった。
【うーん、こいつら門番でしょ? こんなに権威に弱くていいの?】
【こちらから要求しておいて身勝手な感想だな……】
カムリの念話に、アウロは心の中で小さくため息をこぼした。
ともあれ、これで無駄に待たされることなく門を通過できそうだ。
が、そう思った矢先、門番の一人が検問の責任者になにか耳打ちをする。
途端、男はさっと顔色を変えた。その顔に浮かんでいるのは明確な恐怖の感情だ。
アウロは男の額からどっと冷や汗が噴き出るのを見た。
「も、申し訳ありません、ギネヴィウス卿! 少しこの場でお待ちください!」
「え? あ、ちょっと!」
カムリが呼び止める間もなく、男は弾かれるようにしてその場を後にする。
残されたカムリはぷぅっと頬を膨らませた。
「なんなんだよ、もー!」
「分からん。なにかトラブルが起きたのかもしれないが」
「にしては他の番兵たちが静かだよ。むしろ、うっかり忘れてたことを思い出したって感じだったけど」
「……ふむ」
アウロはおとがいに手を当てた。
なにやら、妙な胸騒ぎがした。
最悪の可能性として考えられるのは、既にアウロとキャスパリーグ隊残党との繋がりがバレており、この場でハンナたち共々拘束されてしまうことだ。
ただ、それにしては他の番兵たちが落ち着き払っている。少なくとも、これから戦闘に突入するという雰囲気ではない。
――分からんな。
結局、アウロは思考を放棄した。
この場であれこれ考えるだけ時間の無駄だ。
どのみち、待っていれば答えは向こうからやって来てくれる。
やがて、門番が立ち去ってからかなりの時間が経った後、
その少女はアウロたちの前へと姿を現した。
「すみません。お待たせしました」
ぺこりと丁寧に頭を下げたのは、白い法衣を身に付けた十代前半ほどに見えるうら若い娘だ。
胸には黄金で作られた、太陽十字のペンダントをぶら下げている。
つまり彼女は天聖教の信徒だった。それも教団に属する神官である。
「お初お目にかかります、ギネヴィウス伯爵。私はルアハの下僕、ルキ・ナートと申します」
淡々と自己紹介をした後で、ルキはじっとアウロの顔を見た。
銀細工のようなプラチナブロンドの髪を持った、美しい顔立ちの少女だ。
が、その青い瞳には光がない。色褪せたガラス球である。
そもそも、少女自体もどこか人形じみた雰囲気を身に纏っていた。
細い手足は陶器のように生白く、見ていて不安感をかき立てられる。
アウロは妙な肌寒さを感じながらも口を開いた。
「はじめまして。ケルノウン伯爵アウロ・ギネヴィウスだ。天聖教の神官が俺になにか用か?」
「はい。その前に一つお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
「ギネヴィウス様は宰相殿からなにかご連絡を受けましたか?」
「宰相?」とアウロは少し眉を寄せ、
「いいや、なにも聞いていない」
「そうですか。ですが、ギネヴィウス様もあの方との約束は覚えておいでだと思います」
「約束、だと?」
一応、アウロにも心当たりがなくはない。
が、今までモグホースの側から何も連絡がなかったのだ。
てっきり、あの話はうやむやの内にたち消えになったのだと思っていた。
【主殿、どういうこと?】
怪訝そうに自身を見上げるカムリに、アウロは頭の中で答えた。
【王城で戴冠式が終わった後、モグホースが突っかかってきたんでな。こちらから無理難題をふっかけてやったんだよ】
【無理難題って?】
【人材派遣さ】
まさか嫁探しとは言えず、アウロは適当にごまかした。
とはいえ、アウロがモグホースに対してつけた条件は多い。
十代後半から二十代前半の女性。しかも領地経営に明るい、良家の子女であることが最低ラインだ。
