3-4
新王の戴冠にまつわる儀式と祝宴は、それから一週間に渡って行われた。
アウロはその間、執拗な結婚勧誘をかわし、大貴族たちの調略を回避し、嫉妬とやっかみの視線を受けながらも、どうにか予定された日程をクリアし終えた。
既に戦争の終了と共に、機甲竜騎士団からは除籍されている。これで晴れて自由の身ということだ。
訓練生時代に着ていた赤い制服の上から、薄汚い革のマントを羽織ったアウロは、王城を出たところで念話を試みた。
【カムリ、そっちはどうだ?】
【ん、主殿?】
返事はすぐに来た。どこか寝ぼけたような声が脳内に響く。
【こっちはほとんど動きなしだよ。何度か連絡員みたいなのが出入りしてたけど、それもせいぜい二、三人だし……あんまりにも暇で眠っちゃいそうだったよ】
【そうか。こちらの用事は終わった。今から中央広場で合流するぞ】
【らじゃー】
ぷつり、と音をたてて念話が切れる。
アウロは口元から白い息を吐きながら、青い空に浮かぶ太陽を見上げた。
(あれからもう一ヶ月が経ったのか……)
アウロがカムリに命じていたのは、とある場所の見張りだ。
二人がそこを尋ねたのは、今から丁度一ヶ月前のことだった。
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アウロが再びカムロート郊外の亜人街に赴いたのは、ダグラスとの決戦から一週間後のことである。
未だに王都での厳戒態勢は続いていたものの、どうにか一人で外を出歩ける時間が取れたのだ。
アウロはあえて日の高い昼ごろに目的地へと向かった。
亜人街では警備隊の衛兵たちがキャスパリーグ隊の残党刈りをしており、早朝や深夜に彼らと遭遇すると面倒な事態になりかねないためだ。
日中ならば知り合いの家を尋ねるのだと言い訳が立つ。更にアウロはカモフラージュのため、同行者としてシドカムも誘っていた。
「うーん、そういえばアウロと会うのもずいぶん久しぶりだなぁ」
片手に林檎とパンの入ったバスケットを携えたケットシー族の少年は、覗き込むようにアウロの顔を仰いだ。
「なんかちょっと雰囲気が変わったね。去年より大人っぽくなったというか」
「ま……この二ヶ月間で色々とあったからな」
アウロはあいまいに答えた。
その隣では黒いローブを羽織ったカムリが、屋台で買った串焼き肉をかじりながら「ほんとにね」と頷いている。
養成所に籠もっていたシドカムは、今回の『斧の反乱』について詳しいことを知らないらしい。
アウロは亜人街の狭い通りを歩きながら、戦争にまつわる一連の出来事を順々に説明してやった。
ただし、ハンナとリコットがキャスパリーグ隊の一員だったことは秘密だ。もちろん、彼女たちがダグラスの娘であることも明かしていない。
「噂には聞いてたけど……すごいな、アウロ。まさか、あのダグラス・キャスパリーグを倒しちゃうなんて」
ダグラスとの空戦の顛末を聞いたシドカムは、まんまるの目を大きく見開いた。
「【モーンの怪猫】はケットシー族の中じゃ、化物みたいな扱いをされてる奴だよ? 実際、生身でアーマーをぶっ壊すような男なのに」
「ああ、俺も幾度となく殺されかけた。ああいう手合とは二度と戦いたくないな」
しみじみと呟くアウロの隣から、カムリはひょいと顔をのぞかせた。
「そういえば、シドっち。同じケットシー族としては、あのネコミミ男をどう思ってるの?」
「んー……正直に言って特になんとも思ってないよ。確かに同じケットシー族ではあるけど、ダグラスはモーン島の出身だし、僕は南部の出身だからね。人間で例えるなら人種が違うんだ」
シドカムは難しい表情のまま答えた。
丁度そこで、アウロたちの横を警邏中と思しき衛兵たちが通り過ぎて行く。
彼らは養成所の制服を身につけたアウロと、同じく制服姿のシドカム。