が、その結果やって来たのは天聖教の神官である。流石のアウロもこれには困惑してしまった。
「ルキ殿、といったか。これは一体……」
「おやおや、ケルノウン伯。その商品は貴殿自らが注文したものですぞ」
と、ふいに背後から声がかけられる。
振り返った先にいたのは、目の前の少女と同じく神官用の衣を纏った中年の男だった。
が、こちらはひどくだらしない体格である。白いベストに覆われた腹はでっぷりとつき出ており、半ば禿げ上がった頭に、林檎の上半分を切り取ったような形状の帽子を被っている。
アウロの抱いた感想は『典型的な生臭坊主』だった。つまり、彼が嫌いなタイプの人間だ。
「どなたかな?」
アウロは警戒心を強めつつ尋ねた。
男の背後には、彼の部下らしき神官が左右にそれぞれ二人ずつ控えている。
格好から見てかなり立場の高い人間だ。恐らく階級は司祭以上。
その予想を裏付けるかのように、男は自らの立場を名乗った。
「失敬、挨拶が遅れましたな。小生はカムロート司教座の司祭プルーン。ルキ殿のサポート役として派遣された者です」
「サポート役?」
「その通り。幾らギネヴィウス殿でも、十六の小娘に領地経営を任せるのは不安でありましょう。それ故、宰相様は私をルキ殿の補佐として選抜したのです」
「なるほど」
アウロは頷いた。その隣でカムリは眉をひそめる。
【このホワイトぶーちゃん、妙に偉そうだね】
【偉そうじゃなくて本当に偉いんだ。天聖教の司祭といえば、王国の伯爵とほぼ同格だからな】
【えっ、そうなの? でも、司祭なんて一杯いるんじゃ?】
【ログレスの聖教団は、司教を筆頭に司祭が六人。その下に神官団がいる構成だ。このうさんくさい男も、カムロートの司教座では上位の権力者ということだろう】
アウロはちらりと少女に視線をやった。
ルキ・ナートと名乗った少女は、ぼうっと夢遊病者のように虚空を眺めている。
どうやら彼女は単なるお飾りらしい。口ではサポート役と言っているものの、立場的にはこのプルーンという男が神官たちのトップだろう。
「で、彼女はどこの家の出身なのだ? どこかの伯爵家の者か?」
「いいえ、違いますとも。そもそも、彼女は貴族の出身ではありませんぞ」
「……俺が宰相殿につけた注文とは違うようだが」
「まぁ、最後まで話を聞かれよ。もっとも、天聖教の信徒ではないアウロ殿がルキ殿のお父上をご存知ないのも当然だ。しかし、その名を聞かれればきっと納得して頂けるでしょう」
「ずいぶんと勿体ぶるな」
「これは度々失敬。ルキ殿のお父上はカムロート司教のカシルドラ様です」
アウロはその台詞にしばし言葉を失ってしまった。
まるで予想外の方向から、鋭い右ストレートを食らったような気分だ。
カムロート司教カシルドラは国内における聖教団のトップであり、モグホースの腹心中の腹心である。
その権力は四侯爵とほぼ同等。娘であるルキの政治的な価値は計り知れない。
――ただし。
(これは、毒の入った餌だ)
もし、アウロがルキと結婚すれば完全にモグホースの勢力に取り込まれてしまう。
かといってこの件を断ることも難しい。彼女の顔に泥を塗るような真似をすれば、宰相だけでなく天聖教まで敵に回してしまう。
それはいくらなんでも時期尚早だ。もはや、アウロはこの話を受けざるを得ない立場に追い込まれていた。
【えーと、主殿。なんか、逃げ道がないような気がするんだけど】
【……そうだな】
思わず天を仰いだアウロの前で、ルキ・ナートはもう一度丁寧に頭を下げた。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします」