それに黒いローブを着た少女という組み合わせを見て、怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだ、あの三人組。怪しいな」
「やっ、待て。あの赤服。あれはアウロ・ギネヴィウスだぞ」
「んん? だが、怪猫殺しの英雄がなんでこんなところに」
「隣を見ろ。どうせ同僚の付き添いだろう。いいからさっさと行くぞ!」
小声を交わした衛兵たちは、アウロと目が合うなり緊張の表情を浮かべ、そそくさとその場を後にしてしまう。
カムリはその背中を見送った後で楽しそうに呟いた。
「なんだか主殿も有名になったね。妙に怯えられてるのが気になるけど」
「アウロは人相が悪いからなぁ。黙ってても人を睨んでるように見えるし」
「ほっとけ」
斧の反乱でかなりの戦功を上げたためか、アウロ・ギネヴィウスの名は方々で有名になりつつあるらしい。
アウロ自身、ここ数日で見知らぬ他人にこういった反応をされるのには慣れてしまった。
「ところで、シドカム。俺たちのいない間、養成所はどうだったんだ?」
「残った連中も戦争の手伝いだよ。なんだかんだで、僕のチームも部品を作って王立航空兵器工廠に送ってたし、通信科や魔導研究科の人たちも機甲竜騎士団に協力してたみたいだし」
「シドっちも災難だよね。ナッシーのせいで王城に来れないなんて」
「なっしー?」
「竜騎士団の団長、ドラク・ナーシアだ。あの男はお前が王城内に入って来られないよう、アーセナルに手を回していたらしい」
「えっと、それは僕が亜人だからってことだよね」
「んー、少なくともソフィ……アーセナルの技師長、ソフィアはそう言ってたね」
カムリの言葉に、シドカムは「そうか」と肩を落とした。
「まぁ、仕方ないさ。キャスパリーグ隊の構成員はほとんど亜人だ。用心深い人なら当然の判断だよ」
「だが、シドカム。お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「っていうと?」
「斧の反乱が収まったとはいえ、キャスパリーグ隊による王城襲撃の事実は取り消せない。恐らく、この国の中枢から亜人たちは排除されるだろう。お前がアーセナルに入るのも困難だ」
アウロは淡々と事実だけを述べた。
シドカムの夢は王立航空兵器工廠の技師になることだったはずだ。
本来、シドカムの実力は養成所で一番。工廠で働いている技師たちと比べても全く遜色ない。
それでも、シドカムがアーセナルに加わることはできないだろう。ナーシアを筆頭とした亜人排斥派がそれを阻むはずだ。
「うーん、そうだなぁ。今更、実家に戻って商人になるってのも嫌だし……後はどこかの貴族の下で働くって手もあるけど」
「なんだ。それなら主殿に雇って貰えばいいじゃない」
何気ないカムリの台詞に、シドカムはぴくりとネコミミを揺らした。
「そりゃ、そういう可能性も考えなかった訳じゃないけどさ。アウロは機甲竜騎士団に入るつもりなんだろ?」
「いや、俺は新王の戴冠式が終わり次第、領地に戻る。王都でマルゴンの走狗になる気はない」
「えっ、そうなの? じゃあ、新しい技師を雇う予定は?」
「ある。――が、欲しいのは機竜ではなく武器なんだ」
言いながら、アウロは隣を歩く少女に視線をやった。
カムリがいる以上、わざわざ新しい機甲竜を調達する必要性は薄い。
ただし武装は別だ。現在、アウロはごく一般的なガンランスとシールドを使っている。
が、今回の戦乱を通じて、量産された兵器は《ラムレイ》や《エクリプス》の持つ、凶悪な魔導兵装に太刀打ちできないことがよく分かった。
「そっか。アウロはもう骸装機を持ってるもんな。ただ、あの機体にもかなり無駄があるんだよね。装甲が分厚すぎるし、ウィングの形状も風通しが良くない。なにより全体のフォルムが太すぎる」
「……わらわ、別に太ってなんかないもん」
ぼそりと呟くカムリを、シドカムは「ん?」と怪訝そうに見た。
「いや、カムリさんには関係ないんじゃ――」