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
結局、アウロの一行は神官団を加え、カムロートの南門を出た。
ただし、プルーンたちは自前の馬車を用意していたため、道中で彼らと一緒になることはほとんどなかった。
それでも、全く話をしないという訳にもいかない。朝晩のキャンプ時には顔をつき合わせるし、旅の行程について相談する必要もある。
加えて厄介だったのは、ハンナら亜人勢と天聖教の面々の対立だった。
元々、この両者は互いに互いを嫌っている。特に司祭プルーンは典型的な亜人排斥主義者であり、道中の一行にはピリピリしたムードが漂っていた。
「アウロ、アウロ、あれはちょっとまずいよ」
シドカムがそう声をかけてきたのは、王都が発ってから三日目のことだ。
中央と南部を繋ぐ宿場町の大通りを、アウロとシドカムは肩を並べて歩いていた。
とはいえ、二人とも買い出しに来ている訳ではない。アウロの側もシドカムに相談したいことがあったのだ。
「シドカム、ハンナたちの様子はどうだ?」
「ハンナさんは我慢してるみたいだけど、リコが危ない。あのプルーンとかいう司祭が変な目で子供たちを見てるんだ! って神経質になってる」
「そうか」とアウロは苦い気分で相槌を打った。
どうも、事態は彼が思っていたよりはるかに悪化しているらしい。
(できれば穏便な方法で解決したかったんだが……)
アウロは頭の中で対策を考えながら、ネコミミの友人に尋ねた。
「ところでシドカム、お前は平気なのか?」
「そんなの今更だよ。僕は元々、王都のど真ん中で生活してたんだぜ? 天聖教の連中と揉めるのには慣れっこさ」
と強がるシドカムだが、こちらも全く気にしていないという訳ではなさそうだ。
「でも、なんで突然あんな連中が押しかけてきたんだい? アウロ、君の方から要請した訳じゃないんだろ」
「その辺りの事情が面倒くさいんだ。あの神官団の裏にはモグホースがいる」
「モグホース……って、この国の宰相だよね? 亜人街の解体を主導したとかいう」
「天聖教とモグホースは裏で繋がっている。奴らがここに来たのも、俺を宰相の勢力に取り込むためだろう。もしくは監視の意味合いもあるのかもしれない」
アウロは声に苛立ちをにじませつつ、そう説明した。
実際、アウロはキャスパリーグ隊の残党を仲間に引き入れている。
モグホースの打った布石は現在の局面においてかなりの効果を発揮していた。
「うーん……とにかく、僕の方は心配しなくても平気だよ。ただ、ハンナさんたちとは一度話した方がいいと思うな」
「分かった。後でハンナのところに行ってみよう」
既にハンナには軽く事情を伝えたが、アウロも説明不足なのは感じていた。
ここは一度、腰を据えて話をする必要があるだろう。
(……よし)
アウロは宿屋に帰還すると、すぐにハンナの部屋へと向かった。
旅商人の少ない冬場ということもあって、現在この宿屋は一行の面々で貸し切り状態だ。一階ではカムリが暴飲暴食を続けており、隣の庭ではリコットと子供たちが思い思いに遊んでいる。
アウロは階段を登り、二階の廊下に出た。丁度そこで通路に面した扉が開き、中から法衣を纏った一団が姿を見せる。
「おや、ギネヴィウス殿。お戻りですかな? 我らもこれから街へ赴こうと思っていたところです」
ねっとりした声でそう述べたのは肥満体の司祭プルーンだ。
その背後には神官たちが控えていたが、肝心のルキ・ナートの姿は見えない。
どうやら部屋にいるか、一人で別行動をしているらしい。アウロに一応、話題を振ってみた。
「司祭プルーンか。ルキ殿はどうした?」
「先ほど、一足先に街へ向かいました。彼女はその、団体行動に慣れていないものですからな」