「シドカム、着いたぞ。この話はまた今度にしよう」
アウロは半ば強引に話題を打ち切った。
路地の先には丁度、ハンナたちの住む孤児院が見えつつある。
今年に入ってから亜人街の解体が徐々に行われているものの、大部分の区画は未だに放置されたままだ。
元々、亜人街自体が広大である。その解体と新たな街並みの再建には、年単位の時間がかかる予定だった。
「そういえば、ちょっと意外だったな。アウロがまたここに来たがるなんて」
「機会があれば訪ねると約束をしていたしな。それに済ませたい用事もある」
「用事?」
「今は言えん。個人的なことなんだ」
アウロは適当に誤魔化し、閉じられた扉をノックした。
すぐに屋内からぱたぱたと足音がして、扉が内側から開かれる。
中から顔を出したのは、生地のすり切れたエプロンドレスを着たケットシー族の少女、ハンナだ。
「すみません、お待たせし――」
ハンナはそこでびくりと身を硬直させた。
見開かれた黒い瞳には、アウロの不景気そうな顔が映っている。
一人、事情を知らないシドカムは「あれ」と声を漏らした。
「ハンナさん? 珍しいね、この時間にいるなんて」
「え、あっ、えっと……は、はい」
頭部のネコミミを伏せたまま、ぼそぼそと答えるハンナ。
かつて顔を合わせた時に比べると、今の彼女はひどく憔悴していた。
髪はボサボサ。肌は青白く生気を失い、頬もわずかにこけている。赤みがかった目の下には黒いくままでできていた。
「あまり眠れていないらしいな」
「………………」
アウロの台詞にハンナはしばし沈黙し、
やがて、覚悟を決めたようにもう一度口を開いた。
「あの、アウロさん」
「なんだ?」
「ご用件は分かっているつもりです。ただ、どうか場所を変えさせて下さい。リコはともかく、子供たちはなにも知らないんです」
「構わない。元よりこちらもそのつもりだ」
「ありがとうございます」と礼を述べるハンナを、シドカムはますます不思議そうに見た。
「アウロ、どういうこと? 君とハンナさんの間でなにかあったのかい?」
「そういうことだ。悪いが俺たちは少し外で話してくる」
「外で……? 僕に聞かれちゃまずいことなのか?」
「少なくとも現段階では、な」
アウロはシドカムの肩にぽんと手をやり、その場から身を翻す。
ハンナは顔を俯けたまま、その背を小走りで追いかけた。
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日の沈みかけた時間。街は夕焼け色に染まっている。
アウロ、カムリ、ハンナの三人は街の大通りを抜け、中央市街までやって来た。
現在、王都カムロートは公王の訃報が伝えられたことによって暗く沈んでいる。人通りは少なく、活気もない。
もっとも、ハンナにそんな周囲の様子を見ている余裕はないらしかった。
「……あの」
ハンナは顔を強張らせたまま、おもむろに口を開いた。
「アウロさん、私を憲兵の元に連れて行くというのなら、それはそれで構いません。私もリコットも覚悟はできています。けれど、子供たちのことだけは見逃して欲しいんです」
「別に構わないが、お前たちがいなくなった後、あの子供たちはどうなる? 当てはあるのか?」
「今はありません。でもきっと、どなたか親切な方がいるはずです」
「解体中の亜人街に?」
その言葉にハンナは黙り込んだ。
冷静に考えればハンナとて分かるはずだ。あそこは亜人街で唯一の孤児院。
他に、総勢十一人にも及ぶ子供たちを養える場所は存在しない。
アウロは小さく息をつき、言った。
「安心しろ。今のところ、お前を憲兵に突き出すつもりはない」
「なら、私たちは一体どこに向かっているんですか?」
「この先にある図書館だ」
「図書館?」ときょとんとした顔で返すハンナ。
そこで三人は街の中央広場へと差し掛かった。
途端、強烈な腐臭が鼻をつく。ガアガアと大ガラスの鳴く声が聞こえる。
ハンナはびくりと身を震わせると、堪え切れない様子で『それ』から目を逸らした。
現在、街の中央広場にはある展示物が設置されていた。
展示物とはすなわち、高さ20フィート近い鉄棒に串刺しとなった人間の頭部である。
これらの首の持ち主は、王都に侵入したキャスパリーグ隊の構成員たちだった。
また、街中に潜伏していた残党も見つかり次第、その大部分が処刑されて晒し首となっている。
「うーん、ひどいオブジェだね」
カムリは立ち並ぶ鉄棒を見上げて眉をひそめた。
「こういう見せしめの仕方は初めて見たよ。王家に歯向かった人間の末路ってやつかな」
「ただの八つ当たりだよ。キャスパリーグ隊には王家もこの街の警備隊も、幾度となく辛酸を嘗めさせられているからな」
アウロは淡々と告げた。
カラスにたかられた頭部は肉をついばまれ、ほとんど原型を留めていない。
幾つかの『新品』はまだ人間らしい形状を保っていたものの、血が抜けて青ざめた肌に残っているのは凄惨な拷問の跡だった。
「そういえば、ハンナ。お前たちはあの後、玉座の間に行ったのか?」
アウロの質問に、ハンナは「いえ」と首を横に振った。
「私とベディクさんは機竜が落ちてきた後、城内から離脱しました。玉座の間に向かったのはサンバイルさんたちのグループです」
「あの眼帯を付けたエルフ族の男か。今、連中は?」
「戻ってきていません。ただ、この広場に晒されている様子もありませんし……」
「え、ハンナ。もしかして毎日確認してるの?」
「……はい」
ハンナはしばしためらうような気配を見せた後で、言葉を続けた。
「私にはどうしても、隊長が死んだとは思えないんです。サンバイルさんも、ランティさんも、ひょっこり戻ってきてくれるんじゃないかって」
「ハンナ、ダグラス・キャスパリーグを殺した人間が誰かは知っているのか?」
「風の噂で、ですが」
「そうか。ならばいい」
アウロは素っ気なく言って、中央広場を後にした。
「それと念の為に聞いておくが、公王殺しの犯人はお前たちキャスパリーグ隊では――」
「ありません。少なくとも、私たちの計画では公王の身柄を拉致するだけでした」
「だが、不慮の事故が起きたという可能性もあるだろう」
「それなら他のメンバーになんらかの連絡が入るはずです」
「が、実際は全員が行方不明となった」
「そうです」
ハンナは下唇を噛み締めたまま俯いてしまった。
(……情報不足だな)
どうやらハンナ自身もほとんど事態を把握できていないらしい。
ひとまず、この問題に対する結論は先延ばしにすべきだろう。
一ヶ月後には王城で戴冠式が行われる。その式典の最中、事件に詳しい人間から話を聞けばいいことだ。
その後、気まずい沈黙がしばらく続いた後で、アウロたちは王立図書館の敷地内に辿り着いた。
ここの裏庭は王都でも一際静かで、人が来ることもほとんどない。
つまり、密談をするにはうってつけの場所である。
「あの、アウロさん。図書館の敷地内に入って大丈夫なんですか? 確か、ここの図書館に私のような人間は入館できなかったはずですが……」
「館内にはな。回りの敷地は別段、立ち入りが制限されているわけではない」
「まぁ、仮に見つかっても主殿は貴族なんだし、どうとでも誤魔化せるよ」
以前、アウロと共にここへ来たことのあるカムリはもはや慣れた様子である。
「でも、ちょっと意外だったね。ハンナがまだあの孤児院にいたなんて」
「……他に行ける場所なんてありませんよ。あそこには子供たちもいますから、逃げることもできませんし」
「そうなのか。ラグネルの森にはお前たちのアジトがあるという話だったが」
アウロの台詞にハンナは驚きの表情を浮かべた。
が、すぐにはっと気付いて顔色を青ざめさせる。ハンナは震える声で尋ねた。
「か、カマをかけたんですか?」