「あの娘は大丈夫なのか? 独断で勝手に動くような人間に領地を任せる気はないぞ」
「は、は、は。ルキ殿が少々扱いにくい人材であることは確かです。ただ、彼女の能力は保証しますし、もし問題が起きたとしても傷口を広げないために我々がいる。そう心配なされるな」
と、気休めにもならない台詞をほざくプルーン。
「ああ……それから、ギネヴィウス殿。小生どもからも、早めに申し上げておくべきことがあるのです」
「なんだ?」
「貴殿とてお気付きでしょう。あの亜人どものことですよ」
その言葉に、アウロは内心で来たかと呟いた。
先にハンナと話しておく予定だったが、どうせこちらも片付ける必要がある。
アウロは息一つつくと、作り笑いを浮かべている中年司祭に向き直った。
「司祭プルーン、先に言っておくが俺は天聖教の信徒ではない。亜人差別なんてものに興味はないし、シドカムやハンナたちを旅の途中で下ろすつもりもない」
「は、は、は。ずいぶんと警戒されたものですな。なに、小生とていきなりギネヴィウス殿の考えを改めさせようとは思っていません。ただ、我らにとって亜人どもは邪神を崇める異教徒です。不倶戴天の敵と言ってもよろしい」
「邪神だと? それはケットシー族が崇めている、ケルヌンノスのような?」
アウロの脳裏に蘇ったのは、ハンナの孤児院で見た礼拝だ。
ケットシー族は種族固有の神として、有角の主ケルヌンノスを信仰の対象としている。
エルフ族の場合はスケルス。ドワーフ族の場合はゴヴァノンだ。天聖教の神、ルアハとは別種の古き神々である。
「その通り。ケルヌンノスなどというのは、名前を口にするのもおぞましい魔神です」
プルーンは一転して真面目な表情を浮かべ、
「良いですか、ギネヴィウス殿。今すぐあの畜生どもを排除しろとは、流石に小生も申し上げません。ただし、もし貴殿があの者どもを放置し続ければ、いずれ愉快でないことが起こりうるでしょう」
「それは脅しのつもりか?」
「いいえ、事実を述べたまでです。貴殿もこの国における我らの影響力をご存知のはずだ。賢者はこういう時、大人しく頷いておくものですぞ」
「なるほど。よく分かった」
アウロは大人しく頷いた。
途端、プルーンはにたりと破顔する。
アウロはそこに、淡々と言葉を続けた。
「だがな、司祭プルーン。その上で言わせて貰おう。――あまり図に乗るな」
「はっ?」
「俺は天聖教の教義など知ったことではない。貴様らのわがままに答えて、友を切り捨てろとでも? ……笑わせてくれる。お前たちは所詮、宰相の使いっ走りだろう。ならば、黙って命令されたことだけこなせばいい」
「な、なにを――」
「俺が宰相に注文したのは、あのルキ・ナートとかいう小娘だけだ。貴様ら『おまけ』はいつ返品してもいいんだぞ」
アウロの台詞に、プルーンはカエルのような顔を青黒く染めた。
司祭という立場にある人間が、こうして正面から罵倒されることはほとんどない。
プルーンにとってはひどく耐え難い屈辱だったはずだ。それでも、彼はどうにか怒りの爆発を堪えた。
「……後悔しますぞ、ギネヴィウス殿」
震える唇からは漏れたのは呪詛に似た言葉だ。
アウロはため息混じりに言った。
「もうしているよ。貴様らがここに来た時点でな」
そうして相手の反応を見ず神官団の脇を通り、ハンナの部屋の扉をノックする。
「ハンナ、いるか?」
「は、はひっ!」
アウロは返事が来たのを確認すると、逃げるようにハンナの部屋へと転がり込んだ。
遅れて、「あ、ちょっと待って下さい!」と悲鳴にも似た声が響いたが、時既に遅しだ。
二人用の小じんまりした室内で、ハンナは木組みのベッドの上に腰掛けていた。
問題はその格好だ。彼女はいつものエプロンを脱いだ白い下着姿だった。
見た目はスレンダーな彼女だが、形のいい胸はそれなりの質量があるように見えた。ほっそりした両手両足には黒革のベルトが巻かれ、尾てい骨の辺りから伸びた黒い尾はぴんと真上に伸ばされている。
アウロは手で額を押さえたまま、天井を仰いだ。
「……何故、その格好で返事をした」
「す、すみません、つい勢いで――」
「とりあえず、服を着てくれ」
言って、アウロは涙目のハンナから背を向けた。
それからしばらくの間、室内にごそごそと服を身につける音が響く。
アウロは一旦、部屋の外に出ようかと思った。ただ、そうするとまたプルーンと鉢合わせてしまうのが厄介だ。
そうこう考えている内に、背後から「も、もう大丈夫です」と声がかけられる。
振り返ると、ハンナの格好はいつものエプロンドレスに変わっていた。
が、その脇には大小様々な黒塗りのダガーナイフが放置されている。
どうやら、彼女は服の中に大量の凶器を仕込んでいたらしい。アウロは以前、王城内でハンナに叩きのめされたことを思い出した。
「武器のメンテナンスでもしていたのか?」
「え、ええ。なんというか、この服だとベルトに仕込んだナイフが取りにくいので。一度服を脱いでですね、こう」
「お前が露出狂でないことは分かった。だが、まだカムロートを発って三日だろう」
「はい。でも、急に必要になる可能性もありましたし」
ハンナはベッドの上に置かれていたナイフを手に取ると、それを袖口の中へと滑り込ませた。
「ハンナ、外の話は聞こえていたか?」
「……ええ。私たちは耳のいい種族ですから」
「あれはあえて聞こえるように言ったんだ。お前に対する宣言としてな」
「宣言、ですか?」
首を傾げるハンナの前で、アウロは言葉を続けた。
「俺は他の連中にあれこれ言われようが、お前たちを切り捨てるつもりはない。俺と山猫部隊はもはや一心同体のようなものだ」
「ありがとうございます。ただ、私も主様のお心は分かっているつもりです。天聖教の方々がここに来たのは、宰相モグホースの差し金なんですよね」
「そうだ。奴らの目的は俺の監視と調略だろう」
「調略に関しては既に失敗したようですが」
ハンナはちらりとアウロの肩越しに扉を見る。
つい先ほど、アウロの耳にも階段を降りるドスドスという足音が届いていた。
間違いなくプルーンのものだろう。やや遅れて、脳内にカムリの声が響く。
【主殿、どうかしたの? なんか上の階から、ぶーちゃんがブチ切れながら降りてきたけど】
【少し煽ってやっただけだよ。それより、カムリ。今は暇か?】
【丁度、ご飯を食べ終わったところだよ】
【なら神官団の連中を見張っておいてくれ。奴らがシドカムやリコットたちに喧嘩を吹っかける可能性もあるんでな】
【らじゃ!】
と短い返事を最後に、念話が途切れる。
「……天聖教の連中もできれば排除したいところだが」
「ご命令とあれば、いつでも私たちは動けます」
ハンナはナイフを弄びながら答えた。
が、アウロは小さく首を横に振り、
「まだ早い。それにあのプルーンという男、あまり我慢強い性格ではないようだ。このまま放っておいても勝手にボロを出して自滅するかもしれん」
「ひとまず様子見、ということですね」
「そうだ。お前たちには面倒をかけるかもしれないが、今は耐えてくれ」
「分かりました」
ハンナは首肯して、二振りのダガーナイフを太もものベルトへと収めた。
「リコットには私から言っておきます。軽率な行動はするなと」
「頼む。それと領地に着いたら連中の見張りも任せたい。奴らが馬脚を現したら、すぐに俺に連絡してくれ」
「了解です。隊の部下たちにもそう伝えます」
「……そういえば、山猫部隊の面々はどうだ? 俺に対して不満を抱いてる者もいるんじゃないか?」