「違う。とある人間から話を聞いたんだ。キャスパリーグ隊のアジトはラグネルの森に三つ、中央市街に一つ、亜人街に一つ。――ああ、そういえばあの孤児院には地下室があるらしいな」
「そこまでご存知なんですか」
ハンナは決定的な証拠を突きつけられた犯人のようにうなだれた。
「でも、どうしてあの地下室のことまで……。私たち姉妹を除けば、あの場所のことはキャスパリーグ隊の幹部しか知らないはずなのに」
「いや、もう一人だけ知っている人間がいただろう」
「もう一人? そんな、一体――」
「分からないか? お前の父親、ダグラス・キャスパリーグだよ」
言って、アウロは腰に提げていた剣帯から剣を引き抜いた。
それは普段、養成所の訓練生が携帯しているブロードソードではなく、刀身まで真っ黒に染まった暗殺者用の剣だった。
暗殺者用――といっても、元の持ち主に合わせて作られているため、普通の人間にとっては巨大な両手剣だ。
アウロはその長剣を地面に突き立てた。黒塗りの刀身には、目を見開いたハンナの顔が映っていた。
「その……剣は……」
「見覚えがあるらしいな」
「はい。私の父が使っていた剣です。銘は知りませんが」
「ダグラスはこの剣をエスメラルダと呼んでいた。なにか心当たりは?」
「母の名前です」
ハンナは答えた後、めまいを堪えるように額を押さえた。
どうやら、ひどく混乱しているらしい。細い体は小刻みに震え、目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「あ、アウロさん。あなたがダグラスを……父を殺したと噂されていることは知っています。で、でも、どうして私と父の関係や、その剣の名を知っているんですか?」
「本人から聞いたんだ」
「本人というと――」
「ダグラス自身から、だ」
アウロはそこで小さく息をついた。
「少し長い話になる。構わないか?」
「え、ええ、それは勿論……」
ハンナはこくりと頷いた。
その間にも、つぶらな黒い瞳が挙動不審にアウロの様子を伺っている。
アウロの隣に控えたカムリは、「そんなに怯えなくても大丈夫だよ」と笑いかけた。
「別にとって食べようって訳じゃないんだ。ただ、主殿とあのネコミミ男の間には色々やり取りがあったからね」
「やり取り? 命の、ですか?」
「そうだ。先に言っておくが、ダグラスは既に死んでいる」
「それは間違いない情報なんでしょうか」
「ああ、俺が殺したからな」
その言葉にハンナは絶句した。
「正確には《ブラックアニス》による夜間爆撃をしかけたダグラスを追撃し、これを撃墜した。この時の衝撃が奴の致命傷となった。その後、俺とカムリは機竜の落ちた現場に行って、ダグラスと幾つか言葉を交わした」
「………………」
「キャスパリーグ隊のアジトの場所も、孤児院の地下室の件も、お前たちがダグラスの娘であることも、全てあの男が自らの意志で語ったことだ。そして、ダグラスはこの剣を俺に託した」
アウロは夕陽を浴びて屹立する魔剣エスメラルダを一瞥し、
「ハンナ、俺はな。とある目的を達するための味方が欲しかったんだ。最初、俺はそれをダグラスと奴の率いる部隊に求めるつもりだった。だが、ダグラスは死んだ。だから、こうしてお前の元を訪ねた」
「……ど、どういう意味です?」
「あの男は死に際にこう言ったんだよ。俺の部隊が欲しいのなら、ハンナたちと交渉するがいいと」
「それはつまり――」
「俺はキャスパリーグ隊を自分の手駒にするため、お前に会いにきた」
さらりと放たれた台詞を、ハンナはすぐに噛み砕けないようだった。
じっと地面を見つめたまま、ぴくぴくネコミミを震わせ、たっぷり時間をかけて考え込んだ後、口を開く。
「一つ、聞かせて下さい。アウロさんの目的というのはなんです?」
「アルビオンの統一」
アウロは簡潔に答えた。
「俺の目的はこの国に再び栄光を取り戻すことだ。お前たち亜人を含めた、全てのブルト人が幸せに暮らせる世界を築くことだ」