アウロはついでとばかりに、前々からの懸念事項を尋ねた。
元々、アウロはキャスパリーグ隊の隊長であるダグラスを討ち果たしている。
ハンナやリコットは勿論、他の隊員から見ても仇のような存在だ。簡単に恨みを忘れることは出来ないだろう。
が、ハンナはそんなアウロの危惧を「いえ」と否定した。
「私たちは自分たちの首長が倒されたとしても、それが正々堂々とした決闘であれば相手を憎むことはありません。多くの場合、負けたグループが勝ったグループのリーダーに忠誠を誓うのが普通です」
「動物の群れのようなものか」
「……まぁ、そうですね。私の故郷であるモーン島では、部族同士の対立など日常茶飯事でしたので」
「なるほど。そういえば、ダグラスも己自身の力で島の部族を纏め上げたのだったな」
「はい。ただ、それもブレア卿や【氷竜伯】の助力なしでは難しかったはずです。モーンには父と同等の力を持った強敵もいたそうですから」
「ほう? 生きていれば部下に欲しいものだ」
「それは難しいでしょう」とハンナは眉を寄せて言った。
「私が知る中で、父と戦って生き延びているのはクーシー族のガルムリオと狼人族のボーチェスだけです。ただし現在、前者は行方が知れず、後者は王国の貴族になっています」
「ボーチェス? フリントの【猟犬伯】ボーチェスか?」
「そうです。彼は父に敗れてモーン島を脱出した後、東方軍に加わって戦功を上げ、辺境伯の座に収まったと聞いています」
「収まった、というよりは恐らく押し付けられたのだろうな……」
フリントは王国の東北部に当たる土地で、七王国との国境地帯にある。
それだけでも厳しい立地だというのに、ログレスの北部はほとんど山ばかりでろくな特産物もない土地柄なのだ。
当然、住民も少なく税収も低い。おかげで、あの辺りの領主は中央の諸侯から名ばかり貴族と馬鹿にされていた。
「主様がお味方を増やしたいのであれば、まずは市井を流浪している方々に目を向けるのがいいかと思います。父やベディクさんほどの力を持った戦士を雇うのは難しいかもしれませんが」
「あんな連中がごろごろいたら困る。とにかく、味方は可能な限り増やす方針で行こう。近々、また戦争が起きるという噂もあるしな」
「噂、ですか?」
「いや、少し違うな。――ハンナ、この宿屋の二階に人がいるかどうか分かるか?」
「今は主様と私だけです」
「なら、早めに伝えておこう。来年中にモンマス公ガルバリオンが蜂起する予定らしい」
「が、ガルバリオン? 新王の叔父御がですか?」
驚愕するハンナだが、それも無理はなかった。
なにしろ、ガルバリオンは幾度も王国軍の総大将を務めている国の柱だ。その勢力はブレア・アクスフォードと比べ物にならない。
もしあの男が動けば、斧の反乱とはまるで規模の違う戦争が勃発するだろう。
「つい先日、本人の口から聞いたんだ。ハンナ、この事を他の誰かに言うなよ。リコットやシルヴィア嬢にもだ」
「わ、分かりました。けれど、にわかには信じがたい話ですね」
「まぁな。だが、あの男の人柄をよく知る人間なら、むしろウォルテリスが死んで動かない方がおかしいと思うだろう」
「主様はモンマス公に与するつもりなのですか?」
「マルゴンやモグホースと仲良くする理由はない。ルシウスやナーシア、それに他の大貴族の動向も気になるところだが……」
ガルバリオンはあれでかなりしたたかな性格の男だ。
少なくとも、勝ち目のない戦いを挑むようなタイプではないはず。
「ともかく、一年後に戦争が起きる可能性はかなり高い。ハンナもそのことだけは心に留めておいてくれ」
「了解です」
ハンナは顔色を青ざめさせつつも、神妙な表情で頷いた。