「そんな、でも、そんなこと……」
「ハンナ、お前の父親も一度は俺の目的を否定したよ。だが、最後にはその遺志を託してくれた」
「嘘です。父はそんな甘い人じゃありません」
「そうだな。少し説明不足だった。俺はダグラスにあるものを見せたんだ。しかし、今ここでそれを明らかにすることはできない」
アウロはちらりとカムリを一瞥した後で、「だから」と言葉を続けた。
「お前には代わりにこいつを見せておこう」
言って、アウロは制服の右袖を肘までめくり上げた。
その下から現れたのは腕全体を覆う白い包帯だ。
アウロは包帯の留め具を外し、その結び目を解いた。
「……それは」
ハンナは息を呑んだ。
アウロの右腕に刻まれているのは赤い竜の形をした痣だ。
この王国に住む者ならば誰しも知っている、ログレス公王家の証。
赤き竜の血を引くことを示す『王紋』である。
「お、王紋? じゃあ、アウロさんは王子様だったんですか?」
「ええっ? 主殿、どう見ても王子様ってガラじゃないよね」
「うるさい」
アウロはため息混じりに言うと、すぐに包帯を巻き直した。
「俺の扱いはあくまで私生児だ。現段階では王位継承権は持っていない」
「でも、王紋があるなら――」
「俺の体に王紋があることは秘密にしてある。事情を知っているのは俺とカムリ以外にはお前だけだ」
「……どうして、そんな重要なことを私に?」
「人から信用を勝ち得るためには、まず自分から動かなくてはならない。ハンナ、俺にお前たちキャスパリーグ隊の力を貸して欲しいんだ」
アウロはじっと少女の目を見つめたまま告げた。
ハンナはすぐには答えを返さなかった。
再びたっぷりと長考し、幾つか言葉を選んだ上で尋ねる。
「あの、三つほど質問をしても?」
「構わない」
「では」とハンナは居住まいを正した。
「アウロさんは私たちにどのような役割を求めているんですか?」
「主にやって欲しい事は戦闘と諜報だ。ああ、それと……お前たちはアーマーと機竜を運用していたな」
「はい。《グレムリン》と《ブラックアニス》のことですね」
「ならば、技師がいるはずだ。今のギネヴィウス家にはエンジニアが不在なんでね。そちらの面でも力を借りたい」
「……なるほど」
ハンナは一度相槌を打ち、
「では、二つ目の質問です。もしアウロさんの提案を拒否した場合はどうなりますか?」
「そうだな」
アウロはしばし考えこみ、
「まず、お前たち姉妹を警備隊につき出すこととなるだろう。ああ、それと孤児院の地下室についても報告しなくてはなるまい」
「そ、それは――」
「なにしろ、キャスパリーグ隊のアジトで養われていた子供たちだ。連座で処刑されるかもしれないな。不憫と言えば不憫だが、俺は自分の味方にならない人間を見逃すほど甘い性格ではない」
「………………」
ハンナは泣きそうな顔のまま黙りこんでしまった。
(しまったな。言い過ぎたか)
アウロとしては脅しをかけただけのつもりだったが、効果が強すぎたらしい。
元々、アウロも父親のいない幼少期を送ってきた人間だ。罪のない子供たちを死に追いやるほど、畜生にはなりきれない。
「まぁ、逆にこちらの味方に付けばあの子供たちにも新しい居場所を用意できるだろう。俺の領地であるイクティスは田舎町だが、温かくて住みやすい場所だ。カムロートから離れているから天聖教の影響も少ない」
「ふ、ふぅん。そうなんですか」
平静を装うハンナだが、今の提案に魅力を感じていることは、ぴくぴくと動く耳を見ても明らかだ。
【うーん、突き落としてから救いの手を差し伸べる。主殿、なかなか上手いやり方だね!】
【別に意図してやった訳じゃないんだがな】
アウロは内心でため息をこぼしつつ言った。
「で、ハンナ。三つ目の質問は?」
「……父の死についてです」
「というと?」
「森に潜んでいたメンバーが《ブラックアニス》の墜落現場に赴いた時、そこには空のアーマーと大量の血痕。それに木の根元に積もった灰だけが残されていました。――アウロさん、父の遺体を焼いたのはあなたですか?」
「そうだ。正確にはカムリに命じて焼かせた」
「何故です?」
「無論、あの男の亡骸を晒し者にしないためだ」
そう答えるアウロの脳裏には、先ほど中央広場で見た光景が浮かんでいた。
「俺はダグラス・キャスパリーグから奴の剣と遺志を受け継いだ。だから、あの男の誇りを守るためにその肉体を荼毘に付した」
「分かりません。父とアウロさんは敵同士だったんじゃないんですか」
「そうだよ。俺はあの男を殺したし、俺もあの男に幾度となく殺されかけた。だがな、俺はダグラスという男を否定するつもりはない。奴は手段こそ間違えていたが、掲げていた理想は正しかった」
「父の、理想?」
「亜人と人間が穏やかに暮らせる世界の実現だ」
アウロの台詞に、ハンナはもう何度目かになる沈黙で答えた。
驚いた様子はない。彼女も既に伝えられていたか、自分で薄々気付いていたのだろう。
「奴の理想は俺の目的と近い場所にある。ダグラスが俺に剣を預けたのも、それが理由だろう。……ハンナ、お前たちはこれからなにを目的に生きていくつもりだ?」
「目的なんて、そんなこと考えたこともありません」
ハンナは小さく首を横に振り、
「そもそも、キャスパリーグ隊はその名の通り、父の存在に頼っていた部隊です。父がいなくなった以上、組織としては空中分解しつつあります」
「なら、お前が纏め上げればいい。ダグラスの娘であるお前が」
「私がですか?」
その発想はなかったのか。ハンナは意外そうに目をしばたかせた。
「ダグラスは死に際に、キャスパリーグ隊が欲しいのであればお前と交渉しろと言ったんだ。出来ないと諦めるより、自分から動いてみてもいいんじゃないか?」
「そう、ですね。ただ、少しお時間を下さい。私が隊を纏めるにしても、アウロさんの提案を受けるかどうかは他のみんなとも話し合ってみないと」
「構わない。一ヶ月後、王城で新王の戴冠式が行われるはず。その式典が終わった後で回答を聞かせて欲しい」
「分かりました。それまでには私たちも答えを用意しておきます」
「良い返事を期待している」
これで話は終わりだ。
アウロは地面に突き立てた刃を手に取り、再び鞘へと収めた。
が、立ち去ろうとするその背に「あの」と声がかけられる。
「ごめんなさい。アウロさん、最後にもう一つだけ聞かせて下さい」
「……一つだけだぞ」
アウロは立ち止まり、振り返る。
ハンナはためらいがちに尋ねた。
「私に教えて欲しいんです。その……父の最期はどうでしたか?」
「随分と抽象的な質問だな」
アウロは苦笑一つこぼし、
「少なくとも、お前たちに対して遺言は残していなかったよ。ただ、ダグラス・キャスパリーグは安堵していた」
「安堵?」
「そうだ。あの男はようやく、抱え続けていた重みを手放せたのかもしれない。その遺志を他の誰かに託すことによってな」
「父は疲れていたのでしょうか」
「疲れを感じない人間などいないさ。だが、確実に言えることがある。奴は最後まで戦い抜いたことに誇りを抱いて死んだ。これでようやく同胞たちの元に逝くことができるのだと、胸を張ってな」
「……そうですか」
ハンナはそう呟いたっきり顔を俯かせてしまった。
そこにどんな表情が浮かんでいるのか、こちらからではよく見えない。
アウロの目に映っているのは、ぽたぽたと地面に落ちる透明な雫だけだ。
【あ、この子、泣いちゃったよ。主殿、慰めてあげたら?】
【……カムリ。こういう時は見なかったふりをしてやるのが、人の礼儀というものだ】
アウロも肉親を失う痛みはよく分かる。
ハンナはまだ心の整理がついていないのだ。今は一人でそっとしておくべきだろう。
結局、アウロは涙を流す少女に声をかけず、カムリを連れてその場を後にした。




